2006 Summer          トップページへ

 

  
上越・大源太山1598m〜七ツ小屋山1674m
06・11・5 快晴 ☆☆☆
大源太キャニオン最終P550〜大源太山頂910=930〜七ツ小屋山1030〜シシゴヤ頭手前1210=1250〜P1500

七ツ小屋方面(南側)からの大源太

 上越のマッターホルンの大源太(だいげんた)。見るだけじゃダメで登ってみないと分からない。
 ようやく夜明けになった6時前にでる。河原沿いを歩いて、下山する予定の道を分けて急登に入る。何とことで2年前に南アルプスでであった兄いが登っている。けっこう山世間は狭いもので、二度目に会うことがある。彼は朝日岳抜けて土合に下山するという元気者。

西側からみると、ただの丸いドーム

 こちらの尾根からだと大源太はよく見えないのだが、上部に出るとドームの丸い格好の山頂が分かる。頂上は誰もいなくてとてもいい。

大源太山頂 後はシシゴヤ、足拍子

 さて七ツ小屋の急坂を下る。岩場があるがクサリもあって問題ない。150mしか下らないのだが、こちらから見るとなるほどマッターホルンに良くて似ている。そして稜線に登り返す。稜線は1600mを越えていて、高いところから低い山を見ると魅力に欠けるのは仕方がない。低いところから見ないと、山の良さは分からない。でもどこから登っても、大源太は一旦下って下から見上げるわけで、なるほど人気の理由も分かる。

頂上直下の南側から見ると、出べそが二つ

 七ツ小屋はひと月前にも通ったところで、シシゴヤの分岐まで行って、そこからシシゴヤに向かう。この尾根も足拍子に続く地味な尾根だが、しかし味わいがある。

遠くから離れて南西側から見ると、やはりマッターホルン状


 大源太の向こうには巻機山も見えるけど、巻機稜線の同じような格好をした山とか、七ツ小屋も地味な格好の山で、そう思うと少し低いけど、この大源太があるおかけで、地味な山波にアクセントが付いているように思う。


西日が光って眩しいダケカンバ

 シシゴヤからは朝の登山道めがけて急坂を下る。標高800mの下辺りは紅葉で綺麗だった。

湯沢の町(北側)殻見ると、平べったい


中里のハープの湯にあったタヌキポスター、どの道でも面白いんです


早月尾根から剣岳 06・10・27〜28 ☆☆☆
10・27 ガス
馬場島1030〜早月尾根1750m1530


 2800m上からの本峰(左側)

 秋のシーズンに登行2000mオーバーを一つ登ろうと思っているのだが、今年は早月尾根にする。前日深夜東京を出るが、妙高高原で雨など降ってきて、天候の回復が遅い。しかしこの雨は山では雪になっているだろうと、わくわくしたのだが、何故か雪ではない。白けて居眠りなどして、遅い時間に登山口に着く。がら空きの駐車場を見ると、誰も登ってはいないのか。登山口に「試練と憧れ」の石票があるのだが、冬山のことか、今でも通用するのか。
 だらだらと登り始める。途中から視界100mのガスの中になって、居眠りしそうになる。翌日頂上往復を考えると、テント、コンロは上まで上げるのがアホらしくなって、小屋1時間半くらい手前の1750mの台地に泊まることにする。夕飯を食い終わる頃に少し雨。しかし夜半に満天の星空になった。
 ところでこの2200mの登行が必要な尾根は、5時間で登って日帰りする奴もいるし、コースタイムでは8時間。私10時間の覚悟。

10・28 快晴
430〜早月小屋630〜尾根2800m1030(下山)〜早月小屋1230=1300〜1750m1500=1530〜馬場島1930


朝焼け小窓尾根 正面ドーム、右マッチ箱ピーク

 快晴です。従って430に出発。1時間くらい真っ暗な中登って、間もなく小屋に。すでに小屋仕舞いしているのだが、いつ見ても愛想のない小屋である。2階へ階段が付いているのだが、入っていいのか悪いのか分からない。少し休んで殺風景な小屋をさっさと離れる。


朝焼け猫又山、毛勝山

 さて2200mの小屋から少し登って、2500mくらいから雪が出てくるのですが、これはいつの雪だろうと考える。どうも3週間前の雪みたいだ。しかもトレースが皆無。3週間前に、30センチ積もった雪が、10センチに減っているのだが、ちょうどアイゼンが気持ちよく刺さるようにクラストしている。ということは、滑ると止らないということになる。


剣御前への稜線と、向こうに立山カール

 小屋から上は初めての道なのだが、この池ノ谷右俣上部(剣尾根のこちら側)は、これもカール地形の残骸のように、綺麗におわん型している。道は、そのカールに入り込んでは尾根に戻りというのを10回くらい繰り返して登っている。尾根直上に残置のロープが見えるのは、積雪期用で、ペンキマークはいつもトラバースしている。

手前に登っていく稜線と、向こうに右は本峰、左に長次郎頭

 10センチの積雪というのは、いやらしく登山者を歓迎する。森林限界の上、ガラ場の道の窪みを綺麗に消してくれる。登山道はどこだと、左右を見渡してしまう。最初のカール入り込みで道を見失う。アイゼン付けて下ってみるのだが、その先が分からない。適当に前進すると向こうにペンキが見えてきて、OKだとは分かるのだが、下りも登りも、35度くらいの傾斜になっている。果たしてどこまで行けるか。


2600m付近から

 2600mの標識のところは急登を終えて展望が開けるところで、目の前に初めて本峰の全貌が見えてきた。ファンタスティックである。しかし、3週間前の雪というのは少なすぎる。この秋、すでに紅葉が遅いという話もあるくらいで、山の雪は普段よりも遅い。


急傾斜です。直上

 左はさっきからずっと見えていた小窓尾根であり、池ノ谷はそこで右左に分かれて、そこから剣尾根が発生している。左俣は三ノ窓で行き当たり、その左稜線は小窓王、右は剣尾根ドーム。その脇にチンネも見えるのだが標高は低い。本峰と同じくらいの高度は長次郎の頭になる。ごちゃごちゃしているのだとにかく。経験があるのは小窓尾根と三ノ窓・チンネだけで、それ以外は地図と見比べて展望を楽しむ。


2800m標識と長次郎頭

 その2600mからも、左側カールに入り込みのトラバースと尾根に戻りが続き、2800m上で獅子頭を巻いた後に、カニのハサミが出てくる。夏はこのハサミが難儀だと書かれているのだが、40度傾斜のアイゼン登行と下降の連続にくらべれば、ハサミはなんでもない。ハサミの足元もクラスト雪が残っていて、ザクザクいく。
 ここを越えて間もなく、およそ100mほど最後のカール登行が前に見える。傾斜さらにきつくなって45度。登れないことはないのだが、下れないかも知れないのだ。すでにアイゼン前爪4本の登行になっていて、バックステップでそこ下って滑ると、絶対に止らない。


小窓王(左)と剣尾根ドームに挟まれて三ノ窓向こうに杓子岳。剣尾根にも雪はないんですね。

 この季節剣岳に登れると簡単すぎるし、登れないと腹が立つ。前爪蹴りこんでの登行をしに来たのではないと思うと、まあ諦めもつく。憧れは試練に敗れてしまったのだ。さっさと下山する。


帰りがけには少しガスも出て、夏みたい

 下山も神経を使う。2年前だったか6月に小屋まで上がったときは、もっと雪が残っていて、小屋脇でスキーができた。初夏の腐れ雪と、今のクラスト雪は大きく違うわけだ。しかし快晴で直射も当たっているというのに、雪は全く溶けないのはどうしてか。気温は多分わずかにプラス。西日の弱い直射しか当たらないからか。不思議なものだ。


大日岳の尾根に残照

 下りはダラダラとふて腐れて、再び夜になって馬場島に下りた。夕方下の方で登ってくる二人に会っただけだった。


紅葉が綺麗だったのは小谷温泉先、乙見峠方面へ。標高1200m付近見上げ。おまけ写真




北ア・南岳3032m 06・10・8〜9 ☆☆☆
10・8 雨・吹雪
新穂高600〜槍平1030=1130〜南岳新道〜南岳1600

 前夜、北アの遭難のニュースを聞きながら、それでも出発。
 雨の新穂高だったが、無料駐車場は満車。どうしようかと思ったが、雨の山行もたまにはいいかと思って出発。車が多かった割りには、あまり入山者は多くなさそう。のろのろ4時間半かかって槍平。この小屋は明日で小屋仕舞いする。紅葉も綺麗なはずなのだが、雨に煙って鑑賞する気力なし。槍平の少し手前で一瞬ガスが晴れると、上部はすでに真っ白い雪。紅葉もいいのだが、やはり雪の白さのパワーには勝てないものだ。
 槍平で昼飯食っても、雨は止まず。槍ヶ岳から今日下山してきた人などは、「雪ですよ」なんて言っている。知ってはいるのだが。槍は遠いから、予め思っていたように、南岳への登山道を上がる。いくら遅くても明るいうちには着くだろう。
 標高2000mの槍平から300m登ると、ちらほら雪が見えてきた。雨も小降りになってくる。2500mくらいになると、けっこう本格的な積雪。ただその辺りで、南岳から下ってきた15人くらいとすれ違う。これでちょっと一安心。上の雪道にトレース付けてくれたかな。2700mまで登って、ここでアイゼンを付ける。前日のニュースで稜線は吹雪きだと聞いて、12本歯持ってきたところだ。うっすらと30センチくらいの積雪で、一番歩きにくいから、片足だけ着ける。道はここから左側のカールの真下にトラバースしていき、そこから露骨にも直上する。冬なら雪崩れるなあと思いながらいく。この辺りで、雨も止んだか、小雪混じりの風が相当強い。風速15mくらいか。15人が付けてくれたトレースもかすかなものとなってしまい、見失わないように注意する。150m登ると、再び稜線に出る。「小屋はすぐそこ」の標識があって、なだらかな斜面が主稜線まで続いているようで、これなら確実に小屋に着けるだろうとようやく安心。万が一引き返すことまで考えながら登っていた。

ガスの稜線2700m辺り

 後はなだらかなジグザグでようやく小屋に到着。この日小屋に来た客は私だけ。他に15人くらいの客がいたが、全員停滞。先の下山した15人は、小屋番の案内で、雪の中下山のポイントまで案内されての集団下山だったようだ。昨夜からこの日に掛けて、積雪30センチ。気温−3度。風速15m。真冬並み。真冬にも使う手袋をしていたが、指先がジンジン痛かった。夕飯食ってそそくさと就寝。

10・9 快晴
南岳散策630=800〜下山〜槍平1030=1130〜新穂高1500


槍平から紅葉と新雪の滝谷

 夜はまだ風の音がうるさいくらいだったが、明け方に静かになって、起きてみると快晴だった。期待していた天気予報が当たったことになったが、しかしこの変わりようには驚く。朝は、新雪の上に快晴の太陽で、山は雪で生き生きしていた。

南岳小屋からキレット方面、左から北穂高、中央奥に奥穂高、右に涸沢岳


南岳頂上と槍ヶ岳

 6時からの朝飯をさっさと終わらせて、小屋では安全下山は槍平で、氷河公園方面は注意を要するとし、キレット方面は厳禁だった。すでに稜線は凍り付いている。しかし小屋の客を見渡しても、真面目なアイゼン私だけで、6本歯1人、残りアイゼンなし。それで一昨日の遭難多発日に皆ここまで来るわけだから、槍でもそうだけど、元気すぎるよなあ。

南岳新道2500m辺りの下り

 朝飯後、獅子頭と南岳へ散歩して、滝谷などは実によく見えるわけだ。槍方面も。みんなして、ウロウロ大会。しかし滝谷というのは、谷であるのに、主稜線からも隣の尾根からも丸見えで、あれで本当に谷なのかといつも不思議に思う。

涸沢岳西尾根の蒲田富士

 8時過ぎに、来た道を引き返すということで、槍平へ。少し前に8人くらいが下山を始めた。昨日登った道でも、こうも天気がよくなると、何だか違う道のような感じがする。しかもこの尾根からは、やはり滝谷が丸見えでよく見える。向こうには笠ヶ岳なども。2時間半で槍平へ下って、昼飯食って、新穂高へ下山。途中白出し沢で逸崎さんに出会う。新穂高側は混んでいるとはいっても、上高地と比べたらさほどでもなく、落ち着きがあってとてもいい。

2300m辺り、向こうに笠ヶ岳の白い稜線




湯檜曽川源流 06・9・23〜24 晴れ・ガス ☆☆☆☆
9・23白毛門P500〜白毛門1000〜笠ヶ岳1100〜朝日岳1300〜清水峠1600
9・24清水峠500〜蓬峠730(下山)〜白樺小屋1000〜武能沢1100〜土合1300



朝日岳山頂。紅葉も始まっています。

 ようやく9月も涼しくなってきた。好きな上越に出かける。白毛門は過去2回登っているはずなのだが、さっぱり覚えていない。取り付きからの急登は、この冬にあっという間に敗退しただけに、やはりここをスキーで登るには少し急ですよ。松ノ木沢の頭に出たあたりで、周囲一体はガス。台風の影響なのかと急に気分はふて腐れてゆっくり朝飯。でもガスが切れると上空は青空でもあり、どうにか頂上を目指す。


右がジジ岩、左がババ岩、白毛門山頂付近

 ジジ岩、ババ岩とそれらしい大岩を右側に発見。このあたり妙に白い岩のスラブが右側沢の上部に広がっていて、白毛門というのはそういう山だったのかと感心する。さらに上には、上越っぽい草つき交じりの岩が出てきて、右に曲がったところで頂上。左にやけに大きな山は笠ヶ岳でした。
 笠への稜線は、右の宝川方面が実に緩やかに下っているのです。予想通りとはいえ、源流地帯は明るいですねえ。この笠ヶ岳までは日帰り組みが数人いました。


左笠ヶ岳、右朝日へ続く烏帽子。白毛門直下から

 さてこちらから見える笠の先は烏帽子までで、その先朝日岳というのは、鋸尾根の向こうにまっ平らに現れるのです。小さなコブをいくつか越えて、ようやく朝日岳。昨年の今頃に、宝川からここへ来たはずなのですが、頂上の方向が混乱しています。あの時頂上で50センチの積雪がありましたが、その違いだけで方向不明。頂上から向こうへ、木道をゆっくり下って、そこに右宝川への分岐があって、JPジャンクションピークは真っ直ぐに向こうに繋がっています。何だかマラソンマンが二人いて、最近は空身で山をマラソンしている人が時々いるのですよ。


笠ヶ岳から烏帽子方面


朝日岳頂上湿原から向こうにJPジャンクションピーク

 JPからは痩せ尾根が清水峠へ下っています。向こうに三角屋根が見えるのが、峠の東電小屋なのですが、かなり遠いですね。新潟側の穏やかな景色楽しみながら、向こうに巻機山も見えますが頂上部はガスです。夕方どうにか峠へ降り立ちました。標高は1500mを切っていて、朝日岳から500m下ったということです。避難小屋は10人程度なのですが、後続に17人パーティが来て、大混雑。


朝焼け、日の出方向は巻機山へ続く稜線から

 翌日は暗いうちから用意して、明るくなった5時出発。七ツ小屋山はわずか1時間だし、200m登るだけなのだが、どうにも遠く感じるのはどうしてか。広くてゆったりした山稜を少し上下して、山頂へ。こういう地味な山なのですが、何だか景色はいいですよ。大源太山へ稜線は続いています。


清水峠上から七ツ小屋山への稜線

 そこから蓬峠へもわずかに1時間のはずなのですが、やけに遠くに見える。途中尾根の中間から鉄砲尾根という太い尾根が湯檜曽川に向かっていて、その切れ落ちたところが十字峡というわけです。


朝焼け、谷川岳東面

 蓬峠の黄色い小屋は積雪期でも吹きさらしで埋まることなく目印になっているのですが、小屋のオヤジは上越特有に全く愛想はありません。ビールも、水も売り切れとかで売り物はなし。こんな5人くらいしか泊まれない小屋を、5月から延々と開けているそうで、もう少し愛想あってもいいと思うんですが。


蓬峠の黄色い小屋と、武能岳へ続く稜線

 昨日夕方に合流した17人のオババパーティは元気に武能岳の稜線を行くということで、しかし上空またガスって来て私ここから不思議なまき道で下山します。今年春に滑降したところですね。
 数えてみたら、巻き道は沢を4本横断して、後に清水峠からの巻き道にも合流して、標高1300mで白樺尾根の小屋にでました。この春一本のトレースに導かれてここまで滑り込んできたものの、これを地形だけ把握して夏道どおりに春に滑るなどは、やはり神業に近いと、改めて思います。


稜線を歩く大パーティ 下山の巻き道から

 白樺小屋の中覗いたら、これも全く愛想なしのコンクリだけでしたね。外観は緑色で綺麗なのに。道はこのなだらかな尾根をそのままゆっくり下っていきました。標高900mで武能沢と湯檜曽川出合い。
 上越はとてもいいです。ここまで下れば樹林ですが、清水峠も蓬峠も標高1500mなのに樹林はなし。圧倒的な積雪で、この辺りの樹林は1500mまでしか育成していません。ダケカンバや石楠花などですね。標高1500mで森林限界みたいな風景広がって、こんな山は他にないでしょう。
 この出合いで昼飯にして、後はゆっくり湯檜曽沿いの歩道で土合へ。ただね、マチガ出合いの数年前に架けた橋は早くも崩壊しているようです。雪崩ですね。こんなところに通年維持する橋を掛けるなどは、本当に地元がやったことなのでしょうか。どうにも素人建築に思えて仕方がない。橋を掛けるには、剣真砂沢前の橋のように、冬には撤去して、夏にまたかけ直すということしないと、豪雪地帯では無理に決まっています。
 そのマチガの出合いの東屋は、林道の終点にありました。春先に何度も足を運んできましたが、林道がここまで通じているとは全く知りませんでした。春に通った山に、夏に登ってみるというのは、複雑な発見ばかりがあるものです。





前穂高岳・奥穂高岳 ☆☆
06・9・2 快晴
上高地1100〜岳沢ヒュッテ跡1330〜前穂直下2800m1730
9・3 快晴
前穂500〜奥穂高岳730〜白だしコル830=900〜涸沢ヒュッテ1100=1130〜パノラマコース〜上高地1820

 8月が過ぎると山に行きたくなる。秋晴れ快晴は涼しいに騙されて穂高にいく。最近つくづく思うが、夏山というのはお爺さんの山だ。11月頃に山は赤ちゃんとして生まれて、2月が中高生。4月が二十歳代の元気な盛りで、6月までが青年期。過ぎると壮年期、お爺さんの山で、10月に亡くなって、翌月生まれ変わる。中高生からOL年代が好きだ。
 未明に自宅で目を覚まして、そそくさと支度して出かける。秋晴れ週末は知っていたのだが、夏山は出発が不真面目になる。


夕暮れの明神と、少し夕焼けの雲と、半月と。前穂標高2800mから

 上高地から岳沢に入るときに驚いた。岳沢ヒュッテは、この春の雪崩れて全壊してしまったという。う〜ん、昨年そこに宿泊したときに、小屋のオヤジとも少し話しをしたのだが「ここは絶対に雪崩には合わないところだよ」。その翌年に雪崩にやられた。小屋のオヤジというのは山を知っているような風ではあるが、所詮この30年の山を知っているだけで、本当の山は知らない。過去には槍平のテントが潰されたこともあるし、剣沢も、今年は剣山荘もやられている。全層雪崩の威力は素晴らしい。
 んなことを考えながら、2時間少しでその跡地に着く。昼を過ぎた。小屋の再開の建築は始まっているようだった。小屋関係者が数人休憩していた。


土台だけ残ってる岳沢ヒュッテ跡

 更に登り始めると、嫌な予感も少ししたのだが、小屋従業員が「今日は奥穂ですか?」と聞いている。今日も明日もあさっても、私の名前はspたかであって、奥穂という苗字ではないと、さらに嫌な予感。「前穂の日帰り? テントはダメですよ」その他もろもろ。ここに泊まれか、帰れか。いつから、雪崩も予感も出来ないオヤジその手下がこんなに偉くなったのだ。「好きなところでビバークして何か悪いか?どうせ今夜は快晴だ」。そういうと、黙って戻った。
 しかし、午後の山は暑い。5月は奥明神沢を登るわけで、この重太郎新道というのは、春先はひどい雪の斜面であるし、夏はゴツゴツしている。実は私は、前穂も奥穂も涸沢も、夏というのは初めてだ。1月や5月には数回きているのだが。


岳沢ヒュッテから奥明神沢。左のボサの中を縦走路は登る。

 奥明神沢も、今見れば20mはえぐれている。それが5月には綺麗な雪渓になっているわけで、考えひとしおだと、更に登る。梯子、岩ゴツゴツ。こんなに急だっけか?と思うのは私が老いたか。それもあるが、春先のここでは、怖い話がけっこう私の周りにも転がっている。3月頃に、ここを3年位前に単独で降りた人は、スリップしてヘリの世話になった。その人とは、越後中ノ岳で昨年であった。私の先輩は、同じ昔の3月にここを降りて、上高地の人に「自殺願望ですか」といわれた。ステップの足元から、どんどん表層が崩れ落ちていたそうだ。昨年秋の紅葉の雨に、私は岳沢ヒュッテで停滞していたが、その日も老人クラブがどんどん前穂から降りてきて、一人のガイドとは知り合いだったが「冷や冷やしましたよ」と冗談で言っていたようだが、その冗談が10パーティもあれば、冗談ではなくなる。夏の穂高連峰は相当危険である。
 急坂に延々として進まないが、やはり予定通り前穂の手前で夕暮れになった。17時過ぎに、風除けツェルトを張って、中に入る。標高2800mは前穂高の直下になる。ガスが流れて切れて、明神が見えたり、吊尾根も、西穂の稜線も、平坦になった登山道は寝転がるには十分に平であるが、なんか岩場のテラスのビバークみたいで、久しぶりに懐かしい。しかも無風だ。疲れて夕飯食う元気もなく、甘いコーヒーを2杯飲んでさっさと寝てしまった。
 夜間はやはり冷えるものだ。気温3度くらいだと思う。夜中には満天の星空で、いいなあテラスのビバークは。しかし夏用シュラフでは少し寒い。かさばっても秋用シュラフにしなくては。


登山道から前穂高

 夜間に何度か目覚めて、夜中のポタージュとパン食ったりしたが、4時半に本格的に起きて、5時にはさっさと出発した。もう明るい。ほんの10分で縦走路の分岐に合流した。前穂まで登ろうかと思ったが、まだ200m以上も高度差があって割愛。


朝焼けの奥穂高

しかしこの縦走路にしても、吊尾根を岳沢側を延々と巻いて、ダラダラ時間がかかる。たまに稜線に出てもまた巻き道になる。そしてようやく本峰に迫ったところで、ぐんぐん高度を稼いで、なだらかに奥穂高に着いた。この山は頂上周辺だけは意外にもなだらかだった。途中、老人クラブのリーダーっぽいのが何人も聞いてくる。「今日はどちらから」「前穂の小屋です」。「??」私設の前穂の小屋である。分からない人はそれでいい。


吊尾根から振り返って前穂と右には明神への稜線

 もう人ごみでもある。こちらに下ってくる者も相当いる。わずかだけ頂上にいて、白出しコルめがけて下るが、これも緩やかに下っている。そしてコルのほんの手前で危なっかしい梯子を下ってコルの小屋に出る。ここでカレーの朝飯食う。


吊尾根から自分の影と、向こうの飛び出たジャンダルムは西穂の稜線。



涸沢岳、北穂、大キレットの向こうに槍ヶ岳。その向こうは薬師か立山か

 さてここからザイテン・グラートなるものを下るのだが、やはりその道は尾根だった。ドイツ語?でグラートは尾根だというのは、この夏に知ったこと。しかも物凄く下りにくい。夏にはみんなこんな大変な道を過去に登ってきたのか?と今日初めて知る。さらにグラートというものの存在も。これは雪渓の中の無視しても上等なタダのインゼルに過ぎないものだ。
 延々2時間半もかかって涸沢ヒュッテに着いた。途中傾斜10度未満の雪渓二箇所を横断した。
 ある意味、大きく充実した小屋は好きだ。白出しコルの穂高山荘も、涸沢ヒュッテも。バイト従業員が客慣れしている。ビジネスホテルみたいなものだ。ところが岳沢のような小さな小屋は、まるで関所か番人か。逆らうと小屋番がナタ振り回して追いかけてくるようで、客はおっかなびっくり小屋番と話をしなくてはならない。理屈っぽいペンションのようなものだ。ヒュッテでスイカ食ったりジュース飲んだりした。


ザイテン・グラードはやはり雪渓の中のインゼルだったのです。

 実は、白出し小屋で妙な外人5人組と出会う。足の速いメキシカン女性。私とよく喋ったアメリカ在住のチャイニーズオバサン。ほかにゆっくりの3人組と、ガイドの英語を話す日本人。実は奥穂頂上で、そのガイドが「ここは日本で2番目に高い」と言っていたから、私騒ぎにむっとして「いや三番目」といったら、ガイドが「2mのケルンがある」と上等の屁理屈いったもので「あっそ」と下山したといういきさつがある。
 本論は、そのカリフォルニアサンディエゴ住まいで、香港生まれのチャイニーズばあちゃんには孫もいて、
1、年に3回海外にでる。
2、通常は「シャンパン・ハイキング」をしている。
3、日本はどうして円が暴落しているのか。
 なんて話を、延々ヒュッテまで途中から1時間も付き合わされたというおかしな話になった。詳細は後日日記に書く。
 そして、ヒュッテを私は昼前に出発することにして、パノラマコースから上高地に下山する。道はゴツゴツしていてなかなかはかどらず、最終上高地バスは午後6時だというのに、遅れてタクシー下山となった。この上高地というのも、問題山積みである。
 夏の山は、体力不足の解消であって、楽しかったかと問われると、「暑かった」と答える。




スイス・ハイキング
 ☆☆☆
06・8・5 
成田1100(乗り換え18時間)〜スイス・ジュネーブ2200

 
国際線はいつもそうだが、成田〜目的地というダイレクト便が一番高い。従ってどこかで乗り換えてから目的地というフライトになるのだが、オランダ・アムステルダムで4時間待ちの乗り換え。その間に街中に行ってみると、真夏週末の土曜日夕方だからか祭り音楽イベントやっていて、凄い賑わいだった。運河の海上交通というのは何もベニスだけじゃなくて、ここも運河の町。それでもまあ、ヨーロッパの都市はどこにいっても似たようなレンガ造りで、街中散歩だけで面白いと思える年齢じゃすでにない。
 それにしても眠い。時差−7時間というのは、深夜のはずなのにまだ夕方で、一日が長いということだ。

06・8・6(日)ドリュ西壁 晴れ・標高3000mからガス ☆☆☆
ジュネーブ900(レンタカー)〜フランス・シャモニ1100=1300(ミディ・ロープウェー)プラン1330(モンタンベール・ハイキングコース)モンタンベール1700(登山電車)シャモニ1830



 
昨夜はホテル探して着いたのが深夜。それでも朝8時に目が覚めて、部屋のリンゴだけ食って出発。どうも街中の道で迷って、結局フランス方面の標識に従って、とりあえずスイスから無人の国境越えて、そこで右へパリ方面、左へシャモニ方面だったことを理解。シャモニへはわずかに80キロ足らずだから高速に乗ればあっという間に着く。例によって速度制限130キロという標識には楽しい違和感がある。
 シャモニ20キロ手前でモンブラン4800mが見えてくる。ガスの中にわずかだけ。足元から標高差4000m。
 シャモニ街中に着いて昼飯。まあ上部はガスだが、ふもと程度は晴れているということで、午後から遅くなったがミディのロープウェーで上がることにした。ミディ標高3800mまでロープウェーは続いているのだが、ガスの中を上がっても仕方がないというわけで、途中駅プラン標高2300mで下りて、そこから平坦道のハイキングコースを歩くことにする。歩行3時間程度の予定だが。
 このあたり世界中からの観光客で込んでいるのは予測どおり。それでも待ち時間なしで乗れる。今回ハイキング連れ一人。10分ほどで、シャモニ標高1000mから2300mへ到達。レストランもあるし、ハイキング客がかなり多い。若いカップルのハイカーなんて、日本じゃ全然見かけないけど、やっぱりヨーロッパにはいくらでもいる。


ゴンドラをブランで降りて少し登ると、氷河の末端に池。


 さてプランで下りると、そこは氷河の末端。上部はやはりガスっている。ここシャモニ針峰群の真下で、ミディ、プラン、ブラチエール、グレポンの麓をトラバースして東へ行く。道はしっかり整備されている。この辺りの標高がなだからなのが、シャモニの谷の特徴か。


シャモニ針峰群の下の穏やかなトラバースコースなのだが、何だか場違いにのどかな感じがする。


途中氷河モレーンの池に出て遠回りになったが、まだ上部雪が残っているところを進む。2時間半位して、いよいよ最後、モンタンベールの登山電車駅に出るところで、ガイドにあったように、上の道を少し登っていく。その尾根を回り込んだところで、メールドグラス氷河の向こうにいよいよガスの中に大ドリュが見えてきた。3700m。氷河岩壁に3つくらいの滝を落として、やはり豊富な氷河と雪をたたえている。ガスの晴れ間に正面はドリュの西壁である。十歳代の頃に、ドリュの北壁だとか、ボナッティ岩稜だとか、西壁のアメリカダイレクトだとか、そんなものに憧れていたのだが。


メールドグラス氷河はここからモンブラン末端に伸びているが、夏は土砂が両脇にかかっていて狭く見える。縞模様は土砂が風か何かで島々になっているように見える。奥の右がタキュル3400mで、その向こうにグランドジョラス4200mが一瞬だけ見えたのだが。


 そこから鉄道駅標高1900mへは、300mの下り。下りながら氷河に近づいていく。その氷河奥は、やはりガスが濃いのだが切れ間にグランド・ジョラス北壁4200mがわずかに見える。右はタキュル3500m。
 駅に着くと夕方5時。夕立がきたが濡れずに済んだ。大勢の下山客がいる。


高山植物とその下に氷河。

 この鉄道、ギア式(アプト式)でゆっくり下っていくが、20分ほどでシャモニへ。ミディPまでは歩いてもわずかだった。本日シャモニ泊。夜は10時まで明るくゆっくり夕飯。


06・8・7(月)モンブラン ☆☆ 晴れ、ガス 登行700m
シャモニ830〜イタリア・アプノバP930〜フィレのコル1230(下山)〜エレナ小屋1330=1400〜アプノバ1530(車)〜クルマイユール1600



朝焼けのモンブランと言ってもサマータイムだから遅くて5時半くらい。ホテル前から振り返ると、左モンブラン4800m。


 明け方3時頃ホテルベランダに出てみたが曇り。ガッカリしてまた熟睡したのだが6時に目覚めると快晴。おお、やった〜。ベランダ側はモンブラン対岸のブレバン2800mが朝焼けになっている。そして外に出てみると、ここからモンブラン4800mの、薬師岳みたいな牛がくっきりと晴れ上がっているのです。手前にタキュル。真夏だというのに真っ白。


1時間後にはすっかり晴れ上がった。

 しかしシャモニ後にして、モンブラントンネル抜けてイタリアに入ります。私1日でその町飽きてしまうのです。トンネル抜けて、クルマイユール手前で東に入ると、そこはフランス・イタリア国境稜線の南側の谷を入っていく。車で標高1800mのアプノバという村まで入れるわけで、ここからならロープウェー要らずに山に入れる。
 ツールド・モンブランという6日もかかるハイキングコースがあって、その最高点が目指すフィレのコル2500m。イタリア・スイス国境でもある。


これ、グランドジョラスの南側・イタリア側。こちらからだと間近に見えます。でも南側って有難くないもんでしょうか?

 最奥の村に着くまでに、グランドジョラスの南側が良く見えます。日本で有名なのが北側のフランス側だけで、実は南側のイタリア側というのも充実しているわけですね。最終Pから9時半に出発。いるいるハイカーが大勢いるんですよ、今日も。
 1時間半でエレナの小屋標高2050mに出ます。そこがプレデバンド氷河の末端で、その頂上がモンデラン3800m。スイス・イタリア・フランスの三国境ですね。しかし嫌な予感していましたが、スイス側からガスがどんどん湧き出ている。そうです。フランス・イタリアは天気がいいんですが、海なしスイスというのは、悪天候。冷池から鹿島槍みたとき、長野側から濃いガスが沸いて、富山側というのは晴れている。快晴は陸地の放射冷却で冷たいガスがどんどん沸いてきて、海側で温められてガスになる。稜線上部ガスです。


崖の上の放牧場。牛は崖から落ちないものかと思っていたら、落ちません。標高2300mあたり。

 でもそこから500m登ってフィレのコル目指します。2時間後、ガス強風のなかコルに出たものの、瞬く間に引き返し。向こうガスガス。何人か登ってきた人は向こうスイスに下っていきます。
 下り1時間で、再びエレナ小屋。ビックリしました大混雑。日帰りの客は車から1時間でここまで来て、氷河見て引き返し。子供連れ、老人連れ、カップル。適当なハイキングだったのでしょうか。小屋はホテル風でした。


エレナ小屋の前に開けていたプレデバンド氷河。イタリア・スイス・フランスの国境地帯です。

 そもそもヨーロッパアルプスの森林限界は1800mです。最終村ですでに木立わずかで、草原で牧場ですね。今朝のシャモニ気温4度。昼間のクルマイユール標高1300mで17度。呆れるばかりの快適気温なんですよ。この日ざっと300人くらいが、エレナの小屋まで片道1時間のハイキングしていました。上高地から明神の距離ですが、そこに展開する山の景色が羨ましいほど恵まれているということですね。細い道に車の往来が激しい。


スイス・イタリア故郷のフィレのコル2500mはただのガスで寒かった。しかし国境の稜線というものに、一度はいってみたかった。

 Pに戻って、30分でクルマイユール、ここはイタリア側のシャモニで、そこ宿泊。何だか疲れました。



日本・アメリカ・ヨーロッパ
ホテルフロア


 ヨーロッパのホテルは、フロントが0階なんだね。思い出したよ。1階というのは、1階階段リフト(と連中はいうのだ)を上がらないと着かないね。習慣の違いというのは面白いね。それと朝飯。忘れたけど宿泊料に朝飯が含まれているのはアメリカだったかヨーロッパだったか。田舎のホテルは、クルマイユールも、ターシュも朝飯込みだったね。日本も朝飯込みのビジネスホテルが流行っている。だいたいご飯・納豆・のり。もしくはパン・ジュース・玉子。朝飯なんてのは300円くらいなんだから、タダって時代になっている。それを千円10ドルというのは、もう田舎者ですよ、本当にね。
 にしても、欧米は予約なし旅行が当たり前になってきて、日本はどうしようもない最終ランナー、農協団体だね。最近は年寄り団体というけど。
 食い物根性なんて、団塊世代が最後でしょ。箱根でおいしい物食うなんて、見識分かりません。私達以降は普段からまともなもの食って育ったわけで、旅に出たときくらいまずい物食いたいですよ。それで充分。日本の旅館ホテル接待習慣も、まもなく消滅すると思います、はっきりとね。

森林限界

 ヨーロッパの森林限界は概算1800m。北アが2300mだとすると、500m低いことになる。つまり北アの3000m峰は、こちらでは2500m相当。ところが4800mを最高峰として3500mオーバーがいくらでもあるわけだから、やはり本場のアルプスは当たり前だが標高が高い。下の村から見上げるアルプスは、5月の北アのように見える。私の学生時代には日本の雪線は4000mくらいにあるといわれて、その標高以上が氷河地形となるわけで、するとこちらで雪線は3500mくらいということになろうか。
 通常5月から真夏までの3ヶ月で、雪はおよそ30mくらい溶けると思われる。一ノ倉沢などの5月は、その30mくらいの雪で埋まっていて、だから8月までにそれが全部溶ける。ところが真夏のアルプスでは、氷河の積雪はどうもそのくらいの感じがする。こちらもあと3ヶ月真夏が続けば氷河は全滅するだろうが、そんなことはない。それが自然現象ということになる。
 こちらには標高2000mくらいの村がかなりあって、昨日のアプノバは1800mだったが、ということは真夏の涸沢に車でいけるというわけだから、車降りた瞬間に涼しくて、草原で、そこから登山がスタートするわけだから、真夏でも暑いなんてことは全くなくて、そりゃ有難く羨ましい。
 しかし積雪がどのくらいあるかといえば、それは日本が勝っているとある意味思えるわけだ。シャモニからの登山電車は、モンタンベール駅が最高点で標高1900mなのだが、狭い軌道にアプト式で通年冬にはスキー客相手に運転している。スノーシェッド、トンネル、崖脇なんてのを通過して登っているのだが、飯山線や只見線よりも危なっかしいところを通過しているのに、良くぞ冬でも営業できると驚く。昨年冬は上越線の土合辺りでも1ヶ月の積雪普通期間があった。天神平で昨年は30mの降雪があったが、こっちは多分その3分の1くらいだと思うよね。ただ降った雪が冬の間には溶けるということがないから、積雪量そのものは大して変わらないと思うのだけれど。つまり新雪がどかどか降るのは、やっぱり上越富山にはかなわないのでしょう。降雪条件の湿った空気が運ばれてくるには、マイナス1度の気温があれば充分で、何もマイナス30度あるから、たくさん湿っているというのとは、因果関係はないんだねきっと。その意味では上越のどか雪というのは、やはり自然の世界遺産だと私には思える。
 ただ登山スキーの条件としては圧倒的にアルプスが勝っているのは仕方がない。何しろロープウェーが3800mまであるし、3500m程度までのロープウェーはちょっと地地図探せば、10箇所が足りないくらいにいくらでもある。そんなとこまで観光でいけたら、どこを登山するんだと普通は思うのだが。林道歩いたり、登った山がロープウェーの駅下だったら、アホらしいのと同じで、こちらの人間のハイキング感覚がわからないね。
 でも冬には、その3500m地点がスキースタートとなっている絵地図があって、そこから標高差2500mを簡単に滑れるわけだから、日本の森林伐採した500mのスキー場なんて、子供だましでブームが去ったら誰もそんなことやらずに簡単に飽きられてしまうのもまた分かるよね。日本で槍ヶ岳の肩までロープウェー引かれたらいったいどういうことになってしまうんでしょう。混乱するような餌は与えないようにしましょうというのは、自分の判断力欠如の日本人には、猫に小判ってことになりそうなんだけど。

洗面・温水

 ヨーロッパが日米に勝っている物の一つに、温水・石鹸がある。ゴンドラ頂上の寂れたトイレでも何故か洗面に温水がでる。石鹸もある。潔癖症だなあ。日本なんて、温水などはホテルしか出ないけど、鉄道駅でも温水がでた。手拭の紙タオルも置いてある。屋根裏部屋ホテルで、トイレ・シャワーは相部屋なのに、部屋の洗面に温水が出る。感動的でもある。水周りをしっかり作っているんだね。水だけというアメリカ合理主義に対抗していると思われる。日本のそれは貧しいだけ。
 コンビニは、ヨーロッパにはないといってもいい。駅・ゴンドラにキオスクがあるだけ。昼飯パンをかじりたいと思っても、なかなか売っていない。自動販売機もないから、コーラ飲むだけでも、あらかじめキオスクで用意していないと飲めない可能性もある。それは不便に感じる。
 ヨーロッパの独りよがりの通過は、スイスフランとイギリスポンドだけ。そのスイスはユーロの包囲網にあって、苦戦しているね。ユーロは150円なのに、フランは90円。その分安くなっている。スイスのレストランも、フラン料金の他に、ユーロ値段も出している。世界の通過はドル、ユーロの二極化で、円もどうにかしないと、落ちぶれる。

喫煙

 今ではヨーロッパは20年前の日本と同じくらい喫煙におおらかな感じがする。つまり禁煙対策は何も進歩していないといえるし、そんな対策は意味がないと放棄しているように思える。かつてアジア人は世界一の喫煙大国だったのだが、日本はアメリカに妙に感化されてきた感じだけが残る。
 そうなのだ、言われればおとなしい羊のように、何でもやるのが日本人だったのだと思い返す。伏流煙が体に悪いと感化されたのは後から取ってつけた理由で、そういうデマでも洗脳されれば信じる。じゃ、アメリカ人はこの20年間でどれだけ寿命が延びたんだ? 寿命と喫煙は全然関係がないのだ。それじゃ欧米のように、夏季休暇は4週間取らないと、人生が5年短くなるとか、夫婦で食事をしないと夫はまもなく死ぬとか、どうとでも理由つければ多分信じ込むと思われる。
 夏の欧米は夜の10時まで明るい。シャモニ観光地はその時間まで人出があって、店は営業している。不景気はない。理由はサマータイムになっているからだ。夏のその有利さは30年も前から常識になっているのに、日本人は「早起きしなくちゃならない」というデマを信じて実行しない。
 駐車場対策もそうだ。アメリカのようにどこでも駐車できる広い国と、ヨーロッパのように夜間は路上駐車がOKというこれもゴチャゴチャしているけど、一つのアイデアである。ところが日本は深夜でも5分路上に止めれば駐車違反となる。このヒステリックな対策は、多分不景気を相当助長すると思われる。
 日本では馬鹿の一つ覚えのようにロープウェーは自然破壊だといわれるが、シャモニだけでもここは西武のスキー場かと思うほどいくらでもロープウェーと登山鉄道がある。3800mまでロープウェーがあるなど、きちがい沙汰と思ってもいい。日本は新穂高ロープウェー以降は環境庁が許可せずに、それは自然破壊だと馬鹿なことを言い出して、これも真に受けた。ならば日本人はシャモニで世界に向かって「自然破壊」を叫んでみてくれ。天に唾するばか者だと笑われる。どこにも根拠がない話ばかりである。せめて根拠があるなら、西武の堤という下品な不動産屋の私腹肥やしに、国も一枚噛んで、お粗末なままごと程度のリフトばかり作って森林伐採し、不景気なって潰したという、無策の無意味で安直な観光商売助長しただけだ。これこそ喫煙の百万倍アホなことである。しかも世界遺産の話をすれば、ヨーロッパアルプスこそ最初の世界遺産である。
サマータイムの不採用も、駐車違反の悪法も、自然破壊の悪法も、上が決めれば理由は後付されて日本人は従う素直な国民なのだ。だったら本当の意味ある政策実行しようじゃないかと思うが、無理である。本当に日本は悪循環転げ落ちる。北朝鮮、靖国など、1日で答えが出る問題を10年かけてだらだらやられたんじゃ、職務怠慢をごまかしているだけだと本当に思うわけだ。小学校の夏休みの宿題を、大学になってまでまだ終わっていないと言っている様なもの。

06・8・8(火) マッターホルン ☆☆☆ 快晴
クルマイユール830〜全日車移動〜カービニア1030〜ベルナー峠〜スイス・ターシュ1530〜登山電車〜ツェルマット1600〜ターシュ戻り1700



イタリア側カービニアからのマッターホルン

 スイスは曇りだといういんちき情報があって、様子見でイタリア・カービニアという村に行く標高2100m。出発時にヤフー見たときも、火曜、水曜は天気悪かったんだ、ところが……。
実はマッターホルン4400mに最も近い村というのは、山の南側イタリアのこの村で、わずか5キロしか離れていないわけだ。スイス・ツェルマットは10キロも離れている。一旦下界にも近いアオスタ標高500mに下ると、やっぱり真夏は暑いものだ。エアコン入れながら運転。しかしそこから2100mまで登っていくわけだから、涼しい。ところがどうだ。途中で早くもマッターホルン南側が見えてくるじゃないか。ドピーカンの快晴である。更にどんどん最奥の村まで行くと、やはり地元イタリア人は知っている。リゾート相当混雑しているわけだ。そしてマッターホルンの南側景観は、これは見慣れないゴツゴツ風景。さほど悪くないぞ、しかも快晴。マッターホルンは不思議な山だ。遠くから見ると平地にいきなり立っているように見える。それが素人だましでもある。稜線から1000m高いだけなら、甲斐駒と同じなのだが、たまたまそぎ落とされて、槍の穂先が1000mもあるように見える。だったら甲斐駒もそぎ落とされてくれ。
両肩1000m低い3500m辺りは、なだらかにイタリア・スイス国境がつながっているぞ。良く見ればスキーリフトもかかっている。ふむ、冬は国境からいきなりスキー場ってわけだ。こんなに整備されていれば、山スキーやる理由はどこにもない気になってくるが、本当か?
しかし南側は見慣れないマッターホルンだというわけで「ちょっと違う」と、結局スイス側に移動することにする。北東側のヘルンリ稜を真ん中にして、北壁〜東壁のバランスが取れないと、あの均等景観にはならないというわけ。
 30分ほど滞在して、仕方ないスイス側のミーハーのマッターホルンに行くことにしましょう。


ベルナー峠2400m。コンビ山4300mはガスの中。

 アオスタに戻って、ベルナー峠越えていきます。標高2400m。新道トンネルもあったようだが選択は旧道。そうですよ。やはりヨーロッパは車降りなくても、縦走できるんです。明らかに車でハイキングしている雰囲気ですよ。ツールドフランスのレースがそんな感じですね。頂上には湖があって、その向こうコンビ山4300mが見えますが、午後になったのか少しガス。ベルナー峠はもしかして、バーナード峠とも読んで、セント・バーナード犬の発祥の地かも知れません。犬のぬいぐるみが売っていました。ユーロのじゃり銭全部使って一匹購入。
 スイスに入って、後は下って、東に行って、ツェルマット方面に行きます。この峠イタリア側の方がおしゃれでしたね。マッターホルン回りこむだけで、走行200キロとはやはりねえ。
 頑固なスイス人が、車止めしている最奥の村ターシュでホテル取って、夕方から登山電車でツェルマットへ。ここまで来てようやくマッターホルン北側景観に出会えます。全く写真で見るのと同じだよ。そうそう私のデジカメ撮影設定の、風景無限大のモニター映像がこの山で、これまで1万回見てきた山です。それと全く同じ。しかも午後には逆光で、黒くもやっているだけのもの。しかし、ここに来ると、やはり大勢沸いているのです。ノーキョー団体と30年前から言われている私達団体が。ここだけが有名ですからね。こんなもの一点主義で憧れているだけじゃあ、はっきり言っていつまでも田舎者。
 そうでした。下の道走っているときに、左奥に見えた4000mの山は、多分アレッチホルンですよ。アイガー、ユングフラウの仲間で、何だかこの三日で、4000mの雪のつき方ってのを習得してしまいました。それとツェルマットにつく手前、同じような景観は、ウェイスホルン4500mで、偽マッターホルンとは言われるものの、本物よりも高いわけで、どっちが偽か本物か。
 やっぱり山は4000m上空でもガスなしで晴れていなくてはダメなのです。
 そして私、ツェルマットに来ると、どうしても文句言いたくなるのです。車止めしたこの40年は何だったんだとね。最初は排ガス規制だったのですよ。だから電気自動車になった。街中歩くとその電気自動車がうろうろしてますよ。歩行専用だと思っているのに、後ろから電気が近づいてくると左右に避けて気を遣うのは、どこの町でも同じでうっとうしい。真に受けたのは世界中で日本人だけ。理由は、スイス他に車止めしている町がどこにある。世界でツェルマットは一番空気が綺麗なのか? アメリカは、40年前の排ガス規制にマスキー法で対抗して、ホンダは世界一排ガスが綺麗なCVCC開発して、結局今時車の排ガス公害は世界にはなくなった。排ガス規制の理由はどこにもないわけです。
 そして言い換えたのが、狭い村の車混雑。上高地も尾瀬も真似しています。それは入山規制と結びつくもので、車社会のアメリカであってもヨセミテにそれはありますよ。つまりツェルマットは大きな勘違いを摩り替えて、それでも世界的に人気があるから成り立っているだけの、田舎者スイス人の勘違いの代表作というわけなのです。理解できていないのは日本人だけってわけですよ。しかも有難がっているわけだから、ネット映像の時代になったというのに、いまだにブラウン管だけ信じているようなものだね。アホらし。
だから私は、ツェルマットもマッターホルンも世界一嫌いな山と町でしたね。独善的な独りよがり。しかも町中の混雑具合は、まあ草津の温泉街みたいなもんですよ、ノーキョー農協盛りだくさんだし。しかも午後から逆光と来るわけだ。私の連れもその一人みたいなものでした。
 
8月9日(水)マッターホン・ヘルンリヒュッテ
06・8・9 マッターホン・ヘルンリヒュッテ3200m 曇り〜快晴・ガス ☆☆☆ 登行700m
 ホテル〜ツェルマット〜(ゴンドラ)スクワット・パラダイス2500m930〜ヘルンリ小屋3200m1210=1300(下山)〜ゴンドラ駅1500〜ホテル1800




 明け方は曇りでガスが2500mくらいまで降りている。辞めようかとも思ったが、朝飯後に一部青空も見えて、出発。登山電車、ゴンドラ乗り継いで2500mまで。料金は決して安くはないが。
 この山は、小屋まではハイキングだがそれから上部1000mはザイルが必要なルートになっている。ゴンドラ上部のレストランホテルでも、日本の旗もひらめいているのは、日本人客宿泊予約があるからか。ゴンドラからけっこう大勢のハイキング客に混ざって登っていく。
 ヘルンリ小屋は、雪がつき始めるそこにあるわけで、簡単に登れそうにも思うが、2900mから上部は遠めには意外と岩稜が切り立っている上に見える。しかし道は日本の銃走路よりもしっかりと幅が広い。
 ゴンドラから3時間弱で小屋に到着。食事もレストラン風でテーブルに着くと注文取りに来て、自慢のスパゲッティとジャガイモご飯のようなもの食べる。うまい。この適度にうまいもの食いに、客はここまで登ってきて、そして引き返す。小屋にカップラーメンだけじゃ、登っていかないよね。日本人客もここだけはかなりいる。団体8人おばさん宿泊組みも帰りにすれ違った。なかなか日本じゃ味わえない高度感あるハイキング。


ヘルンリ小屋からのマッターホルン。昼過ぎになると逆光で真黒。ようやくガスが晴れました。3200m

 それにしても、モンテローザもみえ、雲に隠れているドム4500mはスイス一の山だし、いくらでも周囲に4000m峰があるのだが、このほとんど雪のついていない岩山マッターホンだけが、妙に人気があるのは、その形と、村に近く、眺めが相当いいからである、やはり。


帰りがけには北壁側の回りこんで、左右が均等。この構図がいいらしいのですが。

 マッターホンはやはりお子様ランチの山です。下界から頂上まで丸見えというのは、おしっこする場所もない。どこかまで、頂上まで登ったとしても、下から見上げた風景と実は同じだということです。登山はどこかに、下界からは見えない何かがあるから、そこまで登ってみたくなる。特に谷沿いに滑るということは、外から見える場所から隠れて、そこに行かないと分からない何かがある。そういうものが、この山にはない。しかも岩稜尾根だけを登り降りするだけの山だからなおさら。このハイキングで何故か満足できないのは、多分それが理由なんじゃないかと思われる。
 
06・8・10(木)モンテローザ 曇り ☆☆☆
ホテル900〜サースフェー1000〜シンプロン峠1100〜フルカ峠標高2400m1300〜インターラーケン1500〜ミューレン1700〜ラウターブルンネン1830



ヘルンリ小屋からのモンテローザ4600m左側

 サースフェー村標高1800mはツェルマットの山を越えた隣の村で、こちらはドム山4500mなどスイスの最高峰に囲まれている。村の中から圧倒的な氷河が目の前に迫っていて、知られたツェルマットよりも何だか気分がいい。高校生連中がスキー装備でゴンドラ上部に上がっていったが、3000mまでゴンドラで行って、そこから地下ケーブルで3500mまで行って滑るという、例によってとんでも環境が揃っていた。


ツェルマットの山隣のサースフェー村は、スイスの高峰4500mの山に囲まれた村。

 さらにその谷の奥にダム標高2000mがあって、そこの標識に「ツールド・モンテローザ」なんてものが紹介されている。10日間くらいの連続ハイキングで、モンテローザ山標高4500mをぐるりと一周するハイキングが整備されている。ハイキング道の整備は、国立公園の維持管理にしっかり組み込まれているみたいだ。モンテローザは氷河が盛り上がっただけの山に見えて、スキーでも登れそうな感じがする。マッターホン・モンテローザ間にテオデュル峠標高3300mがあって、そこで主稜を超えてハイキング道が通じているとなってるのだが、アイゼンで緩やかな氷河を横断するということみたいだ。経験がないからどのくらい簡単か難しいのか分からない。しかもその峠は、イタリア・カービニアからスイス・ツェルマットへの峠越えと言うわけだから、これで謎が解けたというわけだ。イタリア側からも簡単にマッターホンの稜線に出られるということである。その辺りやはりゴンドラがいくらでも往来していて、冬はスキー場ともなっている。
 さてそこから峠越えて、アイガー方面・ベルナーオーバーランドへ行くことにする。途中2000mを超える自動車の峠が5個くらいあるのだが、いくつか見ていく。
小学生の頃に、世界一長いシンプロントンネルと習ったのは、そのマッターホンの稜線超えの鉄道峠標高2000mらしいが、車だとそのトンネルはない。ここは高現状ののどからところだ。戻って分かれ道からフルカ峠2400mまで出るが、ここは付近の峠では最も高い。以前に衝立岩を車の道がトラバースしていると思っていたのはこの峠のことで、向こうのイタリア側が晴れていたのが羨ましくて、スイス側はどうも曇っている。
その対岸にあるグリムセル峠2100mを超えると、目的地に近づく。ここも氷河の岩盤に強引にジグを切っただけの崖っぷち峠だった。過去に通ったこともあったのだが、その崖っぷち地形だけ思い出した。そしてついにアイガー周辺(ユングフラウ周辺)の谷に入ってきた。中心地はインターラーケン。車で走っていると、1500mくらいの標高差は一瞬にして登り降りできて、楽チン過ぎる。この街道は俗に日本人街道とも呼ばれていて、田舎道なのに、アイガー〜マッターホン間の峠道で、行きかうバスは皆日本人団体で、誰もいない静かな氷河急行の駅で休んでいたら、団体がバスから列車に乗り換えに来て、ビックリした。
こちらのユングフラウの谷は、スイスの山奥になって、天候も悪い。気温も、朝の村よりも5度くらい低い。スイスの真ん中に入ってきた。
 氷河急行(グレッシャー・エキスプレス)という鉄道が人気があるが、ユングの方には金峠急行(ゴールデン・パス)という急行が走っていた。インターラーケンという町から、グリンデルワルド方面に入っていく。分かれ道から支流のラウターブルンネンに入るのだが、しかしちょっと驚いた。


ミューレンの村から一瞬だけユングフラウ。

 川の両側に屏風岩が立ちはだかって、その中にどんどん入っていく。右に300m以上の岩壁で、ヨセミテ滝みたいのが宙を飛んでいて、その上に、ミューレンという村があるという、標高1600m。下のブルンネンは僅かに800m。本当だろうか。突き当たりのゴンドラに乗ってみる。チルトホーン2900mへ行くゴンドラなのだが、映像見ると雪が積もっていた。夕方から少し雨があって何だか寒かった。上は雪だったようだ。その途中のミューレンで降りてみる。


ミューレンという村は標高1600m。その向こうの谷は標高800mを挟んで、対岸にユングフラウの岩壁。

 そうです、横尾が1500mでその上に屏風岩。ラウターが800mで両岸に屏風岩だとすれば、標高はぴったりと合う。岩の形も質も実によく似ているわけです、いやまったく同じ。横尾に50軒のホテルがあって、鉄道が涸沢からトンネル入って、白出コルまで通じていれば、それはスイスのここ、ベルナーオーバーランドなのです、無理だけど。



 屏風岩の上にミューレンという村がありました。目の前に岩壁が迫っていて、こんなところに住んでいても落ち着かないと思うけど、彼らは大丈夫なんでしょう。そこにも50軒のホテルがありました。屏風の頭にホテルというわけです。その岩壁、地図良くみればユングフラウ4100mの下部岩壁だったのです。
 パンフにユングフラウ4100mからイタリアのコンコルディア小屋2800mまでユング氷河下山するガイドツアーがあると出ていたが、何だか氷河の登下降もおもしろそうだ。
 谷底の村ラウターブルンネンは、ウェンゲン、ミューレン地域で、何もグリンデルワルドだけがアイガーの麓じゃない。今日はここで宿泊。お天気は曇りから少し雨。

06・8・11(金)アイガー北壁 曇り ☆☆ 下降700m
ラウターブルンネン(登山電車)アイガー・グレッチャー1115〜(アイガー・トレイル)アルピグレン1330=1420〜登山電車で下山〜ホテル1630



アイガー北壁下部と、登山道の牛。

ホテル標高700mから登山電車で2300mまで登る、1時間。上部残念ながらガスで、さらに上ユングフラウ展望台3400mまでいく大勢は気の毒。アイガー北壁の真下を歩くトレイルは現地のパンフにも紹介されていた有名なハイキングで、およそ2時間半をいく。スタートは気温8度。なんと小雪が舞っていて、肌寒い。


本当に登山電車というのは牧草地の真中をおもちゃのように走っていました。

 この道、到着地点が1600mという下りだけの道なのだが、やはりほとんどの人は下から登ってくる。上から降りていくのはあんちょこ。道はのどかで歩きやすいハイキング道になっていた。放牧された牛のカウベルがガスの下のほうから聞こえてきたが、途中で目の前に牛も出てきた。アイガー北壁と牛。小川が流れているところに牛の糞が多い。高山植物も食べている牛。水飲みながら糞をする。


いまどきギアと歯車の電車。

 穏やかに散歩して、2時間少しで下の駅に出た。昼飯くって、電車にまた乗る。途中ウェンゲンで散歩して、ホテルに到着。
 昨夜から止まっているこの二つ星ホテルは屋根裏部屋で、ふたりで8千円。今時安い部類になるのだが、こういうのもたまにはいい。無事ハイキング合宿の終了。
 

アイガー北壁が少し見えただけでした

 ここはラウターブルンネン標高800mの谷と、グリンデルワルド標高1000mの谷が上流に向かって、クライネシャイデック標高2000mの草津のような穏やかな斜面がコルになっている。その向こうにアイガー、ユングフラウがある。車はすべて村で止められて、立山黒部アルペンルートのような登山電車とゴンドラが幾つも行きかう。登山電車は決して安くないし、乗り換えも面倒だ。本当にこんな観光施設が唯一無比なのかと、帰りの電車で居眠りしながら思い返す。
 今となっては登山電車の有効性というのは、すでにそこに50年近くも存在しているという既得権と、細い遊歩道だけで道の拡張がいらないということと、上部の観光施設や村への入場制限だけしか目的はないとしか思われない。
 従って不便なのは、ミューレンとかウェンゲンとかいう車道のないホテルに宿泊するには、重い荷物を自分で持ち上げて、ゴンドラや電車に乗らなければ予約したホテルには着けないという偏屈な関係になっている。車のトランクにたくさんの荷物があったのでは、駄目なのだ。そして何日も滞在するなら、スイスパスだとか、何とかチケットという数日有効な物を買わなければならないが、いずれにしても相当高い。1週間いれば、電車代が3万円以上にもなる。
 私には世界一の観光環境に胡坐かいて、ぼった食っているだけにしか思えないわけだ。草津みたいな高原など、車の道引けばそれでいい。入場制限したいなら、マイカー止めして、そこに指定バス走らせて、それこそアメリカ並みに無料シャトルにすれば、すべて解決する。バスよりも電車は何倍も維持費がかかっていると思われるのだ。今時ギアと歯車の電車など、ローレックスのねじ巻き時計がセイコーよりもカシオよりもいいといっている、偏屈人間だけである。端的にスイスはある意味偏屈だ。学ぶべき点は30%くらいはあったとしても、残りは批判の対象でしかない。間違えるととんでもないことになる。
 それと欧米にはウォシュレットは全く普及していなくて、遂に1週間で私はあそこが痛くなってきた。メンタム塗りつけたらひりひりする。野沢温泉の安い民宿でもウォシュレットの時代なのに、欧米のこの遅れぶりは何たることかと呆れる。日本から世界に普及した物は、ノーキョー、カラオケそしてウォシュレットである。
 
06・8・12(土)帰国 雨・晴れ
ホテル530〜ジュネーブ1000=1210〜アムステルダム〜成田13日(日)午前中


 国瀬線のチケット手続きとか、手荷物チェックの煩わしさは、そろそろどうにかならないものかと思うのだが。どうして2時間も前に空港に到着しないと駄目なんでしょ。10分前でもOKとか、もう少しは進歩するべき物だと思いますが。
 それでもユーロ圏は、ポケットにライター持ったままでも国際線に乗れます。日本は、およそテロとはほど遠い国なのに、何だか国内線でも見得はって、ライターは没収されますね。アメリカ線はヒステリックに、素足にさせるし、入国に指紋と顔写真とりますよ。んなことまでされて、アメリカに行きたいのか君は、はい、いきたい。
 ホテルをさっさと早朝に出発して、200キロくらい走ってジュネーブ空港へ。昼の便に乗り込んで、途中一回乗り継ぎで成田へ。今日も朝の山は雨でした。スイスも山中はお天気安定しませんね。昼頃のジュネーブは雨も上がっています。
 何だか1週間事故もなく、いつものように慌しく過ぎました。ハイキング主流でしたから、車の走行も1000キロ程度でした。お疲れ様。
 ところで乗り換えアムステルダムは雨で、預けた荷物の乗せ代えも雨に十分さらされたようで、トランクの中まで濡れていたのにはびっくり。荷物詰め替え人夫の質も、相当ひどいものだ。KLMオランダ航空だよ。





八ヶ岳・権現岳 06・7・14 晴れ ☆☆ 登行1200m
観音平450〜青年小屋830=900〜権現岳1040〜1120〜三ツ頭〜木戸口公園〜観音平分岐1500〜観音平1540


 梅雨明け待ちきれず、出張の帰りに小淵沢から八ヶ岳に入る。早朝は上部ガスがかかっていたが、まもなく晴れ。梅雨時期にしては運がいい。

権現岳は全く絵にならない。手前岩峰のギポシ。右奥、権現岳。中間に権現小屋。青年小屋からの縦走路から。

 八ヶ岳の中で権現岳には登ったことがない。30年前には小淵沢の駅から徒歩で登ろうかと計画したこともあったが、今となっては標高1550mの観音平まで入れるわけで、素直に従う。明け方そこに着くとマイカー3台ほど平日だから空いている。さっさと用意して、暑くなる前に登り出す。
 樹林帯の中を延々と登っていき、雲海だとか、押手川を通って、編笠岳の巻き道から、青年小屋まで3時間半。ゆっくりしたペースだ。途中2パーティに抜かれる。青年小屋はブリキの小屋で、小屋番は昨年エベレストに登ったという勇士。ここに昨年浩宮も泊まったとか。百名山を登った二人組みとか、駆け足でここまで2時間で来た単独とか、人は少ないがキャラが濃い人がいる。八ヶ岳は雪が少ないから、雪対応の小屋のスタイルにはなっていないのが、どうも違和感あり。山に雪のかけらもないのも残念。


 30分休んで、上部ガスも切れそうだから、権現岳にいく。ところが日が出てくると、八ツ名物のアブがどんどん集まって、一人当たり30匹くらいが群がってくる。刺されると痛い、かゆい。アブに囲まれながらなお樹林帯を行く。結局アブは頂上まで付いてきた。いつまで樹林なのだと怒りたくなるが、八ツは2500mまで樹林です。いつも思うが火山というのは、松とスギが密生している。ここでもそう。視界が遮られる。ようやく標高2500mを超えると岩稜帯になって、諏訪側から風も吹き上げてきて気持ちがいいし、アブがそういうところは寄ってこない。小屋から1時間半くらいでいよいよ権現岳に迫ってくる。最初にギボシという岩峰が、本峰よりも立派に見えてくるがそこはペンキ印で巻く。その先に権現小屋。これも雪対応になっていない小屋で、周囲の花畑にアブがいてパス。その先で赤岳への主稜線の分かれ道があって、その奥に岩ゴツゴツの権現岳。赤岳は薄いガスが流れて、頂上見えたり隠れたりで、絶好の光景でもある。

縦走路分岐から赤岳

 権現岳の向こうで昼休憩。そよ風が吹き上げて気持ちがいい。ここまで来た時に、帰りは向こうの尾根を回って下ろうと思った。カップラーメン食って出発。

岩峰の頂上と鉄杭

 40分ほどで向こうの三ツ頭に出る。ここから見る赤岳、権現のロケーションは最高だと、そこにいた人に言われた。しかし権現という山は、そう格好のいい山でもない。

三ツ頭方面からの権現岳

 そこから尾根をどんどん下る。こちらの尾根はところどころ樹林も切れていて、向こうに登ってきた編笠岳とか、青年小屋とか良く見える。およそ一気に900m下るのだが、300m下って休みながら行く。三ツ頭過ぎてすぐに樹林に入ると、またアブも来るし暑い。適当にガスってくれればいいと思うが、いつまでも直射がさす。真夏の登山というのは、本当に考え物だ。
 3時間ほどで観音平への分岐に出て、そこは遊歩道になっていて、木道階段がずっと続いていた。そのうちに車デポの観音平に。観光マイカーが増えていた。

石楠花の花は今だけ

 久しぶりに八ツに行ったが、雪が少ない山というのは、雪対応の植生になっていなくて、松やスギの密生にはほとほと疲れた。オフシーズンの健康登山。




苗場山 06・6・24 ☆☆ 晴れ・曇り
和田小屋930〜神楽峰1130〜雷清水1200=1300(下山)〜和田小屋1530


雷清水辺り(神楽峰の先)から苗場山。頂上はガスのなか。神楽峰を越えると、こちら側はスキー場の景色も消えて向こうに苗場が大きい。

 川高OB会。16人。昭和17年生まれ辺りの人が一番元気だ。健康登山の見本のような人たちだ。
 大体苗場山などは、西武の乱獲スキー山だと思っているからこれまで一度としていったことがない。こういうきっかけでもないと、くるチャンスがないから登る。
 マイカー駐車場からゲートを開けてもらって、和田小屋までバスで行く。登山道に入らずに、夏のスキー場斜面を登る。300mくらい急登を登っても、まだまだスキー場がもう一個上にもある。そこから沢沿いの登山道に入って、湿地帯を抜けて、ようやく稜線にでる。ふむふむ、向こうに下っているのは、豪雪で話題になった津南に続く尾根らしい。その先で神楽峰にでる。


神楽峰の稜線に登りあげる緩やかな斜面。

 そこから30分、苗場山に続く尾根を下って、雷清水という水場が最終到達地点とする。湧き水飲みながらラーメン食って、1時間休憩。元気な数人が苗場本峰に向かうが、そこはガスの中。


稜線、残雪の間に見える「顕彰の碑」。苗場という山は新潟からは目立たない山で、明治生まれの長岡の二人が、昭和5年にスキーで初めてこの山に登って、世間に苗場の存在を知らしめたとされる。ということは、スキー登山としては、立山などには遠く及ばず、苗場が知られるようになったのは、比較的新しいということになる。

 飯食ってきた道戻る。斜面にはまだ雪がある。雪が多い。行きはよいよいだが、帰りは疲れる。リフト上部から最後の斜面も長い。帰りに温泉に入っているときに「苗場のメインルートは、秋山郷からだ」と教えてもらう。地図を見て、そうなんだ・・・。こんな山のことはこれまでわざと知識には入れてこなかった、初めて知る。


昭和一桁、および10年代(一人除く)の元気な人たち。下りガスの中、残雪の上で、夏山格好なのに、冬っぽい景色

 神楽峰まではタダのスキー場の評価に値しない山。その向こうの苗場への下り、登り稜線は大きかった。秋山郷から登るとさらに大きいだろうし、近いとも聞く。一応冬用のリストに入れておく。何しろ、雪で通行不能になるほどの豪雪秋山郷は、魅力的な場所であることには違いない。
(高山植物はたくさん咲いていましたが、撮りませんでしたね、シラネアオイが綺麗でした)