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北部九州の朝鮮半島系装身具

出典:白井克也1993a「北部九州の朝鮮半島系装身具」第34回埋蔵文化財研究集会(1993.9.4.口頭発表)

わずかな準備期間で専門外の話をしたという冒険作。発表を聞かれた方には申し訳ないが,自分としては大いに勉強になった。

特に,渡来系遺物の日本国内での不均等分布に気づいたこと,これは在地の事情によるもので地域史の視点で解釈すべきであることなど,その後の舶載遺物研究の基本となった。発表の数ヶ月前にはまったく思ってもみなかった命題を打ち出したのである。

日本の古墳研究で「加耶(伽耶)」を扱うとき,実際よりも広範囲なものとして扱っているということを準備の過程で意識し,一方で,実際の加耶はさほど広くないという考えを固めたので,文中では意識して「加耶」「新羅」の用語を排している。これも1996年の「合同学会印象記」,2000年の「日本出土の朝鮮産土器・陶器」につながっていく内容である。

ただ,本稿は時期認定のいいかげんさ,出自判断の没論理性など,致命的な問題を抱えており,学生の期末レポートかのようである。(18/Apr/2002)

目次


北部九州を中心に,冠・冠帽・垂飾付耳飾・履を「朝鮮半島系装身具」とし,その分布を概観する。


1.福岡県

冠と垂飾付耳飾が見られる。垂飾付耳飾は古い時期(5世紀前半)から新しい時期(7世紀)まで副葬例があり,しかも小型の古墳への副葬例が多い。冠はセスドノ古墳の例を除いて6世紀末以降に下るものである。

垂飾付耳飾のうち,千鳥22号墳第1主体出土の例(1)は,主鐶(耳鐶部)を欠いていると思われるが,日本出土の垂飾付耳飾としては最古級の5世紀前半に遡るものである。出土した遺構も石蓋木棺とも言うべき異例のもので,横穴系の埋葬施設ではない。天神森1号墳出土例(2)は垂下飾を欠くが,花篭形の中間飾は洛東江東岸(慶州など)にもみられるものである。セスドノ古墳(8)では,冠(?)(7)と共伴している。日拝塚(9)・立山山8号墳(10)では,山梔子形垂下飾を持つ耳飾が出土している。部品の組合せがかなり異なっていることを除けば,後述の佐賀県・玉島古墳例(34)と共に,昌寧・校洞古墳群に類例を求められよう。久保地2号墳例(5・6)は6世紀末〜7世紀初に下る。

冠は,セスドノ例(7)が5世紀末〜6世紀初に位置づけられる。この冠片は縁に紋様帯を設け,波状紋の両側に点を配する。他は,銀冠塚(11)が6世紀末〜7世紀初,宮地嶽古墳(12)が7世紀後半に位置づけられ,後者は九州の古墳出土例として最も新しい冠と言える。

以上の内,セスドノ古墳でのみ冠(7)と垂飾付耳飾(8)が伴出し,福岡県では異例に属す。セスドノ古墳が遠賀川流域の田川市に所在することや,銀冠塚・宮地嶽古墳の時期がやや新しいことを考えると,筑前国玄海灘沿岸や筑後国にはまともな冠はほとんど見出されないことになる。これは,前方後円墳の日拝塚を除くとほとんど円墳か方墳であることにも関係していよう。


2.熊本県

熊本県の事例は,一見極めて充実した印象を受けるが,船山古墳の一括出土資料を除くとさして豊富ではなく,地理的には北部に,時期的には5世紀後半〜6世紀後半に限定されており,船山古墳以外では,「朝鮮半島系装身具」として垂飾付耳飾しか認められない。

船山古墳では,冠帽(13),狭帯式冠(14),広帯二山式冠(15),蝶ネクタイ状飾板(16),垂飾付耳飾(17・18),臑当(19・20),履(21・22)が出土している。図には挙げなかったが帯金具も出土しているので,あらゆる装身具を網羅した貴重な例と言えるかも知れないが,船山古墳出土遺物に時期差を認める考え方もあり,そうすると,装身具の時期差は,それを身につけるべき人物の違いに対応するとみるべきである。しかし,それでも被葬者ひとりに当てられる装身具の組合せは,それぞれが九州の他のあらゆる古墳の「朝鮮半島系装身具」のセットに勝っている。装身具以外の副葬品も含めて,公州・武寧王陵との類似点が指摘されている。

この他,大坊古墳(23・24),伝佐山古墳(25)の垂飾付耳飾の例がある。後者の如き円錐形の垂下飾(25)は,船山古墳(17)でも見られ,高霊・池山洞古墳群や陜川・玉田古墳群にも出土例がある。23は野上丈助氏の復元案を採用したが,これも高霊・池山洞古墳群の出土例を連想させる。

このように,船山古墳と朝鮮半島西海岸地域との関連が指摘される一方で,「朝鮮半島系装身具」については船山古墳が九州島内でかなり特殊な例であることも注意せねばなるまい。


3.佐賀県

佐賀県では,冠ないし冠帽と見られる例が複数見られるが,時期的には5世紀末〜6世紀中頃におさまる。出土古墳には前方後円墳と円墳がある。

垂飾付耳飾は,島田塚(32),龍王崎1号墳(33),玉島古墳(34)の各例が,共に6世紀前半に位置づけられる。玉島古墳例(34)は,個々の部品のみを見ると,福岡県での2例(9・10)に共通する。

5世紀末〜6世紀初に当たる関行丸古墳出土の半筒形金銅製品(29)は,船山古墳出土の臑当(19・20)と形状,大きさ,上下に蝶ネクタイ状飾板をつけることなど,共通点が多く,臑当と見られる。金銅製品片(30)は,透彫りが施されていたらしいこと,立飾(?)の先端が細まりつつ曲がること,縁に波状紋帯を有することなどが特徴といえよう。こうした特徴は後続(6世紀前半)の島田塚出土金銅製品片(31)にも見られ,全形が捉えにくい(ただし,31は広帯二山式と推定されている)ものの,ある程度互いに類似したものであった可能性が高い。6世紀中頃の潮見古墳例(35)は,また異なった形状をしており,狭い冠帯に曲線的な立飾がいくつか立てられていたと思われる。列点で花のような紋様を表現しており,中央の立飾に配置されよう。冠と冠帽の違いはあるが,益山・笠店里古墳の冠帽の前中央に同様の紋様が配されている。


4.長崎県・宮崎県

九州では,この他に長崎県での冠(?)片(28)の出土,宮崎県での垂飾付耳飾(26・27)の出土が知られている。特に後者は地下式横穴という独特の墓制からの出土例であるが,今のところは孤立した事例に過ぎない。


5.まとめ

「朝鮮半島系装身具」の事例を述べてきたが,量的にも限られており,副葬パターンのようなものもつかめないので,その入手・副葬に当たってはかなり偶然に左右されていたものと見做される。九州という地域を限って検討したところで,地域史の復元にはほど遠く,まして対中央関係,対外関係を論ずることは到底かなわない。九州島内の分布の特徴のみを挙げてまとめに代えたい。

北部九州での「朝鮮半島系装身具」は,福岡県では5世紀前半から7世紀に及ぶが,ほとんどが垂飾付耳飾のみで,冠は遅れて現れ,前方後円墳への副葬例が少ない。一方,熊本県では5世紀後半〜6世紀後半,佐賀県では5世紀末〜6世紀中頃という限定された時期にみられるが,この時期の冠もみられる。また,福岡県の例は洛東江東岸に,熊本県・佐賀県の例は洛東江西岸と朝鮮半島西海岸に類例を求められるかも知れないが,限られた事例に基づくので断定できない。

福岡県と熊本県・佐賀県は,それぞれ「筑紫国」と「火国」に該当する。両「国」の「朝鮮半島系装身具」に見られる様相の差は(1)両「国」と畿内との関係の差を反映するのか,あるいは,(2)両「国」と朝鮮半島との関係の差を反映するのか,その他のさまざまな考古資料の研究と照合しつつ,追究していかなければならない。


資料作成が遅延し,杜撰な内容となった上,参考文献リストを割愛してしまった。先学への非礼をお詫びしたい。


北部九州の朝鮮半島系装身具
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