大相撲ファンの憂鬱

 先のエッセイにちょっとだけ書いたが、僕は大相撲ファンである。ファン歴はけっこう長い。F1エッセイなんか書いてるけれど、F1を見るようになるずっと前から、大相撲は好きだった。僕が覚えているのは、隆の里と「小さな大横綱」千代の富士が横綱だった時代で、大関が朝潮、琴風、北天佑だったか。小錦も北尾(双羽黒)も保志(北勝海)も平幕で、若貴兄弟や曙は入門前の時代だ。その頃からいまだに現役なのは、寺尾と水戸泉くらいではないだろうか。

 僕が大相撲に惹き付けられた理由はいくつかある。まず、ふんどしいっちょというシンプルなスタイルで、ルールが「土俵から先に出たり、先に足の裏以外を地面につけた方が負け」と、単純。小さなお子さまでもルールに迷うことなく観戦できる。しかも、力士は大柄で太っている。大きな人が顔を真っ赤に相撲をとっている姿に、あっさり惹き付けられた。

 そんな大相撲を実際にナマで見たのは、たった1度だけである。それは、4年ほど前の「大相撲トーナメント」。本場所ではないのが残念だが、当時は空前の大相撲ブームの真っ最中で、本場所の切符を取るなんてことは不可能だと思っていた。「トーナメント」はさすがにそんなこともなく、なにより料金が本場所より安い。それに、両国国技館での開催である。国技館は国技館。大いに期待しながら、足を運んだ。

 座席は、前から5番目のマス席・・・ってのはウソで、西の2階イス席、それも最上段に近いところだった。もちろん、土俵もけっこう小さく見える。しかし、その土俵の大きさに比べて力士が大きいことといったら!テレヴィだと2次元の世界だが、3次元で見るとすごい。曙なんか土俵の半分くらいの大きさだし、貴乃花の気迫も怖いほどだ。2階最上段でこうなのだから、砂かぶりで見たら、圧倒(まさに文字どおり圧倒)されてしまうだろう。ナマはすげえな、と思った。

 それ以降、僕の相撲熱は一定のレヴェルを保ち続けた。番付発表でワクワクし、初日で落ちつかなくなり、千秋楽で寂しさを感じる。御贔屓力士の活躍に歓喜し、嫌いな力士の活躍にほぞを噛む。バイト中でも休憩室のテレヴィを勝手に見ていたりしたのだから、大したものだろう(自慢にはならないが)。

 そんなに好きだった大相撲の熱が、去年から急に冷めてきた。やたらと多い休場・金星・波乱・はたき込み・突き落とし・まった・・・つまらないのだ。注目したい力士がやたらと休場する。横綱は金星をバラまいて(滅多に出ないから“金”なんだろ!?)、毎日が波乱の連続である(“波乱”は、毎日起こらないから波乱なんだ。最近は上位陣が揃って勝つことが“波乱”となりつつある)。立ち会いも揃わないからまっただらけ、やっと立ったらはたいて終わり・・・なんなんだろう、この空しさは。

 確かに、力士だって生活がかかっているのだから、勝たなければ何もならない。しかし、勝てばいいというものだろうか。誰もが「勝ち」を優先するあまり、つまんない取り組みが増えているのではないか?僕は、10年に1度の決まり手を期待していない。豪快な上手投げや、土俵際でのうっちゃりが見たい。そんなに苦労はなく見られるはずの決まり手を望んでいるのに、何で見られないんだろう?

 今場所は復調した曙が場所を締めてはいるが、その他上位力士は目を覆うものばかりだ。僕が再び心を踊らせることができる場所は、いったいいつになるのだろうか・・・

2000/01/16

Back to menu page