考古学のおやつ
6/Oct/2002(Sun)登録

平井勝氏追悼論文集刊行と購入予約について

2000年7月に志半ばで亡くなられた平井勝氏追悼の論文集。吉備にとどまらず、近畿〜北部九州の最新の研究成果を提示。弥生時代を中心に、旧石器時代から幕末、現代まで。

[版型]
B5判、本文:1,164頁
[内容]
論文・研究ノート・資料紹介82篇 執筆者86名
詳しくは、下記概要をご参照ください
[価格]
9,800円 (送料:別 750円を予定) 品切れも予想されます。予約をおすすめします。
[連絡先]
郵便番号・住所・氏名・電話番号・購入部数を明記した葉書もしくはFAX、メールで下記までご連絡ください。
〒703-8247 岡山市さい東町1-12-23-3 宇垣匡雅
TEL・FAX 086-272-1296 eメール:kodaikibi@anet.ne.jp(古代吉備研究会)
[執筆者]
吉留秀敏 織笠昭 多田仁 光石鳴巳 岡田博 小嶋善邦 米田克彦 白石純 藁科哲男 河瀬正利 矢野健一 橋本惣司 田嶋正憲 中村健二 町田勝則 富樫孝志 水ノ江和同 秋山浩三 若林邦彦 濱田延充 豆谷和之 渡邉恵里子 藤尾慎一郎 出原恵三 柴田昌児 重根弘和 草原孝典 石黒立人 平井泰男 田崎博之 松本直子 大久保徹也 松井一明 斎野裕彦 原田幹 柏原孝俊 梅崎恵司 竹広文明 平井典子 佐藤寛介 小林青樹 甲斐昭光 柴田英樹 長谷川一英 猪原千恵 岡山真知子 松井和幸 本田光子 小林利晴 角南勝弘 角南聡一郎 日下隆春 松木武彦 北條芳隆 光本順 高田浩司 梅木謙一 古市秀治 清水真一 野崎貴博 宇垣匡雅 江浦洋 広瀬和雄 福本明 吉田広 森格也 中岡敬善 尾上元規 金田善敬 河本清 高橋進一 岸本道昭 出宮徳尚 金田明大 亀田修一 妹尾周三 湊哲夫 時實奈歩 團正雄 中野良一 網本善光 乗岡実 澤山孝之 藤原好二 山中一郎 安井宣也

論集の概要 環瀬戸内海の考古学(概要)

<旧石器・縄文時代>

1 更新世大型獣狩猟活動の確立と展開−尖頭器石器群研究の一視点−
吉留秀敏(福岡市教育委員会
集団領域の変動や自然環境の検討を通じて、旧石器時代後期に九州を中心として認められる尖頭器石器群出現の背景には大型獣の狩猟活動の成立と展開が存在したと論じる。16
2 中国地方における船底形細石核の一様相
織笠昭(東海大学文学部
石器器体角度研究法によって、野原遺跡群早風A地点遺跡の細石核が船底形であることを論証する。これを出発点に、西南日本の船底形細石核をめぐる様相解明の指針を示す。23
3 備讃瀬戸の細石刃文化に関する研究ノート
多田仁(財団法人愛媛県埋蔵文化財調査センター
備讃瀬戸地域における細石刃石器群について、その起源や系譜に関する若干の予察を試みた。特に羽佐島技法の編年観や系譜論は、今後も追試・論証が必要となろう。8
4 細石刃石器群における石器製作者をめぐる一考察−恩原2遺跡M文化層における石器集中部の分析から−
光石鳴巳(奈良県立橿原考古学研究所
恩原2遺跡の細石刃石器群について、石器集中部構造の微視的検討を試みる。2人の石器製作者を想定し、両者の間に技量差による「分業」が存在した可能性を考える。12
5 岡山県久米町宮尾遺跡出土のナイフ形石器について
岡田博・小嶋善邦・米田克彦(岡山県古代吉備文化財センター
宮尾遺跡は、寺院と一体となった古代地方官衙として著名な遺跡である。出土遺物中のナイフ形石器を、弥生時代の石器も加えて紹介する。4
6 鳥取県東郷町麻畑の新発見安山岩産地について
白石純(岡山理科大学自然科学研究所)・藁科哲男(京都大学原子炉実験所
サヌカイトに非常に類似した安山岩の産出地を鳥取県東郷町で確認し、新たな安山岩の原産地であることを究明。この新原産地の原石がどの地域で使用されているか検討 した。15
7 「境目」の文化としての中国地方の縄文文化論
河瀬正利(広島大学文学部
近年、日本列島の各地で発見されている縄文時代の栽培植物検出遺跡を資料として、中国地方の縄文時代文化の特色について論じた。8
8 中四国地方における縄文時代早期末前期初頭の土器編年
矢野健一(立命館大学文学部
山陽地方を中心に縄文早末前初の土器編年を再検討し、九州系と山陰系が併存するという定説を否定する編年案を提示する。 20
9 苫田郡奥津町内の縄文遺跡
橋本惣司(勝山町立勝山中学校)
昭和57年から約10年間に、筆者が中学生と奥津町内を踏査して採集した縄文時代の遺物は、早期・前期を中心に数100点に及ぶ。そのうちの主要な資料を紹介する。9
10 彦崎貝塚出土の縄文時代遺物−灘崎町歴史文化資料館収蔵資料の紹介−
田嶋正憲(灘崎町教育委員会)
彦崎貝塚は、縄文土器編年で4型式の名祖となった重要な遺跡であるが、遺跡や出土土器の内容に不明な点も残る。資料を提示し、そうした問題の解決の端緒としたい。12
11 滋賀県における凸帯文土器の編年
中村健二(財団法人滋賀県文化財保護協会
滋賀県を対象に、縄文時代晩期後半の凸帯文土器の編年を行った。器種・器形ごとに組列を提示し、出土状況を加味して検討した。その結果、3時期に区分可能であった。20
12 「刃器」研究に向けて
町田勝則((財)長野県埋蔵文化財センター)
スクレイパー、削器、横刃型石器などと呼ばれる刃物類を題材に、器種名称を整理し、分類法を提案、研究の方向性を問う。20
13 縄文時代後・晩期の石鏃製作技術−勝田井の口遺跡出土資料から−
富樫孝志(静岡県教育委員会
静岡県勝田井の口遺跡の石鏃製作技術を検討し、先端位置の決定、辺の形成と厚さと幅の調整など、5段階の工程を復元した。そして、平面形と重さの規格を指摘した。12
14 仮面形貝製品について
水ノ江和同(福岡県総務部国立博物館対策室)
仮面形貝製品は貝面である考古学的根拠に欠けるが、出現期が土面と一致する事実は無視できない。また、朝鮮半島や大陸との関係も想定されるだけに、今後の動向が注目される。10

<弥生時代>

15 弥生開始期以降における石棒類の意味
秋山浩三((財)財団法人大阪府文化財センター
縄文の代表的呪術具:石棒類は、弥生開始期以降でも少なからず残存する。この現象の意味を、縄文・弥生移行期の集団関係や弥生化の主体性のあり方を中心に考察を加えた。28
16 河内湖周辺における初期弥生集落の変遷モデル
若林邦彦((財)財団法人大阪府文化財センター
河内湖周辺の縄文〜弥生移行期の土器編年・集落動態を整理。水稲農耕の本格化によって、(1)活動領域の限定、(2)核集落の出現による小地域社会の形成というプロセスが観察できた。14
17 近畿地方の弥生文化成立についての覚書
濱田延充(寝屋川市教育委員会
近畿地方の弥生文化成立期の資料を検討し、弥生文化における縄文時代から受けついだ要素がないことを明らかにし、縄文文化を基層文化とする考えが成立しないことを証明する。12
18 眼鏡状浮文から指づくね貼付凸帯へ
豆谷和之(田原本町教育委員会)
畿内前期弥生壷に施される指づくね貼付凸帯を考察した。その結果、祖形となる東日本眼鏡状浮文は、弥生前期以前の凸帯文段階に導入されていたたことが判明した。14
19 岡山県南部地域における弥生前期遺跡の動向
渡邉恵理子(岡山県古代吉備文化財センター
遠賀川系土器の成立を考えるにあたり、縄文時代後期〜弥生時代前期の遺跡の動向から、弥生時代への転換期の様相を明らかにしようと試みた。15
20 瀬戸内における遠賀川系甕の成立過程−弥生土器瀬戸内起源説の検証−
藤尾慎一郎(国立歴史民俗博物館
弥生甕瀬戸内成立説を一部肯定し、板付I式甕周辺地域説を否定したもの。根拠は、標準甕、地域甕の設定によって明らかになった弥生甕の創出過程にあると考える。30
21 中部瀬戸内と高知平野−拠点集落成立の背景−
出原恵三(高知県文化財団埋蔵文化財センター
高知平野にある田村遺跡は、弥生後期後葉に盛行期を迎え西日本外帯における最大の拠点集落へと発展を遂げる。この背景には中部瀬戸内との交流があった。14
22 瀬戸内海燧灘南岸の中期弥生集落 その1−中期後半丘陵性集落の動態−
柴田昌児財団法人愛媛県埋蔵文化財調査センター
燧灘南岸における中期後半の丘陵性集落を検証し、集落を構成する最小の経営単位を抽出した。さらに丘陵性集落の類型を提示し、その生活領域の基本構造モデルを復元した。6
23 岡山県南部の弥生時代集落遺跡
重根弘和(岡山県古代吉備文化財センター
竪穴住居跡を主に取り上げ、岡山県南部の弥生時代集落遺跡について検討した。20
24 集落遺跡の変遷からみた水田経営の画期−岡山県南部の弥生時代中・後期を中心に−
草原孝典(岡山市埋蔵文化財センター
岡山県南部における弥生時代中・後期の集落遺跡の動向の一端を整理し、その変遷や画期が水田経営の形態と最も密接な関係にあったことを確認した。17
25 弥生集落幻像'02
石黒立人(愛知県埋蔵文化財センター
新しい弥生集落像を求めての苦悩。 8
26 備中南部における弥生時代中期後葉から後期前葉の土器編年
平井泰男(岡山県古代吉備文化財センター
近年の発掘調査によって多数報告されている備中南部の当該期土器群について、高杯の型式変化を想定し、これを基準に出土状況を分析することによって土器編年を組み立てた。22
27 焼成失敗品からみた弥生土器の生産と供給
田崎博之(愛媛大学法文学部
土器焼成失敗品や残滓類から、弥生時代における土器づくりの規模と単位、分業システム、分業を基礎として成り立つ集団間の交流・交易システムの性格や原理を考えた。27
28 弥生時代前期の土器片円盤類−紡錘車である可能性の再検討−
松本直子(岡山大学文学部
従来紡錘車とされてきた弥生時代の中四国地方にみられる土器片加工円盤のうち、前期の資料について分析したところ、紡錘車でないものがかなり含まれていると推定された。16
29 備讃地域における弥生後期土器製塩の特質
大久保徹也(徳島文理大学文学部
展開と分布の特質から、弥生時代土器製塩に対する従来の農耕生産の拡大に基づく自然発生的な発展という捉え方を再検討する。20
30 弥生時代の石鍬について−中・四国地域を中心として−
松井一明(袋井市教育委員会)
中・四国地域の弥生時代石鍬の形態と大きさ、肉眼観察による使用痕から、用途についての考察を行い、弥生時代の畑や水田農耕に関係した石製農耕具の可能性を考えた。20
31 下川津遺跡の石製犁先
斎野裕彦(仙台市教育委員会
香川県下川津遺跡から出土した石製犂先の新例2点を紹介し、出現の時期と、刃部形態の変化などから使用方法を推定。10
32 サヌカイト製石器の使用痕分析−岡山県出土の石製農具関連資料の観察−
原田幹(愛知県教育委員会
金属顕微鏡を使用した、サヌカイト製打製石庖丁、刃器等の石製農具を対象とした使用痕分析の概要報告。16
33 北部九州における弥生時代磨製石器の一様相−集落遺跡出土の「今山系石斧」とその供給形態−
柏原孝俊(小郡市教育委員会
北部九州における弥生時代前期から中期初頭の集落遺跡出土の「今山系石斧」を取り上げ、福岡平野と内陸部との集落遺跡で比較を行い、伐採斧供給形態の二者を考えた。17
34 遠賀川流域の石庖丁の規格性
梅崎恵司(北九州市芸術文化振興財団
遠賀川流域の石包丁二大生産地の立岩遺跡群と金剛山遺跡群の法量動向から、規格性を検証した結果、大中小の変遷を明らかにし、加えて、作り分けや使い分けを予想した。14
35 西川津遺跡海崎地区出土の一石剣をめぐって
竹広文明(広島大学大学院文学研究科
山陰地域の弥生時代石剣にサヌカイト利用と推測される例が増えてきたことに注目し、派生する問題についても予察的に議論した。7
36 石製武器からみた弥生時代の吉備南部と畿内
平井典子(総社市教育委員会)
石器組成に占める石製武器の比率、石鏃の重量などを中心に両地域の石製武器の様相を比較検討し、石製武器が示す吉備・畿内の弥生社会の相違について考察する。15
37 岡山県域における弥生時代鉄器文化の様相
佐藤寛介(岡山県古代吉備文化財センター
岡山県内出土の弥生時代鉄器を集成し、時期毎の出土量変化や各種鉄器・鍛冶遺構について検討を加え、当該地における弥生時代鉄器文化の実態把握とその評価を行った。18
38 分銅形土製品の起源−総社市真壁遺跡出土例の再吟味−
小林青樹(國學院大學栃木短期大學
分銅形土製品は、縄文晩期後半の近畿の長原タイプ土偶を祖型とし、一部東の要素をも取り込み、弥生前期に瀬戸内においてその初現型が成立した。13
39 兵庫県の分銅形土製品素描
甲斐昭光(兵庫県教育委員会埋蔵文化財調査事務所
兵庫県の分銅形土製品は、吉備と同系統のものが主体的であることを確認し、備前南部地方だけでなく、美作地方の影響を受けたものも一定量存在することを示した。8
40 弥生時代の顔−人面文と撥形文からみた祖霊観について−
柴田英樹(岡山市埋蔵文化財センター
吉備地域では、撥形文に「カミ」の顔を見たと推測される。これは人面文と対をなし、集団を支配した祖霊観を示す。またここには、前方後円形の意味を解く鍵があると思われる。10
41 御津町鍛冶屋谷遺跡出土の記号土器
長谷川一英(御津町教育委員会)
御津町鍛冶屋谷遺跡出土の記号土器について考察した。記号はくらげ状の形状であり、竪穴建物を表していると考えた。4
42 弥生時代後期から古墳時代前半の岡山県出土のイノシシ形土製品について
猪原千恵(和気町歴史民俗資料館
岡山県からは弥生時代後期から古墳時代前半にかけて多数の動物形土製品が出土しているが、中でも最も多く出土しているイノシシ形土製品について考察した。6
43 岡山県下出土の水銀朱付着遺物
岡山真知子(財団法人徳島県埋蔵文化財センター(2010年4月から公益財団法人徳島県埋蔵文化財センター))
岡山県下で出土している弥生時代から古墳時代の水銀朱付着遺物を集成し、遺跡の性格と併せて検討を加えた。10
44 広島県深安郡神辺町渡瀬遺跡出土の舟形鉢形土器について
松井和幸(北九州市立自然史・歴史博物館)・本田光子(別府大学文学部)
内面が赤色を呈する土器の分析鑑定 9
45 岡山県内の土器棺墓
小林利晴(岡山県古代吉備文化財センター
岡山県出土の土器棺墓について、法量・組み合わせ、埋葬された者の年齢などを分析。土器棺墓には乳児のみが埋葬され、法量に表れた格差は身分差であると考える。17
46 美作地方出土の土器棺一例−久米郡柵原町主馬の奥遺跡出土資料の紹介−
角南勝弘(柵原町教育委員会)・角南聡一郎((財)元興寺文化財研究所
近藤義郎先生らによって調査された主馬の奥遺跡出土土器棺の遺物実測図を作成し、これを契機に岡山県北部の土器棺墓について集成を試み、若干の考察・位置付けをおこなった。10
47 陰陽交通路としての杉遺跡の意義−奥津町弥生終末〜古墳初頭の土器から−
日下隆春(奥津町教育委員会
岡山県奥津町に所在する複合遺跡「杉遺跡」について、報告書で書けなかった弥生終末から古墳初頭にかけての土器の紹介を行い、遺跡の存在意義を探る。8

<古墳時代>

48 吉備地域における首長墓形成過程の再検討−新たな古墳論の構築にむけて−
松木武彦(岡山大学文学部
弥生時代から古墳時代における吉備地域の墳墓の変遷をあとづけ、群集状の集団墓の解体と個別区画墓の出現、器物副葬の普遍化という新たな視点から古墳社会への移行を説いた。18
49 銅釧を祖型とする石釧
北條芳隆(東海大学文学部
本論は石釧が誕生する経緯を検討したもので、弥生時代後期から終末期にかけて、日本列島に広く受容されていた銅釧からの系譜関係がたどれることを論じた。12
50 弥生から古墳時代における副葬品配置の展開−岡山地域の事例と分析−
光本順(岡山大学埋蔵文化財調査研究センター
岡山地域における、主として弥生後期から古墳前期の副葬品配置を検討し、その時期的な展開について追究した。18
51 吉備南部における古墳社会形成期の様相−集落の分析を中心として−
高田浩司(岡山大学埋蔵文化財調査研究センター
吉備南部の弥生時代後期から古墳時代前期にかけての集落の動態を中心に論じ、それを古墳の様相と比較することで、吉備南部における古墳社会形成期の特徴をとらえた。20
52 松山平野出土の古墳時代初頭の吉備型甕・吉備系甕
梅木謙一(松山市埋蔵文化財センター
松山平野出土の古墳時代初頭の吉備型甕集成し、出土遺跡・遺構、土器諸属性について分析を進める。その上で、土器伝播のあり様とルートについて考察を加えた。22
53 特殊壺形埴輪に関する覚書
古市 秀治(岡山県立岡山工業高等学校
特殊壺形埴輪に地域色があるのではないかという見通しを示すとともに、同埴輪を特殊壺形土器からの流れで位置づけ、その成立に奈良県箸墓古墳との関わりを想定する。6
54 前期古墳における形象埴輪の持つ意義
清水真一(桜井市教育委員会
埴輪が出現するには意義があったはずで、当然形象埴輪にもそれがあった。古式の形象埴輪の形態や出土状態等から、それが何であるかを考えてみた。5
55 埴輪棺墓の群構成−中国地方の事例の検討から−
野崎貴博(岡山大学埋蔵文化財調査研究センター
中国地方の埴輪棺を集成・検討し、その群構成の特徴を抽出して他地域のものと比較。埴輪棺墓の群構成にも他地域の影響がみられることが明らかになった。18
56 宿寺山古墳の研究(1)
宇垣匡雅(岡山県古代吉備文化財センター
吉備の中期大形前方後円墳の一基、宿寺山古墳について、墳丘測量図にもとづいて墳形の検討とその評価を試み、あわせて主体部や埴輪等についても検討を行った。20
57 後期前方後円墳の築造企画−大阪府羽曳野市蔵塚古墳を中心に−
江浦洋((財)財団法人大阪府文化財センター
前方後円墳である蔵塚古墳の築造過程で用いられた土嚢や埋没周溝などの調査所見を基軸として検討を行い、後円部直径の10等分を1単位とする築造企画の存在を指摘する。14
58 近江・野洲地域首長墓の歴史的意義−甲山古墳と丸山古墳の巨石墳をめぐって−
広瀬和雄(奈良女子大学
近江野洲地域の首長墓、ことに甲山・円山古墳の巨石墳の特質を抽出した。畿内型横穴式石室の範疇に属しながらも細部において個性をもつことを指摘し、その背景を論じた。16
59 漆喰を使用した横穴式古墳の一例−倉敷市笹池東1号墳の測量調査−
福本明(倉敷市教育委員会)・白石純(岡山理科大学自然科学研究所
倉敷市西坂に所在する笹池東1号墳の測量調査の成果。1辺12m程の方墳で、巨石を用いた横穴式石室の目地に漆喰が塗られていたことが科学分析により判明した。8
60 横穴式石室の排水溝について
吉田広(愛媛大学法文学部
横穴式石室の排水溝について、その登場から展開、そして構造を明らかにし、排水溝という施設が、畿内型横穴式石室と不可分に結びついていることを示した。10
61 横穴式石室の下部構造
森格也(財団法人香川県埋蔵文化財調査センター
横穴式石室は、石室空間を良好に保つために、石室や墳丘構築に工夫をしている。その一つとして下部構造に注目する。ここでは、その基礎データの集成を主とした。6
62 邑久地域の古墳出土の?について−時實黙水氏採集資料を中心に− 中岡敬善(松下電工株式会社
時実黙水氏採集資料を中心に邑久地域の古墳出土の?と関連資料を紹介。あわせて後・終末期古墳における?の使用形態に関する考察を行う。20
63 壺鐙と瓢形円環轡について
尾上元規(岡山県教育庁文化課
古墳時代の馬具のうち、特徴的なあり方を示す壺鐙と瓢形円環轡について、編年・分布等を整理し、その背景を考察する。8
64 岡山市根岸古墳出土の二種類の鉄釘
金田善敬(岡山県古代吉備文化財センター
岡山市根岸古墳出土の2種類の鉄釘の製作背景および分布を検討。古墳時代後期における地域首長層の交流関係を垣間見る。7
65 美作国勝田郡勝北町「甲田池窯跡」採集遺物について
河本清(くらしき作陽大学
美作地方の須恵器窯跡として、言葉だけが先行してきた窯跡の採集遺物の報告。生産地遺跡と消費地遺跡との諸関係をさぐる基礎資料となろう。5
66 水晶製玉類の製作について
高橋進一(総社市教育委員会)
弥生時代から奈良・平安時代までの水晶製玉類の製作技法の変遷を、従来あまり知られていなかった敲打調整を中心として整理し、原石の特性と共に理解しようとしたもの。12
67 中・四国における滑石製模造品の生産
米田克彦(岡山県古代吉備文化財センター
中・四国の滑石製模造品製作遺跡を対象に、器種組成を整理し、臼玉・有孔円板・剣形品の製作技術を比較することで、滑石製模造品生産の地域性を導き出し、その実態に迫る。20

<古代以降>

68 駅長の系譜−播磨国古代山陽道の事例から−
岸本道昭(龍野市教育委員会)
播磨の古代の駅家周辺遺跡を検討して、終末期古墳と古代寺院を関係づけ、駅長の系譜を考えてみた。同時に駅長が里・郷長クラスの人物と推定している。10
69 古代山城の検証覚書−その用兵の具のコンセプトを求めて−
出宮徳尚(岡山市教育委員会
西日本に展開する古代山城跡を、先頭施設の範たる中国古代城郭の施設や設備、さらには攻城守城の兵器体系をも視野に入れて検証し、用兵の具の観点から築城観を提起する。20
70 平城京の食器の色−赤彩暗文土師器出現についての予察−
金田明大(奈良文化財研究所
平城京出土土師器を対象に実資料の観察を行い、多くがかつては赤褐色を呈することを指摘した。西日本の赤彩暗文土師器出現の背景に、宮都の土器の影響があると考えた。10
71 吉備の瓦塔
亀田修一(岡山理科大学
これまでほとんど検討されていなかった吉備の瓦塔を集成・検討した。その結果、全国でも10位以内に入る多さであること、形態的に多角形や円形が多いことなどがわかった。26
72 古代の仏堂と倉−岡山県津山市で検出された大形建物の一解釈−
妹尾周三(東広島市文化財センター)
岡山県津山市で検出された大形建物跡の立地と構造、さらに出土遺物からこれを「仏堂」と捉え、その性格について言及した。20
73 和気氏の成立
湊哲夫(津山市立津山郷土博物館
和気氏の元来の本拠は美作勝田郡で、その備前藤野郡への移住時期は6世紀頃である。これは吉備氏を掣肘しつつ、全国政権としての倭国家の確立をはかる任務のためである。11
74 岡山県における中世前半期の煮炊具の様相
時實奈歩(岡山県古代吉備文化財センター
岡山県内出土の中世前半期の煮炊具について、型式分類と変遷という基礎的な作業を行い、生産・流通体制の変化や県北部と南部の地域差などについてまとめた。6
75 勝間田古窯跡群の動態−採集資料の紹介から−
團正雄(勝央町教育委員会)
12〜13世紀にかけて岡山県北部を中心に出土する勝間田焼を生産した勝間田古窯跡群の採集遺物を紹介し、窯の変遷、画期について考察。16
76 伊予における土器椀−吉備系土師器椀の受容−
中野良一(財団法人愛媛県埋蔵文化財調査センター
伊予国における古代から中世の土器椀についてタイプ分類を行い、それを基に変遷を概観した。特にIV類椀はいわゆる吉備系土師器椀の搬入品であり、出土地を整理した。11
77 岡山県笠岡市今立地区発見の火葬墓について
網本善光(笠岡市健康福祉部)
笠岡市内の今立地区で工事中に発見された中世土器の報告。土師質の羽釜・鉢、亀山焼のほか五輪塔が確認された。室町時代のものと推定される火葬墓である。4
78 瓦からみた宇喜多秀家期岡山城の支城網
乗岡実(岡山市文化政策課)
岡山県にある徳倉城、撫川城、常山城、荒神山城の各城で採集した瓦を報告し、その年代観や同笵関係から、文禄頃に行われた岡山城の支城整備を展望する。14
79 幕末期における備中松山藩の殖産興業−「大成山」山内施設と操業の背景を通して−
澤山孝之(岡山県古代吉備文化財センター
幕末期における備中松山藩の殖産興業に寄与した「大成山」−大成山たたら遺跡群の山内施設の構造を概観し、あわせて操業の背景について考察を行う。20
80 下津井台場群に関する若干の考察
藤原好二(倉敷市埋蔵文化財センター)
下津井港周辺に築かれた伏台場の配置と規模からみた防衛構想。4
81 ナショナル・アイデンティティと「日本考古学」
山中一郎(京都大学総合博物館
日本のナショナル・アイデンティティの確立と考古学研究の成果について考察を加える。政治と考古学の不離の関係を指摘し、莫大な公的資金を使う日本考古学の現状を考える。20
82 「土層」再考
安井宣也(奈良市埋蔵文化財調査センター
今日の日本考古学で認識される「土層」とは、性状の異なる諸要素を「地層」と混同して捉えた概念で、自然に関する観点を軽視した研究体系の偏りを端的に反映する。5

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