METビューイング 「蝶々夫人」(平成21年3月30日)

NYメトロポリタン歌劇場上演日:2009年3月7日


《 キャスト 》

蝶々夫人     クリスティーナ・ガリャルド=ドマス体調不良のため降板しパトリシア・ラセットが代役
スズキ       マリア・ジフチャック
ピンカートン   マルチェッロ・ジョルダーニ
シャープレス   ドゥウェイン・クロフト

指揮        パトリック・サマーズ
演出        アンソニー・ミンゲラ
美術        マイケル・レヴァイン
衣装デザイン   ハン・フェン
振付        キャロリン・チョイ
照明        ピーター・マムフォード
人形        ブラインド・サミット・シアター

メトロポリタン歌劇場管弦楽団・合唱   

 


第1幕です。舞台では1〜2分の短い時間ですが音無しの状態でで東洋人が二人舞扇を2本持って蝶々が羽ばたいているような舞が披露されます。  バックの照明は真っ赤です。  しばらくしてタクトが下ろされて音が鳴り始めます。
舞台装置は極力省かれていて何枚もの障子を黒子を使って動かしながら、転換していきます。  棚やテーブルなどもなく、椅子が並べられているだけで、ピンカートンやシャープレスがウイスキーを飲みながら会話しているときも黒子がトレイにコップやウイスキービンを載せて立っています。  違和感なくとても自然に感じられました。 

衣装はハイ・フェンという中国のかたが担当ですので、日本の着物とは違った着物風とでもいいましょうか? 蝶々さんは白無垢をイメージして白の着物風のドレスに頭にはウェディングベールを被ってというスタイルでに赤のだらりの帯、結婚式の親戚の人たちの着物は色鮮やかで、頭にもかんざし風なものが飾られています。 色合いの感覚は中国風に思われました。 ただ蝶々さんの母親が角隠しをしていたのは、変でしたけれど。  何度か上演されているわけですから、舞台関係者に日本人が一人も関っていないわけでもないでしょうに、誰かが「あれは、おかしい!」と言わなかったのでしょうか。 日本人の得意な遠慮だったのでしょうか?
主要キャストは皆それぞれの役どころにピッタリの声で、所々気になる点はありましたけれど、それはこの舞台を観て、聴いていると全体のすばらしさによって何等問題がないように感じてきました。

第1幕が終わり休憩の時、ルネ・フレミングがスズキ役のM・ジフチャックにインタヴューをします。 演出のA・ミンゲラに生前直接指導を受けています。 演じるときには「心の内なるものを伝えること、枠を超えた演技はいらない、余計な動きもいらない」と言われたそうです。  今回そのキーワードが全ての演奏家・スタッフに行き渡って、すばらしい作品に仕上がったのだと思います。  彼女は今年のシーズンには「ファウストの劫罰」、「タイス」、「トロヴァトーレ」、そしてこの「蝶々夫人」と4本に出演しています。 そして驚くべきは「蝶々夫人」を13時から16時45分まで本番をやった後に20時から22時55分まで「トロヴァトーレ」に出演するというスケジュールなのです。 タフと言いましょうか、すごい事だと私は思います。 
そして生前のミンゲラのこのオペラについてのインターヴューも映されました。 
彼は2008年3月18日に首に出来た癌の手術中、突然脳内出血に見舞われ54歳の若さで亡くなっています。
映画ファンなら彼はアカデミー賞受賞作品「イングリッシュ・ペイシェント」や「コールド・マウンテン」の監督としてご存知のかたもいらっしゃると思います。 私はまだ見ていないので、これから是非見てみようと思っています。

さあ、次は第2幕、3年という月日が経っています。 椅子に座ったピンカートンとその脇に座布団に腰を下ろした蝶々さんが舞台にいます。 いないはずのピンカートンが・・・と思って見ていると、障子がすっと彼を隠して舞台からいなくなります。 いつもピンカートンのことを想いながら帰ってくるのを待ち続けている想いが幻の彼を登場させたのです。 とてもすてきな演出に感激しました。 Allegretto Mosso 前奏のたった30小節の時間を使っての演出。 スズキの舞台裏でのお祈りが聞こえてきます。 そこには椅子が一客だけポツンと寂しげに置かれています。そこに座っていた彼のことを想いながら蝶々さんは佇んでいます。
「ある晴れた日に」は彼を信じ、心待ちにしている心情が細やかに表現されていてすばらしかったです。 『丘を登ってきて、「蝶々さん」と呼ばれてもすぐには、返事をしないわ。 ほんのちょっと、からかうのよ・・・・』 とかわいらしくあどけない18歳の蝶々さんでしたね。 声の難点はあることはあったのですが、それがほとんど気にならないほどでした。
シャープレスがピンカートンが来る本当の理由を話しにきます。 そのときの彼の歌も辛さがひしひしと伝わり、この場面も胸の奥が痛みました。 そこで 蝶々さんの子どもが登場します。 通常は子役の男の子が出てきてやるのですが、今回は文楽のような操り人形がその役をやります。 3人の黒子によって人形に命が吹き込まれます。 母親の喜びや痛みを子どもとして一緒に共有しようといじらしいほどの想いが人形によって表現されます。 いっそう涙を誘います。 子役ではなくて人形を使うことによって蝶々さんも自分を表現することに集中できますし、すばらしいアイデアです。 文楽は日本のお家芸なのに外国人にお株を持っていかれたという感じで悔しい思いがします。そしてスズキとの「花の二重唱」など第2幕は特に名場面が満載です。
「お父様のいらっしゃるのを待ちましょう」と言って、蝶々さん、子ども、スズキが障子に三つ穴を開けて待ちます。
3人が後ろ向きに座って待つのが通常なのですが、今回は客席に向かって座らせています。 背中で演技しているときよりもやはり正面を見据えての演技のほうが真に迫ってきて、切なさや不安・期待など全て待っている間の想いがそれぞれ見てとれるのです。 子どもも疲れてしまって、蝶々さんにもたれかかって寝入ってしまいます。

第3幕の前の休憩では、振付担当のキャロリン・チョイのインタヴューです。
日本の文楽、歌舞伎を勉強した旨のコメントや、子役を使う場合の問題点について語っていました。 彼女は演出のアンソニー・ミンゲラの妻でもあります。「いいスタッフに恵まれて二人で練り上げてきたものを創ることが出来て幸せです」とおっしゃってました。
子どもの役の黒子の方々の肉体的な苦労話も聞くことが出来ました。 黒子の透けて見える顔の表情はそれはそれは豊かなもので、熱の入れようが伝わってきました。

さあ、最終幕です。  夜が明けます。 子どももスズキも 疲れて寝てしまっています。 前奏が流れる中、舞台の上手でピンカートン役のダンサーと操り人形の蝶々さんとがこれから起こるであろう結末を演じます。  このように音楽は流れているけれど歌い手がストップモーションで歌っていないところを他者を使って埋めていく手法は上手でしたね。 聴き手の気持ちや感情をつないでいく役目を果たせていたと思います。
最終場面で舞台中央で蝶々さんは花嫁衣裳を着て自害します。 すると4人の黒子がまるで血が流れ出るように蝶々さんの赤い帯から布を引き出して行き、舞台の上手・下手の前後に張って(蝶々さんを中心に赤い帯がクロスして広がります)いきます。  絵的に見ても舞台という枠の中で最高のものを観せてもらったと言う感動でいっぱいになりました。

歌手や指揮者が作り出す音楽はもちろん大切な要素ですが、今回の演出によってこれぞ「総合芸術」というものを見せつけられ未だ興奮冷めやらぬ状態です。
こんなに素晴らしい舞台を創った方が亡くなられたのは本当に残念ですね。 もっとオペラの演出を手がけて欲しかったです。 

『追 記』

今回は最も感動した素晴らしい舞台でしたので、お弟子さん、コーラスの団員には連絡網を使って、知り合い、映画監督の水谷俊之氏、演出家の松山雅彦氏に電話をして是非観ていただきたいとお知らせせずにはいられない気持ちにさせられました。  もっと多くの方にお知らせできればよかったのですが、一週間の上映ですのでお伝えきれなくてごめんなさい! 私も時間があれば何回も観たかったほどです。  昨年11月にはNHK・BSハイヴィジョンで2007年から2008年のシーズンに行なわれたMETオペラを全作品ではありませんが放映されましたので、またそのような機会があるかもしれませんので、その際はどうぞお見逃しなくご覧くださいませ。


《次回の上映》 埼玉、千葉のMOVIX、東京の東劇、新宿ピアカデリーなど

  平成21年4月11日(土)〜17日(金)  ドニゼッティ作曲 歌劇『夢遊病の女』
                           出 演 : N.デッセイ、J.D.フローレスほか