クロカン・アドベンチャー

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くたばれ岩崎元郎



岩崎元郎は場末の地上げ屋か? 初心者ハイカー人気NO1は、礼文岳? 09・6・30
 問題が多い朝日新聞夕刊の丸投げ企画「火曜トラベル」に、どんぐり海坊主の岩崎元郎が、よせばいいのにまたぬ〜っと顔を出してきた。初心者でも楽しめる夏山の1位は、北海道の礼文岳なんだと?大体普通のハイカーで、この山知っているの? 毎度のように、どこかの旅行業者から賄賂をもらった岩崎が、とんでも自己陶酔でいい加減な山選び出して、読者騒がせる、阿呆な企画である。3年前の「僕の百名山」という盗作の愚か企画が半分で終了して、地下にもぐって静かにしていると思ったら、こうしてまた湧いてくる。どけてもどけても湧いてくるドブネズミだ。
 何から申し上げましょうか?このページの企画趣旨には、毎度のランキングが登場するのだが、しかし「夏山を安全に楽しむ」というタイトルなのに、1位礼文岳だけがどうにも異様で、2位立山、3位乗鞍、4位木曽駒と、2位以下はありきたりなのが続いていくわけだ。毎度根拠不明。一応書きだしておくと、5位阿蘇、6位鳥海山、7位八甲田、8位谷川岳、9位白山、10位大山というわけだ。これが四千人のアンケート結果だというのもはっきりとウソであって、こういうふうに答える人間は世間にいません。いや逆に、世界旅行はどこが好きですか?1位ヨーロッパ、2位アラスカ、3位中米……てなデタラメ順序並べたのと同程度。
 毎週このページはオヤジ旅行企画みたいなもので、有名うどんは、1位讃岐うどんみたいなことやって、半分笑いながら読んでいたが、これはちょっと笑って済ませられないと思うんだけどね。
 まあいつものように、2位以下は全部深田の百名山なのに、1位だけはそうじゃない。お前世の中に、利尻礼文に行って、礼文だけ登って帰ってくるのがどこにいるんだよ。本当にいい加減に作為的な山紹介だよなあ。
 そもそも初心者がどうやって礼文島なんか楽しむんだよ。自分で羽田〜稚内〜フェリーで礼文なんて旅行立てるのか?いや、どこかのツアーに乗っかって、しかし礼文なんか行く奴は、毎度の日本百名山特攻隊の爺婆なのに、んなものに初心者が紛れ込んで、それで登山どうやって楽しむ。しかも礼文だけで利尻行かないツアーなんて、世の中に存在しないんだよ。ヨーロッパと言えばモンブランに決まっているのに、いやモンテローザですからねという世間にも希な偏屈オヤジがこの岩崎というろーとるで、んな偏屈なこというのは、何故だ?モンテローザから賄賂でも貰っているんか?「はい、礼文島から賄賂貰っています」。
 稚内から礼文〜利尻へいくフェリーのぼったくりというのは日本中に有名で、一説に新潟〜小樽のフェリーと同料金と言われる。どうせ意地汚い北海道の北の業者が独占禁止法丸出しで平気でシーズン中にぼったくる。だから一度言っても、二度目に行く人はまずいないねえ、この辺り。しかも記事の中では女性レポが現地に行って紹介しているのだが、まあ朝日が記事にすれば、島そのものが顎足つきで迎えに来るでしょう。それだけのつまらん、その辺のエステのインチキ記事と同レベルですよ。
 大体ちょっと山知っている者に、前記の10番ランキングの統一性、根拠が何かあるんですが?デタラメというより他に評価の方法がない。あざといんだよ、岩崎という男も。北のへき地に客が欲しいと、賄賂貰ってランキング改ざんして、素人だましのトラベル記事だからねえ。
 しかも岩崎パラノイアは談話の中で、ハイキングの三種の神器は、靴と雨具と水と言っているのだが、まあこれにしても聞いたことないような三つの選び方だし、持っていく水の量にしいても、
「礼文岳なら1・5リットル。立山だと2リットルは欲しい」
 と、ちょっとさあ、北海道の離島の山と、富山の山を同じ話の中につなげられるんかね、話が分裂しているんだよ、これ。
 しかもまあ、礼文はフェリーを使う山だし、その他は安っぽいケーブルロープウェーの観光地ばかりだし、これを他人に勧めるというこの安っぽい神経も、お前は旅行社からの回し者だろう「はい、そうです」つ〜わけだよ。こんな場末の地上げ屋みたいのにハイキング語らせるなよ。




ぼくの新日本百名山 07・6・16
 安っぽい本が出来上がった。岩崎というおっさんがこの数年間大騒ぎして出来上がったものは、所詮この程度の、盗作本であったわけだ。「ぼくの」というタイトルを、誇大広告の中に小さな文字で入れたのは、さすがに世間の不評に耐えかねての、お茶濁しの結末だったわけだ。「ぼくの」をつければ、1億人全員が、同名の本を出版できる。
 このおっさんの数年間を見てみると、世間の縮図のような気がして、悲しさ通りこして同情さえ抱く。
 おっさんは無名であって、しかし登山好きな人だった。アマチュアというのは皆そうだ。無名であるからこそ価値があって、自由であり、自分本来の登山ができるということになる。イギリスから始まったアマチュアの無名登山という歴史は、フランスでガイドという職業ももたらしたのだが、やっぱり無名のアマチュアがいい。登山ごときを生活の手段にするというのは、どこか違う。他に生活するべき手段をもてないもの、過去は貴族の対極にあったもの、要するに山登りは好きだけど、歩荷や人夫にしかなれないものが、ガイドをやっている。多かれ少なかれ今でもそう思う。
 ところがこのおっさんは、ブームに乗じて、何をやってもいいから、保険金殺人をやってもいいから、有名になりたいという、実に愚かで世俗な根性を持ち合わせていた。だから深田久弥の盗作でもいいからと、こんな本を出版することになった。
 おっさんは登山の中でもメジャーになれなかった人だ。ヒマラヤに行ったわけでもない。蒼山会というハイキングクラブを作っただけのことだ。それはそれで立派なのだが、おっさんの人生の目的は、テレビにでて有名になりたかったというだけのこと。かといって、殺人事件の犯人になるほどの勇気もなくて、せめて自分の趣味周辺でどうにかなりたいという、裸になってもお笑い芸人になりたいという昨今の吉本芸人と全く代わりがない。
 んでもって、本当にこのおっさんに頭にくるのは、自分の無名熟の会員が、針ノ木岳で雪崩れて死んだというのに、全く他人事のような無責任さにある。こんな面倒見の悪いおっさんは世の中にほかに存在しないといっていいほどの、ひどい人。
 もう一つ、46都道府県の山を網羅したといっているのだが、登山と都道府県というのは、実は何の価値も相関関係もないことをこのおっさんは未だに分からない。山が大昔からあるのに、都道府県の歴史とは所詮百年でしかない。誰も頼みもしないのに、日本の行政に媚を売って、すべての自治体に恩を着せたつもりになって、昨今怪しく流行っているNGOを気取ったつもりで、こういうほとんど嫌がらせ程度のことに腹が立つ。深田久弥は言っている。「中国地方に登るべき山はない」。そうなのだ。岡山、広島、山口などには山などないのだ。
 まあせめて最近は混雑している夏山には、100人もの大集団の登山は辞めてくれという傾向があるのだが、このおっさんはどうせ構わず今でもそんなことやっているだろう。大名登山こそがいい迷惑でもある。まあこの本の発売でおっさんもハイキングガイドを引退して欲しいものだ。世間迷惑もいい加減にしてくれ。



06・5・28
 遭難死を率先した岩崎の不見識
今でも熱心な岩崎批判信者がいるものです。06・5・27日の毎日新聞7面「主張」欄に、岩崎が今年の春スキーの遭難に警告を発しているようです。そういう記事が掲載されていると教えていただきました。さっそく見てみます。しかし、今年5月の針ノ木雪渓スキー遭難死3人のうち、2人は、岩崎の「無名塾」の教え子だったのです。自分の学校の生徒が、こんな簡単なスキー山行で死んだというのに、この毎日新聞の彼の遭難警告の記事では「防ぎようがない」と、遭難を肯定している主張に、私も唖然としました。わが子が死んだのに「仕方がない」とは、これは本当のことか。笑わせるのもいい加減にしましょう。5月の針ノ木雪渓のこの雪崩遭難は、前日夜から当日朝にかけて、雨が降って、しかも気温23度と夏のようだったと記録されています。状況は最悪です。このような難しい登山には、ベテラン能力が必要だと彼自身言っているのに、死んだ人たちの登山経験は4年だそうです。わずか4年のものをこういう登山に行かせるのが無名塾のあり方なのです。死人を率先しているようなものだと読み取れます。しかも「仕方なく」死んだ代償には、「スポーツ保険に入れ」と結論付けているのです。笑わせないでください。金輪際まともな職場で育った経験もない岩崎に、昨今の仕事一筋だった同世代中高年の人生が分かるのでしょうか。死んでもわずかに100万円のスポーツ登山保険などは、君の客はそれ以上のことを通常心得ているものです。平均的に誰もが5千万円の生保くらいにはすでに加入しているでしょう。死んだってってそれくらいの心得はすでにあるのです。知らないのは、無能な君だけなのでしょう。
 そういう無謀で非情な無責任な登山塾とは、これがハイカーたちのバイブルとして存在して本当にいいのでしょうか。さっさと遺族は岩崎を訴えて、この遭難死の顛末はっきりしましょう。本当にそう思えるのです。
 岩崎の馬鹿さ加減は、新百名山で語りつくして、もうこれ以上関わりたくないと思っていましたが、この春のスキー遭難についても、これだけ馬鹿だと思わずまた加筆しました。おふざけもいい加減にしてください。せめて、側壁からの全層雪崩に対しても、防ぐ方法はいくらでもあります。本流登山のルートがあまりにまともな谷底とか、幼稚だったのではないですか。登山の時刻があまりに不用意な真昼間だったのではないですか。少なくとも、一回の遭難はこと細かく検証する必要があるわけで「仕方がない」とは、君の登山に対する不誠実以外の何ものでもないと私でさえ思うのです。





これだけは許せねえ! 05・01・12スタート  
朝日新聞水曜夕刊連載 岩崎元郎の「新日本百名山」

http://www.asahi-mullion.com/mullion/column/hyakumeizan/list.html
上記に過去掲載あるようです。

「天下稀に見る、稀有の盗作本」だと私が思っているのが、岩崎の「新日本百名山」である。
中高年の登山アイドルだと言われている岩崎元郎というオヤジが、おぞましくも深田久弥の「日本百名山」に対抗して、「新日本百名山」を発表している。しかし何のことはない、深田のものから大半を選択して、山口県だとか、広島県だとかこれまで選定がなかった都道府県のすべての山を強引に押し込んだだけもので、どこにも新しい百の名山の根拠がないのである。こういうくだらない企画を推し進めて、過去の名著のパロディ版みたいなもの作ったことが、実におぞましく許せない。私は本当に怒っています。少なくとも深田の名著は、昭和30年代に出来上がって、私も多かれ少なかれ影響は受けたものです。ところがこいつのは、それを盗作しているだけの、ぞっき本。こいう先人の偉業を舐めた野郎は本当に許すことができないし、目にするにつけ気分が悪くなる。従って、こいつの記事を見るたびに、罪ほろぼしとして、私はここに書いていくのです。
 岩崎元郎という人が、朝日新聞で「新日本百名山」というものを連載していますが、気になりませんか。これでは深田の意思を継いで、改訂したものかという混乱が生じます。私は深田さんの名著の盗作だと思って、実に不愉快なのですが。
1 本のタイトルには、元々著作権などは存在しないのでしょうが、それでは「新我輩は猫である」とか、「新羅生門」だとか、そんなものが出版界で存在するのでしょうか。
2 厳密に言えば、深田さんは日本の山の中から「百」を選んだことに意味があって、しかも自分で選定して、正しく「百」を選ぶことにこだわりを持って、その「百」を紹介することで、山に関心がない一般の人にまで日本の名山を普及させました。ですから、彼の「百」という数字「百名山」はとても意味がある言葉なのです。
 それを岩崎は、そのまま引用盗作して「新百」としました。物まねであることは明らかです。
2 しかも深田「百」のうち、どうでしょうか70座くらいまでを、そのまま並べているのです。しかも残りの30座というのは、広島県だとか山口県だとか、深田が名山なしとして、選ばなかったものを加えているだけ。選定としては実に愚かなものだ。
 問題は、名山の表記の仕方が、深田とまったく同じこと。山の歴史に触れて、自分が登ったことに触れて、地元での評価に少し触れるという、そういう表記の仕方こと盗作と認めうることができます。また部分的には、深田と同じことを書き並べているものもあります。
3 実は「名山」という言葉も、深田の造語だと私は思っている。名著や名所という一般名詞はあっても、名山とは普段は言わない。だからこれも盗作に値する。しかも「百」を、真似ていて、山一つをそれだけで独立させて並べるという方法も、深田と同じものです。
4 故意にこうした盗作をして、深田人気にあやかって出版物にするというのは、岩崎本人もさることながら、朝日新聞社というところも、実にデリカシーのないことをやっているものです。現在は毎週水曜の夕刊に連載し、後に朝日から単行本として出版する予定らしいです。名山の評価を、深田と混同させるものとして、実に不愉快な思いがしています。
5 せめて岩崎の出版物や新聞連載のタイトルを「岩崎(コオロギ)の選んだ日本の山」という辺りに落ち着かせたい。つまり誰でも、私にでも、自分が選んだいい山が、心の中にあるという、それだけのことだ。

(毎週の更新は、ここから以下のページになります)


自選の百名山 踏破の報告会 05・12・1
 岩崎虫の報告会が、この12月に渋谷で行なわれるそうだ。12月9日に100個目を登って、19日に報告会。定員が200人だってさ、少ない。
 朝日が「自選の百名山」という見出しに直しただけでも、少しの成長だろうかね。しかし「新百名山」というタイトルは未だに使っていますよ。
 誰もがブログを書くようになって、そういうブームが「新徒然草」(仮称)となる。自選の「新徒然草」とういのは、日本で100万件以上になって、今年一年で、その新徒然草の報告会というのが、各地で行なわれるようになった。まるで文春が高校生相手にやっている「文の甲子園」みたいな企画だね。
 そして徒然の報告会というのは、私のが最高だと誰もが思っているのに、有名人病を持っている多くの人は、黒木瞳の徒然がいいとか、ペヨンジュンの韓国徒然がいいよといって大騒ぎするのだが、およそ頭に薄い連中で、ほとんど関わりたくないと、私は思うのだ。
 普通はそういうのは放って置くのだが、たまたま私が吉田兼好(仮称)の大ファンで、新徒然は、冒涜だと怒っているというのが、現状だ。しかし分かりやすく言えば、ちょっと前に、タヌキ顔の俵万智という人が、人気短歌の本を出しただけで「与謝野晶子を越えた」と出版社はいっていて、この程度のことでは大笑いで済まされたのだが。これは笑って済まされない。私が几帳面だから。
 もしも、岩崎虫が黒木瞳のように魅力的であれば許せるのだが、なんだこのコオロギは。おだてられたサルは、木に登るというが、この人はおだれられなくても、一人でも見物人がいれば、木に登る。マスコミは何を間違えたのか、こんなものをおだててしまった。そんな者が、この12月で一年の結果をだしたのだそうだ。
 こんな子供の品評会程度のものは、隅で静かに、知られないようにやってくれ。目障りでしょうがない。その目ざわりもついに年末ですべてのイベントが終了してやれやれ。二度とこの愚劣で下品な男が、登山について発言しないように「だれか、虫けらの口にガムテープでも貼り付けてください」。


ついに連載打ち切りになったか 05・10・19
 岩崎のアホ連載は、本当に途中キャンセルで終わってしまった。さもありなん。アッパレ。(知らない人のために)。岩崎元郎というニセ登山者兼ガイドが、これまで朝日新聞に「新百名山」を、50座まで連載して、本当は100座まで行く予定だったのだが、先週の水曜日に打ち切りになった。(毎週水曜日の夕刊に連載していた)。私は、これに本当に憤りを感じていて、これは深田久弥の名著「日本百名山」の盗作だと断定していたのである。そうして、この50週間毎週のように批判して、私のHPの別コーナーで連載していたのだが、同じように批判的な人が全国にもたくさんいて、ついにそのプレッシャーの中で、朝日新聞は途中打ち切りを宣言したようなことになった。本日の夕刊にはまったく別の連載が始まっていて、それを今確認したところだ。本当によかった。しかしどうせ先方は「区切りのいい50座で辞めて、続きは週刊朝日で連載します」とか適当な言い訳するのだろうか、週刊朝日などは、すでにミニコミレベルの雑誌につき、そっちでは「勝手にどうぞ」という立場でもある。気分爽快、乾杯。
(以上は日記にも掲載)
 先週の「おわり」という1行は、本当に最終回の意味だった。
 そうですよ、岩崎君今後は百名山などという言葉は使わないようにね。だって100をちゃんと紹介できなかったわけだから。「オラが好きな山」でいいんですよ。キミはアホなハイキングの山と、深田の選んだ山の大半が好きなだけの、なにも優れたキャラもっているわけじゃないんだからね。身の程をちゃんと知りなさい。
 今週はキミが掲載していたそのコーナーに「日本音紀行」なんていうものが新連載になっているよ。よく分からん企画だけど、江ノ島紹介されていて、当たり前の文章だけど、「頼朝は戦勝を祈願して江ノ島に神社を建てた」とか、ほほそう、そんなのかいと、思わせる記事書いてあるよ。記事ってのは、まあ普通はそういう風に書くもんだよ。ところが岩崎お前のは、「僕はバスにのって、その山登ったけど、雨でした」という、子供の作文の羅列だったよね、毎週。それじゃ朝日小学生新聞に連載する程度であって、大人が読む記事にはなっていないよね。よく勉強しなさい、こういう普通の記事を。
 私の連載もこれで終わります。1年お付き合い有難うございました。パチパチ



富士山 3776m 05・10・12
「終わりみたいよ、いつも終わりって書いてあったっけ」
 夕方から夜にかけて仕事があって、夕飯くったのは夜の10時過ぎ。毎週水曜恒例の朝日夕刊を見て、
「なんだ、この百名山の富士山は?」
 と呆れて発声したところ、女房にそういわれた。ふむ、確かにこの連載が「終わり」なのか。どうしてだ。半分の50の連載終わったからか。評判が悪いことに本人も朝日もようやく気が付いたのか。盗作を自覚したのか。本当に「終わりなのか」。100を発表したまま未完成でも、朝日は岩崎からトンズラしたのか。それにしても、驚き、桃の木、山椒の木。私の怨念が通じたのか。
 当ったりめえだよ、こんな連載終わりなのは。見苦しいもんだったね。でもこうして安心してもいいのか、本当に。
 名山だといって、富士山紹介しても、日本中誰もが知っているよ。何の意味があるんかい?最後のぶっ飛ばし、思い切ってやろうね。
「ほかの山の山頂に立つたびに・・・」。キミねえ、頭痛が痛いのは分かるけど、でもさあ、こういうの、本当は校閲が直すんだけど、岩崎は直しができない先生かい?それとも、朝日もどこかのガラクタ編プロに丸投げして、自社で何も校閲しないんかい?ひどいもんだね、街頭のフリーペーパー以下になったね。「富士山を探して・・・」というのも、ウソですよ。富士は探さなくても、自然に分かる。見えたとたんに、この山だけは間違わなくてどこからでも判別できるんだよ。富士さがすなんて、この人近視?
 高校生の年代で岩崎は富士に登ったと言うが、雲海だとかご来光だとかの前に、疲れた、覚えていない、気持ち悪い、寒いなど、通常子供の登山はそういうもんだ。この人どこかでいつもウソ書いている。信用できないぞ、これほど嘘つきは。ウソつきガイドは客が命落としますよ。
 しかも今どき夏の富士に登るのに、三日かける人って本当にいるの?暇すぎる。二日目に、五合から登頂して、八合で泊まるってどうして?下りは速いですよ富士の場合。まあいいです、こんなへんてこな極地法考え出したんだね。
 アンタはどこか錯覚していたんですよ。「オラの好きな山100」というタイトルならね、何も問題なかった。でもその100のうち60くらいまで深田と同じなんだから、意味ない100なんだね。キミは本当に山が好きなんかい。もう一回自分の胸に手を当ててよく考えな。利尻にキミがいったときに、自分は登らすに、若いもんだけ客に付き添わせて、キミは下で酒飲んでいたのを見た人がいるんだよ。情けないねえ。
 にしても、この連載本当に終わってくれてよかったです。あんたは後世に残るような、大チョンボをしてしまいましたね。


恵山 618m 北海道 05・10・5
 タイトルだけを見たら、恵那山と見間違えた。めぐみやま?いいえ、えさんと読むらしい。函館の突端になる。わざわざ北海道からこんな低い山を?嫌がらせの選択なのか?
 岩崎の紹介文は、いつになっても小学生の遠足の域をでていない。遠足と世間から馬鹿にされるのは、そこに何の考察も入っていないからである。「低いけど、僕の気に入った山」。選択した理由はそれだけ。松嶋菜々子が、「私、ニコンのカメラが好きなんです」というのは、それは分かる。彼女が大人気のスターだから。しかし、キミが「この山が好きだ」といって、キミはスターなのか? 山に少し詳しいだけの、老いらくガイドでしかない。ほとんど無名。ならば、ガイドとして存在している理由として、どうしてその山がいいのか説明できる必要があるのだが、それがない。自分が好きならば、その一言で登山愛好家の万人を説得できるという、このトンチンカンな思い違い。それがキミの人生の過ちというもんだ。いつになっても気が付かない。
 掲載されている地図で見る限り、その地図も、山の三角マークが少し海にはみ出ていて「おもしろいじゃないか」と普通は思う。その山は海岸線の火山で、もしかして海岸線は断崖になっているのかと思うのだが、ちょっと検索した限りではそうでもない。どうして海岸が崖になっていないのか、知床のようになっていないのかと、不思議なのだが、キミは当然のようにそういうことはまったく書いてない。2年前に自分が登ったことだけ、いつものように延々とした作文、駄文の羅列。キミが紹介するにつけ、その山がほとんど必然のように嫌いになる。しかも最後には「ハイキングレベルで登れる」と自分で書く。おおよそそういう言葉の使い方は、見下しである。自分の客連中を見下し、馬鹿にして、そこから利ざやを稼ぐ。そんな悪徳ガイドが他にいるのか?いつまでたっても、こういう悪徳連載は続いていく。



大台ケ原 1695m 奈良 05・9・28
 パッパラパーの連載をまた水曜日に読む。見出し見て思う。「深田と同じ山挙げてどうするの?」。大台ケ原が名山なのは、誰もが知っていること。お前に言われなくても十分に分かる。
 冒頭、紀伊半島には大峰と台高の二つの山脈があると。お前そういうの「盗作」って言うんです。深田の文章丸写し。あのねえ、そういうのバレてもかまわないと思ってキミ書いているんかい。恥を知らないのかね。読者は全員と言っていいくらい深田の文章知ってますよ。クルクルパーに修飾なし。
 続けてまたもや。61年に有料道路ができたって言うけど、そんな大昔のこと書いて、どうすんのかね。40年以上も昔のことだよ。深田も、そう書いていたから、また真似たのかね。「二度目にそこ登ったときに、有料道路がある」と書いたのが深田でね。だからって、物まね、盗作を完璧にしなくたっていいのにさあ。貴方本当に訴えられると思うんだけど。
 そして何故か急に長野県のことを書いている。いまどきバスが文明の利器なんて誰も言いませんよ。私だって生まれた頃からバスはあるけどね。時代錯誤のはなはだしさ。ヘリに乗る話を書くならさ、ヘリでスキーやること「楽しい」って書きなよ。100週も連載するんなら、1回位いいじゃないかと思うけど。しかしキミは過去にタクシーに乗ることの罪深さ書いておいてさ、今日は「文明の利器はりようしましょう」じゃ、頭の中パーですか? しかし利器といえばさ、今は携帯かパソコンかカーナビのことなんだけど、バスが文明の利器なんて、大正時代の読み物書いてんのかねえと、頭おかしくなりそうだけど。
 残りは毎度おなじみの子供用の作文、読めません。目が腐る。どうせさあ、新聞1pも割いて山の紹介書くならさあ、もうちょっと気の利いたこと書けないもんかねえ。その山知っている人が呼んでも「へー」と思うこと書くのが紹介であってさ、盗作と駄文じゃ、無駄飯食いってもんだよ。



烏帽子山 909m 和歌山 05・9・21
 この連載も1年くらいは経過したのだろうか。毎週毎週嫌な思いが続く。あと1年も続くのかと思うと、いい加減にイライラするのだが、こういうおぞましい奴がいる以上、初めたからには終わりまで付き合わなくちゃいけないと思っている。毎週、時間の浪費みたいなものだが。
 それにしても、大きく掲載されている写真が、寝ぼけた写真である。どうせ過去に誰かが撮りだめしていた写真の中から選ぶだけなのに、ド素人というか、子供が撮ったようなへたくそな写真が今回も使われている。朝日の見識がないのか、岩崎がだらしないのか。掲載されている山のイメージがどんどん悪くなる。
本来、私などは和歌山の熊野の方にある、こんな1000mにも満たない山など、本当はどうでもいいのだ。最初から関心はまったくない。しかしこうした連載をやる以上は、そういうまったく関心のない読者に対しても「こや、こんないい山があるんだ」と、思わせることが必要なのである。しかしいくら岩崎の記事を読んでも、いつものようにまったくそういう思いにはならない。記事が下手なのか、岩崎は実は山登りなど嫌いなのか、売名行為だけなのか、着眼点がお粗末なのか。こんな記事を読んでいると、この烏帽子という山が、さらに嫌いになる。いっそうどうでもいい山になる。むしろ記事にしないで欲しいと、この山を知っているものは思うのではないのか。それほどお粗末な記事である。
 例えばシロウトが初めてヨーロッパにハイキングに行ったりすると、本人が舞い上がってしまうからなのか、やたらとカタカナのまったく知らない地名の羅列で、嫌気がさすことがある。地名の羅列というのは、朝、顔洗いました、歯磨きました、おしっこしました・・・と言うような駄作分のことで、「バス停を背にして、那智川下り、本谷渡って、東ノ谷に入り・・・」という、この岩崎の記事のことでもある。そういう無意味な、汚い、駄文は、いい加減によせと、ずっと前から私は言っているのに、こいつはちっとも分からない。地名など、仮名でもいいし、どうでもいいことだ。自分が舞い上がっているだけで、その他大勢はただ白けるという程度のもの。「新宮ホテルから・・・、大門坂バス停へ・・・、那智勝浦駅から・・・、熊野交通・・・」いったい、この報告ってのは、どういう意味があるのか。こいつは60年間も生きてきて、こんな単純なことすら分からない、薄ら馬鹿なのだろうか。きっと、そうだろう。
 さて記事にもあるように、こいつのネタ本の一つに「関西百名山」というのがあるそうだ。なるほど、群馬百名山もあるし、山梨百名山もある。ということは、46都道府県に百名山があると、日本に4600の山があることになる。その中から、勝手に適当に100を選ぶだけなのだから、この連載はくだらないものだ、やはり。
 そもそも熊野など、世界遺産に選ばれたのはいいが、地元地主がそれに大反対を今でもやっていて、その古道には赤ペンキで、まるで暴走族の落書きのように「世界遺産反対」だとか、「山を返せ」だとか、目も背けたくなるのが現状。熊野の遺産登録には、どこかおかしなことが隠されていて、信用したくないほどだ。私絶対に行きたくもないし、イメージは汚らしくて仕方がない。本来せめて、そういう先入観に対して、本当に地元を愛しているなら、それを取り除くレポートが必要なのである。ところがここに、その熊野を紹介しながら、それにまったく触れていないというのは、汚職を隠している役所と同じで、読者はどんどん猜疑心が高まっていく。だから先のように、むしろ駄文を書くくらいなら「何も書かないで欲しい」というのが、地元の率直な感想なのである。オチャラケ記事だけ書いて、地元のことなどどうでもよくて、自分の売名だけができればいいという、この岩崎のおぞましいところはそういうことだ。
 さもなければ、こういうときこそはっきり書け。深田が熊野から百名山を選定しなかったことは、彼の致命的なミスである(例えばの話)。無理だ、お前には絶対にそういうことは書けない。お前はそこまで真面目に、この連載を組んでいるわけじゃないのだ。
 山や登山に対する何の見識もポリシーもなくて、子供連れて遠足いって、その報告しているだけが、この連載である。このままこの連載を放っておけば、いずれ「元祖日本百名山」だとか「本家日本百名山」だとか、カニ専門店か、たこ焼き屋の喧嘩のように、クルクルパーの争いになってくる。その先鞭が、岩崎のこの大馬鹿連載となる。せめて今後そのようなアホ争いが起こらないように、ここでしっかり釘を刺しておきたい。この岩崎の連載など、書いたその場からすぐさま消去され、抹殺されて、誰も知らないことになって欲しいものだ。


稲村山 高知 1506m 9・14
 掲載された写真見て呆れたよ。ダムの上に山が少し出っ張っているだけ。でもね、標高1500mあるらしい。ということはダムは標高1000mにあると思える。コオロギは山頂からの下山で、ダムサイトまで1時間半だと言っている。不思議だ。標高1000mのダムというのは、そう多くはない。北アの黒四、高瀬はそうだけど、普通はない。しかし何故か四国にそういうのがあるなら、どうしてそういう標高の高いところにダムがあるのか、本当は書け。こいつはダム開発が好きなのか、嫌いなのか。
 多分岩崎は好きなのだ。しかし深く書くと、嫌いという人に嫌われるから書かない。もしくは無知だから書かない。しかしお前などとっくに嫌われているんだから、堂々と書けば分かりやすいのだが、書かない。堂々としない人生。虫けらと同じ。
 岩崎の馬鹿は、山の中で小泉の丸投げの真似をしたいらしい。高知の山は自分で探すのは面倒だから、山と野原の会の老いらく連中に探させると。しかしねえ、砂漠でダイヤモンド探すわけじゃないんだよ。高知県の山の数なんて知れたもの。自分で探せ。探せないはずはないのに、わざと丸投げしているように見せかけて、お前は総理大臣か?ただの馬鹿ですよ。そういう老いらくピラミッド体制の自分は頂点にいると勘違いしている、愚か者。
 それにしても、いい加減にその下品なものの言い方よしてくれないか。「シメシメと思った」って、お前やっぱり悪がきで低脳だったんですよ。
 北アの屈指の難コースが西穂でもどこでもいいけど、じゃ、どうしてそのキミの言う難コースがこのリストに出てこないの?どうしてそういうこというの?難しいってのはいいことなの?
 基準がさっぱり分からない。けっきょく、自分は難コースの名山登れるけど、おいらくは無理だから、このリストにあるような、適当な低山登れと言っているだけ。下品だよ。姑息な根性丸出し、丸見えなんだよな。
 しかしいつまで続くのか、こういう馬鹿な連載は。嘆かわしい。



七時雨山 1063m 岩手 9・7
キミのような人間の習性はどういうことかと考察すると、多分キミは何だか昔のお笑いタレントと一緒なんだよ。あんまり悪いこと言いたくないが、お笑いというのは、小学校の同級生でもよくいたけど、不細工で、要領えなくて、女性にはまったくもてなくて、勉強できなくて、クラスでもほとんど無視されて、せめて唯一の取り得というのが、面白いこといって「お前ってアホやなあ」とか言われながら、それでどうにか友達の気を引けるっていう、悲しい性なんだよ。
 だからきっと将来お笑いで有名になったときに、じゃ何をするんだというと、女優さんと親しくなって「いい女を連れて歩いていたい」という、たったそれだけの、つまらない希望持っている場合がおおいもんだ。そうしてかつて自分を馬鹿にした友人を見返してやりたいという、それだけなんだ。最近ではお笑いも進化して、イケメンが多くなったけど、まあダウンタウン以前は、はっきり言って下品だよなあ、しゃべっていることもさ。
 岩崎キミも同じでさ、過去にどういう登山したか知らないが、どうせ仲間に無視されて、「理屈っぽいんだよ」とか、「もっとちゃんと登れ」とか、「だらしない」とか、「山に不向きだ」とか言われて、じゃ、素晴らしいルート登れるかというとそうでもなくて、何とかして有名になって、他人から先生と言われたくて、そうしてたまたまハイキングオヤジとしてちょっと有名になってさ、それで大名行列して「先生」と言われることが、たまらなく楽しいという、ただそれだけのおぞましい奴で、およそ登山家とはいうに及ばない者なんだよ。じゃなければ、こんな馬鹿げた連載やっているわけないよなあ。
 しかもけっきょくキミは、登山の玄人連中からはついぞ今でも相手にされなくて、ようやくシロウトだまして、こんなアホ連載やっているだけ。田舎の山小屋ってのも不景気だから、キミが大名行列で客連れてくれば、そりゃうれしいよ。その程度のことを喜んでいる山小屋オヤジとつるんでさ、今回もそういうオヤジにホタルを見せてもらったなんてはしゃいでいるけど、ホタル鑑賞ごときが、ナンボものんですか、そんなにいいのか。どんな客にだって、こういうオヤジは、ホタル案内程度はすると思うんだけど。
そんな人生で本当にいいのか? それで山を愛するなんて、口が裂けてもキミは言っているんだろ。掃き溜めのような、晩年だよなあ。つくづくそんなこと思うんだよ。
 さて今日のこのヘッポコ山は、いったいなんだ。東北地方の、いくらでも山があるその場所から、1000mの山選んでさあ、それでどういう魅力があるのかと思うと、な〜んにも書いてないよ。岩手山のよこっちょにある、そのヘッポコのどこに魅力があるんだろうかね。
 例によって毎回同じなんだが、腐れきったレポートには、わざわざ岩手まで行ってその山を登ろうという意欲は全然伝わってこないし、感じられない。掲載されている写真見る限りでは、観光道路の延びた美ヶ原辺りを連想しそうで、いまどきその美ヶ原でさえ、登山としての魅力なんて皆目ないだろ。
 それが名山なんて、馬鹿もほどほどにしてくれよ。


大山 1729m 鳥取 8・31
 何をいまさら大山。「名山のリストに富士山だよ」と言っているのは、「日本で偉い人を選びましょう」というのに、天皇だとか、総理大臣と言っているのと同じで、「お前の読者対象は幼稚園生か」と思うばかりで、馬鹿馬鹿しくて毎度のようにお話にもならない。
 この岩崎馬鹿というのは、簡単に言えば「人畜無害の親爺」それは、「山谷の親爺」と一緒で、存在は迷惑なのだが、誰もまともに相手にしていなくて、自宅のネズミやゴキブリと一緒で、追っ払ってもまた入り込んでくるから、もう仕方ない相手にしないよというだけのこと。
 大山は鳥取にあるのに、何故か出雲(島根)富士と言われるのも不思議だし、古い神社があるのは出雲大社と、どう関係があるのか不思議だし、しかも鳥取では伯耆富士とも言われているのもさらに分からないし、富士山系なのに、どうして北壁があるのかも、さらに分からない。「知らない人に分かるように書け」とは、いつも言っているのだが、お前のは駄文につき、読めばさらに混乱する。しかも、キミにはそういう検索や思考は、まったくないのだ。本文にあるように、登山の魅力は「すかっとする」というだけの馬鹿。だったら射精だって、パチンコの当たりだって、すかっとする。駄文もいい加減にしてくれ。
 一つだけ教えてやろう。「僕が登ったときは○○でした」と、馬鹿の一つ覚えのようにキミはいつも書いているが、深田の昭和10年代やら20年代なら、それはとても意味のあることなのだ。ところが、上越の避難小屋にわずかに10人しか人がいないときでも、その10人がほとんど60歳以上の高齢者であるのに、その中で2人が100名山など、とっくに完登しているという時代なんだよ。そういうときに、「僕はこうでした」というのは、だたのおしゃべりバアアと一緒で、誰も聞いてないし、読んでいないということなんだ。本来はつまり、過去にその山登った人であっても、それでも気が付かなかったちょっとしたいい話を、そこで書けるのが、せめて今から手垢の付いた100名山をもう一回なぞることに意味があるわけだ。ところが、70歳のおっさんに比べれば、鼻垂れ小僧の60歳のお前が「僕が登ったとき」とほざいても、チンピラのたわ言なんて、誰も聞きやしませんよ。しかも「友人の結婚式の帰りに友達の車で登った」など、山と何が関係あるんだ。聞き苦しい実に私的な痴話話なんだよ。
 だからさ、お前は、「登山は生活習慣病にいい」と自分で言い出しながらも、「そんなことはどうでもよくて」とさっさと結論逃げて、「すかっとする」だと、この馬鹿。覚せい剤やっている奴でも、大麻でも、セックス依存でも、皆スカッとしているんだよ。どっかでお前は結論逃げるんだよ。最後まで自分の思い伝えられないんだよ。能力ないし、自信がないから。深田だって、大山の神社には、廃仏毀釈があって、明治維新の政府のインチキを何気なく書いているんだよ。せめて登山する人はもう少しデリカシーと、知性があると思っていたが、お前はゴキブリ登山だけなんだよ。
だからつまり、ホントにお前の文章は、大人が読むに耐えられなくて、子供だましの駄菓子屋で売っている10円の飴と一緒なんだよ。分からんかねえ、いつまでたっても。



赤石岳 3120m 8・24
 キミも一人前に夏休みなんてとるんだ。先週は掲載なかったから、ついに廃業に追い込まれたのかと喜んでいたのだが、今週また掲載されていやがる。がっかりしたよ。
 それでどこだと見れば、赤石岳。なんだそれ。お前に言われなくとも、日本中のハイカーが、この山のことなど十分にしっていますよ。アンタのくだらん記事よりも、どこかのおっさんに書かせたほうが、ずっと面白い赤石岳書いてくれるんじゃないかと思っているね。
 さて、キミはカビも生えているだろうという、昭和39年にこの山に登ったことに触れているのだが、実はそんなのちっとも古くもないし、価値もないことなんだよ。なにしろ、その時代には、すでに団塊の世代のアンちゃんが、ウンカのごとく登山にも存在していて、ちっとも価値のある古い話じゃないんだよ。
 私たまたま実家の父親の古切手整理していたんだが、価値あるのは昭和20年代のものがせいぜいでね、美智子さんの結婚切手(昭和34)年、何てもんは、5円という額面以下の値打ちしかないんだよ。だから深田が大正や昭和初期の登山にはとても意味があるんだけど、お前の昭和39年なんて、犬の糞と一緒でね、何の意味もないから、こうして記事に書く必要もまったくないということなんだよ。そういう基本さえ知らないのかねえ、大馬鹿者のキミは。
 さて、記事の中では、赤石には小渋川からの登山道があると調べもせずにウソかいているけど、一昨年に私がそこにいったときには、堰堤工事で登山道は廃道にされていたんだよ。「通行禁止」と、堂々と書いてある。そういうことも調べもせずに、ウソ平気で書くなよ、このタコ。しかも毎度のように、老いらくの案内だというのに、南アルプスで、キミは4泊の強要しているよ。老いぼれでも登れる連載に、なんというデタラメなのかね。アルパインガイドを丸写しただけじゃないのかね。しかもだ、南の小屋は熊野平以南は、すべて東海フォレストというパルプ屋の縄張りになっていてさ、さらわ島まで入るだけでも、小屋に泊まれと強要され、さらに稜線の小屋は、キミは寝具も飯もあるといっているけど、寝具は基本は寝袋持参で毛布有料貸し出しだし、飯といっても、ボンカレーか、カップヌードルしかないんだよ。そういうのちゃんとガイドなら書けよ。南アルプスの不人気は、林野庁と東海パルプの森林伐採でさ、ガイドなんてのん気なことしている暇はないはずなんだけどね。頭のハエも追えない腐れたガイド。


黒髪山 516m 佐賀 8・10
 批判する気にもならない、九州のボタ山らしい。岩崎は思わせぶりなウソをまた書いている。佐賀から選ぶのはどこにしようかと「地図を開いて」から「前に登ったこの山にした」とある。都道府県のチンピラ観光局の回し者に成り下がった岩崎が、名山選ぶときの方法は、その県の地図を開いて山を探すという、まったくとぼけた方法らしい。しかも、地図を開いてから、この山を決めた理由は、過去に登った経験があるからだといっているが、多分そんなこともウソだそう。この山しか登ったことがないからだ。佐賀の最高峰に経某山が1076mとあり、他にも背某山が1055mとあるのだが、じゃ、この二つの山にもコオロギは登ったことあるのか? あるなら比較を書け。どうして、さらに低い山にしたのだ。
 理由はつまり、自分の登山経験が、その低い山にだけあったからだと思われる。こういうまったくデタラメ選び、オラが山ならどこでもいいという選定。意味不明、山不明、こういう不明親爺が、山で行方不明になる。つまらない連載だ。辞めてくれ。
 せめて佐賀などにはまったく山はないと決め込んでいる都会の連中に分かるように、せめて、佐賀でアンケートでもとって、県民はどの山に興味あるのか、そのアンケートトップくらいの山を紹介してみろ。どうせ深田は、こんなところに山は無いと、まったく無視した地域なのだ。だからこそ、コオロギ、田舎癒着登山野郎は、こういうときにこそ、本当の山選ぶことができるチャンスだというのに、自分が登った山を名山だといっていやがる。馬鹿もほどほどにしてくれ。


剣山 1955m 徳島 8・3

 記事や書籍には、表現の自由というものがある。またその対局に、著作権というもので「盗作」から保護されている。確か、記事の本文や、歌の詩には、著作権というものが存在しているのだが、タイトルや題名には、それが無かったかもしれない。従って、この岩崎連載は、百名山に「新」を付けただけなのだが、それ自身は法的には深田の名著の侵害にはなっていないと思われる。しかし問題は、そんな瑣末なことを言っているのではない。
本来記事や執筆というのは、法律の抜け穴さがして、書くものじゃない。むしろ、無法と言ってもいい自由すぎる状態の中で、時の法律や憲法にまで踏み込んで、その可、不可まで書き込んで批判できるのが、新聞としての価値があるわけなのだ。だから世間にたくさんある職業には、すべて時の政権が与えた試験や資格を揃えているものが多いのに、マスコミ人だけには、その資格というのがない。ジャーナリストも、新聞記者も、ニュースキャスターも、評論家もすべて「自称」であり、会社の「自称」的な役職でもある。つまり資格試験そのものが怪しい物だった場合、例えば資格試験に「日の丸に敬礼しましょう」とあり、それを拒否した場合にはマスコミ人になれないということになる。学校の教職員程度なら、敬礼しないものが教職に就けないなら、それでもいいが、マスコミはその上に存在するというポリシーが業界そのものにあるからだ。
つまり、明日にでも新聞社に就職して思ったことの記事かければ、記者になる。あるいは自分で勝手に名刺作って、「フリージャーナリスト」。さらに雑誌の依頼受けて、記事書けば「雑誌記者」。それは実に自由なところに存在しているわけです。
 その無法とは逆の意味で、記者は、一般大衆、世間、国民、読者数、というマスの批判を受けることになる。小は「作文じゃなくて、記事を書け」。さらに「自民に偏向することなく、中立で書け」。さらに、「政府広報じゃなくて、自分の意思を持った記事を書け」。だんだん自然に条件が難しくなる。「ガイドブックじゃなくて、自分の視点で登山を書け」とも言われるだろう。つまりそうした強烈な批判が、事実上それが資格みたいなものになっていく。自然の山の水が飲めるのと一緒で、商業マスコミ自身に濾過作用がある。
 ところが、この連載というのは、アホ新聞の、しかも文化欄という恐ろしい窓際族の趣味みたいなページ構成になっていて、まるでお宅メールのような駄文とウソの羅列と、さらに盗作にも等しいタイトルが、濾過作用も機能しないという低俗性の下で、続いているわけだ。誰も注意できない。マスコミのレベル低下もそれを助けている。朝日の窓際族か、新入社員の趣味ページでありながら、天下の朝日の記事に文句は言わせないという馬鹿さ加減がある。どうせまもなく崩壊する。
登山者には、多分1億人に1億の「オラが町の山」がある。駄作な山を紹介したもののある。この連載は、1億人のうち、わずかに100人しか知り合いがいない岩崎が、言われたままに山を羅列しだけ。批判もくたびれたよ。
先日また応援メールがきましたね。この7月にコオロギが80人の大集団連れて荒島岳登っていたそうで、彼はそれに遭遇して、辟易したそうです。 http://www.eonet.ne.jp/~th69/ 仮にも真面目なガイドなら、そういう遠足登山など意味ないでしょう。本当にガイドするなら、5人くらいが限度じゃないですか。たかがハイキングやるにしても、恥ってものがないんでしょうか。老いらくが80人もキミと一緒に山登りたいといっても、そんな大勢じゃ無理だというのが、まともなデリカシー。つまりコオロギあなた自身の存在が、山をうるさくして、下品にしているのです。居酒屋に80人も集まって、大声で酒盛りされたら、やっぱりこまるわけでね。上品なレストランは、子連れも断るし、制服の集団も、刺青も、断るんですよ。キミははっきり言って馬鹿ですね。
 山で商売やるってのは、下品なもんでね。例えばタクシーの運ちゃんも、あれも下品なのが多いから、道走っていて我が物顔で運転するでしょ。しかし、道なんてのは無料で使えるように国が作ったもんで、普通は自分で運転するもんです。自分で登山するわけですよ。ところがタクシーはそんなところに他人の乗っけて商売している、いいでしょう、なら、少なくともマイカー族に遠慮しながら「私はこんなことで商売やらせてもらっています」という遠慮を知った上での、上品な運転をするのが当然なんですよ。ところがですねえ教育行き届いていないから、それが出来ない、愚かものなのです。
 ガイドも同じ。客連れて岩壁登るときに、仲間なら易しいとこでもノーザイルってのも、ありますよ。しかしガイドはそれできない。パラで空飛んでいたときも、アマチュアなら、多少危険でも飛んだものですが、それが講習会ともなると、安全確認がさらに必要になる。タクシーが二種免許なのも、それが理由ですよ。
 一般登山と、講習会ガイドが同じ山で並んだら、ガイドが道譲るのは当然でしょ。こっちは趣味できていて、アンタは仕事なんだから。しかも、自然に存在しているもんをタダで登って仕事にしているんだから。子供で分かる理屈だよね。ところがコオロギは、「そのこけ、そこのけ、おいらが通る」と80人で荒島に登る。一般客に無言の圧力になってるってもんだよ。そういうの、分からんか。
 コオロギはそういうあったり前のこと全然理解できない愚か者。キミって本当に昭和山岳会でちゃんと鍛えられて、60年山登っているんだろうか? 川上晃良という大先輩は、実に温厚な人だったけど、爪のアカでも飲みなさい。
 さて本日の剣山なのだが、なんだか山名はずしたら、どこの山の紹介してんだか、さっぱり分からんねえ。先週は、2泊して毎日11時間歩けと、南アルプス紹介しておいて、今日はリフトに乗って1時間とは、これが同じ山の選定か。毎度ながらどこに視点置いてんだかさっぱり分からんねえ。写真を見る限り、木道が並んでいるのは仕方ないとしても、頂上に電波塔が建っている山など、アホらしくて登る気などせんけどねえ、深田が生きていたって同じこと言ってるよ。


農鳥岳 3026m 南アルプス 7・27
 山は高きが尊からずとはいうが、最近のキミの連載は、どうでもいい低っちいボタ山ばっかりだったから、本日の農鳥岳の写真だけを見たときには、アルプスらしいと、快く思ったものだ。しかし、その後「ああ、駄文また読まされるのか」と思うと、憂鬱でしかない。クルクルパーの駄文。
 この馬鹿は、今日も冒頭から、馬鹿ぶっ飛ばしてくれました。深田が、北岳、間ノ岳いれたから、自分は農鳥入れて、これで三山は全部深田と自分のリストに入ったと。馬鹿ですねえ。お前は、どういう意思でこの連載やっているんだ。日本の101番から200番まで並べたんですか。しかしそんなこととっくに先人が300番まで明らかにしているんですよ。
 3週ほど前に、お前は坊主との対談で、私はNHKを始めてブームに火を付けたと、ホラ吹きまくりの自画自賛。おつむはいつまでも生まれたままのノー天気。仮にそういう馬鹿思っても、口に出して言うと、本当に馬鹿丸出しなんですが。同じように、深田の手落ちを私は修復しているとねえ、マヌケ。
 しかも、キミは三山が望遠すると大きな一つの山で、三山縦走しろといっている。どこに1日に500mまで歩行5時間なんですか。2泊でここ歩くと、11時間かかる日が二日もあってさあ、じゃねえ、エベレストでもキミのこのアホリストに加えてくださいね。きっとエベレストは、冬の三山より易しいと思うんだけどね。
 深田は北岳には哲学があるといい、間ノ岳は鈍重なほど大きいとあり、前穂、北穂、奥穂とは比較にならない南アの三山だと書いているのに、君のその思い上がりの、三山一つはどこに根拠置いているのかねえ。そんな馬鹿なこと言っていると、山の詳しい人からも相手にされませんよ、すでにされていないけど。
 農鳥から奈良田に下る道は、いまどき珍しい標高差2000m取れる登山道なんですよ。黒戸尾根とか、早月尾根とか、日本にいくつもありません。いや、これだけか?
 ならそれらしく書いてくれ。もしくは老いらくには登れないならリストから外してくれ。この馬鹿は誰かが本当に注意してあげないと、遭難騒ぎ起こします。


永田岳 1886m 鹿児島県 7・20
 ふん、数日前に特番ページで坊主と対談してたときにも、キミがボケいっていた永田岳が今回かい。
 そもそもなあ、宮之浦の隣にあって、その宮之浦より低い山を、しかも深田が宮之浦を百名山にしているものを、その隣だからと、お前は自分のリストに載せて、それって深田にわざと喧嘩売っているとしか思えねえんだよなあ。
 車メーカーではトヨタだといっている人に「日産だ」といってもいいですよ。じゃ、対抗している以上、その理由を明確に挙げなければならない必然性があるってもんですよ。ところがお前は、対抗理由に「我が恋を成就させた永田岳」。馬鹿か、オメエは。何のことはねえ、過去に数回宮之浦に登って、往復2時間の永田に一度もいったことなくて、今回初めて登って、初恋成就させて、だからリスト入りだとよ、喧嘩にもなってねえじゃねえか。
 しかも今年4月に初めてそこに登って、雨で視界ゼロだってさ。普段の行い悪いからねえ。
 今回もこいつはタクシーに乗っているし、毎度こいつは自分でインチキだといっているタクシーに乗るような奴なんだよ。アル中が酒はダメだというのに、酒飲んでいるのと同じだね。
記事の中では、「走り出したいのを我慢してゆっくり歩く」とか、もうウソばっかしだよ。登りで本当に走り出したいと思ったら走ってください。山は誰にも束縛されずに、自由に行動できるんでしょ、自分でそういっているわけですよ。ちなみに私は登りで走り出したくなったこと、これまで30年間で、一度としてありません。ということは、お前また子供だましのウソ書いているってことですよ。
 記事でもエッセー書くときでも、筆者は感じたことにウソ交えたら、これは存在意義が無いってもんです。ところがこいつはウソの書きまくりだからね。ニセの宗教団体が、人を勧誘するときとまったく一緒なんだね。こんな奴のガイドは、ウソばっかりで、信じられないってことになるわけだね。道標を逆さにつけると遭難者が増えるというが、そういうのは罪になるわけだ。下り6時間のところを、30分だとうそをつけば、これは人の命に関わることですよ。山においては約束破ったり、ウソついたりすることは犯罪に近い。しかしこの馬鹿は平気でそういうことやるわけで、遭難指導のガイドだといっていい。
 だからなあ、先日の坊主との対談をこの日もキミは引用して、永田には「空間と静寂と沈黙があった」と書いているけど、それもウソじゃないかと思うわけだ。何についても信用できないよ。
 ところでなあ、改めて深田の宮之浦読んだけど、やはり立派ですよ。宮之浦には300の山があって、頂上からはどこの集落も見えなくて、海だけだし、登行の途中では森だけしかみえなくて、島にある山だということを忘れたと書いてあるよ。そういうしっかりした文章読まないと、私みたいに、そこいったことない人には実感として分からないもんだよ。キミの駄文じゃ、なんだかさっぱり分からないねえ。それにキミが雨に降られたというのも、深田読んで初めて理解できるわけで、屋久島は一ヶ月に35日雨が降るんだってよ。なるほどねえ。
 だからさあ、キミもせめて真面目に屋久島行くなら、晴天選ばなくちゃいけないでしょ。ガスで視界ゼロで頂上に立って「大満足」なんて、やせ我慢としか思えないんだけど。
 それはつまり、キミが今年1年で、100山全部登るというくだらない無意味な計画は、自分のためじゃなくて、ガイドとしての仕事からの営業方針だったんじゃないかと思うわけだ。某ミズノの誰かが、早回りで百名山登ったけど、ああいう会社命令の家畜の山行はあまり評価されなかったよね。同じだ。だからキミも、最初に日程ありきの山行しているわけでしょ。しかし今は、そういう登山はよせという時代なんですよ。登頂する日に、ガスで天候悪くても、せっかくきたんだからと登ってしまう人に、遭難が多いんだよ。昨年の福井の取立て山の学生遭難だって、そうだよ。日程ありきを最初から改善するのは難しいとしても、天候悪いなら登頂諦めるのがいいよと指導するのがガイドじゃないかね。しかも相手は老人だろ。それを視界ゼロでも満足とは、キミは遭難を助長しているともいっていいんだよ。ガイドの風上にも置けないカスだね。しかも初日9時間、翌日8時間で、何で老いらくの山なんだ。お前は2時間で登れる山を選んだといっているのに、ここでもまたウソか。
 追記・有名な山のなかから2時間で登れる山を選びました。とこいつは言っている。いいだろう。しかしどうしてそれが名山なのだ。老いらくハイカーにとって適正な山なのは分かるが、名山なのはどうしてだ。だったらお前は、「日本百女房」というシリーズ作って、お前の女房をそれに加えるのか? 「日本百女優」を作って、そこにもお前の愚妻を入れるのか? 「僕にとっては女優にも匹敵する女房です」と。お前なら、そういうこと言い出すよきっと。
 しょせんこの連載は「オラが郷土の自慢の山」程度なんだよ。1億人に郷土があって、自慢の山は1億種類あるといってもいいんだよ。だから私は王子の15mの飛鳥山が好きだし、上野の山の桜が好きだというのもいるんだよ。公園の砂山が好きな子供だっているんだよ。勘違いするなよ馬鹿が。それのどこが名山なんだ。
 剣を選んだとき、お前は2時間じゃ登れないと言っていたが、なるほど剣山荘か御前に泊まればそれに近いと屁理屈言い出した。じゃ、今後甲斐駒ケ岳はどうするんだ。それも無理やり入れるのか? お前の指摘だと、じゃ黒戸尾根は登ると10時間かかるとして、そこに小屋5個作れば、5泊掛けて登れるという理屈になる。しかしそういうことすると、無意味な小屋建設で、小屋ヶ岳(八ヶ岳)になってしまうわけだ。名山を登るには、登山者自身の犠牲がいくらかは必要となっている。なのに、お前の理屈だと、小屋が少ないということになる。小屋たくさん作りましょう。もしくは、甲斐駒の上部1000mを崩して切り取って、もう少し低い山にすれば、私の名山に加えてあげますよということになる。ざけんな、馬鹿が。
 お前が選び出した山は、全然名山じゃないわけだ。何度も言うように、石ころ指差してダイヤモンドだと痴呆症言っているだけ。
 私この間若い女性から「あんなひどいこと書いて、大丈夫なんですか」と言われたよ。けっこうそのように気を使ってくれる人がいるんですよ。しかし女性は続けて「けど、面白い」と。だからその子に聞きました。「批判と誹謗の違いは分かりますか?」「いいえ、分かりません」。
 だよね。最近はゆとり教育のおかげで、素直な人が増えている。他人を批判することが、誹謗中傷だと同じだと思っている。じゃ何が出来るかというと、ぶちきれた時に、喧嘩だけは必要不可欠だと。
 そういうの、教育の問題だとは言わないが、喧嘩は感情的なものですよ。筋道立ててもの考えられないから、普段はおとなしく、いざとなったら感情論表に出す。実はその感情論は、最低のことなのです。私この連載で、岩崎批判しているだけ、ちょっと乱暴だけど。何も誹謗中傷していませんよ、念のために。つまり書いてあることは、すべて甘んじて岩崎は受け入れなさい、そして訂正しなさいということです。
 もし彼女は言うように「大丈夫ですか?」というのなら、この批判に対して、クレーム言われてみたいですよ。小泉なんか、毎日批判の嵐のなかで仕事してますからね。最近は素直な子供、大人も増えているんです。他人とトラブリたくない。やばい(流行語)らしいからね。しかしね、批判を受け入れられなくなったら、もう即物的人間ですよ。大政翼賛会の時代じゃないんだから。 


自然の恵み・登る快感 朝日新聞 05・7・16(土)
 週末のゆったりした土曜日に、なんと朝日はコオロギ野郎の対談特集組んで、相手は奈良の興福寺の坊主でした。この坊主も登山に趣味アリらしいです。急に不愉快になった土曜日。
 さて少し前に、会の後輩にあったときに「もしかして、鷹觜さんは、毎週水曜が楽しみなんじゃないですか?」と問われ「違う」。「だって、岩崎批判を生きがいにしているようにみえる」。おおそうかい、上等。
 世間には、喧嘩夫婦というのがある。犬も食わぬ夫婦の喧嘩。喧嘩するほど仲がいい。知ってます。「あの亭主が倒れたら離婚してやろうと思っている」という奥さんほど、亭主が本当に倒れたら自分もしおれる。
 中高年になって、仕事外れて趣味その他が限られるようになると、そうかもしれませんよ。しかし私まだ現役だし、スキーガンガン、他の趣味もガンガン。そして本来それ充実させたいときに、この不愉快コオロギが出てきたもので、さすがに我慢しきれなくなって、こうして毎週抗議。だからキミ、違うんだよ。
 逆に窮屈プレッシャーは、水曜日の記事読む度に、しばし考察。「この野郎の、どの部分が今回はものすごく気に入らないのか」。それ含めてやっぱり「楽しみか」と問われると、70%は不愉快。せいぜい30%くらいは、仕方ない自分の自然な反応。けっして楽しくない。
 さてこの特集は、登山を始めた素人中高年は、自然とどう向き合ったらいいのかがテーマの対談になっている。大体岩崎ごときが、こういう設問に対して、しっかり答えられる身分なのか? 俺のが詳しいと思っている人はいくらでもいるし、何も岩崎の意見など聞きたくもない。
 冒頭からいきなり岩崎の馬鹿証明しています。現在の登山ブームをどう見ていますか?の質問に、「そもそもマナスルの1956年に端を発しています」。馬鹿かこいつは。現在のブームはと質問しているのに、それは50年前から始まっているのか。アホ。
 有史以来の日本の政治変革というテーマなら、1192年の鎌倉幕府、1868年の明治維新、そして60年前の敗戦というなら話は分かる。
 今のブームという設問は、常識的に90年代のバブルとの関係、それが崩壊した不景気、そしてミレニアム辺りが話の対象でしょう。しかしこのアホは、そういう日本語の質問の意味が分からない。山ばっかり登っていると馬鹿になると、学生時代に冗談で言われたが、こいつがいるからそういうこと言われて不愉快だった。
 こいつは、今の中高年はどういう育ちをしてきたかと、質問聞き間違えたか。しかしこんなことは質問にならない。今60歳というなら、引き算が出来ないアホ以外は、1945年生まれだと誰でも分かる。そうです、敗戦60周年が今ですから。
 山ばっかり登っているのは、一種コオロギのように、アホ資質を持っているものがいるのです。私10年前にパラグライダーやっていましたが、登山OBが結構その業界に入ってきた。ところが登山OBというのは、けっこう事故る。挙句の果てに死ぬ。なぜなら「いよいよいよ、飛んじゃえ」と、無鉄砲だというのです。積雪期の谷川岳でどうして過去に600人も死んだのかといえば、冬に対するイマジネーションの中で「いよいよいよ、登っちゃえ」という無鉄砲が無かったのかといえば、大いにあったことは否定できない。空を飛ぶというのは、もう少し冷静でなくてはならない。何しろその場に留まれないから。空中では止まることができない。少なくとも流体力学にも対応しなくてはならないエアーパイロットは、その辺の無手勝流の山屋さんより、知性がある。だから反面教師として、私はそれを知っているだけに、登山者として反省点は持っているつもりなのだ。
 岩崎はそういう知性の無さを、こういう対談で露骨に露出してしまう、無能さがある。相手の話をちゃんと聞けない。そそっかしく合点で理解する。しかも正当にものを判断できない。今の中高年ブームと、50年前のマナスルのどこに関係があるのか、関係あったのは、コオロギおまえ自身が20歳から登山したそれに関係あっただだけで、昨日登山始めた老いらくとは、無関係なのだ。つまりただのハイカー崩れのコオロギには、そういう登山の傾向対策すら、知らないというおまけ付きのアホである。
 極めつけは、そして30年後の95年に「NHKで中高年登山学」を私が始めて登山人気に拍車をかけた。バカヤロウ。お前なあ、てめえの頭のハエでも追ってろ。誰もお前がブーム起こしたとは思っていませんよ。植村がいて、長谷川、田部井もいるし、今井通子もいて、山学同志会がいて、緑もいて、その他大勢がいて、コオロギなど国内で1千番目程度の山屋さんでしょ。何を「俺に文化勲章でもよこせ」とアピールしたいんですか、このアホは勲章欲しさの残り人生。
 そして手垢にまみれた下品なありきたりのシロウト騙しの発言が続きます。「ジーパン・スニーカーで山に行く。小屋で遅くまで騒いで、風呂はないのかという」と、シロウト批判。しかしねえ、いまどきそんな人いませんよ。初めて小屋いけば、風呂は?というでしょう。でも白馬も室堂も小屋に風呂があるんですよ。大きい小屋行けば、私だってそう思いますよ。ジーパン・スニーカーだっていいんじゃないの?夏の一ノ倉は、今でのスニーカーで登るでしょう?ごつい登山靴の人いるんですか本当に?
 岩崎はそういう人が、登山者の1%いるといっている。しかしねえ、興福寺の坊主の方が、山をしっていますよ。年に一回五竜岳しか登らないという坊主なんだけど、「自己中心者は0・1%だと」。この違いは大きいんですよ。いやコオロギは算数すら出来ないアホだから、1%と0・1%の違いが分からない。1000人中、10人か1人かですよ。10倍違う。
 しかしね、コオロギはそのように、すべて自分の経験だけからしかモノを言えないという即物性がある。しかも大げざにウソをいう。いまどき1000人に1人のアホのこと発言してなんですか?そんな者はどの業界にも必ずいますよ。ものの言い方は40年前から何も進歩していないわけです。当時南アルプスにスーパー林道賛成だとか、自然破壊だとか議論もいろいろあって、小さいのは個人レベルの山荒しで、それするのが10人に1人とかいて、それをよく注意告発していたものです、高山植物を取るなとかね。話の筋はそれとまったく同じで、こいつは40年一筋同じこと言っているだけ。全然今の現役ガイドとは思えないわけですよ。そして中高年は1日5時間行動で標高差は500mまでで、ロープウェーを利用しろという。コオロギは今年60歳になったジジイだけど、世間の同世代は実はもっともっと山に真面目に対峙しています。だいたい標高差500mまでで、どの山が登れんのか? 鍛えて多少の無理は承知でも、本当の深田の百名山いきたいわけでしょ。お前の山は、老いぼれ用の、コオロギ流の私の山というだけ。世間を舐めるのもいい加減にしな。昭和山岳会出身らしいけど、ここも団体としては素晴らしいが、「私は何でも知っている」というその安易な態度が、実は「お前は無知である」と同義語なんですよ。わからんかねえ、このデリカシーの無さが。
 そして最後に、興福寺が再建するときにアフリカから木材運んできて、これは日本の森林伐採の問題提起しようとしているのに、このアホは、小学生にも満たない脳みそしか持ち合わせていないから「私は宮之浦(屋久島)ではなくて、隣の永田岳を百名に選んで、永田は荒れていませんよ」だと。大バカヤロウ。話のテーマが違うだろうって。本当の馬鹿です、アホなんですよ、こいつは。
 そしてコラムでは何が登山で楽しいかという問いに、北海道であった人が「岩崎さんに会ったから満足」と途中下山した理由をいわれて、感激したと。売れない三流演歌歌手の戯言なんですね。見苦しい、聞き苦しい。
 特集には、こいつの100山が出ていて改めて見ましたが、剣、奥穂、甲斐駒は選んでいるのに、槍、北岳は入っていません。選別に根拠まったくなし。だったら、3000mはすべて外してください。世間の誰が、槍、北岳は難しいが、剣、奥穂、甲斐駒は簡単だと、老いらくでも登れるといいましたか?基準はどこにある?


岩湧山 大阪 897m 7・13
 なんだこの山は。大阪にある無名の山だ。「大阪府から選んだ新日本百名山だ」そうだ。馬鹿だねもう。
 自分の日記にも書いたが、私宛に応援メールが届くことがある。するとそれを妻にいったりすることもある。登山にはほとんど興味がない妻も、私がそんな話するもんだから、今日のこの記事は「しっかり読んでしまった」と言っていた。感想は? 
「自分で百名山選んでいるっていう割には、なんだか他人の言葉借りて紹介しているみたい。自信がないの? ホントに自分が好きな山なら自分の言葉で書けばいいのに、他の人が勧めているから、この山を選んだと言っているみたい」
 その通り。大正解じゃないの。だからこの岩崎の連載は、くだらない。大体大阪の友人にこの山を紹介されて、6月の雨の日に初めて登った山で、それが百名山ですよなど、舐めすぎもいい加減にしてくれ。お前の選定はいつもそんなものなのだ。
 馬鹿らしくって、いちいち批判する気にもならんよ、毎度のごとく。
 冒頭、白馬の麓に住んでいる人は、少しは登山に理解があるかもしれないが、無名のこういう山の麓に住んでいる人は、「登山にきた」というと、???と不思議がると書いてある。そうですか、だから何なんですか? 文章に答えがない。つまり無名な山の麓人は、登山を今でも訝しがっていると言いたいらしい。だったら、白馬だろうと、槍だろうと、どこに住んでいても、登山者は不思議に思われていますよ。松本、この冬スキーで会津に行った時だって「なんでこの真冬に、登山などするの?」と言われたよ。「山菜取りならまだしも」と言っていたのは、銀山平地元のおっさんだったよ。世間はそういうもんだ。
 岩崎は、そういうまともな考察全然しないで、いかにもシロウト受けするような駄文を書く。白馬の人なら登山理解して、無名山なら登山は理解しない。まあシロウトなら騙せる。しかし逆に、無名山登ろうという岩崎のことは、私のようなクライマーだって、理解できないよ。しかも百名山というくだらないブランドつけようとしてさ。その辺で拾った石ころを「これはダイヤモンドだ」と言ってるのと同じでさ、オメエやっぱり詐欺なんだよ。
 登りが2時間20分かかったのに、どうして下りが1時間なんだよ。だったら、その下りから登ったら、もっと早く登れんじゃねえのか。子供でも分かる話なのに、その理由書いてねえよ。
 しかもオメエは、登りも下りも、途中まで「タクシーを使ってしまった」と書いているが、タクシーというのは、使ってしまうものなのか? それともオメエは、不正な乗り物だとでも思っているのか。じゃ、室堂に行くのに、ケーブル、バスと乗り継ぐことは、悪いと思わないのか? 全然いっていること理解できないよ。つまり、マイカーも持っていないし、タクシー乗るカネもないような老いらく相手にハイキングしてるってことか? じゃ、ガイド料ぼったくっていることは、どう説明するんだ。
 大体オメエは、先週だかも、チャーターしたバス利用しているし、いつもそうじゃねえか。まともな公共一般バス乗ったことあるんかい? 実は一度もねえんじゃねえのか? 言っていることがまともじゃねえよな。やめろ、偽善的なガイドは。
 そうそう最近私に届いたメールの主も、いい加減すぎると指摘しているよ。ここで紹介するけどね。
両 神 山   05年3月9日
 2001年、環境を大事にしたい土地所有者が、利用優先の環境省・埼玉県と意見が合わず、自分の土地を通る登山路を閉鎖してしまった。頂上への登山路の一部が通れなくなったのだ。当時はマスコミも取りあげたが、今はどうなっているのか。それを知らせるのが新聞の役割ではないか。
白 山 05年5月11日
「ぼくたちは明るくなってから山頂へ。登山道の足元にはミヤマクロユリやハクサンフウロが咲いている。足取りも軽く頂上に立つ。」
花の名前についてだが、ミヤマクロユリという花はない。岩崎氏が植物にあまり強くないことは前にも書いた。書かれたら気をつければいいのに、どうしたことなのだろう。
岩崎の不毛な連載には、批判的な人がどんどん増えてきているんだよね。


三瓶山 島根 1126m 7・6
 岩崎という男は、いつからか大名登山しかやらなくなったらしい。こいつは今年自分が決めた100山をすべて還暦記念登山で登っているらしいが、それには必ず客というか自分のファンがついていて、そういう連中のツアー代から自分の旅費をピンハネして、そうやって他人のフンドシでインチキ登山を繰り返しているらしい。例えば、島根県のこんなへんてこな山を登る程度のことなのに「知人の山好きが1泊2日のバスツアーを計画してくれた」と書いている。日本中に散らばっている自分の手下のだれかが、岩崎と登山をしたいと思ったときには、自分で客を集めて、バスを手配して彼に呼びかけなければ、彼は自分の思い腰を上げないというわけだ。こんなのは、誰が見ても三流演歌歌手かプロレス団体の興業にしか見えない。自分の手足だけで登山などしていられるものかと、言うわけだ。山に登るなら、必ず客を連れて自分の商売にしなければ気がすまない。そうやっていくらかの利益をあげなければ、登山などやっていられないというわけだ。
 いまどきの国民宿舎などは、道路公団や郵政と同じく、さっさと民営化されて欲しいものの筆頭に上げられているが、一泊二日が1万4千円もする宿など、何も国民のための宿舎ではない。落ちこぼれた草津温泉の宿みたいなものだ。しかもどうせ1ヶ月前には予約を入れろという間抜けな商売を今でも続けていることは目に見える。そんなところにヨタヨタ宿泊して、バスで峠まで送られて、おいらくの客どもと一緒に登山することを、名山登山だというのだから、自分は槙有恒だと思っているのだろうか。
 少なくともこの山は、島根県にあるトロイデ火山として有名らしいのだが、トロイデ型というのは、昭和新山だとか日本では少ない型の火山になる。掲載されている写真には浮布池が写っていて、山の中の池らしいのだがそこにモーターボートらしいものが走っている。山と湖といえば、何も鹿島槍と青木湖みたいだとは言わないが、少しはそれに似たものかと興味も湧く。ところが岩崎の馬鹿さ加減は、その池のことは記事としては一切触れてもいないのだ。こいつは一体山を紹介するというのに、どこまでめくらなのだろうか。あるいは、島根のこの程度の山を、鳥取の大山と同じような山だといっていて、それじゃこの山にも冬には積雪があって、スキー場があって、雪崩れの事故もあるのだろうか。そんなこともさっぱり書いてない。例によって書いてあるのは、準備体操しました。歩幅を小さくして登りました。風呂に入りましたと、延々と続いているのだが、何度いっても言い切らないが、本当に馬鹿なのである。
 ただ田舎にあるボタ山を地元のパンフに従って自分も登ってみたというだけの話。全国の自治体は平成の合併によって、3000から1800に半減したというのだが、だったら彼は全国のボタ山という特集組んで、地方の1800のちびた山を全部紹介すればいいのではなかろうか。わずかにそれだけの効果しか持ち得ないハイキングオヤジが、名山の紹介とは、毎回のように癇に障る。



鳳来寺山 愛知 695m 6・29
 またまたたわけた水曜日。名前も知らない、読めない山がまた出た。
 私はふと思う。この夕刊連載の「マリオン」というページは、バッタやのページなのである。ちんけな宿泊プレゼントがあり、こんなもの当選したためしがない。当選者を発表しないというのは、ウソである可能性もある。さらに宿泊優遇のコラムもある。プレゼントと優遇は何が違うのだ。そして旅行情報。メインにこの岩崎連載。
 日本人はバッタやが好きか。スピーカーでがなり立てるアメ横が好きだし、そういえば先週末にいった池袋の写真展も、会場はハイキングのバッタやだった。そういうイベントに客が集まるというのもまた不思議でならない。登山とは前から計画を持って実行するものであり、バッタやに行く客の生態というのは、週末に何の予定もなくて、しかも子供連れで、子供だましに親が媚びて出かけるのが、子供だましのバッタやといっていい。ファミレスに行くのと同じだ。
 ページそのものがフリーペーパーだとはいっても、もう少しましな連載にならないものかと思うばかり。
 こんな愛知県のどうでもいいような山のことは、知る必要もない。ゴタゴタと理由を並べて、文武天皇から寺を建ててもらったとか(ホントかウソか)、ブッポウソウが鳴くとか、温泉があるとか、だから名山だってさ。こういうのまともな文脈ですか。せめて無名な山を紹介するなら、それ相応のページの作り方があるし、この無名山と剣岳を同レベルで扱うというこの岩崎の神経がたまらなく煩わしい。キミはそうやって団塊世代の爺婆を騙して、遭難を助長させる。山を商売にする腐れたガイド。


飯野山 香川 422m 05・06・22
 駄文を判断する一つのトリッキーな方法を紹介しよう。「日本百名山」を「俳優名鑑」とし、「新日本百名山」を何かに置き換えてみよう。
 岩崎のこの連載は、吉本興業がアホ馬鹿な深夜番組を思いつきで企画したことに実によく似ている。例えていえば「俺の浮気相手探し(仮題)」。そうすると、本日の文章は、
「香川県県から浮気相手を探すとなると、とても時間がかかった。ブスしか住んでいないから。愛媛には唐沢寿明(仮名)の女房の山口智子(仮名)がいるからこれでいいとして、徳島にはそれに継いで、反町隆史(仮名)妻の松島菜々子(仮名)がいる。しかし高知にはいい俳優がいないけど、探せば2流の江口洋介(仮名)妻の森高千里(仮名)がまあ知られているが、香川はブスばかり。資料に目を通して、ダラダラ・・・、飯野山を俺の浮気相手に選んだ」
 どうでしょう、ピッタリしますよね。駄文というのは、こういうメーカーの新製品紹介のような、カタログ文章のことでもあります。つまり所詮「ご自由におとり下さい」程度の文章で、なにも記事じゃない。同じ文言の繰り返しで、政治家の演説にもにているし、新興宗教の勧誘にも似ているものなのです。駄文、悪文。
 しかも新日本百名山とは、俺の浮気相手というくだらない企画に勝るとも劣らない同程度で、しかも吉本にも負けるとも劣らない朝日新聞という駄作マスコミが勝手に企画しただけで、どこにもその根拠は始めからないわけです。ましてだぜ、恐れ多くも、原文は、
「高知には日本百名山こそないが、○○は知られている」
 と、自分の新ブランドは、高知県にも存在して、深田に対抗する名著とでもいいたいか、この気違いにも等しい岩崎は。この馬鹿本気で自分は深田以上の登山家になったと勘違いしているんだよ。おだてれば、太平洋も泳いで渡りそうな腐ったサルだよねえ。
 それで後半はいつものように、幼稚園生でも書かないような作文の羅列。女房の実家に近いから、女房と子供4人で登って、おおそうだ、こいつは選定する前には登っていなくて、資料見て山決めてから登るという、この冒涜。本当に馬鹿じゃなかろかね。深田の下足番をあと100年くらいやっててください。
 それで何だか今年になって初めて香川で1泊2日過ごしたそうなのだが、ちっとも楽しくなさそうなのに、楽しいとウソを書く。こんな片道1時間の山に登って、金毘羅でお土産かって、うどん食って、楽しいのかホントに?
 おおそれと一言教えてやってもいいけどさ、西行が詠んだのは、「短歌」なんだぜ。「西行が詠んだ○○が紹介された」って、肝心な言葉抜けてないか。キミは俳句と短歌と川柳の違いもしらないのかな。今週限りで連載やめなさい。



大雪山 2290m 北海道 6・15
 ホリエモンがマスコミをどうにか改善したいという話は別にして、旧態の活字マスコミというのは、老齢化と少子化でだんだん売れなくなっているのはしょうがない。それでも日刊新聞社というのは、東京に5紙、スポーツ紙も5紙、夕刊紙3紙、大阪に3紙くらい。都道府県に46紙、県内に2紙存在するのが6県くらいとすると、全国に68紙くらいになる。不景気だからたまに潰れるところがある。鹿児島新報という新聞は昨年潰れた。
 潰れないまでも朝日も部数は落としている。しかし活字離れと人口減少なのだから、仕方がないのだ。売れればいいというものではない。問題はクオリティをどう保つかということになる。そういう労働集約型の床屋、クリーニング屋なども、人口の減少に合わせれば、だんだん不景気になっていく。
 しかし過去、日本経済は人口倍増で、マイナス指標の経験がない。人口減少にあわせて対策した過去がないから、いますべてのマスコミは売り上げ減にアタアタしているわけだ。そういうときに得てして、上からの(社長レベル)の鶴の一声で、つまらない連載が長く続くことがある。潰れる前の悪あがきだよ。この岩崎の連載もまさにそうだといっていい。
 わが妻は、登山などには興味がないが、昨年暮れごろに始まったこの連載を、最初は読んでいたという。今日改めて聞くと、「もう読んでいない」。何故なら、「くだらなくて読む意味がない」といっていた。一般の読者シロウトにも、アホ連載だと見限られている。
 毎週プレッシャーの嫌がらせ水曜日。北海道の大雪を改めて日本の名山であるという理由付けなど、この岩崎こおろぎに出来るわけがない。読んでみても記事は馬鹿らしい限り。北海道の屋根、広大な山、中部の3000mに匹敵する山。どれもこれも、手垢にまみれた使い古された文言。誰もがすでに知っている。そしてそれに続くのは、自分が過去に登った作文の羅列。毎度言うけど、馬鹿じゃないのかこいつは。
 今週は、例のボッタクリツアーの紹介はなかったが、倒産しかかっている社長が犯罪者の富良野プリンスの宣伝がある。しかしみみっちい。抽選でわずか4人に1泊1万2千円相当をプレゼントだと。そうかい新聞の横12センチ、縦4センチのスペースは、わずかに5万円の提供で広告宣伝に使えるのかい。ざけんなよなあ。一般的には30万円は下らないスペースだと思われるのだが、これだってプリンスと朝日の癒着で、こんな子供だましのプレゼントで、プリンス宣伝できるんだから、残り25万円は朝日からのプリンスへの供与と見なして、税務署課税しなさいよ。
 しかしなあ、ホントに富良野プリンスが1万2千円で泊まれるのか?怪しいごまかしだと思うけど。平日に「今日は宿泊できるの?」と聞いて、部屋開いていても、2万5千円くらいのことプリンスは言うけどねえ。それによお、プリンスの無料宿泊もらっても、東京から行くと返って高く付くねえ。飛行機旅行は、HISのパック以外はボッタクリでまったく信用できない時代なんだよ。富良野の隣町に住んでいる人しか、こんな無料券は欲しがらないと思うけど。


釈迦ヶ岳 奈良 1800m 05・6・8
 悪文というのは、どういうことか。「何を言いたいのか分からない」ということにつきる。雑誌の旅行取材チームは、各地を紹介するときに、多くのパンフレットを集めてくるが、しかしそれだけじゃダメである。どうしてダメなのか。パンフレットとういのは、どうせ地元の役所が悪文並べただけのもので、旅行者(読者)にとって、「肝心なことが分からない」場合が得てして多いからだ。
 世の中に記者会見というものがたくさんあるが、どうしてあんなものが行なわれるのか。主催者が、自分の主張をたくさん紙に書いて事前に渡しておけば、そういうことは必要がない。それを読んで、記者が要点をまとめればいいからだ。しかし主催者というのも、また文章のシロウトというか、自分の主張を表現することが恐ろしく下手な場合が多くて、またある場合には学者のように、難しいことばかりガタガタ並べて、シロウトでも分かりやすいように表現していないからだ。だから直接質問して、答えてもらって、その言葉から分かりやすく記事を書かざるをえない。
 この岩崎の釈迦ヶ岳という山の紹介は、毎回いうように、地元パンフの丸写しが最近では横行している。そのパンフというのは、言うように悪文の羅列で、どうしてそういうことになるかといえば、まったく奈良のことなど知らない素人には、奈良でうまれ育った人間にとっては常識とも言えることさえ、ちゃんと説明してくれなければ分からないということだからだ。
 さて岩崎のこの短い文章でも「役の行者」「根本道場」など、何のことか分からない言葉が並ぶ。さらに中段でも、「役の行者」「5人の鬼」「前鬼」「その子孫」「宿坊を営む」など、一体何のことだ。難解な学術書読んでるわけじゃないんだぞ。確か前回の釈迦の手のひらの件も、分からなくて私は自分で調べたが、そうだ明治維新が寺を神社と言い換えたことも自分で調べたのだが、こいつは山の紹介の新聞記事に、テストの質問出して「自分で調べましょう」と宿題出してるわけじゃないだろう。
 それでいて、この山がいいという結論は、縦走したときに、「紫色の空」というのも、どうして空が紫なのか分からないけど、そこに映えたシルエットが美しくて、この山がいいんだと。で登ってみると、頂上に釈迦像があったそうだ。シルエットが綺麗で、釈迦像があれば、それで百名山か。こいつは地元パンフの丸写しに、自分の登山の駄文作文くっつけるだけで、それがいい山の紹介だと思っている。こんなアホとまだ1年以上も毎週付き合うのかと思うと、私もげんなりしてきた。
 いやそれにしても、どこかの写真連盟のおじさんが写した山の写真と、パンフ丸写しと、自分の登山の駄文で、新百名山とは大いに笑わせる。せめて奈良の山を書くなら、君も書こうとしていたのだろうが、坊主の荒修行とはどうで、年間3千ミリの降雨とはどういうことで、熊野という地名が出るなら、世界遺産になった熊野古道のことにも触れるとか、小学生でも分かりそうなことくらい書いてくれよなあ、ボケ。これだけじゃ、釈迦が岳など、嫌いな山になりそうだよ。


阿蘇山 熊本 1592m 05・6・1
 有名な山を選び出すときに、富士山だとか、このようは阿蘇山とか、そういうタイトルや名称みても「当たり前だ」という直感と、「そういう当たり前のこと辞めようよ」と思い、さらに「分かりきったこと羅列して、何の意味があるの?」と続けて思う。それはまさに「家庭教育と躾け」のようなものに、「おはようといいましょう」「歯を磨きましょう」「九九くらいは出来るようになりましょう」というのと同じで、どこにも意味を持たないものになる。
 深田の時代では、百名山が初めての試みで、富士山も、阿蘇山も必要だったのだが、どうしていまさら、21世紀にもなって、富士山や、阿蘇山の紹介が必要なのかと、訝しく思えてくるわけだ。従って、ポンコツ岩崎が東西16キロ、南北24キロ、周囲120キロの阿蘇は「新日本百名山として選ぶのに、不足はあるまい」とエラソーに書いても、お前、生きるために空気は必要だみたいな事を、いまさらエラソーに書いて「どこに意味がある」と唖然としてしまうのは、私だけ?
 そういう当たり前のことを、真顔で言えるこのオヤジに、私は読者として赤面してしまうわけです。しかもねえ、冒頭の全文は深田の盗作でもあるからね。
 いまどきこんな観光地紹介して何になる? 実は私も数年前に車でこのあたりに遊びに行きましたよ。そうしてやはり驚いたのは、今日まじまじと深田のものを読みましたが、まさに彼の言うことそのまま。「中学生の頃、その旧噴火口の中に町や村があり、汽車が走っていると教えられたが、想像できなかった」と。そうなのです。周囲120キロという外輪山の中が、世界一のカルデラ。今そこがまた噴火しないという保証はあるのですか。5町村以上があったと思ったが、人口1万人以上がそのカルデラに住んでいる。もちろん銀行もあり、学校もあり、そこは明らかに町だった。
 まさか、インディアンでもあるまいし、カルデラの中に人が住むなど、雪庇の下で生活しているようなもんです。それこそが、実に不思議なことで、阿蘇などというところは、登山でいくとこじゃなくて、そこに何故人が住み着いたのか、人類学上の探索することが、100倍面白いわけです。
 そういうデリカシーの欠けらもなくて、いまさら「新百名」など、何を根拠の、大馬鹿者。いつまでこんな馬鹿に惑わされているのか、頭の悪い中高年。



愛宕山・京都 924m 5,25
♪もしもし岩崎、岩崎君、デタラメいうのも、いい加減にしましょう。どこかの資料の丸写しは、60歳になったらやめましょう。
 君の文章読むと、さらに分からないことが増えて、読者を不安にさせるのです。それは自分も理解していないからですよ。「唐の五台山」って何ですか? 読者が一々調べるのですか? 分かりやすく書いてください。孫悟空を冷やかしたおしゃか様の手のひらのことですね。だったら、そう書いてくださいよ。しかも唐とは、遣唐使の唐でしょ。そんな大昔のこと言われて、誰もがわかるのですか?君もね。
 五台山は何も1200年も昔の唐じゃないですよ、今の中国の観光地でしょ。開山したのが唐だっただけで、それを「唐の五台山」じゃ、意味不明でしょ。五台ってしかも、手のひらの五本の指でしょ。しかもすべて3000m越えているんだよ。山西省って私しらないけど、チベットですか? 君は知っているのかなあ怪しいけどさあ。
「京都から選ぶ新百名山は」というフレーズは、擬人化といったか違うか、ろくでもないものに敬意を与えて、以前から存在しているふうな振りする、安っぽい表現ですね。京都から選んでいるのは君の独断であって、それをさも役所の文言みたいに、神聖な選び方ぶった書き方辞めて欲しいんだけど。さらに、「新百名山は」というものの言い方にしても、独善的だね。誰も信用しちゃいないのに、これもまた安っぽい権威与えたものの言い方。そういえば君「不適格登山者」という本あるけど、それってやっぱり君自身のことだね。太古の昔からある山に、何故か君自身が権威ランク付けして、君はやっぱり何様なんだい?
「神社が鎮座している」なんてのも、手垢にまみれた古臭い意味不明の文章だね。1200年前の唐の時代のこと書くくらいなら、今無能な君には鎮座しているようにみえても、じゃ、これはいつ、どうやって、どうして、そうなったのか、書いてみなさいよね。あんちょこの役所観光パンフには載っていなかったから、知らないんだろうけど、じゃ書かなくていいなんて思ったのかね。なら連載書かなくていいですよ、もうね。
 大体ね「千日参り」なんてのは、修行僧がやったことで、それがどうして今は、神社になっているの?もしかして君は、寺と神社の区別もできない馬鹿者でしたかね。
 しょうがないから私調べましたよ。この愛宕山、やっぱり修行僧の山でしたね。それがどうして今神社なの? 「廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)君に読めるかな?
 話は長いよ。明治政府の蛮行と言われているよ。王政復古にした天皇制国家の八百長なんだよ。分からないねえ、難しくて。明治政府はねえ、それまでの寺を廃棄したんだよ。神社にしようとね。だって「天皇は神聖にしておかすべからず」は、明治憲法でしょ。天皇を神聖にするために、寺壊して神社にすりかえたのよ。この愛宕山もそれの一つなの。だから寺の千日修行みたいのが、残っているんだよ。「火伏せの神」なんて、アンタも知らずに書いているんだろうけど、火事の厄除けでしょ。そんなの寺にしかないよね、本来はさ。そういう認識でたらめにしてさあ、あんちょくに歴史かじったつもりで山の由来かいてもさあ、デタラメ書いてるだけだよ。昨日のプロジェクトXみたいなもんだ。詐欺するのもいい加減にしなねえ、本当に。その程度で深田久弥のライバルなんですか?私脳卒中で死にそうだよ。


大朝日岳 5・18

 先週が白山、今週が大朝日と続くと、こういう分かりきった有名な山を紹介して、この連載というのは、いったいどういう意味を持っているのか疑問になってくる。どこのガイドブックにも紹介され、誰もが知っている山で、何度も言うがそれをあえて、コオロギ野郎の百名山のリストに載せて、そこにどういう意味が存在するのかと、本当に疑問になってくる。
 しかもデリカシーのないこの男は、「山に思いを込めて、遭難をなくす」という、トンチンカンな日本語を使い出した。世界中のどこに遭難の増大を考えている者がいるというのだろう。難しい山をハードな山というのが良いが、その対語はイージーな山であって、けっして「ソフトな山」じゃないのだ。こいつの国語力というのは、幼稚園レベルである。呆れてものが言えない。しかもどこの山を指してイージーと言っているのかは知らないが、山に対するそういうたわけた考えをこいつは持っているということになる。「イージーな山を軽いノリ」で楽しむことが、本当に楽しい登山だとこいつは思っているのだろうか。こういう山を冒涜する考えの奴には、やはり登山などして欲しくないと思うわけだ。
 けっきょくこのダラダラした駄文の結論としては、「大朝日は気軽に勧められない山」だとなっている。だったら、どういう意味でこのように紹介するのだろう。いや、逆に難しく勧められる山ならば、それらしく表記するのが山の紹介記事じゃないのか。せっかく山を紹介して「気軽に勧められない」とは、どういう風の吹きわまし? じゃ、この連載など辞めてくれよ。頭がバラバラ、混乱してるんじゃないですかね。
 そうしてまだ出た商売根性のコラム。7月に2泊3日でこの山のツアーが、東京から8万4800円だってよ。この価格破壊の格安ツアーの時代に、こりゃボッタクリじゃねえのか。それとも自分がスターだから割増料金でもOKってことか。ざけんなよ、岩崎。


白山 05・5・11
 これまで数回は、田舎の知らない山が続いていたから、「ふうん、そんなつまらん山もあるんだ」と読んでいたが、さて岐阜の白山のことを、これが新百名山ですといわれても「あたりまえだ、ばかやろー」と思うだけで、反論さえできないほど、あきれ返っております。つまり深田の盗作以外の何物でもない証明だからですよ。
 どうせ白山は、岐阜の富士山ですよ。過去に何万冊も紹介の文献も出ているし、大昔から修行僧が登っていたんでしょう。歴史を語るなら、それだけで一冊の本になってしまうわけですよ。だから岩崎、キミは自分の文章を書いていないのです。書けないのですよ。地元の役所の観光案内の丸写しですか。記事冒頭の10行ほどは、これは別の意味での盗作でしょう、どうせ。
「白山が金沢駅の南南東48キロ」と書き出してありますが、キミ、それメジャーで計ったのですか。絶対に違いますよね。誰かの盗作だからですよ。キミはついに自分なりの山の文章さえ書けなくなってしまったのです。なら連載やっている意味も、もうないということでしょう。
 記事半ばからは、自分の作文、「40歳代も半ばになって登りました」。誰もキミのくだらないハイキングの記録などは読みたくありません。しかもレベルは子供。「夜行バスにのって、別当から睡眠不足で」。こういうのは、「朝起きて、歯磨きして、顔洗って」というのと同じで、最低の文章なのです。まだそんなこと分かりませんか?
 「温泉にザブーン」という幼稚な文章も、もう辞めましょう。大体本当に42度の温泉に、ザブーンとアナタは入るのですか。普通は熱いからゆっくり入りますよ。それに他の客にしぶきがかからないのですか。私隣でそんな客がいたら、その場で怒鳴りますよ。それにキミ、本当に40過ぎて、いや今でも、風呂にザブーンと入る人なのですか。多分すべてウソでしょう。仮にこれが比喩だとしても、こういうのは100年前の日本語の使い方であって、もうダメ、普通なら赤字でボツ、「書き直ししろ」と言われます。
 つまり朝日は、夕刊の一面割いて、どこぞの山はこうだよという、地元のパンフを掲載しているだけなのですよ。いくら価値のなくなった新聞社だといっても、これは堕落です。地元によく転がっている無料紙レベル。白山のこと書くなら、せめてその周囲に一ヶ月くらい滞在して、その山をよく知ってから書けというのが、基本じゃありませんか。
 ところで、キミが選んだはずの広島・宮島の山が、つい最近火事で頂上の神社が焼けたんですよ。自分の選んだ山でそういう被災にあったら、真っ先にお悔やみいうか、何かするのがまともな人がすることじゃありませんか。それとも、もう一回書いたら無視ですか。生意気だよ岩崎キミは。地獄に落ちる資格十分です。


武奈ヶ岳 4,27

 知らない名前の山がまたでてきて、それでいて記事の書き出しが、比良山とは余計混乱する。いいですよ、滋賀県は過去に積雪10mの日本記録を持っているんでしょ、理科年表にでてますよ。過去の話かもしれないが。でもね、だからってコオロギがここを「アルプス」と決め付けるなら、じゃ這い松があるんですか。アルプスの条件というのは、這い松でしょ、私はそう思う。こいつはただの感情だけ。無意味。
 この山のロープウェーは、どうやら昨年廃止になったらしいのだが、コオロギはそういう考察はまったく無し。廃止になって、辛いというだけ。どういう馬鹿、ゴルフでもやってなさい。
 そもそもコオロギは、百を選ぶことが重要で、選ぶだけなら子供でもできます。本来百名山は、選ぶ前に、登って、考察して、味わって、それでどうするかという話の順序があって深田は100を選んだのだが、こいつは、選び出すだけの作業。店先の陳列棚から「僕はこれが好き」といっているだけで、これで百名山とは、大バカヤロウ。こんな害毒だけ撒き散らしは、本当にさっさといなくなってもらいたい。




栗駒山 4・20

 およそ東北の山の名前を聞くと、がっかりする。「スキー場の山だろ」「乱開発された山だろ」。個人的な印象だが、けっこうただしい。
 深田の百名山の後記を改めて呼んでみると、彼はキミのような人を糾弾しているものだ。選定の理由として「その第一は山の品格である」と書いている。「人間にも人品の高下があるように・・・」。キミは人品の下について、最初から深田にばっさり切られているってことになってるよ。
 さらに山の歴史の重要性を説いて「近年の異常な観光業の発達は、名門の山を通俗化して」と嘆き「そういう山を選ぶわけにはいかない」と2番目の理由を挙げているのだ。乱開発された山は、名山ではないということだ。だからね、スキー場の山とか、観光道路の山は、名山じゃないというわけですよ。彼が昭和30年代に感じたこうしたことは、いまだとどう判断されるのだろうかと思うが、東北の高原のスキー場の山は、もしかしてすべて百名山から削除されている可能性もあるんだね。
 それをコオロギおやじは、何だか平気で金儲けの対象にしているわけだ。バスで行くと2時間で登れるようなこんな山は、どこにも魅力を感じないわけで、老いらく連中に勧める山がこれだというなら、「おいらくの名山」というシリーズにでもしてください。
 深田は還暦のときに百名山の執筆をしたが、キミは還暦の時に、自分のツアーガイドの金儲けのために、新百名山というデタラメを作り上げて、何だか先生になっているのだが、とりあえず深田の爪の垢でも飲むことをお勧めします。


英彦山 福岡 4・13
 またしても読めないね。見出しに振り仮名ないからね。
 いい加減に私も自分のHP連載が嫌になってきた。こんな馬鹿といつまで付き合っていくのだろうか。来る週も、来る週も、くだらない山の紹介ばかり。何が名山なんでしょう。地方田舎の役所の観光ガイドを順番に並べているだけ。冒頭書き出しに、百名山、花の百名山、ふるさと百名山などたくさんの百名山があると書いているが、「僕の百名山もそこに入れてくれ」と言いたいのだなあと読める。嫌だよ、いれてあげないよ。お前のは盗作なのだから。
 岩崎はこの3月にここに登ったときに、雪が凍っていたとあるが、ふん福岡で雪が降るなら、どうしてかそのことを書けよ。せめて興味がある。ところが道は凍っていたから岩に足を置いたとか、軽アイゼンは役に立たないとか、じゃ何が役に立つのか書いて置けよ。それとも3月というシーズンが間違ったのかどうかも。こいつの山紹介は、もうくだらなすぎて、ピンクチラシ以下のものでしかないねえ。



四阿山 長野 05・4・6
 パラグラだったかスキーだったか、私が過去に所属したサークルで「業者は排除しています」という団体があった。というのも、道具の業者がサークルに入ると、何かにつけて「うちから用品を買ってくださいよ、割引しますから」と勧誘がしつこくて、楽しい団体にはなれないという理由からだった。得てして商売人というのは、どこにでも顔を出して、商品を売ろうとする。政治家と同じで、どこにでも出て顔を売って票が欲しい。
 岩崎はそういう下品な行商ガイドに成り下がっている。この山を紹介する短い文章の中だけでも「あずまや高原ホテルに泊まりましょう」という文が、二度も三度もでてくる。まったく読み苦しいものだ。こいつは明らかにカネをもらって、この記事をかいている。
 しかも恥知らずなことに「露天風呂が、四阿山を新日本百名山に選んだ理由だ」と。馬鹿者、深田百名山の盗作じゃねえのか。
 週刊朝日が武富士から5千万円だかの協力費を得て、世界紀行の記事書いたが、クレジットなしで、実質ボッタクリと報じたのは先週の週刊文春だけど、けっきょく本体の新聞社にしても、岩崎がホテルからカネもらって、それでこの記事書かせているだけ、体質はまったく同じ。
 東京12チャンネルなら、ホテルにかね出させて旅番組作ったとしても笑って許せるものだが、問題は百名山の盗作までして、同じことしていることに私怒っているわけだ。
 業界ではこういうのは「アゴアシ付きの取材」というのだが、まあ乞食記者がやるようなこと。せいぜい旅なら乞食でもいいと思われている。つまり朝日は岩崎を代用して、山を乞食に書かせているという冒涜行為しているわけだ。そうして乞食の岩崎もそれ自認している。ざけるな舐めるな。朝日は昔薬師岳で遭難があったときに、本多勝一がヘリから現地に降りて全員死亡のスクープしたことがあったのだが、今となっては登山を、ガラクタ旅と一緒に扱ってる。朝日本社など、雪崩れに流されてしまえ。


東鳳翩山 山口 734m 3.30
 なんという山だ。タイトルに振り仮名か振ってない。こんな山読めなくてけっこうなのです。
 この連載は、どうやら中学生レベルの新聞記者が編集しているページに違いない。まともな山を登らないで、つまらないボタ山を登って、それが日本の名山だと勘違いしているのは、マスターベーションかオナニーのレベルである。そういう頭の薄い客を騙すような連載なのに、読めない山の名前の振り仮名を振らないというのは、編集担当がさらに頭が薄いということになる。ということは、こんな山の紹介文など読む必要もないということになる。
 大体山口県に山があるのですか。「ぼくなりの基準で新百名山を選び・・・」「山口県の人にあったら、シメシメと思った」とは、どういう下品な男でしょう、岩崎は。
 駄文の羅列、姑息な山の紹介。
 昨日はたまたま乳頭山で、40ほどのお爺登山客が山で一泊過ごして遭難騒ぎになったけど、むしろ雪のあるこうした時期でも山に行ってみようという思いのある人たちのほうが私はずっと好感が持てます。山に雪が降るということと、岳樺や這い松が生えているということは、それが理由で山足りえるものなのです。そういう考え方が私は好きですよ。そうじゃなければ、上野公園だって山になってしまう。土が盛り上がっているのが山の定義だとして、それを何の疑いも無く信じている岩崎というおとこは、本当に登山をしていた過去があるのかどうか、デリカシーと品性にまったく欠けているのです。
 こんなくだらない連載に騙されているものを知らない読者が気の毒でならない。


大日ヶ岳 1709m 岐阜県 3,23
 岐阜、富山、福井の県境の辺りの山は、東京に住んでいると皆目分からない。北アルプスは理解しても、飛騨高山から西側というと、見当が付かない。その高山から郡上、福井、金沢辺りの山スキーエリアを線で囲むと、何と東京人のホームグランドの南会津から上越、草津あたりまでと、同じくらいの広さがあるようだ。だからここは、中京圏のスキーヤーにとっては、とてつもなく広い山域であることが分かる。毎週登山にいっても、一生費やしても飽きないくらいの南会津から上越、草津の山域なのだから、福井周辺も同じくらい広いのだろう。中京のスキーヤーの報告は、ほとんどがこの山域ばかりが、毎週続いているのに、良くぞ登る山が尽きないなあと思っていたのだが、理由はこういうことだった。ただ1000m級の山ばかりが多くて、それを越えるのはいくつかだけという点が、目立たないだけだったのかもしれないが。そこに住んでそういう山を登っていないと、これは理解できないことなのだ。
 多分こういうことは、深田久弥にしてもどれだけ気が付いていたのか。だから彼は上越からは20座も山を選んでいたのに、この山域からは白山と荒島岳の2座だけだった。
 岩崎がその中から大日ヶ岳をいう山を選び出したのだが、こいつなどはさらにこの山域を、まったくといっていいほど理解していない。先週も書いたが「大日」という名は宗教色が強く、霊峰が多いと、こいつはこの山の紹介がこれだけなのだが、「大日」という名を隠してしまうと、一体どこの山のことだか分からない。こういうのを、天下にとどろく悪文という。しかも、記事の大半は、地元のナントカに招待されて登山しましたと。はああ、よく分かった。岩崎というのは、ハイキングの遭難予備軍をどんどん製造しているだけなのだ。知らない山に対する理解がまったくなくて、友人に紹介されて、目を瞑って登っていたら山頂に出たというだけ。これが新百名山の本質である。それを真似て、ツアーに参加すれば、誰だって簡単に遭難できる。自分が歩いているところが、どこなのかはさっぱり分からずに、ガイドの尻について登るだけの登山。
 どこに集まって、汗をかいてのぼり、何時間で上に出たという、こんな子供の作文ばかり書いているから、いつまでたっても、岩崎は馬鹿にされている。これで深田の後継者というのだから、詐欺もいい加減にしてくれ。


天上山 571m 東京都 3,16

 百名山に都内の山だってよ、舐めたもんだ。「どこだ」とよく見ると、神津島の山らしい。ふ〜ん、なんだそれ。読み方がわからねえよ。「てんじょうさん」でいいのかよ、振り仮名くらい振っておけ。
 駄文か名文かの違いをお話しよう。固有名詞を隠してみればよくわかる。本日のこの馬鹿の書き出しは「好きな山と聞かれると返答に窮することがある・・・」となっている。だらだらと続いて、次に出てくる固有名詞を隠してしまうと、いったい富士山のこと言っているのか、槍ヶ岳のことか、さっぱり分からない。まあでもいい、こいつは自分の決めたアホ百名山のなかで、本当にこんな都内の山が、一番すきなのか、お前は本当のアホウか。
 島の山と繰り返すのなら、もう言っても無駄だが、日本中の山が島にあるんだよ。竹芝からフェリーで行けとこいつはいう。ジェットフォイルだとつまらないと。これまではすべてのロープウェーを頼っていた腐れゼネコンの回し者のキミが、どうして今日ばかりはジェットフォイルを否定する。生き方に一貫性がない。
 そうそう山小屋の嫌味オヤジに、キミによく似た性格のがいるんだよ。「お酒いりません」というと、「山で酒飲めなくて、どうする」といきなり怒り出すオヤジが。その話にはどこにも根拠がないんだよ。「オメーがいるから、酒飲みたくないよ」というと、マサカリで切り殺されそうな感じがするオヤジが。まさにキミのことだ。文明の利器のジェットフォイルがあるというのに、夜風に吹かれるフェリーのあののろまな船を強要する。じゃ、大阪にはキミは夜行列車でいくべきで、絶対に新幹線などよしてください。
 もうこの連載は、腐ったガイドの「ご自由におとり下さい」のチラシレベルなのです。山の紹介のすぐ下に、5月にこいつとこの山のツアーがある。2泊3日で4万8千円だとさ。朝日はいつからコオロギのガイド事務局に成り下がったのかね。新聞は社会の木鐸というなら、その乱用じゃないのかね。これはもう新聞記事ではない。記事に見せかけたコオロギ新聞の広告であって、広告を記事にすると、過去にはオウム斡旋広告記事まがいがあった時代もあり、全然売れない「自由に取れ」といっても誰も手にしないピンクチラシ以下に、朝日は成り下がっている。


両神山 3・9
 今日は埼玉の両神山らしい。中高生の頃ならこうした山も納得できるのだが、いまどきろくに雪も積もらない山はさほどの関心もなくなった。
 しかし両神は、最近ケチの付いた山である。一部の私有地を理由に、登山道の通行禁止が敷かれた。あれはどうなったのか。理由は登山者の横行だったか、自治体からの助成金の不足だったか忘れた。しかしこのコオロギっていう奴は、そういうことなどは一切関心がないらしい。ただ山が登れればいいというだけのマニアは、パチンコ中毒患者と同等な気がする。いま両神のことを書くなら、まずそれから書け。
 しかもこいつの記事は、ただの行数埋めの与太話にしか過ぎないと、今日は強くおもった。知り合いが八丁尾根で死んだのはいいが、それがこの山の魅力とどう関係があるのだろう。しかも八丁尾根とはどこだ。登山コースが3つも紹介されているのに、そのどこにも表記がない。なんという大馬鹿者、これで本当にガイドなのか。
 今の時期、まだ真っ白にたたずんでいる山を見たときに、「なるほどそれは素晴らしい」と誰もが思う。岩崎は白くなくても、素晴らしい山だというのだが、それは屁理屈じゃないのか。世界の名車と言いながら、サラリーマンが変える車だと、カローラやフィットが名車足りうるのか。仮に足りうるとすれば、その理由が明確にあるはずなのだが、こいつの文章にはいつも理由がない。こいつは過去に剣岳も選んだが、じゃ残雪の剣を登ることと、冬の八丁尾根でスリップして死んだことの、両者の整合性はどこにあるのだ。「だから、オレの塾に参加しろ」とでもいう、くだらない田舎者商いでもしたいというのか。
 深田が高崎線の車窓から奥に見えるといったこの山を、キミも同じように選び出しただけで、説得力のかけらすらない連載だ。しかも朝日がとぼけているのは、この春の時期に、秋っぽい風景写真を使っているのも、寝ぼけた編集方針だとしか思えない。


ドンデン山(新潟・佐渡島)3・2
 
厚顔無礼な岩崎の連載はまだ続いている。新潟県の紹介で、しかも佐渡島の山を彼は選んだらしい。カタカナの無意味な羅列というのは、一瞬にしては読めないものだ。カタカナが漢字の行書体だというのは、ウソで、セントレアを1秒で読めるか? 本当は、「遷都礼亜」とでも書くのか。普通は読めない。この山も、「屯田兵が登った山か」と思ったのに、なぜか北海道ではなくて佐渡にある。だったら、どうしてカタカナの山になったのか、書いてもいいのに、この馬鹿は書いてない。デリカシーも観察力もないコオロギだ。
 佐渡の最高峰は1172mの別の山なのに、どうしてそれを選ばずに、これを選んだかの理由もない。
 しかも屯田兵の山の標高が、いつものように見出しにないのだ。なんだこの愚かな編集は。記事の中に900m程度だとある。この山の魅力は一体なんだ。
 コオロギは、「この山で遊んだ」という、余裕たっぷりの老いらく爺みたいなことを書くのだが、山で遊ぶとはどういうことなのか、はっきり書け。まさか山頂から芸者が出てきて、酒盛りしたわけでもあるまい。どうせコオロギが短い足で散策した程度なのだろうが、こういう無意味な思わせぶりが、気に入らない。事実が表記されていないからだ。
 この馬鹿連載は、適当に見繕って自分が過去に遭遇して登った山を、名山としているだけだ。「佐渡に山などあるか」と私が思っているとしたら、「利尻にも山はあるよ」と答えるのが、山の紹介なのであって、ならばいつも私がいうように、王子の飛鳥山を(標高15m)を、桜の名所の山だと、名山に入れろという理屈と一緒になる。だれが東京の人間が、佐渡までいってこんな山に登りますか。むしろ曽我さんの実家見学の方が、100万倍社会性があると思うのだが。このバカヤロウは死ぬまでバカヤロウを続ける。


鳥場山・千葉 2・23

 毎週のように憂鬱な水曜日の夕方。深田は千葉に名山はないといった。ところが岩崎は屁理屈にも山を選ぶ。だから気負ってとんでもない紹介文を掲載した。読めば、その山の近くには「日本の海水浴場88選」があるというし、地元が「ネイチャースクール」を開校しているという。そこの町は、山周辺を「花嫁街道」と名づけたらしいし、町長は「岩崎といく登山」というイベントを開いてくれたと続く。そして町の施設の「くすの木」という宿泊施設を利用したらしい。
 はっきり言って、このバカは山の評価などどうでもいいわけだ。テキヤレベルのイベントを羅列して、バッタやでもいいから自分のガイド職業を満喫したいという、朝日新聞の出入り業者に過ぎないわけだ。そのどこが百名山なのか。どうせ千葉のやまなど、過去に伐採した跡にスギの植林したのがミエミエで、スギ花粉が多いのはいいとしても、こんなのが山というのはおぞましい。役所の回し者である。いったい不愉快な水曜日はいつまで続くやら。


2・16 由布岳(大分)

 毎週つまらない水曜日。キミの変な日記みたいのが宅配されるからだ。ところでキミの山選びというのは、こういう田舎に、こういう山があるんですよという、田舎の観光協会のPRと同じなんだね。それがどうして名山に値するのかという話は、この中には一切何もないわけだ。ガイドという暇職業についていて、その田舎の案内に従って過去に登りましたよというだけの話だ。
 この由布院温泉の由布岳にしても、その有名温泉の近くに、こういう火山があるんですよというだけで、私がいつも言うように、そこがどうして価値のある山足りえるのかは、この日も一切の表記がないわけだ。温泉と痴呆田舎の回し者ってとこだね。それに「温泉に入りたい」とキミはバカの一つ覚えのようにいつもいうけど、今じゃそれは「空気を吸いたい」みたいな日本語と一緒で、日帰り温泉が日本中どこにもできた時代では、「朝歯磨きしたい」というのと、同じ子供の作文にしか過ぎないことを、まだ気がつかないわけだね。そういえば、今度もそうだけど「準備運動して登りました」と書いている。
 だからねえ、そういうマヌケな文というのは、「朝、顔洗いました」と同じで、書く必要のない駄文というものなんだよ。「途中でおしっこしました」とか「ウンコしました」とかは、さすがにキミも書かないけど、同じなのだよ。せめて一応新聞記事として読者が読むのだから、いい加減に学習したらとおもうけど。ラブラドールの方が、ずっと賢いよ。


筑波山 2・9
 まだやってんのか、こんな連載を。岩崎、キミは二重に盗作しているわけだ。深田の「百名山」という言葉と、この筑波を書くに当たっての、万葉集にも登場するうんぬんだ。キミ自身、この筑波を紹介する上で、本当に万葉集を見たのか?どうせ誰かがそう書いたものを、平気で盗作しただけなのだろう。あるいは深田の本にすでにそのことが、書いてあったのか。いちいちくだらなすぎて、検証する気にもならない。
 それにしても、いまどきなぜ筑波なのだ。こんな山ヤフーの地図検索で十分だ。ロープウェーと、ケーブルと、頂上まで2本の観光施設ができている。しかもふもとの駅までは、もちろん車でいける。全然歩かなくても頂上にいける、こんな山は幼稚園生でも遠足にも行かない山になっている。それがどうして百名山なのだ。根拠を示せ。
 正月早々30人連れ立って、筑波の風呂に入った話など、これ一回きりの新聞記事でも不愉快だというのに、後にこれを単行本にするというのだから、コオロギの新年風呂が永遠に本として残るということになる。ふざけた話だ。
 それにしても、思うぞ。よくぞ今日まで深田クラブが、この盗作百名山に何ひとつ文句を言って来ないもんだなあと。あれもただの老いらくクラブになってしまったか。本当は深田など愛していないのだ、あの団体は。よーく考えれば、深田の100は、その100のリストだけにも、すでに著作権が発生していると思える。彼があの100を選ぶときに、どれだけの苦労をしてきたのかは、原本を読めばすぐに分かる。だからそのリストを参考にしただけで、君は著作権の違反であり、盗作行為となるわけだ。
 朝日はNHKをぶっ叩いたのはいいとしても、どうやら左翼記者の個人手柄の走りすぎで、あまりいい評判も聞かないなあ。いい加減にこのガラクタ連載も、よして欲しいと思うばかりだ。


荒島岳 2,2
 いい加減に、この大バカヤロウの日記にはうんざりしてきた。福井に住んでいる人がいっている。「深田の荒島岳選定は、地元ひいきだ」と。それでも馬鹿は、やはりこの山を選定した。毎週水曜のこの馬鹿記事には、もうこりごりして、私水曜日恐怖症になってきた。おだてればこのコオロギも、木に登ってしまうのだ。そういえば、北朝鮮の犬は木登りがうまいという笑い話がある。木に登って逃げないと、捕まって食われると。

一切経山 05・1・26
 あのさあ、息子の世代などがちょろいと思っていたんだけど、実は岩崎、キミの団塊の世代というのは、戦前生まれに比べて、その存在こそが、山羊同然の人畜無害な、雑多な烏合の衆だということに、少しずつ気が付いてきたんだよ。
 昭和21年生まれというのは、300万人いてねえ、今100万人しか新生児が生まれなく、その3倍の人数いるんだよ。それが来年一斉に定年退職して、日本の経済はすっごく軽くなるわけ。そのために、この烏合の衆に対して、世間は商売を始めているんだよ。元気な奴にはハイキングとかウォーキングとか、キミはそれも商売の一つにしたいわけだけどね。他に介護する親が生きているときには、介護保険がどうした、そのために保険料が高くなる、またガンで死ぬ連中も多いし、葬式屋商売も盛んになるんだよ。
 それでキミは、福島のこんな高尾山みたいな山を百名山に入れて、またまたハイキングする烏合の衆を集めたいというわけだ。
 ところがねえ、深田でさえも、山を破壊するモータリゼーションとか林道開発には、非を唱えていたんだよ。そうだろ自然を愛するものは、長野の田中知事のように、ダム作りませんということに、大いに賛成するわけだ。ところがキミには一切のそういう姿勢がないんだよ。自分の無名塾に人が集まればそれだけでいいという、もう三流の添乗員の脳みそしかキミは持ち合わせていないんだよ。
 私実は中学のときに東北の松島に修学旅行にいって、その行きのときに、この辺りのスカイラインをバカな集団バスでとおったことあるんだよ。それで吾妻小富士にも登って、こんなもの中学生の遠足が適当で、もはや山と呼ぶにはおぞましいものになってしまっているんだよ。30年前でもねえ。それを何でいま、その隣の一切経山が百名山になる必要があるんだよ。お前は山の選定に何もコンセプトがないんだよ。いい加減に辞めな。そうして烏合の衆の団塊連中を騙し続けるこの連載も辞めな。せめて無能な団塊をいい意味でハイカーに誘導するのが、ガイドの使命だと言うのに、なんたるぶざまなことしているんだよ。
 団塊はキミに誘惑されるほどおぞましく、その10年以降の私たちは、実はもっとダメで、さらに30年したの息子世代はどうしようもなくて、これじゃ悪循環でもう、日本はダメなんだよ。その片棒担ぐのがキミで、せめて正しい山の理解に務めさせるのが役目だと思うんだけど、キミにはそういう脳みそもないんだよ。


弥山(みせん)・広島530m 1・19

 毎週水曜日になると出てくる妖怪人間。岩崎は要するにNHKに出演して以来、なんだかタレントなのだ。どうしてあんなものがタレントなのか不思議なのだが、紅白歌合戦に出れば、ガラクタ演歌でもギャラ3倍増らしいから、NHKの威光はすごいものらしい。もしかして田部井とか今井よりも、ずっと有名人かもしれないのだ。だからたった500mの山に登るだけだというアホツアーなのに、羽田に集合して10万円にもなろうというツアーに多分30人くらいはあっという間に申し込むのだろう。
 こんなの言ってみれば詐欺に近い。むしろ500mの山だから、誰でも自分で登れますよと指導するのがガイド。しかし岩崎は「私と行きましょう」という。
 深田は広島には「山はない」と言っていた。しかし岩崎は、この500mの山を、百名山にしようという。剣岳とどこに同じ序列で並べられる根拠があるのだ。安芸の宮島にあるのが、この山らしい。馬鹿げている。だったら箱根だって山だ。大学駅伝はあれは山登りか?
 なら家の近くの王子にある桜の名所の飛鳥山をどうして日本の百名山に加えない。15mくらいの山だけどね。こいつのは、「観光地のいい山」なのだ。それを日本の百名山とは詐欺の素人騙し。タレントなら何をやってもいいというのは、松田聖子や松嶋菜々子のことで、お前はいつから聖子や菜々子になったのだ。コオロギじゃないか。
 卑しくも、かつてちゃんと登山していたものなら、それらしくしてもらいたい。500mの山に10万円のツアーは、「商売になるからいい」というのなら、インチキピッケルやインチキアイゼン売って、事故起こさせるのとどこが違う。
 それに広島鳥取県境は一応脊梁山脈じゃないのか。そこにこそ山らしいものがあると思うのだが、なんで宮島。深田が筑波山を選んだように、歴史があれば低い山でもいいと思ったのか。こんなもの百名山など冒涜に近い。キミなど消えて無くなってしまえ。



05・1・15 岳人2月号に、この妖怪がまた出てきた

 カラーグラビアに堪えられる顔なのであろうか。コオロギの親玉。人間の顔は生まれつきではないのだ。40歳過ぎて、醜い顔は性格が醜いから。
 小西、長谷川、山田と死んでいったら、自分しか残らなかったというのは、このオヤジデリカシーがない。何を考えて、こういう恥知らずなこと言えるのだろうか。岩崎の100なら、別にいいが、続けて「いい山100」をやるという。こいつはすでに既存でいくつもある山の紹介を、適当にどんどん安受けしているだけ。恥知らずなことやってるよ。
 けっきょくキミはなんだかんだいっても、自分のツアー客増やしたいだけなんだな。なぜかタレント気分になっている。
 新百名山がきっかけ作りとはねえ。朝日も岩崎も、中高年ブームで一儲けしようという、浅はかなものだとしか思えないが。こいつのことを書いていると、気分も悪くなってきた。


そうか、すでに10座以上が紹介されていたのか。そういえば昨年に剣の記事は見た記憶があった。けっこう誰もが従順にしたがっているもんだね。「岩崎さんがきめた」なんて、誉めて紹介しているHPも検索するとあったよ。しかし、本当にそういうものか。登山を舐めるな、日本の名山を舐めるなよ。1・12

12回目 1月12日谷川岳
 ようやく認識しました。岩崎のこの連載は朝日新聞の水曜夕刊に連載が始まったようです。この日の夕刊見るたびに、胸焼けします。むかつきますよ。何を根拠に、この男「百名山」の連載でしょうか。おお上等だよ。深田さんの向こうはって連載するなら、いい度胸だね。毎回じっくり読ませてもらって、いちいち文句言ったろじゃねえか。
 さて第2回目の谷川岳。おい、岩崎。土合のセンターに救助要請を告げたのはいいが「翌日助かった」とは、他人行儀な。賑やかな場所にフラリいって、無事帰ってきた自分を評価したいのか。少なくとも現在ガイド主宰している以上は、いくら勤務の都合があったとしても、ちょっと情けない。
 エリアが「魔」だというなら、その一ノ倉という「魔」を登っていたと自慢する自分は、西黒を登れと書いてあることと、言葉の整合性はどこにある。無名塾の客などには、南稜すら「魔」であって、登れるのは先生の自分だけですよと自慢したいのか。恐ろしいほど卑下した言い回しじゃないか。客をバカにするのはよせと、無名ツアーだって思いますよ。
 群馬側を良くぞ豪雪と言ってくれるな。おかしかないか。残雪がおおいのは、氷河地形といったら正しくないか。じゃ、白馬雪渓も豪雪だし、守門岳はもっと豪雪なのに、雪渓少ないのはどうしてか。認識に誤りないのか。
 西黒が登りがいあるとはよく言ったもんだ。じゃ土樽からの道は登りがいないのか。笑わせるな。土合よりより土樽の方が、標高低いんじゃねえのか。どこ見てもの言ってんだオメエは。肩の小屋の話するなら、そこで廃材埋めて有罪になったことちゃんと書きな、ついこの間のことだろ。
 「頂上はマチガの源頭」だからスッパリ切れ落ちているんじゃなくて、源頭じゃなくても、マチガは切れ落ちているんですよ。表記がおかしいねえ。それに「朝日岳への山並みが」は、どこに続くんですか。「山並みが見え、」ってことでしょ。じゃないと文章おかしいね。ヒデエ紹介文だよ。
 久弥さんのは立派だぞ。少なくとも昭和30年代で、もうごった返した谷川は御免だよと言いつつも、この山は立派だねという文章になっているんですよ。御免だよと言われた時代から登山初めて、その神にツバするようなシリーズ始めたんだから、そのへんの機微なにか書けないもんですか。キミごとき人間に紹介される谷川もかわいそうでしょうがない。世間知らずの朝日新聞が、キミにページ与えたとしても、もうちょっと考慮してこの連載を続けてくれんかね。キミのデリカシーが問われるってもんだよ。

 元を正すとこの話は昨年秋くらいからあった。岩崎が百名山選定すると朝日に記事が出ていて、じゃ新聞にそろそろ発表があるのかと思い、また彼の無名塾のHPなど見ても一切なく、そのうちに週刊朝日でそれが発表になったのだ。それ見て私は愕然となった。「女房の実家の近くの山」だとか、1県1山で山のない県まで強引に山を抜き出して百にしていた。
 実は深田の百も筑波山や美ヶ原などは、もう山にあらずの声も強い。あるいは毛勝などを、それに入れるという話も聞く。何かクリエイティブな百かと思ったら、なんのことはない、無名塾ツアーに各県の山を入れて、自分のツアーやり易くするだけの話。だったら、無名塾百アホ山とでもすればいいのに、深田の百名山が意匠登録していないことをいいことに、朝日に乗っかってついにバカなことやり始めたのだ。私は許さん。この愚か者め。
 少なくとも百名山には、深田クラブが、300名山まであって、それを20〜30くらい入れ替えるくらいの権利はもっているのだが、どうせ岩崎は、その300から適当に選んで、入れ替えたに過ぎない。やっていることがすべて他人のフンドシ。こういう馬鹿やからと、エセ登山者で、しかもガイドといっているのだから、このオヤジ何を勘違いして生きているのだろうか。シャネルとチャネルといって売っている偽者ブランドよりも質が悪いものだ。深田クラブも鷹揚で、なんでこんなバカを許しているんだと思う。こいつだけは本当に許せないと私はプッツンしているのだ。
 1回めは先週の石鎚山だった。その日の日記に書いてある。そして2回目が谷川。これが1年間続くと思うと、ガンになってしまいそうに不愉快になる。せめて私が病気にならないように、このページは、恥ずかしながらの憂さ晴らしになる。岩崎おめえがくたばるまで、この連載続けるぞ、覚悟しろ。


1回め 高千穂峰(1574m 宮崎県)
 バカヤロウ岩崎。お前は深田の選定をわざと逆なでしているのか。深田が霧島山と表記した連山でも、最も注目しているのは、この高千穂峰だろ。それをお前は、韓国岳と勝手に読み間違えて、何が高千穂峰がいいだ。深田だって同じこと書いてあるんじゃないか。お前はそう読めなかったのか。
 先人の記述をわざと曲解して、「穂のようにすっきりした高千穂」だ。それは深田の文章の盗作だお前。しかも韓国岳を登って霧島登山とは、そんなものは愚鈍な読者が深田の文章誤って理解しているだけで、深田はちっともそんなこと書いてないだろ。お前って奴は、ホントにでっち上げのエセ登山者で、登山者の風上にも置けないバカヤロウだよ。
 冒頭、「中高年にも登り易いぼくなりの山」というなら、なぜそれに「百名山」という愚かでデリカシーのない表記するのだ。お前は本当にお馬鹿で、地獄に落ちても、地獄に嫌われるようなやからなのだ。「無名山塾が選んだ低山」と、タイトル変えなさい。このアホ。
 しかもここは火山でせめて山の紹介なら、カルデラとか外輪山とかいう言葉は使わないものか。基本じゃないか。綺麗なカルデラは、本州にはないんだぞ。この愚か者。



2回目 男体山(2486m 栃木県)
 すでにこのいい加減やろうを批判するのもイヤになってきた。こいつはどこまで平気で盗作野郎なのだろう。女峰も含めて「ファミリーを構成しています」など、深田が「一家族の山という気がして面白い」と書いてあるものの、受け売りじゃねえのか。しかも二荒をニコウと呼んで「日光」という地名が発祥したなど、キミがどこで聞いてきたのかしらないが、そんなデタラメのようなものの言い方、まったく信用できないぞ。根拠を言え。
 そういうデタラメと受け売りを山羊のように物静かな客に言って、それで先生様など、自分の塾だけにして、新聞にみっともなく書かないでくれ。
 日光の象徴は男体山と東照宮など、キミが言わなくたって、サルでも知っていること。そういう馬鹿で当たり前なこと書いて、のうのうとしているキミの頭の構造に吐き気がする。途中「男体山は深田さんが選んだ百名山の一座」とあるが、お前そういうの主客転倒というものだ。お前が百年後から、深田の後追いしているラッセル泥棒なのに、自分の選定の後に深田も選んでいたというような書きかたは、お前なあ死に腐れよ。しかも「百名山完登でビールがうまい」とは、主語はだれた。小川という完登者か、お前か。主語が分からん。小川だったら、なぜうまいということを、キミが知りえる。キミがうまいとしたら、いったい何故だ。意味不明な文章だ。「歩幅を小さく、ゆっくり足を持ち上げれば頂上だ」とはいったいなんだ。他に登山の方法でもあるのか。逆立ちして右手を伸ばせば登れるのか。朝起きて、顔洗って、歯を磨きましたという文と、どこが違う。こんなもの駄文もいいとこ。幼稚園生レベルの日本語だろ。何を書きたいんだキミは、まったく。



3回目 六甲(兵庫県)
 六甲はどうして六甲山じゃないんだ、どうして標高が記載されていない。それにこんな有料道路の脇のボタが本当に名山か。キミだって自分で書いている。「車道を渡って六甲の最高峰に立つ」と。こんなクルマでもいける山が、何故名山なのだ。自然が破壊されているようすが、好きなのか。それとも客を案内し易いからか。
 藤木のRCCのことなど、キミに言われなくても誰もが知っている。しかしそのロックガーデンと、連山の最高峰との位置関係はいったいどうなんだ。有馬温泉の表記ばかりがあって、キミは温泉宿の回し者か。なんなんだいったい。それに今の神戸に住んでいる誰が、六甲を名山だと言っている。毎日登山のグループが今でもあるのかなあ。文太郎の時代にあったらしいと新田次郎は書いていたが。そういうことが重要なんじゃないのか。こんな有料道路脇のボタが、今でも愛されているのかいないのかを検証をするときには。深田でさえ、名山に値しないものを、選んだキミの趣旨がまったく理解しかねる。なら、知らない私にもせめて理解できる何かを書け。すくなくとも阪神大震災くらいには触れて、だから花崗岩の岩盤は頑丈だったとか、それくらいのことは書け。
 少なくとも深田は、その山や周辺を調べて取材して山を紹介した。しかしキミは何もしていない。雑感を並べただけで。そんなものに、どこに意味がある。



4回目 剱岳(2999m  富山県 )
 だんだんキミの正体が分かってきた。何故だか知らないが、公共乗り物でいけるところから紹介している。しかもその乗り物をすべて肯定的に描いている。いいだろう、ならそれは、オバサンのツアー登山であり、ハイヒールを履いた雑多な観光客であり、そうしたものをすべて受け入れて、キミの登山姿勢がそこにあるのだ。どう混雑しようがかまわない。それならどうして剣小屋のオヤジの「登山者のレベル低下」という話に同感するのだ。キミの姿勢、スタンスが混乱しているんじゃないのか。
 黒部富山のアルペンルートを肯定して、そっから運動靴で気軽に登ろうとする客は、まさに観光誘致に晒された連中ではないか。登山のレベル低下は必然性だと思うのだが。便利になるということはそういうことだ。しかしキミは、レベルの低下をさせずに、安易な乗り物で行こうという、これはアイスクリームやマックを食べましょうといってるのに、太ってはいけないという矛盾した論理じゃないのか。
 それにキミは、中高年をあまりにもバカにしすぎている。還暦を迎えるキミ自信は馬鹿にされる対象であっても、多くはそんなもんじゃない。マゾヒストですか。
 それに富山からあるペンルートを行くのに、朝日が美しいというのは、ちょっとウソっぽい。西側から立山に向って、朝日は逆光になる。そんなものが美しいとは、キミ見たこともないのに、想像でデタラメ書いたのかなあ。しかも剣に登るのに2泊して3日目に登頂というのも、あまりにもバカ過ぎないか。
 写真は千人池からの剣だが、どこにも千人池の表記をしていないのに、そこの写真というのは、まさに深田がそう書いているからだ。千人池からの剣が最も美しいと。じゃ、そのことも少しは書いておけ。前祝いで富山の駅前の食堂で、生牡蠣食うのは「中高年の楽しみ」だと、なぜキミが断定できる。私しゃあ、そんなもん楽しみじゃねえぞ。
 正直に言おう。低山を選んだのなら、剣など外せ。深田の百はすべて外して、それ以外の低山選べ。主張がどこにもないのだ。剣を外したら、客が逃げる?そういうガイドの回し者、いや怪しいガイドがキミなのだ。

5回目 於茂登岳( 526m 沖縄県 )
 なんだこの山の紹介は。「亜熱帯ジャングルだった」とそれだけだ。新聞1pも裂いて、1行だけとはいったいどういうことだ。沖縄の最高峰だと、それだけで名山か。大体都道府県の分類などは、行政が勝手に行なっているだけで、1県の最高峰を選ぶことに、そこにどこに名山の意味がある。キミは総務庁の回し者か?各県単位で人気を取りたい全国知事会の回し者か?本当にいい山だというなら、初めて知る読者にも、共感する文章書け。登山道がコンクリでぬめぬめしていて、ジャングルなら、誰も登らんぞ。自分のたった1回の登山経験を書き飛ばしているだけなら、こんな山の紹介など止めてしまえ。しかも東京から往復で一人13万円もぼったくって、30人メンバーを集めようなど、悪徳商法にも限度がある。沖縄など、2泊しても3万円のツアーがいくらでもあるぞ。身の程知らず。


6回目 普賢岳(1359m  長崎県 )
 分からん、子供が遠足に行って作文を書いたようなもので、知らない者にはさっぱりと分からない。他の山は少なくとも深田の文章で基礎知識があったからこそ、こいつの駄文でもどうにか理解できたのだが、それがないとさっぱり分からん。これは記事ですらなく、山の紹介にすらなっていない。基礎知識がないとさっぱり分からんのは、子供の作文だからだ。
 大火砕流があったことはしっている。そして平成新山という新しい山は、本当に150m以上の隆起して出来上がった山なのだな。昭和新山は有名だが、実はもっと素晴らしいのが平成新山なのだな。確認して他でも検索しないと、こいつの文章はだらしなくて信じられないのだ。
 なら、どうして平成新山が百名山に入っていないんだ。きっとまだ登山禁止なのだろうが、それが書いてない。普賢岳は登れるようになったのは分かるが、じゃロープウェーというのは、どうして火砕流にやられなかったんだ。離れていたならそう書け。しかし、ロープウェー利用してこの山登りましたなんて、高尾山のロープウェーから登頂するのと、どう違うんだ。こいつはロープウェーでもいつでも平気で乗り込むのだが、そんな観光登山の何が楽しいのか、もし楽しいならその理由を書け。それに長崎で雨に降られないというのは、昔の演歌にそういうのがあったのか?くだらない話ではないのか。まともになのか、そんなことが。


7回目 大尽山(828m  青森県 )
 どうやら恐山のことらしい。外輪山の中の1峰だという。岩崎は総称する名称をなぜか使わない。霧島でも高千穂というし、この恐山でもそのなかの一つ。しかし、青森県になぜ3つも百名山が必要なのかわからない。しかも、地元の親父に聞いて、見栄えがいいから選んだというのも、本当にその程度で選定して間違いがないのか?
 それにしても、こいつのは毎度そうだが、作文を脱していなくて、全然その山の魅力が伝わらない。恐山など名前からして気色が悪い。本人もそう書いているが「土産物屋がなくて、寺があるのがいい」とは、いったいどういうことだ。キミは土産物屋とかそういう観光物が好きなんじゃなかったのかね。店がなくて寺があるなら、その辺のボタ山はみんなそうだ。それが恐山だと、なぜ魅力なんだ。キミはグランドキャニオンを見ても、岩が素敵だとか、皇居の石垣を見ても、岩が素敵と、同じ表現しかできないボキャブラリー不足なんじゃないのか。ちっともいいとこが伝わってこないのだ。そんなアホらしい山の紹介などよしてくれ。


8回目 蛭ケ岳(1673m  神奈川県 )
 またもや出てきた深田の丹沢山という表記の蛭ヶ岳という言いかえが。しかしまあいいだろう。それにしても、岩崎の全体の文章の構成というのが、明らかに深田の物まねに過ぎないのだ。深田の時代なら自分の登山を紹介するのも意味があるが、どうして誰もが登っている今の時代に、コオロギ岩崎の登山の過去に意味があるのだろう。全然物珍しくなくて、記述の意味が一切ないと思える。丹沢が関東大震災で崩れたというのも、岩崎の物まねだし、でもたった一度の地震くらいで本当に崩れるのか?
 それもキミは、蛭が岳の沢筋が、その震災で崩れたと根拠不明にも断定しているのはどうしてだ。しかも震災で滝ができたなど、ちょっと馬鹿馬鹿しくて信じられない。根拠を示せ。日本列島の造山運動は、震災ごときで変化するものか。だったら、せめて六甲の項目に、阪神の震災くらい入れるべきだった。規模は似たようなものだろう。
 それに当時渋沢にいた連中は、みんなヒマラヤを目指したのか、いい加減なことをいうな。それは自分だけだろ。トレーニングになるとは、自分のことか?剣の時に三点確保の重要性を書いていたが、そのトレーニングか?シルバーは大して登れんといいながら、丹沢の沢がトレーニングとは、そういう話の脈絡のなさが読者を惑わせる。話に一貫性がない。それはつまり、自分は元クライマーだったが、還暦でハイキングになったが、連れているバカ客は、しょせん昨日ハイキングを始めたばかりで、適当にあやしていて、金になればそれでいいと読み取れるのだ。キミの文章には、いつもどこかウソが隠されていて、不愉快に読める。ハイカー登山者すべてに、愛情がないのだ。そんなものに騙されるのは塾の客だけで、多くの一般読者には不愉快にしか映らない。
 しかも地元の温泉を必ず紹介するというのは、いまどき日帰り温泉はブームだからいいが、キミのは必ず宿泊しろと強制しているように読める。予約しないとガラクタ温泉でも泊めないというのは、日本の温泉の悪い習慣で、一般にはまったく説得力に欠ける表記なのだが。



9回目 蒜山(1202m  岡山・鳥取県 )

 ダメだ、もう明らかに読むに堪えない。蒜山(ひるぜん)など、スキー場としての感覚しか持ち合わせていない。そのスキー場のどこがいいのか、こいつの頭の構造がしれない。上州武尊でさえ、スキー場の山だと論外扱いされている時代に、やっぱりキミはバスで登って5分歩ける山を、この百に選定しているのだ。中高年をバカにしすぎている。それで自然を理解しろ、山を楽しいと思えというのも、横暴な発想になる。
 貴方が蒜山に、どう関心をもったのかなど、もうどうでもいい。深田の時代とはちがうのだ。どうせバスで峠まで移動できるような山だろう。スキー場なのだから。そこからハイカーを歩かせて、そんなの登山じゃない。幼稚園の遠足だろ。もうこんな選定はよせ、不愉快だ。


10回目 太平山(1170m  秋田県 )

 ふうん、こんな知らない山を選んでいる。それで・・・、菅江某が、司馬遼太郎によれば、ここには登っていないが、神社の話では登っていたとあるが、それで終わっているから、意味不明でもう一度読み直したよ。司馬が、彼の登山を知らなかったと書けばいんじゃないのか、読者を混乱させる書きかたはよしてください。
 で、この山は秋田市のシンボルというが、根拠はなんだ。キミはすべて想像を勝手に断定しすぎる傾向にはないか。断定しても罪がないとでも思っているのか。自分のテレビ出演などはどうでもいい話だ。シンボルで選定したなら、市民がここをどう思っているのか書くのが普通じゃないのか。地元の小学生が遠足で行っているとかさ。でも秋田出身の桜田淳子でさえ、この山登ったという話は聞いたこともないぞ。ウソ断定するな。やっぱりダメだ、もう付いていけない、駄文の羅列と、百の選定。キミはもう、この連載から降りるべきで、選定も取り消して、もしくは本当に、タイトル変えなさい。こんなものが名山でいったいどうするの。

「僕が登りたい山」
 そうでしょ、キミ個人の百なのだこれは。ならばどうして、それが「新百名山」なのだ。おかしいとは思わないのか。でしゃばりだとは思わないのか。あくまで私的なものだ。朝日に踊らされても、丁寧に辞退するべきなのだ。それが何故、出てくる。不愉快だ。


11回目 石鎚山(1982m 愛媛県)

 また盗作が出てきたな。西日本一の山とは、深田とそっくりな表記だ。しかも弥山で万歳とは、深田はより高い天狗に行けとあるのに、それに逆らって、わざと行かないということか。キミは一つの山に対して書くことが何もないのだ。そうだろう深田がすでに紹介していて、キミが改めて表記する材料がないからだ。意味のない選定だからになる。だから盗作したり、引用したり、逆らったりするだけ。止めてしまえ。
 キミが台風で足止めくらったことなど、何の意味もない。それにキミの文章は地元の登山地図でもないと分からないことばっかりなのだ。細かいどこから登って、どこ峠から、どこに降りるなど。そんなもの登りたいと思った人が、昭文社の地図買えば、そこにいくらでも書いてある。わざわざ山の紹介にそういうことは不必要なのだ。それが分からんか。ついにこれで過去の記事すべて検索し終えたが、今後毎週のようにチェックせざるを得なくなる。いい加減にアホらしくもなってきたけど、しかしこんなもの百名山とは絶対に許せない。