引っ越しをすることになった。
僕が引っ越すのではない。どう考えても僕が引っ越すことはない。きっと、一生を通じて住所は変わらないはずだ。住居区分が変われば(例・“東京都という区分が江戸という名称になる”など)一見引っ越したように見えるだろうが、結局居住している場所は変わらない。焼け出されでもすれば別だろうけど。
話を戻すと、引っ越すことになったのは、『北海道ノート』などにしばしば登場し、僕のエッセイの準レギュラーの座を獲得している“札幌のTs”君。お仕事の都合で、札幌を離れることになった。行き先は(よりにもよって)なんと網走!札幌から約350km(東京→名古屋間に匹敵)、特急でも5時間半かかってしまう場所に、転勤になってしまったのである(注・普通に考えると左遷されたみたいだが、実は“小抜擢(本人談)”されての異動なのである)。網走なんてなかなか遊びに行けるようなところではないし、網走から北、稚内までのオホーツク海沿岸は、鉄道がないために僕は行ったことがない。しかも網走自体、98年の北海道旅行のとき以来であり、そのときでさえ乗り換え列車の都合で20分ほどしか滞在できなかったのである。だから、今年の北海道旅行はそっち方面で(最初から)考えようとした、その矢先の網走異動となってしまった。僕にとっては好都合♪なのだが、本人はなんとか正気を保っているという部分も、ちょっとだけあるようだ。
ともかく、その引っ越しを手伝うことになった。いや、手伝うことにした。Ts氏のことだから、きっと冗談混じりに「手伝ってくれ」と言うだろう。そこで、僕が万難排して行くという意志を見せれば、本人の笑いはとれるだろう。でも、結局は行けないだろうな。彼にもこっちにも予定はあるし、そうそう両者の都合なんてつくとは思えないし。
・・・うかつなことは言うものではない。こういうときは、不思議と2人の都合が完璧についてしまうのである。出来過ぎだとは思うけど。そんなわけで、僕はTs氏と綿密な打ち合わせと検討を行い(引っ越しがメインなのだから、そこはキチンとした)、札幌に向かった。
引っ越し記・中
<第2日目・・・引っ越し当日>
4月4日水曜日。昨晩から降りはじめた雪は、朝になってもまだ降っていた。家の屋根にうっすら積もった程度だというのが幸いだが、雪の中で引っ越し作業というのは、ありがたい話ではない。第一、今日は標高で1000mちょいの石北峠を超えなければならないのだ。来客用のふとんがないTs君宅、寝袋にこたつ用のふとんをかけ、電話帳を枕にしたわりにはよく眠れたのだが、先が思いやられる。
朝食をとる&レンタカーを借りるべく、8時ちょうどに彼の家を出た。まず腹ごしらえに吉野屋へ行き、朝定食をモリモリ食べる。長丁場の一日になるのだから、しっかり食べておかないと。朝から牛丼250円特別割引を食べてしまおうかとも思ったが、割引が始まるのが午前10時からだそうで、断念。残念。無念。
レンタカーはすでに予約してあったので、特に何かするわけでもなく、あっさりとレンタルに成功する。借りたのは、2tロングのアルミバン。つまりトラックである。本来なら普通の2tでも十分なのだが、空車がないとかで2tロングになってしまった。こんなにでかい車なんて運転したことなかったし、教習所を出てから、マニュアル車を運転したのは通算2kmしかないのでドキドキだったが、不思議となんとかなるものである。ヒヤっとすることもなく、Ts家に到着する。
本格的に作業を始めたのは、9時をちょっとまわったくらいからだった。まだ雪が降っているので、いったん駐車場に荷物を降ろすということができない。そのため、直接トラックの荷台に荷物を搬入することにした。小物や、どうでもいいものを適当に入れておき、次に大きなもの(冷蔵庫など)、大事なもの(タイヤ)、かさばるもの(パソコンラック=ばらせない)を入れて、そのまわりを重いもの(本)でかため、ちょっとした隙間は小物で埋めてゆく。いろんな大きさの段ボールがあったのだが、けっこううまくピッタリとおさまってゆく。
10時ころ、Tsの父上が到着した。この日の朝イチで東京を出発され、お手伝いにいらっしゃったのである。それにより、
父上=まだ梱包していないものを梱包
↓
Ts=部屋からトラックに荷物を運ぶ
↓
僕=運び&トラックの荷台で荷物収納パズル
というラインが(一応)完成した。そのうちに暑くなってしまい、雪の中をTシャツいっちょで作業していたら、管理人のおばあちゃんがやってきた。
「ご兄弟?」
「いえ、同僚です(注1)。手伝いに来ました」
「似てらっしゃるから(注2)ご兄弟かと思ったわ。寒くない?」
「寒くないですよ(注3)。旭川出身(注4)なので、寒さは平気なんです」
「網走でしたっけ?遠いわねえ」
「えー、僕も汽車(!)でしか行ったことないんですよ」
注1・ウソ (=思わず口をついて言ってしまった)
注2・ウソ?(=そうはおっしゃいますが、似てないっすよ?)
注3・ホント(=暑かったんだもん)
注4・大ウソ(=江戸っ子です)
我ながらデタラメな会話をしてしまった。でも、東京から引っ越しを手伝いに来た単なる友人なんて言った日には、おばあちゃんは腰を抜かしたはずである。
11時すぎ、ついに荷物の搬入が済んだ。僕も数回にわたってお世話になった部屋ががらーんとしたのは、さすがに寂しいものだった。あらためてありがとう、平岸街道澄川のじけいハイツ201号室。Tsはあれこれと動いているから口数は多いが、彼の胸中はいかばかりだろうか。
Tsは愛車にパソコン等精密機械を積んで、僕はトラックに父上とともに乗り、2台連なっての走行である。札幌市内を抜けて、交通量や諸々を勘案して国道275号線(学園都市線と並行)を進む。交通量もそこそこあって気は抜けないが、トラックの運転はまずまずだ。ノッキングをおこすこともないし、エンストもしない。荷台から荷崩れの音もしない(笑)。興味深く思ったのが、トラックのミッションは1速・2速を使わないほうがいい、ということ。よっぽど荷物を積んでいるなら、またはすごい急坂ならまだしも、平らな路面を走るには、3速発進でちょうどよいのである。4速発進にもチャレンジしようと思ったが、さすがにそれはやめた。
13時を少し廻ったくらいに、雨竜町の道の駅で昼食休憩だ。キチンとしたレストランのある道の駅で、かなりヴォリュームのあるメニューが並んでいる。僕はカツ丼にラーメンというセットにしたが、けっこう量が多い。でも、カツ丼の味がうすく、カツじたいも少ないのがちょっと残念だった。
もうちょっとトラックを運転したいので、再び僕と父上がトラックに、Tsは愛車に乗って旭川市内を抜ける。相変わらず雪がちらほらしているが、大したことはない。混雑している箇所もなく、スムーズそのもの・・・その途端に、対向車からパッシングされた。お巡りさんが取り締まりをしているよと教えてくれたのだ。そのときは、最初からまったく問題のない速度で走っていたのだが、それでも通過するときは緊張する。
国道39号に入ると、石北峠を越えるまでなかなか休みようがない。峠に入る前になんとか休憩をしようと上川駅に向かった。時間は午後4時、出発してかれこれ5時間。さすがに疲れてきたが、もうひとふんばりだ。峠を越えるまでは運転して、残りは交代してもらうつもりである(単に峠が走りたいだけ)。でも、さすがに慣れないトラックで峠を越えるのは怖い(弱気)。ペースもわからない(とっても弱気)。そこで、上川駅で車を乗り換え、トラックにTs親子、僕はTsの愛車(AT車)という体制にした。さあ、最大の難所である石北峠だ。
峠に入ると、いきなり前にバスや超大型トラックが立ちはだかり、なかなか気持ちよく走れない(わがまま)。時速はだいたい制限速度前後、楽には楽なのだが、それで眠くなってしまった。気温は氷点下3度。雪もちょっとは降っているのだが、路面は凍結せず濡れた状態なので、ヒヤっとすることはまるでない。安心してしまったせいかどんどん眠くなり、居眠り運転直前である。峠で居眠り運転!Tsの家財道具と僕の命を犠牲にしてまですることではない。なんとかしようと、エアコンを止め、窓を開ける。冷気で正気を保ちながら、睡魔を追い出すために歌うことにした。車内にあるCDで僕が歌えるもの・・・唯一のCDが“モーニング娘。”のCDだった。
熱唱すること30分、なんとか眠ることなく峠をかけおりた。たぶん大雪山系と思われる真っ白な山も見えたのだが、朦朧としていて感動がなかったのである。それよりも休憩したい。まもなく休憩予定の道の駅・温根湯が見えてきたところで、ホッと一安心・・・あれ?前を行くトラックの速度が落ちない。そのまま通過!休憩は!?再び、僕の居眠り直前運転が始まりかけた。が、めでたくAMラジオが入った。株式ニュースや天気予報を聞いて、辛うじて眠気をおさえる。こうなったら、網走まで運転してやる・・・
午後6時をまわり、全行程の7分の6(350kmのうち残り50km)の北見市内で、トラックはやっと止まった。父上が休憩ポイントを見落としたそうな(号泣)。今度こそ代わってもらい、僕はトラックの助手席に移る。あと50kmほどだが、本当に疲れた。網走まで小1時間とのことだったが、どうしてもウトウトしてしまう。
プチ迷子の後、Tsの新居であるアパートに着いたのは7時を過ぎていた。部屋が1階にあり、しかもベランダは駐車場に面していた。トラックをベランダの前にぴったり着け、かたっぱしから搬入だ。夜だということもあって、どこにどう荷物を並べるかは後にして、さっさと作業を終わらせる。本人は家具の配置をもう考えているようで、僕や父上もあれこれと案を出すが、すぐには決まりそうもない。それに、今夜は電話も通じなければガスも出ないのだ。ここに泊まるわけにもいかないというので、網走駅前のホテルをとってあるそうな。疲れたしお腹も空いた。チェック・インするべく、ホテルに向かう。
部屋に荷物を置いて、食事のために外出した。雪はとっくに止んでいたが、気温もとっくに氷点下だろう。ホテルからほど近いファミリーレストランに行ったのだが、着ていったダウンジャケットが、今回の旅で初めて役に立ったような気がした。
食事の時にビールを飲んだ。1杯だけしか飲まなかったが、あとでまた飲みたくなるだろう、ホテルで飲もう、と思った。部屋に戻り、Tsとともに『水曜どうでしょう』をゲラゲラ笑いながら見て、それからシャワーを浴びていると、疲れがどっと出てきた。ビールなんかどうでもよくなってしまったのである。でも、ベッドにもぐり込んでからふと思ったのだが、自分が今日は札幌から移動して網走にいて、明日には帰るのだという現実について、なんだかとても不思議な気がした。ふりかえってみると、僕の生活からはかけ離れた1日だったわけであり、その現実とのギャップが、自分の行動でないように思わせたのであろう。
おい、俺は今、網走にいるんだぜ。
引っ越し記・下
<第3日目・・・遥かなる網走>
4月5日木曜日。目覚ましは7時ちょうどにかけておいたのだが、二度寝をしてしまった。起きたら7時40分、朝食は各自で7時半くらいにという話だったから、すでに遅刻である。出発時間に余裕を持たせていたから、まだ大した遅れでないのが幸いだったが、とっくにTs親子が朝食を食べているところにノコノコおもむくのは、ちょっと恥ずかしい。でも、この日にやることは山のようにある。荷くずしにトラックの返却だ。食べないでやれる作業ではないので、お新香以外はすべて食べた。
トラックは、朝イチで網走営業所に乗り捨てである。乗り捨て料金だけでもバカにならないが、これから札幌にトラックを回送して返却するという方法には、「それはないだろ」という気がする。だからの乗り捨てなのだ。返却直前に給油をしていると、ガソリンスタンドの兄ちゃんから、レンタカーで札幌からいらしたんですか(はい)?料金は(基本16000+免責2000+乗り捨て19200+めんどくさい税―割り引き800円)?時間は(9時間弱ですな)?乗り捨てですか(札幌まで戻るのやだよ)?と矢継ぎ早に質問され、なんか疲れる。こんなにいろんなことを、しかも給油と関係ないことを聞かれるなんて初めてだ。網走のガソリンスタンドに圧倒されたが、レンタカーの乗り捨てじたいは大した作業ではなかった。営業所に行って、ぶつけたり事故ったりしてませんと言うだけである。あとはお疲れ様でした、で終わり。とっととTsのアパートに戻って、荷くずしを手伝うとしよう。
アパートに戻る途中、網走の海が見えた。前日にも海の隣の道路を走っていたのだが、真っ暗な海の中に、ぽつりぽつりと白い物体が見えていた。流氷だろうと想像はできたのだが、なにぶん暗くてよく見えなかった。この日は快晴、海に浮かんでいた白い物体は・・・案の定、流氷だ。すでにシーズンではないので、海面をビッシリと覆っているわけではなく、あちらこちらにプカプカ浮いている状態である。でも、まぎれもなく流氷だ。遠くに目をやれば、真っ白な知床の山々が海の中からこつ然と姿を見せている。知床までは直線距離で50km弱だが、海を隔てたところに1500m級の山が屹立しているので、なんだか地続きの日本の国土とは思えない。ちょっと霞んでいるところが、知床の厳しかろう自然と荘厳さをかもし出している演出のようである。遠くから、しかも車の中から見ているだけなのに、やたらと堪能してしまった。
アパートで僕たちを待ち構えていたのは、問題の荷物収納パズルである。まず、洋間にカーペット状の床材を敷いて、足下の冷たさをやわらげる。次に、電話線とアンテナの位置から、パソコンとテレビと電話の位置を決める。そして、冷蔵庫の位置を決めてコンセントの位置を確認すれば、あとは必然的にどこになにを置くべきかが見えてくる。あーでもないこーでもないと検討したが、だんだん作業のテンポが上がってゆくのが見えて、けっこうおもしろい。一方で、ストーブ用の石油備蓄タンク(屋外)を探しているときに雪に足を取られ、うっかりと近くにあったバラ線を掴んでしまった。ぱっくりと傷口が開き、けっこう痛い。水が出たのが幸い、すぐに傷口を洗ったが、あまりに水が冷たくて血はすぐに止まった。
お昼になった。電話も使えるようになったし、本やら食器やらというこまごましたものは、本人にやってもらわねばならず、手伝いようがない。高いところに突っ張り棒をセットしたところで、本当にやることがなくなった。これでお役御免である。タイミングよく、僕はそろそろ帰りの飛行機を考えた方がいい時間でもあった。父上は女満別からの最終便でお帰りになるために、まだ時間があるのだが、どっちにしろ昼食を取らねばならない。いったん全員で食事に行き、その後父上はアパートに戻って作業を、Tsは僕を空港に送ってから転入届を出しに市役所へ、ということに決まった。
さて、今さらのような気がするが、ここで網走市を紹介しておこう。網走市の人口は4万人ほどだが、網走駅前はけっこう寂れている。というのも、網走駅は町はずれ直前の位置にあるので、市の中心部まではちょっと(10分くらい)歩かねばならない。Tsの家はそこから2kmくらい離れた住宅地なのだが、さらに駅と反対方向に2kmくらい行くと、大型のスーパーやホームセンターが並んだ、活気のある町となる。再び駅を基準に考えると、歩いていける範囲内の観光スポットは、網走監獄くらい(でもタクシーの方がいいと思う)。その他は、車があればそんなに遠くない範囲に、いろんな施設や名所旧跡があるのだ。なお、最寄りの空港は車で30分ほど離れた女満別空港。羽田から1日4便が、その他名古屋・関空・新千歳から飛行機が運行されている。
食事をしたのは、ホームセンターが並ぶ商業ゾーンにある、とんかつメインのレストランだった。いわゆる“みそかつ”を揚げるという見慣れないメニューがあったので、それにしてみた。ちょっと味付けが濃くてしょっぱいような気がしたが、それは好みの問題、という範囲内だろう。それよりも全体に量が多く、ご飯と味噌汁はお代わり自由とのことだが、目の前にあるのを食べるだけで大変だ。と、ここで初日の夕食が焼肉、前日の昼食がカツ丼で夕食がステーキ、この日の昼食がとんかつと、“肉の食い過ぎ”であることに気づく。でも、おいしかったからいいか。
北海道を離れる前の運転は、僕である。走りだしてすぐに、まだ結氷している網走湖の脇を通った。4月なのに、まだ凍っているとは!さすがに人はもう乗れないようだが、真冬には氷上ワカサギ釣りもできるそうな。なんにせよ、前日と同じ道を通っているのに、昨日は真っ暗だったから何も見えなかった。何が見えても面白く感じる。
市内から女満別空港までだいたい30分ほどだ。ちょこちょこと信号があったり、前の車にひっかかったりで気持ちよく走れないが、時間に余裕もあり、そんなに心配はない。その割には、眼前のバスを追いこそうとがんばりすぎ、Tsに怒られた。前日に居眠り直前運転をした反省が、まるで活かされていない。
女満別空港は、ちょっとした高台にあった。距離があるものの三方を山に囲まれているので、なんとなく“日本のカトマンドゥ”といった趣もある。駐車場はなんとタダで、ターミナルビルもこぢんまりした造りだ。ターミナルの向かいには、レンタカー屋が5軒ほど並んでいるのだが、どの店鋪も造りが同じなので、なんだか模型みたいに思える。そんなことを考えながら、空港の駐車場でTsと別れた。引っ越しの手伝いというのがメインだから、どうもありがとうというのが最初にきた。しかし、今年になってから比較的ちょいちょいと彼の顔を見ていたので、普段通りにお疲れ、じゃあね、という感覚だった。
チェック・インして出発ロビーに行くと、こぢんまりしたロビーがあって、お土産物を売る店が2軒あった。女満別という場所が場所だけに、活きたカニ(とんでもないお値段)を売っていたり、冷凍イクラ(いいお値段)を売っていたりして、空港っぽくない品揃えに感心した。定番のバターサンドもあったのだが、イクラを買ってこいという親の願いを無視するわけにはいかない。リクエストには答えたが、空港で、しかもなかなかの品を買えようとは。
狭っ苦しい場所に置かれたX線と、ボディ・チェックを難なく通過、出発待合室に進む。とにかく狭い。羽田やら千歳やらに慣れると、たいがいはどこの空港も狭く感じてしまうのだが、女満別はカトマンドゥ空港よりも、ブータンのパロ空港よりも狭かった。でも、迷いようがないのはいいかもしれない。搭乗口も2本しかないし。
飛行機内は空いていた。信じられないくらい空いていた。JAS186便羽田行き、A300の機材(298席)の搭乗客は、100人を大きく割り込んでいた。なんせ、窓際以外に座っている人がろくすっぽいないのだから。定刻の14:20に離陸すると、すぐに知床の山々が見えた。繰り返すようだが、単なる真っ白な山が海からニュっとしているだけなのだが、とても神々しく思えた。Tsが網走に引っ越さなかったら、冬の知床半島を目にすることなんてなかったのだ。海に目をやれば、そんなに多くはないものの、やはり流氷がぷかぷか浮いている(白波だっているようにも見える)のも見えた。いいものを見せてもらったと思った。
ガラガラの飛行機は、旭川上空・千歳上空・盛岡上空・仙台上空を経由して飛んでいる。北海道内上空は曇っていたのだが、本州を南下するにつれて、晴れてきた。例によって機内放送の落語(のいるこいる/こん平)を聞いていたら、遠くに成田空港が見えた。離陸待ちの飛行機を4機も列ねさせ、ちょうど着陸しようとしている飛行機まで見えた。以前にも思ったことだが、上空から見た成田は、やはり小さな空港だった。
16:17分、定刻より12分遅れて着陸したのだが、バスゲートに回されてしまった。そりゃー、バス1台で十分に乗れてしまうくらいしか、客がいないのだから。それよりどうしても不思議なのは、流氷を見てからわずか2時間で、気温17度・強風の首都に帰ってきてしまったという事実である。僕だけかもしれないが、飛行機に乗ると、ある種の浦島太郎的体験ができるような気がしてならない。
ほぼ桜が散ってしまった東京。モノレールの車内で、ダウンジャケットなんか持っている(さすがに着ない)のは僕だけだった。日本の国土の広さが、改めて感じられる。真夏とか真冬とか、そういう極端な季節のときよりも、春先とか晩秋とかのほうが、その土地の持ち味と、自分の住んでいる土地の違いがわかるような気がしてならない。ごく当然の見解なのだが、それを自分の身をもって体験して感じると、日本もけっこういい国だな、と思う。
些末なことを考えているうちに、浜松町に着いた。そこで山手線に乗り換えたときには、僕は浦島太郎から、現実世界へと復帰していた。
2001/04/10