「イワンとヤン ふたりのチヒョルト」  より

 教員養成学校をおえるころ、すなわち一七歳になったころには、独習でフランス語とラテン語を習得していました。このラテン語の習得は、のちにギリシャ語をまなんだこととあわせて、ヨーロッパの古典に通暁できたため、書籍形成家としての自立におおきく役立つことになりました。

 ところが英語だけは、戦後にイギリスで働くようになるまで、ほとんど興味をしめさずに、習得しなかったとされています。このためにおおきな変化を見落としてしまったことを、スイスにのがれてからのチヒョルトはとても悔やんでいます。

 つまりほぼ同時に進行していた、スタンリー・モリスンらの「フラーロン派」による、「金属活字改良運動」や「もうひとつの近代」への堅実なあゆみを見逃すことにつながりました……。

 またカリグラフィはもとより、グランジョンのような本文用書体、とりわけイタリックの試作に、非凡な才能をみせていました。

 教員養成学校が購入した書物は、ただちにチヒョルトによって、タイトル文字が書き替えられてしまいました。それが周囲をおどろかせるほどの出来栄えでしたから、このころのヤン・チヒョルトは、タイプ・デザインを職業にすることを、本気でかんがえていたようです。

 この時代にヤン・チヒョルトが試みていたのは、レタリング調の書き文字をこえて、本文用につかえるローマン体、たとえばカズロンやインプリントのような、本格的なローマン体を意識していたようです。

 そのスケッチがのこされていますが、きわめて洒脱で、完成度がたかいものです。そしてそれは奇妙なほど、のちにチヒョルトがのこした活字書体の「サボン」にちかい表情をみせています……。


    *




 そんなチヒョルトに、いよいよ二番目のおおきな転機が、一九二三年八月におとずれました。ヤン・チヒョルト二一歳のできごとでした。

 ヴァイマルに一九一九年に開設されていた「国立バウハウス」の、第一回展覧会が開催されました。

 この展覧会は、開校以来閉鎖的で、なにもかもが秘密のベールに覆われがちだった同校にたいして、チューリンゲン州政府がいらだって、出資した資金を継続することが、適切かどうかを判断するために、カリキュラムや教育成果を公表するように迫った結果、ようやく開催されたものでした。

 そのためにこの展覧会は、よく触れられるわりに、ほとんど資料がのこってはいません。

 そしてまたバウハウス・ヴァイマル校は、この展覧会を開催しても、州政府や住民の理解を得られずに、一九二五年三月末、創立後満六年にして、この街をおわれることになるのです……。




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 ところで、好奇心がひと一倍つよいチヒョルトは、一九二三年八月、列車にのってはるばる「国立バウハウス・ヴァイマル校 第一回展覧会」にでかけました。

 そこでチヒョルトのなかで、なにかが弾けたようでした……。

 東方への視点……。

 チヒョルトのひそかな原点の血がさわいだのでしょうか……。

 そこにはロシアの一一月革命を一九一八年に達成した、国際共産主義運動が、キラキラと輝く図像になって展示されていました。

 ロシア語やハンガリー語は読めなかっただけに、よりその図像は、つよいインパクトをチヒョルトにもたらしました。

 チヒョルトをとらえたのは、この時代の神秘主義的なかたむきをみせていた、ドイツの作品、あるいはバウハウスの学生たちの課題作ではまったくなかったのです。

 チヒョルトが限りない共感をいだいたのは、社会主義革命を達成したばかりの、ユダヤ系ロシア人のエル・リシツキー(一八九〇−一九四一)であり、スラブ民族としての共通基盤をもっていたハンガリー人、ラースロ・モホリ−ナギ(一八九五−一九四六)であり、そして「シュプレマティスム」のリーダー、ロシア人のカジミール・マレーヴィチ(一八七八−一九三五)の作品だったのです。

 それはまったく別の世界でした。もちろんこの展覧会はマスコミでも成功とされ、外国からも報道陣がやってくるほどの話題になりましたが、それをこえて、チヒョルトのなかにおおきな衝撃がはしったのです。

 それはまったく異次元のできごとのようでもあり、とびっきりの新鮮さと、つよい迫力をもって迫るものでもありました。

 チヒョルトはふかい感銘をいだいて、ふるい伝統のなかに埋没していた、ライプチヒへの帰りの列車のひととなったのです……。

 






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