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山田正弘さんの訃報に接して

   塩見鮮一郎      

 わたしがプランの中心にいたなら、けっしてやらないことが、この夏はおきてしまった。諸事情があって、お盆の最中に引越しをする破目になった。老人は脇役になるのがいちばんいい。きまれば、いつからか従順にしたがうようになっていた。
 十年ぶりの引越しを汗みずくになって、それでも楽しんでいたとき、新聞で山田正弘さんの訃報を目にした。あとで、いろいろな方面から連絡が寄せられたとわかったが、電話もメールも、携帯も買いかえたばかりで、なにも通じない時期とかさなっていた。
 記事によると、肺がんで八月十日の午前十一時十分に亡くなられていた。七十四歳だと知った。二年ほどまえから入退院をくりかえされていて、その途中で、わたしの『車善七』の書評を引き受けてもらえた。
 筑摩の編集者の野上龍彦さんが、山田さんとはむかしからの知り合いで、しかし病気のことはよく知らないまま、執筆の依頼をされたようだ。右の小説は、ネクロファリアばりに、死者が山ほど出てくる。死体もごろごろしている。死の瞬間もいっぱいだ。そのような小説を読んでもらうのは、ちょっと酷ではないか。それがわたしの気分だった。
 しかし、かなりおくれたけれども、書評はできあがり、冊子の「ちくま」に掲載された。「絵金」をたとえに引いて、ほめていただいたように理解している。絵金(えきん)というのは、しだいに知られてきたが、土佐の絵師・金蔵のことで、毒々しくも禍々しい泥絵の具の彩色を特色とする。たとえられて、わたしは光栄に思った。
 それが去年(二〇〇四年)の春のことで、たぶん、山田さんの最後の書評になったのではなかろうか。
 思えば、いまは塩見組のサブチューターの原田美晃くんが、国立(くにたち)での花見の席で山田さんをわたしに紹介してくれてから、二十年ほどがすぎた。文藝学校の入学式で、ときどき同席して、そのいつまでも若々しいスタイルに、ときには辟易し、ときにはうらやましくも思ったりした。あんなふうにやっていければ苦もないか、と勝手に考えていた。
 体力が急速に失われているのは、傍目にも明らかであったが、にもかかわらず今期(二〇〇五年前期)も講義をつづけられた。たいへんな労苦だったにちがいないが、どんなにつらくても、みなと語っていたい。それほど詩や小説やシナリオが好きだった。もちろん、若い人と論争するのを、なによりの楽しみにされていた。
 山田さん、もう会えないのですね。




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