卒論ノート

 気づいてみたら、なんと「エッセイページ」を更新するのは、2ヶ月ぶりである。この間、僕はのんべんだらりと生活・・・していたわけではない。卒論を書いていたのである。お陰さまで締切前日の12月14日、無事に卒論は受理された。めでたしめでたし。でも、そんなに簡単に終わったわけではない。そこで、題目決定から今日までを、ざーっと日記風に振り返ってみることで、ブランクの間に何をしていたか、報告しましょう。


1998年11月某日
 題目を先生と相談。我らがお寺の開祖・天海(てんかい)僧正をやりたいと言ったら、あの人は教学上の特徴がないからダメと、却下。「お前は編入で基本が出来てないから」と言う理由で、題目は『大乗菩薩僧について』に仮決定。大乗菩薩僧全体をやれとのことだが、あまり気が進まない。

1999年上半期
 文献チェック。膨大な資料があることに、愕然とする。難しい本は使いたくないなあ。

春の某日
 指導教授決定。さっそく相談に行くと、菩薩僧をやった上で、天海をやればよいと言われる。そのために本を読め、とのこと。先生が勧めてくれたのは、学科閲覧室にあった本(貸し出し一切不可)だ。バッチリ“禁帯出”のシールもあるが、持って帰ってもよいと言われた。先生の御墨付きがあっても、やや後ろめたい。

5月某日
 先生と題目を相談。『大乗菩薩僧とは何か―大乗菩薩僧としての天海―』というのを考えていたが、上段に構えすぎてるということで却下。結局、『大乗菩薩ついて』に正式決定。

7月某日
 先生にすすめられた本を買うべく、仏書専門本屋に発注。『講座・大乗仏教』全10巻と、『日本人の仏教』全10巻。夏休みはこれを読んで、ネタづくりしよう。

数日後
 本が届く。品切れ等で、10冊ちょいしか届かない。まあいいかとよく見てみると、『仏教と日本人』全10冊(すこし欠)が届いているではないか!違うよと、速攻でクレーム。

さらに数日後
 本屋から返事がある。『日本人と仏教』は出版社で品切れ、再版を待ってくれとのこと。困った。

その翌日
 『日本人と仏教』全10冊を、大学の図書館で発見。今までの苦労は・・・

8月某日
 『講座・大乗仏教』はけっこう難しい。3ページ進んで、2ページ戻ることがしばしばだ。

9月上旬
 修行のため、東京を1週間留守にする。そろそろやんなきゃなあ・・・と、比叡山でしみじみする。天海について論じることを諦める。

9月下旬
 やる気はあるが、お彼岸で忙殺される。

10月上旬
 また修行(3泊4日)。現実逃避に勤しむ。

10月中旬
 目次を作成すべく、先生と相談。キチンとしたものは作らずに、項目ごとに小レポート気分で書いて、あとでつじつまがあうように並べ替えよ、とのこと。前の卒論とは、やり方が大いに違う。その中で、「おみゃー、好きな仏さんは何だ?」と聞かれて困惑する。先生は川崎の住職だが、しばしば名古屋弁が登場する。

10月某日
 大学院入試の書類として、「卒論要約書」を書く。まだ本文を1文字も書いていないのだが、なんとかデッチ上げる。

10月下旬
 やっと本文を書きはじめる。

11月上旬
 第1章(約25枚)が終わったあたりで、演奏会の事務仕事で忙殺される。このころ心労が重なり、1週間で1枚しか書けなかった。肩凝りも悪化、あまりにつらいのではり治療に通う。

11月某日
 もっともネタの少ない2章(約9枚)を、なんとか書きあげる。

11月某日
 大学院入試。面接一発試験なので、まるで緊張しない。面接の内容から、合格を確信する。

11月中旬
 波に乗れるはずの第3章(約40枚)だが、お世辞にも快調とは言えない。

11月某日
 大学院入試の合格発表前日、裏ルート(笑)から合格を知らされる。

翌日
 正式に合格。やはりうれしい。

11月下旬(予定より1週間遅れ)
 9割完成。先生にチェックしていただくと、まだ終わってないのかと言われる。いくつか修正点も教えていただき、佳境に入る。

12月上旬(締切2週間前)
 ひととおり完成。チェックしていただくと、ヤマ場がないと言われた(指導通りにやったのに!)。結局、1章追加が確定する。

12月某日
 祖父に年賀状の印刷を頼まれる。プリンタが壊れないように祈りながらの作業。

12月某日
 この忙しい時にカゼをひく。2日ほどだるかったが、論文執筆は中断しなかった。

数日後
 頭も痛くないし熱もないが、咳が止まらない。結核ではないかと真剣に悩む。結局咳が止まったのは、8日後だった。

12月某日(締切1週間前)
 なんとか書き上げる。チェックしていただきたいのだが、先生は会議で不在。別の先生に見せたら、オニのように不備を指摘される。

12月某日
 インク切れの心配があったので、すでに完成している1章〜3章を印刷。

締切2日前
 なんとか直し終わってチェックしていただく。「オチがまだ弱いけど、しゃーあんめえ」と言われたことで、提出許可が下りる。帰ってから印刷・保存用コピー。気が抜けてしまったのか、極度の疲労を覚える。

締切前日
 午前10持40分、一悶着の後(笑)無事に受理される。

締切当日(提出翌日)
 史上最悪の肩凝りのため、はり治療へ。症状を一生懸命説明すると、50代みたいな症状だと先生に言われる。


 こんな日々でした。

1999/12/16

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