2005 Summer             トップページへ




宮之浦岳1936m・永田岳1886m 屋久島 ☆☆☆
05・10・22 羽田800〜鹿児島940=バスで市内へ。鹿児島港1500〜種子島経由〜屋久島安房港1730〜民宿1800
10・23 高曇り・晴れ 民宿発450〜タクシーで淀川入口550〜淀川小屋630〜高盤岳展望所740=800〜花之江河〜投石平〜最後の水場940=1000〜宮之浦岳1100=1115〜永田岳1220=1230〜宮之浦岳1340=1415〜下山〜登山口1835 
翌日帰京。


宮之浦方面からみる永田岳。足元から登り約150mで、思ったよりも簡単ではあるのだが。

週末の予報が思わしくなくて、なぜか九州へ行ってしまえと、前日夜に、思いつく。そこは晴れ予報。屋久島に行こうとすると、往復飛行機に4回乗る。羽田からだと鹿児島乗換。前日に3つまでの予約確定。ならば残り一個は、フェリーにしよう。問題は屋久島の雨。一ヶ月に35日間雨が降るといわれ、山間部には年に1万ミリ降る。インドのアッサム地方も顔負け。それでも年間通じて秋がもっともいいらしく、しかも日曜日は、間違いなく晴れる確信で出発。土曜日に朝、羽田を出て、鹿児島に午前中。フェリー乗換のために、バスで市内へ。書店に寄って、昭文社「山と高原地図」を購入。ほとんど全国を持っているのだが、一部遠い所はもっていない。市内観光して、午後3時の高速フェリーは、時速80キロで、種子島によってから、屋久島の安房(あんぼう)に到着。種子島は真っ平らで今にも沈みそうな島なのに、屋久島は、島全体が台地。直径28キロ、周囲130キロ、人口1万4千人。「洋上のアルプス」というのだが、地図をしっかり眺めていると、ココは針木岳〜薬師岳〜立山くらいまでの大きさと、1000m峰が48座もあるそうだ。単一のコニーデ火山が中央にあるという島とは、訳が違う。屋久島の安房港から、近くに予約していた民宿へタクシー。十分に夕飯に間に合って、熟睡して、翌日午前4字起床。

永田岳から見る宮之浦岳。山容全体が見えるのは、こちら側からだけ。永田と対照的に、ずんぐり型。

 屋久島島内は、バスもあるのだが、さっさと動くにはタクシーに限る。南の地方であって、午前6時ではまだ暗いということだが、それでも5時に迎えに来てもらうことにする。宮之浦に登るとき、淀川登山口入り口という林道の最終地点が登り口なのだが、ありがたいことに標高がすでに1350mある。と言うことは頂上1900mオーバーまで、わずかに600m。かつては3泊しないと登頂できないと言われた山が、本当にこんなに簡単でいいのかしらん。

高速フェリー「トッピー」からの屋久島。中央右、三連峰が永田岳。海から見ると、あんまり大きい島とは思えないのだが、登山すると大きい。

 小一時間タクシーに揺られながら、運転手に島の概要案内してもらう。舗装の林道は16キロある。要するに、昭和40年代までは、昔は島津班、それ以降は政府の営林署が、片っ端から屋久杉を切り出して商売して、残った20本くらいの3000年ものに名前が付いているようだ。縄文杉、ウィルソン株その他。たとえば縄文杉を見に行くだけでも、林道600mで車を降りて、3時間歩いて1300mまで登らないとそこに到達しない。

 6時前、登山口に着くのだが、いるいる日帰り登山者が60人くらい。みんなレンタカー、タクシー、チャーターバスなどできている。ライトで登りだし。山の中に入ってしまえば、静かなものだ。途中で追い越されのときに、騒がしいくらいでまた静かになる。40分で、淀川小屋。泊まっていた人も出発の様子。

「この登山道は、原生林の中を歩く」と言われたのだが、そういえば学生時代に奥秩父の、甲武信岳辺りを裏街道から登ったときも、こんな物。そもそも登山者などは、自然のなかの山に深入りしていくわけで、原生林とはいえ、いくらでも経験がある。大きな杉の根っこが道ににょっきり盛り上がっていて、つまづき易いという、まあそんな道。

登山道に出てきました、屋久のサル。

 スタートして1時間半過ぎくらいで、高盤岳(こうばんだけ)展望台があって、そこで休憩。見える見える。風化した残骸の花崗岩が、とんでもない形で頂上部に残っている。山頂に巨大なハムを運び込んで、それをナイフで上手に切りそろえたような格好している。北アの有明、燕。南アの甲斐駒、地蔵は、みんなこんな形している。

花之江河にいた屋久の鹿。通常鹿は鹿で、カモシカは牛だというのだが、こういう、じい〜と見つめている仕草は、鹿もカモシカも一緒だと思われるわけで、違いはカモシカはどういう鳴き声するのかということだけと、思うけど。

 再び登り出し。30分ほどで、湿地帯の花之江河(はなのえごう)。ここが1600m。標高差だけでは半分達して大喜びなのだが。ここも稜線部分なのだが、水がある。この少し手前で、登山道にサル。屋久サル。湿地帯に鹿、屋久鹿。島は3千万年前くらいに、海から隆起して九州とつながり、そのうちに途切れて、密室で動物が進化したらしいが、みんな屋久が付く。鹿が目の前で、あの嫌らしい不気味な金属音を発声して鳴き出す。目の前の鹿が泣いたのは初めてだ。下あごが動いていた。

投石平。この辺りから花崗岩のロックガーデン風なのです。

 湿地から支尾根を横切って、投石平でメインの稜線に登り付く、1700m。これ以降は、ほんのわずかな登りだと思えるのだが、実はここから黒部の源流思わせるなだらかコブの連続で、登り下りがいやになるほど続いていく。そして両脇の山は、ロックガーデンのような装いで、露出した大型花崗岩がどんどん続く。モアイの石像かと思わせるのもある。本当に頂上部に、人的に仕掛けたような露出の大岩。それに山頂からわずかに100m下の稜線横切っているだけなのに、水が流れている。1万ミリの保水能力は100mでも十分なのか。

こういうのを、モアイの石像といわずして、どうする?

 そうだそうだ、木道の道も十分すぎるほど整備されているのだ。百名山ブームはココにもありで、その材質も、地元屋久の半端杉で作っているのか、尾瀬よりも、北アよりも、しっかりしている。やはり1時間半ほど歩いて、最後の水場というところで休憩。

宮之浦直前の栗生岳(くりおだけ)。永田を含めてこれが奥の三山らしい。ただの石の堆積。

 今日は予想していたとはいえ、天候が半端じゃないほど素晴らしい。そこから1時間でついに宮之浦の頂上。登山口には往復10時間と出ていたが、私片道5時間。途中追い抜かれて先客10人。後ろから50人ほどか。

前日同宿したパイロット3人組の資材運びのヘリ。天気がいいんで活躍中でした。

 ところが頂上に出てみると、対岸向こうの永田岳が、とんでもなく素晴らしい。そぎ落としたようなスリムで花崗岩の真っ白がまぶしい山容。対して、頂上には居るのだが、いったいこの宮之浦は、どんな形しているのか。登ってきた縦走路からは、見えないという頂上部なだらかでもある。

宮之浦頂上に出て初めて向こうに見える永田岳、秀峰素晴らしい。繋がっているなだらかな高原上伝わって、宮之浦から往復2時間半。

「ここからだと、往復2時間半くらいだっけ」とガイド風とか知ってる風に話しかけるが「2時間で十分」まさか。この天候、多分1週間に一度か、10日に一度か。帰りは、朝乗ってきたタクシーに、下山予定言っておいて、迎えを頼む。私遅めに5時半とは言っていたのだが。少し休んでいると、大集団が登頂してきて、嫌気がさした瞬間に、ザックデポして、永田岳に向かうことに。11時15分。「このチャンスを逃すと二度とない」。150mの下りに15分。そのなだらかなコルから、左折して永田に向かう。そこも湿地帯だった。島の西部に流れる永田川の源流になる。その湿地帯にブルーテントは、ビバークしながら木道整備している職人さんだった。

永田川上流の障子岳。登攀の岩壁群。(永田岳から見下ろし)

 実は昨夜の民宿では、ヘリのパイロット3人組と同宿だったのである。ここで三日間、ヘリで木道資材の荷揚げしに、大阪から飛んできたという。本日5時間飛行できれば予定仕事終了で、次の仕事先の広島へ向かうという、ヘリ連中も実はジプシーみたいな生活しているらしい。資材を詰め込んだもっこが数カ所に点在している。5時間で20往復くらいするんかしら。この日も朝7時前から飛んでいて、昨夜は「山で見かけたら手を振ってよ」と再三いわれ、おちゃめなパイロット連中で、昼前に、宮之浦の下りで大きく合図したら、乗っている連中の顔少し見えたような。

これも栗生岳でしたが、左の顔なんて、ぶきみだよ〜ん。

 その運び上げた資材の活用職人が彼ら3人で、「雪がくる前に木道整備?」「やれるだけね」と。彼は30歳代だったような。湿地に流れる水を鍋にくんでいて、夕飯の水くみだったか。「ご苦労様」。

帰りがけにほんの一瞬だけ見えた、永田岳、宮之浦岳のツーショット。本当は黒味岳(くろみだけ)に登ると、もっとよく見えるらしいのだが。ところで宮之浦は双耳峰だという説もあるのだが、これじゃ、コブ2個。

 その湿地を縫うように歩いて、支尾根に絡んだり、30分ほどで、永田の直下。見上げると、露出大岩の散乱。ここからまだ木道はない。「道が悪いよ」とタクシー運ちゃんに言われていたのが、整備がまだということで、枯れ沢の大岩登っていくのは、良くあることで、さほど苦にはならないが、時間が気になる。最後は少しジグ切るように道はしっかり付いていて、いよいよ頂上。本当の頂上はやはり大岩の上で、そこによじ登り。西側に永田の集落が小さく見える。永田川は登攀の対象になっていたのが、甲斐駒の坊主岩のように、一部赤茶けて、しかし全体は白い花崗岩。振り返ると、宮之浦の頂上に大勢人がいるのも分かる。もっそりした山容も分かる。頂上部の三連峰は、間違いなく永田岳で海からもそれと分かったものだった。

宮之浦岳頂上

 10分ほどいて、満足して戻る。途中の4人組は、小屋に泊まる縦走の往復組。日帰りは60人いても、誰もここまではこない。

永田岳頂上(大岩の上から)。向こうの下界は、島の西部の永田の村。

 けっこう急いだつもりだったのだが、やはり往復に2時間半。13時45分に戻ったときにはもう、宮之浦には誰もいない。そこへの登りの時に「ザックデポしましたか」「はい」「誰もいなかったもので心配しました」。だって。

宮之浦からの下山方面。主稜線はこんなロックガーデンを巻き道、巻き道で縫うように歩いていく。

 再び宮之浦だけど、そう簡単には下山しない。カップヌードル食べて(そうそう、このガスボンベでも羽田で一騒動ありで、結局羽田でデポせざるを得なく、代わりに鹿児島でボンベ貸してくれて、そういう登山客が多いみたいで使い回しか? 帰りは、屋久島空港で回収されて、羽田でまた戻しだった。ちなみに、屋久島空港の土産物屋では、ボンベ売っている。登山もブームだね)。コーヒー飲んで、14時15分下山開始。すでに、17時半の予約に遅れること必至で開き直り。いいのさ、タクシー1時間待たせることと、人生二度とないだろう、永田岳に登るチャンスを生かすことは、1億倍の価値の違いがある。(しかし、下界の人間には理解できないんだね、これが。後にトラブル発生)。

おまけその1.鹿児島〜屋久島は、こんな60人乗りプロベラで地上から徒歩で機内へ(屋久島空港)

 最後の下山客に遅れること1時間半くらいだったのか。山は静かになっている。そういえば、昨年同じ時期に、紅葉の平ヶ岳にいったのだが、このときも姫の池で飯くって、頂上の向こう側までちんたら見学して、15時下山開始で、20時車についたか。18時に日没するシーズンに、真っ暗になって歩くのは嫌いじゃない。

おまけその2.鹿児島〜屋久島を高速フェリーで移動する場合には、こんな400人乗り、時速80キロのジェットフォイルで、種子島経由の場合には2時間半。(鹿児島港北埠頭で)

 午後遅くなってもガスがでない。日没の頃でも夕日が綺麗だ。特に12時から14時の間は、真夏かと思わせる直射日光で暑い。下山ならぶっ飛ばせるとは思ったが、そうでもなく、のんびり。1時間半づつ少し休憩しながら、淀川小屋では、数人が明日の登山で夕飯中。ここからライト取り出して、18時半に下山。4時間15分かかった。すると、待たせたタクシーがいない。予定から1時間遅いだけなのに。真っ暗に、マイカー2台。1台に人がいて「タクシーは2時間待っていました」。せっかちな運ちゃんだ。そもそも17時の予定を、登山開始時点で「永田もいくかもしれないから17時半」といっていたのに、「どうぞ、早くからまっていますよ」と、16時半にはもうきていたらしい。下山するといっているのだから、17時半から3時間くらい無言で待っていろ。メーター倒してもいいから。ここは携帯も入らなく山奥らしくて、5キロ下って公衆電話から宿に電話したとか、なんだか騒いでいる。宿に戻ると「2時間遅れたら警察連絡だから、もう少しで電話するとこで心配した」とか。百名山の弊害か。宿の親父に「永田も登った」と言ったのだが、関心示さず「普通日帰りではあそこに登りませんよ」だと。普通と違うと悪いのか。下界人の戯れ言や、百名騒ぎなど、どうでもいいのだ。そんなこと気にしていて山に登れるか。けっきょくタクシーは、私が林道歩き下山始めて10分くらいで、また登ってきたのだが。この林道は全部で16キロ続いている。

屋久島に入った日は、曇天から夕陽が漏れて、ちょっと幻想的な洋上。

 鹿児島から100キロも孤島にあって、南アみたいな花崗岩ばかりで、1万ミリも雨が降り、屋久杉があり、冬の冷たい雨がそのまま川を流れて、冷たいまま海に出ると、海は黒潮で暖かくてそこにガスが湧いて、また雨になる島だ。2月は雪が頂上部では、一晩で1m積もるというのだが、樹氷もあると言われても、その翌日には雨も降って雪は根雪にならずに、スキーはと想いついたが、九州の南端でできるわけもなく、海岸沿の集落では年中暖かで、雪は見ないといわれて、そうだよなあの、納得。そういう地理的な珍しさが屋久島にはあるのだが、いかんせん遠すぎて、美しい雪ではないとなれば、再訪することは、多分ない。
 見逃したのは、大雨が降っても濁らない川と、少しくらいの雨では増水しないという、川幅の広さだった。あるいは南端の本富岳(もっちょむだけ)そばの、千尋滝は空港の映像で見る限り、ヨセミテ花崗岩の中を割れている滝に見えたのだが、次回機会があったらということで、ちなみに、空港そばの愛子岳(あいこだけ)は、ヒロが夫婦でここに来たときに、その後生まれた娘に命名した理由だとか。命名されている3000年オーバーの屋久杉群などは、さほどの興味の対象ではなかった。
 そして最後に、JTBツアー系ならば、自力ツアーの半額でここに来られたとしても、天候優先であるならば、そんなケチなこと言っていると登れなくなるというのが、最近の思いでもある。前日同宿して、ガイド同伴して1泊で縦走した夫婦は、5回目の屋久島でやっと晴れたのだと言っていた。ガイド料が1人35000円だともね。一昨日に永田岳まで往復したという5人組と空港でもあったが、全般晴れだとはいうものの、午後の登頂のときには、ガスで景色ゼロだともいっていた。



岳沢ヒュッテ 05・10・01〜02 ☆☆
10・1曇り 上高地530〜岳沢ヒュッテ830
10・2霧雨 630〜上高地830


午前6時の朝焼け上高地河童橋の上から。
 

 紅葉の頃かと思って出発したのだが、上高地で梓川上流方面が、曇り空なのに朝焼け。吊尾根はガスにかかって、ときどき稜線が見えるくらい。それでも上高地は込んでいる。大勢は梓川上流へ歩いていくが、河童橋渡って、岳沢へ。後からどんどん来る。

ちょっと日が差して、西穂の稜線山腹が明るくなったときもあったんだけど。

 上空ガスって気分も重く、岳沢ヒュッテでは、その200m上からガス。それでも皆前穂方面へ。私敗退して、ここで宿泊。小屋のベンチで、涸沢から北尾根経由で着たという変なおじさんと話して暇つぶし。12時から2時間くらいうとうとしていたのだが、その間にどっと客が来て、上から降りてきた客も多くて、100人ほど宿泊。

岳沢突き当たり。左に入っているのが天狗沢で、その麓にヒュッテがあるんですが、あんなところにあって、何故か雪崩れないってのがいつも不思議に思いますね。


岳沢のヒュッテ。こうしてお天気が良さそうな感じもしているんだけど、上空はガスです。


ヒュッテから上へ。正面に割れているのが奥明神沢で、その左側モッコリを登山道は前穂方面に登っています。


昼前の荷揚げのヘリが着たんですが、無謀にも急上昇して、また下界へ帰っていきました。

 翌日はさらにガスも濃くなって霧雨。そのまま下山。ほとんど意味なし週末。




越後・中ノ岳2085m〜丹後山 05・9・9〜10 ☆☆☆☆
9・9 晴れ・ガス 十字峡p500〜日向山930=1020〜中ノ岳1300=1320〜避難小屋1325

 
 今年はまだ夏山らしい風景を見ていない。2週前の山行で、百名山@群馬オジサンに、このコースを紹介してもらって、んなら出かけてみるかあと出発。

兎岳方面の縦走路から中ノ岳振り返る。

 昨年十字峡だけは車で寄っていたこともあって、ダム上流の開けたところだという印象はあった。20年前にここに来た頃は、幽霊でも出そうな寂しいところだったのだが。
 明るくなったころに出発。山崩れを防いでいるモルタル吹きつけに階段が刻まれていて、そこが登山道の出発。ここから標高差1600m。かなりある。
 9月だといってもまだまだ暑い。ゆっくり登っていったのが、後からオジサンに抜かれるのはいつものこと。ピッチ300mを目標にして、ただただ登っていくしかない。八海山の方向に、ドでかい山。阿寺山1500m。その程度の山がでかいようでは、先行き心配。
 さらにいくと、左上にテレビアンテナらしきもの。結局それが、縦走途中の日向山1560mだったわけだが、雨量計の小屋とアンテナらしい。目標をそこに設定して賢明に上る。そこまで4時間半。このスカイラインの稜線と、アンテナは、終始どこからでもそれと分かって、上越国境の新潟側の目印となる。
 縦走路から小屋まで3分。小屋脇で昼飯大休憩。ここで初めて、目の前に中ノ岳。アゼンとするほど大きい。寺地山から北ノ俣並みか? マニアックな場所との比較ですが。しかも饅頭のように左右に広がっている。その西への稜線は、少し下って御月山。なんて読むんでしょうか。さらにどんどん下って、実は八海山方面へは、1300mまで高度を落として、八海・五竜岳1600mでつながっているんですねえ。反対側へは、ガスっているけど、巻機山とか、後で調べて金城山1369mなんて低い山が、きれいな双耳峰してるんですよ。

稜線中腹から三国ダム。日向山に登り付いてようやく目の前に中ノ岳。

 さてラーメン食べた後に、一旦50m下って、中ノ岳の急登に入ります。私急登って意外と好きなんですよ。どんどん上にいくらかね。途中、朝方抜かれた日帰りおじさんが下っていきました。元気モノです。傾斜が落ちたところで、縦走路合流。そのまま20分で山頂へ。そういえば、八海山への急降下の稜線の向こうに、池ノ塔だとか、アオリの稜線も見えて、さらに向こうに浦佐の町も見えたりして、ガレた稜線というのは、変則地形してますね。

中ノ岳が饅頭のように平べったい。山頂の向こうに避難小屋。

 中ノ岳頂上からは、いきなり目の前に越後駒ケ岳。ここまで来てやっと見えるようになります。そこはくっきり見えていて感激。反対の群馬の方面は、朝からずっとガスですね。群馬の暖かい空気がガスになるんでしょう。中ノ岳や駒ケ岳は完全に新潟の中の山だからそれほど被害は受けない。露骨に上越国境は、夏は天気が悪いもんです。本日は、山頂脇の避難小屋宿泊。明日の天気に期待しましょう。予報ではさほどよくはないのですが。この日もう一人、遭難@さいたまオジサンと同宿。この方、昨年冬北アで、雪の斜面300m滑落して、ヘリ救助されたそうです。怖。

山頂の道標に腰掛けている変な人。翌日池の段の道標と日の出。



9・10 快晴 避難小屋500〜兎岳740=800〜丹後山大水上山830〜避難小屋920=1000〜下山〜林道1330〜十字峡p1410

 明け方外を覗くと満天の星。おおありがたい。そうだ、この小屋も、丹後の避難小屋も、天水を立派にタンクに満たしていました。300リットルのタンクのふた開けてみたら、満水。この夏は雨が多かったですからねえ。しかしよく考えて、小屋の屋根の水ちゃんとためるだけで、これだけの水溜まるなら、天水だから水がないというのは、屁理屈に思えてきますよ。小屋の日誌見ると、毎日のように客は来ているし、宿泊は1週間で10人くらいって感じでしたか。やっぱり客は少ない山だね。

兎岳頂上から、中央に中ノ岳、右に越後駒、左に八海山。

 明るくなった500に出発。20分後に日の出。本日は、群馬の山もドピーカンしてます。こんなに天気のいいのは、おそらく一月に一回くらいですかね。丹後に向かう縦走路では、目の前に兎岳。その向こうに平が岳。風格ありますよ。ぐるっと回って、荒沢岳。主稜線は越後沢山、本谷山、下津川山と、これらは相当マニアックですが、1800m〜1900mあります。そのずっと向こうに巻機山ですからね。
 300m下って200m登って、兎岳。ここは北ノ又川の源流です。若い頃に、何度もこの川の遡行を計画したのですが、2泊要するということでついに実現しなかった谷ですよ。あの頃は大岩魚がいるといわれて、今でもいるでしょう。銀山平の村では大岩魚といえば、この谷のことですからねえ。
 兎の頂上に立つと、なだらかな稜線が荒沢につながって、それが源流。けど、銀山平の村は見えませんねえ。中ノ岳の東の稜線の方が標高が高くて、村からだとそれが水源に錯覚見えするのです。この5月に村の露天風呂からこれ、確認できたのですよ。

大水上山の水源標識。丹後山の草原の避難小屋。

 さてここからは穏やかな笹薮の草原になってきます。100mだらだら下ると、大水上山。このマイナーな山は、群馬の利根川の源流になってます。ちなみに、兎と大水上の間は、中ノ岐の源流。岐の字が違うのが不思議ですが。地図で見れば、この中ノ岐は、源流が広い。でも大井川のようにだらだらしていて、工事林道が奥深くまで入っています。伝の助小屋の怪しいリムジンが、平ヶ岳まで送迎すると有名なとこですよ。なだらかな山々と、源流地帯は私大好きですねえ。
 さらに小一時間進むと、下山道のある丹後山に着きます。遠くらからでも草原の小屋はとてもよく分かりますね。ここも天水をしっかり300lポリタンクに保存してありました。本来樋なんて雪のためについてないんです。毎年6月に地元で、樋とタンク接続するんでしょう。地元に少しの予算があればできることなのですが。

遠景は左から越後沢山、本谷山、右端が下津川山。

 小屋で昼食。9時半だというのに、お腹空きます。後は下るだけ。このあたりから、下津川山も、斜めの双耳峰に見えますよ。

 中ノ岳〜兎岳最低コルからウサギ方面の斜面へ。今でも咲いていた高山植物は何だ?

 下りは1300m下って、林道。大笹薮と石楠花と、少し下では、ぶなと松と、そのトンネルのなか、道は整備されてます。暑くてのろのろして、しかし水はたっぷりあるから、3時間半かけて林道へ。さらに40分でp戻り。

下山路方面の急降下。下山した林道下の本流ゴルジュはなかなか立派なものです。

 pの売店のおばちゃんがいってました。ここからの登山は深田久弥も来なかった急登なのだと。ここをちゃんと登れれば「信州の山など簡単」。つまり北アよりも、新潟が厳しいと。確かに間違ってはいません。このおばさん200名山に入っている中ノ岳にプライド持っています。浦和の高桑おじさんとも友人らしいです。
 それにしても、上越新潟側というのは、大きい。開けていなくてあまり知られていないけど、玄人好みの山域です。




万太郎山〜谷川岳 05・8・27(土)〜28(日) ガス・霧雨 ☆☆
8・27 万太郎谷P500〜船窪700〜大ベタテ900〜井戸小屋頭1100〜万太郎山1200〜大障子避難小屋1300

 
スキーシーズンが終了してから初めての夏山。台風一過だとはいえ、しかし残念ながらガスと霧雨。肩の小屋では、8月は1日だけしか晴天がなかったという。ちゃんとした移動高が来てないみたいだ。台風一過でも、南風が入り込んで1300m上は、視界わずかに50mという濃いガス。でもオフシーズンの錆び落としに出かけたわけで、まあいいでしょう。

オジカ頭から万太郎方面に下山する4人組。ガスはいつになっても晴れません。

 すでに日の出が遅くなった。500にならないと明るくならない。ゆっくり準備して出発。しかしそれにしても、3ヶ月のオフはひどいもの。分かってはいたが。200m登るのに40分。そこで20分の休憩。私1時間で200mしか登れないのです。1000m登るのに5時間、まあいいでしょう、夏山は辛い。
 それでもガスっているだけあって、暑さも和らぐ。出発のときで気温20度。上空は濃いガスです。
 大ベタテまでは昨年12月に登っているだけあって、どうにか覚えている。あのときは薄っすら雪があったが、今度は密生した木々。休憩中には虫が来たり、刺されたり、まあこれも仕方ない。サルが登山道の脇で、ギャーと叫んでいました。
 大ベタテの辺りの稜線では、視界はわずかに50m。登頂に目的があるならさっさと下山していますが、今回リハビリ兼ねているわけで、頑張って登ります。井戸小屋頭は思ったよりも早く着いて、そこから1時間ほどで頂上というのも、早かった。稜線に大ベタテの標識ないのです。壊れた看板があるところは、どうやらもっと上部だったようです。

万太郎頂上、標識は立派でした。大障子のドラム缶小屋。

 稜線に合流して間もなく万太郎の頂上。穏やかなところ。何も見えないが、向こう側少し覗き込むと、背丈の低い密生した笹林。上越特有ですねえ。「こんど雪のシーズンに来るからね」と約束して、そそくさと戻って、本峰に繋がる稜線を行きます。ここは初めての道だ。
 200m下って、100m登って大障子、そのまま緩やかに下って避難小屋。有名なドラム缶小屋です、午後1時。この天候ではこれ以上進む気にもならずに、明日の天気期待して、宿泊。ウイスキーチビチビ。どうせどこかには泊まろうと思っていたわけでした。
 夕方から客が入ってきて、けっきょく狭い小屋に満員の9人宿泊。しかし冬用の小屋のためか、雨漏りがひどくてみんなを悩ませた。私以外は皆中高年で、しかも定年から登山始めたという人で、しかし100名山3年半で登ったとか、もう一人のオバサンも全部登っていました。「北海道の大雪からトムラウシがいい」「今年の利尻は晴れたが、前回はダメだった」とか、相当なモノです中高年のスケールというのは、その辺の学生は真っ青ですねえ。アイゼン履いて残雪期の登山までやっています。

8・28 出発530〜オジカ頭630〜谷川肩の小屋800=840〜天神平1030〜土合駅1110
 この日もガス。前日は小雨だったが、この日は霧雨。視界100m。オジカの頭に出たものの、さっぱり周囲の景色も分からない。しかしこの上越稜線というのは、木立がまったく無いのが特徴。膝程度の密生の笹だけ。これはとても気分がいい。雪の影響なんでしょうか。オジカ頭辺りでは、痩せ尾根の岩稜の登降が少し。中ゴー尾根の分岐から、100m登るとガスの中に肩の小屋見えてきました。
 途中でオバ2人パーティに追いつかれて、小屋でしばし休憩。土樽に戻る気力も無く、土合駅の上越線の時間を聞くと、なんとそのオバさん、時刻表メモっていて、1140にあると。十分間に合うようで、したがってビール飲んで40分休憩して出発。この時間小雨ガスのなか、どんどん登ってくる人がいます。皆元気です、天気は関係ないみたい。

こちらはオジカの避難小屋。これは3人用です。入り口ドアは肩の小屋の人が昨日交換したようで綺麗になっています。
 中ゴー尾根分岐標識。

 1時間で熊穴避難小屋。そうです、3月に来たときに、ここで積雪5m。現在もちろんゼロ。知ってはいるのだが、夏の山は何だか雰囲気が違っていつもながら驚きの連続。冬に5m積もって、夏にゼロ。いいえ谷では冬に20m積もって、夏にゼロ。日本の山は芸術ですねえ。肩の小屋にしても、雪の中にあったものが、綺麗に整備された夏の姿ですからね。40分後に天神平。
 土合に着くと、その電車は夏の臨時電車で、あのオバサンそういうことまでメモっていて、やっぱり100名山連中は何事にも抜かりがないんですよ。すっげえパワーだと改めて感謝。土樽に戻り、万太郎Pまで小1時間で、クルマ合流。
 体力維持は必要です。月に1回、あと4回くらいリハビリして、シーズンオンを迎えましょうか。



猫又山 05・6・4(土) 曇り ☆☆☆
 南俣発電所430〜林道終点530=600〜猫又谷登行〜稜線930〜猫又山頂1030=1040〜同ルート下降〜稜線下降点1120=1150〜猫又谷滑降〜終了1240=1250〜林道堰堤1330〜デポ1400


シーズン最終富山遠征。スキーシーズン初めての毛勝方面。登り易いらしい猫又谷へ。発電所のところに「関係車両以外進入禁止」。素直に従う。しかしみんなさらに入っていた。山菜取りのシーズンです。1時間で林道終了。そのまま谷へ。さっきまでさっぱり雪がなかったのだが、ここまでくると谷は全面雪の下。何だかとても合理的な感じ。しかし堰堤工事が終了すると、せっかくの林道も廃道になっている。なんだか・・・

林道終点からの猫又谷全景と、左猫又山頂。

ここから終了の稜線まで一直線に続いている。実に大味。1100m先まで。登り始めてすぐそこが釜谷出合だったのだが、恐ろしく貧相に見える。ちょっと上のほうに、左右に二股見えるのだが、それが標高1500mで猫又の右と左。そこまでは1時間ほど。左は稜線下100mがはげている。そこからが少し急になってくる。ジグを切りながらいくが、かなり上部で、つぼ足@魚津のおじさんが、直線的にどんどん追いついてくる。強烈。最後で抜かれて、私もアイゼンに切り替えて、ようやく稜線。雪渓末端から3時間半。
しかし、ガスで剣はぼんやり。足元から折尾谷がきれいなのだが、やはり半分ガス。おじさんのトレースに続いて頂上目指すが、なんとアイゼンやぶこぎになった。ブナクラからの夏道とは少しずれているようで、踏み跡も不明瞭。アイゼンつけたり外したり、わずか200mに1時間かかってようやく頂上。しかし濃いガスの中。なかなか晴れないんですね、このあたりは。

右は本谷、左は左又。猫又山頂は藪の中。

そそくさと下山。登りついたコル目指して下降。途中雷鳥のつがい。2匹でいるところはちょっと珍しかった。ガスになると雷鳥は元気になる。コルには、もう一人スキーヤー@上市。一緒に昼飯。
ところが30分で、なんと雨。雷鳴って、まさに夏山の雰囲気。飯も途中で切り上げて、慌てて用意。彼、用意を待っていてくれて一緒に滑降、とても親切でした。

山頂からコルへ戻る。つがいの雷鳥。

ガスの中スタートしたが、ほんの少しでガスも切れて下界まで一望。これで安心です。ガスがかかっていたのは稜線だけでした。傾斜はさほどでもなく、しかし雪がすでに固くなっている。プラス10度であっても、固形雪はそう簡単にはシャーベットになってくれずに、ガリガリしながら滑降。邪魔な落石もけっこう気になる。途中で、40分ほど先に降りたオジサンに追いつき、一気に雪渓終了点まで。1時間たらず。シーズン最後のランになったのでしょうか。

一緒に滑降した@上市くん。中間部から見下ろし。

下りきると、何だか頂上まで一気に晴れ渡って、まったく嫌がらせっぽい。30分歩いて、堰堤林道にデポしていたオジサンの車に乗せてもらって、私の発電所デポまで。助かりました。すると雷の大雨。天気は夏山です。
翌日も予定していましたが、早朝雨で、早々に帰宅。
 そうそう、この谷は昔地元の子供がジュニアスキーとかいって、大勢で登ってスキー大会やったとこらしいですよ。下の方は安全で緩やかな谷だと有名だってことだね。




白馬岳・白馬沢右俣(代掻き馬) 05・5・28(土)同ルート登下降
晴れ ☆☆☆☆ 530猿倉〜白馬尻630〜白馬沢登行〜稜線1230=1330〜2719mから白馬沢滑降1350〜白馬尻1500〜猿倉1600


 週半ばに、伊那の逸崎さんに「今週あたりは白馬でしょ」と誘いを受けて「そうですよねえ」と、早朝に猿倉で合流。雪形の代掻き馬あたりを滑ろうと注意していると、猿倉駐車場の目の前にそれは見えるのですねえ。これまで気が着かなかったですよ。それにしてもきれいな雪形が残っているものです。

 頭にまだ綿帽子が残っているような代掻き馬。猿倉駐車場の目の前です。尾っぽから足元にかけて滑るのが、白馬沢右俣稜線は、小蓮華、三国境途中。

530に出発すると、間もなく後に、オヤジ手ぬぐいとでかサングラスで追いついてきたのは、塚田さんじゃありませんか。白馬尻で行き先確認して、彼は上着脱いで半袖。シールつけてさっさと行ってしまった。パワーあるにゃあ、そのまま3時間後には稜線ですって。

白馬尻であった塚田さん(前)。今回パートナーの逸崎さん(後)。白馬沢下部の広い雪渓。

 私たちは白馬沢に入る。この時期いきなり滑るには覚悟がいるということで、登りながら偵察。大雪渓は賑わいで後続含めて50人以上が入っていったか。こちらは後続に一人だけ。右俣急斜面手前の1800mくらいまでは、すごく広い雪渓で、来て見ないと分からないものですね。途中左俣はやはり上部が壁になって消えています。

白馬沢二股中央が右俣、左に切れているのが左俣。少し上でカモシカ。ずっとこちら見ていて、いつものようにちっとも動かない。カモシカ大好きです。

 急斜面になると、全面デブリ。とはいっても新雪デブリで柔らかいもんです。大胆に左右目一杯にジグ切っていきますが、しかしなかなか高度が上がらない。突き当たりは、雪型の胴体部分の真下なのですが、どうもオーバーハングしているように見える。

代掻き馬のでっぷりしたお腹は、真下に来るとハングしているように見える。
標高2400mくらい、白馬沢途中の岩から全景。

 さて突き当たりから右折しますが、ここからがノド急傾斜。さすがにつぼ足に切り替えて、しかし今考えてみると、ザラメ新雪なのですねえ。ブーツ一足分がしっかりザラメの中にステップ切れる。週前半の降雪だったのでしょう。かなり疲れて直上していきますが、35度の急斜面過ぎても、傾斜はさほど緩くなりません。地形図の期待裏切っています。しかし小蓮華の稜線に向けて、オープンな斜面がどんどん続く。逸崎さんはしきりに「期待以上の斜面だ」連発。

稜線に向けて最後の急登。稜線から白馬岳

 ようやく稜線に登りついたのは、白馬尻から6時間後。大いに疲れました。そうそう後続していた一人は途中で消えてしまって、左俣の方に偵察入山したようです。
 午前中は快晴だったものの、時おりガス。ゆっくりしていられないのは分かるのですが、しかしコンロ出してラーメン作って、コーヒー飲んで、1時間休みます。そんなことしなきゃ、春スキーは楽しくない。
 昼食後、目の前のピークにいって、これが2719mでしょうか。ガスの中、向こう側が見えます。目の前に鉢ヶ岳。稜線の夏道はすっかり出ています。

トップ逸崎さんドロップ。このスラフはゆっくり動いて、こちらに向っているのです。怖〜

 さてここからエントリー、14時近くなりました。雪も大いに緩んでいるでしょう。登ってきた斜面に滑り込んでいきますが、いきなりスロープカットに対して、スラフ雪崩れ。20センチくらいの厚みで、ジョワジョワと全面雪崩れていきます。それにターンすると、なんと目の前にその雪崩れが現れて、慌てて方向転換して逃げていく。「なんじゃこれは」。先に滑降した逸崎さん追いかけて、300m滑ってもなお、雪崩れは続く。しかしこの当たりまで下ると、スラフの厚みも5センチくらいに薄くなって、「横断できるか」と乗かったところ、足元すくわれていきなり尻餅。スラフはすべり台くらいの遅い速度で、加速しませんからいいようなものの、10mくらいは一緒に滑って行きました。「危険だよ」。しばし停滞。しかしですねえ、薄くなっても1センチくらいの厚みで、ジョロジョロとこれはヘビのようにいつまでも5分以上も止まらないのですよ。上を見上げると、岩のよこから雪が流れていて供給されているわけです。「氷河かいったいこれは」。

ノド手前にきても、この厚み1センチとなった薄スラフはジョロジョロ流れている。
間もなく左折して、ノド。

 でも厚み1センチともなれば、これは横断できる。こうしてノドの斜面通過して、安全地帯に非難。雪型の真下通過したのですが、すでに見上げている余裕はない。
 急斜面通過してしまえば、もう安心。後は午前中にやっかいしたデブリを掻き分けて、白馬尻へ。スラフ(ポイントリリース)を目の前でこれほど体験したのは初めて、しかも乗かってしまったのも。





白馬岳 大雪渓 5月29日(土)晴れのち曇り ☆☆☆
 猿倉500〜白馬尻600〜稜線村営小屋1000=1100〜頂上1140=1200〜白馬館1220=1300〜大雪渓滑降〜白馬尻1430〜猿倉1530


白馬岳山頂手前から2号雪渓覗き込み。手前雪庇だか左からエントリーシュプールあり。左は3号尾根。

 前日に続いて大雪渓へ。昨日よりも入山者は少ないか。シールで夏の堰堤工事付近まで登って、つぼ足で葱平へ。途中スリップしてしまったり、運動靴アイゼンで登っている人がいたり、要注意。村営小屋までいって、非常階段の風除けで、昨日と同じように昼飯1時間。晴れたり、時にガスったり。この季節パワフルな人は、休憩無しでガンガン滑っているのだが、真似できず。1時間休憩しているときも、数人が目の前通過。
 11時から行動再開して、旭岳みると東面の一番手前を滑降している一人。間もなくガスに消える。さて白馬館までシールでいき、つぼ足で頂上へ。ここは20年ぶりにきた。途中観察すると、頂上ほんの脇から2号雪渓エントリーできるのです。シュプール2本。ふむ、午前中にある人滑りましたね。思ったほど急じゃないようですが、勘違いでしょうか。2号雪渓のすぐ左は、3号尾根ですね。しかし素晴らしい眺めだ。
ところで3号雪渓は?とガスの中ウロウロ探すのですが、よく分からない。どうも山頂から白馬沢左俣へ少し出て、そこから回り込みエントリーですか。怖いですよ。

頂上付近から旭岳は、目の前に大きい。葱平稜線の登行者。向こうに逸崎さんが尾根回りこみ。

 白馬館に戻ると、ガス。晴天ならどこかを滑る計画だったものの、もはやガス切れるの待って下るだけ。30分ほどでガスが切れて、大雪渓をまず主稜線側、右側滑ります。葱平から主稜線に直上する尾根を越えて、向こう側を滑ります。すると、やはりここも雪崩れている。その雪崩れの上が、きれいな新雪になっている。

2号雪渓の大雪渓出合い付近。大雪渓登っているだけだと、気が付きませんね、こんなに広い雪渓だとは。3号雪渓の出合い付近。こちらはすぐそこで二股ですが、右本流、左は間もなく消えているようです。

 そこ滑って今度は雪渓左側。上部をトラバースしながら下ります。少し下ると、2号雪渓の合流点見えてきました。ちょっと驚きましたね。2号雪渓とてつもなく広い、大きい。大雪渓からわずかに100mほどしか上部じゃないのに、視点変えると、新しいものに気が付きますねえ。先の頂上脇からエントリーすると、ここに出てくる。標高差700m。
 そのままやはり同じように下ると、3号雪渓の合流。ここは2号より少し狭い気がしたが、すぐに二股に分かれています。右本流、左は尾根に消えています。この3号は本当に頂上の真下、雪が切れている今は頂上岩壁の扇の要から雪が続いているように見えますね。ところで1号雪渓というのは、あるのか?
 白馬岳は、密集した小さな面積に、複雑に沢が切れ込んでいるのでした。



越後駒ケ岳 白沢ルート 05・05・08 快晴 ☆☆☆☆
銀山平石抱橋400〜柳沢出合500〜白沢滝630(高巻き50分)〜白沢標高1000m720=740〜滝ハナ沢堺尾根1400m900〜1600m930=950〜小倉尾根1700m合流1020〜1763台地1050=1100〜駒ノ小屋1130=1150〜駒ケ岳山頂1220=1240(下山)〜駒の小屋1245=1330〜稜線から白沢滑降1000m1420(高巻き下り20分)〜滝上1440=1500〜石抱き橋1630


 越後駒は4月までと言われているのだが、豪雪の中心地につき「どうにかなるだろう」と出発。通常ルートだと尾根滑降しかないのだが、過去のMLのHPに最短コースの白沢があって、露出した滝の処理が難しいとされて、なら同ルート登って滑降することに。

標高1700m辺りからの越後駒ケ岳。

 夜明けと共に出発。一面にガス垂れ込めていて、お天気悪ければ敗退もしょうがない。石抱橋渡ってすぐに驚いた。2年前の同時期よりも1m以上も雪がある。枝折峠への林道も、当時は半分露出していたのに、今日は雪庇まで出ている。過去の記憶もあいまいだし、連休最後なのにトレースも皆無。ウロチョロしながら進む。林道と河原能率悪く登下降しながら、柳沢通り過ぎて白沢へ。ところが白沢は広い河原があるところなのに、一部ブリッジでまだ繋がっている。大いに安心。

朝もやの白沢、スノーブリッジに埋没している。露出している本流の滝、左から大高巻き。

 河原が終わって谷が狭くなると、沢はブリッジに埋没。面白いように前進できる。そして6時半頃になると、ガスが晴れて、快晴の青空も見えてきた。感動的な五月晴れ。
 歩き始めて2時間半で、やっぱり滝が1個露出している。見えるだけで3段の滝。自然に登り易い方に向うのだが、沢をブリッジで左に横断して、そのまま100mくらい沢詰めて、右へ尾根を巻く。滝の上で沢は二股になって、右は道行山方面へ。左が本流。

真っ青なブナとガスが晴れるところ。沢の詰めは180度屈曲していた。

 尾根巻くと、眼下に本流。50mほどシールのまま斜滑降。でたところが標高1000m。50分ほどかかった。さてここから緩傾斜の本流をどんどん詰める。先週、先々週と剣、針ノ木と一本調子の大味の沢が多かったのだが、ここは100mも進むと左右に屈曲していて、実に味わいが深い。
 1400m辺りで、沢は尾根に吸収されている感じになる。登り易いところを進むと、簡単に隣の滝ハナ沢との境の尾根に出た。その尾根の滝ハナ側を登る。見た目緩そうに見えるのだが、足元は下部がさらに急になって落ち込んで見えなくて、なんだかジグで登っても緊張する。200m登って、1600m辺りの台地で休憩。

1600mから登ったルート。滝ハナの源流、左は頂上の左肩。

 緊張していたのか、休むと一瞬ボーっとして、その後慌てて現実に戻って、何だか置き去りにされた覚醒現象みたいだ。無風で快晴で展望も良くて、静かで誰もいない。平ヶ岳が見えて、会津駒は隠れているが、会津朝日は左になって、さらに毛猛、浅草岳があって、その間から飯豊もくっきりと見える。
 ここでスキー辞めて、アイゼンを付ける。主稜線への合流はさらに急傾斜になっていた。アイゼンで30分、1700m辺りで合流。するとアイゼントレースがある。ボーダーが二人先行していたようだ。後続にスキーヤーが一人。少し先の台地で休む。彼ら出発6時だったらしくて、ショートカットの白沢のつもりだったが、一般尾根ルートの人に抜かれた。まあそんなもの。
 ここから上部は急傾斜なのだが、トレースについていけば簡単。小屋に上がる直前は、連休の頃からのステップが切ってある。右はチョウーナ沢の大ガレ。ステップどおりに登って、小屋に出る。20年位前に「50年は持つ」と鉄骨で作られた小屋は、当時と変わらず綺麗になっていた。
 小屋で休憩している間に、ボーダーが一人頂上から降りてきて、その後彼らは滝ハナ方面に消えた。私軽装で登っていく。なるほど地形図で見たように、駒ヶ岳のすべての斜面は、滝ハナ側に落ちているのだ。カールのような地形が2箇所。滝ハナに降りると帰りが相当辛いのだが、それでも自然に降りたくなる気持ちも分かる。ところで小屋のすぐ右には、オツルミズの水源の夏にはお花畑になってしまいそうな、緩やかな楽園地帯。越後駒の偏った変則地形。
 20分ほどで頂上にいくが、そこだけ雪がはげている。頂上からは、巻機の大きくなだらかな様子が、八海山のちょうど向こう側。小屋までの100mは、思ったほど傾斜はない。雨水で波打って、あまり滑りやすくないが、真っ直ぐに小屋に降りる。
 過去に無雪期に何度も沢登りでこの山にきたのだが、当時はまさかスキーで来るとは思っていなかった。

頂上の稜線から駒の小屋。雪がはげている頂上と向こうに八海山。

 小屋で昼飯食って、さて下山。ダウンヒルは900mあるのだが。一旦滝ハナ側に滑り込んで、斜滑降で尾根に戻る。5月だというのに、尾根だけ滑って帰るのはあまりにもおかしいわけで、そこから白沢へ急降下。この300mほどは、シャーベットでとても滑りやすかった。白沢に入ってからは、やはり雨水模様でガタガタ滑りになって、標高1000mで登り返し。50m登って尾根をまたぐと、向こう側は滑って降りられる。しかし滝下までくると、今度はスキーが滑らない。松の枯葉があちこちにあって、それ踏んづけて、スキーが松脂だらけになった。持っていたワックスとブラシでこすると、松脂がボロボロと剥げ落ちる。すごい量。「スキー屋殺すにゃ刃物はいらぬ。松脂数滴あればいい」。まるで松脂シール。松脂クロカンで、石抱き橋へ着く。尾根から先に降りた人のトレースに途中で合流した。

左は小倉尾根。右急傾斜が白沢。上部から滑降ルート。

 確かに今年は雪は豊富なのだが、雪質を考えれば、もう少し早い方がいい。





立山・剣岳
05・4・28 ☆☆☆ 晴れ・強風 930扇沢〜室堂1130〜雷鳥平1220〜剣御前1340=1400〜剣沢武蔵出合1430(登り返し)〜御前小屋1600

雷鳥沢途中から後続。立山三山、富士の折立、大汝、雄山バックにスキーヤー

 一日早い連休。出発遅くなって930のトロリーで扇沢出発。今年の黒四ダムは、すでに全部融けていて、しかも水かさが少なくて汚い。丹沢の沼みたい。2時間後に室堂。急いでみどりが池から雷鳥平へ。沢の左尾根を御前小屋目指していく。先行につぼ足4人。すぐに追いついて、ジグで御前へ。
 午後2時前に到着して、さて、晴天なのだが風が強い。剣沢から登ってきた人に聞くと「状態は?」「雪悪いですねえ」「風は?」「強いです」。小屋で少し休んだけど、せっかくの晴天に付き、剣沢少し滑ろうと。2時出発。

御前小屋から高度計見ながら躊躇しつつも、剣沢600mダウン。

 雪はいいです。軽いシャーベット。剣沢の小屋も除雪しているし、剣山荘も同じく。あまり下ると嫌だなあと思いつつも、どんどん下ってしまって、600m下って武蔵出合。「雪悪くないじゃん」。スキーヤーによっては、ストライクゾーンは狭い人も多くて、私モナカ以外ならOK。でも剣沢って思ったより傾斜ありません。穏やかです。真正面に五竜岳確認して、登り返し。

剣沢武蔵出合までダウン。遠景が五竜岳

 ところが、登りだすと向かい風が強い。ときどき耐風姿勢。変な格好していると、風下に流されてよろけてしまう。でも晴天だから行動しないとしょうがないね。1時間半で、御前小屋。本日宿泊はわずかに2名。1本滑ったから良かったです。

4・29 ガス・強風・視界20m 終日停滞
 まったくひどい天気です。だいたい室堂でも、視界10mとか20mとか。室堂のターミナル降りた人が、雷鳥荘いくというのに、道間違えて、室堂山荘に出てしまい、迎いを頼んで、一旦ターミナルまで戻らされてから、雷鳥荘へだって。そんな天気でも、御前小屋に60人近く登ってきたのです。ところが大半は、小屋通り過ぎて別山方面にいってしまい、また戻りだったとか。視界20mで行動すると、実に危ないのです。30人が剣沢へ。御前に宿泊30人、どっと増えました。
 ところで1日中、無駄話で停滞は飽きてしまいます。カメラマンがいたり、八甲田からの人がいたり・・・。

4・30 快晴 ☆☆☆☆ 出発740〜別山810=830〜真砂沢滑降〜剣沢真砂出合900=920(剣沢登り返し)〜御前小屋1140〜1200〜雷鳥沢滑降〜雷鳥平1240〜一ノ越1410=1430〜東一の越1500〜タンボ平〜黒部平駅1530〜扇沢1630

別山頂上から真砂沢ドロップ。

 昨日夜半から穏やかになって、ようやく移動高の真下。この晴天で思いっきり3本滑るか。真砂沢滑るのですが、早すぎると雪が固くてゆっくり出発。別山山頂8時過ぎ。山頂で用意して、真砂沢ドロップ。ダウンヒル1100m、滑り甲斐あります。出だし急で斜滑降でしたが、真砂コルにもう一人。大胆なターンで突っ込んできます、うまい。続くようにいきます。少しすれば傾斜も緩やかで、しかし真砂沢は大きい、広い。軽いシャーベットで本日3番目のドロップ。広〜いところをぶっ飛んで、ロケーションも最高。正面が鹿島槍の南峰。ぐぐっと左にターンすると五龍。最後に少しデブリがあって、剣沢に合流。わずかに30分。そしてここから1000mの登り返し。そうそう途中でヘルメット被って突っ込んできたのが、@八甲田さんでした。東京から八甲田にいくには、JAJのツアーがいいそうです。酸ヶ湯に3泊で飛行機代込みで4万円だったとか、来年はこれにしましょう。彼は長次郎登って頂上方面へ、いいなあ、でも明日はまた荒天ですぜ。

真砂沢大斜面。見上げ

 途中同じダイナフィット@長岡さんに追いつかれて、おしゃべりしながら登っていたら、剣沢小屋にすぐつきました。そのまま御前へ戻り。出発して4時間後。休憩室で休みます。何だか不思議です。4時間前にここにいて、真砂滑ってまたここに。幻想ってわけじゃないけど、1時間くらいしか経過していないような。

真砂沢まだまだ大斜面。剣沢合流。

 私本日下山ですから、昼飯食って、雷鳥沢滑降します。これもわずかに30分で、平へ。そのまま一の越に向います。1時間半で一の越。

長次郎雪渓の向こうに、右俣のコル、八峰上部。平蔵谷と向こうに平蔵コル。

 2時過ぎましたから、タンボ平方面へはもう誰もいません。しかしここで唖然。雪が切れている。100mだけ斜滑降して、スキーぬいで夏道あるき。春ですねえ、こういうマヌケは。思わず噴出して笑っちゃいます。こういうこともあるものだ。この夏道長いんです20分もあるいて、ようやく東一の越。ここでようやくロープウェー見えてきました。後は下の駅まで600m下るだけ。出だしだけは急で面白かったけど、後は重いシャーベットを駅まで。最終ケーブルの1時間前について、でも広場に観光客山盛り。

一の越から御山谷。雪がはげている東一の越への夏道。

 待ち時間無しでケーブルからダム。そしてトロリー。今日は3本も滑ってしまいました。でも良かったのは真砂沢。雷鳥沢は下降路だし、タンボ平は思ったほどでもなし。だってダムが沼みたいに茶色だったしね。

東一の越からタンボ平へ。雄山東側

 剣はどうも仙人方面、三ノ窓、小窓雪渓方面が深くていいみたいだけど、ちょっと遠いなあ。最終日が良かったから満足の2泊3日でした。

別山から剣岳と真下に剣沢小屋。