2004 Summer    トップページへ



南ア・農鳥岳
☆☆☆☆
2004・10・6晴れ 奈良田ゲート800〜大門沢小屋1230=1330〜標高2100m1500テント
10・7快晴 430〜稜線710〜山頂820=850(下山)〜稜線の下降点930〜テント回収1130〜小屋1230=1300〜奈良田ゲート1600

Pre 年に一回くらいは南アルプスに行かないと情けないわけで、登行が2200mもある奈良田から大門沢遡って、地味な農鳥岳にいく。もう30年前になるけど高校時代の合宿でここを下山したことがあったけど、ただ暑くて長かったことだけ。他に何も覚えてなし。

農鳥岳3026m頂上から。間ノ岳とその向こうに北岳。

 奈良田のゲート先では、土曜日も堰堤工事してます。コンクリミキサーが砂埃立てて走っていてゲボゲボ。大きな貯水槽作っているようです。昨日は明け方まで用事が合って、出発は8時と、超遅い。でもまあ一日半あれば。
 工事の先で吊橋を3回渡って、沢の左側を大高巻き。それから沢に戻ると間もなく大門沢の小屋でした。南アルプスに昔からあるような古い小屋。すでに冬季の開放になってます。入り口開けると中にシュラフが三つ。ここをベースに頂上往復組みがいるようです。ツェルト、コンロ、シュラフ持った山行はこの夏初めて。重いですねえ。一瞬この小屋に泊まってしまおうかという衝動に駆られますが、まだ午後1時。泊まるには早過ぎるというわけで、なお前進。

南アルプスの古いスタイルの大門沢小屋        小屋の少し先から大門沢と向こうに主稜線。

 1時間ほど歩いて、再び沢に合流して、テント泊に良さそうなところありましたが、沢の横は、あまりに水の流れがうるさい。でもう少し登ったのはいいものの、だんだんバテてきて、ついに斜面でしたが、2100m辺りの登山道の脇に泊まってしまうことにします。稜線まで行こうと思ったものの挫折。テントを稜線まで上げてしまうのも疲れるしね。午後3時。まだまだ明るくて、夕飯食べたのはいいが、どうするか、さっさと寝るか。

 二日目。夜中にシュラフがズルズル滑ったりして困ったものでしたが、それでもけっこう熟睡。目が覚めたのは予定通りで午前3時。出発4時半。満天の星空の中登ります。テントもシュラフ、コンロなどデポすると、おお荷物が軽い。元気取り戻しです。

稜線に上がって、向こう右端のコブが頂上、ちょっと冴えない感じですが。展望は右に塩見岳。左に荒川岳。

 岳樺の中を急登して、そのうちに這い松帯になって、やっぱりアルプスは上越とは違うぞ。途中朝のトイレタイム終えて、一気に2時間半で稜線。ちょうど日の出ですが、何とデジカメがバッテリー交換のサイン。どうして?電池出してポケットで暖めると、使えました。気温もマイナス2度程度だったと思うけど、その条件だとデジカメダウンですかね。
 日の出は取りそこなったけど、登りついた稜線は、農鳥特有の二重山稜。南アには、こういうとこ多いもんです。そのまま瓦礫帯を1時間登ると、ついに農鳥岳の山頂です。いきなり見えてきました。間ノ岳と北岳。うーむ、かつて何度も見た光景だけど、こうして久しぶりに見てみると、やっぱり素晴らしいものは素晴らしい。かつて見たといっても、多分すべて20年も前のこと。この年齢でこうして見られることは、やっぱりいいものだ。それに今日は雲ひとつない快晴。真っ青な空で、こういういい天気はワンシーズンで一度か二度くらいなもんです。シーズンというのは、秋という意味でね。
 北岳の左に北アルプス見えます。槍がとがってます。その右は八ヶ岳。さらに奥秩父。南方面は、塩見岳近いですねえ。少し白いです。その奥、荒川岳はさらに白い。先日の南岸低気圧で少し雪降りましたか。南の方に限って雪で、北岳など真っ黒。面白い現象ですよ。実は四日ほど前に、テレビで富士山が白いと中継していて、この山行決めたようなもんでした。

二重山稜というのは、自分の影が窪地に映ってしまいます。映った尾根の向こうが塩見岳から続く稜線。

 ここから見ると、荒川の前岳と東岳の間から赤石岳が見えて、その前岳は例によって大崩壊していて、崩壊の向こう側の縁が高山裏への縦走路辺りでしょうか。あの崩壊の中は去年歩きましたが、綺麗なカール縦走路でしたね。西は中央アルプスですが、これも真っ黒。それにしても南アは、山の一個一個がガツンとして大きいもんです。見てるだけで十分という感じ。

標高1300m辺りが、紅葉の最盛期でした。

 30分ほどして、寒くなって来ました、下山ですね。最近下りで膝がガクガクのために、テーピングして下ります。
 稜線から大門沢の下降点に銀嶺の鈴があって、遭難遺族の寄付目印でした。こういうのは八方尾根でもあるし、どこにもある。彼25歳の時に、1月にここで遭難死だったようで、数えてみると昭和18年生まれでした。生きていれば60歳。やはり1月に稜線で吹雪かれてガスられると、方向見失ってしまうんでしょう。9時半に稜線から下り始めて、奈良田が午後4時だから6時間半。まあまあのペースでした。



紅葉の平ヶ岳2141m
04・10・24 快晴 ☆☆☆☆
鷹巣P500〜下台倉山730〜台倉山830〜白沢清水1000〜池ノ岳・姫池1130=1200〜平ヶ岳1230=1300(下山)〜姫池1330=1420〜台倉山1620〜下台倉山1730〜鷹巣P1930

Pre今年の3月にロングツアーでいった山。雪のないときにいってみようというわけで、前夜は新潟で大地震があったのだが、山を越えた福島側はまったく被害がないらしいという不思議な現象で、福島の会津から入山。地震の被害はありませんね、こっちは。

 まだ雪が少し残っている凍った姫池と平ヶ岳。ここからちょっと下って、向こうの山頂まで30分。

 ずっと前に一度車で通っただけの会津から新潟銀山平への道。でも久しぶりにいってみると、感じは違います。鷹巣pに朝の430に着くが、すでに支度をしているおじさんが一人。まだ満天の星空です。じゃ、私もということでもう一人行った後、3人目で500出発。真っ暗い中をヘッドライトで登山開始。入り口の案内には、登り6時間半、下り4時間半とあります。なるほどねえ・・・
 20分くらい林道歩いて、いきなり痩せ尾根に取り付き。その辺りから明るくなって、高度も上がって、尾瀬の燧ヶ岳がそれとはっきり分かる双耳峰。そして気が付くのは、標高1000m辺りが、紅葉の真っ盛り。

最初の急登を鷹巣尾根(下台倉山)に登りつく直前。斜面は真っ赤に紅葉

潅木帯が綺麗ですねえ。前回の剣よりも美しい、ほほう・・・。2時間半で800mを一気に上って、稜線の下台倉山に到着します。この辺りまで上ってしまうと、もう紅葉は終わっています。快晴で景色は最高。桧枝岐から車で来ましたが、峠に当たる尾瀬の御池から只見川へ下ってくる急坂とか、よく分かりますねえ。それと登りついた稜線の向こう側に、おお見えてきました、平ヶ岳。その直前の池ノ岳。この二つの山は、そっくりな形しています。

登りついた尾根から、まだまだ遠くに平ヶ岳とその右に池ノ岳。あんなとこまで3時間でいけるのかあ。

 しかしここからだと、まだまだ遠くに見えるんですよ。あそこまで登るのと思うと、ちょっと愕然。台倉山までの1時間は、痩せ尾根の上下でしたが、景色は前方向OKで、止まって地図見ながらのんびり行きます。どうも私の後には誰も登ってこなくて、この山って、遅くて真っ暗の5時出発がリミットなのかと、これにも感心。

 向こうの稜線山頂が切れているのが燧ヶ岳で左に下って御池。そこから手前の盆地に道は下って、そこが只見川との出合い。そこから左に銀山湖へ。右に平ヶ岳の源流。手前にカラ沢。

 ところで燧ヶ岳の隣には、日光白根でしたね。そして至仏山があって、その隣が上州武尊。さて燧の左側へいくと、ぱっとしない帝釈山の尾根があって、手前の会津駒ケ岳もパッとしなくて、ずっと下って最近登った会津朝日岳の方が特徴的ですよ。そのまま毛猛が見えて、浅草岳、守門岳、手前に荒沢とか越後駒は、もっと上に登ってから見え始めますが、まあ山だらけってわけです。
 1時間して台倉山へ出て、その後の1時間は笹薮のなかのトンネル道で視界は開けません。思い出しました。この道は切り開きができていないと、背丈を越える笹薮だらけの尾根が正体で、もうどうしようもないところなのです。この3月に快適に通過した大白沢から平ヶ岳の尾根も、現在夏道もなくて、入り込んでしまうと2日間のやぶこぎは必至。遭難騒ぎになってしまうところです。笹薮の密生は何年たっても、ちっとも改善しないもの、当たり前ですが。でもここは実に歩き易く整備されていて、木道もあるし。
 1時間歩くと稜線に水場がある。確かに水も流れているのです。穏やかな稜線に湿地帯があって、それが自然に流れになっている。不思議なところです。テントも1張りあり。
 さてこの1700mから頂上まで400mの急登がここから始まりますね。最初の200mは、やはり笹薮のなかで視界がない。するとなんと、朝30分前に出発したおじさんが、もうここで下山してくるのです。なんという速さ。4時間で頂上、2時間で下山ですか?山賊並みの速さ。私ペースが上がらずのんびり。

最後の急登で、登ったコブから左に池ノ岳。その頂上に姫池があって、本峰はその向こう。右の緩い斜面が恋ノ岐源流。

 200m登って、再び展望が開けます。おお、恋ノ岐の源流がここですよ。沢の流れと、尾根がほとんど高度差なくて、並行なのです。共に池ノ岳へと続いている。素晴らしすぎる、どうしてだ?池ノ岳につくと、山頂に姫池という池糖がある。10月の下旬だというのに、全然涸れそうにない水がたまっていて、まだ凍っている。どうも数日前に雪が降ったみたいで、それが枝に少し積もっていて、この晴天で溶け出して、ポタポタとしずくが垂れているのは、何だか春山みたいだぞ。池の水が凍っているのは、明け方の氷点下の気温が原因で、まだ午前中の11時くらいだと、全部は融けていないみたいだ。ご丁寧にも、尾瀬のように、木道、休憩所、看板、池の進入禁止の立て札があって、やっぱり誰もが言うように、ちょっとうるさい。2100mのこんな山奥に、そんなもの立てるなと。すれ違った7人のツアーは、多分インチキ伝之助のツアーで、どうも中の俣を上がって、鷹巣下山の周遊みたいらしい。姫池は、向こうに二岐川の水源にもなっていて、それと中ノ岐の北側だけで、3本の川の水源になる。本当はタマゴ石までいって、そこからトラバースするといいのだろうが、夏は不可で、ちょっと休んで頂上に向う。
 平ヶ岳頂上で、春に来たときに1本だけ出ていたポールはどこだろうと探したのだが、見当たらない。おかしいけれど、ない。その向こうに行こうとすると、行き止まり看板。以前には、その向こうから奥利根ダムに下る水長沢の尾根の登山道があったのだが、やはりついに廃道になってしまったのだろう。頂上の木道を少しウロウロして、また休憩にちょうどいい姫池まで降りてきた。そのすのこの上でコンロだして大休止。
 時間はどんどん過ぎてしまって、11時にここに着たのに、もう3時間たって、午後2時。そろそろ下ろうかなあと思いつつも、こんなにいいところをそう簡単に下山できるかと、まだ粘る。寝転がっても、雲ひとつない青空。誰もいない静かな山頂。数人すれ違った人は、ここで前夜にテントという人もいたが、どうも午前10時までには全員下山してしまって、姫池は無風の小春日和の最高のコンディション。恵まれたねえ、本日は。
 ようやく覚悟を決めて、2時半前に下山開始。明るいうちに稜線からの下山路に入れればと思ったとおりに、秋の日は17時半で暗くなり、そのときに下台倉山からの下山路に入ったところ。そこから800m下ってPまで。再びヘッドライトで2時間下って、19時半にPへ下山。
 そういえば朝はマイナス1度だったけど、下山した夕方は5度で、それでも涼しくてちょうどいいくらいの気温。下山中はウールシャツ1枚でちょうどいい。この辺り紅葉がとっても綺麗なのだが、入山も下山も星空では、それもよく見えず、帰りの車のヘッドライトの明かりに、紅葉が少しだけ。それだけが残念。下山まで14時間半は、ちょっとゆっくりしすぎたか。




紅葉最前線 扇沢から  剣岳別山2880m
2004・10・2 ☆☆☆☆ 晴れ〜曇り〜雨
黒四ダム730〜内蔵助平1200〜ハシゴ谷乗越1330〜真砂沢小屋1530
10・3 晴れ〜曇り〜雨
出発600〜剣沢小屋930=1000〜別山〜北峰1130=1200〜下山〜室堂乗越1330〜雷鳥平〜室堂1500


Pre 紅葉を見に剣岳へ。しかし、谷筋の道は荒れています。すべて8月の集中豪雨のための、土砂流での夏道崩壊とか、雪渓融け出しが原因のようです。10年に一度の集中豪雨だったようです。

剣沢2300m付近から振り返る。右ゴツゴツが八つ峰。中央が源次郎1峰2峰。

 扇沢を始発に乗って、730にダム出発。いつものようにダムサイトに出てしまい、内蔵助平が逆方向だと慌てて戻ったり。同方向へ向う登山者は、始発だけで80人ほど。大勢と一緒に、ダムから黒部川に下って、そこ渡って内蔵谷へ。ダムの喧騒から離れると、この下の廊下への道はやっぱりいいところです。赤沢から猫の耳へのルートを確認したり、内倉出合いの向こうに、鳴沢見たり。ダムができる以前は、のんびりしたいい谷だったのでしょう。

ダムから内蔵谷出合までの下の廊下。まだ青々とした木々。左側に水平道。

 1時間ほどで内蔵出合いについて驚いたことに、私を除いた全員が、そのまま下の廊下進むのです。阿曾原まででしょう。あんな小さな小屋に、少なくともコレだけの人数で、小屋あふれるでしょう。紅葉見学のムーブメントは恐ろしい。しかし下の廊下の紅葉は来週ですね。
 内蔵谷にはいって、夏道が相当荒れているのです。丸山からの崩壊で、道は高巻き、高巻き。以前何度も通った道ですが、ちょっとうんざり。崩壊も雨の影響らしいです。谷の道というのは、自然災害によわいものです。なんだかとっても疲れて、昼頃ようやく内蔵助平。下山客4,5人とすれ違い。人が少ないのはいいですけどね。
 ここからハシゴ谷乗越の登りで、雨。ガスって来ました。それに時間も遅い。仙人山方面に行きたかったのですが時間もなく、ガスで、もしかしてこの乗越が最高到達地点になってしまうのではないかという不安で、ガスの中少しの紅葉撮影。どうもこの週末は2300m付近が紅葉盛りのようで、ここ2000mでは少し高度が足りません。

ハシゴ谷乗越付近のちょっと紅葉。雨の中。

 雨の中トボトボと真砂沢へ。沢に降りても、そこもかつて知った道とは違います。すぐに新しい鉄橋で流れ横断したものの、そこから上流へ20分も歩いていきます。そうしてようやく真砂沢小屋。その道も高巻き、高巻きで、予想以上にヘトヘト。小屋も大混雑で、どうにか就寝。でも暖かくて、まあ寝てしまえば快適。
 
 翌日は朝食後、600出発。嬉しいことに月が出て星空。気を取り直して、剣沢上へ向います。実は、真砂から下山するにも、かつてはダムへ行くのが相場でしたが、今は上と下へ半々なのです。内蔵谷の道が、歩きづらいというわけでした。
 さて上へ向っても、今年は集中豪雨で雪渓がほとんどなし。巻き道で登って行きます。でも長次郎出合い、武蔵出合いと、眺めは最高。武蔵出合い辺りが、紅葉きれいですねえ。さてその直前に、スラブのトラバースと登りに、小屋でフィックスしたザイル頼りに登ります。オバサン族大丈夫ですか?ツアー客は本当に多い。3泊して欅平に抜けるというのが、流行っていますね。案の定武蔵出合いですれ違ったオバサン族の誰か、転落したようです。

武蔵出合いの少し上からの源次郎1峰。この辺り紅葉でした。

武蔵過ぎると、八峰が同高度になり、源次郎尾根も大きく、やはり剣は素晴らしい。剣沢でカップ面食べて、さてその上から、別山への標識に従います。このまま下っても早過ぎると。それに別山2800mは本日の最高到達地点になります。しかも文太郎の時代に慶応がここで雪崩れにやられたのは、別山からの雪崩れだと、小屋のオヤジに聞いて、なら見ておこうと。1時間で頂上。さらに高い北峰へ。そこから眺め最高です。なんと足元の真砂尾根がすっごく紅葉きれいなのです。でもそこに夏道なし。残念です。その向こうに双耳峰じゃない鹿島槍が見えて、そう思うと、何故にここから仙人山まで往復するパーティが多いのだと。あちらここからだとそれほど綺麗じゃないです。その眺めに大休止30分。

剣岳・別山2880m北峰から鹿島槍方面。手前の尾根が真砂尾根。その向こうが黒部別山。奥の中央鹿島槍。
2000mから上だけ遠望でして、素晴らしい。

 さて下山。別山乗越から室堂乗越経由でいきます。そこって300mも下るんですねえ。その向こうは立山川。春はとってもおいしいコースなのです。そこから雷鳥平へ。さらに200m下る。真砂からだと、こっちを下山に選んでも、やっぱり遠いなあ。
 地獄谷を回って200m登って室堂。みくりが池過ぎると、もう観光客ばかりでした。池も初めてまじまじ見ましたがいいものです。昼過ぎから雨。どうも室堂は雨が付いて回るもんで、雨の日にだけ、かつてはこちらに下山したものでしたからね。
 アルペンルートのロープウェーの下も、けっこう紅葉きれいでしたね。お天気よければ、黒四ロッジから一ノ越へも、いいかも知れません。

Ps もう30年近く前ですが、剣の主を自称する東京の山岳会の夏合宿に体験入学みたいことしました。(ご活躍の魚津岳友会と友達山岳会です)。入山が針ノ木から平渡って、一の越から剣沢はいいとしても、その後の晴天二日間で、ダムまでサポートという間抜けなことさせられました。かつて昭和10年代の人は、多くの山岳会で有名になって、団塊の世代は思ったほどの活躍はすでになく、それから10年遅い時期には、もう山岳会というのはすべて崩壊していたのです。しかし、システムだけは残って、その徒弟制度の主従関係がこのサポート。数歳年上の学生二人が入山するというだけのことです。当時は、この素晴らしいルートにしても、楽しむ余裕もなくて、なんだか肉類の重い荷揚げ。ところが翌日雨で、じゃ下山という間抜けなのです。晴天が1日あれば、学生二人はどこかに登ろう計画だったらしい。しかも私たち体験の3人を遊ばせれくれる先輩は、1年上の一人だけで、一般ルートから剣にいっただけで、その翌日から二日がそのサポート。
 この山行中に、そういう間抜けな過去があったことを何度も思い出して、悔しい、恨むというよりも、徒弟制度の兵隊組織の山岳会は、実は山好きが揃ったものでもなくて、報われない自分の人生を、ぶつける対象が、たまたま登山だったという気がするのです。登山は戦前から奨励されてましたから、その名残でということでしょう。証拠に、その世代70歳か60歳ですが、もう山から離れてしまっている人がほとんど。むしろ最近山始めたオバサン族が同世代でも、元気だと思われるのです。いったいどういうことだ?戦後の混乱期の仇花だったのかと、振り返るのです。




奥穂高岳 白出し沢から
曇り ☆☆☆
2004・9・18 標高差1900m
新穂高P400〜白出沢小屋600〜沢横断700〜上部2100m河原800=900〜稜線・穂高山荘1220=1310(下山)白出し小屋1700〜新穂高1900

  Pre 奥穂へいくには、上高地よりも新穂高からの方が便利だという説もある。それに夏の陸トレで日帰り山行。でも相当疲れた。
 
白出し沢最上部と穂高山荘。ガスのむこうに奥穂高岳。

 夜明けの1時間前ということで、4時真っ暗の中を新穂高から白出し沢目指して林道をいく。少し後にも単独。穂高平までのショートカットの夏道は、意外に歩きにくい。それにここで、12年前のハンワグのロッキーという靴の底のかかと部分がはがれた。細引きで応急処置したのだが、噂に聞いていた靴はがれがこういうものだと認識。通常は5年立ったら張替えらしい。
 2時間弱で白出し沢小屋。ここから斜面を登っていって、間もなく沢の流れを聞きながら、1時間で白出し沢横断。穂高山荘の重太郎が、昭和40年代に整備した登山道らしい。出発の頃には星空だったのだが、早くも曇り。秋の空は女心か。

 重太郎橋で白出し沢横断して、左の岩切通しを水平に登っていきます。

 沢を渡ってから、岩を切り出した登山道をいく。ミニ黒部の水平道みだいだ。事前にネットでルート検索していたから詳細は理解していたが、それにしても思っていたよりもスリリング。後からパーティに抜かれる。ここから1時間かけて、白出し沢の大滝(滑滝)を高巻くように、巻き道を進む。けっこう急登で疲れる。1時間すると2100m辺りで、沢に合流。すでに流れは消えて、ガラ場が一気に2900mの稜線まで続いている。私こういう大きな地形は大好きです。考えてみれば、涸沢岳の西尾根を挟んだ向こうは、滝谷ですよ。滝谷の隣の沢が、つまらないはずがない。期待通りですね。

 2500m付近ではけっこう狭くなっているところもあって、このガラ場の真ん中が登山道。

 さて、この辺りから上部はガスがかかっています。失望して引き返したくなったのですが、一応稜線まではトレーニングのつもりで登っていきます。9時頃に、いつものようにあまりにも眠くなって、20分ほど昼寝。元気取り戻して一気にいきます。
 しかし登山道は、ガラ場のど真ん中露骨にもジグザグに登っているのです。落石がきたらあまりにも危険すぎるのですが、最初はそこ避けて歩いていましたが、最後には緊張感もかけて、どうにでもなれとど真ん中。でもねえ、こんなとこ歩いて稜線まで登れるなんて、地形の不思議ですよ。左の滝谷の上部や、右の天狗沢上部じゃ、こんな簡単に登れませんから。なんか一般道とはいっても、感動するなあ。
 2300mからは、樹林も消えて、完全に岩場だけ。そういえば、涸沢も同高度だし、滝谷のD沢B沢合流の河原も同高度です。上高地の裏街道だけど、裏側ならではのスリリング。そこから2時間少しで稜線に出ます。穂高山荘のこれも裏口にいきなり登りつき。
 けれど、ガス。疲労こんばいで、さっさと小屋の休憩室にはいって、800円のうどん。これがとても美味しい。小屋は連休で混雑。ガスにつき山頂は諦めて、どうせ日帰り予定ですから、下山の心がけします。下りは5時間との標識あって、明るいうちに林道までは下れるだろうと。明日も天気の回復見込めないようだしね。ここでカモシカの店員さんに、出会い。お客11人連れて、3泊4日だそうです。前日横尾、本日穂高小屋。ごくろうさん。
 気を取り直して一気に下山。ちょうど下り出しのときに、一瞬ガスも晴れて、下まで見通せます。昇ってきた道だからいいようなものの、これ初めて下るとなると、なんだか緊張しそうなところですよ。そこを数パーティ登って来ます。小屋泊まりなら、この時間でもOKなのでしょう。でもガラ場の真ん中だから、なんか危なっかしいし、落石おとさないように注意しながら。

 稜線からの下り出し。一瞬ガスが切れて、谷底にまっしぐら。

 ところで、この道のペンキマークが「¬」こんな形しているのです。意味は左折。分かりますか?最初は矢印の先が右上示しているのだろうと、そっち行くのですが、踏み跡が消えてしまう。逆方向だったのです。下から登り付いて、現在地から左へ曲がっている意味ですが、こんなペンキマークは、初めて。最初に説明ないとこれ気が着きませんよ。要注意。踏み跡も数箇所あるしねえ。
 半分くらいくだったところで雨。カッパ着たり脱いだりしながら時間がかかって、暗くなった頃に、白出し小屋にでます。後は林道を忠実に下山して、新穂高直前でまたヘッドライト出して、午後7時到着。日帰りのパワーは相当衰退してしまったですが、今後もなんとか行きましょう。





会津朝日岳1624m
曇りときどき晴れ ☆☆☆
2004・8・29 標高差1100m
500岩魚の里P〜稜線人見の松700=730〜会津朝日岳920=1020(下山)〜P1400


 1ヶ月前に、荒沢岳から眺めた山の会津朝日岳にいく。気に留めたのは、この夏にここで遭難があったこともある。標高は低いけど、岩壁城砦に囲まれたユニークな山になる。
 台風が南にいるが、月明かりが出ている。東京からでは新潟経由でも福島経由でも同じくらいの距離。新潟からいく。取り付きは岩魚の里という岩魚釣堀P。暗いうちについて明るくなるまでラジオで五輪など聞きながら待つ。
 5時出発。登山道は地元でも宣伝しているくらいで分かり易い。沢にそって1時間いく。標高で300m登ってから、沢を離れて尾根に取り付く。さらに1時間で稜線。人見の松と書いてある。

叶高手辺りからの会津朝日岳。城砦に囲まれたような山容。

 さすがに盛夏の頃に比べれば涼しくなった。それに曇っていてこれは登り易い。それに今日からチューブ水筒使っていて、これが意外にも便利だ。10分おきくらいに、少しずつ給水して、なんだかマラソン選手のような気分になる。疲れずにはかどる。
 この尾根に出ると、正面に見えてきたのが、鬼ヶ面と浅草岳。城壁のように立派に見える。その山の向こうにさらに高いのが、守門岳になる。この辺りの山は、登るよりも少し離れたこのくらいの距離から眺めた方が格好いい感じがするなあ。その山は登るだけじゃなくて、眺めてみるのも魅力の一つになる。

雲上の向こうに鬼ヶ面、浅草岳。すごく近くに見える。

 ここから少しアップダウンがあるが、叶高手からの100mほどの下りは、けっこう距離がある感じがする。しかしそこまでいくと、ようやく本峰の会津朝日岳が見えてくる。こちら北側斜面はスラブになっていて、けっこう迫力あるもんだ。只見の町中からこの山が見えるはずなのだが、夜間に通過したためにそれは分からない。
 アップダウンが終了すると、最後の鞍部に避難小屋がある。こんな小屋はどういうときに使うのか分からないが、以前にはここから会津駒ケ岳まで縦走路を作って、会津アルプスにしようとしたらしいが、そういうときに使うものなのだろうか。今は登山道整備の作業道具など置かれていた。もちろん宿泊はできそう。
 ここから最後200mの急坂になる。先のスラブのどこをどこを登るのかと思ったら、中ほどの草付きを登山道は登っていく。最後は緩い斜面の岩をトラバースしながら、いきなり岩峰に登りついた。実質的な頂上。本当の頂上はそこからさらに北に2分進んだ、少し低い場所になる。道は一旦南に登り付いて北側に回りこんでいた。
 頂上からは向こう側の山がいきなり見えてきた。越後駒、中ノ岳、平ヶ岳と、荒沢岳もくっきり見えたことで、今日の山行は満足。そこから北側へ、未丈が岳、毛猛。毛猛は尖がったピークをいくつも持っていて、なかなか格好いい。さらに浅草、守門。朝日の稜線は南へ丸山岳へ続いていて、その向こうになだらかな駒ケ岳がさっき見えていた。

頂上から。右奥とがった数峰が毛猛山。夏道がなく、残雪期のみ。

 一番北には飯豊まで見えるようだが、判然とせず、その手前の未神楽、矢筈岳まではそれと分かる。新潟と会津の山の中心にこの朝日があって、この辺りの1500m前後の山は魅力的だ。阿賀野川の流域は、標高が低いところからいきなり山になる。
 頂上にいると、1時間はあっという間に立ってしまう。パン食ってジュース飲んで、煙草2本吸って、地図みていると1時間。今日は誰も登ってこなくて、一人も会わない。たまに日も差して、絶好な日和になった。
 シャツ1枚だと、そのうち少し寒くなる。後ろ髪惹かれるように下山。4時間ほどで登った道だから3時間くらいで下れるだろう。


毛勝山2414m 北西尾根から・富山県
2004・8・4 晴れ ☆☆☆
阿部木谷登山口430〜北西尾根2100m1300=1400〜毛勝山1440=1530〜2100m1600テント泊
8・5 晴れ テント500〜頂上540=630(下山)〜テント700〜登山口1200


 Preすっごく久しぶりに昭文社のハイキング地図にない山に行くことになりましたね。数年前に地元の有志が夏道作ってくれたそうです。剣北方稜線のこの辺りの山は、冬に行くとヒマラヤの訓練になるという言い伝えがあるそうですが、長いこと残雪期しか登れなかった山にこうして道ができるということはいいことです。

北西尾根下部から見える毛勝3つコブ。左端が本峰で右端が大明神尾根頭。

 2ヶ月前の早月尾根の帰りに、登山口辺りは見ておいたもんでまだ夜が明けてなくても、到着できました。片貝川上流なんて、やっぱり寂しいところですよ。平日につき誰もいません。明るくなった頃に出発。
 このルート標高差1700mあって、1時間で300m登るとすると、実働6時間ですか。登り甲斐ありますねえ。登山口には赤テープあります。片貝山荘といっても発電所ですが、そこから阿部木谷にはいってすぐのところが登山口。北西尾根は延々と毛勝に向って登っていきます。
 最初の1時間登ると、東又谷本流との境の尾根に登りつきます。ここまで急登。でここにくると、さらに北方稜線の駒ケ岳2002mが正面に見えてきます。ところでこれは何駒ケ岳というんでしょうか?知りませんよ。登山道は尾根を忠実に登っていきます。で間もなく右に見えてきました。大明神山2082m。これも登山道ないんでしょうねえ。そこに大明神沢が上がっていて、そこから稜線の合流が無名の大明神尾根頭というとこでしょうか。そこと毛勝山先のコブと、本峰が三連峰の格好しています。格好いいですよ。上越の守門岳がちょうど同じような格好に見えますねえ。
 この毛勝北西尾根は、けっこうアップダウンがあって、なかなかはかどりません。さて今回は水場がないということで、水2,5l、ジュース0,9l、ゼリー1,3lと相当上げましたね。合計4,7lですか、なるほどザック重いですよ。
 出発430ですから10時頃でも、5時間半になりますね。いつものように途中で眠くなってお昼ねしたり、ゆっくり行きます。上部2000mに近くなると、石庭というか、枝沢の上部の開けたところをトラバースしならが、そこにお花畑があったり、草付きに白い花崗岩が点々としていて、何だかとっても美しいところです。それに池糖もあって、緊急にはその水飲めますよ。でももう雪田はなくなっていました。

標高2000mでいきなり視界が開けて、後立山方面が遠望できます。右から鹿島槍、五龍、不帰がよくわかります。テントは登山道整備のためのデポテントのようでした。

 その2000mから緩やかな二重山稜になっていたり、テント張れそうです。そうして駒ケ岳の先のサンナビキとウド頭が見えてきました。ウドは白い岩肌のある特徴的なコブですよ。そしてその稜線の向こうに後立山。朝日岳が大きく裾野を手前に引いていて、白馬よりも白馬鑓が白ザレでとっても目立ちます。そして唐松、五龍、鹿島槍はどこから見てもよく目立ちます。
 2100mの池糖に出たとこで考えました。実は、毛勝の向こうにもう二つ有名な山がありますよ。踏み跡があるとは聞いていましたが、そこまでいけるものかと。午後2時、ここに荷物をデポして、空身で山頂目指します。

 この日泊まった2100m池のそば。朝焼け

 ここからは頂上まで近いですねえ。登山道は東又谷の上部に出て、その草付き上っていきます。ここは急だけど階段状で登り易い。そして登りついたところが、いきなり山頂でした。
 毛勝山の山頂は、意外にもなだらかなのです。ここにも石庭があって、気持ちいい緩やかな草付きと点在する石。それに展望は、剣こそガスにかかっていましたが、釜谷、猫又。ところで山頂の先は、踏み跡こそ確かにあるものの、這い松とツガのやぶこぎ。先へ行くものかどうか躊躇しますよ。断念。この毛勝までの登山道作ってくれた人に感謝です。そこで1時間も展望楽しんで、今日はあっさりとさきの2100mにツェルト泊にします。とっても疲れました。

毛勝山頂上から、釜谷、その向こうに猫又、遠くに剣岳。

 翌日、熟睡して起きた明け方は、月明かりが眩しいほどでした。雨かもしれないという天気予報でしたが、どうにか晴れ。せっかくだから5時出発してまたまた本峰へ。今日は剣までよ〜く見えます。それに富山湾まで。剣以北の黒部川を挟んで、後立山というのは、眺める山によっていろいろな風景楽しめますよ。それと真下には、阿部木谷からせり上がってくる毛勝谷です。そうそう黒部へは、後立山からもここからもなだらかな斜面が続いていますね。5時半からやっぱり1時間くらい頂上に滞在。なんだか幸せすぎるほどの時間を過ごしました。
 下山は、7時過ぎにテントを撤収して、来た道どんどん下ります。長〜い道です。ところで登りも下りも晴れに恵まれましたが、夏山の登りは水分補給考え物です。とにかく滝のような汗が出てくる。今回水をたくさん上げたことと、ゼリーが有効な行動食だったことが判明。それにパックジュースも有効でしたね。でも実は、池の水を沸かして、500ccほど、下山用にタンクに入れていました。見た目にはアメンボウも泳いでいた池ですが、でもけっこう美味しく飲めたのは感謝。それに夏山はスキーで登山するよりも疲れることを知りました。夏トレーニングは冬対策として重要だということです。5時間かかって、昼に下山。東京からは450キロも離れている、剣の北の山に登れて、感謝でした。
 そうそうこの登山道は思ったよりも整備されていました。赤布、急坂にザイル、それと青い蛍光テープは、下山で暗くなってもライトに反射するものです。それと笹やツガの下草をきっと電動ソーでこの夏にも刈っていますね。登山道整備してくれた人に感謝。ところで登山口には、立て札くらい立ててくれると分かり易いと思うのですが。なるべく大勢が登って、下向きの上りにくい笹の切り口を踏み潰しましょう。そうすればもっと登り易くなる。でも日帰りは、ちょっときついものがありますねえ。@金沢先生の昨年の記録を参考にしました。


荒沢岳 1968m 新潟・只見
2004・7・31 晴れ ☆☆☆
銀山平登山口600〜これより岩場・前倉下930〜荒沢岳1220=1300(下山)〜前倉下1520=1600〜登山口1810


登山道途中前倉ピーク1536mからの荒沢岳。頂上左下から足元まで登山道が見えています。ここから2時間。

 Pre 上信越の梅雨明けは、この週が初日ってことになったようです。迷走台風が静岡から四国へ西に進んで、でも群馬までは天気が悪くて、そんじゃ新潟の山にでもいきますかと、奥さんと相談してました。
 土曜日に無事に登山終えてその夜は群馬泊まりにしていたのですが、で、帰りの車の中で、なんと登った翌日にそこで雪渓が崩れて3人が生き埋めになったんだと。西本城沢ってどこだと地図見たら、山屋さんが登る沢ではなくて、なんと登った登山道の下の沢。林道が奥まではいっているハイキング場所で、カメラおじさんがそこから沢をノコノコ進んで雪渓の下に潜ったんでしょう。でいつまでもいたから、ついに天井の雪が崩れたったことです。ダメですよ、そんなとこ暇つぶしに入ったとしても、さっさと出てこなきゃ。そういえば、昨日は満月で枝折峠で真っ暗なのに三脚で月撮っていた二人組みを見かけましたが、その人たちですか?危ねえよなあ。

 選択した山は正解でした。谷川岳周辺はまだまだ厚い台風雲に覆われていますが、湯沢から六日町、浦佐と進むと、どピーカンの快晴。関越道から八海山、越後駒など見ながらトンネル道路から銀山平へいきます。その駐車場には午前6時ですでに数台。7人くらいがちょうどバラバラに登り始めるところでした。私たちもそそくさそ。
 新潟の荒沢岳は初めてです。越後駒に何度も登ったときに、いつかはチャンスがと思っていたもののそのまま。周辺の沢も雪渓が遅くまで残っているし、急だし、沢のグレードも高いものでした。同じ急でも甲斐駒ケ岳の沢には近いから何度も行きましたが、ここはチャンス逸してました。それでもハイキングでいこうかと。

 登山道途中から北側展望。目の前日向倉山その向こう、小ピークの左に未丈が岳。

 例によって樹林帯の急登がさっそく続いています。でも休み休み3時間登ると、前ー(まえくら)という崖のピークの手前。「ここより岩場」の標識。地図には「クサリ」とあり。でも家の奥さん実はここで敗退。というのも、結婚して20年立って初めて知りましたが、子供のときにジャングルジムを2段目以上上に登れない性格だったということでした。クサリと同じようにハシゴもダメ。「知らなかった」とはこういうこと。で、ここで「待っている」ということで、私、その他のハイキングオジサンたちを追ってさらに上へ。

 手前が前倉。稜線はそこから下って向こうの本峰へ。登山道は見えてますねえ。手前下ってガレ上って、痩せ尾根急登しています。クサリ連続。

 登ってみてよ〜く分かりました。荒沢岳のこちら北側は1500m辺りで、全ての地形が要塞になっているのです。沢を登ってみても、滝とスラブでしょう。この尾根にしても、先のピーク越えるのに、左の西本城沢よりをかなり下降して、そこから道は枝沢のツメのガレを200mの高度差で登っていくのです。どこまでもクサリが続いているのはいいとしても、これって沢登りの1級というグレードくらいなものです。というのは、前穂の北尾根程度ですか。ちょっと呆れました。よくぞこんなとこ登山道にしてしまったものだと。それにしても登りいいとしても、下りは、三点確保のクライミングダウンでしたから。登山道でこんな変なとこ初めてです。唐松岳の不帰剣より、むずいですよ。通行量も少ないだろうし。
 でコレより岩場から50分もかけて、前倉ピーク。おお山頂付近良く見えます。さらに2時間で頂上。

 頂上から西側。右越後駒ケ岳、左中ノ岳。

 荒沢は向こう側南斜面は、実に穏やか。崖の上の穏やか地形は黒部源流並みです。越後駒、中ノ岳も間近だし、そうそう越後駒の銀山平方面というのは、思っていたよりなだらかでしたね。荒沢からの稜線は灰ノ又という地味稜線が続きますが、これが穏やか。そのまま兎岳へとね。その向こうにも県境の山が見えて、さらに向こうは利根川源流です。本当にいいところなのだが、ちょっと開けてなくて、そう簡単に向こうへはいけません。さらにガスが晴れると、春に登った平ヶ岳。こっちから見ると、さらに大きい山ですよ。裾野が左右に延々と広がっています。ちょうど雲の切れ目が2000mくらいにあって、巻機へ続く稜線にも、小沢岳1946m、知りませんねえ、しかし平ヶ岳と左右に対を成して、これも大きな山容してます。先行者が一人いましたが、私もそこで40分展望楽しんで、さて下山。
 奥さん待たせているもんで気を使って急いで、それでも15時過ぎ合流。なんと6時間近く待たせましたね。お昼寝していたそうです。そこからゆっくり下山。前倉の上辺りから、西本城沢の雪渓よ〜く見えてましたが、翌日にそんなとこで事故あるとはねえ。
 そうそう、北方面は、未丈ヶ岳、その奥に毛猛、さらに左右に浅草岳、守門岳、その奥にも何か見えますが粟ヶ岳ってやつですか。北西にはこれもつい2週前の事故の会津朝日の山々。新潟のこの辺も山だらけです。天候は夕方まで良くて展望効きました。それに日焼けも相当なものだし。
 銀山平の温泉で過ごして、日が暮れてから枝折峠経由で帰りました。

ハイキング谷川岳
2004・7・18 曇り ☆☆
ロープウェーから天神平740〜肩の小屋1000(頂上往復10分・休憩・下山)1200〜天神平1400

 2週間ほど前に、谷川岳の赤谷川源流に恋して、東京梅雨明けを期待したのだが、なんと上信越の国境稜線は、まだ梅雨明けしていません。新潟や福井で豪雨があるほどだからしょうがないでしょうねえ。

 夏休みスタートと海の日連休だから、大混雑です。今日一日で天神平のロープウェーを利用した人は3000人くらいで、うち800人くらいが登山者でしょうか。始発の7時前に並んだものの少し待たされて、天神平740分にスタート。まだこの辺はガスっていません。

 さて田尻尾根を回りこんで、熊穴頭避難小屋へ。なんだかこんな当たり前のハイキングコースでも、春にどうやって滑ろうかと思いながら歩くと、なんか新鮮です。熊穴沢も、スキー場の田尻沢のわずかに隣りですが、でも良さそうな感じ。

 さらに進んでいくと、ちょうど標高1700mくらいに、ガスの境目がありますよ。それより上部は、完全に雲の中。雨が降らないだけいいけれど、上越の梅雨明けってのは、簡単じゃありません。その1700m辺りだと、ちょうど西側にヒツゴー沢。この辺りも良さそうな傾斜です。すごい前に、夏に登ったことあったんですがね。その向こうにオジカ沢少し見えて、谷川本谷。その向こうは阿能川岳が大きいです。高山植物も咲いています。ここで30分くらい休んで、その間にも、オバハイキングが大勢通過していきました。

 さてねえ、ここから頂上目指すといっても、ガスの中をいってもしょうがないとも思ったのですが、でも気を取り直していきますよ。それにここからだと、あとは西黒沢方面は緩やかな斜面になっていて、急な登りは終わっていたようです。ハイキング地図とは別に2万5千の地図みていると、やっぱり詳細地図の方がたのしいものですね。


1700m辺りから西側ヒツゴーさわ方面。高山植物綺麗です。

 そこから1時間で予想よりも簡単に肩の小屋にいきなりでました。天神平から標高差で600m。休まなければ2時間でしょ。こんな簡単なコースは他にそうありません。

 小屋から10分で頂上ですが、ここもガスっていて、強風。少しいて小屋に入って休憩。昨年改築した綺麗な小屋でしたね。宿泊もできる。この日は大勢登っていて、売店も大繁盛。でも県の小屋だから、あまり商売っ気はありません。


 頂上直下の肩の小屋も完全にガスの中、強風。でも小屋の中はオシャレな山小屋風で、休憩も無料。ところで冬もここは雪が飛ばされて夏と同じ入り口だそうですが、でも相当前の冬には、全没して小屋が探し出せなかったという話もたくさんあるのですがね。同じ場所に建っているらしいのですが。

 小屋で1時間も休んで、昼寝していたら、さらに登山者増えてきました。休憩室も満員。この日だけで800人が頂上目指しましたか。もう下りも大渋滞でした。いよいよ夏山シーズンということですか。

ps 元々ロープウェー登山はあまり好きではなかったのですが、しかしわずかに2時間で頂上までいけるとなると、これは利用価値あります。食わず嫌いだと、その山にあまり行かなくなってしまいますからね。

 オバハイキングは神風ですよ。大阪から両夜行の特急とバスで来ている団体もいたし、ガスのなかさらに縦走して土樽目指すなんて、60歳代のオバ連中も、神風してますよ。天神平も7年ぶりくらいですが、ロープウェーの掛け替えしているし、おしゃれなレストランができました。ようやく、ミニ八方か栂池の雰囲気出してきましたよ。そういうレストランにいるのは明らかに観光客で、オバ登山者でレストラン利用するのは、50人に一人くらいです。同じオバ族でも、一般観光客と神風オバは明らかに違っているのです。

天神平のロープウェー新駅の新設と、その右レストラン営業中。この一体もオシャレになりました。

 大体群馬県は、この谷川岳を目の敵にしてきた歴史があるのです。東京の連中が遭難するからと、有難迷惑風に条例作ったし、地元は谷川岳など、なくなってしまえばいいと思っていたフシがあるんです。肩の小屋にしても昭和の始めに作ったのは、東京の渓流会の杉本さんたちでした。私の会のOBとか。で途中から経営は県に移行したけど、OB連中が冬に羽目板など燃やして暖を取ったという悪さしたのが、昭和30年ごろで、50年ごろには、ただの売店だけとなり、その後はそれも辞めてただの避難小屋だったんでしょ。数年前にはまた人が入りましたが、廃材埋めて問題になって、昨年ようやく観光誘致に気がついて、県は改築しましたよ。天神平もオシャレになったのも、最近のこと。私20年前には何度かここにスキーに来ましたが、あのころはバブルスキーに何もしなくてもホクホクしていて、今になって初すべりだけにここに来て、シーズン中は皆無視するようになって、ようやく本気になったということですか、生き残りですね。ここは親会社が東武鉄道で、まあのん気なものです、近鉄みないなとこですよ。スキー場から山にスキー持ち込んでも何も言いませんから。でもこれだけ本峰もスキー場から近いと、山全体がスキー場のような雰囲気ですが。ちょっと危険なところもありますが。昭和の始め頃には、ここから西側に谷川の二股辺りまで、スキー大会開かれたことあるようです。以前に古い人に聞きました。ホワイトバレーとつないで、スキー場にするとか、そういう大胆なことなかなか考えませんよ。「近くてよい山なり」というのは、本当のことですと、再認識。


上越・茂倉新道から茂倉岳1977m

2004・7・3晴れ ☆☆☆
土樽P500〜矢場の頭800〜茂倉岳1000=1200(下山)〜土樽1540

Pre 夏のハイキングというのは、夏トレ、自主トレ、陸トレみたいなもので、一応好きで山には行きますが、なんだか辛いのです。というのも、スキーという道具を使う遊びをなぜしているのかといえば、その遊ぶちょっとした技術さえ習得してしまえば、これは登りも下りも実に楽チンで楽しい登山になるからです。その楽チンになれてしまうと、夏のハイキングは登りも下りも実に辛い。冬には500ccの水があれば1日OKなのに、夏にはあっという間に2リットル飲んでしまうし、汗ダラダラもとっても嫌です。本日もしくは明日には上越は山開きで、オジオバは、1年間まったぞおと、一生懸命この山にやってくるのですが、モチベーション比較でも100対5くらいだし、パワーも100対30くらいで、今日もなんだかオジオバにどんどん抜かれて、のろっちい山行でした。
 2週前の平標が、実になだらかな山だということに気をよくして、そういえば上越のこの辺りに、土樽から登ったことはこれまでなかったのです。いつもロープウェーで楽チンしていて、その戒めに、茂倉岳に登ることにしました。梅雨などどこかにいっていて、真夏登山となり。ただ2000m弱の山に直線的に登って降りるだけのコースでしたが、やっぱりそこは谷川連峰であり、予想以上の充実だったのです。

 気合入れて5時土樽P出発し、1時間は樹林帯ですが、それ抜けると右に見えてきました。最初に遠い方の仙ノ倉山、続いて間近に万太郎、おお万太郎谷も、関越の空気口が、大きくこの谷の真ん中に立っています。そして左は茂倉谷。この辺りは一見実に穏やかそうですよ。しかし東面の一ノ倉は標高900mで残雪だというのに、こっちはほとんどない。それに実に穏やか。谷川岳も表と裏は大違いなのです。


万太郎山とその右仙ノ倉山

 矢場の頭に出ると、上越の主稜線の向こう側(群馬県側)が見えるのです。そうです、私知らなかったのです。しかも主稜線歩いたこともなかったし。主稜線はオジカの頭から万太郎にかけては痩せ尾根で切れていて、群馬側の川棚の尾根の方が標高も高いし、太い尾根だったのです。でその間の赤谷川源流は「上越の黒部源流」といってもいいくらいの穏やかなところで、これは大発見でした。新潟側から群馬の大発見してどうする? 前にね、オジカの頭から源流に滑って、万太郎登り返すという記録見たときに何だあ?と思ったものですが、それ主流だったんですよ。


登った縦走路振り返って、湯沢方面。関越道見えます。右の低い山は足拍子岳

 で自分の足元尾根は、ここから川棚頭(群馬の川棚とは別物ですが)に登って、そこにくると、茂倉の避難小屋見えてきました。新設小屋だそうです。それで例によって、背の低い笹の草原、緑カーペットというヤツですね、谷川特有に大好きな雰囲気。その間を辿って、その避難小屋につきますよ。入り口反対側には冬用の小さな入り口もあって、これ頑丈そうです。さらにそこから10分で、茂倉頂上。


茂倉岳避難小屋と頂上(左)。背の低い笹原が上越らしくて気持ちよし

 おお景色がよいです。東は、蓬峠、清水峠の向こうに朝日、さらに巻機、その向こうはゴチャゴチャしているけれど、奥利根周辺でしょう。南に、例の赤谷源流で、仙ノ倉、平標方面も。ちょうど昼頃で、だんだんガスっぽくなってきますが、出発早かったもので、景色は十分。ここからもと来た道下山です。まあ実は下山のコースはいろいろ考えてはいたのですが、体力との相談で最も簡単な方法選択。


遠景左のオジカ頭の向こうに川棚の稜線。手前低いのが上越主稜線。その間の谷が赤谷源流。

 小屋に戻って飯、ちょっと昼寝して、12時出発。下山する頃に、向こう側から来たパーティが、4,5通過していきます。ロープウェーの始発7時で天神平からの縦走組みですよ。どうも土樽に下って、1520分頃の上越線上りで戻るとか、それ乗り遅れると、3時間待ちで18時だとか。土合〜土樽間は駅1個なのに、苦労するのは途方もないものなのです。日本一のローカル線でしょうか。途中たくさん休憩とって、1540分に土樽Pに戻り。谷川連峰の北側十分に観察できました。来シーズンはちょっとこの辺集中してみたいですね。


上越・平標山 たいらっぴょう

2004・6・19 高曇り ☆☆

元橋900〜平標山の家1100=1130〜山頂1220=1300(下山)〜松手山1400〜元橋1540

 総勢21人の山岳部OB会でした。川越を630にバスで出発。関越の湯沢から元橋へいきます。定番ルートで別荘地内の林道を進んで登山道に取り付き。天気がいいから、もう暑くて完全な夏山。平標山の家まで元橋から2時間ですね。


川越高校山岳部OB 主力はすでに60歳代に移っています。皆元気です。OB会といっても、余り休まずにガンガン登りますねえ。気合が入っているのです。登山口の元橋で。

 元橋から平標山というのは、春も人気だし夏も大人気。近いからでしょう。元橋に100台のマイカー駐車スペースがあるのですが、それが午前9時に満杯ですよ、土曜日だというのに。眠っていたオジオバ登山客が、夏になっていっせいに冬眠から覚めたというわけですね。東京からでもそんなに遠くなくて大勢いきます。大都市を抱えた近郊の登山名所は、いよいよ数に圧倒される季節に入ってきたというわけです。それでも、尾瀬とか上高地ほど、ひどい混雑にはなっていませんが。

 それとこのルートは、もう圧倒的に完璧に整備されています。木道、木道の階段など、特に階段昇っていると、これはアパートの外付け階段上がっているようで、登山道っていう感じではありませんが、まあしょうがありません、私はそれほど気にしてきませんが。むしろ簡単に標高があげられますから、泥のぬかるみと比べると、登りやすいものですよ。いやなら、こういう山にはこないということになりますが。


平標山の家の釣鐘と、その向こうの仙ノ倉山の手前コブ。山頂はその向こうに見えません。

 さて山の家に登り付いて、稜線の向こう側の仙ノ倉山などとってもよく見えます。ここから見ると、仙ノ倉というのは、なんかとても大きい。でも後で確認すると、それは本峰ではなくて、その前のコブだったのですがね。けっこう近くに見える山でも間違うことってあるんです。いやそんなことよりも、この山は四方向がすべて緩傾斜になっていて、3月のスキーヤーが、大声で山スキーに最適な山だといっていることが、ようやく分かりました。この山に来たのは、30年ぶりのことで、過去の登頂のことは、ほとんど忘れていましたからね。西に上ってきたヤカイ沢すべるとか、北東に西ゼンとか仙ノ倉越えてから、同じ北東にシッケイ沢滑るとか、おお、これまで何度そんな話を聞いてきたことか。でも、スキーシーズンだと、苗場スキー場からの間抜けな大音響の雑音響いてきて、実際にはどうなんでしょう。次のシーズン一回いってみないと、分かりませんが。


 山の家から20分くらい稜線を登ると平標山山頂よく見えてきます。そこまで一直線に木道が続いていきます。



 同じ地点からの仙ノ倉山。奥に二つ見えるコブの左が山頂ですね。それにしても、これだけ緩斜面の広々とした尾根でした。

 小屋から1時間かけて頂上。なんと40人くらいがそこで弁当食べています。どうももう少し早く出発すると、仙ノ倉山まで往復するってのも、定番のコースらしいです。どして仙ノ倉までなのかは分かりませんが、平標1983m、仙ノ倉2026mで、2千超えると、やっぱり有難いんでしょうか。私たち21人パーティのうちでも、元気な7人は往復してきましたけれどね。でもあっちの山頂に着いたときには、ガスって何も見えなくなったといってましたから、許しましょう。

 下山は周回コースみたいにして、松手山縦走路の下山です。さて、この尾根の下りには、赤紫と黄色と白の3種類の高山植物、実に基本ですが、今回は確認できました。それにこの頃からけっこうガスが出てきて涼しい風が吹いてきて、おお何だか滝谷みたいだなあとは、1年ぶりの夏山の感触ですね。

 1時間で松手山、さらに1時間半で、登り口の元橋に到着。


 松手山尾根の下山から。ハクサンイチゲ。イチリンソウの仲間とかいてあります。

 私の恩師の松崎先生は、まあ偏屈先生としても有名ですが、今回は植物学者として、この松手山でニョホウチドリという高山植物確認したと。日光の女峰山以外で、この花見つけるのは難しいのだと。それと過去この山域では松手山の北尾根(二居に下る廃道寸前の尾根)にいっていないからと、そっちへ下って行きましたね(二居の宿場の湯で合流)。


 この黄色いのがミヤマキンバイ、バラ科となってますね。。紫色のが、ヨツバシオガマ。シオガマギクの仲間で、ゴマノハグサ科となっていますが、こうなっているから、何回見てもすぐに忘れてしまう。

 日帰り7時間のコースで、大満足。