98/06/11




ヒトツキ以上、間があいてしまった。

次第に環境になれるに連れて、
環境と自分との距離が、
近くなりすぎてしまう、

環境と自分とが、
対向して歩み寄ってきて、

そして、
環境の方が、
当然大きいから、

大きな気体に包み込まれるようなかたちで、
その中に取り込まれる自分、



気体の内側は、一通り堪能した、

私には私の世界があること、
私には守るべき私があること、
その私が守るべきものがあること、

そのことを今までの人生の中で、
もっとも痛烈に感じた2か月である、

各人が、自立した個性を持つべく、
理屈をこねさせたら、そこそことの、

なにやら、結局全員が基底に、
同じものをもっていることによって、

かえって個人がどうあるべきなのか、
見えてくるのかも知れないよ。



可処分時間がようやく作れるように、
なってきたようなようで、

それまでは、日にちをつぶしていくような、
今日が終わったら、また明日である、
そんな生活自転車操業、



甲府にいく、時期が近づいてきて、

そのことが非常に楽しみであり、
かつ非常に物寂しいような気もするし、

わくわくしている反面、
面倒なことも最初はたくさんあるのだろうと、
そう思いつつ、

でも、何かが変わるキッカケを、
与えられている自分は、
とりあえず、その機会を大切に、
すべきであるな、と、

またまた、教訓めいたものの考え方をしている、



先日、友人として相手してもらっている、
同期のひと、割と年上だけど、

その人に、

ぶらぶらするようなことをある程度しないと、
いいものはみつけられないよ、と言われて、

そんな、ぶらぶらするようなことを、
今まで自分は切り捨ててきたような気がして、

第一段階は、
まず自虐的解釈をはかって、
とりあえず落ち込んでみて、

でも、それは積極的ではなく、
そのあとは、
第二段階として、
むやみに能動的積極的になって、

訳もなく、とりあえず、
ぶらぶらさえしていれば良いかのようになり、



でも所詮は、第一段階の枠内、
婉曲的な自虐行為にすぎないらしく、



昔、どこかで聞いたらしく、
今、妙におぼえていることに、

「ピエロのO型」

自虐することが、平気であり、
むしろ話題の傾向として、

エスプリではなくて、自らを砕くことを、
いとわないユーモア、と言うべきもの、

などと、もっともらしくまとめてみれば、

それなりのかたちがあるものかのように、
見ることもできるかも知れない、



しかし、そうではなく、
なんかねじ曲がったプライドが、
それほどカドをたてずに表に出てこようとして、
あんまり成功していないだけのような気もするぞ、



そんなもの、さ。


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