Thinking&Essay For Climbing    
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6月2日(水)岐阜の神岡(飛騨市)から、スノーモービルの返事
 3月後半から4月の前半にかけて、スノーモービルでの春山荒らしというのが、流行っているのです。私はこの春、尾瀬と北アルプスの北ノ俣岳で目撃して、とても憤慨しました。それをそれぞれの行政にクレーム行ったところ、今日、神岡から返事がきましたが、「法律によって規制はできないが、和佐府辺りに啓発看板を立てる」というようなものでした。
 まあその程度だとは思っていましたが、それにしてもぬるっちい。それで私は以下のような返事をまた出したのです。
「報告承りましたが、登山者から見れば期待はずれでございます。あのモービル荒らしは、見たものでなければ、その悲惨な状況は分かりませんが、今となってみると、1枚でも写真を撮っておけばよかったかと後悔しています。しかし、あの汚らわしいものを、自分のカメラに押さえることも、無意識にあの場では嫌ったのだと思います。私は調査マンでは、ありませんから。

 およその状況では、3月の3,4週と4月の1,2週の日曜日辺りが怪しいようです。

 なお継続していただけるのならば、神岡で保全している北ノ俣避難小屋のボランティア管理の方が2名おられるそうで、一人は姫路の方でもう一人は清水のひとでしたか? 特に熱心な姫路の方にお聞きすればその状況は分かると思います。

 ただ残念なのは、行政は法律が作られてからそれを遵守するだけで、私たちはその法律さえ整備されていなくて、それは欧米に比べて自然保護などが圧倒的に遅れている状況から、理想的なことを頭で描いて言っているわけです。

 例えば冬の大規模林道などは、閉鎖中で規制がないというのであれば、仮に戦車みたいなキャタピラの乗り物を運転すれば、それは自由に入ってもいいということになる。あるいは車検を通っていないような乗り物でも、それが公道でなければ規制ができないということになります。行政の管理というのは、そのようにある意味で間抜けなこともありうるわけです。

群馬県の谷川岳には登山条例があって、春夏秋のシーズン中は、一ノ倉沢など危険地区の登山には、必ず登山届けを出せとなっていて、その届けで入山に相応しい経験がない場合には許可にならない場合もあります。条例を守らないと、これには罰則もあります。ところが冬の季節は登山センターも閉鎖されていることから、「登山禁止」となり、しかしこれには罰則がありません。それはつまり、シーズン中よりもずっと危険な雪崩れのシーズン中に、もし危険地区に入るのであれば、これは届けもいらないハイカーが入山することもできるということで、実際に積雪期の登山は無届で頻繁におこなわれています。まあ積雪期の山に対して、行政が「登山禁止」など、そもそも越権の行為なのですが。こういう逆説が、大規模林道にも当てはまるように思います。

 しかし問題は、登山道の中のモービルで、これなどは、幅の広い登山道は、夏に仮にオートバイで侵入して走行しても、取り締まる法律がないと解釈できますね。トライアル用のオートバイは、それこそ曲芸的に、急坂でも岩でも登っていけるのですよ。これでは山を管理するという立場から言えばおかしなことです。同じように、過去に富士山でも、これは公道ではないということで、四輪駆動で裾野を荒らしまわって走行することさえ、取り締まりできませんでした。

 登山道は明らかに登山者のために作られた道ですから、人力以外では入っていけないのは当然で、同じように積雪期にも、登山かスキー以外で入っていけないのは当然です。少なくとも規制がないのであっても、モービル走行の犯人を挙げることくらいは、行政か警察ではやらないものでしょうかね。あるいはモービルを売っているヤマハ辺りでも、使用者がそのような行為にでれば、販売責任が問われて当然のことです。

  それに私たち登山者にとっては、国立公園だとか1種、2種だとかはどうでもいいことで、何しろ北アルプスが50万年前に形成されてから、どうせ国立公園などこの30年かその程度のことでしょう。あるいは山を国が管理するというのも、いわば無意識の越権ですらあると思えます。どうせそれは、樹木の伐採業者に対しての規制に過ぎないわけですね。趣味としての登山という話になれば、そこに山がある限り、それが私有地であろうと、国有地であろうと、登る権利はどこにもあって、その権利というのは、山や樹木に対して何もしないということで、それは登山愛好家にとっては、当たり前すぎて、釈迦に説法するようなものです。多分今では「自然保護」というのは、世界中のテーマであって、国有地だからと国がかってに保護をせずに開発すること(ダムを作ること)などに比べれば、登山家がどこを自由に登ろうが、それは誰にも規制できるものではありません。そういう行為の中に、モービルの連中もいるわけで、連中はモービルでも、それは登山だとウソ吹いているのでしょうが、それは全く反対で、自然壊滅といってもいいでしょう。ならば地元としては、登山者は歓迎するとしても、壊滅者は、それが誰であれ、どのようなことをしているのかは把握しておく必要があります。監視する必要があるということです。地元は山など、価値のないものが自分の生まれる前から存在して面倒でしょうが、その保護や必要性は、私たち都会人の方が大いに関心あるものです。神岡から飛越の道で北ノ俣へは、とても素晴らしいコースであるだけに、そこを歩いて登る道として保護するのは当然のことで、モービルやオートバイで入っていくことに「規制できない」とは、大いに間抜けな結論に過ぎないと呆れています。そうそう、登山道の途中の木道を設置したのも、歩いて登山のために決まっているわけで、そうすると、木道の上を夏にオートバイで走行してもいいということになりますか?」
 


5月30日(日)20mの雪渓が渡れない愚か者
 3年前のちょうど今頃でしたね。谷川岳の清水峠越えという昔ながらのハイキング道を行ったことがあります。その周辺に謙信尾根というのがありますが、これなど上杉謙信が越後から上京するときの裏街道だったようで、そういう名前になっています。六日町から清水の部落と抜けて、そのまま進むと清水峠、あとはそれをどんどんくだって、土合に出るというものです。一ノ倉の前の林道が旧道となっているのも、江戸の末期頃に宮様が通ったようで、そのときに道ができたからだったですかね。
 もちろん運動靴で晴れた日にお散歩気分で行ったのですが、なんと、峠に上りついて、群馬側に下ってくるときに、いくつもの小さな沢を横断するのです。ところがまだ6月の初旬で、そこには雪渓。といってもねえ、もう午後だし、3時過ぎでしたよ。それなのに、雪渓がコチコチになっているのです。どうしてなんだ?
 けっこう急な雪渓で、滑ったら止まりそうにもない。といって、高巻くことはそれは不可能にちかい。私一瞬、また清水峠登り返して、新潟側に下らないと下山できないのではないかと、思いましたよ。そうなると当然夜になってしまう。もう唖然呆然。なんでこんなハイキング道で、これほど危険に遭遇してしまうのだ。
 けっきょく意を決して、その辺に転がっていた石ころでステップカッティングしながら、慎重に横断したので、そういう沢が3箇所くらいあったのです。舐めてかかっていると、この辺りひどいことになります。
 その後長いこと、どうして午後なのに、雪渓が緩んでいなかったのかと、ずっと疑問に思っていました。
 まずあそこはけっこう標高が高い。1500m辺りに清水峠に登って、そこからトラバースして下ってくる途中です。1300m辺りだとすれば、それを一ノ倉沢に置き換えると、テールリッジ周辺の高度になる。そこは6月といえば、雪渓の宝庫ですからね。
 でも最近思うのですが、雪渓というのは、雪の性質がそのまま残っているから雪渓であって、午後には緩んでくれるのですが、それが一旦完全に水びだし状態になって、そして夜間に氷結したとすれば、それはもはや雪渓ではなくて、完全な氷となって存在しているわけです。
 雪が氷となってしまえば、いくら気温が15度になろうとも、直射日光が当たっても、表面は溶け出したとしても、氷そのものの固さは、相変わらずガチガチのままで、柔らかくなるわけがありません。
 しかもそこは大した厚さもない雪渓で、下には当然水がゴーゴーと流れている。
 雪が凍りついたというか、染み込んだ水のおかげで完全な氷になってしまったものは、例え真夏といっても、それは侮れないということです。そう、真夏の野外のスケート場みたいなもので、どうすることもできなかったというわけです。
 けっきょくこの日は、こんなことに時間をとられて、湯檜曽川沿いの新道を進んで、もうちょっとで林道というところで、夜8時に完全に暗くなって、ライトも持っていなかったことから、朝4時までのビバークになるというヘボをやりました。
 その翌日に、前橋で遊びの用事が合ったために、朝前橋に着いたわけです。
 今年も、その遊びが湯沢で6月にあって、日にちが迫ってきて、なんだかそんなこと思い出しました。
 初夏の残雪の変化というのは、予想外のことがいつでもあって、いくら経験があっても、残雪の状況というのは、わからないものです。改めて地図見ましたが、七つ小屋沢とか、ケサ丸沢の横断のことですよ。この日は電車で、帰りに土合駅の日記をみると、同じ頃に同じ悩みを書いていた人もいました。その人「死ぬかと思った」と書いていますが、まあ、そう簡単に死なれても困りますが。

5月29日(土)午前中に入梅
 午前中に大阪くらいまで入梅したようで、雨といっても「6月の雨」という歌あったけか、「水色の雨」もあったけど、そんなに嫌いじゃないですね。しとしと雨の青葉の山を濡れながら歩くのも、景色は見えないけど、これもそれなりに楽しいものですよ。
 といってもどうせ雨ということで、今日は家にいます。

 
5月27日(木)北陸電力の横暴で、悲しい薬師岳

 薬師岳の報告は、今年初めてでしたか。20キロの林道ツアーも大変でしょう。それで思い出しました、腹の立つことを。不思議に思うのです。折立へいく道や、蓮華温泉の道など、自然に積雪が消滅しているというのに、いつも林道の開通が遅いのです。立山は積雪15mでも、強引に除雪してるぞ。
 カネの成る木と、成らない木だけの違いだとしたら、なんと田舎者は現金なのかと。富山の薬売りの小銭根性ですか?呆れます。特に、薬師岳、折立、有峰など、ダムができてから、一層地盤沈下しているんじゃないですか。草場の影で冠松は泣いています。より遠い、岐阜の飛越新道のほうが、ずっと登山者に愛されている。

 綺麗な日本庭園ができたと喜んでいても、拝観料が高かったり、うるさくて煙たい坊主がいて、それに開園時間も短いし、煙草吸ったらものすごく怒られてしまうのが、折立までの道を管理している北陸電力ですね。いまどき有料林道、しかも開通しているのが昼間だけ、それに雪などとっくにないというのに、5月は閉鎖。そんなところ観光地になるわけないですよ。だって有峰に有名ホテルないもんねえ。本来なら、有峰という土地に、一般人など入れたくないのかも知れません。自分たちが電力管理するだけが簡単でいい。それは有峰一帯を私有地とみなして、薬師岳すら開放しないのと同じことですよ。林道が閉鎖されているのだから、本来は自転車も歩行者も禁止ですか。エンジン付きだけが禁止ですか。根拠は何でしょう。レベルはネパールや中国のように、ヒマラヤ登山料で金儲けしようという、乞食の根性です。

 しかし、有峰の山々というのは、多分50万年前からあって、昨日今日北陸電力が地主になったからといって、そこに公共投資で道路作ったのに、私道として活用させる。こういうの、企業の税金泥棒というのです。都心に私有地があったら、そこで煤煙モクモクの工場建設してもいいんですか?北陸電力の頭の構造はその程度です。発祥は役所と一緒でしょ。横暴なのです。

 しかも驚くことに、5月連休には、太郎小屋までのヘリスキーというツアーがあるのです。今年もあったようで、3万円だとか。それはいいとしても、その連中の下山は、これはその林道にツアーバス通して、折立まで迎えにいっているんですね。あるいは、太郎小屋の従業員も、折立まで車で入ります。従業員は許すとしてもツアー客だけに、折立までの乗り物の便を図るというのは、北陸電力と太郎小屋とツアーのガラクタガイド連中が癒着しているといわれてもしょうがありません。これも芦倉寺の佐伯一門ですかねえ。
 フェアーでないことに、最も腹が立ちますよ。悪代官の知り合いだけがいい思いして、そういうのは水戸黄門に処罰されてください。
 私ね、そういう話を地元でしたら「だって、5月連休に小屋空けて、ヘリ使うとなったら、ツアーも一緒に運ばないと採算が取れない」というんですよ。だったら、小屋開けないでください。政治家が賄賂もらうのに「政治家はお金がかかるから、賄賂もしょうがないんですよ」というのと同じこと。田舎者はそういうことを平気でいうわけです。まったく北陸電力という悪代官のいいように、薬師岳は遠く忘れ去られているのです。
 そこに登りたい山があるのだから、なるべく早くに道を開通させるのは、そういう場所を管理している以上、これは使命感です。そういう思いに気が付かない富山の田舎者のお話でした。


 5月25日 早くも尾瀬の水芭蕉の季節と、大雪原の記憶
 尾瀬の水芭蕉がすでに満開のようですね。あの混雑は、前の人のお尻ばかり 見ているような木道ウォーキングですが、人気ですからねえ。でも今年尾瀬にいったのは、3月27日でしたか。あの時で3mの積雪はあったのでしょうか。小屋の屋根まで雪がきていました。それがわずかに2ヶ月で水芭蕉。
 こういうあっという間の山の変身は、いつでも驚ろき。そういうときめきがあるっていうことは、まだ若いってことですか、そうだと有難い。
 3月に「桜は?」といってみたり、いまどき「桜は咲いたの?」と疑問になっても、これアホというものです。でも積雪は3月でも5月でも期待するし、過去の3mの雪が、ゼロになっていたとしても、じゃ10mあったところは、まだ残っていますか?9月になっても、残っているところは実際にあるものですよと。
 10mの雪を滑っても、2mでも、その違いはスキーヤーは余り感じられないんでしょうか。でも融けてしまうと、大違いに唖然としてしまうものですよ。
 それにしても、あの南極大雪原かと思ってしまった、3月の尾瀬から、たった2ヶ月で、水芭蕉の木道とは、これまたその違いに唖然、愕然。
 毎週山にいっていたのに、刻々の変化は見落としてしまうものですよ。毎日息子と接していても、子供の成長が早いのと同じですか? 半年のスキーシーズンももう終わってしまうそうですよ。早いなあ。一眠りしたら、知らない間にもうシーズンオンですかと、なって欲しいものだよ。


5月23日(日)久しぶりに天気予報のドハズレ
 今日の朝7時までの天気予報でも「本日は晴れるでしょう」なんだが、午前10時の今でも関東甲信越で晴れているところはなし。こんなハズレってあるのか。予報は外れても「すいません」を絶対に言わない。
 私もこの1年で登山して、これだけ天気予報が外れたことは初めてです。昨日も曇りと雨。今日も晴れの予報が雨。昨日から富山県にいったが、何もしないでダメ。すでに午前10時で自宅に帰って、むかむか。

5月22日(土)曇りの日の無駄遣い
 曇っている日は、下の方でうだうだやっているのがいいですよ。扇沢で針ノ木雪渓登っていた人もけっこういたのですが、何だか片道5千円払って室堂へ。このコースにも大勢いましたよ。しかし着いてみるとガス。自然なんとかセンターで雷鳥の勉強してその後ベンチで居眠りして昼過ぎ。それでもガスで何もする気がなくて、下山。みんなガスのなか、雷鳥沢登りにいったんでしょうか。消えていましたが。扇沢に戻って午後2時。何もしないで1日終了。片道切符だったものでまたまた5千円の支払い。往復なら2千円安かったのに。しかも一日中、観光客相手の売店の呼び込みに、煩わされて。だったら、下の方で適当に遊んでいた方がよかった。大失敗。


5月19日(水)ショートスキー問い合わせ

 フリートレック、ベンチャー、あるいは私のは「さかいや」で最近買ったコルグという98センチです。それにスノボー用のビンディングつけて、皮山靴でOKですよ。以下は、数回使った印象。

1、 ショートは軽いか?
 そもそもショートというのは、今でも邪道らしいことは承知の上です。一般的には、ショートといっても、実はセットで4キロもあって、これって普通の山スキーと重さは、そう変わっていません、きっと。だから軽さだけで選ぶと失敗。

2、重量は?
 スキーの重さというのは、昔のスピーカーと一緒で、きっと「重ければよい」のだと思われます。それは構造的に、中身がしっかり作られていて、そういうものは、多分「クラスト斜面でどうエッジが有効か」というときなどに、軽いものと重いものの違いがはっきり出るようです。中には山スキーセットでも2キロ少しというのもあるようで、重さだけで選ぶと、ねじれ易い、など、肝心なときに役に立たない場合がでるでしょう。

3、軽い板の魅力は
 軽いのでOKというのは、多分に新雪のときだと思われます。私サロモンのクロカン用、カービング145センチでセットで2,4キロ持っていますが、これなど言ってみれば「ペラペラ」で、固い雪では役立たずであり、でも新雪ではよく浮いて、楽しいようです。つまり長さと重量の関係は薄くて、主に構造でしょう。

4、ショートあれこれ
 ゲレンデスキー屋さんでは、ショートもけっこうたくさん売っています。で、1m以下の板というのは、じつは「スキーではない」という安全基準の扱いで、解放装置がありません。転んでも短いから怪我しないというのでしょう。従って構造も簡単で、けっきょく重量も軽いという傾向のようです。でも大きく「スチールが入っているのか、いないのか」という大きく2種類の構造があるようで、入っていないものは、木ねじでつま先の先とかかかとの後とか、広い面積でビンディングを止めないと、しっかりしないわけで、またこうした板を乱暴に扱うと、「壊れる」といわれたこともあります。もう一方は、しっかりした構造で、土踏まずの所だけで4箇所「ツーバイツー」というスノボー用の止め方らしいですが、それができるものとあります。これはしっかり構造でねじれにまあ強いようです、

5、軽い板を望む人
 ということは、軽い板というのは新雪用で、あるいは応用して5月のザラメ対応だと、自分なりに言い切って、それでもペラペラを覚悟して、ハードに乗らないということでしょう。初期のフリートレックが壊れたという時代があったそうですが、これに該当するのではないでしょうか。

6、私のショートは重い
 それは、フリトレよりも重いようで、実際それだけしっかり作られているということかも知れません。まあその違いが分かるスキーヤーであるかどうかも問題ですが。

7、何故山靴とショートか
 私、4月以降の山は、滑ることもさることながら、登頂するということに重きがあります。その帰りに滑れるのであれば、滑りますよと。それにそう滑降には執着していません。そうなると、今でもガルモントなどの兼用靴は、みているだけでやはり重そうだし、稜線の雪はげの土や岩では、本当に歩きづらそうに思える。連休に、夏道100%の鷲羽岳を兼用靴で登った人の「靴が壊れる、痛む、足も痛い、重い」という苦痛は、私の場合さらに強いものです。だから、滑降性能が多少落ちても、やっぱり春用の軽い皮登山靴が好きなのです。また背負ったときに、160センチよりも、98センチは本当に持ち運びが簡単になる。また山靴で160センチをこの時代にジルブレッタなどで、履こうとは思いません。

8、よくショートで我慢できるね、普通の板履けば
 とは、よく言われます。しかし先のように、プラ兼用靴の重さと、ぎこちなさ考えると、とても私は嫌です。

9、シール歩行はどうなるのか
 実は、4月以降は、私シール歩行を認めていません。ツボ足でも全然潜らない。シールが山菜取りの長靴おじさんに抜かれるという場合もあって、ツボ足アイゼンで十分、いやこれが最高だと思っています。私のショートにもシールが付くし、かかとも上がるのですが、なんだか下駄はいているようで、いやだなあ。

10、7月以降もスキーか
 つまり、極端にいえば、どんな山行でも4キロのスキー持っていって、雪があれば滑って遊ぶという感覚に近いものです。8月の奥多摩では、明らかにそんなことしませんが、北アルプスに行くのであれば、どっかの雪田でもできなくはない。そういう思いの中に、私の場合ショートの存在があります。

11、でも滑りやすい
 というのは、実はゲレンデ用のファットなど、履いたことありません。98センチのコルグでも、これスノボーみたいだなあと。止まると転ぶのです。それだけ回転性能と滑走性能があるってことです。それが山靴でも実に楽しくて、連休以降の3回の山行に、これ使っています。満足。過去にない経験です。



5月17日(月)飛騨の上宝の金木戸川濁流で、釣り師対岸に渡れず
 でてきました。梅雨のシーズンになると、豪雨の鉄砲水などで、川遊びしている連中が、ヘマこきますよ。朝刊には天竜川下流のモトクロスでこれは70人が中州に取り残され。昼過ぎには、金木戸川で釣り師二人に消防団が救助してましたが失敗。午後にヘリで救助したんですか。連休に遊んだ双六谷の下流でしたね。
 豪雨の季節は好きですよ。だって米育たないもんね。そして山では鉄砲水。そうだ、数年前には丹沢で「こんな雨平気だ」と啖呵切っていた連中は、本当に流されて死にましたね。馬鹿は死ななきゃ直らない。
 雨の日の沢は本当に危険ですよ。それとねえ、天竜川などは、水源は諏訪湖でしょ。あんなとこ水源で、途中にいくらでもダムあるのに、あの程度の時間20ミリくらいの雨で、ダムの水流して、中洲に取り残されというのは、多分ダムはもう土砂で底は平地になっていて、豪雨調整の機能等できなくなっていると思われるんですよ。ダムって、作ってまあ10年で半死で、30年で全滅でしょ。熊本の築50年のダムは、間もなく壊されて清流に戻りますよ。 つまり自然災害は、治山などしても大した効果もなくて、自分で逃げるなりして守らなくては。それが山の生活だし、接する登山の楽しさですよ。いつも思い出すのは、もう20年も前に、南アの寸又峡近くで、時間70ミリという雨の中、林道歩いて下山しましたね。もうシャワーの中と一緒。日本は雨国ですから、みなさんこれから9月までは注意しましょう。



5月11日(火)カービングやファットはスノボー系か
 ショート98センチはファット系になっています。滑りやすいのですが、驚いたことに、平地に降りてきてホッとすると、その瞬間にすってんと転んでしまう。スノボーはいまだに止まれないそうですが、よくよく考えればスキーが止まれることがおかしいわけで、平地で転んでしまうというのは、滑走性能がスノボーに近いのかなあと納得するのです。
 常にターンしているときはいいのですが、斜滑降で高度を落とさずに遠くまで行こうとすると、どうも真っ直ぐに進んでくれなくて、すぐに曲がろうとする。形状によってスキーというのは変わるものです。それがスキーの進化で面白いところなのか。


5月9日(日)田淵行男「山の季節」
 もうずっと前の本だったようですが、この間ブックセンターに行ったときに、山の本棚みていたら、小学館文庫から田淵のエッセー集が再販になっていて、買って見ました。最近また昔の本が文庫化されていてとてもいいです。
 私の恩師の松崎先生は、以前に常念乗越で、まだ夜明け前に起きだして写真を撮ろうと思ったときに、自分よりも先に動き出していた人がいて驚いたら、田淵さんだったということです。話しかけても何故か変人で、やっぱりこういう人の素顔というのは、近寄りがたいものらしいです。
 安曇野に住んでいた写真家で、日本一の山岳写真家だといってもいい人で、実にナイーブです。
 でもね私先日の穴毛の堰堤砂漠ではないですが、田淵さんも山が荒らされていることを、当時30年前でも、この本の中に少し出ていますよ。それでも登山家とかスキーヤーは、自然保護について、全くおとなしいと思っています。ガーガー言っている人は、政治的な背景のある人で、かえってこういう人はまた怪しい。
 私たちはいつも従順すぎて、是々非々なのです。是々非々という言葉は、いい言葉ではありません。例えてヤギのようなもので、主体性が弱くて、上のいいなり。変えられた状況に即しているだけ。日本は自然保護も、自由も、圧倒的に後進的に過ぎません。
 例の真紀子の娘の離婚が、表現の自由かプライバシーの侵害かと問われたときに、こんなものが、プライバシーの侵害に相当するという考えは、圧倒的に後進国の考えることだという結論になっています。マスコミでさえ、ときの政権から自由を獲得するには、もっともっと自分たちの権利主張がない限りだめなのです。なし崩しに管理されてしまうだけなのです。
 ヨセミテのジョンミュアは登山家であり、100年前の自然保護の先駆者でした。だからカリフォルニアには、ヨセミテが存在しています。日本に登山家出身の自然保護家はいません。押しなべて、ナイーブだけなのです。それがまたいいことだとされている。田淵はいい写真家ですが、自然保護に憂いているだけで、終わってしまいました。ニコルのような外人に頼らなければならないことが、情けない。
 「言ったってどうなるものじゃない」というのは、是々非々の最たるもので、認めません。
 私、「黒四ダムを取り壊そう運動」を一人で立ち上げます。あのダム、もういらないと同時に、過去の自然破壊の反省の象徴に、取り壊さないとダメです、はい。

5月8日(土)先週末と同じ新穂高
 「治山事業が国土の緑を守る」というのは、本当か、詭弁か。「美容整形が女性を美しくする」というのと、どこが違うのだ。少なくとも北アルプスは50万年くらいは、今の造山運動が続いてきたわけで、この100年くらい国土省が日本の山を自分のものだと錯覚して治山したからと、何ができるのでしょう。100年に1回のがけ崩れが、人家を壊すというなら、壊れてください。そのために毎年100回も堰堤作るよりもいいと思うのですが。大洪水で村が流されるというなら、そういうところに村作らないでください。角栄は昔、谷川岳を崩して、佐渡までその土で埋め立てましょうといいましたが、今の治山はそれと同じことしています。土砂や水害を心配するなら、日本の山を全部削って、平地にしてください。それと同じことを国土省や林野庁はやっているわけです。大バカすぎる。

5月7日(金)夏のような暑さ
 連休以降で、今日みたいにジリジリと暑かったのは、東京では今日が初めてです。まるで夏ですねえ。雪解けが心配なのはもちろんですが、これだけ暑いと、むっとする樹林帯とか、そこに山ヒルがポトンと垂れ下がっていたり、メジロというアブの親分のような蜂が、大挙して群がってくるとか、そのような光景が、頭に浮かんできます。だから夏山シーズンなのでしょう。下界が暑いときには、標高が高いということが優先されます。新潟上越のように、標高100mですでにゴルジュになってしまう山は、アマゾン並みの季節に入ってきました。


5月3日(月)修行僧のような山スキーヤー
 双六小屋という北アの真っ只中の春営業の小屋に2泊して、山スキーヤーというのは、ストイックな人種だと改めて思いましたよ。ゴンドラやリフトのない時代というのは、まあ終戦後間もない時代と同じで、自分で滑降したいルートを歩いて登って、滑り降りてくる。楽しいのは10分ほどで、そのために2時間の苦労するわけだから、修行僧みたいなもんですよ。
 これって、だからと言ってヘリスキーがいいかというとこれもそうではなくて、何も苦労しないであっさりと頂上に着いても、なんだか面白くないんだよね。ロープウェーで頂上にいっても、何だかただ観光しているだけで、それ以上のものにならないね。そうそう春には、薬師岳近くの太郎小屋も営業しているけれど、そこまでいくのに、ヘリっていう手段もあるそうだけど、運賃3万円だってさ、どうかなあ。

5月2日(日)この三日間は北アルプスで連休スキー。三日とも快晴で大満足。
5月1日(土)
4月30日(金)

4月29日(木)ちょっとまし
 医者にもらった薬漬けで、今朝はいくぶん調子もよく、本日夜から1日遅れで、スキー予定出発。週末まで何とか好天は約束されるでしょう。

4月28日(水)風邪気味
 明日は全国的に快晴だというのに、昨日辺りから風邪気味で、明日からのスキー予定をキャンセル。とほほ

4月27日(火)春の嵐
 今日みたいな「春の嵐」の日が、春っぽいのだと思うけど、普通はぽかぽかした日が春っぽいと思われていますよ。つい数日前には、「春を通り越して夏だ」とか「冬に逆戻り」とかいうけど、やはりそういう不安定が春らしいと思える。
 今年は「台湾坊主」も「二つ玉低気圧」もこなかったね。不安定な天候のなかに、たまに快晴のぽかぽかがあって、そういうの全部含めて春だというのに、下界人にはあまり理解されないようです。


4月20に(火)北岳バットレスの大滑降
 ヒドンガリーの大滑降はエクセレントですねえ、きっと。Cガリーの奥だと思いますが、エクストリーマーは、いろいろなことやります。
 前にククチカが死んだときに、雨宮さんが「あんな登攀をしていれば、いつか死にます」といっていたけど、安全登山は第一です。山で死ぬことはやはり失敗だと思われます。
 それとたまたま成功したと寺田が言っていたのは、吉尾弘の昭和32年の一ノ倉滝沢積雪期の初登で、評価していませんでした。森田勝さんが第三スラブの積雪期を登ったときには、脚光は浴びたようですが、それ以前に山岳会を除名させています。彼はその後亡くなりましたが。
 用意周到で登るべきして登られた山と、ロシアンルーレットに成功してたまたま登った山とは違うようです。いずれにしても安全に成功率を99,99%くらいまで持っていって登ることが大切なのです。

4月19日(月)山の本(白山書房)の地味おもしろさ
 土曜の夜は新潟県の入広瀬村のどん詰まりの音松という民宿に「オレ流」で泊まったのだが、なるほど泊まった後に分かったのだが、けっこう有名なところですねえ。お、この方法というのは、当日の夕方2時頃に電話しまくって、あいているところに泊まるというわけです。ところがこれが意外で、メンバー他は「そんな方法で宿泊できるの?」と前回聞かれました。山屋さんが、予約して宿泊することに違和感大有り。
 ところが、あんな田舎でも守門村には1軒の宿ですが、これが満員。入広瀬でも数軒が満員。そういえば3月の上高地、徳沢園でも満員でしたねえ。満員はなれていますが、どうも土曜の夜だけは、けっこう予約で満員となるようですよ。でまあ、どうにか音松に入れましたが、夕飯がとってもうまい。「小谷の山田旅館よりうまい」とメンバー一人。
 そう山田は、歴史に胡坐かいて、飯が並み以下だったのです。例は、固形燃料をテーブルで燃やして、その場で温める1品がどの旅館でも出ますよ。昨日はそれが「すき焼き」だったかなあ。場所によっては「牛肉」だったり。ところが山田はさっきまで冷凍庫にあった、「おでん」のパックを切って、その個人なべに並べただけ。これは最低でした。江戸初期から400年も続くと、今世代のオヤジは胡坐かきますねえ。食い物に静かな私でも大いに違和感。 で風呂のときに書棚に「山の本」(白山書房)の古いものあったのです。もう発刊は10年も前でしょうか。発行人の箕浦さんは縁があって知っているのですが、クライミングジャーナル廃刊にした頃ですよ「今度は読み物雑誌だしますよ」と。正直、無理だと思ったのです。
 ところが10年以上も継続して今もある。私の勘違いでしたが、昨日改めて風呂でよく読んでみると、これが面白い。
 例えば低山歩きが趣味のオバサンがいますよ。槍ヶ岳はもう20回くらいも遠くから見たことがあって、あれは登るものではなくて、見るものだと。そういう人が何故か誘われて槍ヶ岳に初めて登ってみる。それでどうだったのか、ふむふむ、その人の登山観が実によく分かる。対して、昨日登山とスキー始めた小僧が槍に登る「パウダーじゃなかった」と文句を言う。そういう報告は何の価値もないのです。同じ登山をするものとして、考え方は違っても、オバサンには大いに共感できるし、思いは推し量れる。対して小僧は、明日にでも登山をやめるかも知れない、いやあと10年続いたら、その頃報告読んでやるよと。だから地味な山の本は続いているのです。登山は人生とスライドします。仕事と同じくらいに、人生について回る、必然ですね。小僧のセンズリが槍に登っても、何も面白くないわけです。

4月18日(日)新潟・守門岳
 その翌日はついに快晴になって、守門岳という山にスキーで登頂。新潟の入広瀬村とか守門村は、真紀子さんの選挙区ですが、まあどうでもいい話ですが、11月からは合併して「魚沼市」になるようです。この只見線にそった国道は福島県へ通じていますが、まだ冬季の閉鎖中で、道は除雪されていません。雪深いところです。
 そうそう週末の間に、安田純平君たちも解放されて、よかったですねえ。

4月17日(土)新潟・浅草岳
 移動性高気圧で全国的に快晴だといわれていたのに、スキーにいったら曇っていて、ガスもでて視界が50mになって、頂上までいけません、敗退。山の天気は不明です。


4月14日(水)尾瀬も北ノ俣岳もモービル遊びの犯人不明 
 東京電力の群馬支店から午前中に早々と電話がありましたよ。「それをやった人は私たちの関係者ではないようです」と。でも本社にその件は報告するといっていたし、環境省の会議にも出すようなことを。相手は何と言っても尾瀬ですから、「自然保護」を世論やマスコミが言い出したら困るということで、東電も相当神経質になっているようです、当然だけど。
 東電の関係者は、3,4月に合計1週間くらい、ヘリで東電小屋に入って、クロカンスキーで雪下ろしするだけだそうです(ところで何故尾瀬の話が東京電力かというと、地主だからです)。
 さて2004・3・28に私が目撃したというのは、尾瀬湿原・山ノ鼻から北西方向に猫又川が入っていますが、それは山ノ鼻から約2キロの間の静かな湿原なのですが、そこに数台のスノーモービルの跡が、ある場合にはブナの太い幹の周りをグルグル回ったり、付近の湿原を行ったり来たりしていたり、Uターンしてクニャクニャ走行していたり、要するに頭の悪い暴走族が、市街地で車の無謀運転しているのと同じことをやったらしい、モービル跡が残っていたというわけです。至仏山の斜面の方にも続いています。しかもこの日当日のことです。そのモービル跡はそのまま鳩待峠に向い、さらにそこのヘリポート周辺でまたもや遊んで、林道をショートカットして津奈木橋の方に、下山していたのです。
 私がモービルそのものを見つけたのは、津奈木橋から300mくらい入ったところでしょうか、林道脇の樹林の中に2台のモービルが隠すように駐車されていた状態でした。午後6時過ぎでしょうか、まだ十分に明るい時間です。さてそこからモービルの運転手はどうしたのかというと、これが分かりません。林道にはスキートレースやツボ足の跡もたくさんあって、歩いて帰ったのか、別のモービルに乗り換えて帰ったのか。しかも津奈木橋先からは、まだまだ一般車は進入禁止ですが、すでに除雪は終わっていて、戸倉スキー場ゲートまでここから7キロもあります。登山者以外は通常歩きませんよ。ということは、彼らは何かの車で帰宅したものだと思われますよ。中に宿泊施設はありませんから。
 という経過で私は、明らかにゲートの鍵を持っている群馬県、営林署、東京電力の関係者かもしくは下請け業者だと思ったわけです。ところが、実はゲートの鍵の管理というのも意外とズサンなもので、要するに1個の鍵に対して、いくつもの合鍵が出回っているし、それが売買されているようなことまで、あるらしいのです。舐めた話ですよ。モービルの山越え入山もあるでしょうが、アスファルトが7キロも除雪されているところを、その道を走るということは、余り考えられませんね。除雪途中の道に、群馬県のブルが堂々と止まっていますが、モービルも同じように大胆だったということです。こうなると犯人は明らかに部外者で、偽者アウトドア派ということになります。それにしても、2台のモービルを山の中にシートもかげずに止めっぱなしというのも、確信犯ですよ。
 またその翌週に来るのか、そうだとしても山の中にそのまま1週間止めるとは思えない。とするとまた明日くるのか、そうなれば関係者だとうと思ったわけです。私が歩いた鳩待峠〜山ノ鼻〜猫又川だけでこの通りなのですから、あの広い湿原は一体どうなっていることやら。犯人ももちろん悪いが、管理している東京電力も当然責任は問われますよ。もちろん群馬県も、あるいは何も知らない「ぼけ〜」としている地元の片品村も。環境省も当然でしょう。長蔵小屋の4代目のバカにつき、いくら自然保護だと唸ってみても、人間慣れてしまうととんでもないことをやってしまうものです。
 なおこの日夕方には神岡の役場からもEMがありました。調査中とのことです。だったら私が見た状況書いてみましょう。
 さらに帰りの状況は以下のとおりです。2004・4・11の日曜日に避難小屋を出たのが13時30分ですから、寺地山近くに来たのはその30分後の14時頃。
 最低コルから寺地山の登りに入って間もなくの頃です。いきなり靴の足跡が見晴らしのいいところにいくつもついていたもので「誰か登山者がここまで来て、引き返したのかなあ」と思ったものです。ところがそのすぐ先にスノーモービルのあのキャタピラ跡がついているのです。1台のモービルでしょう。来た跡と、帰りの跡の2本。ほんの数時間前か1時間前くらいでしょう。特に寺地山からの急な下りなどでは、雪がかなり深く掘り起こされてひどい状況です。
 その後飛越新道は神岡新道と別れて、斜面を下って次の尾根に登るところがあるのですが、そこはモービルで遊ぶにはとてもよかったということでしょうか。太い幹の周りを回ったり、斜面を何度の登り下りしたり、ヨタヨタと緩斜面をジグザグ走行した跡が、まったくひどい状況になっていました。もう呆れて言葉もありません。多分もう1台はここまで来て引き返したのでしょう。跡が2台分くらいになっています。そうしてそこから飛越トンネルの方に向っていくのです。
 最後林道に出るところは、登山道は一旦トンネル上部を向こう側に越えて下っているのですが、連中は高圧線をくぐった後に、向こう側に行かずに、川の手前をそのまま林道に向って下山しているのです。「へえ、頭のいい積雪期のルートだなあ」と思ったくらいで、通いなれた人でしょう。さらにその辺りからはスキーで滑った後もあり、モービルに相乗りしてきた連れが、この斜面でスキーしたのでしょう。後は雪に埋まった川を渡ってトンネル入り口の駐車場にでています。それから延々8キロの林道もモービル跡が、何だか増えてきたようにも思うのですが。最後和佐府に出る1キロは雪解けでアスファルトも露出しているのですが、モービルは雪がなくても走れるわけですよ。和佐府直前の橋には、雪が残っていますから(橋の上の雪というのは融けにくいもの)、そこには今でも後が残っているでしょう。
 明らかのトラックにモービルを積んで、遊びに来たものだと思われます。最近のモービルは性能がいいようですから、条件が避ければ北ノ俣岳頂上までいけるでしょう。いいえそこから黒部川に向って滑り降りることもできるでしょう。歩行者、登山者の道に、モービルが入り込んでくるというわけです。あんな山奥で事故でもあったらと思いますが、そんなことすら一々気に留めたくもありませんね。どうにでもなってしまえと。どうかお調べして下さい。

4月13日(火)碇谷さん訃報
 彼はビリージョエルの世代でしたか、同じですよね。私のクラブの2年先輩の女性がいて、もう20年以上前でしたが、集会の帰りに仲間と遅くまで飲んで、彼女のアパートに数人で押しかけました。その彼女の部屋にビリージョエルのLPが数枚あって、そのときに始めてこの曲を聴きました。ニューヨークの臭いのいい男で、その後尾崎豊も彼に憧れましたね。
「素顔のままで」という曲ですよ。NYの音楽なのに、何だかヨーロッパの雪山にとても似合うような音楽で、そういえば白馬からの唐松岳もヨーロッパの雰囲気のところですよ。その後会社に後輩が入ってきて、彼はグアムに数年住んだことがあるといって、カラオケで冷やかしに英語の歌を歌えよといったら、いきなりビリージョエル歌い出して、それがとってもうまかった。その後私も真似して歌ったこともあったけど、上手じゃないけどでもいい曲です。高田みずえだったか「ビリージョエルを聞いたか」というような歌詞があったような。
 碇谷さんはロマンチストだったんです。春のスキーは一瞬にして危険に襲われる。とても残念です。ほんの数分前までは元気でいたのに、雪崩れというやつは本当に気まぐれです。40歳過ぎて、永遠のロマンチストたちが、春の山にスキー持ち込んで楽しんでいるというのに、一瞬にして命が奪われる。とても残念なことです。いくら悔やんでも悔やみきれない。どうかこれからは天国で私たちのスキーの安全を見守ってください。そして私たちを不用意に自分の所に運ばないように。貴方の不運と失敗を繰り返さないように、私がもし危険に合いそうになったら、どうか止めてください。安らかに。
 (4月9日・唐松岳にて雪崩れで遭難・45歳)


4月10・11日(土・日)岐阜・飛騨市
 町村合併で2月1日から岐阜の神岡町(ノーベル賞の地下施設があるとこだよ)が、飛騨市になって、そこにいってました。お天気快晴でなにより。黒部五郎岳に登山。


4月7日(水)山野井「垂直の記憶」
 売れているんです。八重洲のブックセンターにいって売り切れで、在庫もなし。たまたまテントポールの修理でカモシカにいったときに、サイン入りありました。12年間に18回のヒマラヤ遠征など、最近は申請が楽になったのでしょうか。前には10年後まで満杯?エベレスト登山に限ってだったでしょうか、そういう時代もありましたが。
 20年以上も前に、スコット、ボニントンがエベレスト南壁登って、その後同志会がエベレスト合宿やるといっていた以降の時代は、ヒマラヤはなんだか「百名山」の延長になって、三浦親子が登ったりとか、誰もが平気で酸素使うようになって「そんな登山は見るべきものがない」という強硬意見は少数派になって、誰もが穏やか志向になっていると、勝手に思っていました。
 ところが、国内で言えば誰でしょう、長谷川以降でしょうか、久しぶりに本格的なちゃんとしたクライマーの本がでましたよ。私植村が持てはやされた時代も好きではないのですが。彼は登山家ではなくて、冒険家です。太平洋ヨットの堀江謙一に近いですよ。山野井は2000mの雪壁はワンデーかツーデー。乾いたビッグウォールだと1週間というのもありますが、どのどちらも好きで登っているというのが、好きですよ。フリークライマーの平山ユージも有名人だけど、やっぱり山野井のアルパインはスケールが違うよね。夏山と冬山の違いだ。
 17時間連続登攀とか、おおやってる人はいるんだと再認識です。最近も鹿島槍に午前0時出発取り付きというのもあったけど、そだよね、まじめにやるときは。
 山野井は先月一ノ倉四ルンゼ登って、3時間で稜線に出たときに夜明けだそうで、真面目に安全に登るときにはやはり、そういう時間になりますね。本読んでなんだか力が出てきました。7000m峰でも、一般ルートから2回登って訓練と下山ルートの偵察して、やっぱり一人極地法っぽい。好きだと必然的にそうなるよね。誰もが死んじゃう時代にせめて彼だけはちゃんと生きていて欲しいです。山で死ぬのはろくなもんじゃありません。


4月3日(土)上ノ倉山2107m
 群馬新潟県境の深い山にスキーにいって、帰りに視界50mほどになって、ちょっと道迷い。


3月31日(水)冬のゲートの入り込み
 尾瀬にしても冬季ゲートが開いてからという人が多いものですが、でもゲート閉鎖中でもいきましょう。時期が遅れるほど雪が融けてしまうわけで、4月に入ると1週間で1mの雪解けしますきっと。4mの積雪も1ヶ月でおしまい。それにたくさんの方法で山に行きましょう。いくたびに感じ方が違うと思いますよ。


3月29日(月)午前5時帰宅で、大バテ
3月28日(日)群馬、新潟県境の平ヶ岳にスキーツアー
3月27日(土) 同
3月26日(金)ようやく春の陽気
 今週末快晴予定です。春スキー本番で、一日中落ち着きません。


3月13,14(土、日)上高地スキー
 スキーシーズン中の日課のような日程ですが、今回は息子と一緒(記録参照)で、ちょっとは張り合いがありましたね。無人の小屋で宿泊もしたしね。


3月7日(日)奥秩父につくっている琴川ダム
 奥秩父というのは、埼玉県と山梨県の境の山のことですが、その山梨の牧丘町に琴川ダムというため池みたいなダム作っていますよ。300億円くらいかかっているね。これね、本当はどういうことか分かりました。ああいう過疎したようなところは、何にもしないと滅びてしまうだけなんですよ。でもね、ドライブイン作るからって、300億の予算は通りません。なんでもいいから金かけて、観光誘致みたいなこともしようと思ったときに、役所はダムしか思いつかないというわけです。黒四しかり、丹沢湖でも、ダムはなんだか妙な観光地になっているんです。別に10万円くらいでアイデア出して、観光誘致に成功すればいいんですが、でも地方自治体や国に借りれば、300億円くらいなんともないという横暴に、最近は惚れ惚れしてしまうのですが。アホ。

3月6日(土)中央道諏訪の積雪スリップ事故
 昨日午後11時、ちょうど諏訪のあたりへ出かけようかと思っていたのですが、何故だか午前中に雪の予報。それでついに計画中止して本日を迎えましたが、案の定その諏訪で雪のスリップ事故が、午前中にありました。予報というのは、的中しますね。ということで、明日は、松本周辺までなら晴れでしょう。で1日ずらした計画いきましょうか。弱い冬型で、そんなに風も強くないと思うんですが。

3月5日(金)日本周辺に低気圧が7個
 毎週金曜日は週末の計画日だね。ヤフーの天気予報見ると、日本周辺に低気圧が7個もきているよ。まったく春らしい不安定な気圧配置ですよ。新潟、長野方面は曇っているだろうしね。下界の天気予報は、気温のことばっかりいうけど、知りたいのはどこが雪で、どこが晴れで曇りなのかということなんだけど、まあ下界人にとっては、風の強さと気温だけが関心ごとでしょうから、仕方ないけど。太平洋側の晴天約束されたようなとこ探して出かけましょう。


3月1日(月)東京では雪が降ったが、早咲き桜の満開
 桜が今日咲いたのは、上野公園の京成出口の2本で、満開ですよ。皆写真とってたね。文京区でも1本咲いていました。早咲きも数本あるんでしょう。春でございます。桜の木の下でスキーしましょう。スキー花見。

2月29日(日)小谷村の山田温泉
 ここは日本秘湯の会メンバーの温泉です。創業400年ととっても古い。前日からここに宿泊。今の店主は20代目で息子さんの21代目になりそうです。古の歴史がある千国街道の旧道沿いですね。「塩の道」の旧道がここを通っています。中仙道や東海道ほど有名じゃないけど、北国の街道ですよ。

2月28日(土)長野県小谷村(おたりむら)・大渚山(おおなぎやま)1566m
 スキーツアーのクラシックルート。快晴、雪焼け。

2月27日(金)クライミング・ルネッサンス
 同じ山に何度も登ってみよう。「1回登ったからもういいや」と思うのは何故? 登山がきついから? 大変だから? 苦しいから? どの山に登ったって苦しさは変わらないよ。好きな山なんだから、日にちを変えて何度も登ってみよう。せめて夏と冬、いや春と秋。春夏秋冬の4回登れたらとってもいいけど。でも本当は月を変えて、12回登れたらもっといい。稜線から登ったら、谷から登ってみよう。
「縦走だけじゃ面白くないよ」といったのは、名登山家の冠松だったね。扇沢や北俣谷から後立山の稜線に登り着くと、今度は棒小屋沢を黒部に下山するという「谷キチ」だったね、かれは。人間も頭の天辺を見ただけじゃ分からないと言って、顔を見たり、胸元見たり、お尻見たり、膝小僧見たりするほうがいいといっていたね。稜線も谷も登ったら、今度は中腹を横に歩いて登ってもいいよ。
 豊科のカメラマンの田淵さんは常念岳に100回以上登ったよ。谷川岳オジサンは、もう2千回近く登っているのかなあ。箱根には金時山オバサンがいて、彼女は1日置きにそこに登っているね。あんまり登り過ぎても飽きちゃうけど、12ヶ月登って、3ルートから登って、合計36回登ったらやめてもいいね。
 緑の会長の寺田さんは、一ノ倉沢に合計200回くらい入っていますよ。「何回登ってもいいものだ」と過去に言われたことがあったけど、そのとき私は「どうしてだ?」と理解できなかったね。1回登ればそれで十分。でも年を取って、その理由が分かってきたよ。本当にいいところは、いけば行くほど、さらにドンドンよくなっていくよ。昨日まで知らなかったことが、今日新たに発見できるね。長い付き合いの女房が「ドンドン好きになる」のと一緒だよ。違う場合もあるけどね。
 つい最近も、新穂高から蒲田川の林道に沿って登っていったね。1月に行ったときは2mくらいの積雪だったのかな。ラッセルに苦労したけど、翌2月にいって見たら、さらに積雪は増えていて3mくらい。そうしたら、林道がどこを走っているのか分からなくてちょっと困ってしまったよ。「あれ、道が消えている」と。そうだね、林道雪崩れの向こう側に道は消えてしまっていたんだね。雪崩れた斜面を乗り越えて、その向こうに道のような窪みが見えたんだよ。とっても驚いたし、新鮮だったね。
 この道は、20年以上も前に、きっとあれは「昭和56年豪雪」の時だったと思うけど、槍の小屋に20人近くが2日間閉じ込められて、それでも強行下山しなくちゃならないときがあったものですよ。朝6時に槍出て、槍平に昼近く。あんな短い距離に6時間もかかったね。20人ラッセルで、先頭は首まで潜りましたよ。それから延々と新穂高目指して下山して、でもそのときに白出しから林道に上がること知っていたのは数人でした。どうして? 最近になって分かったのは「堰堤がしゃましているから」。新穂高には日暮れのずっと後に到着して、皆で旅館に泊まりました。このときの記憶は「大雪に悩まされた」とうい苦しさだけ。その後何度通っても、別の新しい気持ちになるもんです。
 正月や5月のしっかりトレースがついた道も楽チンでいいけど、時期を外して、ノートレースのラッセル付きの時期にいってみると、また違う面白さがあるよね。歩行時間がかかるから山頂までいけないときも多いけど、でもいいじゃない。そんな簡単に誰でも登頂できたらつらまないからね。
 ちょっと天気の悪い日でも山に行けば、いいことが必ずあります。家の中でゴロゴロしているよりも、コタツでミカン食っているよりも、山にはいいことが本当に転がってるね。
 難しい山だったら、何も登頂を考えずに「いけるとことまで、いってみよう」と気軽な気持ちで入山してみるのがいいね。途中までいって引き返して「次にいった時には、もう少し上までいってみよう」と思えばいいんだね。山にいったら、必ず登頂しないと「損をする」という、貧乏臭い考えは捨てようね。「登頂できないような登山もやりたくない」というのも、ちょっと頑固過ぎるよね。実際に自分でいってみないと、どこまでいけるか分からないし、あるいは思いのほかドンドン進めるかもしれないし、ほとんどダメかもしれないよ。でもそのどっちでも楽しいものさ。多分最も重要なのは、自分の予想が「どのくらいまで正しかったのか」がうまく的中したときだね。
 富士山はあまり好きな山じゃないけど、でも「大菩薩峠から見ると、昔の500円札の景色と同じだ」といわれ、「日本平当たりから見た」のは、広重の東海道53次に出ているよね。北斎の「富岳百景」もいろんなところから描かれているよ。どの山でも同じだよ。違う季節と違う場所からなるべくたくさん見てみようね。面白いんだ。
 ルネッサンスとは、もっと大らかな気持ちで、ゆったり山に接してみようということさ。スノーシューで入っていくのも、個人的にはとても能率が悪いと思っているけど、でも好きな人には大いにけっこう。いろんな登り方があるんだよ。百名山に1個1回登ったらOKというのも、よく考えると「不遜」な考えだよ。その程度のことで自慢しないで、もっと「謙虚」になりなさい。地図に赤線引いて「1回引いたところにはもういかない」というのも、もってのほか。赤を目印にして10回はいって見たら。
 いつ行っても山とは「一期一会」なんだよ。滝谷に100回行って、写真取ってるオジカメラマンもそういってるよ。本当にそう思えるよ。普段は大勢で行く人も、たまには2人とか、1人でいってみるのも面白いよ。「一人じゃ怖い」と思ったら、怖くなるまで前進して「怖くなったら帰ろう」と。母親が外出したときに、リビングに子供一人待たせているときと同じだね。「寂しくなったら、お父さんの部屋にきなさい」と。おお懐かしい。10年前には可愛かった息子にそういうこと、よく言っていたね。
 若かりし、血の気の多い時代の登山は終わって、もっと感性豊かな登山をしてみようね。
 特に冬も、谷から登れるようになったもんね、最近は。以前は積雪期には絶対に「谷に入ってはいけません」といわれていたのに、今じゃ4月になると、種池から赤岩尾根下ってくる理由がもうないもんね。西俣沢滑ってくるのが「早くて安全」。登りだって、西俣沢がやっぱり「早くて安全」。じゃ、赤岩尾根のデコボコの尾根は、いったい何だったんだろうね。槍ヶ岳だって、いつでも飛騨沢を登降して、中崎尾根の存在って何だったんだろうって。谷を登ってもデブリがあったら引き返してこようね。いや、ホエール・ウォッチングじゃないが、「デブリ・ウォッチング」も楽しいものだよ。「百聞は一見にしかず」っても昔からいうじゃない。
 豪雪直後の谷だっていいですよ。「新雪雪崩が怖い」というけど、そんなところに到達する前に「ラッセル敗退」してしまうから、心配いらないね。でもたまには「ラッセル敗退」もしてみたいよね。特にもう春になったから、昨日まで苦労していた新雪が「おお、すでにもう懐かしい」とは、山屋さんも偏屈だね。2003・2・27



2月26日(木)深田久弥は火宅の山賊
 昭和18年に深田が鹿島槍に登ったと聞いて「戦時中ののん気な山賊」だなあと、思っていたのだが、彼はその後19年に戦地に召集されて、21年に復員してきたと、最近「百名山の背景」という本で読んだね。でも問題は、昭和16年頃の小谷温泉から雨飾山に登った頃で、なにしろ奥さんがいながら不倫旅行で愛人連れてこの山行やって、しかも彼女との間に子供ができて、戦後はついに本妻と離婚、愛人と再婚という、何だか当時の物書きとういのは、自由気ままだなあと思いましたね。
 彼がいた東大もなぜか山岳部ではなくて「旅行部」で、旅しながら山登るという、水戸黄門みたいな山行していたわけですよ。羨ましいというか、面白いというか。作家としては落ちこぼれてしまった深田でしたが、百名山だけは残して、いまおいらくハイキングブームに支えられてこうして支持されているってことで、よかったね。百名山の選定は、やっぱり彼なりにしっかりしていて、登山のおおよその目安になっていることは確かです。


2月23日(月)真冬は先週末で終わり
 暦の上では、3月から春なのは知っていたが、じゃ2月の中旬はどうなのかとか、1月下旬と2月の上旬はどう違うのかとか、これまで詳しく気にしていたことありませんでしたね。
 それに、今シーズンはクリスマスにちょっと雪が降って、その次は年明けだったのですが、ニュースもそれ以降降雪についてはまあ報じなかったけれど、今になってみると、雪が少ないとはいっても、まあそれなりに今年も積もっているようです。でもとにかくすでに春の雪になっていて、雪だるまなど簡単に作れます。雪だるまの作れないさらさら雪が新雪なのですが、これは登山にとても困ったものだし、すでにそのシーズン過ぎて、春スキーには最適になっています。さあ、楽しみというところ。
 とにかく週末の二日間が相当に充実して、疲れています。

2月22日(日) 北アルプス・鹿島槍ヶ岳スキー登山
 Moreエキサイティングでした。

2月21日(土)今日は決定的に晴れるでしょう(前日記)
 北アルプス槍ヶ岳スキー登山(報告参照)、エキサイティング。

2月20日(金)格調高い登山家の歴史
 昨日は明治40年ごろに、国内で初めて車の運転免許が交付された日だったようです。マイカーの運転免許が始めて交付されたのは、どうも大倉喜七だったようで、この人大倉財閥の一人で、英国留学から帰国後に免許とって、伊藤博文などもマイカーに乗っけていたというエピソードあります。当時の帝国ホテルの社長もやっていました。
 でその息子が大倉喜八で、彼は登山もやって実は北アルプスの山小屋のスポンサーでもあったのです。大天井だとか槍の小屋に資金出していました。その山好きが高じて、例の上高地にある帝国ホテルを当時買収したのですね。欧州の高級リゾートホテルをあそこに作るのだと。戦後帝国ホテルは財閥解体にあって、大倉は「ホテルオークラ」の経営を始めますが、上高地の帝国ホテルは今でも残っています。こういう登山の厚みのある歴史は感慨深い。



2月15日(日)二居の田舎温泉
 昨日は二居(ふたい)という湯沢の田舎温泉でしたが、ここは三国街道の二居宿という上杉謙信の時代からの宿場だったのに、ユーミン派の国土計画に押し込められて、苗場スキー場と化していました。しかし「宿場の湯」なのですから、歴史の紹介くらいないのかと聞いても、それ全くありません。湯沢の宿紹介のパンフばっかりで「そんなんじゃ、二居は間もなく消滅する」と温泉のオバにいうと「二居スキー場は6年前に閉鎖されました」と哀れな斜面だけが残っていました。納得。この日は未明から吹雪で朝からスキー場のリフトも停止して、でもまあそのくらい雪が降らないと雪国らしくないということです。帰りの関越トンネルの手前のチェーン規制で「クルマの上に積もっている雪も落とせ」といわれて、そんなことまで規制されるのかと、しかしまあチェーン外しているクルマは、落とした雪でスリップするのだろうから、まあ分かりますけれど。

2月14日(土)上越山スキー
 ちゃんとした山スキーをやろうということで、先輩オバに誘われて、午前3時出発して、関越の湯沢から日白山(にっぱくさん)へ。(報告参照)。それにしても本当の山スキー屋というのは、砂山(パウダー)求めて、ドつぼラッセルにもめげずに、セミモナカ(表面クラスト、中は砂(ぱうだー)だと文句を言いながらでも、傍目に見ると異常な執着心を発揮するものだと感心しました。私、「雪に文句をいう人は、バチが当たる」。スキーヤーとクライマーの違いです。


2月12日(木)女子インターハイ優勝の飛騨神岡
 下チビが旭川のインターハイに行ったのは先週末でしたが、彼の成績は言うまでもなくて「参加することに意義がある」だったのですが、そのおかげで大会の成績も気になっていましたが、男子は北海道の音威子府高校が優勝して(そういえば、その前の週に野沢温泉に行ったときに、その地元の飯山南高校はすでに5連覇していて、今年も6連覇にかけていると、民宿の女将が熱っぽく話していたんだけど、残念ながら地元の北海道に負けてしまいましたね。それにしても「おといねっぷ」と読むんですが、これ今はひらがな表記になっていて、気持ち悪いですよ。やっぱりちゃんと漢字で書いてほしいんだけど。私の地元もさいたま市とか、マヌケな名前になってしまったよ)。それで、女子はなんと、岐阜の飛騨神岡高校というところが、優勝したんですよ。まあ長野県の隣で、同じ海なし県だし、雪もたんまり降るんだから納得なんでしょうけれど、新潟、長野のあれだけ雪も学校もあるし、東北6県にも、もちろん北海道にも、岐阜の神岡高校が勝ったなんて、なんだか立派だなあと思いましたよ。
 昨年の夏からなんどか神岡には行きましたけれど、あの山之村の岐阜上高地にクロカンコースでも切り開いて練習しているんでしょうか。人口200人くらいなのに、北海道の富良野みたいに広いところが山之村で、和佐府とか打保とかあるあの辺りですよね。客の数は圧倒的に長野や新潟には及ばないんでしょうけれど、山の価値はそうとうあると思っているんです。そういう田舎学校の活躍に暖かいもの感じました。
 (そういえば、したチビは今年の参加賞は例のように「オールジャパン」の文字の入ったTシャツでしたが、スポーツ少年にとって「オールジャパン」は、エルメスの100倍以上のブランドだとか。まあそういう青春している時期もあるんですが)。


2月9日(月)関西学院ワンゲルに見る、大学山岳部の悠長な衰退
 上高地から帰ってきても、まだ遭難騒ぎが続いているよ。取り立て山とか大長山など知らないねえ。武甲山くらいか?
 最初に聞いたときには誰もが思うようにアホだと思ったね。1週間分の食料背負ったら、ザックは35キロか?それで14人で山スキーだってよ。「こいつら、ぬくぬく雪洞で酒盛りして、下山省略で救援か」ともね。でも一人凍傷だというということは、マジ遭難ですか?
 少し考えると、こういう悠長で無駄ともいえる山行するなんて、学生ならではの青春してるなあと。アメリカ横断をバスでヨーロッパ横断を列車で、国内横断を各駅停車でやっているようなもんで、ある意味うらやましいよ。でもさあ、こういう計画を許可するってのは、十分な食料と日数があれば、「真冬の剣から下山できる」という大学山岳部の延々たる伝統の山岳頭なんですよ。だったらそのように、どうせ無用の長物になっているだろうスキーなど放棄して、14人で一斉にラッセルして下山しろよ。これだけの人数がいれば、首まで潜っても、1日で下山できますよ。
 ようするに、大学山岳部のそういう、延々の伝統のよさが、今のひ弱な連中に伝わっていないんだね。やっぱりこういう登山のスタイルは、もう意味がありません。取り立て山でヒマラヤの真似するのもいいけど、それさえ失敗したってことでした。いずれにしても反省が必要です。(7Am)

2月8日(日)上高地(報告参照)
 予報では少し晴れるかもしれないといっていたのに、終日曇り。おお残念、でも楽しかったね


2月2日(月)尾瀬にゴミ捨てた長蔵小屋のバカロヤー
 日本の自然保護の父といえば、尾瀬の長蔵小屋の先代もその一人で、あそこがダムにならなかったのは彼の業績のひとつです。ところがその4代目の30歳代の小僧のときに、従業員がゴミを7トンもそこに埋めて、裁判のけっか、120万円の罰金と、執行猶予の有罪でした。大甘だね。煙草の吸殻すら許されない現在、国立公園で7トンのゴミ埋めたなど、小屋の営業中止、実刑にどうしてならなかったんでしょう。7トンで執行猶予なら、私これからコンビニ弁当のゴミを、1回200グラムとして、3万回分捨てますよ。裁判の甘さが悪い前例つくりました。むしろ尾瀬は東京電力の地所で、企業が守ってくれたからよかったようなものの、長蔵小屋などという、山賊の生き残りの4代目の時代になって、もう先代の教えは生きていないのです。嘆かわしいことだと、呆れるばかり。3月以降、6月に尾瀬にいったときに、国立の監視員が偉そうなこと行ったら、長蔵小屋取り締まれないようなヤツに、文句言われたくないと大声でいいましょう。長蔵小屋など明日にでも撤去して、なくなって欲しいですはい。

2月1日(日)インターハイ事前合宿
 チビのおとぼけ話題ですが、今週末に旭川である冬のインターハイに出場の件です。それで本人シーズン最後のレースだと本気になって、以前から何度か出たことのある裏磐梯のクロカンレースに親子で出ることにして、なんとその後試験休みだとかで、まだ練習すると、野沢温泉に連れていけということになって、自宅〜裏磐梯〜野沢温泉〜私先に帰宅で、2日で900キロも走ってきました、はい(月曜午前6時帰宅)。
 あの裏磐梯の国民休暇村というのも、国のリストラの対象になっていることは明らかで、ずっと前から使っていたホテルを、なんと3年位前にその横に新築していたんですよ。リストラになるって知ってての嫌がらせですか。けど、もうこの大会に、休暇村は全然協力しないんです。大会も前には3月に毎日新聞が主催するもう一つの大会もあったんですが、これも5年くらい前に潰れて久しいです。

スタートの10分前はこんな感じです。300人くらい出場のレースでした。お天気晴れ。

 前のホテルの残骸を壊しもしないで、3年放って置いて、今日はそこが更衣室になってましたね。使っていた頃は「土足は厳禁だ」とか「雪は落とせ」とかいっていた絨毯敷の会議室も、もう廃屋同然になって、土足でドンドン上がりこんでいるんです。なんか違和感ありますよ。箱入り娘だった頃にはチヤホヤしていたのに、出戻りになったら、好きに使ってくれみたいで、こんなのってアリか?
 でも久しぶりのレースで楽しくて、何だが外人が1位だったんです。その外人の友達の女性も走っていて、オレゴンから福島に英語の教師で1年いて、こういう大会だから出たとかいって、私よりも速くて、何だか感心。私2時間で22キロ、チビ26キロでした。この1年のハイキングで、体力戻ったね。


1月25日(日)北八ヶ岳スキー(報告参照)


1月20日(火)山のゴミより海のゴミがひどい
 南極のゴミや、エベレストのゴミがたまに問題になっているし、自分たちの登山のことだから「山のゴミを持って帰りましょう」というのは、最初から教わっていたことだが、海に出る漁師連中は、海のゴミを持って帰りましょうとは、教わっていないらしい。大体今でもそうだと思うのだが、外洋にでる船は、最初から積んでいった食料その他のゴミを、全部そのまま海中投棄(投げ捨て)しているんでしょう、今でも。例えば遠洋漁船などそうです。ハワイで事故にあった愛媛丸みたいな船のことです。ああいう船は、半年とか1年の航海に出ますが、そのときにはほとんど満載状態に食料を積んでいるものなのです。それで沖で魚を取ると、食べて食料が減ったところに、釣った魚を乗っけて、そうして1年後には、満載だった食料の変わりに、満載の魚を積んで戻ってくるんですね。ということは、1年間で船一杯分のゴミを海に捨てて、その代わりに海から魚を釣ってくるというわけです。そういう遠洋のマグロ船は、日本に500隻くらいあるわけです。だから海に捨てられるゴミの量というのも、相当なものなんですよ。船の中で焼却するなんていう話は聞いたことありませんから。そういう海のゴミの問題は指摘されたことが一切ありません。まあ世界中の船がそんなことしているわけで、報じられなきゃ関係者以外知られないというわけで、陸上のゴミより、実は海のゴミの方が、実態は悪質なんですね。


1月18日(日)野沢温泉の自主トレ

 チビが妙に張り切って、日帰りでトレーニングしたいということで、野沢温泉に出かける。クロカンの常設コースというのは、意外に少なくて、他に妙高くらいしかないものだ。野沢温泉には、200mトラックと、その上の山にかけて7,5キロの周回コースが圧雪されて整備され、というのも、長野五輪ではバイアスロンの競技会場になったくらいで、ここと白馬のスノーハープも常設されていますよ。それにしても五輪におかげで、関越の塩沢から野沢への道は大変よくなって、20年くらい前は、昼間でも幽霊が出るくらいの崖沿いのおっかない細い道だったのですがね。それにしても今日もとってもいい天気で、スキー場トップからは、妙高、白根、苗場、谷川岳など手に取るように見えました。今年はお天気だけは恵まれています。私午前中はクロカン、午後はゲレンデでテレマークでした。まあ充実。そうそう関越の帰りも最近のスキーブームの低下と、車線が広くなったおかげで、渋滞は少なくなったようです。以前のような50キロ渋滞はもうごめんです、はい。

1月17日(土)チビのインターハイ
 高校時代に運動クラブやっていて、国体やインターハイに出場するというと、当時は神様みたいに思っていたものですよ。ところが、例の下のチビ(高1)の年間1週間だけスキー部というのが、この間の都大会で、といっても出場20選手くらいなものですが、クロカンだけはね、それで上位5人だかが、この2月のインターハイに出場できるとなって、またまたそれに該当してしまいました。またまた笑い話が続きますが。でもアルペンの方は東京都といっても、100人近く部員は集まるんですよ。そんでてっきり今年も旭川が会場なのですが、喜んでいたら、自己負担が5万円だと聞いて、私愕然。「中学の時は都から交通費が出た」というのだが、「3年前から予算縮小」だとかで、上から出るのが2万円。残り自己負担だそうです。だったら「御宅は出場しますか?」くらい聞いてこいよ。選ばれれば、あったりまえのように出場するなどは、子供の甘やかしなんです。最近は荷物当日もっていかないで、宅急便であらかじめ送っていくとかもう大ぬる。まあ甲子園にしてもそうだけど、たかが高校生の運動会など、世間が大騒ぎするほどのもんでもありません。


1月14日(水) ほとんど無能といっていい道産子の雪対策
 今日は日本海側で大雪でしたよ。夕刊に北海道では歩道が埋まって、車道を歩いている写真載っていました。それで思い出しましたね。北海道人(道産子)の雪対策のいい加減さをね。
 1 北海道の人って雪かきしないんです。商店街でも自分の家の前の歩道が凍ってつるつるになっても、まったくそのまま。これじゃ冬に雪祭りで客を呼びたいといっても、客の方からお断りだよね。けっこうだらしないんです。何しろ札幌の銀座といっていい、ススキノなど、歩道も車道もスケート場なのですから。北海道一の繁華街でこのありさまです。あきれて物が言えません。
 2、 なぜかというと、道産子は「旅の恥は柿捨て」を今でも地でいっているのです。どうせ彼らは早くて明治20年、遅くて昭和一桁に本州から「一攫千金」で移り住んだ、まあゴールドラッシュに目がくらんだような人種なんですよ。屯田兵になって百姓をするか、ニシンを吊り上げるか、石炭を掘るかでね。だから北海道にも長居しないで、さっさと一儲けしてまた本州に戻るよていだったのです。ところが何を間違ったか、すべてがうまくいかなくて延々と三代、四代目になってしまったんです。どうせ元々長居するわけじゃないから、雪が降っても除雪など面倒なことしないっていうわけです。どうもウンコしても尻を拭かないそうですよ。長野や新潟の生真面目な連中の爪の垢でも煎じて飲めといいたい。
 3、 不愉快なことはいくらでもあります。昨年だったか、冬の帯広の12階のホテルで朝飯くっていたら、快晴で十勝の山並みがとてもきれいに見えた。「十勝岳ってどれ?」と従業員に聞くのだが「さあねえ?」といって、向こうにいってしまった。むかっとして「分からないから聞いているんだから、ちゃんと教えろ」というと、少しして責任者が来て「私たちも、知らないんです」。あのさあ、十勝大平原といい、空港も名前変えて「とかち帯広空港」と言っているのに、観光ホテルで誰も十勝岳がどれだか知らないなど、真面目にホテル業やっているとは思えませんよ。連中は仕事にしても、この程度の体たらくなのです。北海道が日本一の不況で拓殖銀行も潰れたと嘆いていたが「当たり前だ」と思います。
 4、 昔のカニ族はどこへいったんでしょう。団塊の世代が学生だった頃だと思いますが、幸福駅とかキャンペーン張って、キスリングしょって北海道の無銭旅行していた「カニ族」がいましたよ。でもあの人たちもういません。そう、北海道旅行など一回いったら、もうたくさんなのです。逆に沖縄などは、皆何度も行きたいといいまあす。北海道は愛想がなくて、「またいらっしゃい」という、暖かいもてなしがさっぱりないのです。自滅するしかありません。
 5、 北海道にいると、さらに北へ、ソ連とかに旅行する機会も多いものですよ。でも連中ですらいいます。ソ連など2度とは行きたくないよと。北海道の延長ですね。愛想がもっとない。連中ですらそうなのですから、私たちが北海道に抱くイメージとまったく同じってことです。人の足元見て、自分の足元治せってことです。
 6、 さっきの雪かきしないことの続き。それで私「道産子はだらしがない」といったんですよ。某市長に。すると屁理屈も一人前ですよ。「長野の雪とここはちがう。こっちの雪は凍り付いて、雪かきしても路面が融けなくて凍りつくから、雪かきの意味がない」んだと。バカヤロー。積雪量比べてみろよ。北海道の積雪など、鼻くそ程度しか降りませんよ。積雪量だけで比較したら、新潟、長野の方が圧倒的に多い。塩沢だったか「雪国はつらつ条例」(雪国は、辛いよ条例と間違えた教科書もあったけど)とか、十日町の「克雪運動」を見習ってみろよ。バカが。
 というわけで、北海道は観光業に限っては、まあ吐き貯めといっていいです。クロカンやっている以上、クロカン人口だけは多いですからたまには北海道にいきますが、でもそれ以外の理由ではあんなとこ、行きたくありませんね、ホント。そうだ、野外がマイナス20度だと言うのに、室内がプラスの20度で、Tシャツ一枚で生活しているようすも、明らかにバカっぽいものです。

1月13日(火)温泉好きのホント?
 誰もが温泉好きなのは分かるのだが、妙に若い女の子も温泉が大好きで、雑誌でも温泉特集やっていますよ。でも温泉はいるだけが目的で旅行する人の気が知れません。温泉といえば山を下山して「日帰り温泉」が最高だと思ってますから。先週末の新穂高の深山荘の露天風呂300円は、ちょっと今まで入った温泉では最高でしたけれど。
 何しろ湯の温度がちょうどいい。露天風呂では通常長湯しますよ。20分とか30分とか。それくらいも入っていられる。景色はは雪が積もっていて、気温マイナスなのに、それでも風呂の温度がちょうどいいということ、ああいうのは、温泉オヤジの神業です。それに風呂が三つあって、上からだんだんぬるくなっている。まあお湯が流れていますからそうなります。それでも一番上でも熱くないからねえ。しかも風呂に入りながら缶ビール飲んでもOKだという寛容さ。ビンはダメらしいです、割れるときけんだからね。風呂からの眺めは、まあちょうど目の前にトンネルがあるんですが、それでも走っている車みえたり、向こうからも覗かれるのでしょうが、実際風呂に入っている人見たってつまらないもんです。ここって、新穂高のポスターになっていた露天風呂だったでしょうか。なんといっても下山後の疲れが取れるのがいいです。
 それに比べて、都心で東京ドームにラクーアという温泉ができて、これって2500円だったか。まあなぜか人気です。でも会社帰りに女も平気で服脱いで風呂に入るって、化粧品ももっていないのに、こういうの、なんとなくだらしない感じがするんですが。先日に新年会のあとも、ラクーアいこうと、私除いた数人で行ったらしいです。それにサウナと聞くと「絶対にいい」と誰もが言うし、飲んだ後に疲れてもいないのに、風呂入るのって、面倒くさいです。それに冬は乾燥肌で、使っているオイルないと、いやだしなあ。会社帰りに服脱ぐ女は、何も温泉じゃなくても、脱ぐものだ。



1月11日(日)緑山岳会創立者の寺田新吉訃報

 私の所属する東京緑山岳会は昭和14年に創立しましたが、その創立者の寺田新吉さんの告別式が午前中にありました(1月7日没)。大正4年の生まれですから、89歳の大往生でした。私が参加した25年ほど前には、すでに現役を引退されて、年に一回の忘年会でお顔を会わせるくらいでしたが、とても温厚な大先輩でした。現在は弟にあたる寺田甲子男(きねお)さんが、もう40年以上も会長職にあります。喪主代表も甲子男さんでした。
 社会人山岳会も先代が亡くなり、どの会も新しい時代に入っていくのでしょう。

1月10日(土) ラッセルに嫌気がさしてスキー場に転進してしまった。

1月9日(金) 新穂高から蒲田川上流に向けてスキー
 それにしても春になるまでは新雪ラッセルがきつくてたまらん。途中で精神的に敗退(News参照)。



12月29日(月) 2004 謹賀新年
 新春、あけましておめでとうございます。昨年はたくさんの山にいきました。たくさんの山小屋に泊まりました。
 新越、唐松、双六、太郎など、一泊二食で8500円払っているとはいっても、でもあんな山の中で美味しい食事と布団いただけるのですから、これも感謝感激です。国は自然保護にカネを出しませんから、小屋のオヤジさんも少ない予算で登山道の整備したり大変です。南岳のライブカメラには、山の天気が手に取るようにわかって、これも助かりました。小屋のトイレもきれいになりました。
 地球の温暖化というとテーマは固くなりますが、しかし新潟、富山など、都会でこれだけ雪が降る国は日本がしかありません。温暖化反対運動は日本でもっと盛んになっていいのです。南半球のニュージーランドも、日本と同じように新雪がガンガン降るそうですが、しかしアソコは人口10人の村とか、誰も住んでいない地域での降雪ですから、日本のそれとは全く事情は違います。日本の新雪事情は世界一なのですから、これも大切にしていかないといけません。
 今年もまたたくさんの山に登ったり、適当に仕事ができれば、これ幸いとしましょう。本年も皆様仲良く、よろしくサポートお願いいたします。今年もいい一年になりますように、お祈り申し上げます。それと干支の申は私の年でもあります。またまた年男になってしまいました。12年前のときから、あっという間に1周してしまったようです。人生は早いものです。次の1周を思うとぞっとしますが、まあこれからの周回は、前に勝るように充実させたいとも思います。



12月26日(金) 万座の有料道路
 いまどき、高速以外で有料道路にしているって、地元がケチだと思うよねえ。万座にいったの、ほとんど初めてっぽいけど、片道1000円ですよ。浅間山の有料道路も夜間だったから、ただだったけど、アレも昼間は有料になるんでしょう。これじゃ、客は行かないと思うよなあ。ビーナスラインも、水上辺りの道も以前は有料だったけど、タダになったよねえ。草津や志賀高原も今ではタダでしたっけ? わずか10キロ走って1000円じゃ、万座も衰退しますよ。昨日も客少なかったし、アソコは西武のスキー場なんだけど、西武の神話も崩れました。自治体がけちなこといってると、ダメになります。

12月25日(木) ラッセルは少し根雪になるとOK
 当たり前ですが、降りたての新雪というのは、ボコボコ潜ってダメですねえ。前の雪がちょっと根雪になって固くなった上に次の雪が少し積もるといいわけですよ。降雪直後からこんなに毎日雪の状態チェックしていた年はなかったもので、よくわかりませんでしたね。今週末また寒波来るようです。ということは来週がまたグッドコンディションですか。正月休みの前後になりますね。


12月21日(日) 一晩で積雪1m
 週末は黒姫高原(長野県信濃町)にステイしてました。テレマークのレッスン受講です。ヒールフリーの滑降というのは、クロカンの場合は、カッターが入っているコースの直滑降か、ボーゲンか、急斜面は横滑り&キックターンか、真似事アルペンターンだけでしたから、これまで。テレマークやるなら、ちゃんとテレマークターン教わらないとだめですね。

12月21日(日)の朝には、止めてあった車がもう雪盛り。こういうのも久しぶりのことで楽しいです。

 ところが土曜日は終日吹雪きで、特に午後2時頃からは雷があって、冬の雷というのは、夏の雷よりも怖いんですよ。それが深夜というか未明まで続いて、スキー場は一晩で軒並み1mの積雪になりましたよ。私夕方4時頃に1時間くらい温泉にはいって、その駐車場に車止めていただけで、出てきたら埋まって発進できないかと焦ったくらいです。1時間で10cmは積もったでしょうか。こんなことってあるんです。でも雪国は未明の3時くらいから、除雪車が動いて、朝には除雪完了してますよ。おかげで日曜はパウダー新雪山盛り&晴天で楽しいスキーができました。金曜の夜もけっこうふりましたから、金、土の二日間でまあ150cmくらい積もったんでしょう、長野や新潟はね。ほとんどのスキー場は、実質この週末でオープンということでしょう。

12月20日(土)
 前日金曜の夜に出かけて、この日は吹雪のなか、午後2時くらいまでレッスン受講。雷が起こって、スキー場で雷が落ちてトラブルになったら、笑い話ですから、中止しました。


12月17日(水)登山用具店さかいやの大繁盛
 最近登山用品を買いに行きだして、驚いたのは水道橋の「さかいや」が実に店舗拡大していたことだったのです。昔のさかいやとえいば、わずかに1店舗だけで、しかも「さかいやオリジナル・アタックザック」というキスリングを縦に長くしただけのザックで、後ろから見ると、全く亀の甲羅のようなザック売っていましたよ。そこがなんと、今では周辺に6店舗ですか?都内最大とは言いませんが、わずかな間に商売成功させていますね。あそこの女将さんが「おいらく山岳会」だそうで、あの大規模会員が皆登山用品を買いにきたからでしょうか? 比べて、ダンプさんのカモシカは、勢力低下中。ダンプ本人が東京を離れて、パラグライダーの熱も冷めて、信濃大町にいるらしいね。店の推移というものもあるんですねえ。


12月15日(月)岐阜県神岡町の山之村の自然独り占め
 週末は山スキーのために、News Update参照してください。1mの積雪に苦しめられたのですよ。場所は岐阜県の神岡町の山之村というところです。ノーベル賞の神岡鉱山も同じところにありますよ。
 感動的なのは、山之村というのは、ものすごく広いところなのです。東京23区よりも広いかも知れません。そんなど田舎の人口が100世帯をきっていることで、300人以下です。標高は大体900m。そこに下界から通じる道が2本あって、1本はちゃんと除雪されていて、牧場もありますが、日本一美味しいほうれん草が取れるそうです。ただ温泉もないし、観光誘致するにも、なにもないところなのですが、(夏には、避暑とかできますが)そういう何もない岐阜の上高地みたいところが、私は大好きです。北海道よりも広いかもしれませんよ。部落は5つ。下之本、森茂、伊西、打保、和佐府くらいだったかなあ?こんな優雅な土地は他にはまずありません。東京からは松本まで行って、上高地に向って、安房トンネル越えて、神岡方面に下って、さらに現地へ上り返すのです。距離350キロくらいで、そんなに遠くはありませんね。白馬にスキーに行くのと同じくらいです。


12月10(水) 八方尾根
 昨日と一昨日雪が降って、本日の八方尾根は1mの積雪でした。200分自宅出発で、2000分帰宅しました。(記録参照)

12月9(火) ワックス掛け3時間
 山スキー連中っていうのは、板やビンディングや雪崩れの話はするんだけど、ワックスの話しは一切しませんねえ。どして? 登りシールで下りは固形ワックスグリグリ塗りつけるだけだから?なんだか、新車買ってもオイル交換一切しないみたいで、クロカン派にしてみると、道具の冒涜に見えるのだが。シーズン初めのアイロン掛けは当然でしょ。2回やってさらに新雪用の温度低いもの塗りますよ。クロカン派は、何度もワックス掛けると板に染み込んで、長い滑降の時には後から染み出てきていつでも滑ると信じていますよ。本にもそう書いてある。今年は新しい板を2つ使うのですが、今週末用にワックスかけたら、軽く3時間かかってしまいましたね。面倒だけどしかたないよ。前にテレマーク屋いったら、ワックスの寿命など距離にして3キロだからねえと、バカなこと店員がいってましたが、絶対に信じません。じゃ、ノルディックの50キロという距離レースは、47キロノーワックスで走っているのですか?アホですね。レース終わったって、板の裏爪で引っかいてみれば、まだワックスちゃんと付いています。
 しかるに、日本のアルペンというのは、競技選手もそうだけど、もう救いようがないほどに落ちこぼれているんです。というのも、学生選手など冬のバイトでレッスンすると、都会のバカ女が簡単にナンパできて、それで選手生命終わりになると。「絶対世界に勝てるわけがない」といいます。対してクロカン派根暗でモテなくて、仕方なく競技やるしかないわけで、まあたまにちょっとましな選手が出るようです。荻原兄弟がそうでした。ダウンヒルに関しては、テクニック以外、身近で学ぶことはそうありませんよ。
 
12月8(月) 日光白根の真っ白
 朝から宇都宮に出かけましたが、東北道の途中から日光白根は、昨日雪が積もりましたね。男体山はまだ黒かったけど。200mくらいしか標高が違わないけど、雪の降り方は大いに違うわけですね。でもそれ見ながら運転していただけで、何もせずに日帰りしました、残念。
 今日は長男坊の誕生日で、今高3ですが、来年はどこか大学に入って多分アパートにでるでしょう。在宅の最後の誕生日だと妻はなんとなくめそめそしていますが、まあ子育て終了したということは、そういうことなのかなあと、父親としては感慨は少しです。


 12月7日 チェーン規制初めてですか?
 関越道の新潟にチェーン規制のニュースが出ると「おお、雪なんだ」と思いますが、今日は夕方になって、長岡あたりチェーン規制ですよ。公団のHPに出てます。ようやく雪の季節ですか。来週末からシーズンは入れるといいんだけど。10年ぶりくらいの、雪のない12月です。



11月30(日) 天台宗密教竹寺の安全祈願
 山岳会の忘年会(モモンガ岳)で遅くまで飲んで、本日は安全登山の祈願おこないます。もう恒例で20年もやっていますから、年に一回くらい祈願をしないと、なんか事故するみたいでいやですよ。正月も山行ったりして初詣いかないし、盆暮れも墓参りは怠慢ですから。外人は毎週教会にいくことに比べたら、年に一回の罪滅ぼしですよ。

埼玉県の飯能にある竹寺 檀家のいない珍しい寺でした。

今年はNHKの首都圏ネットワークでも紹介された飯能の竹寺にいきました。天台宗の密教系の寺で、室内で護摩の火を炊いて祈願しますよ。ちょっと怖い。(そうでした、天台宗は最澄の開祖で、延暦寺が親玉で、僧兵が不気味な力を持っていたことがありました)。

家の近くの深川不動(これもそうです。深川は真言宗で、開祖は弘法大師つまり空海です。この真言宗と天台宗が密教系で、室内で談合のように護摩で火をたいて、念じる最も物騒な宗教です。でも好きです)でも護摩炊いて祈願しますから、こういう寺は祈願の効果がありそうです。寺の歴史が千年というのは、最澄が天台宗開いてそのくらいということでしょう。竹寺は正しくは医王山 薬寿院といいますね。戦国時代に僧兵囲っていたような不気味なところでしょう。




11月28(金) 奥秩父、南アルプスの初雪見学
 用事で朝早く甲府に来ましたよ。でもそれがほとんど朝だけで終わったもんで、ちょっと寄り道。牧丘から峰越林道上がってみようと、するとなんと標高2000m以上で、多分昨日東京で雨のときに、雪が降ったんですねえ。そういえば振り返ってみれば南アルプスも、先週末は黒かったのに、甲斐駒や北岳が白いもんねえ。富士山や北海道の大雪の初雪はニュースになるのに、奥秩父や南アはニュースにならないもんねえ、可愛そうに。頂上の大弛峠は2200mくらいだけど、向こう側の川上村は林道も真っ白で積雪10c。でもねえ、たまたまスタッドレスにもう履き替えていたもんで、下ってみましたよ。今年の新しいタイヤだけど、毎年これよくなっているみたいで、よく食いつきます。今年初めての雪見学で、元気わくわくですねえ。
 けど・・・、問題はその先で、川上まで下れば、秩父通って帰ろうと思うんだけど、寄ったパン屋の叔母さんに聞くと、9月から土砂崩れで通行止めだってさ。「えええ、どこにもそんなこと書いてなかったぞ」。そういえば「埼玉の方で崩れて」らしいから、まあ直前まで行かないと、こっちの道標には平気で「秩父方面」と書いてあるままだよ。田舎を走るドライバーを舐めてるよなあ。私は田舎の警察を舐めていますが。
 んなわけで、しょうがないからぐるっと回って、いま須玉のガストだよ。仕事の報告メールで送った後の暇時間にこうしてるね。じゃね。(1540分)


11月27(木) 予約しなきゃ泊まれない旅館
 寸又峡など人気温泉だから、先週末など「予約でもしないと絶対ダメ」だそうですよ。でもねえ、快晴だからいいようなものの、これ雨でも予約客はいくのかねえ、いくねえ絶対に。天気優先で旅行して宿泊は当日に決めるという習慣は日本人にはないからね。私のような人困ります。それに当日宿泊も夕方4時で十分でしょう。2時間あれば夕飯くらい作れると思うんだけど、いつでもブーブーいうねえ、彼らは。口坂本の民宿もたまたま泊まれたけど、まあブーは言ったね。やっぱり温泉街は殿様商売だと思うよ。熱海や別府が不景気で潰れたといっても「当然」だと思うね。夕方4時に宿泊希望なんて、最上級客でしょ。誰も来ないと思うときに客がくるんだもの。

この連休にも出くわしたオートバイの数人の集団は、ところでどこに泊まるんでしょう。まさかどこかに予約してオートバイツーリングしているんですか? まあ集団だとそうかもしれないねえ。じゃ単独オートバイはどうでしょう。けっこう遠くでも日帰りなんていうつまらんツーリングしてるときもあるようだけど(翌日雨が降ったら最悪だから?)。春先に名古屋のハーレーオジサンと高瀬ダムの手前の温泉であったけど、日帰りだといってたもんなあ。朝6時に出て、200キロ走って昼に高瀬で、夕方6時に帰宅だと。ただ走っているだけか?そうです、オートバイは走っているだけです。日帰りでいけるところでも、のんびり道草宿泊もたまにはいいもんです。

11月26(水)林道の始まりとおしまい
 寸又川の林道は昭和45年頃に、全部開通したのでしょうか? 支流を横切るときに橋があって、そこに昭和42年とか完成日時が書いてありますよ。私が知ったのは高校時代だから48年頃で、完成して間もない頃だね。あれから延々30年、変わらずに林道も生きているってことです。終点の光岳登山口の吊橋は、平成7年だかと書いてありました。観光誘致でしょう。でもその5キロくらい手前、釜ノ島の直前ですが、大掛かりな落石が道を塞いでいて、それは今年の夏くらいのことですか?まだ予算がないようでそのまま放置されていました。業者を入れないと林道も崩壊して、林道生命もおしまいですよ。

自然維持にはお金がかかるんです、きっと。何もしなければ原生林だけでしょ。けれど何かの方法で入るからで、入るには破壊した手段ではいるわけだしね。チベットやコロンビアのテーブルマウンテンだって、多少の破壊を維持しているわけです。要するに最小限は破壊してそれにお金をかけてきれいに維持して誰もが利用できるということでしょ、ヨセミテなどそうですよ。上高地も多分そうだよなあ。上高地に入って穂高の吊尾根見た人が、「自然破壊だからこんなところにきたくなかった」とは叫ばないもん。でもお金かけるってことは、観光客が大勢来ない限り無理ですよ。砂防の業者いれると、誰も目に見えないとことで意味ない堰堤いくつも作って、山を土建屋の金食い虫にして荒らしていると思えるよ。ただ気になったのは、逆河内の最終吊橋以降の道のこと。もう明らかに林道の廃道になっています。敵は「林道の生命終えた」というのでしょうが、こういう無意味な残骸は自然破壊だということです。でもこれも林業の歴史ですよ。



11月25(火) 歴史がない?大井川源流
 連休に滞在した寸又峡は、ちょっと前にオウムが廃屋に住み着いて問題になったことがあったそうです。まあそんなことよりも、この一帯は地元の歴史というのが語られていない珍しいところですよ。
 寸又峡や井川には望月という姓が多いらしくて、それは甲斐武田の落ち武者だというんです。つまり武田が南アルプスの反対側の天竜川を下って徳川を攻めたときにこれにやられて、残党は逃げまくったわけです。その一部が南アルプスを越えて、井川や寸又峡に住み着いたものだと。それも稜線近くに住み着いて、それがだんだん下流に下って部落を作ってきたというんです。珍しい歴史です。まあ大井川を下流から遡るというのも、これはゴルジュがすごくて難しいものだったんでしょう。そして戦前は最初の千頭ダムの工事などの景気に沸いて、寸又峡温泉は連中が連日芸者を揚げての大騒ぎが続き、戦後は金キロウというならず者が押し入ってこれまた有名になりました。山奥の歴史ってもんは、いつでも面白いなあと思うんですよ。

11月24(月) MTBツーリング参照
 本日帰宅2200分。楽しかった3泊4日。

11月23(日)
11月22(土)


11月20(木)中国と旭川は雪だあ
 これってヤフー天気予報の雪マークですねえ。旭川の週末予定です。なんだか、こんな雪マーク見ているだけで癒されるなあ・・・(雪恋しい)。さっきテレビでミスワールドの中国大会があるようで、彼女たちが「万里の長城を観光しました」と映像があったけど、なんと雪が積もっていて、雪合戦していやがんの。羨ましい・・・。長野、新潟はタダの雨だもんねえ。何しろまだ暖か過ぎますよ。


11月11日(火) 立山が雪ってホントか?
 http://www.murodou.co.jp/kozan/live.htm
これが立山室堂のライブカメラだそうですが、なんか雪っぽいし、室堂気温2度、雪ってでてますが、だったらいいねえ。でもわざわざアルペンルートに乗っかって滑りにいくほどでもないんだけど、昨日三省堂にいったら、スキーの本が山盛り積んであって、たしかにスキーシーズンなのですが、もうちょっと積もってくれるといいねえ。



11・6(木)冠松の謹厳実直
 昨日の読売の夕刊でしたか、昭和3年のアムステルダム五輪のことが載ってました。女子の陸上で最長距離の800M走がこのとき初めて行われました。日本人の人見絹江さんと言う人が、2位に入っています。ところが当時は、女性はか弱くて体力もなくて、多分全力では50メートル走るのが精一杯だと思われていたようで、また女性蔑視の時代でもあって、このときの新聞記事では、決勝7人がゴールすると、次々に倒れこんで病院に担ぎ込まれたと通信社は世界へ向って打電したそうです。しかしそれは、全部デタラメで、レースを見ていない記者が想像で書いたということが、今では検証されているそうです。信じられない嘘っぱち。
 ゴールした人で倒れこんだのは、気分が悪かったたった一人だけ。他の人はさあ?ゴールしてとても嬉しかったんじゃないでしょうか。人見さんにしても、つい先日まで生きていた?今も生きている?はずですから、本当のことはすでに分かっているでしょう。
 当時のIOCは、この記事に乗じて「だから女に陸上は無理だ」と思ったようで、この種目は以降32年間封印され、復活したのは東京五輪のわずかに4年前、ローマからだったそうです。それがロス五輪の時代に女子マラソンにまで進化して今日に至るわけです。
 でっち上げ記事の原因は多分当時テレビがなかったからでしょう。映像では伝えられず「だから活字はうそを書く」といわれた時代も長かったわけです。
 山でもそうです。登ってもいないのに初登攀だという信じられないデタラメもけっこうあったようです。我が会のおおオヤジ寺田甲子男は、昭和18年だか八ヶ岳で小林隆康と出会って、そのときの小林の登攀を認めていません。それ以降も吉田某という嘘つきがいて、鹿島槍北壁だったかを登ったといって、それはウソだったことが、山渓で大論争になったこともあります。
 ところが冠松はそれよりもずっと前、大正年代の黒部の山行の記録ですよ。もめて人を殺しても遭難だと言える時代ですよ(例えが悪いなあ)。それを事実に基づきながら謹厳実直に記録に残していることなど、もう砂漠の中のダイヤモンド波の輝きなのです。冠松は過去の山本の中では最高峰だと思えます。

11・5(水)冠松の「黒部渓谷」

文庫の「黒部渓谷」平凡社

 文庫本で買ってみたけど、ボリュームありましたねえ。この人の登山はやっぱり素晴らし過ぎます。黒部という自分がほれ込んだ山域に10年近く毎年通っているんです。それも1回が10日間くらいの山行で、人夫というかガイドを数人連れていましたが、双六谷から入ったり、立山から、宇奈月から、鹿島槍からと。棒小屋沢を登ったり降りたり、もちろん本流の黒部は上ノ廊下いったり、今のダム下の平にしても、さらに下の廊下いったり。支流の東沢も、赤牛岳も。そういう山行は大好きです。

 それにこの人の文章は実に平易でなじみ易い。槙さんがアイガー登ったときのような、エリート臭さもないし、自分のこと「谷狂」といっているのも、違和感なし。記録に、金作が出てきたり、長次郎だとか、山賊の富士弥とかその父親も出てきましたね。こういう人が本当の山好きなのです。


11・1(土) 冠さんの墓

東京日暮里の養福寺にある冠松次郎の墓

 冠さんが町内会に住んでいたようで、数少ない冠姓を検索すれば、簡単にお墓に行き当たりました。ふうむ、この方が黒部の開拓者だったようですよ。昭和45年、1970年没となっています。生まれは明治の10年代ですね。長生きしました。山手線のこの日暮里あたりは、松嶋菜々子のデビュー作のNHK「ひまわり」だっけか?谷中銀座商店街のすぐ脇に寺がありましたね。2軒隣の寺は住職が冠姓で遠い親戚らしいですが、鎌倉時代からの豪農だと書いてありましたよ。で明治維新のときに、保守派を寺に匿ったことで維新軍の銃撃戦にあったようで、鉄砲の跡が山門にありましたよ。
 せめて近所のよしみで、冠さんの山思想にしばらく付き合います。山40年やった人ですから、ぽっと出の小僧の本よりもずっといいはずです。夕方に三省堂にいって、もう一冊買いました。なお実家は本郷で質屋さんらしいですが、もう何もないそうです。

10・31(金) いきつけの山の飯屋
 下山して何食うかというのはけっこう楽しみなんだけど、ここぞという飯屋が意外と少ないものですよ。これまでに複数回いった店でお勧めは、大町のアルペンルートや鹿島槍から真っ直ぐ街中に向って、大通りとの交差点の正面左のロッジ風の焼肉屋はいいですねえ。ジョッキビールとおつまみ2品で1000円。サービス焼肉がカルビ、ロース、飯、スープで980円でしたかねえ。ジョッキセット2回と焼肉食って2980円で、大酔っ払いで大町駅前ステーションホテルに泊まったこと何度もありました。この冬もきっとそうなってしまうでしょう。


10・30(木) タイヤをスタッドレスに履き替え
 オートバックスでスタッドレスに履き替えましたよ。10月中だと25%オフで、それに普通乗用の175・70・14だから4本換えて工賃入れても4万円以内でしたね。北アに1往復すると高速代で1万円だから、まあこの程度の出費しょうがないという感じだね。で持ち帰った夏用タイヤはホイール抜きのゴムだけだと、けっこう軽いもんだなあと。4本重ねてそれ覆うカバーはサービスでくれたから、これだとベランダの隅に置いておけてとってもいいねえ。来年の3月一杯まで5ヶ月間このタイヤの世話になりますね。最低10回は山で使用したいねえ。

10・29(水) 山の昼飯に、1に大福、2にドラ焼、3に羊羹
 行動食というものを、本当に馬鹿にしきっていましたね。でも9月の大井川源流で、腹へって甘いものがやっぱりいいと思い出して、大福、ドラ焼、羊羹の大切さを思い出しました。最近コンビニでは大福、ドラ焼までは、レジの脇に置いてありますよ。登山者のためか? それで明神山行にそれ持って行きました。買ったときに驚いたのだけど、大福というのは、わずかあれ1個だけで、ずっしりと重いんです。まるで鉛のような。「重量感あるなあ」と。あんこの重さでしょうが。で昼飯にそれ食べるのですが、たった1個の大福にしても、1回では食べられない。質量がありすぎる。そんなわけで、4回に分けて食べましたが、一回一回の一口でも、これおなかに溜まります。甘くて美味しい。下界ではこんなもの胸焼けがして絶対に食べないけれど、山だとおいしいこと、また思い出しました。そんなわけで、この昼飯3種の神器大切さ分かってきました。ただ羊羹だけは残って次回の山行用にとっておき、賞味期限も来年1月までと、十分に活用のチャンスありでした。


10・28(火) 小川登喜男か冠松次郎か
 明神岳の資料みると、小川登喜男という人が出てきますよ。「岩登りの天才」と形容されていますが、実はこういう表記が間違いの元だと私思っているんです。以前「クライミングジャーナル」という雑誌で、クライマー列伝やったときも、小川という人はいの一番で選ばれたものです。遠藤甲太さん辺りが、彼を最も好きなのですよ。でもねえ、20歳そこそこ程度で山を辞めてしまった人が、学生時代にいくつかのルート開拓しただけで、これ「天才」というのは、読者に大きな誤解を与えます。同じ東大山岳部で、冠さんは小川の25年も先輩になりますが、黒部の探検や遡行は、こざかしく明神などにいくつかの登攀したことよりも、100倍は山を愛していたのではないかと思えるのです。例のクライマー列伝には、ついぞ冠さんは登場してきませんでした。登山家選別に誤解があったのです。
 明神のひょうたん池辺りから、さらに低い標高に菱形岩壁が見えますが、仮にそれを登ることはいいことだとしても、それだけに絶対的な評価を与えるという行為は明らかに間違っています。登山大系の下又白の項目でも、菱形岩壁が最高に評価されている。そういうものだけに固執した評価基準が、実は編集者、執筆者を含めた若造登山愛好家の大きな勘違いだということに、そろそろ気がつきましょう。ヨセミテのエルキャピタンと菱形岩壁は、似ているが圧倒的に非なるものなのです。

10・27(月) 北ア明神岳を百名山に選ばなかった深田久弥
 そうです不思議なことですが、北ア明神岳(2900M)をどうして深田久弥は百名山に上げていないのでしょう。同じく前穂も北穂も。それでいて対岸の霞沢岳というのが、深田の子分によって二百名山にはいっているんですよ。週末に明神にいって、おかしな話だと改めて思いましたよ。近くの山を選ばないというなら、水晶と鷲羽はとっても近いと思うんだね。彼の地元の荒島岳が入っているのが、相当マヌケだと地元の石川の人に聞いたこともありましたね。
 ハイキングおじさんの深田は明神には登れなかったんだと思います。だから悔しいからリストに入れてない。それにもし、入っていたら今頃どうなっているんでしょう。前穂から往復コースが登山道整備されていたのか、あるいは明神主峰の東稜に道が開かれていたのか? 明神岳という素晴らしい山を知ってしまった後になれば、百名山に入っていようがなかろうが関係はないのですが、しかし山を知りえるきっかけとしては、やっぱり百名山のネームバリューは相当なものだと思うんですよ。明神から前穂〜屏風の頭一帯の奥又は、スケールで言えば槍穂に匹敵するし、黒部五郎〜鷲羽とも同じくらい広いわけです。「危険につき、素人入山はパノラマコースだけ」となっていますが、「危険」だといわれると、妙に入ってみたくなるのが人情なのです。


10・22(水) 冠松次郎「渓(たに)」おお、感動の力作


 数日前に八重洲ブックセンターにいって、暇つぶしぶらぶらして、登山のコーナーにいったら、こんな本見つけたよ。昔の人の本は、いつも絶版になっていたり、旧字体の仮名遣いで読みにくかったりしたのだが、これ新しそうだし、新字体だったもんで「へえ〜」って感じで買ったね。だって今年の9月が初版でしたよ。この文庫サイズになってねえ。
 読んでみて、驚きです。私冠さんの本は初めて読みますが、聞いていた以上に面白すぎる。それにこの半年の私の山行のうち、4つがこの先人とまったく同じなんです。え〜、趣味が合うってこと。私と?だけじゃなく、山スキーヤーと合うってことですよ。
 1、神岡の飛越トンネルから北ノ俣岳にいったこと。しかも残雪スキーが面白いと書いてあること。
 2、大井川源流の旅
 3、南アの伊那谷辺りのこと
 4、針ノ木からスバリ、赤沢周辺のこと。
 それ以外でも、白馬から祖母谷とか、スバリから赤沢谷とか、この人縦走路から谷に下降するのがすきなんです。それも大正、昭和初期の年代ですよ。黒部の大先生ですね。
 古い人の本といえば、大体松波明だったり、加藤文太郎や大島亮吉なんだけど、これまで私の周囲に冠ファンがいなかったんですね、きっと。登山大系の黒部など、ほとんど冠さんの引用といっても、おかしくないほど、この内容充実しています。黒部の山賊もまさに冠さんの時代だね。金木戸川や祖母谷遡行なんてもう、いまさら夏に1週間の時間とっていくのはいやだけど、でもねえ積雪期にスキーはいて、少し冷やかしっていいよなあ。どういうルートでいくのかと、ちょっとわくわくの一冊ですよ。そいえば、この人の実家って、日暮里で家のちかくになりますね、どこでしょう。
 八重洲みたいな大きな本屋で、たまにぶらぶらは、以前はよくやっていたけど、やっぱりたまにそういうことやると、いいものにぶつかります。犬も歩けば棒に当たるってことでした。



10・16(木) 御岳のゴンドラで事故・2人死亡
 御岳ゴンドラ事故は昨日のことだね。20年前のゴンドラというのは輸送力アップを狙って、遠見尾根や栂池にあるように、4人とか6人乗りが多かったらしいですよ。この御岳も6人乗りでしたか? でもこういう小さいゴンドラというのは風に弱くて、最近は大きなゴンドラに架け替えられる傾向にあるわけですよ。新穂高やピラタスのように90人乗りとかね。黒部のアルペンルートではどう考えても、小さなゴンドラでは風に対応できません。この夏に八海山にいったときも、前は4人乗りだったのに、やっぱり90人乗りくらいの大きなのに変わってました。だから風でゴンドラが外れるのは「初めてで、信じられない」と新聞に出てましたが、そうはいっても、強風が原因の事故は小さなゴンドラでは起こりうるってわけです。でも気の毒な事故です。まもなくスキー場のゴンドラにドンドン乗って、その頂上から新雪を登ろうっていうのに、事故起きないで欲しいものです。


 10月15日 立山は昨日から雪らしいねえ=まもなくスキーシーズン
 3000Mの紅葉シーズンは残念ながら2週前に終わってしまいました。今年は膝の故障でいけません。長岡からの帰りに、立山から帰ってきたという登山者に会いましたよ。富山からの帰りというのは、上越線経由で越後湯沢辺りから、新幹線で帰ってくるんですね、今では。下山したこの日に寒波がきて上は雪だということらしいですね。連休はそれでも紅葉見学の客で混雑していたといってました。小屋の営業は11月3日辺りまでのようです。それも降雪と相談らしいですがね。槍近くの南岳あたりなど、一般的な小屋はこの13日までの連休でシーズン終了が多かったようですね。いよいよスキーシーズンオンです。


10・9(木) ウォーキングその8 初夏・谷川連峰にある「上杉謙信の尾根」でのハプニング
 一ノ倉目前の舗装されている林道をどうして「旧道」といい、河原にあるよくわからないゴロタ登山道が「新道」なのだろうか。江戸時代の道と関係があるのかなあと、たまたま2年ほど前に、谷川連峰の清水峠に「謙信尾根」というのを見つけて、歩いて見ることになった。出発は米どころ新潟・魚沼の塩沢からである。巻機山にいく清水の部落から、登山道になった。戦国時代の街道は今の国道17号線の三国峠なのだが、その裏街道として上杉謙信が使った道が、この謙信尾根だというのだ。城は今の上越市なのだが、どうしてこんな大回りしたんだろう。長野まで出てしまえば早かったのにねえ。
 谷川岳といえば、仲間にいくらでもこの辺にいった人がいるのに、皆せいぜい蓬峠までで、清水峠まで行ったことのある人は意外と少ないし、しかも清水峠から旧道を降りてきた経験がある人など皆無だったのはなぜ?
 登りはいいですよ、峠まで予定通りにいきましたが、そこからの下りが実に長いんです。いったのは一昨年の6月1日だったか、最初の日曜日。スニーカーでいきました。ところが下りで、雪渓に通行止めくらうんです。ですよねえ、隣の幽の沢や一ノ倉はまだ6月といえば、たんまり雪渓が残っているとき。この旧道は七つ小屋沢、七つ小屋前沢、ケサ丸沢、白樺沢という聞いたこともないような、小さな沢を横断していくのですが、その一つ一つに幅20メートルもの雪渓が残っているんですよ。それが午後、夕方だというのにカチカチで、スニーカーではどうしようもない。それに急峻ですよ、滑ったら多分50メートルは簡単に滑れます。私ビバークしてでも引き返そうかと本当に焦りました。それに草付きも急で巻くこともできない。しばらく考えてようやく結論。石ころ拾って、それでステップカッティングして、スニーカーのままで横断しようと。大冷や汗、驚きですよ。これまでピッケルだってステップ切ったことなどありませんよ、本当に。そんな横断が4箇所もあって、ようやく蓬峠からの道と合流。それ以降は何もなくて、ただのハイキングになりました。
 謙信の大名行列は、どうせツルハシ持った兵隊がいて、道ちゃんと作って籠でも通したのでしょう。私浅はかでしたよ。一ノ倉いくら縦横無尽に歩いていた過去があったとしても、こんな旧道ハイキングで焦ってしまうなど。支流だから一ノ倉本流よりずっと急ですよ。ほとほと疲れてこの日は下山しました。実は下で誤って、本当はビバークになってしまったのですが。
 この旧道通ると、水上温泉も通りますね。水上は上杉が流行らせたのでしょうか。何一つ疑問が解決しなかったハイキングでしたが、とっても楽しかったです。

10・8(水)=夕刊 5月連休に田植えした農家は不作だってさ
 春先にスキーやってて、桜の満開はいいとしても、下山して農家が田植えしているのをみると「早くスキーなど辞めろ」と言われているみたいな気がするもんですよ。「もう、夏だよ」という感じだね。今年の記録をみると5月11日に下山したときに、新潟の農家が田植えしてましたよ。これ正解らしいねえ。ところが連休中に田植えした農家は不作だってさ、さっきNHKでやってたね。あんまり早く田植えして春スキーヤーに嫌がらせした天誅か?違うなあ。連休だと7月末、8月上旬に稲が受粉するようで、そのとき今年は寒かったんだと。遅いと1週間遅れるが、そのときは例年の夏気候だったようだね。
 それにしても、連休に田植えした農家は兼業で、普通は会社勤務らしくて、つまり土日農家でアルバイトということだね。コメは1ヘクタールで収穫4トン。小売が10キロで私は3000円で買っているから、販売価格で120万円。卸は半分としても60万円。ブランドのコメはその倍としても100万円強。広い土地もっているのに、稲作儲からないねえ。でもバイト農家ならいい小遣い稼ぎかなあ。でもコンバインとか機械代もかかるしねえ。コンビニ店員の方が気楽でいいか?


10・8(水) ウォーキングその7 佐久平の都会化
 碓氷峠を越えた中山道は、佐久から北八ヶ岳の北側を巻いて、和田村からビーナスラインを越えて、諏訪湖にいたる。その先は鳥居峠の分水嶺から木曾谷を名古屋に入るわけだ。中でも佐久といえば、私の知っていた佐久は、小海線のどうしようもないド田舎だったわけである。野辺山、清里は高原のペンション村として栄えたのだが、中込、佐久はいつまでたっても長野のチベットだとおもっていた。ところが長野新幹線の開通で、あっというまに佐久は都会になってしまったようである。佐久長聖高校も、サッカーの地球環境高校というのも、ここにできた。そんなところに、岩村田、望月、茂田井という宿場跡がある。当時の建物も残っている。それより何より、軽井沢と諏訪湖という逆方向にあると思っていたところが、一本の幹線で繋がっていたことを理解しただけでも、この中山道を歩いた意味が大いにあったと思えるのだ。こんなデコボコした山すそに、よくぞ街道を作ったものだなあと感心したものだった。

10・7(火) ウォーキングその6 甲斐武田の嫌われ者
 さて江戸から京都に行くのに、海沿いの東海道を通っても長野の諏訪湖を経由しても大体同じ距離なのは分かったとして、じゃ中山道はどうして今の中央道みたいに甲府を通って諏訪湖に行かずにさらに、軽井沢や蓼科のビーナスラインを経由していたのだろうか?
 実はこれはよく分かりません。でも甲府の武田というのは、これが実は大いに問題ありの武将だったようですね。あの人自分の郭のなかはいつも豪華絢爛で酒池肉林の女をたくさんはべらして、そしていつも外で戦争していて勝ちまくっていたのです。だから自分の町に街道通すことに反対していたのかもしれませんよ。よそ者が通過してくれるなと。それにねえ、武田ってよそでは決して評判よくない。排他的で自分だけだったのでしょう、妙な性格です。富士吉田辺りの人間ですら「甲府ベイのことなど、知らんよ」と、同じ県内でも仲良しじゃないんだね。そんな奇妙なことも知りますよ。


10・6(月) ウォーキングその5 方向音痴の中山道
 なれない道は方向音痴になる。東京〜名古屋でもいいや。東名を走るのと中央道を名古屋まで走るのではどのくらい距離が違うのかと言うと、これほとんど違いませんねえ。同じように、最近の南岳のHPにあったように、槍から常念岳が見えて、その奥に浅間山、その奥に日光白根というと「あれ、そんな景色だっけか?」と。槍から日光白根と南アルプスと比較しても、そう距離は変わらないんですよ。
 さて同じように東海道歩くのと、中山道あるいて京都までいくのでは、どのくらい違うかと言っても、これはちょっとだけ違うだけですね。「中山道は東京から北へ向かっているのに、なんで京都に着くのだ」と誰もがそう思います。東京〜京都は南北で比べるのではなくて、東西の位置関係ですねえ。中山道が北へ大回りというならば、東海道も南へ大回りになりますよ。目的は西方向ですからねえ。
 ところで、高崎から日光の東照宮へ、「れいへいし街道」という古い道があるのですよ。「何で江戸から日光いくのに、高崎経由なのだ?」と思うのは素人さん。京都から日光へいくには、江戸など通らずに、中山道を東に進んで、高崎から日光へ入るわけです。江戸経由よりも、これは100キロも短縮ですねえ。旧街道の中山道をちゃんと理解することで、日本の山の中の地図、分かることになるんです。

10・5(日) ウォーキングその4 東海道まだある難所の薩垂(さった)峠と宇津ノ谷(
うつのや)峠

 昨日は荒川の土手を15キロくらいお散歩でした。今週は膝のリハビリウィーク。
 さて薩垂峠は静岡の由比にあったね。ここ海岸線のみかん畑の高いところをトラバースするような峠で、眺め最高でしたよ。海岸沿いに今の東海道や東名ができていて、それ見下ろすように道が続いていたねえ。ここも海岸は崖になっています。宇津ノ谷峠は、東名の日本坂トンネルの尾根を越える道で静岡市の丸子(まりこ)の先にあったね。ここは観光用に古い家並みに新しい歩道ができていて、ちょっとオシャレでしたよ。そこに明治時代に最初のトンネルができてそれが遊歩道。さらに大正時代に違うトンネルもできて、さらに昭和のトンネルとか現在のトンネルと4本もトンネルあったよ。古い家並みには屋号もついていて、足袋屋さんとか、旅籠とか、団子屋だったみたいだね。こういう300年くらい前の文化遺産というのも、けっこう面白いもんですよ。




10・4(土)ウォーキング魅力その3 東海道の難所「小夜の中山」
 東海道の3大難所として挙げられているのが、箱根の峠と鈴鹿の峠ともう一つが「小夜(さよ)の中山」というところだね。茶畑の真っ只中ですよ。向こう側が日坂(にっさか)の急坂で有名なところ。ここね、大井川に近かったかなあ、なんだか南アルプスの末端だったような。金谷だもんねえ。つまりこうした難所というのは、海岸線が崖になっていて、そこは通過できなかったと言うことだけど、そういう当たり前のことでも実際に歩いてみないと分からんのですよ。箱根辺りの海岸というのは、熱海とかになるけど、この辺って今でも車の道でも崖ぞいだからねえ。東海道は海沿いの平らな道だと思ったら、大間違い。静岡にはみかん畑とかいうのもあるし、まあ楽しいとこだったね。


10・3(金)ウォーキングの魅力 その2 文化遺産と自然遺産
 歴史探訪というのが盛んである。ちょうど400周年に当たる東海道とか中山道。山屋さんはほとんどが自然遺産大好き派で、世界遺産の中でも自然遺産が大好きということになる。ところがいくらか遺産鑑賞に詳しくなると、自然遺産というのは全く子供っぽいことにも気がつく。グランドキャニオンやヨセミテの自然の景観が好きだとか、北アルプスや氷河地形もいいのだが、いやローマの遺産とか江戸や戦国時代の遺産の方にだんだん興味が移ってくる。自然遺産がアイスクリームが甘くて美味しいというのなら、文化遺産は抹茶アイスみたいなものだ、コクがある。過去の人間たちはどうやって争いながら歴史を過ごしてきたのだろうという人間模様がそこにあるからだ。自然資産は「すっげえなあ」だけで終わってしまう。
 東海道では、三重県の関、亀山あたりに最も当時の建物が残っていて、通にいわせると「京都以上」だともいえるらしい。1キロ以上に渡ってその町並みは続いている。そのちょっと手前の広重の53次にある「庄野の雨」の庄野も実に静かな町並みになる。静岡では日坂というところが、あの急坂の絵のように、今でも旧道は急坂になっていた。2年前JRはこのキャンペーンをしていて、新幹線が2割、3割引きで乗車できた。たまには涸沢のカールよりも、東海道古い町並み旅行もとってもいいものだ。


10・2(木)ウォーキングの魅力 1 本州・四国3本橋で徒歩可能は「しまなみ海道」だけ
 すぐに解散する臨時国会が開幕したけど、慎太郎の息子に道路公団民営化質問が盛んだね。この問題きっかけは、バブルの本州四国連絡橋の3本橋の赤字でしょ。1本1兆円だったそうですよ。ひどい散在。ところでさあ、あの3本の橋の中で、一番クルマの台数は少ないようだけど、最も楽しい橋は、「しまなみ海道(かいどう)」ですよ。尾道から今治まで70キロ。これねえ、全部歩道が付いていて徒歩だとタダで渡れますよ。自転車でもいけるねえ。瀬戸内海の島を10個くらい転々と橋がかけられていて、もちろん橋も10個くらいあるわけで、橋巡りでも楽しいですよ。私2001年4月に、これ妻と1泊2日で徒歩・自転車横断しましたね。タンカーが瀬戸内通過するときの難所だという、来栖海峡大橋というのもあったし、塩の名産の伯方の大橋もありましたよ。因島とか通るんだね。それにここの歩き横断というのは、全国のお散歩クラブでもけっこう人気のルートですよ。
 さて瀬戸内とういのは、これも意外な魅力があって、あそこ実は海底の花崗岩王国、海底の黒部といってもいいとこなんですよ。因島辺りの瀬戸内の風景は、陸地が7で海が3。海が陸地の中の運河みたいになっているんですね。それにあんな浅瀬の瀬戸内がどうして土砂で簡単に埋まってしまわないかというと、海底が花崗岩の岩盤で固くて、まるでニューヨーク並みといってもいいし、岡山にも花崗岩のゲレンデあるように、地盤が固いんだね。砂浜などなくて、海岸が急に深くなっている。因島ですぐ近くの対岸の島までわずかな運河みたいな海が入り込んでいたけど、それでも水深は80Mもあるんだってさ。芸術的な作りだったね、瀬戸内は。だから狭いけど船が上手に運航できるんですよ。ちょっと見方変えると、ノルウェーのフィヨルドに瀬戸内は少し似ているんだよ。私観光旅行して、感動したことなどほとんどないけど(そりゃそうですよ、一ノ倉見慣れている人は、そう簡単にどこでも「いいなあ」とは思えないよ)、瀬戸内だけは、なんだかまたいってもいい所の一つですね。
 最もお散歩クラブというのは、お散歩が目的であって、景色はその次なんだけど、しかし、あの「しまなみ海道」だけは、大変よかったですね、ハイ。

10・1(水)3000Mの冠雪・半年ぶりの風呂
 昨日のアルプスは一瞬の冬型で冠雪でした。立山はニュースになり、南岳小屋のHPでは雪だるま作っていましたねえ。いよいよシーズンです。私は膝の故障で、半身浴風呂勧められたせいもあって、昨日半年振りに自宅風呂はいりました。それに大リーグのプレーオフも深夜に始まりました。松井くんの活躍どうでしょうか。なんとなくシーズンの雰囲気。これから百姓が田植えをする頃までか、シーズンオンということです。心新たな気分です。ところで今週は紅葉と冠雪でしょうか。どうしようかなあ・・・。


9・30(火)自然の災害その2、昭和36年の伊那の豪雨
 北海道の災害は、苫小牧の石油コンビナートの火災にまで発展してしまいましたよ。ところで伊那の豪雨災害というのは、先週末南アルプスから午前中に下山したときに、そこの中央構造線博物館というところ、見学したときに知りましたね。昭和36年の集中豪雨では、なんだか100人近くの人が亡くなったとか。大鹿村は壊滅状態だったようです。自然災害ですから原因はありませんが、しかし江戸、明治と森林をすべて伐採してしまった付けもあるようです。「山津波」とか、デジタル映像でビデオ流していましたが、他人事ながら「迫力あるなあ」と。災害じゃないですよ、自然の猛威のことです。山屋さんは、自然の猛威大好きなんですよ。だって好んで雪崩れあるところに、いくわけですから。
 というわけで、小渋川には砂防堰堤がドンドン作られていますね。ところでああいう博物館って意味あるのでしょうか。なんか小学生の理科の社会科見学みたいで好きじゃありません。むしろビデオ室で分かりやすいビデオ見ていた方が楽しいですよ。夏に尾瀬にいったときには、「ご自由におとり下さい」の、CDもらってきて、これパソコンに入れて、尾瀬に昔ダム計画があったこと知りました。要するに、HPの充実図ることが重要なのです。HP上でビデオ見られるわけですから、紹介ビデオをそこに載せてくれると能率いいんですよ。土曜日だというのに、大して客も来ない自治体運営の博物館に、物知り館長さんが、ぼーっと客待っているだけなんて、なんだか人件費の無駄使いと、優秀なおじさん人材の飼い殺しだと思うんですけど。

9.29(月)エアーマットも新しくしたねえ
 テントで寝ているときも背中がゴツゴツしているするなど、前は気にならなかったけど、やっぱり最近耐えられなくなって、アメリカ製の自動ふくらみエアマットにしましたねえ。薄っぺらいけど、背中全体の圧力だと、ちゃんとマット効果があって、下が雪でも冷たくないらしいねえ。銀マット敷いて、その上にこのエアマットで2重にすれば、快適なテント生活できるんじゃないかとねえ。

9・28(日)膝故障の原因は柔らか登山靴
 年取って膝に負担のかかる下りで、調子悪くなったみたいだね、私。それで夏用のくつでも、底の固いのに変えるといいと、運道具屋に言われて、「ああ、そうなんだ」と。だって夏など普通の運度靴で行ってたとき多かったからねえ。ペラペラの渓流シューズとか。年取ったら装備にお金かけないとダメみたいだよ。なんかがっくし。でも最近は底が固くても軽いのあるし、運動靴みたいので、アイゼンつけられるくらい、底固いのサロモンにあったし、コバがあるのもあるしねえ、もちろんゴアで。だからさあ、若いときの感覚辞めないとダメだなあ、まったく。底が柔かいとねじれて膝に負担がかかるんだよねえ、当たり前の話だが。


9・27(土)十勝川の津波
 気の毒な北海道の地震で面白がってはいけないが、2Mほどの津波が起こって(後に4Mと訂正されました)、十勝川をその津波がさかのぼるところを自衛隊が空撮してNHKで放送していたねえ。津波というのは知ってますか?ハワイのサーフィンのときの、盛り上がってざっぶ〜んというのは違うんですよ。海面が急に上昇するってこと。つまり標高2Mの地域まで海になってしまうってことですよ。ちなみに黄河やガンジス川はその距離、50キロありますから、ここで4大文明の稲作はじまったのですねえ。アマゾンは川の構造が違って、稲作できなくて、文明始まりませんでした、関係ないっか。
 でその十勝川を波が逆流してるんですよ。「おお、すげえ」って。ああいうの、そう簡単に見られませんから、驚異でした。
 ところで私の田舎の埼玉の荒川、長瀞では、明治か江戸か、集中豪雨のときに、水位が10Mくらいも上がって、その記録ありますよ。で、そこに秩父さくら湖というダムが最近できて、その有名な集中豪雨から町を守るんだと、国土省だったかがいっているんです。荒川というのは、実に暴れ川なんですねえ。だから私真面目に「ダムは必要かあ?」とか思っていたときもあったんですよ。ところが山の先輩に聞くと、「そんなのよりも、豪雨で荒川の水位が上がって、大宮あたりで河川敷両幅1キロも水に埋まって、ゴルフ場も埼玉栄高校のグランドも水の下になったときの方が、自然の力の迫力で驚異的だなあ」とか、楽しんでいるわけ。まあ私も同感少しあるんだけど、そんなこと公言していいのかと思ったんだけど、でも山屋さんというのは、自分の都合でものいうし、豪雨責めたって自然現象だから仕方ないよねえと。それよりそいういう豪雨楽しもうってのが、ホンネですか?
 災害というのは、そこに勝手に人が住み始めて災害というわけで、何もなければ自然の猛威を見学するということになるよねえ。地震も雷もさあ、それ責めたってしかたないし、ダム作るのは政治家で私、そういう人じゃないもんねえ。
 ということで、今回十勝川の逆流津波をテレビで見て、やっぱ「すっげえや」と少し楽しんだのでした。

9・26(金)=夕刊 膝の故障だア
 なんとなく膝に違和感があったのは、2週前の大雪渓の下りくらいだからね。そして先週の南アルプスは下りで膝にサポーターしていたよ。でもついに昨日かかりつけの鍼灸師さんに見てもらって「せめて1週間くらいは安静にしましょう」といわれて、今週末は下界で過ごすことになりましたよ。私整形外科に関しては、骨折意外は普通の医者信用していませんから。若い頃腰痛になって、あれ鍼で完全に当時直ってしまったんです。西洋医学で腰痛が治るわけありません。それ以来ですね、この鍼の女医さんとは。そだ、家の奥さんが凍っている道で転んで、尻打って、半身がしびれると大騒ぎになって「もしかして車椅子か」と思って、それを引きずってこの鍼灸師さんに見てもらって、あっという間に治ってしまったというのも、わずかに2年前のことでしたね。
 でまあ、あと1週間で完治するかどうかは分からないけど、なんか故障で先発リスト外されたピッチャーみだいだなあと、自分でもおもって、病気楽しんでいますよ、はい。でも来週末が紅葉の盛りなのだが。


9・26(金)旬の紅葉狩りは桜の満開時期より短いからねえ
 今日は私のお誕生日だア。おめでとう、パチパチ。
 東京新聞によれば、日光の戦場ヶ原の紅葉は9月一杯で、しかし北アの3000Mの南小屋では、現在まだ早いと書かれているよ。どういうことだ? 半年くらい前に鶴太郎が北穂小屋に登った番組では、涸沢の本当の紅葉の映像が流れていたけど、時期は忘れたね。大体この季節は長雨と台風で、紅葉見られないことも多いらしいよ。私もまだ山で本当の紅葉に出会ったことないんです。時期は一瞬で、前週末はまだ早かったりしていて、翌週にはもう終わってしまうこともあるらしいよ。記憶に残っている最も紅葉がきれいだったのは、意外にも下界のことで、それもニューヨークのことです。11月下旬にいく機会があって、あそこはボストン方面へハイウェーをクルマで走っているだけで、もう真っ赤な火事の中に突っ込んでしまったのかというくらいの、驚きの赤と黄色の山々のなかでした。なんであんなにきれいだったんだ?東京の紅葉など見るところないけどなあ。多分10月の体育の日が紅葉時期でしょう。もしくはその1週前ね。今週末はまだ早いと思うが。

9.25(木)日本百名谷の奇妙
 この間クラブの後輩が「下の沢いったよ」といってきて、「どこ?それ」と聞くと、「日本百名谷」に入っているよといっていたね。「なんだそれ?」と。そういえば、白山書房が前にそういうの出していて、それがまだ生きていたらしい。しかしねえ、いきなり「倉沢」だとか「不動川」と言われてもそれ、わかりませんよ。せめて名谷は利根川上流だとか水系で言ってくれないと、やはり無理がある。それに谷って入山してみないとわからないでしょう。誰もが麓から見て、楽しいよとはいきません。普及しないのもそういう理由だね。むしろ深田の百名山に続いて、同クラブが作った二百、三百名山の方に親しみあるねえ。それに谷は困難度じゃなくて、美渓で評価しないとさあ。ま、そういう名のあるものの裏のからくりみたいのは、年とってくると、自然に分かるもんだけどねえ。


9・24(水) 長野県で最も古い木造建築
 法隆寺が世界でも最も古い木造建築だというのは、ギネスにも載っていることだが、長野の木造建築は、鎌倉時代の寺で、これが先週下山した伊那の大鹿村にあるんだね。その集落は急坂を登った上の妙な平和な平坦地にあるのだが、実はその平坦地というのは、中央構造線の地すべり現象でできた平坦地だそうですよ。よくゴルジュの奥に、平和そうな河原があるけど、似ているねえ。そいえば、鹿島槍の黒部側でも、標高1500Mあたりに、河原があったりして、あれも地質の断層の影響なのかなあ?

9・23(火)長野県警のヘリがタクシー代わりだと
 やっぱり予想していた通りだね。滑って手から血が出た程度で、北葛からヘリを要請して、それに乗っかって松本空港に運ばれて、さっさと歩いて帰ったという登山客が新聞に出ていたねえ。これ無料。民間だと1時間100万円と書いてあったけど、多分そんなに高くなくて40万円くらいだと思うけど。でもそんなこと20年前にも分かっていたことで、あの頃はまだ県警にヘリがなかったね。冬の槍で遭難しかけた知り合いが、救助要請したら、自衛隊機が立川から飛んできたということがあったけど。これも無料でした。でもすでにその頃でも遭難捜索の保険ありましたね。年間7千円くらいで、100万円まで出ます。誰もがそういうのに入っていて、県警のヘリも有料にすればいいんですよ。救急車を要請しても、有料というときもあるらしいけどね。いつまでもヘリの救助を警察がボランティアしていてはいけません。

9・22(月)また墜落したグランドキャニオンのヘリコプター
 グランドキャニオンというのは、ラスベガスから近いですよ。そのラスベガスというのは、ここ10年ほどはすごい人気で、日本からの新婚旅行者も多いです。ですからラスベガスの街中から、ヘリやセスナでの1時間くらいの観光フライトよくやっていますねえ。1万円くらいでとても安いです。私もセスナに2回乗りました。とっても揺れて気持ち悪いくらいですが。その観光ヘリが墜落して7人死亡しました。日本人観光客も2人含まれているそうです。まあしょうがないかあ、あれだけ人気でたくさん飛行機飛んでいますからねえ。日本でもこの間まで朝日航洋のヘリがよく事故してましたが。
 5月に栂池いったときに、ゴンドラ下から天狗原まで山スキー客乗せたヘリ飛んでましたね。でもそこってゴンドラ終点から1時間くらい登ったとこですよ。どうせなら白馬乗鞍や白馬岳山頂まで飛ばせばいいのに、まあ運輸省の許可もおっかなびっくりのようです。それで7千円だったかで「ぼったくり」と思ったものですが。小屋の荷揚げヘリなどよく飛んでいるけど、あれも騒音がうるさいねえ。

9.21(日) 少しずつでも進化している南アルプス
 南アで四日間過ごしたけど、これでも遅ればせながら少しずつ歩きやすくなっているんでしょうねえ。どうせ客は林道とか小屋とかの山の商売道具を使うわけだから、登山道も這い松が出っぱたのを切るとか、邪魔な倒木も切り捨ててしまうとかした方が、「歩きやすいわ」ということになるんでしょう。でもまだまだ放置されたままの登山道とか標識不明があって、そうなると何だか百名山の「塩見」「荒川」人気に助けられて、客が入っているだけの山になってしまいますよ。東海フォレストに国立公園の管理が丸投げされているようだけど、それでも昔よりよくなったのかなあ。でも山が役所仕事に管理されているようでよくないですが。小屋に宿泊しないとバスに乗せないというのは、ツアーでなくちゃ旅行させないというロシアとか北朝鮮と同じなんだけど、でもまあグウタラ飼い犬のラブちゃんみたいだと思えば、許せるかア?

9・20(土) 県の「百名山標識撤去」せよという今でも健在の過激派
 岳人のコラムに最近こういう、標識撤去の意見載っているけど、なんだか昔の一ノ倉のハーケン撤去みたいで、若い過激派の高飛車意見だよなあ。静岡、群馬、山梨が「おらが百名山」つくって、人気にあやかろうというわけだけど、でも百名山を思い出して、山に気がつくということもありますよ。黒部の水晶岳などそれを根拠に注目してみると、やっぱりいい山だよねえ、行ったことないけど。山が荒らされるなどというのは、たまたま小僧の傲慢ないけんでさあ、田淵行男が常念岳に50回登っても、いつも山は違うというのが、本音であって、谷川に2000回登っている人もいますよ。自分が2,3回登ったからとその山知ってる気分になってると、まあ4回目以降は、いいことありません。せめて春夏秋冬、さらに12ヶ月、さらに晴れと吹雪きの24回登ってから言ってくれよなあ。それに百名山は知っているけど眺めているだけって人が実は9割越えますから。新たに「こんな、いい山あるよ」と気がつかせてくれるきっかけに、県の百名山は大歓迎だよねえ。東京にも都の百名山作ってくれ、そんなに山あるのかア?

9.17(水)山小屋の飯、うまい不味い
 山小屋の飯のうまい不味いが、小屋宿泊のおばさんたちにとっては、大きな話題になっていますよ。先日の唐松小屋でも「どこのがうまかった、ここはちょっと」といってました。ちょっと唐松が劣っていたのは、皿、茶碗、湯のみなどが使い捨ての紙コップだったこと。料理したものの少しあったけど、夕飯も幕の内弁当みたいで、ゴボウ、豆、梅干など、出来合いを並べたものが多かったことでしょうか。あと水は販売しているミネラルだけで、500ペットが300円だったこと。冷池あたりは、引いてきた沢の水を1リットル150円でしたが、比べると割高ですね。今年最初に泊まった、太郎小屋あたりでは、夕飯に「おお」と感動したものですが、小屋によって格差けっこうあります。でも30年前よりは格段の進歩ですが。けど、1泊2食で8600円というのは、協定料金とはいえ、ヤミカルテルとどう違うんだ?

9.16(火)金メダリストのオヤジさんもいってたよ。日本人のストックワークはオカマだって
 ノルディック複合の荻原健司のオヤジさんというのは、工務店経営で彼の最大のコーチになります。彼が金メダルとって浮かれていたときに「あんなものが、金メダル?お笑いだよ」と一人厳しかったんですよね。ジャンプはいいとしても「あのクロカンはねえ。大体ストックワークにシナ(オカマ)が入ってんだよ。北欧の連中はバリバリと雪にストックが刺さって、それがビューんとしなって、推進力が増す。対して健司のは、へにゃへにゃと力強さ感じないもんなあ」と。後にジャンプで勝てなくなったときに、それ証明されてしまいました。距離競技は四つ足動物の運動だというんですよ。二つ足のマラソンなら、まあ日本人はいいけど、前足使うようになると、これまったくダメ。私車椅子のバスケットチームとかに日本の距離連中が参加すると、上半身強化されるとおもっているんですけどねえ。前足の技術習得は、けっこう奥深いんですよ。アルペンではストック使いませんから、お分かりにならない人も多いかと。
 この間いった運道具屋でも「ノルディック・ウオーキング」がブームだといってました。夏でも4WD絶対にお勧めです。肩こりも治るし、姿勢も正しくなりますねえ。これだけ言って分かんない人は、3本足のミゼット登りしてください。カローラ以下の性能でしかありません。

9・15(月)前足の養成で4WD(ダブルストックの勧め)
 先週末辺りからの山行でいよいよダブルストックにしました。何でこんな効果的なことを今まで気がつかなかったのかと。この方法がいいのは決まっています。2本のストックは、人間の前足。つまりこれで簡単に4WDに変身できるというわけです。カローラよりパジェロが強いのは当たり前でしょう。クロカンではある場合には、足は動かさずにストックの「押し」だけで推進することあるんですよ。ディアミール派はご存知ないでしょうが。それ夏山に持ち込んだだけのことですね。登りが本当に早い。この間まで遅くて有名だったのですが、週末の唐松〜白馬ではドンドン追い抜き。なんだか自分一人がずるしているみたいで反省するほどでした。前足の技術は多少あります。普段は手としか使っていないのを、足にするわけですから。冬のクロカンやる人なら誰でも知っていることですけど。下りだって大いに安全。しかしねえ、スキーならセットで売っているストックであっても、夏用は登山店でも1本ずつ売っていて、しかもスキーストックよりも高いんだね。それに握りが杖方式というのは、よくない。あれが夏山登山界に大混乱を起こしているんですよ、実は。

9.14(日)台風で倒壊した風力発電
 沖縄に強力な台風が来て、宮古島で風力発電のプロベラが倒壊しましたねえ、何のための風力発電の施設だったの? 風速70Mは、予測の風速40Mを超えていたといいわけしてますが。あの風力発電バブルは最近東京湾にも作られましたね。私が見たことあるのは、稚内の駅前に1機と沖縄の平和公園に3機ありました。あれ実にグロテスクな格好しているんです。オランダの風車とは装いがまったく違います。いくら自然の風力発電といっても、世の中に見苦しいものいくらでもありますよ。生まれたままの姿がいいといっても、下半身むき出して人前に現れたら、これも見苦しい。風力発電などまるで女子高生の趣味領域で、発電効率は全然よくないんです。1機作るのに、1億円かかって、元取れるのに、30年?いや永久に償却できません。クリーンエネルギーとかいって、くだらないもの作りました。しかも、その発電するべき風で倒壊してしまったのですから。本当に風力発電がいいなら、原子力も水力も辞められますか?どうせくだらない政治家が、クリーンブームに乗っかって、趣味で数機作っただけです。しかも見苦しい。あんなものl不愉快です。まさか山で小屋の電源として作るなんてことにならないように。


9・13(土)長野県人の山嫌い
 ゲーム仲間で長野の上田出身の人がいて、このHP見て「小学校の頃の遠足といえば、山登りばっかりでした」といいましたね。その続きが「だから山登りが嫌いになった」というわけです。まあ夏に虫がたくさんいて、暑いばっかりの遠足では、これ嫌いになって当然ですよね。なぜだが遠足は春や秋には行きません、まして冬などは。何をやっても楽しく過ごせないと、これすぐ嫌いになってしまいますよ。マラソンにしてもそう、海外留学にしても。登山もねえ、接し方が難しいんです。大人になって自主性がないと、魅力は理解できませんね。遠足で「あんな辛いこと、まらやらされるの」と思うと、これダメ。地元の利で長野県県人がやってるのはゲレンデスキーくらいで、それでもオジサン世代になると辞めちゃうでしょ。東京に住んでいてディズニーランドに行かないのと同じだね、きっと。

9.12(金)ダムになった野反湖と、ならなかった尾瀬
 野反湖というのは、上越国境にあるダムですね。谷川岳とかからの尾根続きにあります。先週末そこにいって気がついたのですが、ここは元々尾瀬のような湿地帯だったそうですよ。ダムになったのが、私が生まれた年の1956年と書いてありました。だよねえ、何もなかったら稜線にダム作りようがないですから。標高1500Mですよ。ここは湿地帯をダムにしてしまったのですが、尾瀬にも大正時代にはそいういう計画あったのですが、それはしませんでした。そういうダムだから、ダムの周囲が砂浜みたいになっていて、自由に散策できますね。黒部とか奥利根のように、急傾斜になっていて歩けないということありません。
 あの辺は高現状でとてもいいところでしたよ。なんでそんなに誉めるのかといえば、雪が降った頃にはとてもいい野山の林間コースになると思えるからです。6月にちょうどここで、父と娘の三日間行方不明遭難があって、エビ山からいなくなったという報道でしたが、やはり地元ではヘリを飛ばしての大騒ぎだったそうです。群馬県の六合村(くにむら)というところで、「あれて一躍有名になってしまった」とバスの運転手もいってました。父娘は、救助されましたがね。付近にある有名な山は白砂山でしたか。ハイキングオバサンが大勢いました。積雪期に今度はいきましょう。


9・10(水) 都知事の白神見学
 小笠原を世界遺産に申請したいと、都知事の慎太郎さんが青森の白神山地の視察しましたねえ。今月の岳人にも書いてあったけど、白神が世界遺産になっていこう、いいことは全くなかったそうですねえ、マタギがいってますねえ。知名度上げて観光誘致して、汚くなっただけらしいね。ま、田舎らしいけど。よく知らないけど、白神って夏は勝手に登山しちゃいけないの?そんなとこ世の中に存在するのか? 
 慎太郎のいいとこは、どこでも実際によく出かけてますよ。小笠原なんて、沖縄より遠いとこでしょ。今船で24時間。そのうちに速い船(時速70キロ)ができて、17時間に短縮されるらしいけど、飛行場の計画は慎太郎が潰したね。まあ、あの人、口先人間の傾向はあるけど、でも小笠原に何度も行ったことあるとか、よく現地を見に行く人だから、まあ信用してますよ。富士山が世界遺産登録に失敗したのは、汚い山だからでね。小笠原は山ないから関心ないけど、でも東京都に世界遺産できるというのは、まあ面白そうだ。

9・9(火)一ノ倉出合いの郵便局売店
 国立公園内はキャンプや焚き火をしてはいけないというねえ。おとといいった一ノ倉出会いでも「焚き火は自然破壊になります」と書いてあって、笑ってしまったが。ところが出合いのあの狭いところに、移動郵便局の軽4輪が入っていて、記念切手などの販売をやっているんですよ。何の根拠で。道で商売やるなどは、テキヤのやってる露天商と同じでしょう。だったら、焼イカでも焼きそばでも、八百屋、肉屋も一ノ倉の出合いで商売していいんですか? 「どうせ許可を取った」というんでしょうが、許可出した林野庁がマヌケなだけですよ。あんなことしていたら、売店、土産物屋など、いくらでも進出してきます。また観光客もアホでねえ、「どれ、どれ」とか「何売ってんの?」とか集まってくるんですよ。客が先が店が先かで、「この程度の国民にはこの程度の政治で十分」といっていた政治家もいたけど、さもありなんです。そだ、道の脇の岩にボルト打ち付けて「ゴミは持って帰りましょう」のボロ看板掲げてありました。大馬鹿野郎!!



9.6(土)ヒマラヤ雪男探しの?
 朝日新聞が後援してダウラギリに雪男探しをしているようで、いつもその経過が社会面に載っているけど、あれって本気なの? なんだか恐竜探しとか、火星人探し、ネッシー、ミステリーサークルみたいで、それって全部ウソでしたよ、やらせ。大の大人が本気になってやることですかあ?以前にインチキ東スポが人面魚探ししていたけど、朝日も東スポレベルですかねえ。どうせ固定ビデオ設置して、木の葉がゆらゆら揺れてそれが雪男に見える程度の結論でしょう。その辺の山でカモシカ、雷鳥、熊探すのも、ちょっとした偶然が重ならないと難しいのに、存在するわけない雪男探して、何になるですかねえ。どうせなら藤原紀香ふうの雪男のメス探して、計帯電話の番号でも聞いてきてくださいよ。

9・5(金)やはり未だに山小屋宿泊料の不明瞭
 以前に比べると山小屋もきれいになってきたね。その分宿泊料も高くなってきたけど。でも最近は山小屋も信用していたのです。HP持っている小屋も多いし、何事もオープンにやっているし、登山道の整備も積極的だし。でもねえ、その有名な小屋でも宿泊料は不明瞭ですよ。冷、種、新越でも先日泊まった時も変だと思ったんだけど、1泊2食で8600円はいいとしても、素泊まりで5600円。ということは2食で3000円という計算になります。すると大体夕食2000円で朝食1000円かなあと。私そのときに昼間のコンビニ弁当、サンドイッチ余っていたから、夕食持参ということで、1泊朝食で泊まったのね。ところが7600円でしたよ、れれれ。それじゃと、1泊夕食の料金表見ると、7800円だったのかな? ということはなんだ?1食しか食わないと、夕食1000円、朝食2000円とか、反対だと夕食2200円、朝食800円とか違った勘定になるのか? おい、いい加減だぞ。あの有名な小屋ですら、こうしたインチキ料金の設定してますよ。やっぱりねえ、ボッタクリ系で信用できないよなあ。同宿のベテラン客に聞いたら「まあ、そんなもの、大目に見てますよ」と。小屋のオヤジが、爺ヶ岳ハイウェーの登山道設置したことは認めるのだが、この料金設定にはなっとくいかない、食い物の恨みは恐ろしいぞ。
 ところで二日前に誉めた船窪見てみると、2食付8500円、素泊まり6100円で差額2400円。1泊夕食で7600円、1泊朝食6900円。これだと朝食900円、夕食1600円で100円だけ計算合わないけど、まあ合格ですか。冷、種は1200円も計算合わないわけだから、これってやっぱり怪しい。



9/2(火)人気HPは船窪小屋オバサン
 山小屋のHPもたくさんありますねえ。槍ではライブで映像出していますが、最近はいつもガスがかかっていて視界ゼロ。南岳は日記あるけれど、なんだか高山植物の撮りだめしていて、いまいち。大天井は、7月以降は忙しいとみえて、更新遅いです。で一番楽しいのは、多分船窪小屋のオバサンページかなあ。毎日じゃなくて一日おきくらいだけど、お客さんの様子とか、仲間の様子とかね。やっぱりねえ、身辺雑記みたいのが面白いですよ。でも今年は天気悪くて、どの小屋も苦労しているみたいだけど。いくら船窪小屋がいいといっても、あの針ノ木から見た、低っちい山に行くのかと思うと、ちょっとねえ。何も崩壊した稜線歩かなくても、谷横切ってしまえばそれでいいような気もするのだが。残るは紅葉シーズンが最後ですか、早く雪が降れ。


9/1(月)膝は消耗品
 膝が痛くなってしまうと、山登れませんね。人によって、練習しなくても平気でマラソン走れる人とか、すぐ膝が痛くなってしまう人がいます。あれはもう個人差としかいいようがない。ただ明らかなのは、膝というのは消耗品だということ。一旦壊すと直りません。私もちょっと違和感があるときがあります。筋トレして膝周辺の筋肉を鍛えるとういのもあるらしいですが、でもこれは壊さないように、長持ちさせるようにと気を使っている最近ですよ。この半年ストックは1本でしたが、ダブルストックにしてみましょうか。特に下りがいいらしいですから。


8.29(金)日帰り温泉ブーム
 大町にある薬師の湯にいってみると、あんなところがいつも満員ですよねえ。タダの公衆浴場のちょっとオシャレスタイルだけなんだけど。日曜など午前中から大混雑。温泉なんて、山の帰りの汗流しで、仕事の後のビールみたいなもんでさ、それだけを目的に風呂入るだけなんて、信じられないんだけど。数日前に厚生省だかのアホ調査で余暇の過ごし方みたら、温泉がダントツ1位でしたよ。そういえば都内にも、お台場温泉などオープンしたらしいし、それけっこう込んでるっていいますよ、田舎だけじゃないんだね。でもさあ、休日に温泉いくだけしか、時間の過ごし方ないなんて、なんかいやだねえ、そんなオジン臭いことになりたくないですよ。仕事もせずにビールっていってるようなもんで、アル中じゃないが、無意味な温泉中毒だねえ。ところで私混雑薬師の湯が嫌いで、ちょっと扇沢よりに、ホテル黒四あって、あれリーガロイヤルと提携ですぞ。そこの日帰り600円だけど、タオルもあるし、そっちいつも行ってます。


8・28(木)「登ってみないと山の名前は覚えないよ」
 針ノ木岳の頂上で、オジサンが若い男に山の名前を教えていた。「爺の向こうが鹿島槍、その向こうに五竜、さらに唐松と白馬だね」。男はふむふむと聞いている。「大体山の名前など、自分で登ってみなきゃ覚えないもんだよ。私三日前に唐松からきたからねえ」と。多分、まったくその通りだと思うのだ。逆に言えば、登ってもいなくて、興味もない山の名前など、覚えようもないし、関心もない。もう10年ほど前だが、100名山ブームの初期の頃に、山渓からあるハイカーの100名山報告本が出版された。当初彼は、「自分が登った山から見えた山に興味を覚えてそれを登り、さらにその山から見えた山を、その次に登った」と、書いてあった。「だからいきなり点々とする100名山登りには、当初違和感があった」というのだ。私はやはりそういう登り方が好きだ。初めて計画した山に夜行で入山して、登頂したのはいいのだが、また夜行で帰るというのでは、結局登った山の形を見ていないことになる。もういい加減にこういう忙しい登山というか、肝心なことを見落としている登山には、飽き飽きしてきた。

8/27(水) 扇沢のテキ屋っぽい車両の回送
 扇沢に行くといつも思うのだが、公共駐車場の真ん中に、汚い軽ワゴンを止めてパラソル開いて「車両の回送」っていうのをやってますよ。何のことかと聞くと、マイカーをここから立山まで運ぶというんです。車の持ち主はもちろんアルペンルートで富山側にいくというわけらしいですよ。料金28000円だったか? 観光バスはよくやっていますね。お客さんがアルペンルートで向こう側に行く間に、糸魚川回って富山に着けるということを。3時間くらいかかるらしいです。でもねえ、ちゃんとした回送業務なら、事務所があるとか、女性が受付してるとかいうもんですが、何だか湘南のチンピラ海の家みたいに、人相の悪そうなオヤジが、そのパラソルの下で、客待ちしてるんだよね。ヤミっぽくて信用できないよね。成田空港周辺の駐車場業務にしても、同じような胡散臭さがあるわけで。どうせ法律違反じゃないけど、スレスレっぽいような隙間産業ですよ。でもこの回送って20年前にもあって、何も進歩しなくて今でも存在しているってわけでしょ。妙なチンピラの利権がらみの商売のような感じがして、扇沢を通るたびに、大いに違和感がありますよ、ホントに。運転手はちゃんと2種免許くらい持っているしっかりしたドライバーなのか? 本気でこの商売やるなら、キャリアカーみたいに、そのマイカーを自力で走らせるんじゃなくて、まとめて数台トラックに積み込んで回送し、もっと安くやってくれよ、5000円くらいでさあ。


8/26(火) 西穂のガス
 週末は快晴だったはずなのに、西穂ロープウェーの上の駅はガスの中です。でも観光バスやらでどんどん人が入ってきましたねえ。濃いガスというのは、なかなか晴れません。笠が岳もガス。槍穂周辺はお天気悪いです。さっさと鹿島槍方面に移動しましたね。でも新穂高から80キロもあって、まあ2時間掛けてのんびり行くしかなかったです。土曜のまともな山行は放棄ってことでした。残念だなあ。夕方山の気象をテレビでやってましたが「晴れ時々ガス。一時雨や夕立」だって。長野県内のすべての山でね。30年前の天気予報と何も進歩なし。


8.22(金)不人気南アルプスの原因は地元の怠慢
 先週末新越山荘で会った人と話をしたのだが、南アルプスの不人気の原因は地元の怠慢だということで、話は一致しましたね。
1、南部の登山道は実質畑薙ダムから茶臼岳に上がる道一本しかない。これは本当のことです。なにしろあの大井川の林道が未だに林野庁が独占していて一般に開放されていない。それに小屋に泊まる人だけ優先してバスで運ぶなど、国立公園にあるまじき客の差別。フォレストという下請企業が、公官庁と癒着している醜態にほかなりません。
2、小渋川の登山道が、堰堤建設のために壊されて通行不能になっている。これもそうですよ。赤石岳に飯田側から登る道が、堰堤工事のために閉鎖されています。こんなことあっていいの?本当に。
3、畑薙ダムの殺風景。静岡から3時間もバスに揺られて畑薙ダムとういド田舎に到着したというのに、そこにあるのはタダの自動販売機だけらしいです。せっかくこんな遠いところきたのですから、オシャレな店の一軒くらいあってもいいんじゃないの?
4、北岳の麓の広河原の堰堤。汚らしいです。普通ならば唯一マイカーで入れるのが、この広河原になりますよ。標高1500.まあ南アの上高地といったところです。でも現在ここは林道崩壊のため閉鎖中ですね。それに例年だとここへ車で行っても、またここにも何もない。ちょっとした休憩所と自動販売機だけ。あのさあ、観光地というのは、車椅子のオバサンと、元気な登山者が両立できてこそ、観光地なんですよ。ちょっとコーヒーの一杯でもというのが、ここにはないですねえ。これじゃ若い人絶対にきませんよ。特に女性は絶対にこない。干からびたオジサン登山客だけ。
 飯田というのも長野だけど、でもまあ長野県は多少はいいらしくて、山梨は観光事業の理解がなくてひどいですねえ。大井川周辺の山は、丸坊主らしいですよ、伐採で。川も取水で干からびているしねえ、この辺りは静岡か。自然保護に明るい兆しなし。
 ああそういえば、それ新越山荘にも、若い人皆無でしたねえ。夫婦といえば、やはりオジオバだけ。アメリカでもヨーロッパでも、若いカップルのハイカーで必ずいるもんですよ。日本は皆無。行く末心配になります。


8.20(水)長野道の妙な337拍子
 中央道から豊科に向けて長野道に入ると、みどり湖の下り坂周辺で、奇妙な三三七拍子のタイヤ音が響きます。どうせ運転者の居眠り防止とかで、公団がわざと道路につなぎ目作って、そういう音を出すようにしているんでしょう「ブンブンブン、ブンブンブン、ブンブンブンブンブンブンブン」というわけですよ。くだらないなあ、運転は遊びじゃないんだから。
 それだけじゃないなあ、上りの山梨県内では、ラブホテルだかパチンコやだかのサーチライトも気になるし、むしろ対向下り車線の道路標識を照らすあのライトこそ、逆光になって、上りは運転しずらいですよ。道路設計している人は本当に自分であの道を運転しているんでしょうかねえ。日本の道路標識は「歩きの感覚で、歩いているおじさんが適当に掲示しているだけ」と言っていたのは、元F1の中島悟さんだったけど、都心から東北道いく人が、仙台方面向かっているのに、標識は「安行方面」となっているんですよ。家の近くだけど。知らない人は?私どこいっちゃうの?でしょ。いつまでたっても日本の高速は、幼稚な玩具程度なんですよ。

8/19(火)山盛りの方向音痴
 二日間山に行くだけでも面白いことたくさん経験しますね。新越山荘でわずかに雲が切れて、目の前に山容が現れたときのこと。「あの山?何でしょうかねえ」「北って、どっちでしたっけ」さんざん聞かれました。「あれは蓮華岳」「北は小屋の斜め後ろ方向」。多分10数人パーティで歩いている団体というのは、その最後尾のリーダー一人だけがこういうこと知っていて、残りの人は何だか晴れて山が見えるだけで大感激っていうわけですよ。それでいて、絶対に水漏れしないゴアの雨具とかゴアの靴とかの装備は一流品ですね。まあ夏山だから許しましょう。それに雨に濡れての疲労こんばいというのも、最近はありませんからね。
 爺の登りで、向こうに鹿島槍見えて「あれ、何ですか」というのも、ありました。私もちょっと戸惑いましたけど。剣、立山に「あれは?」も。ただ薬師となると、それ赤牛と重なっているし、針ノ木の向こうは「水晶らしい」とか、蓮華の左の「唐沢と餓鬼」は確かですねえ。
 自分が登る山を見てから登るというが、本当は一番いいのです。ガスの中岩小屋岳に登りましたが、これあとから下りの稜線から見ても、確信もって「あれだ」といえません。ガスの中上り下りしているだけだと、登った山も分からないことありますね。でも晴れているときには、そのくらい分かるようにしたほうが楽しいのですが。


8/18(月) 柏原新道の西半分は?
 週末の爺ヶ岳ハイウェー最高でしたが、その柏原新道は、多分黒四ができる前には、棒小屋沢沿いに、黒部まで続いていたそうなんです。でも今は道なくなってしまったけど、当時はどこにあったんでしょう。ねえ、引き返してもいいけど、廃道でもいいけど、歩いて見たいなあという、危険な気持ちになりますよ。後立山の黒部側は、禁断の果実みたいなもんで、入ってしまっても向こうに抜けられないのですが、でも行ってみたいという衝動に駆られます。

8.15(金) 田部井淳子の世界のハイキングオバサン
 田部井さんのことハイキングオバサンだと思っていたら、これまで海外登山が100回越えているんです。それに若かりし頃には、積雪期の一ノ倉にもいっていますよ。同世代の植村直己や森田勝や、世代若いけど今井通子らが一発屋だとすれば、この人アベレージ登山家だし、何だか今でも年間200日も自分の山いってるなんて、これ日本一ですねえ。本の出版、講演会など数字で出しても、過去最大の登山家は田部井さんじゃないかと思いますねえ。本人すごく謙虚そうな人だし、改めてそれ知って、驚きました。

8/14(木) グリーンスポーツに川村晴一さん
 川村さんというのは、同志会が全盛期のときに、カンチェンジュンガ登頂に成功した7人衆?の一人でしたね。鈴木さんはガイドだし、大宮さんは一時池袋の西武スポーツ館のガイドしてました。坂下さんはショウイナード製品の輸入代理店していました。で登攀能力最高だった彼は、その後どうしているのかと気になっていましたが、たまたま御茶ノ水のグリーンスポーツという小さな店にいきましたが、そこでガイドしてました。中高年との登山で三頭山(奥多摩)とかの記念写真かざってありましたね。あの頃同志会はエベレストで夏合宿の計画などあったりして、最高潮のときで、他人事ながら羨ましく思っていましたね。やっぱり山はいくつになってものんびり続けていくのがいいですよ。

8/13(水)昔の2万5千図 烏帽子岳

 昔の地図ってイヤだねえ。この2万5千の烏帽子岳には、高瀬ダムありませんよ。そんな時代の地図山に持っていくと遭難の原因だね。ここはちょうど今は高瀬ダムに埋まってしまったところですよ。今日新しい烏帽子岳買いました。でこれさっさと捨ててしまうんですが、その前に記念に載せます。この辺りで川床1200ですね。湖面が確か満水で1260くらいですから、ダムの高さ60ということですか。地図は新しいものに限ります。ところでこの地図昭和50年(1975年)発行とありますね。今日買ったのは平成5年(1993年)発行ですか。それにしても、10年前の地図、国土地理院売ってるんですよ。食い物なら賞味期限切れて、下痢するねえ。


8・10(日) 懐古趣味?ベストクライミング作成
 今日は台風一過だといい、晴天がやくそくされているのに、さすがにつかれてHP作っていますよ。でもこうして20年分まとめていると、といっても実際にはその半分くらいだけど、けっこう私もいろんなことやってきたんですね。古いアルバム見るのも、久しぶりですよ。よく定年退職してから、人生まとめる人もいるけど、それって何か悲しい。だからいまやっちゃってます。次に定年したときには、いま以降でいいから楽チンですかね。まとめていると、自分どうだったのかって、改めて知ることありますよ。けっこう意味あるなあと思ってるんですが。もうすぐで完成です。HPの「過去のベストクライミング」のことでした。(げっ、数日前に同じこと書いてる。頭ボケ

8/6(水)=夕刊 笑いものになった多摩川の花火師
 山にいると身近な事故は気の毒だと思うけど、下界だと他人の不幸は笑いものになるね。昨日の様な夕立がある平日でも、花火大会ってあるんだ。多摩川の花火で、中州に30人くらいの花火師が取り残されたんだってさ。あんな都会の下流で、増水90センチだった。上流で時間40ミリの雨だもんねえ。数年前に丹沢で雨降っているときに「よけいなお世話だよ」と啖呵切ったアンちゃん家族は、皆流されて死んだね。昨日みたいなマヌケな事故でも、何人が流さされれば強行した馬鹿さ加減が分かるのに、あんなとこでヘリで救出とは情けない。しかしいまどき役所主催の花火大会が、そんなにおもしろいかあ?


8・5(火)=夕刊 新穂高砂防ダム建設反対
 山の中で政治的な活動はあまり好きではないんですが、でも新穂高の上流100メートルに建設しているあのアホ砂防ダムとか見ると、ゴミ建設してどうするの?と思わざるを得ませんよ。「山の治水する」と看板に書いてありますが、少なくとも5万年は自然の状態できたんですよ、北アルプスというのは。それが昨日今日生まれた人類というより、昭和40年になった人類が、なんでいまさら治水ですか? 北アルプスを舐めるなよ。長野知事の康さんが、この間ダム建設反対したときには、「100年洪水」がテーマでしたよ。100年に1回の洪水のときのためにダムを作るのだと。つまりそれは過去に大した資料もなくて、検証できなくて、およその予想で「ダム必要」「不必要」という争いなのです。つまり作ってしまっても、100年洪水で「なくても、大丈夫だった」となれば、最初からゴミだったというわけです。建設省も日本の国土を自分たちのものだと思って、作るそばからゴミなのに、公共事業としてゼネコンに仕事発注するわけですよ。
 100年に1回の洪水で被害が出るなら、そういうところに住まないか、あるいは洪水でる前日に逃げるか、あるいは100年に1回なら死んでもいいと思いますよ。ダムと堰堤は本当に見苦しい。東京のカラスよりも見苦しい。Hな穴毛谷の堰堤見ると、悲しくなりますよホントに。人の家に勝手に上がりこんできて、余計なもの作る工事するなとね、馬鹿たれ。


8/5(火)黒部の山賊
 黒部には本当の山賊が住んでいたのです。明治から昭和20年頃まで。山賊の本がありますね。三俣蓮華小屋の主人の伊藤正一さんの本です。実際に先日三俣蓮華岳までいって、ようやくこの本のテーマになっている場所を詳しくしりました。改めて本を読んでみると、黒四ダム建設に使った日電歩道という登山道は、実は山賊が大正3年から6年に掛けて切り開いた道だと言う事を再確認しました。冠さんが通ったその頃も、実は山賊の道があったからこその黒部探検ができたのですねえ。で、もはやその山賊はいなくなり、山賊の弟子がまあ、伊藤さんですよ。でも彼ももう高齢で、じゃあ、山賊三代目が黒部に篭らないことには、黒部文化=山賊文化が途切れてしまい増すねえ。それにしても上ノ廊下が以前よりも易しくなったのは、黒四のせいで川床が上昇したためらしいし、あんなダムやはり無意味ですよ。その伊藤さんも最近山小屋地代訴訟で、またまた敗訴してしまい、林野庁行政がついに、黒部もぶっ壊すのかと思うと、いらだちます。


8/4(月) 滝谷レリーフと世界山岳百科事典

 滝谷出合いの藤木九三さんのレリーフも、何だかブッシュの陰に隠れていましたよ。でもつい最近建てただろう簡単な案内板が道の脇にあって、ちょっと寄りました。大正14年にここから滝谷遡行してA沢からキレットへ、初登攀です。同じ日に早大の四谷さんも、D沢から涸沢のコルですね。同日登攀で競争していたのでしょう。でも地元案内人は、冠さんの雇った人と同じ人ですか?同じ時代ですからねえ。
 最近またまた使うようになった山渓の山岳百科大事典見ると、そこには眼鏡掛けている藤木さんで、レリーフとちょっと違いますね。私高校生の時に買ったその事典71年発行で3800円となっていますが、今でも現役に使えますよ。山の古い資料って、役に立たなくなって捨てるのけっこうあるんです。古い2万5千なんて、大事に取っておいても、間違って山にもっていくととんでもないときありますからねえ。しかし山渓の過去の出版物でこれほど役に立っているもの他にないでしょう。まだ売っているんですか?
 大正14年なんて、つい最近のことに思えますよ。私の母親大正15年生まれですからね。山の歴史、じわじわ感じちゃいます。江戸開府400年に比べたら、もう新しすぎます。まして信長の野望なんていったら、全然こちらが重要でしょう。先人に敬意表します。



7/30(水)お茶マフィアが作った島田の蓬莱橋
 週末に名古屋に仕事で往復したときに、静岡辺りでやはりお茶畑よく見えましたね。島田の大井川にかかる木造橋に蓬莱橋(ほうらいばし)というのがあって、これギネスブックに載っている有名な橋です。最も古くて長い木造橋だったかなあ。800メートルくらいある橋ですねえ。実際に歩いて渡れます。ちょっと観光地だからバスで客も着てますよ。江戸時代に川止め政策で大井川に橋を掛けなかったときに、そのご明治になってすぐ掛けられた木橋だということです。東海道見学したときに、ちょっと外れてましたが、渡りました。
 でもね、これ東海道にかかっている橋ではないんです。牧の原台地といったかなあ、橋の向こうには茶畑しかないとこに、こんな大工事して橋掛けてあるんですよ。これなんででしょう。当時静岡のお茶は、全国でとんでもない価格で販売できたんです。今で言うところの、ケシから作るヘロイン並みなんですよ。原料は似たような葉っぱですから。販売価格が原価の1万倍というほどではないにしても、お茶というのは、今でもとんでもない価格で売れるもんです。そのための徒歩行商人のための、大井川の橋なんです。そうでもなきゃ、なんであんなド田舎に大規模工事あったんですか。
 お茶畑は今でも、2月のほんの一時期の霜避けだけのために、茶畑全体に扇風機取り付けていますよね。アレは農業というよりも、園芸なんです。そんなに手間暇掛けても、採算にあうわけですよ。北朝鮮とか中央アジア(キルギスタン)などの地下経済支えているのが今でも麻薬なんですが、同じように明治の東海地方の地下経済支えていたのは、実は茶でした。当時の日本経済を知るには、茶と塩の道解明するだけで十分です。南アルプスに南から入山すると茶畑いやおうなくたくさん見るものですが、最近はそういう山行してないから機会ありませんが、きれいに刈り揃えられているあの茶畑みると、いつも異様な感じしますよねえ。


7/29(火)ついに放送されなかったツールド・フランス
 今年のツール(フランス自転車レース)はまたもやアメリカ選手の5連覇だったそうだけど、ついにテレビ番組はなかったねえ。あのレースがなんて面白いかというと、アレは夏のヨーロッパアルプスの山岳物語だからですよ。前はフジテレビが2,3日に1時間くらいのダイジェスト放送していたけど、いまはどっかの有料テレビに買い取られてしまったんですか?白けますよねえ。あのダイジェスト見てると、スイスやイタリアの雪を被ったアルプスがどんどんでてきましたね。ガスで視界が悪いときもあったし、アルプス縦走しているようなレースなんです。それ楽しみにしているんだけど、ついにニュース番組でも全然やんなかったような感じだね。スポーツニュースといっても、所詮野球とサッカーと水泳くらいなもんで、そんなのニュースじゃない、偏見放送だよねえ、アメリカのスポーツニュースなどは、香港の競馬情報まで新聞に載ってるよ。日本の報道なんていつまでたったも幼稚すぎて悲しくなるなあ。


7/28(月)久住山で小学生遭難
 九州の久住山で小学生が遭難したって話テレビでやっていたけど、視界30メートルのガスの中を遠足で登っていたらしいね。やっぱり夏でも視界が悪いと危険なんだよねえ。ホントにそう思うねえ。でも得てして夏道付いているからと、みんな平気で登るんだよねえ。視界が効かない時の怖さってよくわかってないのかなあ。引き返してもそんなにがっかりすることないのにねえ。いつも思うけど登山者って猫じゃないんだから、道を横断し始めたら無理しても渡ってクルマに引かれることないのにねえ。犬は車が来たときに戻れるけど、猫は初心貫徹で無理して渡って、ひかれちゃうんだって。
 思い出したけど、私の高校時代の3期後輩が夏の南アの笊が岳の水場で遭難騒ぎ起こしたことあったんです。テント場から3分下ったところに水場があって、そこに水汲みに行っただけなのに、戻ってこなくて遭難。翌日彼は違った方に下山してきたけど、水を汲んで戻るときに沢を登りすぎてしまってテント場に戻れなくなってしまったようでした。一日の行動終えて疲れてボーっとしているときに、間違ったような感じがしてもそれ引き返せなくてとんでもないことになってしまうんですよ。こんなこと誰でも経験あります。おかしいなと思ったときに引き返せる判断、実に重要なことなんです。山では考えられないようなことがいくらでも起きますから。

7/27(日)移動高からの梅雨明け
 金曜の夜まで天気予報は何にも言わなかったけど、土曜の朝になったら、静岡まで梅雨明けらしいですよ。南の高気圧が押し上げないと梅雨明けしないなんて、私中学生の時に習ったけど、気象予報士のいうことそれレベルと変わりませんねえ。土曜は朝、仕事で名古屋まで行きましたが、東京雨だったのに、静岡でまさに梅雨明けの感じ。移動高から梅雨明けするくらい、予報できんのかねえ。

7/25(金)遅い梅雨明け
 かつて、これほど梅雨明けを気にしていた年はなかったね。今年がとっても遅いせいもあるけど。社会人のクラブだと、夏合宿というのは8・15頃のお盆休みだったし、その前の週末にどうしても行きたい山というのに、そう執着してなかったからだね。若かったせいもあって、いつだって山に登れるという奢りもあったんだね、きっと。晴れたら谷川でもいくかって感じで。まあそういうのん気なときは、いったとこも大して覚えてなかったりしたし、ありゃ若気の勢いだけの登山で、本当の登山とはいえなかったような気もしてるんですよ。高校時代の夏合宿というのは、7月23日辺りから1週間でちょうど今頃南アルプスにいってたけど、3年間で梅雨明けしてないときって、なかったですよ。まあ天候優先して、それに合わせて山いくようになって、これが本来の登山の姿だとようやく最近気がついたってことですか。でも来週末には梅雨明けして欲しい。

7/24(木)橋本竜太郎オジサンの登山
 ちょっと前にまた具合を悪くしたという元総理の橋本竜太郎オジサン。この人登山やってたんだね。麻布中高なんだけど、当時は山岳部ですよ。でも慶応大学入ったときに「母親を悲しませてはいけない」と登山やめて剣道部はいったね。総理になったときに剣道のデモンストレーションやってたけど。でも本当は山岳部好きで、入部してたら、大島亮吉の後輩になってたね。あの方の、高知県知事の弟は、母親が違うんだね。お父さんは同じだけど。だから橋竜は、お母さん子で、弟が生まれた頃は父親あまりいなくて、だから山で遭難したら、母親悲しむと、登山やめていたんですよ。母さん思いですよ。
 そんで時代が進んで、二代目の衆院議員になってから、例のRCCUのエベレスト南西壁の初登攀狙って、例の前代未聞の大組織組みました。あの人総隊長でしたよ。加藤保男、長谷川恒夫、緑OBの森田さんもいたね、でも皆遭難してしまいました。隊長の奥山さんは、病苦で自殺してしまったし。あの登山隊は国家的なプロジェクトでしたよ。橋竜も実はBCからキャンプ2くらいまで自力で登ったんですよ。本当はそういう登山家だったんですが、でも彼はそのこと二度と回顧録しませんでしたね。どしてだろうと思っているんです。
 慎太郎さんも山好きだけど、彼はだから自然保護だとかよく言ってますよ。でも橋竜はそうでもない。良くも悪くも、RCCUは時代のエポックだと思うんだけど、彼は二度とそのことしゃべらないでした。愛知学院大の湯浅さんは、彼のパートナーで、とっても橋竜の味方するんだけど、私実は懐疑的なんですね。
 もう時効だから書いちゃうけど、私の会社関係で、橋竜が山のことインタビューするという約束したことあるんです。4年前くらいかなあ。でも結局ずるずる延ばされてそのうち自然消滅っぽかった。で、私ちょっと怒って、彼のHPに手紙書いたんです。「約束破るなんて、とんでもない。山だったら遭難ものですよ。貴方本当の登山家だったの?」って。だいたいHPのメール受付なんて私信でもなくて、頭の変な人だって誰でも手紙書くからね。そしたら、秘書が会社通して私にクレームきたんです。でも私事実だったから譲りませんでした。まあ、話はそれで終わりですよ。登山家にあるまじき約束破りだねアレ。
 だから私、あの人本当に山好きだったのかなあと。あるいはあの大遠征隊だけは、何か話しできないことあったのかなあと。橋竜のあのプロジェクトの検証は、黒四のプロジェクトXよりも、面白いテーマだと思っているんだけど。漠然と記憶に残っているのは、本庄山の会という田舎の団体だけど、そこの飯塚さんという一ノ倉のエキスパートは、彼もメンバーの一人だけど、健在でしたね。エベレストの南西壁にあれほど国家的に執着したのは、いったいなんだったんだろうと、ときどきモワ〜ンと頭の中を巡りますね。知ってる人いたら教えて欲しい。

7/23(水)大天井小屋グループのネット熱心
 北アの槍岳小屋と南岳と槍沢ヒュッテと大天井小屋は、おんなじ経営者かグループで、ネット制作熱心ですよ。槍なんて、ライブカメラがあって、頂上の天気すぐにわかりますねえ。南岳は日記かいて小屋の様子分かるし、大天井は、ご自慢ルートの北鎌の宣伝や案内よくやってますよ。小屋のネット化も進化してます。で今の北鎌は大天井から下って取り付くのが一般的だと先月知りましたが、なんか写真付きで宣伝されると、じゃ夏にもいってみるかって気になりました。それと槍の頂上の天気もこうしてライブでわかると、晴天さきにありきで、それにあわせて山行組むのがいいですねえ。日程さきにあると、雨でもやま行かなくちゃならなくて、そういうのは、もういやです。でも先週末はまったくのガスのなか、100人以上も宿泊あったそうで、山は相変わらず軍隊行軍の歴史残っているんだと思ったなあ。


7/22(火)時間雨量70ミリ
 週末に九州で大雨が降って、今日九州は梅雨明けしたね。降り始めから500ミリとか、台風の頃には、900ミリなんていうのも、四国の方ではありますよ。こういう雨量って、欧米の1年分ですからね。とにかく雨降りません。ヤンキースの試合が雨で順延なんて、年に数回でしょ。日本とは違って、アウトドアするには、気候的に恵まれているんです。
 でねえ、私15年前くらいに、静岡で時間雨量70ミリって経験したことありました。山に入って二日目で、朝からさっさと敗退しましたが、70ミリの雨って、もう風呂場のシャワーですからね。そうとうなもんでした。沢の水かさがあっという間に増えて、これチンタラしてると、帰れなくなると思ったね。あれだどくるまの運転もできないくらいの雨ですよ。ワイパーが追いつかない。なわけで、雨量ってとても気になるし、西日本はひどいときには、大変だなあと同情します。和歌山の山の中、尾鷲か、あそこ年間4000ミリだというからね、熱帯アマゾン顔負けですよ。


7/20(日)高瀬ダムの粗大ゴミ

 燕岳山ろくの松川村の馬羅尾高原にある最新堰堤。平成14年とある。これが10個くらい並んでいたよ。

 今週末から夏休みと、海の日の連休で山も混んで来ましたよ、雨だというのにね。
 黒部のアルペンルートからちょっと入った見えないところに、東京電力の高瀬ダムテプコ館というのがありますよ。まあ企業広報のパビリオンみたいなもんで。上高地行く途中の奈川ダムにもありますよ。でそこが妙に地元のクルマで混んでいて、いったい何があるんだと思ったら、1日に2回無料で高瀬ダムまでの見学バスが出ているというんだ。地元の子供づれアホ親子が、普通だとタクシー3000円も払わなければいけない高瀬ダムまで、ここで予約するとタダで見学できるつうわけ。1回2時間半くらいの観光コースだってさ。東京電力が客に媚びてるイベントなわけだ。
 まあ、それはいいとしてもさあ、その館のなかに、例によってダムの説明ビデオなどが流れているんだが、それ見て驚いたよ。あのダムは、自然に水が溜まって発電するんじゃなくて、「揚水発電」とやらが、できるとそのビデオは自慢しているんだ。つまり、つまり夏の昼間に、高瀬ダムの水位にして10メートルくらいで発電してその水は下流の七倉ダムにこれが水位にして28メートルくらいで貯めるんだと。で夜になるとこれが驚いたことに、その七倉ダムの水を先の発電のタービンを逆回転させてくみ上げて、高瀬に戻すんだと。昼間に自分で発電した電力の1,03倍の電力つかって、くみ上げるんだよ。そんでまた翌日の昼間になるとそれで発電するんだってさ。こんな漫画みたいな発電てあるか? なんか、飯食って排泄して、次にそれ食って飯排泄みたいな、インチキなんだよ。だったら、何にもしなければ電気使わなくてもいいんじゃない?
 何でそんなことするかというと、まあ1日じゃ、次の日の発電分の水が溜まんないのと、夏の日の昼間の電力大量消費にそなえるというんだが、「夜の電力は安いからそれつかって、昼間の高い電力を発電するんです」だってさ。だったら、ダムなんていらないんじゃない。ただ溜まった水上げ下げすればいいなら、そういう施設を東京のど真ん中につくってくれよ。電力大量消費は大都会なんだからさあ。
 要するにこれ、もはや粗大ゴミになってしまったダムを、わざと働かせている振りして、お茶濁しているだけなんだよ。だっただダム壊してもとの高瀬川にしてくださいよ。そういったら、「どうぞ、そういう解釈をしてください」と東電の職員が開き直ってやがんの。
 それにさあ、高瀬に、船窪岳から流れ込んでいる不動沢ってしってる? あそこ土砂が多くてねえ、すでにダムの一番深いところなんだけど、もう完全に埋まって閉まっているんですよ。あのダム底はもうまっ平。その土砂とってもきれいな砂で、沢の出合までにもあふれ出して、いまそれをトラックでどんどん運び出しているんだよね、どっかに売っているのかもしれないね。
 ダムなんて一説によれば、30年ですっかり埋まって寿命がくるんですよ。ダムの底に溜まった土砂すくっているなんていう話聞いたことないですもん。それいうと「いいえ、寿命は200年ですよ」だってさ。幕末も、終戦もインチキしてきた国で、なにが高瀬の寿命が200年なの? こんなデタラメいっていいのかねえ。そんで、長野は田中知事がダムもう作らないといってるよねというと、「県は作らないかもしれないが、国土省も東電もそんなこといってませんよ」とまた開き直りで、もうヒラメのように、完全に職員開いてしまったよ。
 もうねえ、川を食い物にして商売するのやめてよって感じ。砂防堰堤にしてもさあ、意味ないのまだどんどんつくってるし、ダムもそう。昭和に入って富山の常願寺川は、もうボロボロに食い物にされてさあ、でも立山が噴火したら、あんなもの意味ないと火山学者もいってるよ。日本の山屋さんたちは、従順でちっともダム建設反対なんていわないけど、長野の康夫さんも、4年後いるかどうか? するとまたダム作り始めるんじゃないのかなあ。ダムなんて、サラ金常習者に1万円くらいのお金を貸すようなもんだし、りそな銀行に2兆円あげても、あれドブに捨てたようなもんですよ。結局水力発電はもう今の時代に力がなくて、先進国は原子力に頼らざるを得ないわけだし、洪水に対しては土手をしっかり作るしかないんですよ。で100年に1回の大洪水に対しては何をやっても無理で、そういうときは潔くさっさと非難しましょうということなんですよ。川や谷をボロボロに壊してはダメなんです。スキーで谷に入っているときに、堰堤もダムもじゃまでどうしようもないですから。
 やっぱり、高度経済成長の黒四ダム建設を反省して、康夫知事はアレを爆破、壊して黒部川を元に戻して、ダムゼネコンの反省を世間に促すべきです。中島みゆきがのん気な歌歌っている場合じゃないんです。



7/15(火) 石川文洋さんの日本徒歩縦断
 石川さんは、朝日新聞のカメラマンでしたね。65歳になって、北海道から故郷の沖縄目指して、今日出発したと朝日新聞に出てました。ベトナムの戦争カメラマンで、今度はライカぶら下げて、健康徒歩旅行だそうです。健康でなにより。でも普通の縦断とか一周というのは、海沿い歩くだけで、真ん中辺いきませんね。だったら8の字周とか、×周がいいのに。全市町村徒歩旅行というのがいいですよ。もちろん百名山とかも、いいと思うけどね。そうだ、一昨年辺り私も少し参加した、東海道とか中山道の徒歩の方が、まだいいでしょう。


7/14(月)飛越の人口200人
 神岡の飛越高原は、山之村という地区になるんですが、人口がわずかに200人、70世帯だそうです。牧場の牛の方がずっと数おおいですよ。2万5千の地図に下之本ってありますが、他に和佐府とか打保とか集落6つくらいあります。それにしても少ないですよね。車で通ったときに畑仕事している人いましたが、きっといつも同じ人ですよ。今度声かけますから。200人だったら、すぐ全員と顔見知りになってしまいそうな。3千人くらいはいるんだろうとおもっていたけど、200人とは、驚きでした。
 途中の飛越のドライブインでは、100円の手作り石鹸売ってましたが、泥だらけになったスパッツがきれいになりましたね。それと同じ100円でどくだみ茶売ってましたけど、これまだ飲んでません。岐阜の上高地、ほんとにいいとこです。


7/12(土)夏靴はゴアテックス?
 夏靴ってスニーカーと同じようなのに何で1万5千円もするのかと思っていたのですが、あれ全部ゴアテックスなんだそうですよ。つまり泥沼に入り込んでも、全然濡れないんだって。大雨が降ってもね。ホントですか? 知らない間に進化したもんです。で、私は最近ガルモントの5千円の夏靴買って、とても快適だったんですが、雨で簡単に濡れました。やはりゴアって書いてなかったもんですから。でもねえ、夏に靴が濡れることくらいまあ、我慢できますよ。靴下の着替えもっていくしねえ。これ、冬だったらどうしようもないけどねえ。


7/11(金) 山の中に集落ないよ
 本屋にいったついでに、白神の地図、2万5千ですが買ってしまいました。でも白神岳は人気からか売り切れで、その下の二つ森ですが。海沿いのちっこい山だと思ってましたが、けっこう奥深いんです。それにこの辺とか北海道は歴史があまりないのか、山奥に集落ないんですね。アメリカみたいにアッサリしてます。海沿いだけ集落あるだけです。だから冬はどうせ除雪してないだろうし、海から1200の山に登るだけでもけっこう距離あるんですね。何とか街道もないし、もちろん元宿場町なんていうのもないでしょう。山奥に向かう道は、ダム建設道路など人工的なものに限られるんですよ。けど中には北海道の山が好きだって言う人も多いし、なんでかなあと思います。やっぱり武田信玄が見つけた平湯温泉とかそういう歴史あるとこが好きです。

7/10(木)富士山・世界遺産登録に失敗
 これちょっと前のニュースらしいですよね。でもその理由がゴミの山だったからだと先日NHKでいっていました。なるほどねえ。あれだけ世界一きれいな山なのに、実際にゴミひどいです。慎太郎さんがいうには、5合目の小屋はし尿を未だに垂れ流していて、しかもそれは県会議員の所有する小屋なんだそうですよ。それに5合目以下では、今でも大規模に堰堤工事していて、あれも全く意味ない工事だと火山学者はいいますよね。デタラメなことやっていては、バレてしまうものですよ。で東京都は小笠原をこれも世界遺産に登録するよう今後努力するそうです。そういえば白神のブナってみたことないけど、今度いってみるかねえ。

印象悪いねえ、白神山地
 その白神ちょっとネットで見てみたけど、印象悪いねえ。大体どの山が最高峰が全然書いてないし、エコツーリズムが時給1000円払えとか、ハイキングや登山の体験記がほとんどなくて、何でもかんでも世界遺産だという安直な紹介ばっかりですよ。日本人は自然保護だとか、世界遺産というと過剰に反応して、おっかなびっくり、怖いものに触るようにしか紹介できませんねえ。山好きならば、言われなくたっていつだって自然保護でしょう。私だって30年自然保護してますよ。冬の白神なんてきっといいとこでしょう。次シーズンはスキー履いて侵入してみたいですよ。


北鎌尾根の新ルート?
 一月ほど前に湯俣にいったとき「GWに増水で水俣川で敗退した人は、皆大天井から向かったよ」とタクシーの運ちゃんにいわれて、意味が分からなかった。西鎌に計画変更したということ? いや違いました。最近は夏でも北鎌に入る人は、大天井から貧乏沢を下降して天上沢に下りて、そこから北鎌のコルに登り返すそうです。そんなルート初めて聞きました。取り付きまでの水俣川が年々悪くなっていること。沢を自由に下降するという大胆な登山が流行ってきたこと。登山が自由化されたってことでしょうか。


飛越トンネル
 ひえつ」って読むんだよね。でもさっきまで、ひこし」と読んでいたよ。振り仮名ふってくれ。それにしても、越っていう国は広いよなあ。磐越西線なんていう鉄道は、ほとんど山形に近いでしょ。それで飛越が岐阜だというし、越前の国は福井でしたっけ、ほとんど京都。ということは、越の国は本州の日本海側全部を支配していたっていうわけですよ。始皇帝かジンギスカン並みの支配力だったわけですね。やっと気がつきました、はい。


7・9(水) 立派な登山家の条件
 太郎の小屋に携帯トイレの込み捨て場ありました。最近では一部で携帯トイレ持っている人いるようです。春の三ノ窓のテント場では、クライマーも携帯トイレ使っている人がいるようです。要するに、ウンコはいいとしてもそれ拭いたティッシュの山が汚いというわけです。それでですねえ、私最近でもこの拭いたティッシュを持ち帰ることができないものかと思っているんですよ。2回くらい実行したことがありますね。やればできる。そうすると格言のように、「取ってもいいのは、写真だけ。残していいのは足跡だけ」ということ、守れそうですよ。タバコの吸殻も、最近では携帯灰皿で持ってきてますね。ウンコにしても、小屋の狭いトイレでするよりも、北ノ俣岳にむかって、見え張って大キジする方が、ずっと快適。そのものは自然に帰るからかまわないのですから、ティッシュさえ持って帰れば、もう何気兼ねすることなく、小屋出発してから、催したときに思い切ってすればいいって、心も解放されるもんです。1、40歳を過ぎていること。2、吸殻持って帰ること。3、ウンコティッシュも持って帰ること。この3つの条件満たせれば、これ100名山おばさんも含めて、立派な登山家です、自覚症状あり。


7.7(月) ホテルと公共の日帰り温泉
 薬師岳の帰りに新平湯のヘルシーランドにいったね。山から下りてくると日帰り温泉に行くのが日課になってます。けどこの公共の温泉は、入浴料800円と高いし、午後4時だというのに、食堂は休憩になっていてクローズ。あんまりいいことなかったですよ。で食事しようと、平湯のバスターミナルの食堂にいったのですが、ここも4時で閉店。どこにも食事できるとこががないんだね。観光地にきたといっても、公務員がやっているような施設は、午後4時で閉店らしいね。夕方7時半まで明るいというこの時期に、この体たらくじゃ、客に帰れといってるようなもんでしょう。ターミナル脇に食堂が一軒あったけど、高いし愛想がないしね。元々奥飛騨温泉郷は、露天風呂が120箇所あるとかで、日本一の露天街なんですよ。商売も高飛車でねえ。温泉というのは日本中そうだね、だから熱海などは客に嫌われて崩壊してるでしょう。だから公共の温泉でき始めましたね。すると旅館はいまさらあせって、日帰り入浴も始めましたよ。
 今は過渡期なんだね。殿様商売していた温泉の客足が伸びずに、当日でも宿泊できますと案内してみたり、日帰り温泉入れますと言い出してみたり。公共の温泉が賑やかなのに、ようやく気がついてきたんだね。観光は産業だと都知事の石原さんはいっているけど、こういうことに田舎もだんだん気がついてきたってことですか。

2003・6・25 雪渓登山の魅力
 今年は若干残雪は多いようですが、それでも探せばしっかり谷には残っているようです。鹿島槍から見えた剣の雪渓も見事でした。剣周辺は7月まで雪渓がつながっているようで、それまでにはもう一回雪渓登りいきたいですねえ。

2003.7.1(火) セイコーの脱落
 ついに今年も半年終わって、しかも夏至過ぎて季節は冬に向かっております。日も短くなるし、雪の季節間近ですねえ、ワクワク。
 ところで今、高度計付きの腕時計は完全にカシオの市場になってしまいました。5年ほど前には、セイコーもこの分野に参入してランドマスターという時計出しましたし、5大大陸の例の野口さんをCMキャラに使っていましたが、この時計もはや下界のただのアクセサリーに成り下がって実践向きではありません。なにしろメモリが適当で100メートルの誤差など常識の時計ですから。やはりカシオのように、5メートル単位で高度でないと、実践には使えません。
 でも本当は、セイコーのアナログ大好きなんです。下界にいるときはアナログに限ります。デジタル表示は生活感に時間が入り込んできません。前セイコー買ったときには、「これスイスで作ったら100万円は越える」と時計屋にいわれたのですが、確かに精密には作られています。ただ針1周で6000メートルまで測定できるといわれても、これ大まか過ぎました。せめて大針1周で3000くらいにして、さらに小針つければ、これ機能的にカシオと遜色ないのにねえ。高くなっても買いますよ。それと気圧修正できればねえ。でもセイコーやる気ないみたいで、もう期待できません。それこそパラグライダーやっていたときには、5万円くらいで1メートル単位の高度計(スイス製)あって、しかも上昇すると高音、下降すると低音の電子音なりましたよ。手に持ってそれを上に上げるだけでもう高音の電子音でしたから。やる気になれば、どのメーカーだってできるんです。ただセイコーは、腕時計の高度計から脱落してしまって、何だか残念。下取りで売っぱらいたくなってしまった。