二期会日本歌曲研究会  10月例会   10月19日

     
作曲家の木下牧子先生をお迎えして  Pf.東井美佳さん


このところ毎日秋晴れのさわやかな天気が続いています。
日曜日ですから、行楽に向かう人たち、きょうは大安なのかしら? 着飾って結婚式に向かう人、そんなにぎやかな車内の中、私は八木重吉の詩集「秋の瞳」を読みながら二期会に向かっています。
私は彼の心に触れて、切なく苦しい気持ちになったり、心が澄みわたっていくのを感じながら、電車に揺られています。

「序」にこのように書かれています。

 『私は、友がなくては、耐えられぬのです。しかし、私にはありません。

  この貧しい詩を、これを読んでくださる方の胸へ捧げます。

  そして、私を、あなたの友にしてください』

彼の詩は以前から好きで、惹かれるものがあるので畑中良輔先生の作品「八木重吉の詩による五つの歌曲」や石桁真礼生先生の「秋の瞳」は歌っていますが、恥ずかしながらまだ木下先生の「秋の瞳」は歌ったことがないのでこれを機会に遅ればせながら勉強したいと思っています。本日の研究会では演奏しませんでした。

「秋の瞳」は1994年に作曲されています。歌曲の中では初期の作品ですが、先生ご自身が今でも気に入っていらっしゃるので、我々にもっと知ってほしい、歌ってほしいというコンセプトで本日の課題に選曲なさったそうです。

 「秋の瞳」(八木重吉 詩)全曲

      1 おおぞらのこころ
    2 植木屋
    3 うつくしいもの
    4 一群のぶよ
    5 秋の悲しみ
    6 竜舌蘭
    7 黎明
    8 不思議をおもう
      9 空が凝視(み)ている    以上9曲です

わりあいシンプルに見える曲であっても、使っているハーモニーが複雑な場合もあり、(七の和音の上に三度のせてまた三度のせてという風に)一体これは何調?とわからなくなるような使い方が頻繁にあります。
メロディーだけをたどって歌うと音が取りにくい曲が多く、伴奏をその通り弾けなくてもよいので、和音を鳴らして探っていくと解るように書かれています。調子記号が書かれない場合も多く、書かれてなくともハ長調、イ短調という風に単純に捉えないこと。
器楽の発想で沢山転調していくので(臨時記号だらけになって面倒なので)最初から調号つけないで書く手法が歌曲においても使われています。
瞬間瞬間の響きを大切にして作られているので、演奏者もそれを感じながら歌っていくこと。
メロディーだけをたどって歌っていくとどうしても間延びしてしまい、平板になりやすいので気をつけること。
ピアノと歌は同格で書かれているので、歌に遠慮して踏み込むべきところで(音量を大きくとか、タッチを硬くとかではなく音楽的意味で)踏み込まないで伴奏だけに徹してしまうと音楽が盛り上がらなくなってしまう。
ピアノが踏み込んだ上に乗っかって声がもう一段ランクアップするようにすると良くなり、それが響きを感じて歌うということなのです。
テンポは開始の時に表記してあるテンポで始めてほしいが動きたい時は動き、書いてなくても緩急を必ずつけて演奏すること。
各々作曲家の定型があるのでそれを勉強して理解してほしい。8分の6拍子の曲は特に拍点がないように演奏するが、流れを大切にしてスウィング、のりは欲しい(縦に刻まないで、横に流れて歌う)。
当たり前のことではあるが、ゆっくりとした曲でも速い曲でも詩を解るように歌うこと。知っている曲においては、聞き手が理解できるけれど、初めて聞く曲においては名詞、動詞、形容詞の頭の母音・子音などの発音の仕方によって言葉が伝わったり、伝わらなかったりするし、音程(特に低い音)によって言葉が聞こえなくなるという現象が出てくるので気をつけなければならない。
同じ言葉を連呼する場合、色を変えて表情をつけることを忘れないようにする。こういったことなどは日本歌曲を歌う人たちに聞いて欲しい講義でした。
作曲家自身の貴重な言葉をダイレクトに伺うことができて、ますます意欲をかきたてられました。充実した3時間でした。
現在の日本歌曲事情は良い方向に向かってきています。歌い手も作曲家も熱くなってきています。

奏楽堂の日本歌曲コンクールは、平成2年に始まってそれ以来私も含めてですが、日本歌曲を勉強する人が増えたように思います。日本歌曲を歌うと咽喉が詰まってしまうとか、日本歌曲は声のない人が歌うものだとか、私が学生時代には言われていたような気がします。オペラを歌うほど声量がない人が歌曲を歌う。日本歌曲はいい歌があまりないと言って、ドイツ・リートやフランス歌曲を勉強する人もいました。しかし日本歌曲にいい歌がなかったということだけでなく、うまく歌う術を持っていなかったということです。
最近は音楽事情が変わってきて瀬山先生を始めとして日本歌曲を広め、教授してくださったお蔭で、歌い手が育ち、日本歌曲が上手に歌われるようになり、多くの歌い手が演奏するようになってきたので、作曲家もどんどん曲を書くようになってきているというわけです。大変いい傾向ですね。
プロとして歌い手が努力しないといけない部分が沢山あります。書いてあるままに歌うのではなくて、いい声で歌うことより、どれくらい色を変えられるかどうかにかかってきます。
譜面の中にデリケートなことを全て書き込めるわけではないのでピアニストや歌い手がそれを深く読み取る力を持たなくてはならないと思います。子音の扱い、息の量のコントロール、様々なテクニックを使い、ロングトーンにおいても意味なく延ばすのではなくて、意味を表現するということです。
ピアニストへのアドバイスも沢山あり、一声(いっせい)である歌のパートを生かして、どれだけ作品を効果的に演奏するかどうかのタッチのテクニックなど学ぶべきことは山の如しです。歌い手とピアニストの共同作業です。
歌い手にとっても一緒に深く勉強してくれるピアニストとのめぐり合いが必要不可欠なのです。

日本人ですから母国語の素敵な歌を歌いたいですものね。
私の身近にいる歌い手、ピアニスト、コーラスの方たちにも伝えていきたいです。

TVで「日本の歌」などという番組をやっています。どんな演奏をするのかしら?とちょっと聞いてみるときもあります。が、演奏しているのを聞いても、心に少しも沁みてこないし、伝わってこないのです。やはり何か歌う側に問題があるように思います。折角いい声を持っていても何も伝わらないのでは変ですし、勿体ないです。日本語を発音しているだけではダメです。

どうすれば、本当の心が伝えられるのか、歌い手は考え、勉強するべきですね。