ローマ三部作 〜入門編〜
 



 前回に引き続き、もうちょっとオーケストラの話を。
 
 僕が買ってもらったオーケストラのLP(CDではない!)は、小学校の授業で聴いて「これは!」と思ったサン・サーンス『動物の謝肉祭』だった。カップリングはプロコフィエフの『ピーターと狼』。指揮と語りがバーンスタインという、けっこういいLPだったように思う。あんまりおねだりをしなかった僕が、珍しくLPを買ってほしいなどと言ったところ、若い頃は合唱部で鳴らしていたオフクロはすぐに買ってくれた覚えがある。オーケストラもおもしろいなと思ったが、そこから熱心なオーケストラ信者にはならなかった。というのも、やはりおねだり攻勢でストラヴィンスキー『春の祭典』(アバド指揮・ウィーンフィル)を買ってもらってよく聴いたものだが、うちにあったベートーヴェンの『第九』はろくに聴かなかったのだから、僕の趣向は謎である。前回も書いたように、やはり長い曲は我慢できなかったのであろう。もっとも、買ってもらった2枚のLPだって、家には大したレコードデッキがあるわけでもなかったから、音としてもイマイチだった。そのうちに普段聴かないレコードなぞを聴くために準備するのが面倒になってしまい、聴かなくなってしまったのも当然のような気がする。
 
 そんな僕がどっぷりとシビレたオーケストラの曲がある。ムソルグスキー『展覧会の絵』だ。この超有名な曲とは、ある演奏会で出会った。中学校1年生の時、吹奏楽を始めた僕はいろんな演奏会に足繁く通っていたのだが、ある社会人吹奏楽団の演奏会のメイン曲が『展覧会の絵』だったのである。いまでも渋谷付近で活動しているそのバンドは実力もものすごく、中学生の僕が驚愕したのは言うまでもない。曲冒頭のトランペットソロは、僕の全身を貫くのに十分だったのだ。もちろん、早速CDを購入……といきたいのだが、実は買わなかった。プログラムに掲載された「指揮者の過去の名言集」を見ていたら、過去にメインとして演奏した『ローマの松』という曲について「(入場料)500円で聴かすにゃもったいねぇよ」とあった。ふむ、500円じゃもったいない曲か。演奏会で大きな感動を得た曲ではなく、まるで聴いたこともない、プログラムの片隅にちょっと書かれた記事の曲。それが、僕と「ローマ三部作」とのひょんな出会いだった。
 
 前説がずいぶん長くなったが、この話の本題へ。僕がオーケストラの曲でとにかく傾倒しているのは「ローマ三部作」という曲である。三部作というのは通称で、正確には『ローマの噴水』『ローマの松』『ローマの祭』という3曲を総称しているのだ。作曲者はオットリーノ・レスピーギ(1879〜1936)。どれも20分前後の曲で、それぞれ4楽章からなっているものの、楽章間の休みがなく連続して演奏される。つまり、20分程度ぶっとおしの曲なのだ。かなり有名な曲なので、CD屋さんに行けば簡単に手に入る曲である。だが、当時はそんなことを何も知らずに「ローマの松を聴いてみたい!」と思った。三部作なんていう扱いになっているのも知らなかったため、購入したのは『噴水』『松』の2曲と別の曲が入ったものであった。それでも『松』1楽章の華やかさ、4楽章の緊張感、『噴水』のバランス感覚など、不思議と何度聴いても飽きはこなかったのである。
 
 「ローマ三部作」と高校時代に再加熱した『春の祭典』ばかり聴いて、僕は人格を完成した……と書くと誤解を招くのだろうが、とにかく僕はそれ以外の曲を特に聴きたいとは思わなかった。読書もそうで、気に入った本を何度でも繰り返して読むという僕の性格は、音楽にも現れていたのではないだろうか。実際に楽器を吹くなら、一度やった曲はもう一度演奏できればいいなくらいの思いなのだが、どうもCDと本はダメなのである。貧乏性なのだろうか、ひたすら元をとってやろうというこの姿勢をセコいと言われたら、まったく否定できない。結局『ローマの祭』を買うまでもずいぶん時間がかかってしまったのだ。「三部作」を買ってしまえばもちろん『祭』も入っているわけだが、すでに何度も聴いている『噴水』『松』とともに収録されていることが多いわけだから、それをもう一度聴く気にはなれなかった。
 
 ところが、である。指揮者が変われば曲の雰囲気が変わるということを知識としては知っていた僕だが、実際にどの程度違うのかなんて気にしないで生活していた。それがオケのCDを買うようになってしまってから「そうだ、原点(=三部作)に戻って試してみよう」などと不思議なことを考えたのだ。まったく思いつきでしかなかったが、どうせ実験してみるなら異常な愛着があるこの曲でという作戦、着想というのはどこから出てくるかわからないからおもしろい。ちなみに、最初に僕が買ったのはアンセルメ指揮スイス・ロマンド管の演奏である。大変に上品な仕上がりになっている反面、突拍子のない“おもしろさ”というのはない。それからスタートして、僕は次々と「ローマ三部作」のCDを買いあさり、いろんなのを聴くことにしたわけだから、なかなか受ける衝撃というのは大きいのである。まったく同じ譜面なのに、これほど曲って違ってくるものなのだろうか!
 
 ちょっと専門的な話だが、譜面というのはまったくのマニュアルに過ぎない。たしかに、書いてあるとおりに一生懸命演奏すれば、間違いなくお褒めを頂戴できる仕上がりになる(はずな)のである。しかし、そこに指揮者の思い入れや解釈が加わったとたん、めくるめく“指揮者ワールド”の始まりとなるのだ。その違いに気づいたとき、オーケストラをないがしろにしてきた今までが、ちょっともったいないような気がした。
 
 実はもっとマニアックな話を進めたいのだが、とりあえず今回はここまでにしておきましょう。次回は僕の極私的「ローマ三部作」CD評を並べ、なんだそりゃ、な世界を展開してみることにする。
 




2003/05/09

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