信濃白鳥困惑記

 信濃白鳥(しなのしらとり)という駅を、みなさんは御存じ・・・あるまい。飯山線という、長野から野沢菜発祥の地・戸狩野沢温泉や十日町を経由し、新潟県の越後川口に至るローカル線の一つの駅で、手元の資料では1日に100人もの乗降客があるというのだが、きれいな駅名とはまるで結びつかないような、単なる無人駅である。列車にフツーに揺られていたら、発車した瞬間に駅名を忘れそうな小さな駅だが、そんな駅で一生忘れられない経験をした。今回はそんな事件の顛末記を書いてみたい。

 僕の年中行事の中に、毎年恒例となっている春旅行がある。メンバーは高校時代の同期生(今回は僕を入れて6名)で、相棒Tもこの中に含まれているのだが、北海道旅行のメンバーとはまったく違う。ともかく、例年は近畿地方だったのだが、今年は鈍行で中央線を経由し、長野から飯山線を経由して豪雪を見物し、長岡で1泊という予定になっていた。もう使うことはないと(勝手に)思っていた青春18きっぷで、朝の8時10分に新宿を出発。11時35分の小淵沢で雪がチラつきはじめ、14時30分には長野で大雪(細かな雪だ)となっていた。長野市内ではそんなに積もるわけではないが、この雪ではこれから先の豪雪地帯が思いやられるぞ、でも楽しみかも・・・この時はまだまだ余裕があった。

 長野駅ホームは、飯山線の列車を待つ人でだいぶ混んできた。2両ならみんな座れるかな?期待をよそに、やってきたのはキハ110系1両。もちろんワンマン運転だが、それよりとにかく乗客が多い。立錐の余地もないとは言わないが、かなり近いものがあった。客層を見てみると、地元の人とスキー・スノボ客が入り交じっている。地元の人はまあ30分程度で降りてしまうだろう。スキー・スノボ客だって、長野から1時間強の戸狩野沢温泉で降りてしまうはずだ。ということは、そこから先でひなびたローカル線の旅情を楽しめるだろう。僕の予想は、だいたい当たった。

 14時53分に長野を出発した列車は、満員の乗客をのせて各駅に停まる。外は大雪となっているが、長野市内はほとんど積もっていない。ところが、飯山線内に入るととたんに雪の量が増えた。雪もボタ雪、風は強くなさそうだが、見た目は吹雪にも見える。そのうちに風が出てきたようで、窓全面に雪が張り付いてしまい、何も見えなくなってしまった。もっとも、車窓が見えたとしても真っ白なのだが・・・何か見えるだろうと運転席のすぐ後ろに立っていたら、小さな無人駅でドアが開いた際に雪が吹き込み、僕は頭から雪をかぶるハメになった。車内で雪をかぶったなんて初めてだぞ!?笑いが止まらない。

 16時01分、戸狩野沢温泉着。ここで乗客がゴッソリ降りた。厚底ブーツでこんなところにやってきたスノボ集団が、ホームですっ転んでいる。そんな連中を冷ややかな視線で見送り、4分の停車時間を利用してちょっとホームに降りてみた。外は見事に吹雪である。積雪は軽く2mを超えているはずだ(あとで、積雪は260cm強と知った)。そんなに寒いとは思わないが、それでも気温は氷点下だろう。とにかく雪がすごいので、列車の中にそそくさと逃げ込んだ。いやあ、確かに日本随一の豪雪地帯だ。

 戸狩野沢温泉を出発する時には、乗客は座席の6割くらいになっていた。もちろん、立っている人はいないのだが、僕や相棒Tはウロチョロしながら車窓を楽しむ。・・・といっても、ほとんどが真っ白だ。なんせ、線路が見えない。運転席から前を見ても、とにかく真っ白でどこに線路があるのか判別できない。車両の最後部から後ろを見れば、真っ白な中にレールが残り、2本光っているのが見える(当たり前だ)。前は真っ白、後ろはレール2本。このコントラストが面白くて、僕は妙に感心していた。しかし、あと2時間弱の乗車時間をこんなことで感心し続けるほど、僕は気長ではない。かと言って窓には雪が張り付いているから、外の景色が見えるのは運転席か最後部しかないのだが、どうせ見えたとしたって真っ白だ。結局感心しきりに席に戻り、みんなと談笑を始めた。

 16時30分頃、問題の信濃白鳥着。乗降客は1人もいないのだが、列車が停まると同時に運転士が運転席の窓を開け、駅の雪掻きオヤジと話を始めた。それは気にとめなかったのだが、すぐに運転士が列車を降りてしまい、オヤジと話し込んでいる。停車時間は30秒を超えた。あれ?こんな駅は15秒で発車だろ?今度は、妙に気になって、運転席の方に行ってみた。すると、僕の耳に運転士の「5分遅れ」という声が飛び込んだ。時計を見ると31分だ。時刻表には29分とあるから、確かに遅れてはいるものの、5分なんて遅れていない。でも、いったいどうしたんだろう・・・?

 1分以上雪掻きオヤジと立ち話をした運転士は、おもむろに運転台の列車防護無線を取り、司令所と通信を始めた。曰く、「列車が雪を押している状態であり、雪がホームくらいの高さにまで達している。発車を試みてはいないが、発車できてもこの先は運行が困難の模様」と。雪を押している?前方を見ても、雪は線路が見えない程度に積もっているようにしか見えない。ホームの高さというのはあまりにもオオゲサだ。多少はオオゲサに現状を報告した方が、事態の打開にはいいのだろうか?とにかく、現状を確認ということで、まったく同じようなやり取りが数回続いた。しばし通信をすると、今度は車内放送で何があったか話し出した。曰く、「雪が線路面に多く積もってしまい、発車ができない状況である」と。あらら?どうなっちゃうんだ?

 どうも停車が長引きそうなので、一服したいと申し出てホームに降りてみた。雪はだいぶ降っていて、風もけっこう出てきている。とりあえず列車の前方を見てみると・・・なんだこりゃ!列車の先端についている雪はね(スノープラウ)が、雪を左右にかき分けることができずに、前方に押してしまっている。列車の3mほど前方まで雪が押されていて、列車の全面には確かにホームの高さまで押された雪が重なってきている。これでは、押した雪で列車の前部が浮いてしまい、脱線することも予想されるのだ。確かに動けない。

 

 

 そこで、ホームに降りた運転士(40台半ば)としばし現状について話を聞いた。箇条書きでまとめてみよう。
・前の駅の西大滝まではどうということはなかった。
・駅間のトンネルを抜けたら、急に雪が深くなった。
・ノッチを入れても、普段より30kmも遅い速度しか出ない。
・3月の雪だから重く、左右にかき分けられずに押す形となった。
・2両編成なら進めるかもしれないが、1両だと車輌が軽いので、危険。
・事故になる前に、なんとか発車回避の決断ができた。
・今までに雪の中で立ち往生したことなんかない。参ったね。

 どうにもならないから、運転士はラッセル車の出動と、保線係の出動を要請したようである。ラッセル車は3駅先の森宮野原にいるらしいが、昼間は要請がない限り出動しないのだそうな。まあ、昼間はたまに列車が走っているのだから、ラッセル車を出す必要に迫られるほど、雪が積もることは(普通は)ない。しかし運の悪いことに、僕たちの乗った列車はこの区間を走る2時間ぶりの列車である。その間に大雪となってしまったのだろう。

 

 

 僕たちは急ぐ旅でもないので、まったく気楽なものである。時間はまだ17時前だから、前方からやってくるラッセル車を明るいうちに見られるかもしれない。これは楽しみだ。とりあえず現状を札幌のTsに電話で冗談半分に連絡する。どうだ、こんなオモロイことになったぞ、といったようなモノである。さすがに大雪情報はこちらではわからないから、Tsに気象情報をインターネットで見てもらうことにし、電話をいったん切った。

 ホームで一服していると、列車の乗客でない人が現れた。駅の先の踏み切りの遮断機が下りっぱなしになっていて、車が進めないのだと運転士に言っている。とはいっても、一度下りた遮断機をあげることは、ここではどうにもならない。ドライバー氏もしかたねえなあ、といった感じで怒鳴るようなことはない。運転士が道路の状況を聞いたが、やはりあちこちで事故った車があるようだ。この雪ではねえ・・・

 列車が停まってから30分が経った。こういう時は、仮に僕たちの乗った列車の1本前が立ち往生したなら、どういった状況か把握するのはそう難しいことではない。しかし、いざ立ち往生の現場にいると、情報はまるで入ってこないものだ。司令所と運転士のやり取りを聞いていても、どうも司令所は現状が把握できていないのか、しつこく現状確認をかけてくる。戸狩野沢温泉からここまでは列車を進めることができるかと聞いてくるが、進められたからここで立ち往生したんだ。後続は進めることができるかなんてことも聞いてくるが、大雪でこの列車が進んできた線路上にもたっぷりと雪が積もってきている。運転士がボソっと「バッカじゃねえの」とつぶやいたのが印象的だ。逆戻りするという手段もあるのだが、車両運用の都合でそれはできないらしい。どんなことになっても、この車両は十日町方面に進めねばならないようだからだ。

 しばらくして、保線係が5人ほど到着した。案外早くやってきたように思うが、たまたま飯山から十日町まで行く途中に連絡を受けたそうである。手に手にスコップを持ち、列車の前方の雪を見て呆然とする。とりあえず押してしまった分の雪をなんとかしようということで、人力で雪をどかした。押してしまった分の雪は、ラッセル車がやってきてもどかすことはできないからだ。作業はすぐに終わったが、もちろん列車が発車することはできない。この先全区間の雪をどかさない限りは、再びどこかで立ち往生するのは目に見えている。一部の保線係は、雪掻きを終えると遮断機の下がった踏み切りに行き、手動で遮断機を上げて車を通している。うわ〜、保線係って大変だな。それをホームで見守っていた運転士さんも雪まみれになってしまっていて、「鉄道員(ぽっぽや)」の高倉健みたいだ。カッコいいッスよ、なんて言ってみたが、もはや冗談も通じない。

 

 

 そのうちに、先を急ぐ人にはタクシーを呼ぶという話になったが、こんな雪でタクシーなんか来てくれるのだろうか?ともかく、僕たちはこの先どうなるのか興味津々、「最後までこの列車に残ろう」という話になった。列車の中は暖房が効いているものの、なんにせよ列車の中で蟄居していてもつまらない。ホームはさすがにずっといると寒いので、駅舎の中にも行ってみた。駅舎はボロい木造で、待ち合い室には大型ストーブがついていた。ベンチもあるし、公衆電話もある。ただし、自動販売機なんてものはない。のどは乾くが、水道が凍結しているとかで水も出ない。雪掻きオヤジはここで泊まり込んでいるのだが、どうやって生きているのだろう?ともかく、オヤジの部屋にテレヴィがあり、画面は春場所千秋楽の大一番・貴闘力―雅山の仕切りが行われていた。ついつい見入って貴闘力の優勝シーンを見てしまったが、4分がつぶれただけである。まもなく停まってから1時間だ。

 遅々としてラッセル車はやってこない。森宮野原でなく、6駅先の津南からやってくるらしいという情報も入ったが、なんでもいいや。面白半分に再びTsに電話すると、まだ停まってるの?と言う(後で知ったのだが、このとき野沢温泉で1時間に5cm・津南で1時間に2cmの雪になっていた。1時間に1cm以上のペースで積もると大雪だから、大変な勢いで雪が降っていたのである)。とにかく、ラッセル車が来なければ動けないのだから、ここで列車の運行は打ち切り、バス代行輸送の可能性が濃くなってきた。

 運転士が乗客一人一人に、どこまで行くのか確認をとりだした。これはもう運転打ち切りだろう。で、バス代行の詳細を連絡するのだろう。運転士のメモを覗いてみると、東京・十日町・燕三条と、バラエティに富んだ行き先が記されている。心配そうな表情は東京へ帰る人だが、十日町まで出られれば、あとはほくほく線と新幹線を乗り継ぐだけだから、まだまだ最終までの時間的余裕はある。僕たちは長岡へ行くのだし、燕三条に行く人もいるのだから、十日町まで行ってほくほく線と新幹線を乗り継ぐ、というルートを取れば、遠距離の人は一番楽だ。でも、運転士や再確認をしにきたJRの職員(保線係の1人はJRの職員だった)は、そこまでは考えられないらしい。十日町から越後湯沢までタクシーを出せ、という客もいる。こういう時、僕たちみたいな部外者はいくらでも冷静な判断ができるが、JRの職員は困惑するばかりだ。とにかく、代行バスは飯山線の終着駅である越後川口まで運転されることになったらしい。とりあえず僕たちも越後川口まで行くということにした。ただし、最も肝心な“いつバスが来るのか”はわからないままだ。

 雪は依然として強く降り続いている。日はもうとっぷりと暮れ、停車してから2時間近くが経とうとしていた。僕は駅舎のベンチでストーブに当たりながら、ずっとそこにいるおばさんと雑談を始めた。そのおばさんによると、今年は雪の降りだしが遅く、しかもいつまでも残っている。私の小さいころはもっと降ったけど、3月の下旬まではねぇ、とのこと。おばさんはあと2駅の横倉まで行き、バスに乗り換える予定だったそうだが、すでにバスの最終が出てしまって困っている、とも言う。こういう時はJRの職員に頼んでタクシー代を負担させることができるかもしれませんよ、と言ったが、おばさんは動こうとする気配がない。どうやらだいぶ疲れてしまっているようだ。僕はまだ元気だが、そりゃー普通の人は疲れるよ。

 代行のバスが到着しました、荷物を持って列車を降りて下さい、と言われたのは18時45分。停車してから2時間15分が経っていた。やっと事態が解決したかと列車に戻ろうとすると、進行方向からラッセル車が到着したところだった。まるで動けない僕たちの列車とは対照的に、難無く雪を押し分けてやってきたラッセル車。めったに見られるものではないからと、多くの乗客がラッセル車を眺め、写真を撮る。しばし眺めたあと、荷物をもって列車から離れた。少し名残惜しい気がした。

 2分ほど歩いたところにバスが待っていますというので、雪がたっぷり残るビチャビチャの道を歩く。足下は悪く、滑りやすい。僕でさえ怖いのだから、数人いるお年寄りにはもっと危険だ。JR職員の誘導で歩いたのだが、どうもおかしい。どこにもバスなんかいないぞ。結局5分も歩いただろうか、バスが待っていた。

 バスは国道を快走する。国道が雪で通行止めになって、列車は平常通りというのは聞いたことがあるが、今回はまったく逆だ。飯山線はもちろん赤字ローカル線なのだが、大雪で国道が閉鎖されることが多いため、廃止の対象になったことがないのだが・・・ともかく、バスは途中で降りる人の都合のいい場所に停まる。先に降りるどの乗客も、「お疲れ様でした」とか「お先に失礼します」と全員に挨拶をし、バスの運転手に丁寧に礼を言って降りる。乗客の中に、妙な一体感がうまれていた。そう言えば、ここまで真剣に怒る人なんていなかった。東京だと、人身事故の度に(どうにもならないのに)本気で怒る人を見かけるのだが・・・

 20時ころ、十日町に到着。もともとの目的地だったり乗り換えたりで、ほとんどの乗客が降りる。僕たちも、ここからほくほく線と新幹線経由に振り替えろと交渉してみたが、僕たちのきっぷは貧乏旅行の強い味方・青春18きっぷ。18きっぷではダメですと無下に断られた。オイオイ、普通は2時間も遅れたら責任問題だぜ。ダメってどういうことだよ。だが、ダメなものはダメである。

 代行バスの終点は、列車の終点でもあった越後川口。なんとも寂しい越後川口にやっと到着したときには、時計の針は21時になろうとしていた。こうして予定より3時間近く遅れて、長い飯山線の旅が終わった。

2000/04/03

 

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