私的名馬 〜 サッカーボーイ

1985年生 牡 栃栗毛 社台ファーム生産
父ディクタス
母ダイナサッシュ
母の父ノーザンテースト
通算11戦6勝
主な勝ち鞍:マイルチャンピオンシップ、阪神3歳S、函館記念等

 競馬ファンなら誰もが知る社台ブランド。85年当時は吉田善哉氏(故人)が率いる一つの牧場だった。74年以降ブリーダーとして常に王座に君臨している大牧場で、サッカーボーイは当時の社台ファームを代表する血統で生まれた。

 父ディクタスは英仏で走って、欧州マイル王者戦であるジャック・ル・マロワ賞を勝っている。引退後の種牡馬成績もよく、そこに吉田善哉氏は目をつけ購買した。当時の社台ファームではノーザンテースト時代により、引退繁殖入りするノーザンテースト産駒が多くなったため新しい血が必要だった。ノーザンテーストは欧州馬だから、欧州の血で交配させれば大きな失敗はない。その新しい血の導入のためディクタスは80年日本に輸入されたが、その役割はノーザンテースト牝駒と交配させることだった。サッカーボーイと同じ配合のゴールデンサッシュは後に、ステイゴールドの母となっている。

 ノーザンテーストにディクタスという配合は期待に違わぬ成功で、イクノディクタス、ムービースターといった活躍馬が出た。

 出生したサッカーボーイは生まれながらに目を引く容姿で、綺麗な栃栗毛に金髪のたてがみ、大流星。走りもスピード感抜群で根性も見せる。ただなかなか言うことを聞かない気性だけが問題だったのは現役時代でも同様だったようだ。

 入厩後も何かとうるさかったサッカーボーイだが、デビュー戦は圧巻の一言で、大きく出遅れたにも関わらずすかさず先頭を奪って後続を引っ張ると、2着トウショウマリオに9馬身差をつけてゴールしている。しかしながら毎回同じ芸当ができるわけではなく、続く函館3歳Sはまたも出遅れ、4着。が、次のもみじ賞では2着に10馬身差圧勝。と、高いパフォーマンスと脆い気性を併せ持つサッカーボーイだが、クラシック有力候補として認識されてもおかしくない馬だった。ただ裂蹄による休養を挟まざるを得ず、復帰戦は当時の西3歳王者決定戦・阪神3歳S。休み明け初戦で崩れる馬は多いが、この時のサッカーボーイは出遅れずに好位につけると流れに乗って直線先頭、後続を引き離すだけで結局2着に8馬身差の圧勝。この強烈なインパクトによりこの年の最優秀3歳牡馬に。

 この時点で「サッカーボーイ・凱旋門賞プラン」が持ち上がったほど、吉田照哉氏(現社台ファーム社長)はサッカーボーイを認めたと思われる。社台の馬が海外挑戦という話は珍しいことではないが、当時まだ3歳の馬に対して海外プランが上がるのは異例のことだったと言える。

 クラシックを狙った翌年初戦の弥生賞ではサクラチヨノオーの絶妙な逃げに屈して3着がやっと。後方から末脚に賭ける馬にとっては力は出し切れていないレースだっただろう。さらに皐月賞を前にして、誤って石を踏み爪を割ってしまい休養を余儀なくされ、自動的に皐月賞も回避することになってしまった。とすれば目指すは日本ダービーなのだが、それまでに故障が治るのかが微妙で、出走できない事態を何とか避けるために大量の抗生物質を投与した。爪の状態はよくなっていったが、大量に投与された薬の影響で体調の方が悪くなっていく。

 それでも、弥生賞からダービーまでのブランクが3ヶ月近くあること、2400mという距離への不安も考えると一つレースを使っておきたかったのだろう、急遽NHK杯(G2、2000m)に出走することになった。勝たなければならなかったレースだったが、4着が精一杯の結果に終わる。それでも陣営は信じてダービーへ送り出すしかなかった。

 ダービーは「運の強い馬が勝つ」と言われるが、サッカーボーイにはこの時運はなかっただろう。日増しに体調が悪くなり、ダービー当日は激しくイレ込んでいた。このレースは一旦差したメジロアルダンをサクラチヨノオーが差し返すという稀有のレースだったが、そのずっと後方、24頭立て15着でサッカーボーイは惨敗に終わった。ただ、その後出走した中日スポーツ賞では、その年の皐月賞馬ヤエノムテキを半馬身差で破り復活のきっかけを得たのだが。

 夏、海を越えて函館記念に出走。菊花賞よりも秋の天皇賞へ向かうべきかを見定める一戦と言えるレースだが、ローカルのハンデ重賞でありG1馬が出てくるべきレースではない。が、青函トンネルが開通したこの年の函館記念には3頭のクラシックホースが出走していた。前年のダービー馬メリーナイス、長期欧州遠征から帰国したシリウスシンボリ、前年の二冠牝馬マックスビューティ。現在では考えられない面子だが、この函館記念が大いに沸いたことは言うまでもない。1000m通過57秒台というハイペースの中、徐々に進出するサッカーボーイは直線を待って追い出したメリーナイスに詰められるどころか、逆に突き放して5馬身差をつけ、1分57秒8という驚異的なレコードタイムで圧勝したのだ。このタイムはニッポーテイオーが持っていたコースレコードを.8秒更新したばかりか、サクラユタカオーが秋の天皇賞で記録した芝2000mの日本レコードをも.5秒更新した。97年ゼネラリストに破られはしたが、10年に渡って日本レコードとして残ったことは多くの競馬ファンの記憶に新しいと思う。

 これで天皇賞に向かう方向が強くなったものの、まだ菊花賞に諦めがつかなかったか、次走は京都新聞杯となる。が、レース直前に右前足を捻挫してしまい回避するしかなく、自動的に秋の天皇賞と菊花賞への挑戦も消えてしまった。そこで変更された目標がマイルチャンピオンシップ。距離的に最も向いていると見られた舞台で古馬相手に戦う。ただ休養明けで通用するのかどうか、半信半疑のままでの出走だった。

 レースは出遅れることなく、案の定最後方から進んだが、この時は不思議とイレ込みがなく落ち着いていたという。自身の勝ちパターンに持ち込んだサッカーボーイは残り200m辺りで単独先頭に上がり、そのまま2着に4馬身差をつけて圧勝した。基本的に、短距離のG1では上位馬の実力やペースなどでゴール前際どい勝負になるものだが、サッカーボーイは4歳の時点で古馬相手に圧倒的な差をつけたのだった。ちなみに2着馬は名バイプレイヤーとも言えるホクトヘリオス。当時のVTRを見ると、サッカーボーイが入線してからすっ飛んでくる馬、というイメージがある。

 短距離統一戦としてスプリンターズSを選ばずに、オグリキャップやタマモクロスが出走してくる有馬記念を選んだことは「真の名馬」となるために必要だったことだろうし、血統的に2500mくらいはこなせるはずだったからだろう。ただ、このレースでは前走と異なり激しくイレ込んでおり、ゲート内で顔を何度もぶつけ出血していた挙句、スタートで立ち遅れてしまった。それでも馬群についていったサッカーボーイだったが、前も外も塞がれてしまって仕掛けが遅れることになってしまう。中山の急坂でマイルCSほどの脚を繰り出せなかったサッカーボーイは、勝ったオグリキャップから2馬身半離された4着で入線。3着だったスーパークリークが失格だったため繰り上がり3着にはなったものの結果として満足なものではなかっただろう。ゲートで暴れた時の怪我がなかったら… スムーズに進路を取れていたら… ベストな状態での長距離経験があったら… と。勝負事に「たら・れば」は禁物なのだが、自身の激しい気性により自身の未来を狭めていた馬だったことは事実なので仕方ない。ただ、そのような状態でも有馬記念3着という結果を残せたのは、サッカーボーイが単なるマイラーではなかったことを証明した面もあった。

 これだけの馬だから古馬になってからの活躍を期待するのが自然である。しかしながら春の復帰戦を前にして、今度は脚を骨折、秋に復帰する予定だったが、また脚部不安を出してしまう。この年9月にディクタスが死去したこともあって、引退、種牡馬入りすることに。結局サッカーボーイの馬生は4歳(現3歳)までの走りが最後になってしまった。

 普通、社台ブランドの馬が種牡馬入りするとなると社台スタリオンステーションに入る。しかし吉田善哉氏は「内国産種牡馬嫌い」だったそうだ。海外からの血の輸入に積極的だった善哉氏のことだから、内国産のレベルは低いから繋養する価値はないと見ていたのだろう。当時社台SSで繋養されたことがある内国産種牡馬は、三冠馬ミスターシービーだけだった。しかし善哉氏の次男、勝己氏が社台SS入りを強く迫ったため結局社台SSに入ることになったサッカーボーイ、種牡馬としての成績は周知のとおり。サイアーランキング10位以内に入ることもある上位種牡馬で、99年菊花賞馬ナリタトップロード、00年秋華賞馬ティコティコタック、東京大賞典馬キョウトシチーなど重賞ウイナーを数多く輩出している。

 競走馬としてのサッカーボーイは未完成だったかも知れない。サッカーボーイらしさ、を挙げるなら「激しく、速い」だろうか…。G1を2つ勝ってはいるが、サッカーボーイにとって適鞍だったのかは不明だが、高いパフォーマンスを常に発揮できていたら、もっと凄い活躍をしていたかもしれない。でも産駒達には個性の光る馬が多く、父と照らし合わせると「サッカーボーイらしくない」産駒が多いのだ。大きな故障もなく堅実に中長距離路線で活躍し菊花賞を勝ったナリタトップロードは、父サッカーボーイが秘めていた能力の一端を示せた産駒かも知れないが、あのジリ脚のために何度も大舞台で泣いたという、およそサッカーボーイからは想像のつかない面がある。

 もうじき20歳になるサッカーボーイだが、04年、初めてマイル重賞勝ち馬が出た。関屋記念を勝ったブルーイレヴン。その激しい気性、金鯱賞で見せた脚、何かサッカーボーイとダブるところがある。父子に「コピー」はありえないが、ブルーイレヴンは今後どんな活躍をしていくのか楽しみである。

 

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