どうやらタバコを止めたようだ

 


 酒に続いて、こんどはタバコの話。

 僕は、どうやらタバコを止めてしまったらしい。なんとも気弱な書き出しなのだが、仕方がない。本人はカケラもその気はなかったのだが、止めてからかれこれ9ヶ月が過ぎてしまった。とは言っても、この9ヶ月間に吸ったタバコの本数はゼロではない。2〜3ヶ月に1本くらい、吸ってしまったような気がする。でも、別にタバコを吸わない日々はまるで苦痛でなかった。今後もきっとそうだろう。ひょっとしたら、ずっとタバコを吸わなくとも何も思わなくなるかもしれない。ただ、どうせきっと再び吸うようになるだろうと思っていたので、このネタでの執筆を控えていたのも事実なのだが、どうやら日の目を見せてもいいようだ。“とっときのネタ”というほどではないが、とにかく今回はタバコの話である。

 僕がタバコを吸うようになったのは、とてもお巡りさんの前では言えない頃からである。でも、1箱吸ってはやめ1箱吸ってはやめという、習慣的喫煙よりも体に悪い喫煙をくり返していた(常習するよりも、吸ってはやめるの繰り返しの方が体には悪い)。ヒドいときには「半年に1箱」なんていうペースだったのだから、タバコもシケっていたのではないだろうか。これではほとんど喫煙者とはいえない。中途半端なヤンキーの方が、よっぽど喫煙量が多いはずだ。

 そんな不思議な時代を経て、常習的にタバコを吸うようになったのは「法律的にタバコを吸ってよい年齢」になる1ヶ月ほど前のことだった。“常習的に”なんて言うとヤバい薬のようだが、もちろんたかがタバコである。たかがタバコというような論法は、禁煙推進論者の方が見たら卒倒するだろうが、タバコなんてそんなもんだ。だって、そんじょそこらで簡単に手に入るわけなのだから、不退転の決意で「私はタバコを吸います!」なんて宣言(ヘンな宣言だ・・・)は不要なのである。冗談めかして「国鉄の赤字対策のためにタバコを吸っているのだ」などと言っても、わかってくれる人はほとんどいない(わかるかな?)。そんなつべこべ理由をつけるほどでもないのが、喫煙というものなのである。未成年にタバコを吸わせたくないどーたらと言うなら、もっと根本的にどーにかしないとダメだと思うけど。

 さてさて。“なんとなく”という、まったくごくありふれた理由で喫煙を始めたわけなのだが、タバコなんていつでもやめられるんじゃないかな、なんてことをずっと思っていた。僕はもともとそんなに喫煙量は多くなく、週に2箱程度だったからかもしれないが、ことあるごとに10日間〜2ヶ月程度の禁煙をくりかえしていたので、余計にタバコはやめられると思っていたのかもしれない。ただ、“なんとなく”タバコを吸いはじめたのだから、“なんとなく”タバコを止めればいいのだが、“なんとなく”タバコを吸い続けてしまってズルズルと・・・そんなわけで、5年ほどが過ぎてしまった。いつでもやめられるという気がしながら5年!やはり、中途半端な意識では禁煙できないのであろうか?

 そんな今年某日。ある飲み会に僕は参加していたのだが、その席上でふと“そろそろタバコをやめようかな・・・”と思った。たまたまタバコが切れたタイミングである。普段ならああ買わなきゃという程度の認識をするのだが、そのときは、最後の1本が尽きようかというタイミングで、ふと、ほんとにふと、もうやめようと思ったのだ。妙に覚えているのが不思議だ。お店から出たら、すぐ近くにタバコの自動販売機があったのだが、すでに買おうという意識はなかった。そのときには、もうタバコをやめるつもりで満ちあふれていたのだ。

 それから9ヶ月。数本もらいタバコをしたこともあるのだが、最近はまるで吸っていない。たまに、ごくたまに、無性に吸いたいと思うことがないわけではないが、特にどうってことなく吸わずに済んでいる。ただし、モトモトの本数が少なかったわけだから、タバコ代の節約によって財布の中が潤おうってことも特にないのが残念だが。

 別に僕は喫煙者を毛嫌いするつもりはない。煙りがこもってしまうのはあまり好きではないが、ちょっと前までは僕が煙りを吐くことでそれを演出していたのだから、あまり大きな声で文句も言えまい。第一、このエッセイは喫煙者に禁煙を促す目的ではないのだ。“なんとなくタバコ止めちゃったもんね”というお話なので、それ以上には発展しないののだから。なお、禁煙運動に参加してタバコを止めたわけでもないので、嫌煙者に対しても特にどうということは思っていない。

 ただ一つだけ喫煙者の皆様に。ポイ捨てだけはやめましょう。灰皿を携帯するか、灰皿のあるところで吸いましょう。それだけはくれぐれも御注意を。

 

2001/12/21

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