98/06/11


ヒトツキ以上、間があいてしまった。
次第に環境になれるに連れて、
環境と自分との距離が、
近くなりすぎてしまう、
環境と自分とが、
対向して歩み寄ってきて、
そして、
環境の方が、
当然大きいから、
大きな気体に包み込まれるようなかたちで、
その中に取り込まれる自分、
*
気体の内側は、一通り堪能した、
私には私の世界があること、
私には守るべき私があること、
その私が守るべきものがあること、
そのことを今までの人生の中で、
もっとも痛烈に感じた2か月である、
各人が、自立した個性を持つべく、
理屈をこねさせたら、そこそことの、
なにやら、結局全員が基底に、
同じものをもっていることによって、
かえって個人がどうあるべきなのか、
見えてくるのかも知れないよ。
*
可処分時間がようやく作れるように、
なってきたようなようで、
それまでは、日にちをつぶしていくような、
今日が終わったら、また明日である、
そんな生活自転車操業、
*
甲府にいく、時期が近づいてきて、
そのことが非常に楽しみであり、
かつ非常に物寂しいような気もするし、
わくわくしている反面、
面倒なことも最初はたくさんあるのだろうと、
そう思いつつ、
でも、何かが変わるキッカケを、
与えられている自分は、
とりあえず、その機会を大切に、
すべきであるな、と、
またまた、教訓めいたものの考え方をしている、
*
先日、友人として相手してもらっている、
同期のひと、割と年上だけど、
その人に、
ぶらぶらするようなことをある程度しないと、
いいものはみつけられないよ、と言われて、
そんな、ぶらぶらするようなことを、
今まで自分は切り捨ててきたような気がして、
第一段階は、
まず自虐的解釈をはかって、
とりあえず落ち込んでみて、
でも、それは積極的ではなく、
そのあとは、
第二段階として、
むやみに能動的積極的になって、
訳もなく、とりあえず、
ぶらぶらさえしていれば良いかのようになり、
*
でも所詮は、第一段階の枠内、
婉曲的な自虐行為にすぎないらしく、
*
昔、どこかで聞いたらしく、
今、妙におぼえていることに、
「ピエロのO型」
自虐することが、平気であり、
むしろ話題の傾向として、
エスプリではなくて、自らを砕くことを、
いとわないユーモア、と言うべきもの、
などと、もっともらしくまとめてみれば、
それなりのかたちがあるものかのように、
見ることもできるかも知れない、
*
しかし、そうではなく、
なんかねじ曲がったプライドが、
それほどカドをたてずに表に出てこようとして、
あんまり成功していないだけのような気もするぞ、
*
そんなもの、さ。
もどる