2008 summer トップへ


櫛形山・茅ヶ岳 08・10・25と26
櫛形山 10・25 晴れ ☆
1850mP930〜頂上1030=1130〜P1200


頂上した展望ベンチから、北岳〜農鳥岳

 夜に大菩薩付近民宿でクラブOB会。ついでに昼間南ア櫛形山。2000m+のこの山の1850mまで林道があるというなら、そこまで行ってみよう。山梨県はこの数年道路整備が進んでいる。どうせ、韮崎から南下する高速のためで、南ア市までだった高速が、増穂まで延びていた。山の林道もガンガン工事していて拡張されている。
 Pから1時間で頂上。その下の見晴らしベンチで1時間休憩。北岳周辺が実によく見えるのだが、この時期はモノクロトーンだけで、面白くない。甲府周辺の低山というのは、なんだかなあ。

茅ヶ岳 10・26 曇り ☆
深田公園800〜女岩経由〜頂上1000=1200〜尾根経由〜P1300


雲の下、ようやく七合目くらいまでうっすら冠雪、今年は雪が遅すぎる

 別のOB会のハイキングに参加。深田久弥いにしえの茅ヶ岳に行こうと、そういえばこの山は中央高速から目の前に見える。確かに2時間で登ったのだが、富士山はこの日未明に冠雪していて白かった。南アは雲の中。でも下って夕方車で帰る頃に、甲府の町から見た富士と南アは山頂から見たのと同じだった。何のために登ったのか?そこに茅ヶ岳があったからか?



上越・蓬峠(よもぎとうげ)〜武能岳〜茂倉岳 08・10・18 快晴 ☆☆☆☆☆
蓬沢P530〜東俣630〜蓬峠900=930〜武能岳1030〜茂倉岳〜避難小屋1300=1330〜取り付きP1730


 蓬峠への道を、雪のない時に初めて行く。今回も谷口くんと一緒で、一台の車で奥のPまで入る。最初の一時間は河原の道で石がゴロゴロ。間もなく東俣出合いから山道に入って歩きやすい。7時頃下山者がいがた、小屋の夫婦。予約満員だから日帰り荷揚げらしい。
 今週も紅葉が綺麗だ。山道に入って、大周りで時間がかかるかと思ったが、案外簡単に蓬峠に出る。雪のあるときには散々苦労したものだが。

蓬峠への大周りトラバース道。標高1300m辺りの紅葉。傾斜の緩い斜面を辿っている歴史の道。向こうが主稜線。


振り返ってシシゴヤ頭からのなだらかな枝尾根。向こうピークがシシゴヤ頭


稜線に出ると緑一色。なぜなら樹木がないから笹っぱらの一色だけ。向こうにマッターホルンの大源太。標高が低いからここからでは見栄えがしないが、しかし槍に本当によく似ている。スケールも同じくらいか。そうそうちなみに、大源太がよく見える日帰りのハーブの湯(岩原)が、この時期営業閉鎖になっていた。脱サラで民間温泉を始めたのだが、地元の村営風呂にいじわるされて客入り悪いか。この露天は大好きで、岩の湯よりずっと好きだったのだが。

 稜線沿いに武能岳に登る。春にはこの高度差200mが実に難儀でいつもパスしてきた。モナカクラストをアイゼンで歩くには、コースタイムの倍はかかる。ゴツゴツという屏風のような稜線の最も奥のピークが頂上だった。

蓬からの武能岳はやはり屏風のように要塞を構えている。今の時期は本当にすぐそこで、簡単にたどり着く。

 しかし、この上越稜線というのは、本当に不思議なのだが、森林限界が1400mにある。ここはヨーロッパかアラスカか。稜線に出ると笹っぱらだらけで、視界を遮るものがない。標高1700m辺りの稜線なのに、北アルプスと同じようにずっと展望がある。北アよりも1000mも低いのに、どうして植生も展望も同じなのだ。しかも植生の豊かさで、水場がどこにでもある。沢に豊富に水が流れる。山は女性的に穏やかだ。爽やかだ。潤いがある。先週の瓦礫の妙高に比べれば雲泥の差がある。縦走するだけなら2泊3日なのに、そこに無数の岩と沢とスキールートがある。危険度をいうなら、一ノ倉沢に勝るものはない。どか雪も妙高に劣らない。上越国境は日本で一番素晴らしい山域だと思っている。

ひょえ〜、こうした俯瞰写真撮ると、おいここは黒部かよと勘違いする。下部に隠されたゴルジュの上は、何と開けて雄大か。小さな小屋が蓬の小屋で、向こうに七つ小屋山。清水峠はその右奥だ。その向こうの稜線は巻機山で、その右奥は尾瀬の方になる。笹っぱらの中に登山道が続く。

 武能岳で、後続爺さん二人に追いつかれたが、二人とも同ルートの下山。私たち欲張ってそのまま進む。秋の弱い日差しだというのに遮るものがなくて、夏山のように暑い。たまに涼しい風が吹くのが有難い。200m下って、400m登って茂倉岳。その間思ったよりも細い稜線だが、笹っぱらに切り開かれた道が、どこまでも遠くに確認できる。主稜線の登山者もスカイラインに動いている。

茂倉の登りから振り返ると、笹平のキレットを挟んで武能岳。まさか大キレットじゃあ、ありませんが、大きな景色ですねえ。


茂倉辺りから見る、万太郎側の谷川岳オキとトマの耳二つ。こちら側はなだらかですよ。向こうに崖ははみ出して、一ノ倉側ですね。

 すぐ下の避難小屋の中で涼む。学生3人が早くも宿泊の用意をしているが、昼飯を食って出る。下山道は前にも通ったことがあるが、下りにくい。1400m辺りで大松が稜線の真上に出てきて、その根っこが道を塞ぐ。こんなに難儀な道だったっけか。それが終わるとブナ林になる。過去伐採された後の40年程度の植林ブナだろう。あとは下り易くなってPに出る。奥の一台も回収に行く。



妙高山 08・10・12 快晴 ☆☆☆
燕温泉520〜麻平〜妙高山1130=1230〜大倉分岐〜長助池1430=1500〜燕P1800

 
 紅葉時期に人気の妙高。今日も谷口くんと行く。妙高は初めてである。

朝方のどんよりした低い雲の上に、青空が見えだした。中間の雲を挟んで上下が快晴。

 燕から標識なりに北地獄道を進むが、道が崩れているとトップが戻ってきて、続いていた紅葉大集団も引き返して、河原の湯〜麻平経由で登り始める。地獄の川を渡る橋は、2年前建設の大きな橋になっている、30分ロス。地崩れ工事で危なっかしい仮設階段を上って、麻平。そこから地獄谷上部にでて、噴火カールの斜面から妙高の稜線に出る。紅葉が綺麗だ。

地獄谷上部は、紅葉トンネルの中のガラ場。上空に妙高山。

 妙高稜線は普通の山と同じように、笹が覆いかぶさっていた。2100mを越えると、三田原山の外輪山が高くなってきて、今日はこの外輪山とカルデラ見学が大きな趣旨でもある。

実は紅葉の色付きよりも、ダケカンバの白い幹の方が目に眩しかったり

 登山道はだんだん急になっていて、火山岩の凸凹稜線をだどってようやく頂上。手前の頂上と奥の頂上に合わせて百人以上も。大休止で弁当。

頂上周辺は紅葉も色あせて、遠景左が焼山、右が火打山。妙高頂上は緩斜面が広がっている。

 予定通りに稜線をそのまま向こう側に下る。ゴツゴツ河原の急斜面を1時間以上も下って、大倉分岐。この辺りまで来ると、三田原山が真上に覆いかぶさるようになる。さらに下ると長助池。カルデラのど真ん中の静かなところだ。誰もいなくなった。

長助池周辺のダケカンバの真っ白

 そこからが、案外長かった。後ろから大集団に追い付かれたりして、大倉沢を渡って麻平で周回したことになる。その先で暗くなってPに戻る。一人遅れていた大集団は、山口県からのバスツアーということで、連中も真っ暗になるなかで、ガツガツ登っていた。下った燕温泉の一軒で日帰り温泉。



白馬大池〜風吹大池 08・10・5 晴れ〜雨
蓮華温泉530〜白馬大池1000〜天狗平1200〜風吹大池1500〜蓮華温泉1820


 紅葉を見に蓮華温泉スタート。にしても、ここって遠いなあ。Pにたくさんのマイカーがあるが、温泉客のものがほとんど。登った人は10人足らず。
 少し登ると、雪倉岳、朝日岳が大きい。いつも白馬や、蓮華から見下ろしてしまうとつまらない山だと思われがちだが、春スキーをするものに、この山は重要である。低い蓮華温泉側の尾根から見上げて登る。真ん中に赤男とか、左に鉢ヶ岳とか、似たような山が続く。着き当たりは小蓮華の裏側。

池と小屋と付近の紅葉


人工湖(ダム)と、自然湖を見分ける簡単な方法がある。人工湖なんていうのは、水の増減で5m、時に10mも水位が変わるわけで、しかも岸が不自然に斜めに急だし、砂浜みたいのがないし、水位の増減によって、そこが安易に岩や土がむき出して、まあ景観としては実におぞましい。黒四なんていうのもそうで、そんなものを有り難がっているのはただの観光客にすぎない。
 ところが自然湖というのは、さほどの水位の変化がなくて、でも自然の砂浜みたいのが少し残っていて、よりも、白馬大池というのは、200万年前の乗鞍火山噴火の自然湖で、しかも池の周囲に大きな変化はなかったのだろうし、流れ込む水はなく、地下水は不明だがないとされて、雪解けだけで、常時同じくらいに満水だとなれば、これは芸術品である。
 小屋の周囲には広葉樹があって、綺麗に色づいていたが、少し登ると、そこはハイマツの海で、ここは青々としている。
 遠方に雪倉岳と、朝日岳。先週末辺りは冠雪したようだが、すでに融けてしまっている。この時期降ったり融けたり、その雪解けで案外増水して沢が渡れないなんて言うことも場所によってはあるようで、冬の手前秋のいたずらは、なんだか面白い。
 写真の反対側は、船越の斜面とその向こうに小蓮華が見えた。


 午前中なのに昼寝しながらゆっくり。ゴロタ石が多くなって、白馬大池が近い。池に出てみると、ちょっと想像以上にすごいなあ。火山爆発の堰き止め湖となっているが、残雪だけで今の時期でも湖面は満水。しかもかなり深い池だ。春に見たことがあるのだが、雪が溶けるとこんなにコントラストがいいとは。紅葉も盛りである。客も多くなった。
 乗鞍へ登山道を行くが、ほとんど鬼押し出しの様相。浅間山と同じ。しかもそこから天狗っぱらへの下りも、ゴロタ石ばっかり。雪がないと凄いところなんだ。

実は紅葉なんてものは、15年前くらいに、ニューヨークの森の中で、10月下旬ころだったが、ポプラが真っ赤に色づいて、そのトンネルの中をフリーウェーが走っていて、日本にも春先に桜の満開の下を車の道が走っている場所があるのだが、その時のびっくりを凌ぐものに実はその後出会っていない。ポプラは葉っぱが大きいから綺麗なのかと思うが、それだけでもないだろう。ああいう驚きというのは、自分が幼稚だったことに多分に原因があって、実際の場面にもう一度出会っても、な〜んだ、なんてことになるとは思うのだが。
 私の逆コースの天狗原から乗鞍へ、ゴロタ石の沢状を登ってくる人がいて、紅葉のトンネルの中で汗をかいていた。私は下った。


 天狗っぱらで木道は二分して、風吹大池の方に行ってみる。いやな予感がした通りに、高低はないのだが、ものすごく長い道。私以外はみんなロープウェー方面へ。
 3時間かかって、ようやく風吹大池に着いたが、白馬池を見たあとじゃ、比べようがなく劣る。水もかなり少なくなっている。春さきじゃないと、見栄えがしないんでしょうか。

こちらは風吹大池、標高1800mで、先の白馬大池が2400mで、今日は1700mから2200m辺りが紅葉の盛りでしたね。


世間はこの時期紅葉のブームなんですが、だから何だとある意味開き直り。結局登山とは、同じ山に年間12回登ると、残雪も、盛夏も、紅葉も、積雪も全部に遭遇するというだけのことです。いや、それでチャンスを逃すというなら、52週間、毎週でも。んな暇がないという場合には、四季登山。つまりこうして、一度登った山に、季節を違えて「もう一回行きたい」と思った山が、あるいは同じ時期でももう一回とか、それが自分にとっての素晴らしい山というわけです。紅葉だけを、お花畑を、桜満開をという趣旨の登山は、実は好きではないんです。植物の趣味があまりないということかも。

 さらに蓮華温泉に下る裏街道を行く。16時頃からけっこう大ぶりの雨になったが、雨に煙る紅葉の裏街道も悪くない。この下りも長く、今週もけっこう疲れた。



南岳〜槍ヶ岳 08・9・27〜28 
9・27 晴れ
新穂高420〜槍平950〜1030〜南岳1510

 ようやくシーズンに向けて、リハビリ開始。谷口くんと2人で、日野くんがバイトしている南岳小屋に冷やかし登山。3年連続。
 スタートした頃、満点の星空。客もちらほらいるが、まだ紅葉には早いとかで、案外すいている。のんびり登る。
 槍平に近くなって、後続が少しずつ。ここでやる気のない小屋のラーメン食って、南岳に向かう。

上部に出ると風が強い。15m毎秒くらい吹いていて、何枚も着込む。南沢上部のカールを回り込むあたりは、迫力ある風景の中を進む。2年前は積雪の中を歩いたものだ。ようやく小屋に着くと、気温は−1度。小屋の風力発電もよく回っているから、体感温度はかなり低い。でもテント泊も7張りくらいいる。

 5時過ぎの夕飯食ったら、何の余裕もなくて睡眠。小屋30人ほどだから、ベッドもすいている。日野くんは元気そうだった。寝た後に、綺麗な夕焼けが見えたらしい。その後強風だったと聞く。本日ここまで11時間もかかっているわけで、リハビリに課題が多くて、わくわくする。

9・28 薄日〜強風
 小屋700〜槍ヶ岳1000=1130〜飛騨沢下山〜槍平1500=1530〜新穂高2000

 昨日の夜から寒いが、ベッドは暖かかった。12時間くらい熟睡した。朝、強風である。曇りなのに日の出を見に外に人が出ているし、耐風姿勢を取っているわけでもないと思って、少し安心する。気温−2度。水道管も凍っている。風は昨日と同じくらい。
 小屋の朝飯はゆっくりだが、ゆっくり出発。とりあえずキレット展望台から景色見て、南岳山頂へ。このくらいの風なら進むかと、槍ヶ岳へ。

この稜線は初めてで、左右にカールが大きく展望は満点。飛騨乗越も通過して槍山荘。久しぶりに穂先に登ろうと思ったら、夏の穂先は初めてかもしれない。最後の梯子は案外急で、ちょっとプレッシャーがあった。怖いところだ。相棒は棄権して下で待つ。登山道とは言っても、岩登りの基本がある方がいいみたい。

大喰岳辺りから見ると、よくぞ崖っぷちにへばりついている槍山荘と、その向こうに崩れそうで崩れない大槍は、何とも不思議な風景。4年前くらいの4月に、よれよれになって、手前の飛騨乗越から小屋に登ったけれど、この屋敷みたいな小屋の冬季小屋を探す気力もなくて、どうにか槍沢へクライムダウンしてから、滑り下りたこと思い出します。雪がある方が傾斜が急に見えますよ。
 飛騨乗越から上に登山道周辺はテント場として整備されていますが、こんな吹きさらしは真夏だけは無風で展望台テント場でしょうけれど、南岳のテント場もそうですが、普通は樹林にテントを張って、強風でも一気に森林限界上の登頂というものですが、今の季節もすでにそうなっていますが、条件のいい時だけのテント場して、すいていれば快適なんでしょうね。


穂先への登行は20分くらいなもんだが、半分くらいで小尾根乗越て向こうに出たときに、目の前に小槍が迫っていましたよ。あせって登っていると見逃してしまうんだが、「♪小槍の上でアルペンダンスを踊りましょう」なんていう歌を思い出して、小槍周辺のクライムブームだった時代、いつでしょうか60年代ですかね、そういうふうに邦訳したらしいですよ。優雅です。こんなところ本気で登っていると、パンツ一枚で気がふれたように、踊り出すんでしょう、人間の心理は。そういうのって、好きです。
 よくのぞき込めば、ここから千丈沢へこの季節でもあるいて下れそうな道はあるんですね。やりませんが。まあ、危険が大好きな人が大槍の登山道にしても、こんなところで遊ぶんでしょうと、自画自賛。



穂先の頂上、こんなものだっけ。なにしろ20年も前に登ったきりですから。落ち着きませんねえ。急な梯子登ったら、そこが頂上でした。しかも登りの梯子と下りの梯子が並列に二つ掛けてある。シーズン中はこんなところで大渋滞するわけで、プレッシャーが大きすぎる。
 落ち着きませんねえ、そこにいた一人に「急だねえ」なんて話しかけないと、潰されそうですよ。でも5分くらいうろうろしてました。北鎌方面へは、そうそう眼下のルンゼから登って来たわけで、まさかここからそこを下るには、ザイルなしじゃ、ちょっと嫌ですね。尾根は北鎌独標が向こうに高いです。西を見れば、やはり硫黄尾根というのは、ゴツゴツだけれど、標高はかなり低い。東は、東鎌の両脇に、右に槍沢、左に天上沢で、どっちも広いカールが広がっていましたね。天上沢方面は、もう湯俣川からは登れないようになっていて、大天井岳から下るなんて非能率なことしないと入れないようです。
 いやそれでもしかし、槍の頂上というのは、播隆上人の時代から人気は相変わらずに、素晴らしいところです。



三俣蓮華〜双六の雲上のカール
 さて、左に高いのが黒部五郎。稜線は大カールを一旦下って消えて、右端の三俣蓮華へ続いているわけです。自分が歩いたルートなんですが、この辺りを遠望して特定するのは、何とも難しくて、昨日南岳の小屋番ガイドの先生に聞いて、ようやく百年の疑問が理解できたというわけでした。
 有名な三俣から滑降して、モミ沢の登り返しというのは、崖下の右下に消えています。よりも三俣から左は丸山でしたね。見ると三俣よりも大きい。丸山を越えると、手前にカールは簡単に降りられました。そこからもう水平に双六寄りに歩くと、眼下に双六小屋。小屋は見えませんが、左なだらかな双六岳からさらに手前になだらかな尾根の手前下に小屋があるはずです。この辺り雲上の楽園です。



さてこの1枚はどうしても必要で、中央は蒲田川左俣の源流部ですね。私たちは、4月に双六小屋から稜線の斜面から大ノマ乗越へでたつもりだったのですが、全然距離が足らずに、モミ沢岳をわずかに越えただけで、この左俣源流を大ノマ乗越からの下降だと勘違いして滑り込んでしまったのです。結果無難に終わったのですが、こうしてみると飛んでも勘違い。双六小屋から大ノマ乗越へは、やはり双六谷をしっかり滑り込んでから登り返さないと辿りつかないものでした。しかし終わってみれば勘違いも楽しい。

 小屋に戻って、弁当食って、飛騨沢下山にする。だらだらゆっくり下って、槍平で何か食おうと思ったら、何も作ってくれない。なのにバイトは昼寝していて不真面目。コーラだけ飲んで下山継続。途中で落としもののシュラフ拾ってあげたら、白出しで探しに戻ってきた。すでに暗くなっている。お礼にドリンクもらう。
 小雨が降ってきたが、すぐにやんで、暗く静かな新穂高に20時。本日は13時間。深山荘の露天は22時までやっていて、ゆっくりつかって、早朝に帰郷。充実の二日間。




ノルウェー旅行 08・9・13〜20

08年9月13日(土)成田〜オスロ
 成田〜ヨーロッパというのは、午前中に出るね。米国便は夕方なんだが。ために早朝に起きて京成で出発。12時間かけて、アムステルダム。乗り替えてオスロ(ノルウェー)。何で、こんな所へ。予約は3か月も前にしたから、理由は忘れたが、こう毎日暑いんじゃ、涼しい所へ行きたくなったというわけ。乗り替えのところで気温19度。現地に着くと相当涼しくて、明け方なんて、2度。冬だねえ。
 土曜の夜はやはりレンタカー屋が早々にしまっていて、近くのホテルへ。2,3度ネットでやりとりしたけどやはり正式に予約していなかったが、もちろん空き室あり。150部屋しかないホテルなのに、翌日午前4時から朝食レストランはやっているし、もちろん空港は24時間営業みたいだから、ホテルはいつでも動いていないとダメっていうわけだ。
 いまだにEUに加盟していない国だから、クローネなんていうローカル通貨があって、前の旅行の時に残っていたもので、タクシーでホテルへ。でも高いなあ。ホテルに着くと、空港シャトルがホテル前まで走っていて、まあそんなものでしょう。ターミナルが大きいと目的バスを探すのは大変だが、現地からターミナル行きを探すのは簡単だ、毎度のように、小さい所から大きい所を見る。
 旅行なんていっても、仕事よりも疲れるね、毎度。エコノミーの移動に耐えられなくなったら、もう遊びなんて無理になるってことかもね。現地のホテルに入るまで、24時間連続勤務みたいなもんだし、その間に1時間睡眠を5回くらいして、飯食いながら、禁煙で、なんだか過酷です。若いころは一人でこんなことやったけど、確かに一人客の日本人というのはいつも多いんだけど、もう妻同伴です、じゃなきゃ、こんなことやりません。
 晴れて明け方星も見えているけど、レンタカーフロント営業始まる時間目指して、また空港に戻ります。夜は9時まで明るかったけど、朝は5時じゃまだ暗いね。ここもサマータイムやっていますから、時差7時間で、標準時だとアテネと同タイムになっていました。
 実はこの国は、世界三番目の産油国で、だから豊かなんだとは、早合点というもので、アフガンだって確か産油国じゃなかったけか。ホテルからまた空港に戻るのに、空港シャトルバスに乗るのだが、こんなものが1200円ですよ、昨日のタクシー4千円も、ワンメーターとは言わないけれど、日本なら千円。日本のタクシーよりも高いバスってあるのか?ガソリンだって、リッター250円というのも本当で、ドイツもそのくらいだというから、EUはみんなこういうことだ。どうせ最低賃金も、時給2千円くらいだろうし、20年前、正確にいえば、88年から95年は、日本は世界一の円高と、世界一物価高の東京をバブルで謳歌したけれど、あれは本当にただのバブル、19世紀高のオランダのチューリップ球根バブルと一緒で、意味がなかったというわけだ。消費税も20%だし、これで物価高の世界一の福祉国家とは、旅行に出ると何事についても、カルチャーショックは欠かせないもんだよ。

9月14日(日)オスロ〜ロム
 山の方に進むわけだから、方向は北西ってことだ。ソグネフィヨルドが世界で一番大きなフィヨルドというのは有名なことで、東から標高1000mを越えて、分水嶺の向こう大西洋側に出て、その源流みたいな所に出て、また東寄りに、なんとかピッゲン(2400m)という国の最高峰を通過して、北のロムまで、400キロ。

まあ、よくある風景でさア、バルト海側というか、東から分水嶺を越えて大西洋の西側に出ると、頂上付近に湖がたくさんあるし、降りるとフィヨルドというのが、ノルウェーの風景なんだけど、1200mくらいで分水嶺越えて、その辺りの湖だったね。旅行で最初に出会ったものだから、車降りて撮影なんて思ったよ。

 まあよく見る風景の牧畜とか、氷河跡のカール地形とかね。老化したカールの中に町があるんだからねえ。ピッゲンの周辺は、標高1300mくらいなのだが、もちろん森林限界の上だし、感覚2500mくらいかなあ。だから頂上は3500mくらいで、今でも残雪は北アよりも多いね。ミディロープウェーの上と同じ感じかなあ。高山植物もさいていたよ。こうして北の方を走っていると、グランドキャニオンの北部とか、カナダとか、スイスもそうだけど、ここも、北海道走っているより北の感じがするね。
 にしても、昼飯にドッグ2個とペットボトル2個買うと、2千円というのには、ちょっと驚く。ちょっといいモーテルも2万円だと、アメリカの倍の世間相場。昼飯が最低時給と同じならば、日本は7百円で、こちらが2千円かね。こんな物価高のユーロ高で安定しているとは、日本はこれでも円安か?とびっくり。おかしいんだね、日本は露骨に円高を嫌うわけだ。自国通貨が高くなるのを嫌うというのは、トヨタが安く売れないというわけで、日本は世界の下請けの中国と喧嘩しようとしているんだろうか。何が間違っていると思うんだけど。そんなことばっかり考えていたよ。

同じところからの撮影だけど、こうして車で行けるところから、頂上付近に9月で豊富な残雪というのは、日本にはないなあと思うわけ。

 ところでレンタカーDクラスというのは、なんとプリウスでした。でもこの車、バッテリーが6割まで減るだけで、もう充電モードになってしまって、こんなの標高差で300m下るだけで、バッテリーフル充電になって、以降は充電ただ捨てているだけで、まだまだ改善の余地が大いにありますよ。ケチらないで、バッテリーゼロになるまでモーターで動かせばいいのに、何か勘違いしてますね。でも思っていた通りに、これはエンジンブレーキというのがなくて、充電機を逆回しするブレーキというのがきくわけね。下りじゃエンジン回転完全にストップするという、面白い構造しています。

こちらが、ノルウェーの最高峰辺り、なんとかピッゲンという氷河の山で2400mくらいだね。その脇を車の道があるけれど、1400mくらいまで登ったような気がするから、ここから標高差1000mというわけだ。ところで腕時計の高度計が普及して10年くらいになるけれど、車で山を走っていると、この高度計というのが相当面白い。日本でもそうなのだが、山に入ると今の時間を知る必要性よりも、高度がどうなっているかの方が重要ですよね。とうことで、カシオ計算機は登山に革命をもたらせた企業だと思っています。

 今日は山道走ったり、海面(フィヨルドの高度は海面と同じ)に出たりしただけだったけど、明日はフィヨルド横断フェリーとかに乗りますか。

9月15日(月)ロム〜ボルダ
 日米同時株安で、旅行なんかしている場合じゃないってか?いいえ、そうでもないんですけどね。
 そう言えば、昨日も今日も、田舎の道を一日中走っていても、信号が一つもなかったよ。どういうことか? ヨーロッパの交差点はロータリー式になっていて、特にここではそれが進んでいて、まあ全部ロータリーになっているわけだ。左ハンドルだから左側優先ということで、けれど左から車が来なければ自分がロータリーにはいって、右折、直進、左折を自由に選択できるってわけで、相手を待つというのがないから、早い。ちなみに左折というのは、右側、直進を通過して、左折、270度回転して左折するといわけで、日本でも教習所で習ったはずなのだが、日本には駅前ロータリーの一通しかないから、実践は皆無というわけだ。

フィヨルドを渡るフェリーのデッキからだね。世界一のフィヨルドはソグネフィヨルドで、海岸線から200キロとなっているね。他に大きなのが5個くらいあって、中くらいは50個、小さいのは500個あるかね、この国には。そうして道がフィヨルドで突き当たって終わるから、フェリーが都バスのように縦横無尽につないでいて、乗っても10分。車と客二人で1700円位だったのは、物価高のここで最も安い乗り物だったのかも。普通はバスツアーが多いんだけど、そういうバスもフェリーに乗れますよ。幹線は20分間隔で、田舎は1時間置きくらいだったか。「ええ?もうでるの」と連れの妻も言っていたけど、実に簡単。船がついて乗っている車が出ると、交互に乗り込んで、そこで係が来るから料金払っているうちに、もう出港。Pポジションと、サイドブレーキ引くのは当たり前で、それでOKというわけで、まあそうだよね。都合今回は7回乗ったような気がするのだが、一回のってメインランドの向こうに行ってしまうと、また何かに乗らないと戻れないと、そういうわけです。乗るたびに楽しいからいちいち車から降りて上に階段登って景色楽しむわけだけど、地元の人はアホらしくて車の中で新聞読んでいたけどね。売店があって、コーヒーやパン売っているから、それで朝飯にしていた人も多かった。日本じゃ、木更津〜金谷に数回乗ったことがあるけれど、あれよりずっと面白い。

 車の運転というのは本来楽しいもので、欧米では全くその通りなんだが、日本はトヨタが世界一売れているというのに、未だに車にコンプレックスがあって、すべての交差点に信号付けて、これじゃ楽しくないし、長距離の移動は無理で、日本のドライバーはトラックの高速長距離はあっても、マイカーはチョイ乗りを拡大できないってわけだよ。クルマ社会の失敗とはこれに尽きる。
 さて、昼飯2千円、夕飯5千円、宿泊2万円の日本の3倍物価高の、ノルウェーの経済構造と社会学は? そもそもUEの物価高はこの数年指摘されていることだし、そこに加盟しないというこの国、イギリス、スイスは、さらに小国なのに突っ張って合併しないわけだから、福島の人口500人の桧枝岐と一緒で、あんな奴らに富を合併されてたまるかというわけで、さらに優等生だということは分かる。
 20年前のノルウェーもそうだったが、この国はフィヨルドで西側の海岸線はずたずたになっていて、その横断に今でも都バスのようなフェリーが15分置きに往復していた。距離2キロ、10分ばかり乗るだけだから、車と二人で1400円とか、1800円程度で、さすがに公共交通は当たり前の金額なのだが、1日100往復で、1回に30台位の車バストラックしか乗らないとすれば、日の交通量が3千台。人口500万人で日本の20分の1だから、換算すればまあ納得なんだけど、久しぶりのこの国で、国内数100か所のフェリーは、いい加減に橋が建設されてつながったのか?とか、フィヨルドなんて少しは埋め立てて土地利用しているのかと思えば、実はそんなことは一切ない。世界遺産のこの光景の永久保存といえば聞こえはいいのだが、実はそんな理由じゃない。何が考えられるか?

ここが有名なロムスダールのトロール壁で日本からもクライマーが案外多いところだ。その辺中壁だから実際どれが有名なのかは分からなかったけれど、いくらでもある。でも壁だけの話になると、スイスの方が圧倒的な気がするのだけれど。ただここは海抜0mからスタートしているということに意味がありそうだ。

 どうせこんな雪国で生活するわけだから、人口も少ないし、大きな経済力もない。ただ地形だけを利用して、フィヨルドの部分的な緩やかな斜面で、牛、羊の酪農だけをのんびりやっていて、しかしそういう場所はたくさんあるから、一人で百頭以上の酪農をやっていて、今でも全土がそうなっているわけだ。羊毛もチーズも、高く売れればそれが田舎の商売になるわけで、通行止めのフィヨルドは船で渡ればいいだけ、埋め立てする知恵もないし、第一土地を人工的に増やすと何の利点があるのかといえば、百姓国家の日本では、土地本位で理由は問わずの領土拡大を東京湾で延々してきたのだが、そういう意味を全く持たないこちらの人には、湧いてこないアイデアだったし、できない。
 分相応で生活するというのは当たり前のことなのだが、本州四国の橋にしても、東京湾の横断道路にしても、日本の行政とは「赤字だからやってやる」という考えが支配的で、「黒字ならば民間がやるだろう」と、行政とは赤字商売とイコールと今でも考えている勘違いがそこにあるわけで、ここが根本から間違えていることだ。行政とは簡単に富の分配であって、金持ちの税金を貧乏人に分配するだけで、この分配赤字と、箱もの行政の赤字の区別がつかなかったのが我が国の明治以降の愚かさである。箱ものの赤字とは、営業利益が利息にも追いつかずに、将来永遠に渡って赤字を垂れ流すわけで、福祉行政の赤字とは、その場しのぎの赤字だけで、当人が死んでしまえばそれ以上の赤字は拡大しない。その区別がつかなかった。
 酪農と比較した日本の稲作は、どこまで行っても赤字なのだが、今米は10キロ3千円で売っていて、それは政府の買い上げ価格と同じなのだが、市販の価格が3倍になれば、日本の農家も少しはましになる。欧米の酪農というのは、米価3倍を実践できていることだけじゃないかと、思うわけだ。
 一層日本は税金ゼロ、富も分配しないで、格差がより拡大してもかまわないと思ってしまうと、案外楽になる。もともと百姓だけでも一生懸命やっていれば、食いっぱぐれることはないというのが、江戸からの日本の実例だったわけで、食えないというのは、キリギリスのように不真面目な性格の奴だけで、不真面目なのは餓死凍死してもかわまわないと言えば実に考えはすっきりする。実は日本の過剰福祉とはその正反対で、国民全員が生活保保護になっても面倒見ましょうという愚かさに支配されている。欧米は今でも「働かない者、食うべからず」であって、それは二宮金次郎の教えと同じだったのだが、もう日本では崩れた。敗戦コンプレックスが根底にある。
 どうせどこの国の人間も、個人の能力なんていうのは似たり寄ったり。行政や国家がまともであれば、世の中に先進国も後進国もないわけで、適当なところで均一になるのだが、それが均一じゃないとすれば、国会や行政にとんでもない汚職があるか、宗教がじゃまして、余計なことにお金が使われているかのどちらかで、普通に合理的に国家行政を実行すれば、よほどのことじゃない限りそんなことにはならない。だが、日本ではよほどのことば起きているわけで、それに気が付いていないというだけのことになる。
 海面に飛行場規模のソーラー発電を浮かべると、それは原発一機分の発電量になるとされているわけだ。国土に対して日本ほど海岸線が長い国はないわけで、これを実践すれば、日本のエネルギー不足などは簡単に解消できるのだが、どうせいずれ黒字になると政府はやらないし、東芝一社だけじゃ、なかなか無理で、しかし将来10年後をめどにすれば、できるのだが、やらないという阿呆の政策がここにある。
 道路を作りましょうなどは、実に簡単に安いわけで、たとえば成田空港が未だに満足に開港しないのは、ほんの数件の過激派百姓が土地を提供しないからそうなるわけで、そんなんことが過激派百姓の基本的な人権で、それは憲法で保障されているという考えが、敗戦のコンプレックスになっているわけで、これを解消できないことには、日本の土地本位のじゃ宗教はイスラム以下だと指摘できる。ターミナル空港の計画通りの開港のためで1億人の経済効果が期待されるのに、数人の百姓が邪魔することを優先するとは、やはり何度考えても理屈に合わないのだが、なぜか日本の憲法では理屈にあっていて、これじゃ、足カセが大きすぎる。
 道を作る時も同じで、百姓の米作とは1ヘクタールでも、年間に百万円しか売り上げのない非効率的な農業なのだが、これを10軒分借り上げれば、道は1キロできる。千軒で100キロ。普通これくらいの長さの立派な道ができれば、そのまんま東も宮崎に道がないとは言わないだろう。借地権で10億円。このくらいなら有料道路にすれば、毎年保障は簡単だ。それをやらずして、宅地並み売買と称する100倍の価格で買い上げようとするから、道路行政とは百万年過ぎても赤字を解消できない。フィヨルドに橋をかけずに、未だにフェリーだけで通しているとはこういうことだ。
 関税保護貿易をいっさいやめればいい。イモの関税1700%とは、100円のものを1700円で売っているということで、そんなことでまともな貿易とはいえるわけがない。農産品の輸入自由化して、日本の農業を壊滅させるのが、実は最も早い。どうせ石油だって皆無なのだから、食糧が皆無で何が悪い。敗戦当時に農地解放で小作人にタダで挙げた土地を再び有効利用しようというだけのことで、百姓とはそのただもらいの土地を宅地並みに売買して、一攫千金計画しているだけの、イスラム以下の不労所得を考えている。難しい政策じゃない。それだけのことで、かなりまともな国家になれると思うのだがね。
 
9月16日(火)ボルダ〜ベルゲン

実は車で夜に走るなんていうのは、普段は毎週やっているんだけど、旅行に出るとそんなことするのはアホらしくなってくる。何しろ昼間でも渋滞がないから。現地のトラック連中にしても、夜はちゃんと寝ているよ。どうせ夜間走っていても昼間は寝るわけで。
 朝の5時半に起きて、散歩で坂道の斜面を少し登ったら、夜明け頃にすでに船はライトをつけてフィヨルドを走っていたわけで、なんだか感動したよね。当り前だけど、船なんて公共交通だから24時間走っているのが当たり前なんだが、しかしJR山手線は深夜は止まっていることを思うと、やはり日本はどこか間違っているとも思えるわけだ。高速が夜間閉まっていたら山に行けないよ。

 プリウスという車は大いに困った。大体エンジンキーがない。セルはボタン。パーキングもボタン。走行性能は、100キロ辺りで、○Lという生意気な表示である。朝、船に乗る時にエンジンがかからない。ために一隻乗り遅れた。町の中にあったエイビスに戻って「どうしてだ?」運転手の無意識で判明した。フットブレーキを踏んでいないと、ボタン操作のセルが回らない。いまどき、Pで、サイドブレーキ引いていれば、キーだけで、オンさせるのが常識なのだが、この車は常識破りだった。ならば、レンタのオヤジが最初に教えてくれよ。解決すれば何もない問題だったが、プリちゃんはどうにも気難しい。けれど、千キロ走行で計算すると、L当たりで、25キロ走っていた。私のストリームは、こんな感じで、13キロだから、その倍。おもちゃのような、充電システムでも、倍走るとは驚く。改善すれば、3倍は走るだろう。これがトヨタの知恵か。


フェリーはざっと3000トンくらいのものなんなのだが、車はトラックやバス入れて50台くらい平気で乗る感じだね。真ん中の胴体部分が三車線になっていて、けっこうぎっちり寄せたりして、狭いところに接近するのは連中平気みたい。こちらは気になるけれど。

 さて、今日もガツガツ500キロも走ったが、この国の氷河は、0mから始まって、1500mくらいまで車で行ける。スイスは、1000mから始まって、2500mくらいまで。同じようなものだ。世界の自然遺産などは、米国グランドキャニオンと、フランスのミディロープウェーの上部と、この0mからのフィヨルドを知っていれば、もう地球上に他は知れていると言ったら、怒る人がいるんだろうか。私はヒマラヤもアンデスもアラスカも行ったことはないが、どうせ同じである。ヒマラヤは5000mでも雪がないし、そこから、8000mまで氷河があるなら、この国を5000m高くしただけじゃないか。0mのフィヨルドとは、ゴルジュの真っただ中で、800mまで登ればそれは源流の穏やかな地形がそこにあるとは、仕組みは黒部と同じこと。地球の50億年の地層の歴史などは、どうせグランドキャニオンの15億年前が最古で残っているだけで、ヒマラヤその他は、それよりも新しい。要するに、もうどこへ行ってももう驚くには値しないわけだ。
 ならば、何がアウトドアとして面白いんだろう。自分の足で登るという自己満足と、そこからスキーで滑ってくるという、それはもう個人の満足度でしかない。8000mのコレクターや、ヨーロッパの4000m峰、日本の100名山、黒部やミディロープウェーのパノラマ主義、70歳のエベレストツアー、どれでもいいのだが、私はそのすべてに知性が邪魔してアホらしい。個人の選択とはそんなもので、どこかに引っかかる誰かがいてもいいのだが、要するに価値ある自己満足の焦点がどこにあるのかというだけの話になってくる。そこがけっきょく楽しいわけなのだと、思うわけだ。インドその他の後進国で住んでいる人は何なんだ?そんな文化人類学には興味はない。考古学にしてもそう。興味があるのは今の社会学だけ。過去の歴史マニアの研究よりも、昭和史が重要だと思うんだけど。
 今朝は、30分早く起きて散歩してみたよ。斜面の上の方に明かりが見えて、人家が点在するわけだ。そこはどこか?と適当に登っていくと、散歩ならではの発見もある。そして朝飯に間に合うように戻ってくる。健康と発見と、それが面白いと思えばそれもいい。趣味とはそういうことだ。

(前景の人は無視して)
 実はミシュランのロードマップは、もう最初の旅行の20年前のもの今でも使っていて、しかも欧州全土80万分の1とは実におおざっぱなのだが、今回やはり行き止まりだった道がこの間に開通していて、ルートにないところも走ったわけだ。その途中に、この氷河といっても標高は150mのところなのだが、以前としてまだ残っていた、後退したとは言われているけれど



 亜熱帯の日本と、寒帯のノルウェーの自然遺産の違いはそれはいくらでもある、しかし住民の違いとは、根本はほとんど同じ中で、引きずってきた文化の転換が違うだけなのだ。公共投資といっても、赤字丸出しには投資しない国と、投資してしまう国。百姓の独りよがりを、社会資本拡充のためにどける国と、どけない国。「そんなことしたら、住んでいる人が可哀そうでしょ」というのは、政治の話じゃなくて、住民の意見である。政治とは住民の縮図なのだから。公務員の汚職におとなしい国とは、贈賄側の住民も、明らかに賄賂をもらってほしいという願望があるからである。行き着くところはすべてそれだけだと本当に思う。

フィヨルドの末端なのだが、いったいフィヨルドとは、内陸に200キロも入り込んでいれば、どのポジションで見学するのが最もエキサイティングなのかという話になるわけで、河口付近は山が丸くなっているし、末端はフィヨルドの規模が小さいといわれ、それなら中間部かという話になる。一本の沢のどこがいいのかと同じで、ゴルジュ帯がいいという人もいれば、源流がいいという人もいるわけで、末端もある意味ではいい。
 この撮影スポットに、年間1センチの隆起があると書いてあったのだが、本当かどうか。どこを見ても、水面から100mくらいは案外なだらかな斜面で、家も建っているように、斜面で羊を放牧して羊毛やチーズの農家が点在しているようだ。



 ヨーロッパとは、今でもギアつきの車に乗っている連中が多い。ベンツでもBMでもそうしているというのだから、どこか超保守で愚かなのだ。携帯パソコンなんてモバイルの時代になっているのに、連中はフル装備のデスクトップを持ち歩いている。道は細くて曲がりくねっているし(但し、そこを80キロで飛ばしても合法というのは、別の理解なのだが)、コンビニキオスクは少ししかないし、夜中に腹が減っても、食えるものは閉店している。くらべれば、日本のコンビニ、トヨタがGMをマネしてそれを乗り越えたことも、モバイルがあるのも、食い物のメニューも、すべては日本が世界一だというのは分かる。ただ、先の生活習慣が邪魔して、邪宗教になっているだけで、それが理解できないというだけのこと。それが実に大きく支配しているということ。日本人は誰もが6年英語を勉強しているのに、一言もしゃべれないという非能率もその一つ。こちらは、1年で、案外みんなしゃべっているわけだ。人口500万人の国民なのだから、母国語なんていずれ消滅する。そういう見えない気がつがない非能率が、とんでもなく多いという、そういうことだ、すべての結論は。
 旅行は、海抜0mからの酪農三昧と、大体ヤギ一匹いくらで売れるんだろう。一軒で、100頭のヤギ酪農している農家が多いんだが、5万円なら500万円、それ以上か以下か。まあそのくらいだとしても、稲作百姓よりは豊かなんだろう、なんて思いながら旅行していた。風光明媚なのはもちろんなんだが、だからどうした? 東京で暇つぶししているよりは、楽しいよね。
 
9月17日(水)ベルゲン〜セルジョド
 昨日のこと補足するけど、ベルゲンという田舎町が異様に人気があって、ホテルが満室。「予約しないでいくからよ」余計な御世話だ。連中どうも、1週間は滞在するようで、シーズンオンの5月からどんどん予約が入って、入りきれない人が9月のこんな時期まではみ出しても満室だといわれると、あっそうなの。30キロも離れたOSという町まで出て、そこでようやく空き室ホテルあり。ガイドは断られたホテルでもらった地図と、道路脇のベッドマークの標識。
 こちらは上品なのか臆病なのか、HOTEL表示も小さくてなかなか探せない。アメリカンスタイルの大きな看板と「空き室あり」のサインはない。しかも道の奥にあったりするのに、なぜか人気がある。ネットで探せる時代なんだから活用しない旅行者は、苦労するというわけか。200室くらいの大きなホテルで、オランダからの学会メンバーが大勢で泊っていた。
 さて今日も出かけるか。その前に、ピンクフロイドの某が死んだのニュースがあって、車のFMでも「狂気」LPから曲をやっていて、懐かしいなあと思っていたが理由はこれか。ビートルズの遅れた年代が、ピンクだの、ELPだのに凝っていた連中がいて、ストーンズ、ビートル年代には、今更プロレッシブなんてなんだ?と思ったのが高校生の頃だった。多感だったなあ、私も。ピンクメンバーは、人気としては決してストーンズ、ビートルは抜けなかったけれど、音楽性には特色があって、マニアには圧倒的支持があったのも事実。連中は60歳代で次々死んでいくが、薬やっていたとは断言しないけれど、まあそれも連中の人生だったか。
 旅行も後半になってきた。最初の数日はカルチャーショックで熱くなっていたけど、なんだか達観。昨日はフェリーに3回、今日は2回乗って、最後になった。

穏やかな昼下がりというか、フィヨルド沿いの道を走っていたときに、向こうからとこちらからと船が交叉していて、思わず少し感激。幹線は一つの航路に船が二隻交互に走っていて、そうなると20分置きくらいに船が出る。

 7年ほど前に瀬戸内のしまなみ海道に行った時に、そこはノルウェーに似ていると思ったが、今回も本当にそう思う。言った人はいないのだが、因島辺りは、海が広いか陸が広いか、陸の方が広いところもある。海は狭い海峡のようなものなのだが、あんな所が埋まらないというのは、岩盤の固さにある。こちらも同じこと、崖の岩と岩の間に家が建っているが、決して崩れないわけで、崩れるとしたら、それは1万年前に崩れているという話になる。どうもフィヨルドというのは、1万年で100m隆起していると紹介されていたけれど、本当なんだろうか? 1年で1センチの計算になるが、世代30年の間に、30センチ?だろうか、どうか。海岸線からの氷河と、しかもそれは住民の生活圏であって、ヤギじゃなくて、ヒツジなのだが、もちろん牛も馬も、牧畜ののどかであり、過疎のない田舎風景がノルウェーなんですね。

9月18日(木)セルジョド〜オスロ
 一人あたりのGDPで、ノルウェーは今世界2位だそうだ。600万円。日本は世界14位で、350万円。倍の値段の国にいるのだから、物価が倍の感覚がしてもおかしくはない。いわゆるモーテルに泊まっても2万円。日本やアメリカの3倍。だろうなあ。
 昨日の田舎町でも、6人くらいしか宿泊客がいなかったのだが、3人連れは道路工事の作業おじさんだったよ。大きなトラックと中型がパーキングにあったが、それなんだ。んなもの、車の中に寝ろとか、飯場で十分なんていう感じなのに、そんなホテルに泊っていてさあ、道路工事だから公共予算の下請けなんだろうに、その宿泊、食事まで経費ででるんだろうか?まあ福祉国家だから、工事おじさんが飯場で寝たとしたら人権侵害で、ホテルに泊まらせろというのも道理なんだけど、日本じゃそんな予算はつかないよなあ。すべてがその違いなんだろうねえ。
 思えば私が知っていたのは、日本バブルの88年〜93年辺りのノルウェーだったから、その頃は日本は世界一のGDP謳歌していたわけで、スキーなんてこっちで買うと安いなんて思っていた時代だったわけで、その感覚で過ごしたんじゃ、もう勘違いも甚だしい。
今日はもう最終日で、昼頃にオスロに戻って、午後は市内の散策。美術館でムンクなんて見たけど、あれは気持ちが悪いなあ。もっと古い時代の風景画に、かなりいいものがあったよ。まあ、都市というのはさほど面白いものがあるわけじゃないし、どうせ人口50万人の八王子程度の町だから、あと2時間も歩けば大体分かる。で、さっさと混雑避けて空港近くのホテルに入って、明日は午前中から帰国だよ。(戻ったら写真いくつかHPの方に、張り出しますね)。

9月19日(金)オスロ〜成田 免税 
 ゲートに入ってからタバコを買うと安いのは知っているが、町中の免税店で土産物を買って「免税」してもらうというのはよく知らなかった。大体税を徴収される貴金属ジャラジャラなんていう趣味はないからね。ところが、旅行中に三回土産物を買った時に「免税ですね」と言われて、昨日最後に買ったときに、親切な姉ちゃんが詳しく教えてくれた。空港の中に入ったら、「34番ゲートの近くの、タックスリファンドに立ち寄ってくださいね。このレシートにパスポートナンバーその他記入して」。いくら戻るのか。消費税25%の国で、その半分12%くらい戻るらしい。三回分で日本円で5千円と小銭。5万円も買い物したのか、しかも千円見当を50個も。
 戻ってきた樋口一葉の札見て思ったねえ。これじゃ、東洋は奇怪な苔の生えたクモの巣国家だと、こちらは思う。おかしいよ、女の日本髪の肖像なんてさ。いつまで続く、日本の富士山と芸者。
 昼前の空港なのに、早めに到着したから、中で2時間以上も暇つぶし。客は男も女も、毎度のように朝からビールLジョッキなのは、ドイツ系だからねえ。もしくは、ピザとコーラ。サンドイッチとビールなんて言うのも多いよ。んな連中が世界でいくらでもいるのに、私は東京で、「ビールの原因で痛風の気がありますね」とは、日本の医者の世間知らずと悪ふざけもいい加減にしてくれよ。一度旅行に出ると少し元気になるね。

9月20日(土)成田
 乗り換えで17時間も飛行機に乗ったのに、午前中に成田に着いた。機内にいる頃までは、「ああ日本人かあ」と敵対意識があったのに、出口でると、周囲全員日本人になるから、妙な安心感があるのは、やはり私は島国人ということになる。そうだよね、朝起きて一歩部屋を出ると、全員外人だらけの国じゃ、無意識に緊張感があるわけで、今度は起きても出かけても日本なんだから、熟睡できるし、昼寝も自由だとすれば、我が家が世界で一番くつろぐとは、毎度思うことだ。でもノルウェーのベッドは狭かったぞ。ヨーロッパは案外狭いんだ。アメリカはとんでもなく広いけれどね。しかし、共にウォシュレットがないのは、実に困ったもんだ。また思うよ、欧米でウォシュレット商売すると成功するよとね。
 でもどうなんだろう、世界はやっぱり英語が標準語になるんだろうと思うよね。イギリスしか英語喋っていないにも関わらずにね。機内で非常口のところにたまたま座ったのだが、スッチーが「英語喋りますか?」と聞いてから、非常口だから緊急の時にはお手伝いして欲しい、ポケットに大きな荷物は入れないでとか、説明していたよ。余裕ないから「ダメ、日本語」とは言えなかったけれど。言っても笑い話なんだけど。だからフランス人なんて英語喋れないと今でも自慢しているようだけど、この国は60年代までよかったけど、もう国は下降線の一途でしょ。母国語と英語は基本だとは、一層思うよね。なのに、私の友人も妙に中国語なんていう女の子がいて、共に英語でしゃべれと思っている私は、この理解いつまでも不明です。まともなヨーロッパ人は皆な英語喋るんですよ。
 で午後は早々に自宅に戻って、昼寝。なんだったんだろうねえ、この旅行は。いつも帰ってくるとそう思い、しばらくするとまた出かける。登山と一緒だね。




富士山 須走口から3060mまで 08・6・7 快晴・風強し ☆☆ スタート気温9度〜8度下山
 登山口P2000m350〜ブル道〜2550mから残雪あり530=550〜3060m820=900〜下山〜P1030

 シーズン三度目の富士山だったが、またして頂上断念。しかし来年も行くからね。前回不明だった登山口なのだが、残雪期のブル道から入って行く。すでにブルは8合目まで上がっているようで、道はしっかりしている。しかしブル道とはいっても、急登なんだよねえ。斜面まっすぐ上がっていくから、火山灰で滑る。1時間半ほどで500m登ると、ようやく残雪。スキーに履き替えた頃に、ボーダーパーティに抜かれた。スキーで300mくらい登って、雪渓横断しているブル道も横切ってさらに上へ。上に出ると、やはり風が強くなってくる。
 富士というのは、単調な登りだ。登りながら眠くなる。登りで眠くなるのは、ここと槍ヶ岳の飛騨沢くらいで、壮大にして単調ってことでもある。けれど、ブル道から見る富士は、すく脇の砂走り下山道から見たときよりも、傾斜が強いような感じがする。向こうは2300mくらいの森林限界に緩傾斜の砂走り広河原でのんびりしたところなのだが、こちらにはそんな休息場所がない。ガラ場が一つ違うだけで、違った感じがする。何しろ富士という壮大凡庸な山は、裾野面積だけ比べれば北八ヶ岳含めた八ヶと同程度だから、いろんなものが詰まっていてもおかしくはないのだが。

 3000mを越えたところで、風の強さに毎度のように嫌気がしてきて、岩かげでしばしの休憩。それも立ったままだと風除けにもならずに、横になっていると少々居眠り。自宅昼寝の夢を見てしまったが、気が付くと富士にいる自分に何だががっかりした。ボーダーパーティは根性で頂上目指していたが、その気力なしだから、ここから下る。富士には穏やかなそよ風というのはないんだろうか。
 9時に滑り始めると、3週前より相当雪も禿げている。登ったルートに忠実に下って行く。下りに問題はない。
 スキーも駐車場まで滑っていけなくなるとだんだんつまらなくなってくる。残雪も相当減った。P周辺も前回と同じようにまたガスになっている。しかし気温は明け方よりも下がっているというおかしな気象だ。今シーズンもいよいよおしまいになってきたか。
ps 駐車場付近には、まぼろしの滝を見学するという観光客が相当数来ているのだが、例によって案内標識が皆無でみんな道を間違っていた。今年地球環境サミットがあるのは分かるのだが、だったら富士のこの無意味な山崩しのブルを排除するのが先なのだが、誰も気が付いていない。




新潟・粟ヶ岳1293m 水源地〜 08・5・24 曇り ☆☆
加茂・水源地P・標高150m1000〜山頂1350=1410〜P1710


四合目あたりのベンチから、全景。左から北峰、中央峰、山頂の南峰。

 川高OB会で11人パーティ。午前6時川越バス出発と、気楽な日帰り。現地まで4時間。曇り〜雨の予報で心配したが、現地付近で山が遠望できて、どうにか大丈夫そうだ。山は何と言っても5月の涸沢〜穂高に勝る場所はないというS先輩もいるのだが、しかし、同じところに何度も足を運べばいい加減に飽きてくる。毎日ステーキが食えるか! というわけで、今回は無カロリーこんにゃくみたいな、粟ヶ岳なんて山にいく。5月になってしまったから雪もほとんどどけて、東京からわざわざこんな新潟の藪山にどうして? なんて思われても、3月だったら、積雪の要塞は、北アルプスにも劣らないと私は思っているのだが。
 北側の加茂の水源地から入る。スタートが遅いから、14時まで進んで下山するとした。貯水池から急登を登って行く。合目数が表示されている。登り始めでは山の全容も見えないが、半分くらいでついに見えてくる。北峰、中央峰、南峰とコブが三つあって、ふうむヤルンカンか爺ヶ岳みたいなものか。

 半分頃で、下山者がどんどんやってくる。真面目に朝登り始めれば、下ってくる時間になっている。それに新潟の山は、雪解けが進むと、ブヨが相当数攻撃してくる。ここは新潟のジャングルと言われる川内の山である。春のシーズンはそろそろ終わって、あとは秋のシーズンということだ。真夏にこんな山は登れない。

匂いコブシの白い大きな花。シクラメンのようだと思うのだが、違うかなあ。群落でいくらでも咲いていて、木を揺らすと花びらがどんどん散ってくる。

 上部の稜線も、北側から三つピークを越えて、南峰の頂上に出る。ただここはあまりに客の匂いがするのか、ブヨ攻撃がすごくて、さっさと少し下って、雪渓の上で弁当にする。いくらかブヨも少なくなる。ほんの20分ほど休んで、慌ただしく下山。メンバーのうち半数は頂上まできて、他は途中で引き返した。

北峰を過ぎてからの、コブシの花と、向こうに残雪。手前が中央峰で向こうが南峰。


山頂。向こうにかすんで守門岳が見える。

 この上部の稜線辺りは、匂いコブシの白い花が群落していて、どうにも気持ちがいい。ヒメサユリの草系の高山植物も少しあるが、イワカガミもキンバイのような黄色い花もあるが、やはり樹木の白い花には劣る。それにブナが実に青々としていて、わずか二か月で枯れ木のようなブナも一瞬にして大きな日陰を作っている。ただ狭い稜線のブナだから、下草も相当多い。

下山の途中からの7合目あたりの避難小屋。その向こうに加茂の平野。

 3時間で下る予定が、少し遅れて、バスは美人の湯に向かって出てしまって、入沢君の車でそこへ合流する。現地で食事宴会して、帰りのバスの中でも同じような宴会をやって、川越到着は22時30分。遠かったから仕方がない。しかしこの山行をきっかけに、新潟川内の延々と続く低山の夏のブヨジャングル地帯に、さらに興味を寄せたのはメンバーのうち数人で、他の人は二度とこんな山には来ないと思っていても、それはそれで十分にいい。粟ヶ岳は何と言っても川内の名峰であり、今度は3月に他のルートから登ろうと、私は思いを巡らせる。



富士山・須走口から3100mまで 08・5・21 ☆☆☆ 快晴〜ガス スタート気温3度〜下山7度
須走五合P標高2000m400〜2500m尾根〜鳥居がある小屋3100m830=900〜下降〜P1030

午前五時過ぎ、須走口2300m辺りからの富士全景。この辺りから見ると頂上なんてすぐそこに見えるのだが、まあ山が大きいからそんな簡単には頂上まではいけない。朝日があたって少しオレンジ色に見える。

 台風一過の快晴を期待したが、午前9時までだった。
 24時間開いている須走口がどうも便利らしい。しかも残雪豊富の報告で、今年も富士山へ。明るくなる直前に出発。何とも奇特なことに、夏道の神社鳥居をくぐって登り始めたが、わずか50m進んだだけで夏道不明に。残雪あるからシールで、樹林を縫って左上すると、30分ほどでブル道に合流。そうかあ、帰りはここを下ろう。須走口は2200mで樹林が終わって、朝やけの富士が穏やかに見える。目の前の下山道の大沢は頂上付近にまで伸びている。そのまま進んで、2500mくらいで右の尾根に出る。しかし雪が禿げていて、尾根と窪地の境を上がる。2700m辺りで、クラスト斜面の斜度が増してきてアイゼンに。その辺りから風が強い。

2700m辺りの小屋脇で休んでいると、下界といってもスタートの2000m五合目の辺りだが、すでに雲が湧き始めてきた。夏山と同じである。だけど1時間くらいさらに登っていく。

 富士は、快晴じゃないとザラメにならないし、風が穏やかじゃないと安定しないし、ガスに巻かれないようにしないといけないという三重苦。
 風速15m毎秒くらいで寒くはないのだが、ずっと吹かれていると、気分も滅入ってくる。しかもスタート地点付近にガスが充満。かといって9時まで待たないとザラメにならないわけで、休憩しながらゆっくり上がる。
 せめて3000mを越えないと富士に来た意味がないというわけで、鳥居がある小屋目指して進み、そこが3100m。風除けにして休んで、本日ここで終了とする。後続は誰も来ない。
 9時下降。綺麗なザラメが続いている。100mほどそのまま下って、右に大きくでて、砂走り下山道の真ん中に出る。先週末のトレースやシュプールが少し残っている。昨年も富士宮口から滑ったが、凡庸な富士もこの開放感はなかなかのものだ。途中休んだだが、ほんの20分ほどで、2200mの終了点。上部ザラメ、下部重いザラメ。

3100mから300mくらい滑ったところ、砂走り下山道の真ん中から上部。

 さて終了点で不思議に思ったが、ブル道には合流せず、三本見えた窪地残雪を間違えたらしい。左に夏道が見えたのだが、その向こうの雪渓を滑って降りると、ついに樹林で迷子になった。情けないことに富士の樹林は迷子になり易い。ために、朝方30分ばかりナビオンにしておいて、そこを目標に樹林藪こぎでトラバースする。30分ほどでようやく下山できた。下るとすでに夏道の土産物屋がオープンしている。観光客もちらほら。聞けば「スキーの人は、駐車場奥からブル道登っているよ」と、そうでしたか。しかもここから上部は一瞬にしてガスガス。しかし、下界25度の日でも、登山口2000mは、気温7度とは、やはり残雪富士には、大いに価値ありと再認識した。
 富士の樹林は要注意、青木ヶ原も同じようなもの。

また取りつきの下まで戻ってきました。5時ころここを登って、降りてきたのが9時半頃。この後、10時過ぎには頂上もガスに巻かれました。