第六日目・最終日(平成18年2月20日・月曜日)
この日も同室の友人に起こしてもらった。二日酔いはしていないけれど、どれだけ記憶の糸をたぐろうとがんばっても、運転手さんの家の階段を下りる途中からの記憶が途絶えている。その後足裏マッサージにみんなで行ったそうだが、何一つ覚えていないのである。5泊のうち2回も記憶を飛ばすなんて初めてだけれど、それ以前に人としてどうだろう。羽を伸ばすにもほどがある、と思う。ああ……
昨晩の行状をちくちくとネタにされながら、どんより曇った中をバスは一路空港に向かう。もう今日は帰るだけなのだ。朝の便だから、もうどこも見学したり寄ったりできない。では旅の思い出を反芻しようとすると、記憶が抜け落ちすぎている。なんだか恥ずかしくてしかたがないので、早く帰りたいと思う。反省文をメモ書きしようとポケットを探ると、どこにも「メモ帳」が入っていない。僕は旅行中に「メモ帳」を持ち歩いていて、些末なデータやちょっとした感想などをちょこちょこ書いている。実はパスポートとサイフの次に大切と言って過言ではないんだけれど、どこにも見当たらない。昨日着ていた服に紛れて、スーツケースにしまっちゃったかな、と思う。手元にないだけで、なんだか不安である。
上海・浦東国際空港に着いたときには、出発の1時間前になっていた。国際線のお約束は2時間前チェック・インなのに……別になにも問題は起こらなかった。よくわからないけれど、飛行機が空いていたからだろう。これくらいの時間だと、出国審査を過ぎてからの時間つぶしが短くてよい。免税店をちょっと冷やかしている間に、まもなく搭乗開始ですというアナウンスがあった。
帰国便はJAL796便(B767)である。機内の前方は比較的混んでいたのに、僕たちが陣取った最後部は意外と空席だらけである。僕は通路側だったのだけれど、隣の窓際に誰も来ないのでさっそく移動する。ただし、外は今にも泣き出しそうな天候なので、あまり見通しは良くない。それでも、降ってないだけマシだろう。そういえば、ホテルで同室の友人が「あんたが記憶を飛ばすと雨がやむね」と、とんでもないことを言っていた。確かに旅行中は雨と雪の日々だった。降らなかったのが3日目(天台山)と今日だ。ホントに飲み過ぎた翌日だ!いくらなんでも出来すぎだと思う。
離陸して10秒もしたら真っ白けになってしまい、もう何も見えなくなった。こうなっちゃうと楽しみは機内食だけれど、朝イチ、しかも朝めしをホテルで食べそびれているので、とてもビールは頼めない。お茶をガブガブ飲みながらの食事という、大変に健全なひとときである。機内で飲まないなんていつ以来だろう?国内線も含めて。
結局、上海から成田まで雲は続いてしまい、地上はまったく見えなかった。全席標準装備のテレビモニタには現在地が表示されているけど、とにかく何も見えないから、画面表記がホントなのかさえもわからない。そのうちに真っ白ななか雲につっこみ、雲が切れたらそこにはもう滑走路が迫っていた。初日の杭州着陸と同じく、どこに着いたのかまったくわからないまま着陸したようなものである。日本時間12:05、定刻より25分も早く、なんだか唐突に旅は終った。
「天気は西から変わる」というのは、天気予報の常識中の常識である。中国大陸から日本までずっと雲が続いていたのだから、帰国翌日は案の定晴れなかった。その後、東京は3日間に渡って曇りの日が続いた。
おわりに
今回の旅は、僕の“卒業旅行”である。僕が言い出しっぺであり、僕が発注者である。間違いなく“僕の旅行”と言える……はずだったのに、飲み過ぎを反省するばかりの日々だったような気がする。それに、お酒のことは「旅の恥はかき捨て」と強弁したとしても、「魂のメモ帳」をなくしてしまったのは痛恨である。結局、帰宅後に荷物整理をしてもメモ帳は出てこなかったのだ。僕の旅行記は、必ず「メモ帳」に書いたことをもとに、旅の記憶をいったんリセットしてから書いている。ところが、今回はリセットしちゃうとホントに忘れちゃうので、いつもよりもだいぶ文章が右往左往している上、些末なデータもずいぶん減らさざるをえなくなってしまった。自分でわかってしまうのが余計に痛恨であるけれど、こればかりはどうしようもない。
恒例の文末のお礼は、さんざん僕を介抱してくれたらしい(←覚えてない)同室のひでとし君と、いつもお世話になっているNiu先生に申し上げる。感謝しています。
2006/05/07
2006浙江天台山ノート・完