リバーダンス!
 




 
アイリッシュ・ダンスとケルト音楽が融合した究極のエンターテイメント!!と、僕が購入したDVDの宣伝文句には書いてある。これで「リバーダンスを見たい!」と思う人はどれくらいいるのだろうか。事前に僕は「アイルランドの音楽とタップダンスが融合したショービジネス」と聞いていた。こちらも今となってはよく分かるし、確かに間違ってはいないもののあまりにも断片的な気がするのだが、そんなショーを見てきた。そして僕は、不覚にも泣いてしまったのである。ステージ上で泣いたことはちょっとくらいあるのだが、客席で、しかもお金を払って泣いたのは今回が初めてだ。そんなリバーダンスの話。

 リバーダンスというのだから、ダンスというのはわかるだろう。さらに先に書いたので「タップダンス」がメインとなるのも想像がつくかもしれない。すると、普通は「靴でカタカタやるのがタップダンス」と思ってしまうのではなかろうか。確かにカタカタやるのに違いはない。でも、実際にナマでタップダンスを見たことがある人はどれくらいいるのだろうか。僕もそんな一人だった。アイルランドの音楽は好きでちょこちょこ聴いていたのだが、それがタップダンスとどうからむのだろう?以前からある友人と話題になっていたのだが、まったく僕は分からなかった。チケットを取ったのも、酔っぱらった勢いのみだったのだ。

 で、当日。東京国際フォーラムAという、収容人員5000人のどでかいホールである。僕が持っているチケットはS席(一番高い)なのに、後ろから10列目くらいのところだった。ずいぶん儲けてやがると思った反面、ステージ左にセットされたバンドの席に目を奪われた。所狭しと並べられたパーカッション類と、弦楽器類と思われるバンドマンの席。全部で10人くらいになるのだろうか。開演前にバンドマンを待つ楽器類は、客席の照明に照らされているだけの輝きだ。そこからアイルランドの音楽がナマ演奏される、という程度の期待しかなかったのは、同行の後輩タローには言えなかったことである。

 正直に言おう。僕はリバーダンスってものが、なんだかよくわかっていなかったのだ。先にアイルランドとかタップダンスとか書いたが、アイルランド音楽を聴きたいという思いはあったものの、それがタップとどう絡むのか、まったく把握していなかったのだ。後輩タローは十分な予習をしてきて、普段は落ち着いたヤツなのに、興奮しているのが手に取るように分かる。僕はそれについていっていなかった。とりあえず開演してからの勝負だが、どう転ぶかわかんねぇよな、という乱暴な気持ちまで持ち合わせていたのだ。そんな僕がレポートを書くのだから、純粋なリバーダンスファンには怒られるかもしれないが、そのへんはご容赦願いたい

 まず、アイルランドの音楽(ケルト音楽)について記しておこう。まあ、要するにアイルランドの民族音楽ということになるのだが、コード進行は比較的単純だし、譜まわしも連譜が多くて展開が早い割には、そんなに突拍子もないリズムがあるわけではない。最近はエンヤが現代曲として有名だから、ひょっとしたら“癒し系”と言えば想像がつくだろうか。楽器編成はバイオリンやアコーディオンをはじめ、アイルランドの民族楽器であるフレームドラムや弦楽器(正式名称知らない)、さらにはドラムにパーカッション類一式、キーボードやベースにサックスも使用する。それと合わせて、というか一緒にタップをやるのである。

 タップダンサーは男女数名づつのメインダンサーを中心に、さらに全体で30名前後で構成される。しかし、タップが足下でちょこちょこ地面を打つイメージがあるなら、それを即捨てるべきだ。そんなことは断じてないことをここで強調しておく。確かに上半身は基本的に使わないが、リズムによっては飛び跳ね、足を上げる。跳躍は高いのだが、足の流れは何人いても一糸乱れない。一連のダンスには振り付け師がいるわけだが、足上げの角度がまったく乱れないところは見事という他はない。また、アイルランドの民族楽器を使った音楽や、タップとは違ったアクロバティックなダンスもあり、さらにはタップ無しのダンスや楽器無しのタップもある。そしてバンドマンは時に激しく時に優美に演奏しているから、どこを見ていいか目移りがしてわからないほどだ。一番賢明なのは、「ステージ上でスポットが当たっている箇所」を見ることではなかろうか。これらが、アイルランドの歴史や民族性を主題としたストーリーとして展開する。僕はまったくストーリーを気にせずに見ていたのだが、1つのテーマが5〜10分で展開してしまうので、まず飽きることはないだろう。

 リバーダンスは、もともとなんかのステージの合間のショーとして、わずか7分のものであったそうな。それが2時間というステージになったわけだが、特に何も思い入れなく見た僕が、不覚にも泣いてしまった。感動した、という月並みな言葉しかとりあえずは出てこないのだが、なんで僕は感動したんだろう。それは、ステージの上にいる人全員があまりにもステージを楽しんでいるからだ。ものすごく体力的にきついことは見れば分かるが、その辛さは微塵も感じない。それが怒濤の勢いで客席に迫ってくるのだ。ステージ上すべての人への感謝が体のそこからわき上がってきて、フィナーレでは立って拍手をした。比較的長身の僕が立つと後方の席の人には迷惑なのだが、それでも立たずにはいられなかった。客席では拍手と歓声を送るしかできないのが、本当にもどかしく感じたのである。ショービジネスなんだからお金がかかっているのは当然としても、それは照明や舞台に凝っているわけではない。すべて“人”にかかっているのである。

 間もなくリバーダンスの東京公演は終わってしまう。日本公演の千秋楽まではまだちょっとだけ間があるのだが、来年の公演スケジュールを見ると、そこに日本は含まれていない。なんで毎年やってくれないのかと思う反面、たまにしか見られないから余計に感動するのかもしれない。なんにせよ、リバーダンスを見ようか迷っている人がいるなら、即チケットを取るべきだ。


 最後に、ちょっと自分の文章作成能力に挑戦する意味で(?)、リバーダンスにおけるダンスと音楽の融合について200字で論じてみることにしよう。

 タップダンスとケルト音楽とのどちらが主でどちらが従であるか、リバーダンスにて考えることは無意味であろう。さらに、それを一口に融合と言ってしまうことさえも不適切であるかもしれない。確かにダンスと音楽とが同時に展開しているが、リズム感や速度感だけでなく、その両者が人間の持つ神々しさをも見せることで観客に感動を与える。それが、リバーダンスにてタップとケルト音楽とが融合した結果なのではなかろうか。(196字)



2003/11/14


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