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東京国立博物館保管青磁獣脚硯

出典:『MUSEUM』No.568(2000)

資料紹介とともに東漢末から唐までの陶磁製硯を論じた。

吉田恵二氏の論文を再検討することから始めたが,同論文の周到さを再確認するばかりであった。ただ,本稿では地域と材質を細かく分け,新資料も加えることによって,大まかな変遷観にとどまらず地域ごとの変遷や材質ごとの使い分けという見通しをえた。

論文中では伏線にとどまっているが,唐代の硯は材質と法量の関係を整理する必要があろう。

また,論旨からは外れるが,朝鮮や日本の硯について明確な祖型は見出しがたいと言うのが正直な印象である。資料に制約の多い北朝遺物の追求が要される一方,単純な伝播論にとどまらず製作技法などの検討を要するであろう。(15/Apr/2002)

目次


1.はじめに

本稿では、平成11年度に東京国立博物館が購入した青磁硯を紹介し、その年代と生産地について論ずる。朝鮮考古学を主たる研究テーマとする筆者があえて紹介の筆を執るのは、この硯が中国陶磁史上の意義に止まらず、朝鮮・日本の獣脚硯研究においても重要な手がかりをもたらすと考えるからである。

朝鮮・日本においては6・7世紀に硯が登場するが、それらには本作類似の獣脚硯を含んでいる。また、硯の登場は、律令法の継受に伴う文書行政のはじまりと、この行政手法による集権支配の確立にも深く関わる現象である。

しかし、朝鮮・日本の初期の硯の登場に関しては、いまだ不明な部分がある。本作が新たに世に知られることによって、学史に資するところがあれば幸いである。

なお、硯に関する用語は、基本的に楢崎彰一のそれに従い〔楢崎 1982〕、中国の文献に見られる「瓷」字はすべて「磁」字に置き換えた。


2.資料

青磁獣脚硯 1個 TG−2962

十三足の青磁獣脚硯である。表面に淡黄褐色の土が付着しており、出土品であることはわかるが、出土地・出土状況などは不明である。硯面中央に墨跡があり、実用品であったことがわかる。器高59ミリメートル、口径173ミリメートル、外堤最大径183ミリメートル、外堤底径174ミリメートル、脚全高45ミリメートル。

胎土は極めて精良である。

硯面部は薄く、ドーム形に隆起し、内外面ともに細かいロクロ目が観察される。海陸の区別は明確でなく、海底は狭い。

外堤は外側面に段をなして蓋掛りとする。下半はやや外傾しており、高さが一定でないが、上半(口縁部)はほぼ直立し、端部が丸く終わる。外面の段は鋭く、ロクロ上で削りだしたようである。

脚は外堤下半外面にとりつく。上部がやや膨らみ、一旦くびれてから端部が蹄足状に広がる。外面には下向きの蓮弁紋を施すが、これは脚を型作りにすることによって紋様を浮き出させたものである。脚の裏側には補強土を当て、外堤下面から硯面部内面にかけてなでつけている。脚端の高さは一定せず、自立させると一部の足が浮く。

よく焼き締まっており、外堤と脚に失透性の青磁釉をかける。釉が溜まった部分では白濁している。倒置状態で焼成しており、硯面部下面に灰を被っている。硯面部上面中央には径102ミリメートルの環状の窯道具の痕跡が見られるが、硯面部下面の目跡は観察できない。露胎部分のうち、硯面は黄灰色、下面は橙褐色である。

本作で最も奇妙に思えるのは、外堤下半の高さが一定しないことである。口縁部を削りだし、端部を整える作業も、外堤下面を整える作業も、いずれもロクロ上で行ったと考えるならば、次のような製作工程が推定できる。

まず、容器の底部を作る要領で、丸底の部品を製作する(倒置状態)。

次に丸底部品を伏せて、周囲に外堤を製作し、口縁部を削りだす(正置状態)。

さらに倒置して外堤下面を整える(倒置状態)。

型から抜いた脚部を外堤に貼りつけ、補強土を当てる(倒置状態)。


3.中国における硯の変遷

東京国立博物館保管の青磁獣脚硯(以下、青磁獣脚硯1とする)の年代と生産地を考えるため、東漢から唐にかけての中国の円面硯の変遷と地域性について概観する。

中国における硯の変遷については、吉田恵二の研究がある〔吉田 1985・1992〕。

吉田によると、三国時代以降に、硯面の周囲に外堤をめぐらし、外堤または下面に3足以上の足をつける硯(獣脚硯)が登場するという〔吉田 1992:164〕。吉田はこれ以降の硯面形態を、まずA種、B種、C種と分類し〔吉田 1985〕、その間に型式学的な変遷を想定した。その後、吉田は硯面形態をa種からg種までの7分類に細分するとともに、中国の硯の集成を行った〔吉田 1992〕。硯面形態の再分類は、旧稿の3種の間の型式学的関係を明確にするためであると思われる。即ち、旧稿のA種が新稿のa種に、旧稿のB種が新稿のb種・c種・d種に、旧稿のC種が新稿のe種・f種・g種にほぼ対応し、次のような特徴をもっている。

本稿でも吉田による硯面形態の分類を用いることとする。なお、吉田はd種硯面形態として広西壮族自治区融安県2号南朝墓出土の青磁十二足硯39〔広西壮族自治区文物工作隊 1983〕を挙げている。おそらくd種硯面形態をe種・f種硯面形態の登場を説明するものと捉えているのであろうが、c種硯面形態の硯の硯面外端に強いナデが施されていることがあり、図上の判断だけでd種硯面形態としてこの1点だけ型式学的に分離することは困難である。

以下、吉田の集成に、その後知られたいくつかの事例を加えて、獣脚硯の変遷を追ってみよう。その際、吉田とはやや視点を変え、地域と材質により大別することとした。

江蘇省

まず、南朝の首都・建康(南京)を擁する江蘇省を見てみよう。

江蘇省では、窯からの獣脚硯の出土は報告されていないようである。

三国時代(呉)から唐代にかけての墳墓では灰陶と青磁の獣脚硯が出土している。

灰陶獣脚硯は呉代から見られる。a種硯面形態は呉から東晋にかけて用いられ、鎮江市汝山賈泉湾2号墓(劉剋墓、東晋升平元年:357)出土の灰陶漆塗三足硯3〔鎮江市博物館 1964、劉建国 1983〕などがある。口径が150から260ミリメートルと大きめで、浅盤形が多い。b種硯面形態は呉末から南朝にかけて、南京市江寧県上坊1号墓(呉天冊元年:275)出土の灰陶三足硯〔南京市博物館 1983〕や南京市象山2号墓(南朝)出土の灰陶三足硯4〔南京市文物保管委員会 1965〕などがみられる。上坊1号墓や南京市大定坊司家山5号墓(謝温墓、東晋義煕2年:406)出土の灰陶三足硯〔南京市博物館・雨花区文化局 1998〕のように外堤下部が外に突出して受け部をなすものと、浅盤形との双方が見られるが、浅盤形は東晋早期の鎮江市燕子山3号墓出土の灰陶三足硯2〔劉建国 1983〕までで見られなくなる。なお、南京以外の江蘇省では灰陶獣脚硯はすべて浅盤形である。これは南京以外の江蘇省で南朝以後の灰陶獣脚硯があまり報告されていないせいもあろうが、器形変化の流れが南京の内外で異なっていたことが考えられる。c種硯面形態は南朝晩期に南京市堯化門梁墓出土の灰陶三足硯5など〔南京博物院 1981〕がわずかにみられるだけで、南朝時代には灰陶の獣脚硯自体が減少する。また、灰陶獣脚硯はいずれも三足硯である。

青磁獣脚硯は、おそらく浙江省より供給されたものと思われる。a種硯面形態は呉から東晋にかけてみられる。そのうち、熊脚のものは句容県孫崗頭西晋元康4年墓(294)出土の青磁三足硯6〔南波 1976〕など、古くから見られるが、東晋以降は南京市江寧県下坊村1号墓(東晋中晩期)出土の青磁三足硯7〔南京市博物館・江寧県文管会 1998〕のような蹄足が現われ、以後の主流となる。この点は、当初より蹄足の多い灰陶獣脚硯とは対照的である。b種硯面形態は鎮江市燕子山3号墓出土の青磁三足硯8〔劉建国 1983〕などの東晋早期から、南京市江寧県東善橋3号墓出土の青磁三足硯〔呉学文 1978〕、南京市童家山南朝墓出土の青磁四足硯10〔南京博物院 1985〕などの南朝晩期にかけてみられる。c種硯面形態は鎮江市汝山賈泉湾2号墓(劉剋墓、東晋升平元年:357)出土の青磁三足硯9〔劉建国 1983〕などの東晋中期から、南京市江寧県殷巷郷1号墓出土の青磁四足硯〔南京市博物館・江寧県文管会 1993〕などの南朝中晩期まで例が見られる。以上の南朝以前の南京出土の青磁獣脚硯は大半が3足で、南朝中晩期にわずかに4足の例がある。肩部の形態は、浅盤形もあるが、多くは杯形で、受部の下が外傾面を持つ。

唐代に入って、揚州市の揚州古城と唐代木橋遺址で青磁多足硯が出土している〔南京博物院 1979、揚州博物館 1980〕。これらはe種硯面形態やg種硯面形態であり、しかも獣足を多数つけているので、江蘇省の南朝以前の獣脚硯とは隔たりが大きい。しかも、揚州古城の例では、硯面がe種硯面形態であるのに底面は平坦であり、隆起の分だけ厚底となっている。むしろ北方の獣脚硯の影響によるかと思われる。

このように、江蘇省には圧倒的な数のa種硯面形態が見られ、b種・c種がこれに次ぐが、e種・f種・g種はほとんど見られない。a種は三国・両晋に多く、この時期に遡る墳墓が江蘇省で多く調査されていることが数値に表れている。e種・f種・g種は隋代以降に登場するものであり、隋代に首都の地位から転落した南京に事例が乏しいのは当然とも言えるが、b種・c種も少ないことは留意したい。また、江蘇省出土の南朝時代獣脚硯は3足のものが圧倒的で、4足もわずかに見られる。しかし、これらの中には南朝晩期の事例も見られることから、調査事例の偏りのみに数値の原因を求めることはできず、江蘇省で平坦な硯面形態や足の少ないものが好まれていたためと考えられる。

安徽省

安徽省では、馬鞍山市桃冲村3号墓(西晋永嘉2年:308)出土の青磁三足硯13〔馬鞍山市文物管理所・馬鞍山市博物館 1993〕など、a種硯面形態で熊脚をもつ硯が少数報告されているのみである。

浙江省

浙江省出土の獣脚硯は、知られているものの大半が青磁であり、窯からの出土も多い。このうち、鄞県玉缸山鄞Y1窯址から出土した東漢晩期の青磁三足硯14〔林士民 1986:804-805〕が、魏晋南北朝以降に連なる獣脚硯の最古のものであろう。平坦な盤(a種硯面形態)に短小な乳釘形3足をつけたもので、吉田の分類でも最も古い形態といえる。また、徳清県徳清窯の1956年の調査でも東晋代の青磁三足硯17が出土しており、b種硯面形態である〔汪揚 1957〕。

浙江省の墳墓では三国呉の遺品は明確でないが、両晋南北朝時代の獣脚硯は大半が3足か4足である。外堤部を見ると、受部の下が外傾面をなしているものが多い。西晋・東晋代にa種硯面形態、東晋代から南朝にかけて永嘉県甌北3号墓(宋元嘉22年:445)出土の青磁三足硯16〔蔡鋼鉄 1998:302〜303〕のようなb種硯面形態、南朝斉・梁代に瑞安県桐渓124号墓(梁大同8年:542)出土の青磁四足硯〔浙江省文物管理委員会 1960〕のようなc種硯面形態の硯が副葬されている。

足は東漢代のものが乳釘足であるほか、紹興県309号墓(西晋前中期)出土の青磁四足硯15〔紹興市文物管理処考古組 1987〕のように、西晋代に熊足がある。足の数が明記されているものでは、青磁四足硯15のように西晋代に四足硯が現われ、紹興県尹相公山磚室墓(南朝)出土の青磁五足硯〔紹興県文物管理委員会 1977〕の5足が最多だが、斉梁代の寧波市雲湖窯出土の青磁多足硯18〔林士民 1984〕は、足の数が明記されていないものの、図で見る限り6足程度である。

隋唐以降の遺品は報告が少なく、江山県淤頭公社6号墓(唐上元3年:676)出土の青磁多足硯20〔江山県文物管理委員会 1983〕はかなりの多足と見受けられ、獣足状になっている。g種硯面形態であるが厚底で、外堤下半が直立するなど、浙江省の南朝時代の硯に系譜を追うことができない。

青磁の生産地でもあった浙江省は、江蘇省の青磁獣脚硯と、ある程度似た傾向を示すものの、獣脚硯の登場、多足化の始まりなどが、ほかの地域よりもいくぶん早い。しかし、硯面の隆起や多足化の度合いは江蘇省のそれを凌いでいる。南京などの江蘇省に出荷される硯と、地元に残るものが区別されていたのかもしれない。なお、韓国の国立中央博物館に所蔵されている、伝忠清南道扶余出土の青磁五足硯〔金妍秀 1994〕も、南朝晩期の浙江省製品の可能性があろう。

また、大幅な多足化は隋唐以降であり、また、隋唐代の器形への変化は、必ずしも自律的なものとはみなしがたい。

福建省

福建省出土の獣脚硯も多くは青磁と報告されている。

窯の出土例としては、福州市天山馬嶺南朝窯址(梁大同3年以後:537〜)出土の青磁八足硯22〔曽凡 1989〕がある。

墳墓でも、閩侯県南嶼南朝墓(斉梁)出土の青磁三足硯21〔福建省博物館 1980〕のように、硯面が隆起し(c種硯面形態)、外堤の下端外面に足をつける場合が福建省の南朝の硯には多い。

足の本数は3足・4足・5足が大半であるが、青磁八足硯22のほか、閩侯県荊山南朝墓では十足硯〔黄漢傑 1959〕が出土している。三国時代の確実な例は知られておらず、東晋・南朝にa種・b種硯面形態がともに製作され、劉宋代以降に福州市倉山斉永明7年墓(489)出土の青磁獣脚硯〔林存琪 1993〕のようなc種硯面形態が製作されたようである。以上は、いずれも外堤下半が外傾面を持つ、江蘇省・浙江省の南朝時代青磁硯に多い形態である。

隋唐代に至っても、福安県渓北村唐墓出土の青磁三足硯〔福建省博物館 1983〕、福州市朝陽区唐墓出土の青磁五足硯〔福建省博物館 1983〕のように、南朝の硯を受け継いだc種硯面形態の硯があるが、足がやや短くなるようである。一方、やや異なった硯もある。泉州市河市公社唐墓(唐咸享2年:671)出土の青磁三足硯23〔黄炳元 1984〕はe種硯面形態、福州市東郊唐墓出土の青磁五足硯24〔福州市文物管理委員会 1987〕はf種硯面形態であるが、いずれも下面は平坦であり、硯面の隆起に伴って上げ底となる南朝以来の硯とは硯面部の製作方法が異なっている。このような硯面部は華北の獣脚硯に倣ったものかもしれない。さらに、霞浦県沙江鎮古県7号墓(唐)出土の青磁四足硯25〔福建省博物館 1995〕はa種硯面形態のように見えるが、硯面周囲の窪みが乏しいことを除けば、唐代の厚底の硯の一種と捉えられよう。

このほか、白陶とされるものに恵安県曽厝村2号墓(隋)出土の白陶四足硯26〔泉州市文管会・恵安県博物館 1998〕がある。e種硯面形態で、硯面・脚部とも東晋・南朝の青磁獣脚硯と異なる。

広東省

広東省では、広州市5080号墓(東漢)で円形硯が出土している〔広州市文物管理委員会 1955、中国社会科学院考古研究所ほか(編) 1981〕ものの、三国時代以降には受け継がれない。また、窯での出土例は報告されていない。

獣脚硯は東晋代に登場し、大半が青磁三足硯である。その初期の例である始興県赤土嶺東坡1号墓(東晋)出土の青磁三足硯28〔広東省博物館 1982〕や高要県東晋墓(東晋建元〜永和:343〜356)出土の青磁三足硯〔広東省博物館 1961〕は、浅盤形の平坦な硯部(a種硯面形態)を持ち、江蘇省南京市象山5号墓(王閩之墓、東晋升平2年:358)出土の灰陶三足硯〔南京市博物館 1972〕に似ており、示唆的である。一方、広州市塘望岡3号墓(東晋)出土の陶製三足硯〔広州市文物管理委員会 1956〕や梅県畬江2号墓(南朝早期)出土の灰陶三足硯27〔広東省博物館 1987〕などは、浙江省・福建省などの獣脚硯に倣ったもののようである。主に東晋代にこのようなa種硯面形態が見られ、東晋・南朝早期には広州市先烈南路8号墓(南朝初期)出土の三足硯31〔広州市文物考古研究所 1998〕のようにb種硯面形態が見られる。c種硯面形態は少ないが、南朝早期の深圳市宝安県鉄子山12号墓出土の三足硯32〔深圳博物館 1990〕にはすでに見られる。しかし、掲陽県赤嶺口3号墓(劉宋)出土の青磁六足硯35〔広東省博物館ほか 1984〕のように、劉宋代のa種硯面形態の例がある。足の数も南朝時代の広東省では大半が3足であるのに、青磁六足硯35のようなはっきりした蹄足の六足硯は異例である上、法量も南朝時代の広東省のものとしては異常に大きい。あるいは浙江省などからの搬入品であろうか。また、南朝晩期の獣脚硯の報告例は乏しいが、羅定県鶴咀山磚室墓出土の青磁五足硯36〔羅定県博物館 1994〕は、足の数、および水滴足であることにおいて、南朝早期までとはまた異なっている。南朝晩期には浙江省などとはかなり異なる硯を生産し始めていたのであろう。しかし、外堤の形態は、受部の下が外傾面をなすものであり、江蘇省・浙江省・福建省のそれに近い。

隋唐代には、梅県畬江8号墓出土の青磁八足硯〔広東省博物館 1987〕に馬蹄足、連陽県陽山鎮李屋村古墓出土の青磁十足硯〔広東省文物管理委員会・華南師範学院歴史系 1961〕に水滴足がそれぞれ見られるので、馬蹄足と水滴足は南朝晩期にも並存していたのであろう。広東省では、南朝時代と隋唐代とで形態上の大きな画期が見られず、e種・f種・g種硯面形態も目に付かない。

広西壮族自治区

広西壮族自治区の獣脚硯は、大半が青磁である。

桂林市桂州窯では、南朝後期から隋代にかけての硯が出土している。硯面形態にはe種やg種、足の形態には蹄足(図4-40)と水滴足(図4-41)があるほか、圏脚硯(図4-43)も作られている。なお、桂州窯で図が公開されている獣脚硯は、外堤下端が下に延び、吉田のいうIII類に相当する〔桂林市博物館 1994〕。III類の獣脚硯は広西壮族自治区の特徴であり、唐以降の圏脚硯に連なっていくものと考えられる。

墳墓では、三国時代に遡る例は知られていない。晋代には梧州市晋墓出土の青磁三足硯〔覃義生 1989〕、平楽県銀山嶺140号墓出土の三足硯〔広西壮族自治区文物工作隊 1978〕があり、いずれも南京出土の晋代の灰陶三足硯に似ている。後者はb種硯面形態と思われる。b種硯面形態は藤県跑馬坪1号墓(宋斉)出土の青磁三足硯37〔藤県文化局・藤県文物管理所 1991〕までみられ、c種硯面形態は恭城瑶族自治県新街長茶地1号墓(南斉)出土の青磁五足硯38〔広西壮族自治区文物管理委員会(編) 1978、広西壮族自治区文物工作隊 1979〕がある。南朝時代までは3足であることが多いが、青磁五足硯38は5足であり、さらに融安県2号南朝墓(梁天監18年:519)出土の青磁十二足硯39〔広西壮族自治区文物工作隊 1983〕がある。後者は水滴足であるという点でも、ほかの硯とは異質といえよう。また、南朝劉宋代までは比較的法量が小さかったのに対し、南斉代からは大きくなり、また、南斉代までは受部の下が外傾面をなす広東以北の沿海地域の南朝時代に多い形態だったのに対し、青磁十二足硯39は外堤の下端が鉛直に延びる(吉田恵二によるIII類)。これは隋代以降の硯の形態に先駆けている。

このように、広西壮族自治区では、晋代には江蘇省などに近い傾向を示すが、南朝晩期以降にそこからの逸脱が見られる。この変化は広東省のそれと同時期に起こったかに見えるが、外堤下半が鉛直に延びる形態は、広東省よりも強い独自性といえよう。南朝時代に南方開発が進展する一方で、首都である南京が侯景の乱で荒廃するなど、求心力を失っていったこととも関連するであろう。

唐代には興安県紅衛村唐墓(唐貞観15年:641)出土の青磁八足硯42があり、III類e種で乳足がある〔李珍・彭鵬程 1996〕。

江西省

江西省の獣脚硯も、大半が青磁である。

窯からの獣脚硯出土例は、豊城県龍霧洲窯(東晋永和〜南朝:345〜557)出土の青磁三足硯46〔万良田・万徳強 1993〕、樟樹市昌付郷嶺上山窯(隋唐)出土の青磁六足硯〔樟樹市博物館 1991〕があり、いずれも乳釘足をもつ。また、唐代の例としては豊城県洪州窯址で獣脚硯〔江西省歴史博物館・豊城県文物陳列室 1984〕が、鉛山県古埠唐代磁窯で青磁圏脚硯50〔陳定栄 1991〕が、それぞれ報告されている。

墳墓からの出土例は南昌市青雲譜岱山西晋墓出土の青磁三足硯45〔江西省文物工作隊 1986〕から見られ、a種硯面形態と短い足が特徴である。b種硯面形態は南朝時代に見られ、贛県上高村宋墓(宋景平:423〜424)出土の青磁三足硯47〔贛州地区博物館・贛県博物館 1990〕は乳釘足、新干県金鶏嶺33号墓(南朝)出土の青磁三足硯〔江西省文物管理委員会 1966〕は蹄足をもつ。c種硯面形態は南朝から隋代に見られ、清江県潭埠2号墓(梁)出土の青磁四足硯〔江西省博物館考古隊 1962〕などがある。足の数は、南朝時代は3・4足が多く、最大は永豊県蟠龍山南朝墓出土の青磁五足硯〔彭適凡 1964〕にみられる5足であり、乳釘足や蹄足が多い。

隋代には清江県嶺西隋墓(隋大業7年:611)出土の青磁五足硯48〔清江博物館 1977〕のようにe種硯面形態や多足のものが現れ、広昌県古墓(隋)出土の青磁十一足硯49は水滴形の足に雲雷紋が表されている〔広昌県博物館 1988、孫敬民 1992〕。

このほか、南昌市張家山2号墓(南朝)では灰陶三足硯44〔南昌市博物館 1992〕が出土している。

以上、江西省の獣脚硯は南朝までと隋代以降とで足の形が変わることに気づかされるが、外堤部の形態は受部の下に外傾面を持つものが引き続いている。この点は沿海地域と異なる傾向かもしれない。

湖北省

湖北省の出土と報告されている獣脚硯は、いずれも墳墓からの出土である。

枝江市姚家湾2号墓・3号墓(東晋)からは、それぞれb種硯面形態の灰陶三足硯52・51が出土しており〔姚家港古墓清理小組 1983〕、武漢市193号墓(斉永明3年:485)ではc種硯面形態の黒陶三足硯53〔湖北省博物館 1965〕が報告されているが、このほかは大半が青磁である。

青磁獣脚硯のうち、a種硯面形態は鄂城県1276号墓(呉〜晋)出土の青磁三足硯〔蒋賛初ほか 1985〕、応城市楊嶺新四磚瓦廠一号墓(梁)出土の青磁三足硯55〔応城市博物館 1991a〕がある。b種硯面形態は南朝宋斉代の青磁製品に見られ、武漢市193号墓(斉永明3年:485)出土の青磁三足硯54〔湖北省博物館 1965〕などが指摘できる。c種硯面形態は、応城市高廟1号墓(陳)出土の青磁三足硯56〔応城市博物館 1991b〕、武昌馬房山磚室墓(隋初:581〜583)出土の青磁六足硯57〔武漢市博物館 1994〕がある。南朝時代にはほとんどが3足であり、南朝中晩期の武昌市水果湖543号墓〔湖北省文物管理委員会 1966〕以降、6足硯が現れる。青磁六足硯57では、硯面が高く盛り上がり、外堤の下端が下方に延びている。唐代の武昌市南郊444号墓出土の青磁十五足硯〔全錦雲 1984〕はg種硯面形態と蹄足をもち、また、同457号墓出土の青磁硯は、外堤下半の外面に獣面装飾の短い足を貼付している〔全錦雲 1984〕。以上の青磁獣脚硯を外堤部の形態から見ると、南朝時代には受部の下が外傾面を持つが、隋代には外堤中央に突線を持つ形態となっている。また、隋代には硯面が隆起しても底部があまり窪まない厚底形態となる。福建省においてみられた変化にやや似ている。

白磁の例は鄖県唐李徽墓(唐永淳2年:683)出土の白磁十五足蹄脚硯58〔湖北省博物館・鄖県博物館 1987〕がある。硯面部・外堤の形態は武昌市南郊457号墓の例に近い。

湖南省

湖南省の窯址では湘陰県湘陰古窯址で南朝時代の多足硯が報告されている〔周世栄 1978〕。

墳墓の出土品としては、長沙市黄泥塘3号墓(西晋末〜東晋初)で灰陶三足硯が出土している〔王啓初 1965、湖南省博物館 1965〕。

最も例が多いのは青磁であり、a種硯面形態は晋代の長沙市3号晋墓の青磁三足硯〔湖南省博物館 1959〕がある。b種硯面形態は長沙市野坡1号墓(南朝)出土の青磁五足硯〔湖南省博物館 1965〕など、東晋から南朝宋斉代にみられ、c種硯面形態は長沙市爛泥冲斉劉氏墓(南斉永元元年:499)出土の青磁六足硯〔湖南省文物管理委員会 1957、馮先銘 1958〕など、南朝から隋唐にかけてみられる。南朝時代には蹄足が多く、3足のほか、5足・6足も見られるが、南朝末期の陳代には八足硯も存在するようである〔高至喜 1981〕。外堤の形態は受部の下が外傾面を持つ。

隋唐代には水滴足が多くなるのが特徴である〔高至喜 1981〕。長沙市4号隋墓出土の青磁五足硯59〔湖南省博物館 1959〕や長沙市赤崗冲出土の三足硯〔王啓初 1965〕のようなc種硯面形態のほか、長沙市赤峰山2号墓出土二十足硯〔湖南省博物館 1960〕にみられるe種硯面形態、長沙市咸嘉湖唐墓出土の十三足硯60〔湖南省博物館 1980〕に見られるg種硯面形態があるが、f種硯面形態は知られていない。f種硯面形態が知られていないことは、次に述べる四川省とは好対照である。外堤部は中央に突線を持つものになっており、湖北省の傾向に近い。このほか、長沙市左家塘36号墓出土の青磁多足硯のように足に蓮弁紋を表現する例も知られている〔周世栄 1982〕。こちらは外堤部は受部の下が鉛直に延びるものになっており、広西壮族自治区や四川省の傾向に近い。

四川省

四川省では、墳墓よりも窯の報告が多い。また、南朝末以降のものに報告が偏っている。

成都市青羊宮窯址の1982年・1983年の調査では、窯が構築される以前の文化層から北周の五行大布銭などが出土した〔四川省文管会・成都市文管処 1984:131〕。これによって、窯の年代が隋代か、遡っても北周最末期であることがわかる。青羊宮窯址全体がこの時期に始まったとは速断できないが、北朝治下となった以後に生産が拡大したという想定はできそうである。青羊宮窯址の獣脚硯にa種・b種硯面形態は知られておらず、5足以上の多足のものが多い。おそらく報告された事例が南北朝末期以降に偏っているためであろう。c種硯面形態はわずかに知られ(図6-61)〔江学礼・陳建中 1956〕、f種硯面形態が大半であり、g種硯面形態の青磁硯65も知られている〔四川省文管会・成都市文管処 1984〕が、e種硯面形態は乏しい。吉田恵二はe種硯面形態も存在するとしているが〔吉田 1992:第7表3〕、報告に図や写真を伴っておらず〔翁善良 1984〕、e種とする根拠は充分ではない。足の数は5足から二十二足であり、水滴足が多いが、青磁十五足硯67〔翁善良 1984〕や青磁二十二足硯68〔四川省文管会・成都市文管処 1984〕のように蓮弁をあしらうものも知られている。なお、水滴足のものは足の数と硯の直径が比例しており、足の間隔がほぼ100ミリメートルと一定であるが、蹄足の場合は足を密に配置している。足の形態ごとの作り分けがこの時点ですでに確立されていたことが窺われる。また、外堤部は受部の下が鉛直に下りる形態であり、南朝の硯とは異なった様相である。獣脚硯のほか、蹄脚硯〔無署名 1989〕や圏脚硯も生産され、また、圏足の外面に貼花で獣脚を作り出す青磁圏脚硯69も知られている〔四川省文管会・成都市文管処 1984〕。

邛崃県固駅瓦窯山古瓷窯も隋唐代に操業された窯であるが、ここでもf種硯面形態の青磁五足硯64とg種硯面形態の青磁八足硯66が知られている。いずれも足は乳形のものが報告されている〔四川省文物管理委員会ほか 1991〕。さらに、この窯では「紅胎」と表現された遺物が目立つ。

以上の傾向は、報告された遺物量は少ないものの、灌県金馬六馬槽窯(図6-62)〔陳麗琼 1987〕、郫県横山子窯址〔林向 1966〕でも同様の傾向がある。

墳墓では、万県駙馬公社唐冉仁才墓出土の青磁十二足硯〔四川省博物館 1980〕が知られている。

このように、四川省には「紅胎」が目立ち、e種硯面形態の例に乏しい。これは江西省・湖北省・湖南省とは異なった様相である。四川省では、湘陰窯などと違い、c種硯面形態からf種硯面形態への型式変化が進行したからであろう。

河南省

河南省では窯での獣脚硯の出土が報告されていない。墳墓から出土する獣脚硯には、青磁のほか、灰陶、三彩、白磁などの多様な材質が知られており、隋唐のものが大半である。

青磁では、洛陽市北魏洛陽城大市出土の青磁十四足硯70〔中国社会科学院考古研究所洛陽漢魏城隊 1991〕が知られており、「これらの層位的な関係は明瞭であり、年代は確かで誤りない」〔中国社会科学院考古研究所洛陽漢魏城隊 1991:1094〕として北魏代に比定されている。しかし、e種硯面形態、外堤部下半の下方への伸び、十四足という足の多さは、いずれも隋代以降に見られる特徴である。報告では越窯の倣製品と解釈しているが、南方の類似品よりもはるかに古いことになってしまう。また、伴出の磁器類も、隋代とみなされるものである。したがって、青磁十四足硯70も隋代に比定されよう。安陽市活水村隋墓(隋開皇7年:587)出土の青磁十五足硯71〔安陽市博物館 1986〕や安陽市橋村隋墓(隋早期)出土の青磁十七足硯72〔安陽市文物工作隊 1992〕も、蹄足であることを除けば青磁十四足硯70に近く、これらを経て盛唐早期の鄭州市西陳庄唐墓出土の青磁蹄脚硯73〔鄭州市文物工作隊 1995〕に至ると考えられる。なお、青磁蹄脚硯73のような青磁の蹄脚硯は異例のものであり、白磁や緑釉・三彩のそれとは形態が異なる。蹄脚硯のアイディアを青磁工房で再現した作品であろうか。

灰陶では、鄭州市中原製薬廠磚室墓(盛唐)出土の灰陶十二足硯74〔鄭州市文物工作隊 1995〕は獣面を表現したもので、後述する山東省の隋代以降の硯に近い。洛陽市白居易故居遺址(唐:9世紀以降)出土の陶製硯は、圏脚硯に貼花で蹄足を表現したものであり〔中国社会科学院考古研究所洛陽唐城隊 1994〕、やはり山東省の例に近い。

三彩では、鞏義市孝西村唐墓(672〜706)出土の三彩蹄脚硯75がある〔鄭州市文物考古研究所・鞏義市文物保護管理所 1998〕。ほかの材質の硯に比べ、はるかに小型である。

白磁では禹県白沙172号唐墓出土の白磁蹄脚硯がある〔陳公柔 1955a、陳公柔 1955b〕。

河南省の獣脚硯はあまり報告例が多くないが、青磁は南方と、灰陶は山東省と関連が深く、三彩・白磁は唐代の華北地方の傾向をよく表している。

山東省

山東省の獣脚硯の報告例はあまり多くないが、すでに着目されているように、曲阜県宋家村窯址、泗水県尹家城窯址で特徴的な硯が知られている。すなわち、曲阜県宋家村窯址では足に貼花によって獅首人身や花蕾を施す獣脚硯があり、f種硯面形態がみられる(図7-76〜78)。また、泗水県尹家城窯址では脚に貼花で紋様を表す圏脚硯79が出土している〔宋百川・劉鳳君 1985〕。

墳墓では、兖州県旧関村土洞墓(隋)出土の青磁硯圏脚硯があり、圏足に貼花によって28個の足を表現しており、g種硯面形態である〔解華英・王登倫 1995〕。

山東省では外堤下端が下に伸び、ここに貼花の手法による装飾を施す例が多いことがわかる。また、朝鮮半島の百済にみられる獣脚硯も、山東省に淵源をもつと思われる。

山西省

山西省では、窯での獣脚硯の出土は報告されていない。

北朝時代のものとして、大同市小南頭郷北魏元淑墓(北魏永平元年:508)出土の灰陶白彩六足硯80〔大同市博物館 1989〕がある。南朝の青磁獣脚硯に似ており、江南製品の倣製品の可能性があるが、外堤の受部より下が直立することは無視できない。

隋代には太原市沙溝村斛律徹墓(隋開皇17年:597)出土の青磁圏脚硯81〔山西省考古研究所・太原市文物管理委員会 1992〕がある。貼花で力士と忍冬紋を施したものであり、山東省の隋代青磁に近いものといえよう。

河北省

河北省では陶磁製品の獣脚硯を見出すことができなかった。しかし、興味深い事例がある。平山県上三汲村北斉崔昂墓(北斉天統2年:566)では銅製の四足盤と三足盤が出土しているが、これらは底部の中央が上方に隆起しており、南朝のc種硯面形態の獣脚硯に極めてよく似ている〔河北省博物館・河北省文物管理処 1973〕。おそらく、南朝製品を真似た獣脚硯であろう。

遼寧省

遼寧省で知られている獣脚硯は数少ない。

朝陽県新荒地1号墓(韓曁墓、隋大業8年:612)・新荒地2号墓(隋)で陶製硯が出土しているが、いずれも硯面形態が漢代の硯を引き継いでおり、周辺に段を持つが外堤をもたない〔孫国平 1980〕。これに対し、朝陽市蔡須達墓(唐貞観12年:643)出土の緑釉蹄脚硯82〔遼寧省文物考古研究所・朝陽市博物館 1998〕は当時の典型的な小型蹄脚硯である。当時の遼寧は隋唐の高句麗征討の最前線であり、緑釉蹄脚硯も中央に倣ったものか、あるいは搬入品であろう。

陝西省

陝西省では、窯での獣脚硯の出土は報告されていないようである。墳墓からの出土例を見ると、北周以降のものがあり、材質も灰陶・緑釉・三彩・黒磁・青磁・白磁とさまざまである。

灰陶の例として、咸陽市の若干雲墓と独孤蔵墓(いずれも北周宣政元年:578)で出土した灰陶五足硯83・84〔貟安志(編) 1993〕が挙げられる。硯面の隆起(g種硯面形態)にもかかわらず底部は平坦で、そのため硯面部は極めて厚い。外堤外面に隆線をめぐらし、足には指の表現がある。西安市西北木棉五廠住宅小区19号墓(隋)出土の灰陶六足硯〔陝西省考古研究所・西安市文物管理処(編) 1993〕も同様であり、北朝末から隋にかけて陝西省に独特の灰陶獣脚硯が存在したことがわかる。

緑釉・三彩では扶風県周家南庄村隋墓出土の緑釉蹄脚硯〔羅西章 1986〕、乾県懿徳太子墓(唐神亀2年:706)出土の三彩蹄脚硯〔陝西省博物館乾県文教局唐墓発掘組 1972、京都文化博物館学芸第2課(編) 1994:85、103〕があり、いずれも口縁は外傾し、口径60ミリメートルの小型品で、e種硯面形態をもつ。西安市十里鋪337号墓(中唐)出土の三彩六足硯〔陝西省文物管理委員会 1956〕も、輪台に載ってはいないものの、外堤下半外面に型作りの短い足を張り付けており、同様の例といえる。

黒磁として、長安県南里王村13号墓(北周)出土の黒磁八足硯85が挙げられる〔貟安志(編) 1993〕。外堤外面に段をなして受け部とするところは南朝のそれに近い。口径が80ミリメートルであり、南北朝後半以降に若干見られる中型の硯といえるが、足が多く、また硯面形態が特殊である。陝西省独自の硯といえよう。なお、報告では八足硯とするが、図や写真からは十二足程度と推定される。

青磁の占める割合は少ない。西安市郭家灘隋田徳元墓(隋大業7年:611)出土の黄釉五足硯〔朱捷元・黒光 1965〕は、江西省南昌市出土の洪州窯製品〔范鳳妹 1996〕に似ているように見受けられる。西安市羊頭鎮唐李爽墓(唐総章元年:668)出土の青磁一六足硯〔陝西省文物管理委員会 1959〕は、足が壊れているため、蹄足の下の輪台の有無は判断できないが、器形を見ると、外反する口縁部など、白磁蹄脚硯のそれに近そうである。これらはいずれもe種硯面形態である。

白磁の硯は隋代の西安市郭家灘隋田行達墓(隋大業12年:616)出土の白磁蹄脚硯〔朱捷元・黒光 1965〕、唐代の礼泉長楽公主墓(唐貞観17年:648)出土の白磁蹄脚硯86〔昭陵博物館 1988〕があり、特に後者はかなり大型の例である。また、西安市東郊出土の白磁蹄脚硯(唐)〔陝西省展準備委員会(編) 1998:76、173〕のような小型品もあり、法量の分化が起こっている。e種硯面形態とg種硯面形態が見られる。

陝西省では、北周代に灰陶・黒磁の独特の獣脚硯が存在したが、隋代には江南に類似した青磁獣脚硯が現れ、唐代には緑釉・三彩・白磁の蹄脚硯が主流となり、法量の分化も起こったといえよう。

寧夏回族自治区

固原史索岩夫婦墓(唐麟徳元年:664)出土の緑釉蹄脚硯87が知られており、小型でg種硯面形態である〔羅豊(編) 1996:35-36〕。


4.おわりに

以上によって、東京国立博物館保管の青磁獣脚硯1のように多足化が進行し、また足に蓮弁をあしらう青磁獣脚硯を生産した窯として、湖南省湘陰窯と四川省青羊宮窯があることがわかった。ほかにも獣脚硯を製作した窯はあったであろうが、すでにみた各地での硯の形態とその変遷によるならば、両者からかけ離れた土地での生産は考えがたい。では、そのいずれが、本稿で話題としている青磁獣脚硯1の生産地であろうか。

湖南省湘陰窯製品の可能性がある長沙市左家塘36号墓出土の青磁多足硯〔周世栄 1982〕の足は、写真で見ると薄作りで奥行きがない。これは型から抜いた薄い足を外堤側面に貼りつけるのみで製作されているからであろう。一方、四川省青羊宮窯出土の青磁二十二足硯68の足は立体感があり、足の後面に補強土を当てていることが、青磁獣脚硯1に共通する。

外堤部の形態を見ると、青磁獣脚硯1は外堤下半がやや外傾するが、下に延びるさまは、沿海地域や長江中流域よりも、どちらかというと四川省や広西壮族自治区の隋代以降の特色に近そうである。

さらに、青磁獣脚硯1は露胎の部分が赤く発色しているが、これは「紅胎」が多く報告されている四川省の製品である可能性を支持するであろう。

したがって、青磁獣脚硯1は四川省の製品であると考えられる。

その場合、青羊宮窯の編年で隋代に比定された11号トレンチ2層出土の獣脚硯がf種硯面形態であることを考えると、c種硯面形態に当たる青磁獣脚硯1は、それよりも遡る形態であると考えられる。

一方、この遺跡の下層ではc種硯面形態で足の数が少なく、蓮弁装飾を持たない獣脚硯が出土している。下層からは西晋以来の遺物とともに北周の五行大布銭(574年初鋳)も出土している〔四川省文管会・成都市文管処 1984:131〕ので、埋没は6世紀後葉である。

以上より、東京国立博物館保管の青磁獣脚硯1の製作時期は隋代初頭、遡っても北周末で、6世紀の後葉か末に比定されるであろう。


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