飲酒考

 

 僕はいままでにどのくらいのお酒を飲んできたのだろう?と、ふと思ったことがある。法律上、お酒を飲んでいいと認められてから6年。さらにその前の数年間でせっせと予習に励んでいたから、全部足せばビールで100リットルくらいになるのではないだろうか。日本酒も1斗は飲んでいるはずだ。ウィスキーとブランデーもボトルで10本づつは堅いだろうし、焼酎もかなりの量になる。それに伴い、冷トマトと冷ややっこもかなりの量になるはずだ(笑)。

 ・・・こうしてぜんぶ足してみるとモノスゴイ量であることに驚くのだが、何ごとでも“全部足してみる”ってのは乱暴な方法で、実は大したことがない数字を、一発でオオゲサにしてくれる。いや、今回は別に自分の飲酒自慢をしたいわけではない。そんな飲み屋のバカ話的話題がメインなのではなく、今回のエッセイは、飲めない人にもどうってことがない内容だ。飲めない人はかわいそうねぇだとか言いたいわけではないので、飲める人も、飲めない人も、法律上飲んじゃマズい人も、まあ気楽に読んで下さいな。

 いままでに何度も酒席に出たことがある。たまには苦いお酒も飲んだことがあるのだが(号泣)、基本的に“気楽に飲める席”でないと気を使ってしまうので、やはり知っている人と飲みに行くのがいい。自慢にはとてもならないのだが、僕はいわゆる“合コン”なるものに一度も行ったことがない。だって、知らない人ばかりと何をしゃべるのさ?だったら、知っている人とバカ話をしているほうがいい。知っている人と飲むのなら、気分転換から情報交換まで、話題は何でもいいけれど、気軽にしゃべることができる。その一方で、特に見知らぬ女の子と当たり障りのない話をしたいとは思わないので、まるで合コンには興味がないのだ。

 かんぱーいという発声からいったん飲みだしてしまえば、すぐにでも気持ちがよくなってくる。すると、あとは自分のペースで好きに飲みたいところなのだが、世の中にはお酌をしたりしてもらったり、ということが往々にしてあるのがどうもいただけない。注しつ注されつという言葉があるものの、注す相手の飲むペースを乱しちゃいそうな気がしてならないからだ。まあ、お猪口(おちょこ)を持って待ち構えている人には遠慮しないが、そうすると返杯を受けることになるので、僕の方のペースを乱されてしまうのが困る。そういうときはナメる程度にしてとどめておくのだが、やたらと飲む人は不思議とよく観察しているもので、なんだ進まないじゃないかもっとやれ、といぢめられることが多い。まあ、僕は飲めないわけではないので、なんとかならんものだろうかと思いながらも飲んでしまう。だが、飲めない人には理解できない行動だろう。飲み会がディープになればなるほど、飲めない人には肩身が狭くなってしまうのではなかろうか。できる限りなんとかしたいものだ。

 そのうちに、みんなでワイワイとくっちゃべることになる。そうすると、無礼講という雰囲気が往々にして出てくることになるのだが、無礼講といってもホントに無礼講なのかとか、トイレに立つタイミングは、なんて少々気を使うこともある。いささか気を使い過ぎのきらいがあるのだが、そうでもしないと、ノンストップで場が荒れてくることもあったりなかったり。

 さて、みんながみんな(そこそこでも)楽しくなければ、せっかく飲んでいる意味はないのではないだろうか、なんてことを考えてみた。下っ端だから料理注文しろと使われたりとか(大したことないか?)、飲めないからって哀れまれたりとか(“最初から来ない”というのは×)、それだってホントはおかしいよね。みんなヒマじゃないところで、せっかく時間と場所と料理を共有しているのだ。しかるべき料金を払っている都合もあるし、楽しくなければもったいない。誰かが一方的に盛り上がっていたり、何かが原因で盛り下がったりしていては、せっかくの酒席が成功だとは言えまい。これは、自分で犯した失敗に基づく話だ。

 いざ文字として書いてみるとオオゲサであるような気がしないでもないが、こんなことを考えるようになったのは、何度も何度も飲み会の幹事をやったりやらされたりしてからだ。幹事は、どうしても全体に眼をやらなければならない。極端に盛り上がっていたら消火するつもりで、極端に盛り下がっていたら殴られ覚悟でそこに行ってみたり・・・と、あっちへフラフラこっちへフラフラしているうちに、酒席ってそういうものなんだな、なんてことに気がついた。まあ、気付くまでにだいぶ時間はかかったが。

 なんてことを漠然と考えていたのだが、最近は飲みに行こうと誘うときから、妙に気を使うようになってしまった。「私は飲めないんで、料金がもったいないから行きません」なんて言われたら、と思ってしまうからだ(実は何度も言われたことがある)。確かに、飲めない人と飲みに行っても、支払いの際にこっちの料金も負担させちゃっているようで申し訳ないな、と思うことはある(そういうときは多めに支払うようにしている)。しかし、飲める人だろうが飲めない人だろうが、同じ場所であーだこーだ言える機会というのはあまりないし、少し酒を入れた方が、ホンネが飛び出してきて面白いとは思うのだが、どうだろう?その場にいてくれないと、ぶっちゃけトークできないじゃないか。

 とにかく、お酒が出る席は、たいていが“絵に書いたような荘厳な場”ではない。ちょっとくだけた雰囲気がないかぎり、おいしいお酒は飲めないだろうし、いろんな話もできやしない。そう思うから、飲めない人とも飲みにいきたいし(迷惑な話か?)、いろいろしゃべってみたいととみに思うのである。

 でも、休肝日は作った方がいいと思います。ハイ。

 

2001/12/12

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