日帰り房総ノート(2005/01/17)






 旅行計画を立てるのは楽しいものである反面、実際に旅行するのはいつになるのかという計画がある。近距離であったり時間がとれなかったりと事情はさまざまあるのだが、今日は今まで計画だおれのまま先送りしていたプランのひとつである“房総半島一周”を旅行することにする。実は、僕は意外と関東近県を乗り残しているのである。特に房総半島は手つかずといって良い。というのも、房総半島が僕のお気に入りドライブコースであるからだ。何度も何度も車では走り回っているのに今さら電車で行くのもどうなんだろうとか、日帰りで行けるんだからいつでもいいじゃないかとか、とにかく優先する理由がひとつも見当たらなかったのである。

 ところが人間の気分というのは恐ろしいモノだ。なんとなく“九州旅行第二弾”の計画を立てていたところ、前哨戦というわけでもないが、どこでもいいからどこかに行きたくなったのだ。そういうときに日帰りネタはありがたい。しかも房総半島一周は半日あれば十分なのだ。おまけに正月の繁忙期からやっと解放されたばかり、今出かけなくてどうするのだ!

 と、並々ならぬ意欲の元で出発したはずなのだが、最寄り駅でとりあえず時間を確認しようとすると、いきなり致命的なミスに気づいた。時計がないのである。僕はふだん腕時計をしない。旅行の時はもちろん腕時計を持参するのだが、今日は日帰りだからケータイの時計で十分、腕時計は不要と置いてきたのだ。そしたら、なんとケータイを家に忘れてきた……

 「電車に乗りに行くのだから、駅に時計くらいいくらでもあるだろう」という当然の指摘はわかる。しかもバッグには『時刻表』が入っているのだから、目的の列車に乗り遅れるという心配はあまりない。しかし気づいたことはその場でいちいち確認しないと気が済まない、神経質で小心者なA型の僕である。電車に乗って時間が確認できないなどということがあっていいのだろうか!自分に腹が立つが、自宅に取りに戻る余裕はもうない。

 特急「さざなみ7号」に乗るために東京駅京葉線ホームに向かうと、E257系という新型車両が充当されていた。僕は比較的車両に関心がない鉄道ファン(もっとも僕の友人は重度の車両ファンが多いだけか)なのだが、それでもきれいで明るい車両には好感が持てる。車内は平日の昼間だというのに混雑気味であり、座席はだいたい埋まっていた。

 11:30に東京駅を出発、まずはこの列車で五井まで乗る。海側に陣取ったため、直射日光が容赦なく当たるも気分は悪くない。京葉線は千葉みなとから蘇我までの2駅だけが未乗区間である。確か開通して間もなく乗りに来た覚えがある。何年前のことだろう?海浜幕張までは我らが千葉ロッテ応援のためにたまに乗るので、初めてがいつだか記憶が定かではない。直射日光をモロに浴びながら考えているうちに列車は蘇我を発車し、12:09に五井に着いた。わずか39分の特急乗車である。

 内房の五井からローカル私鉄を乗り継いで、東へと房総半島を横断する。まずは小湊鐵道だ。五井でJRの改札を出ずに隣のホームに移動すると、そこが小湊鐵道のホームである。きっぷ売り場は見当たらず、ちょうどお昼時だからかお弁当のワゴンが真っ先に目につく。300円という驚異的な値段で「あさりめし」を購入し車内へ。キハ200という形式で、とにかくとんでもなく古い。時速30km以上出したら分解するんじゃないかというオンボロ気動車だ。でもこれから乗るのはローカルな地方私鉄なのだから、最新鋭の気動車は不要である。いい意味で沿線の鄙びた田園風景とピッタリだ。

 12:20にたった1両で列車は走り出した。車内の乗客は15人ほどで、沿線の雰囲気からするとワンマンでも十分である。でもこの列車には車掌が乗っている。女性車掌だ。車内には女性車掌募集のポスターもあるから、小湊鐵道は採用を積極的に行っているのだろう。また車掌募集を行うということはワンマンにしないということに他ならない。要は車両が古すぎるからワンマン対応できない?一応なるべく失礼な想像はしないことにしておく。

 列車はコトコトと房総半島の横断にかかる。低くても一応の山越えになるため、列車の速度はなかなか上がらない。エンジンにもかなりの負担がかかっているように思える。それよりうるさいのがポワンポワンとひっきりなしに鳴るタイフォン(列車のクラクションのこと)だ。駅を発車するときはまだしも、小湊鐵道沿線には警報機も遮断機もない踏切が多数あり、そのいちいちに接近するたびにタイフォンを鳴らすのである。しかもその踏切、軽自動車どころか乳母車が限界くらいの幅のものが多く、一日に何人が使用するのかまったく不思議でならない。列車は律儀にタイフォンを鳴らして進んでゆく。

 車内では乗り越しの精算が始まった。いざ精算である。ところが、僕はJRの区間をSuicaで乗車してしまっている。小湊鐵道分の料金は普通に計算できるとしても、JRの発駅から五井までの料金はSuicaからどうやって徴収するのだろう?興味津々に見ていると、車掌はバッグから「分厚いSuica」のようなモノを取り出した。それを僕のSuicaに当てると発駅が画面に表示されたのである。技術は進んだものだと感心する。

 上総牛久駅で乗客の半数が降り、列車はさらにローカル色を帯びてきた。沿線からは水田が徐々に姿を消し、山と山に挟まれた狭い地域を進むようになる。駅も無人駅が増え、水田の片隅にぽつんと取り残されたようなホームだ。または背の高い草木の合間を縫って山奥に分け入ってゆくような箇所も多々ある。眼下に川が流れているのも見えるが、前日の雨の影響でかなり濁っており、流れが速い。見れば見るほど、本当に千葉県なのかという思いが去来する。こんな風景を以前に見たのはどこだったろう。名松線で伊勢の北に行ったときだろうか、それとも釧網本線の緑周辺か。ともかく、この先どうなっちゃうんだろうという気にさせるに十分の雰囲気である。

 養老渓谷駅ですべての乗客が降り、車内は僕だけとなった……と思ったら乗客が1名あった。なんとか貸し切り状態を逃れ、終点の上総中野に向かう。あと一駅だ。この周辺はドライブしたことがあるので、なんとなく周囲の風景を覚えている。緑を抜けるとところどころに民家が存在し、線路際の県道は道幅が狭く、センターラインがたまになくなるんだったっけ。もう何年ぶりになるのかわからないが、それでも懐かしい光景に思えるのが不思議である。だんだんと増えてきた民家の脇を抜け、列車は13:28に無人駅の上総中野駅に着いた。

 無人駅では記念きっぷも買えないので、そそくさと次のローカル私鉄いすみ鉄道に乗り換える。接続時間はわずかに1分だが、隣のホームに移るだけだ。しかも1両どおしの乗り換え、おまけに乗客は養老渓谷から乗ってきた人と僕が乗り換えただけである。混乱など起きようもなく、列車は軽やかに走り出した。

 いすみ鉄道は国鉄の木原線が昭和63年に廃止となり、第三セクターに転換した会社である。そのため、僕が乗った列車はそのときに導入された列車ということになる。やや古ぼけてはいるが、それでも小湊鐵道とは比べものにならないくらい新しいレールバスだ。そのため車両は全体に小ぶりで、車重そのものが軽いためにスタートダッシュは良好、エンジン音も高い。

 この沿線はドライブしたときの記憶があまりないのでキョロキョロしていると、車窓はまだ房総半島の山の中である。それでも小湊鐵道側より民家は増えているし、一面が緑ということはない。一番の違いは静けさだ。というのも、列車のエンジン音そのものが静かなのはさて置いても、いすみ鉄道ではタイフォンを鳴らすことがない。理由はカンタン、どの踏切にも警報機と遮断機がついているからだ。畑の中を突っ切る区間でも、線路を横断するあぜ道が存在しないのである。細かな道でも反対側に行ける利便性を優先した小湊鐵道の勝ちか、それとも危険なことには一切近寄らない元国鉄の力か?この答えはきっと後者であろう。資本の力はどうしようもない。

 ちらほらと咲いている菜の花を眺め(早すぎない?)、あちこちで実っているみかんをかすめ(誰も取らないの?)、列車が新田野駅を過ぎるとだんだんと周囲が開けてきた。それまでは山間を縫うように線路と川があって民家が点在していたのに対し、左右がずっと広く展開するようになったのである。そろそろ房総半島の山の中から抜け出したようだ。車内には早めに学校から帰る高校生の姿もある。受験生のようだ。手にしている赤本は何大学だろう?うららかな陽気の中、列車は大原駅のはじっこにあるいすみ鉄道のホームに着いた。ひとつ残念なのは、ここも無人駅のため記念になるようなモノが何も入手できないことだ。仕方ないが、ここはひとつ小湊鐵道の車内で購入した「房総横断記念乗車券」(二社共通、片道当日限りのみ有効、1600円)だけでガマンしよう。

 大原からは外房線で南に向かうことにする。鴨川・館山を経由して房総半島を一周して戻ろうという算段である。絶妙の接続でやってきた列車は、8両もの長大な編成の列車だった。平日の真っ昼間、観光客もほとんどなく寒々しいほど空いている。しかしここは千葉県、きっと通学時間にもなれば8両ないととてもやっていけないのだろう。ムダな編成だと文句を言うのはとりあえずやめておくことにする。

 外房地域は山と海に挟まれた、比較的狭い範囲が細長く続いている。海はなかなか見えない割に、畑もそんなに広範囲にあるとは思えない。民家がそれなりにあるので、海あり山あり畑あり民家ありで、なんだかゴチャゴチャしているような気がする。普段のドライブでは深夜の通過のため真っ暗でよくわからなかったが、こんな光景だったのかと思う。

 車内が突然明るくなった。海がいっぺんに見えてきたのだ。天気は快晴、僕の席は直射日光と海からの反射で二重にまぶしい海側である。昨日は波浪警報が出ていた外房の海も、今日は比較的穏やかだ。サーフィンを楽しむ人の姿もチラホラ見える。ドライブ中だとじっくり見られない光景だ。電車で来て良かったと思う。

 安房鴨川で接続はまたしても絶妙の10分、館山行きの列車に乗り換えた。しばらく海から遠ざかるものの、江見駅を過ぎると再び海が見放題である。遠くには一列に並んだ船が見える。きっと一本の航路になっているので船団に見えるのだろう。大洗ルート?鹿島ルート?勝手な想像をするのが楽しい。

 内房線特急の終点にもなっている割には小さな千倉駅を過ぎると、列車は房総半島を西に横断する。といっても半島のだいぶ先っぽの方だから、特に大きな山越えをするというわけではないので、周囲には水田が広がっている。起復がまったくないわけではないものの、かなり広い土地と言って差し支えがなかろう。そういえば千倉まではビニールハウス(閉まっているものばかりで作物不明)が目立った。あちらは周囲に比較的山が多く、まとまった農地が取れないからだろうか。それでも土地に合った大きさで農業が行われているわけだから、こういった変化は見事だと思う。

 館山では千葉行きに乗り換えて北へと向かう。これまた接続11分という絶妙のタイミングだ。列車はすでにホームに到着していて、車内は高校生でだいぶ埋まっていた。そうか、すでに通学時間になったか。辛うじてボックスシートを占拠し、空いた小腹を満たすために駅弁を探してみると……ない。何かあるだろうと思ったが、ない。『時刻表』で確認すると、館山には駅弁の記載がなかったのである。まさかと思ったが、こればかりは仕方がない。

 多くの高校生とともに列車は出発した。再び海が見えてくるまでは時間がかからないので、そんなにガツガツと期待をする必要はない。今度は向こうに船団ではなく、三浦半島の山々が見えるはずである。待つことしばし、徐々に三浦半島の光が!とでも書けると幻想的かもしれないが、残念ながら内房地域はちょこちょことトンネルを抜けるので、三浦半島もチラチラ見えるばかりである。やっと満足に見えてきたのは浜金谷駅を過ぎてからだった。

 列車は千葉行きだが、トイレが高校生のガキどもの吸ったタバコで臭くてたまらず、腹が立って木更津で降りた。実は木更津から上総亀山駅までの久留里線にも乗ったことがない。できれば一日で片づけたいと思っていたのだが、何度検討しても一日でまわるのは厳しいことがわかっているので、今回はパスすることにした。未乗区間はなるべく日のあるうちに片づけたいものの、時間は17時半、すでに日はとっぷりと暮れている。まぁ千葉県なのだから、また行こうと思えばすぐに行けるのだ。それに今日は房総半島を時計回りに一周したのだ。十分な収穫である。このまま帰ることにしよう。

 ホームで念願の駅弁とビールを買い、勢いでおみやげに「活きアサリ」も買って列車を待つ。接続時間12分で、横須賀線直通の久里浜行きがやってくるのである。さっきの列車は千葉止まりだから、早めの乗り換えだ。

 今日は僕のお正月休みなので、旅の最後にちょっと贅沢をしようと思う。横須賀線直通車両はステンレスの車体であるE217系、グリーン車は二階建てである。そこで乗換駅の錦糸町まで、グリーン車に乗ってみることにした。料金は950円だ。1000円でお釣りが来るのを贅沢だと思っているのだから、僕も安上がりなものである。

 すっかり日の暮れた房総路から2階席に乗り、通勤客でごった返すホームを見下ろす。騒ぐガキもおらず、車内は気味が悪いくらいに静かだ。ほろ酔い加減と相まって、なかなか気分のよいものである。

 どんなに短い日帰り旅行だって、やはり旅は旅だ。8時間ほどで僕は上機嫌になり、なぜか1kg太って帰宅した。



2005/01/25



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