鉄道旅行のススメ

 このコンテンツの第1回に、僕の特技である「ホルンの演奏」について書いた。今度は、僕の趣味である旅行、それも専門(?)とする「鉄道旅行」の話。

 僕の家は、JRの駅のすぐそばにある。そのせいか、小さい頃から鉄道は身近な存在であったし、その流れで僕が鉄道ファンになったのも、けっこう自然なことであった。今でもその傾向は強いが、小さい頃のように電車を見ているだけでニヤニヤ、ってことはなくなった。まあ、この年で汽車ポッポが好きなんて公言したら、頭の発達を疑われることだろう。だから趣味は旅行ですなんて答えるけど、それは車でもなければヒッチハイクでもない。「鉄道旅行」なのである。

 鉄道旅行ならよくやるよ、って人はいるだろう。でも、それはたいがい新幹線限定だったり、酒を飲む場であったりするだけ、ということが多いのではないだろうか。別にそれは悪いことではないし、否定する気は毛頭ない。でも、僕はこんなことをしているよ、ってことを書くことで、みなさんにも「鉄道ファンの一青年流鉄道旅行のススメ」を開陳してみようと思う。

 といっても、難しいことを書くつもりはない。「とにかく車窓を見ろ」ということだけである。車窓から見える景色から、何が読み取れるだろうか?例えば、きれいな花畑があるよ、とテレヴィで報じていたとする。確かに、テレヴィではきれいに見える。でも、実物はどうなのだろう?車で花畑に行き、花を手で触れてみるもよい。でも、僕はここで鉄道で見る、ということをまず勧めたいのだ。

 鉄道のポイントは、「駅以外では(ほとんど)停まらない」ということだ。どんなにきれいな花畑でも、それが永遠に続くわけではない。始まりがあれば、当然終わりがある。鉄道は停まらないから、のんきに花畑を眺めていても、いつかは終わってしまう。でも、木立に遮られながら花畑を見ている間に、どんなことを思うだろう?花畑をすぎた後に、どんなことを思うだろう?後日再びその場所を通った時に、どんなことを思うだろう?

 感じたこと・思うことは、それぞれ個人の自由。そこでいろいろ思うことが、何よりも肝心なのだと、僕は思う。いくらテレヴィやインターネットで情報を得ても、実際にその場所に行ってみなければ、本当というものは見えないのだ。そこで感じたこと・得たことは、見事なまでに「貴重な経験」ということで、僕たちの心の中に残ってゆくのである。

 さらに、ここでは鈍行に揺られることをお勧めしたい。新幹線はちょっと速すぎる。なんか移動するだけの手段のようで、味がない。鈍行の中で弁当でも食いながらぼーっと外を眺め、ちょっとまどろむ。これほどゼイタクな時間の使い方って、ちょっとないんじゃないかな。飛行機だと「点と点」の旅になっちゃうけど、鉄道なら「線」の楽しみ方ができる、というこの楽しみ。

 と、ここまで書いて、僕が去年書いた「1998北海道ノート」(旅行コンテンツ内にあり)を見直してみた。それにしても僕は、あちこちに目をやっていたものだ。今年も、明日から北海道旅行に出発する。時間の都合で往復は飛行機になってしまったが、そこからでも何かを見つけてみようと思っている。詳しくは「1999北海道ノート」のアップを待って下さい。

 さて、こんな僕でも、年中旅をしているわけではない。旅行コンテンツの更新ペースがおっそろしく遅いことからもお察しいただけるかと思うが、そんなに金は続かない。じゃあ旅行に出ない時はなにをしているんだ?というと、実は毎日が鉄道旅行なのである。それも、学校の行き帰り。

 僕は山手線ユーザーなのだが、車内で新聞や雑誌を読むことは、ほとんどない。基本的に、じーっと外を見ている。何を見ているか?昨日とちょっとでも違うところを探しているのだ。どこにあるかわからない、昨日と違うところ。重箱の隅をつつくようなことだが、ついつい熱中している。鉄道旅行っていうとオオゲサなのだが、これも小さな旅だ。

 寺山修司の小説に『書を捨てよ、街に出よう』ってのがある。実は僕も読んでいないのだけれど、大変に気になるタイトルだ。そう、僕なら<書を捨てよ、旅に出よう>って主張するだろうけど、出無精なんて言わずに、旅に出よう。1人でもいいから、旅に出よう。遠出でなくてもいいから、旅に出よう。そこで、鉄道を使ってみよう。新幹線ばかりでなく、なるべく鈍行で。鈍行の車内から見る風景から、いったい何を感じられるだろうか?

 そんな旅行話が誰かとできたら、僕は幸せだ。

1999/08/19

Back to menu page