解 説
つのだはぢめ
著者とわたしことTsとの北海道歴は長い。今回の「最終便」にも見送りに登場したTと3名で95年に「貧乏鉄道旅行」を敢行したところから始まり、それ以来彼は毎年旅行記を書き、その北海道に引っ越したわたしは当然のように毎回出演させてもらっている。というわけで、旅行記の当事者たるわたしがこの場を任されていいものか…と訝しんでいるのだが、著者であり管理人である彼の人選だ。身に余る栄誉と思い直して筆を執ることにする。
彼の旅好きは今に始まったことではないが、北海道への旅行意欲は他の地域と一線を画しているように見える。毎年足繁く飛行機に乗り、あるいは青函トンネルをくぐり抜け、北海道のJRを乗り尽くしてしまった。ラベンダーも流氷も鑑賞し、タンチョウヅルや雪まつりの写真も撮っている。畑を見れば「あの作物は何だ」と問い、サイロを見ればなぜか異様に興奮する。廃線跡巡りも彼の定番で、普通なら気づかず通り過ぎるか、気づいても何の感想も抱かない鉄道遺構を発見しては欣喜雀躍する。観光地だろうとなかろうと、北海道にいる間の彼は、目が開いている限りは何かに興味を惹かれていると言って過言ではないのだ。スポンジ、いや、紙おむつの吸収体のごとく貪欲に情報収集する彼は、ときに見ていて心配になる。
もちろん彼の北海道好きは見る・乗るだけにとどまらない。ジンギスカン、魚介類、菓子、果てはトドやらシカまで食い、地酒を飲み、スキーをやるかと思えばアイスバーンでハンドルを握る。「サッポロクラシック」といっても東京の人はご存じないだろうけれど、北海道では殊の外人気の高いビールなのだが、彼は「クラシックが一番うまい」と言ってのける。あろうことか道内ローカルの深夜番組に抱腹絶倒し、しまいには物真似までやりだす始末。まさに彼の心は道民だ。東京で坊主などやらしておくのは勿体ない。
読者諸氏は、上記長々と連ねた彼の広角レンズの所業がなお一層事細かに、ときに叙情を伴って旅行記全体を形成していることを夙にご理解のことと思う。インプットもアウトプットも深く広い。観察眼だけでも、文章構成能力だけでもこうはならない。両者を具有して、さらに思い入れを添加してはじめてこれだけの旅行記として公開されている、そのことを思うたびに彼の視野の深さと広さ、文章を読ませる能力と並べて北海道への想いを感じずにいられないのだ。
さて、どうして彼はこんなに北海道贔屓になってしまったのだろう? 彼の御母堂様はしばしばデパートの「北海道博覧会」で道内名産品をお求めになると聞いたことがあるので、遺伝・成長環境の影響も大きいのかもしれないが、彼は「北海道ノート'98」にこう書いている。
僕にとって、北海道はあこがれの地だった。旅行好きのくせに、初めての北海道は4年前、大学生になってからだった。しかも、わずか3泊4日。そして2度めの、つまり今回の旅行計画をたてるまでに、3年もかかってしまった。
これは、僕の心の中の北海道が神聖な地であるからに他ならない。そんな土地にしょっちゅう行くことは許されないからだ。だが、そうは言っても行きたいものは行きたい。理屈抜きにして行きたい。
…それ以来毎年欠かさず「聖地巡礼」してきた彼。いや、2001年に至っては4度もの渡道を果たしているのだ。最初のうちこそ「神聖な土地にしょっちゅう行くのは許されない」というような書きっぷりだが、そんな初志を忘れてしまったのか、それとも「理屈抜きにして行きたい」という引用後段の境地に至ったか…彼の師たる御釈迦様は「琴は糸を張りすぎれば切れ、たるんでいては音がよくない」と極端を戒め中道を行くのがよいと説いたというが、去年の彼は罰が当たるのでは、と心配になるほど北海道漬けだったわけだ。
そして2000年のまえがき。
2度や3度行ったところで、北海道を理解したと言えるのだろうか?・・・と、ゴタクを並べるとキリがない。行きたいから行く。これで十分なのではなかろうか。そう、僕は「行きたいから」という理由で、北海道に行くのである。
言うに事欠いてこの有様、と捉えるか、まさにこれこそ真髄、と捉えるかを議論し始めたらきりがないが、そうして何度も北海道を訪れるたびに、彼は「神聖な地」の森羅万象を一層強く感じ、信仰を深めてきたように見えてならない。だから、わたしにはただひとつ「愛することに理屈は要らない。そして愛し続ける限り愛は育ち続ける」としか申し上げられない。
こんなにまでに愛した北海道と、彼は「北海道ノート」終了をもって訣別するつもりなのだろうか? それは絶対にできないはずである。彼がこれっきり北海道に行かないわけはないし、行けばまた必ず何か見聞きし、体験し、それを書き残すに違いないとタカをくくっている。
私事ながら、この春わたしは4年ぶりに東京に舞い戻ってきたのだが、彼が「連載(!)」を終えると聞き、わたしが転居したばかりに彼の足場が奪われたからではないかとさえ思ったものだ。わたしはまだ、「書くのが苦痛になる前にやめようと思ってさ」と笑う彼の知らない北海道の姿をいくつか知っているし、もちろん住んでいたわたしですら知らない北海道がまだあるだろう。わたし自身、彼にそれを見せてやる前に東京に戻ってきたことを心苦しくさえ感じている。
この場を「つづく」と締めくくったら「もう書かないってば」と叱られるかもしれないが、彼のその目は笑っているに違いない。そう遠くない将来、彼は自らの愛を確かめるために再び津軽海峡を渡ることになるだろう。何しろ筋金入りの北海道好きなのだから。
(西暦2002年5月・鉄学者)