二期会日本歌曲研究会 3月例会 代々木上原スタジオにて(3月21日)


瀬山詠子先生を講師に迎えて、次のようなプログラムで行われました。

柴田南雄作曲「優しき歌」より、序の歌、爽やかな五月に
石桁真禮生作曲の「秋の瞳」より、ゆふやけ、あめの日・雨、本当のもの。

中田喜直作曲「海四章」より、馬車、蝉。
別宮貞雄作曲「海四章」より、蝉。
中田喜直、別宮貞雄、石井歓ら三人の作曲家の わが耳は(三好達治詞) を聴き比べ。

私は以前から石桁先生の作品を勉強したかったし、この機会を逃すとまたいつ取り組めるか
わからなかったので、「秋の瞳」より3曲歌わせていただきました。

詞は八木重吉(1898〜1927)。クリスチャンで、24歳の時17歳の島田とみと結婚。
28歳の時、胸を患い若くして幼子をおいて亡くなった彼、貧しかった生活ぶりを想い、
自分が今、元気で歌えることのしあわせをあらためて感じています。

勉強するチャンスを生かし、研究会で歌うことを自分に課しているのですが、
余りにも忙しくなってしまい十分温めることができないまま、人前で歌うことに
なってしまいました。

でもお蔭様で貴重なレパートリーが増えました。
瀬山先生の講義を聞き、当たり前のことでしょうが、詞を本当に深く読み込んで
いらして、その細やかさには脱帽です。
それを声という楽器で、どういうテクニックをもって歌えば、聴いている人に伝える
ことができるのか。また自分の気持ちを伝えるというより、詩人の、作曲家の伝えたい
ことが一番大切と考えていらっしゃることがよくわかりました。
苦しいこともさらりと言ってのけた方が、より如実に伝わるのかもしれません。
またもや、Innig(内面的)に捉えすぎて、自分の殻から出ることができない
状態になってしまいました。
重吉は絶望感に襲われることがあったかもしれませんが、神を信じ、妻と桃子ちゃんのこと
を想い、精一杯生きていたのでしょう。
その事実をそのまま伝えればいいとわかっていても、自分という心(精神)を通っていくと、
どうしても感情過多に陥ってしまうのです。

結論として、声の色が一色にならぬよう、何色もの色を使い分けができるよう
今後の課題として勉強していこうと改めて思いました。

サロンコンサートをひかえて(3月28日)

コンサートまで一週間をきってしまいました。
そのことを考えると今から心臓がドキドキしたりして、
いてもたってもいられない状態になっています。
寝てもさめても、頭の中で音が鳴り続けています。
他で音が鳴っていたりするとイライラしたりして、
どうしようもないのです。
ちょっとした音にも驚いてみたりして、気持ちが昂ぶって
いるようです。

会場で打ち合わせをしたり、音合わせをしたり、
スタッフと共に準備はほとんど完了です。
ですから、あとはいつも通り歌うだけですのに怖いのです。
そんな心情とはうらはらに、今日は穏やかで暖かな日曜日です。


   

近くの公園にて


ちょっと外に出てみると、桜がきれいに咲いています。
公園では、楽しそうに、宴会が始まっています。

『嗚呼!わたしも、花見をして浮かれたい。』
マスクをして、マフラーにダウンジャケットを着て、
冬ごもりから抜けられないでいる、異様に見えるだろう
私がいるのでした。


サロンコンサートを終えて4月4日)

前日の夜から激しい雨が降り、ちょっと心配でしたが、起きてみると青空が広がり、
桜や春の花々がぱっと明るく咲きほころび、眩しいような朝です。
サロンコンサートの朝のスタートとして幸先よさそうです。

開演2時間前にアルピーノに到着。



演奏会場入りして、スタッフと準備に入りました。
緊張がみなぎっています。
いいスタッフに恵まれている私は、自分の歌のことさえ考えればいいように、
皆テキパキと動いてくれています。



日本歌曲は着物を着て歌いたいという希望を橋本さんのご協力により叶えること
が出来ました。


      

また僅かな時間で二度の衣装替えにもスタッフの皆様にお世話になり、
このように歌うことのできるしあわせな私がいました。

    

音を創っていく中で、昨夜まで身体と精神とのコントロールでとても苦しんでいる
私も一方ではいたのです。

それが網の目のように複雑に交錯して何とも表現しがたい状態に陥っていたことも
ありました。
体力維持のため食事にも十分気をつけなくてはいけないのに、食欲が全然わかない
のです。
知らず知らずのうちに緊張していたようです。
歌は心の叫びです。聴いてくださっている方々に、私の愛と祈りと幸せを伝えたい。
そう願いながら歌わせていただきました。

斎藤さんのピアノもその私の気持ちに沿うように一緒に音楽を創ってくださいました。



そして皆様の素敵な笑顔は、わたしの心をどんなにか解き放ってくれたことでしょう。
お食事の時、皆様の席に伺ってお一人ずつお話させていただき、温かいお言葉、
ご意見を沢山いただき、喜んでいただけたことを実感いたしました。



プレゼントコーナーで運良く当選された方々の満面の笑み、歓声には、私までが飛び
跳ねたいようなうれしさが込み上げてきました。

    

司会の大久保さんも上手に皆さんのお気持ちをつかみ、和やかな雰囲気をさらに暖かく
包み込むような幸福感を抱かせてくれるのでした。



うららかな春のひとときを、アルピーノの美味しいお食事とともに、私の歌もお楽しみ
いただけたらこの上ない幸せです。
ご協力いただいたスタッフと、お聴きくださいました皆様に心より感謝いたします。



ありがとうございました。



二期会日本歌曲研究会 4月例会 (4月18日)

季節の移り変わりは速く、桜はや満開を過ぎ葉桜になり、ハナミズキの花が白、
ピンク、赤とちらほら咲き始め、藤の花も『もうそろそろ出番よ』と言わんばかりに
蕾をふくらませ、いえ、日に日に花の数が増えています。
ゆっくり楽しんでいる暇がないほど進行がはやすぎると思うのは私だけかしら?

またどこの玄関先でも、植物の手入れが行き届き、道行く人達を楽しませてくれています。
自分の面倒を見るのもやっとである私は家の花の面倒まではとても手がまわらず、
自然に、(お水くらいはあげますが・・・)たくましく育って花を開く強さに、
ただただ脱帽です。


常に歌わなくてはならないのでとても体調管理に気を使っていました。
「きょうは、27度まで上がり6月上旬の天気でした。」
「明日は、平年並みでしょう」こんな天気予報がよく聞かれます。
季節が2ヶ月も跳ぶと、植物たちは元気を保っていますが、私はとてもついて行けず
堪(こた)えています。

これって歳ッテ言うこと? ミトメタクナイ!

今日は木下牧子先生の研究会でした。以前から、作品とその人となりに、
興味があったので楽しみにしていました。自分が演奏しないのならばもっと
観察できたのでしょうが、
おまけに、花粉症なのか?アレルギーなのか?本日のコンディションは最悪です。
その上、先日まで「さびしいカシの木」を練習していたので、作曲家のお話を聞く
良い機会でしたので「コーロともしび」の方たちにも、お誘いして来て頂いていました。

彼女は芸大で石桁真禮生先生に師事されました。
オーケストラの作品をたくさん書きたいと思っていたのですが、それでは楽譜を出版する
ところまでいくのは困難であることに気づき、まず人の目に触れなければ(聴いてもらえ
なければ)書き溜めたところで作曲家として始まらないのではないかと考え、合唱曲から
入っていったそうです。
合唱の世界では知られた存在になっても、それだけに留まらずさらに大きく飛躍したい
と思い声楽曲を書くようになり、そして昨年はついにオペラも上演、今や売れっ子作曲家、
となられたそうです。

自筆譜がいくらあっても、人目に触れるチャンスがないと、職業として成り立たない
わけですから、正しい選択であったのでしょう。
声楽曲の歌とピアノの関係は、DUO(ピアノが伴奏するということでなく、歌もピアノも
それぞれが重要な役割を持っている)というものであって、緻密な計算で創られている、
ということや、作曲家自身にしかわからないような細かい構成を教えてくださいました。

しかし演奏家の手に委ねられてしまうと計算通りになかなかいかなくって、はがゆい思い
というか、言葉で伝えることの難しさに苦慮なさっていました。
勿論その場にいる我々は、身振り手振り、それにちょっと口ずさんでくださったりするので
伝わってくるものは十二分にありました。
オケが好きというだけあって、ピアノの音には各フレーズごとに、いろいろな楽器のイメージ
で書かれていることを説明してくださり、楽譜ではなかなか見えてこない音色の使い分け、
フォルテになっていても、ピアノになっていても、それが一つの楽器でそうなのか、トゥッティで
そうなのか、クライマックスの作り方、この曲のおちへの持っていき方の指示など、ていねい
且つ楽しく解き明かしてくださいました。
作曲家の頭の中で様々な楽器の音が鳴り響き、それを色々と制約のある中で書いていくことの
大変さもよく伝わってきました。


自分の体調不良ということを除けば、大変有意義な研究会でした。


大熊文子先生 メモリアルコンサートを終えて (4月25日)


去年417日、先生が逝ってしまわれてちょうど一年が経ちました。
大熊先生の想い出は数限りなくありますが,合歓の郷でのピアニストと一緒に2週間
朝から晩まで音楽三昧は、忘れられない想い出です。
先生の
優しく、思いやりのあるお言葉がもう聞けないと思うと寂しさが込み上げてきます。

イイノホールで共に学んだ我々が集い、先生への感謝の想いをそれぞれの歌にこめて
歌えたことは先生もきっと喜んでくださっていると思います。



大熊先生の遺影の前で

また、聞きにいらした方の中にも、先生との想い出を懐かしんでおられた方も
沢山いらしたと思います。



ブラームスの「メロディーのように」「永遠の愛」を歌いました。

演奏された曲も、私も先生のもとで勉強したものが沢山歌われましたで懐かしく、
その時注意された言葉の一句一句まで鮮明に想い出せるほどでした。

何十年経っても走馬灯のように浮かんできて、時を忘れさせます。
先生ご夫妻は、美しいショーンドルフの丘の上、花々の下に
眠っていらっしゃるそうです。

出演者全員でブラームスの子守唄を歌ってお別れしました。



ブラームスの子守唄を歌って。



大熊先生の一人娘瑠美さんのご挨拶。