一ノ倉沢散策
2003・9・6 晴れ 一ノ倉沢出合い600〜テールリッジ往復〜出合い900
 OB会で群馬県の温泉に行くことになって、そのついでに久しぶりに快晴の一ノ倉沢見学してきました。15年前に比べて夏道が変わっているんですねえ。雪渓が融けた後の今の時期には、谷に入ってすぐに左側のふみ跡に入って、そのままテールリッジへ下降(懸垂下降)する場所まで延々と高巻きしていたと思うんですが、今では最初の高巻きからすぐに河原に下りてしまって、ヒョングリの滝まで河原歩きになりますね。それでヒョングリをやはり左へふみ跡を登って、先の下降点までいきました。まあ時代とともに道が変わることはよくありますが。

水がぴよ〜んと噴水のように跳ね上がっているヒョングリの滝。その奥に衝立スラブと衝立岩

 今回はそのヒョングリを登れないかと思ったのですが、流れの右側に残置ハーケンとシュリンゲあったもので、なんとか水線にとって乗越。ところがその向こうの衝立前沢と本流の合流点が、ザクザクのブロック崩壊のままでしたね。アイゼンでそれ乗越たのはいいとして、さて前沢の合流点から本流の滝が、これ登れないんですよ。というか背後のザクザクブロックが気になってダメ。安易にさっさとルート変えて、さてヒョングリまで戻るか、左側適当に登ってしまうかと。で左小さな沢状が階段っぽくて、これ上がって、上でふみ跡に合流するだろうとの考えで、これ実践。が、やはり一ノ倉のヌル草つきは強敵ですよ。まあ一応登れたのですが、一旦滑ったらと思うとこれ、緊張しましたねえ。踏み跡に合流して大バテ。そこで休憩した後に、下降点まで前進。そこには40M一杯で懸垂用のザイルが残置してありましたね。下降すれば、難なくテールリッジ取り付き。しかし戻るときにはまた登り返しというわけで、ここで引き返してきました。何のために一ノ倉入ったんだと?
 やはり雪渓が融けてしまうと難儀するとともに、さすがに一ノ倉強敵です。油断ならじ。それでもこれまで100回以上も見上げたこの岩壁はやはりいつになっても、素晴らしいものです。他にはどこにもないですねえ、こういう岩壁は。
 午後からは、野反湖仲間と宿泊予定の河原湯温泉で合流しました。4年後にはダムに沈没してしまう温泉です。


針ノ木岳
2003・8・24 快晴  扇沢3・30〜針ノ木峠9・00(山頂往復)12・30〜扇沢15・30
 今年夏の北アの快晴といっても、それは北にいけばいくほど、天気がいいようです。槍穂よりも後立山というわけですよ。5月に途中でやめた針ノ木雪渓登ることにしました。
 
針ノ木雪渓。豊富な残雪でした。向こうに針ノ木岳山頂。

気合入れて暗いうちに出発。ところがです。雪渓取り付きが5・30だったのですが、その雪渓が朝早すぎて固いということで、運動靴では登れません。愕然としました。ちょうど一人小屋番のアルバイト女性が4本爪つけて下ってくるのですが、やはりアイゼン必要。自分の計画至らなさで、大沢小屋に戻って、ここで500円で4本爪貸してくれました。再出発。
 ところが、なんだか運動靴だけの女性がまた登っていくのです。器用にも。私雪渓上り下手なのでしょうか。アイゼンつけると快適ですよ。午前中の雪渓は本当に固い。それに前日のトレースというのも、なんだか消えているんです、こんなに人通りが多いというのに。
 前後して登山靴アイゼンなしというおじさんが登っていますが、なんだか心配ですよねえ。雪渓のノドのあたりは、それでも30度くらいの傾斜あるんでしょうか。滑ったら止まらない感じもするんですよ。私25年くらい前に、大荷物背負ってこの道通ったはずなのですが、全く覚えていませんでした。雪渓は1800から始まって、2150で終わりましたね。短いようだけど、でも長い。

山頂へ向かう道から振り返って、峠の小屋と蓮華岳。

 そこから上部はガレの脇を登山道が登っています。右にカールが見えるのはマヤクボカール。なんで針ノ木カールといわないんでしょうか。針ノ木にカールあることも初めて知りました。峠は2500でした。この雪渓もそうですが上部はガレです。アイゼン履くとやはりコースタイムどおりに大沢小屋から3時間足らずで峠にでましたね。

山頂とマヤクボコルとカール。

 峠にくると、黒部方面の視界が実に素晴らしい。想像以上でした。蓮華、北葛はいいとしても、やはり船窪は自分の目線以下の標高ですよ。それに不動に続くガレは実にやせた稜線です。野口五郎の向こうには、水晶、赤牛の稜線見えますね。その手前が黒部の東沢なのですが、これもかなり流域が広く見えました。上ノ廊下と源流はその向こうでしょ。黒部は遠いなあという感じですよ。それに足元の針ノ木谷は緩やかにダムに向けて高度が落ちていますねえ。

船窪岳の向こうに高瀬ダム。

 峠で朝飯食って、頂上いきます。ここから標高差で300M。ちょっとゴツゴツ登って、カールに入ってトラバースでしたね。双六から三俣蓮華みたいでした。

赤沢岳西尾根の猫ノ耳。画面中央のM字型の岩がそうです。おもしろい。

 登るとスバリ岳、赤沢岳がだんだんよく見えてきます。それと船窪の向こうに高瀬ダム。スバリと赤沢のコルの向こうに、赤沢西尾根の例の猫ノ耳が見えますねえ。ふむ奇妙で面白い。針ノ木頂上まで峠から1時間。ここから黒部ダム見えますが、やはり緑色のこのダムというのは、何だか興ざめ。「アルペンルートのロープウェーが見える」とはしゃいでいる人も多いのですが、そんなに単純にははしゃげませんよ。それにしても、立山からの長大な沢がダムに流れ込んでいて、なんと緩やかで長いのかと感心しますね。そこから左へは稜線が低くなって、薬師岳に繋がっています。3つのカールも実にそれよくわかりますね。でも写真撮ると、夏特有でモヤがかかってそれほどきれいには写りません。マヤクボのコルへはガレが続いて、実に北アらしい。
 
山頂からマヤクボコル。集団が登ってきます。

けっこう長い時間そこにいて、戻ります。峠からはガレから雪渓に入って、午後になると雪渓も緩んで、アイゼンなしでもOKになりますね。でも滑って尻打ちました。そうだ大沢小屋というのは、大正年代からの創業らしいです。アルペンルートなどその後ずっと後にできたもので、でも今は宿泊業務はしていませんね。下界に近くなりすぎました。この辺り堰堤工事が進んでいますが、堰堤があると、6月の大雨鉄砲水に対しては、流れの勢いが低下して、土砂削りが軽減されるからいいことだといっていました。そんなもんでしょうか。この5月には赤沢からの大デブリがあったのですが、赤沢には堰堤ないということです。


三度の鹿島槍・北股谷標高1800Mまで
2003・8・23 快晴 大谷原12・30〜北股谷1800M14・30〜大谷原17・00


 3週間ぶりの北アの快晴なのですが、穂高だけは曇っています。せっかくロープウェーで西穂へと思ったのですが、ガスで敗退。それでもあの濃いガスの中を稜線に向かってみんな行進していきますねえ。私すぐに下山。

 鹿島槍に転進しました。またまた北股谷に様子見に行きます。
 さて雪渓というのは1ヶ月に10メートル融けるということですから、今年の最初の4月から20メートル融けた6月があって、今回はさらに20メートル融けていたのでしょう。しかし、1800から上部の二股へは、まだまだ切れ目なく続いていました。これアイゼンがないと登れませんねえ。それにしても遅くまで残っているものです。翌日に針ノ木雪渓にいきましたが、仕組みは同じようなものですよ。下部の緩傾斜帯に残雪、上部急になってるところでガレ場ということです。

 こちらの写真がほぼ同じ標高1800Mからの6月のカットですが、8月よりも20Mほどの積雪量があるという感じでしょうかね。そういえば4月にはお化け堰堤がほとんど雪の下でしたから。
 この谷は北股谷の本谷とはいっても、なんだか中岩沢分岐では、冷池にあがるその中岩沢の方がまったく本流っぽいのです。あれはデブリのいたずらでしょうか。本流は枝尾根で仕切られてしまったいるようです。それに伏流にもなっている。実に不思議なU字渓谷です。ここの三ノ沢とか二ノ沢とかは、冠さんも取り付いたと今月の岳人に書いてありましたが、最近は登る人も少ないようです。三ノ沢上部のスラブも実にきれいでしたね。登りきると荒沢の頭の少し下、東尾根に到達するようですね。

爺ヶ岳ハイウェー(柏原新道)
2003・8・16(土) 快晴 4・00扇沢〜7・00種池山荘〜9・00爺ヶ岳〜新越山荘12・00
     8・17(日) 雨 6・00〜10・00扇沢

 
この道は、間違いなくハイウェーです、扇沢から種池山荘にいく柏原新道のことです。だって車降りて3時間で後立山の稜線ですよ。下りが2時間、ちょっと急いだけど。標高差1100.どこの山と比べたって、こんなに簡単に主稜線に出られる道はないでしょ、ね、きっと。
 東京では雨だけど、明日こそ快晴ということで出かけました。扇沢の少し手前の登山道入り口出発4時です、ヘッデン点けてね、気合入っていました、登山口にクルマも多かったし。盆休みの最後の週末ですよ。

針ノ木岳と下弦の月

 だってこんな月見える時間に入山ですよ。それに満天の星空。でもねえ日の出遅くなりましたね。秋の気配です。それで1時間登るともう稜線の種池山荘見えました。意外と左の方というか、尾根が爺ヶ岳に向かっているんですが、道は大きくひだりの方にトラバースしているんですね。それがとても歩きやすくてねえ、ドンドン高度が上がります。赤い屋根の小屋ですね。3時間ちょっとでそこに付きました。

種池山荘とバック右が剣岳、左が立山

 で、ここまで登っても快晴です。少し休んでから爺ヶ岳に向かいますね。目の前に大きく広がっています。大町から見ると、爺ヶ岳の南峰と中央峰がこれ双耳峰に見えるんですね。でそそっかしい人は、鹿島槍と間違えてしまうんです。街中からだと爺ヶ岳の方が大きく見えるからですよ。そう私も間違えていました。その検証が本日の山行の一つでもあります。

種池から見える爺ヶ岳。南峰と左に中央峰。

 さて種池からちょっと登ったところから見える爺ヶ岳は大町から見るのの逆になりますね、写真で言えば裏焼き。南峰が右に見えて、中央峰が左ですよ。黒部側から見ていることになります。小屋までの登山道からは、残念ながら全く見えないんです。だから黒部側からのショットだけですね。

爺ヶ岳登り途中からの鹿島槍ヶ岳。断然格好いいですねえ。あの雪庇の残骸、北股谷上部、吊尾根のこちら側に残雪まだありました。

 さて同じくらいの場所から見える鹿島槍ヶ岳は、何なんだという格好で偉大に見えますよ。やっぱり比較にならないくらい圧倒的に素晴らしい。鹿島槍って爺ヶ岳の向こう側じゃなくて、左側なんですよ、ここからだと。見えた瞬間には、いったい何の山だと思ってしまうくらい。黒部川方面に、こんな大きな山あったっけか?とね。それに下界から雲湧いてきました。前線が南のほうにあって、そう伊豆半島に400ミリの雨降らせた前線ですね、その影響でしょう。ちょうど2500くらいまで大町側から雲が押し寄せて、黒部側に雪崩れ込んできましたよ。それ以上は快晴ですから、槍、穂方面もみえましたねえ。これだけで、この山行は大成功だということになります。

爺ヶ岳南峰頂上

 爺の南峰、中央峰踏んで、また種池へ降りました。一緒に行った人はこれからキレットへだとか、その後にはキレットから来たという人に会いましたが、今日このルート辿れた人は大成功でしたね。今年の夏の晴天は、通常半日、よくて一日しか持ちません。まったく2003夏は天気悪いです。

ニッコウキスゲ

 この夏初めてニッコウキスゲ見つけましたね。これは大きな花でしっかりと目立ちました。
 その後、翌日の晴天を期待して、針ノ木方面へと行きましたが、新越小屋で早くもガス、視界100。というよりも、爺から種池へ下った時点ですでにこの標高ではガスですよ。それでやる気なくして小屋泊。
 翌日は朝から雨で、さらに前進する気もなくて、来た道戻ってさっさと下山しました。

扇沢登山口の「爺ヶ岳ハイウェー」(柏原新道)

 そういえば、朝から雨だというのに、19人パーティは朝飯も食わずに4時出発で針ノ木方面に行きましたよ。なんかパワー溢れているって感じ。まあ夏山だからいいけどねえ、しかしねえ。
 ところで積雪期の鹿島槍というのは、爺ヶ岳の東尾根からが初登頂だと最近知りましたが、実はこの爺に登ってから鹿島槍に行くというのは、今ではとてもポピュラーなコースなんですね。このハイウェーは東尾根とはちょっと違うけどまあ平行している似たような道でしょう。この道、種池山荘の2代目柏原さんが、昭和30年代半ばから40年代初めにかけて、切り開いた道だそうですよ。大また開いてよっこいしょというところが、ないんです。雪渓登るようにドンドン高度が上がっていきます。まあ自分の小屋にお客さんたくさん呼ぶために切り開いた道でしょうけど、ツルハシ握って道切り開いたわけですから、これ立派です。なるほど、鹿島槍にいく赤岩尾根は、やっぱり急過ぎます。それに大谷原にはバス通ってないしねえ。ここの扇沢は、アルペンルートのすぐ脇で、交通の要所にありますよ。それに一旦稜線に出てしまうと、爺から鹿島槍は実に歩きやすい。聞いていた通り本当にいい道でした。
 新越小屋で暇だったもんで、資料みてましたけど、深田久弥さんが百名山で鹿島槍に登ったときは、なんと昭和18年と書いてありましたよ。その頃は先代の柏原さんの時代だそうです。で先代は戦時中もずっと小屋番していたそうで、「お客もほとんどこなかったなあ」とありましたね。つまり4年間に数人ってことですか? 今になってみるとこんな話も微笑ましいですが、昭和18年に山登りしていたなど、これって本当?とちょっと驚きですねえ。
1、兵隊に召集されなくても、軍事勤労しなくてよかったのか?
 ええ、学校の先生とか政治家とかは、免除されていましたよ。そんな理由で、小泉純一郎の昭和17年生まれとか、田中真紀子の昭和18年生まれなんて人もいますが、数少ないですよ。でもねえ、だからといって、おおっぴらに山登りして遊んでいていいのかというと、これ見つかったらちょっと大問題になっていたと思うんですね、絶対に。
2、山に逃げ込んでもよかったのか?
 これはそう思いたくなりますが、現実にはほとんど無理だったはずです。息子がそんなことして召集を逃れたりしたならば、代わりに家族が痛い目にあっています。あの帝国主義の軍事体勢の時代にこういうことをした場合は、完全に勘当もので、バチ当たりだったのです。
3、ということは、反体制主義者か山賊か?
 多分山賊なのでしょう。最近北穂小屋の先代がNHKに紹介されていましたが、あの人も戦時中に滝谷登っていた人です。でもそういうこと言えるのは、今の時代になったからです、明らかに。ちょっと前だとそんなこと秘密で他人には言えなかったのです。大正から昭和20年のちょっとまで黒部に山賊がいましたが、三俣山荘のオヤジさんなど、その山賊の弟子みたいな人です。多分先代の柏原さんもきっと山賊だったのでしょ、道切り開いた2代目はその弟子です。ということは深田さんは、山賊と友達だったのです。
 反体制主義者も山賊もそう簡単には誰もなれません。でもこうしていま時代が自由になると、昔の山賊の偉業がとても素晴らしいことに見えます。あの戦争はよくなかったと誰もがいう今の時代に、山賊の偉業が評価されるわけです。

雨水が流れ込む樋

 登山道は、土砂が崩れないようにちゃんと木で止められていたし、石運んで並べて、これも土砂崩れを防いでいました。箱根の旧東海道の石畳のようですね。それに水はけのための樋が、下山の日にはちゃんと雨水を流していましたよ。登山道というのは、その上を雨水がドンドン流れてしまうんですね。それがしっかりとはけていました。
 今度爺ヶ岳にいくときは、種まき爺さんしっかりと見ようと思っています。


中ア・千畳敷と宝剣岳

2003・8・7(木)
ロープウェー千畳敷駅10・30〜宝剣岳12・00〜千畳敷駅14・30


 中央道の駒ヶ根インターから5分で、車を駐車する菅の台。そこでバスに乗り換えて40分で、ロープウェーのしらび平駅。標高1600。ここから8分で標高1000を登る千畳敷駅へ。
 思っていたよりも宝剣岳のカールのど真ん中の駅に到着しました。まあ言われるだけあって、カールは立派なものです。そのカールの底を1周する遊歩道が約30分。歩道の一番向こうから、カールの割れ目を登って、宝剣岳まで1時間。とりあえずガスの切れ目を狙って、せっかくここまで来たんだからと山頂めざします。標高差300.

千畳敷と宝剣岳。中央右に、山頂に向かうカールの割れ目。中央左が宝剣岳山頂。頂上部の30メートルくらいは、火山岩でゴツゴツしていました。

登りが急になるところが、八丁坂。でもまあ、道はしっかりしています。観光客も多いしね。この山も尾瀬のようにツアー客が多くて、ロープウェー降りたら、自由時間4時間とか5時間とかいろいろあります。5時間くらいあれば、宝剣岳往復して、木曽駒にもいけるでしょう。

カールへの登りの八丁坂。

 カールはお花畑ですね。ちゃんとロープが張ってあって「入ってはいけません」。中には、水芭蕉の葉だけが大きくなったような、小梅なんとかという毒草もありました。

これ、トリカブトだそうです。

 いやそればかりではなくて、根っこを食べると死んでしまうという、トリカブトもあるんです。これも高山植物? バスに乗ったときに隣にいたベテラン添乗員によると、ここは、日本で最大、唯一のカール地形だと。まあ最大というのは、薬師岳のカールよりも大きい気がしましたが、唯一というのは、観光でいける唯一ということらしいです。まあたしかに。
 1時間半くらい歩いて、宝剣岳は、ガスの中を登りました。さてその向こうに木曽駒ケ岳もあるんですが、ガスのために行っていません。それに晴れなかったもんで見る事もできませんでした。でもなんとなく丸っこい高原状の山がそのようです。

下山の途中からのロープウェー駅。カールの底というか、ちょっと横斜面にありますね。
 登ってきた道を戻ります。やはり皆午前中に登って、午後は降りはじめます。日帰りが多いですよ。登るときにカールを半周しましたから、戻るときには残りを半周して、底は1周したことになります。帰りのロープウェーは混雑で1時間待ちでした。食堂で飯食っていました。

 千畳敷の問題点
 さてここからが、山行の本題に入ります。千畳敷のロープウェーというのは、高度差にしても、山頂駅の標高2600にしても、日本一で、世界でも有数なのですが、それに開業が昭和42年(1967年)で、開業36年にもなるんですが、なぜいい評判をあまり聞かないのでしょう。「もう一回行きたいわ」とか、「絶対にいいから、キミもいってみなさい」という話を聞きません。また4月以降はこの千畳敷で春スキーもできるのですが、何故か山好スキー仲間でも評判になりません。つまり結論は「おもしろくないところだ」というわけなのです。世界有数の設備であり、日本でも最大のカールであるのに、その始末なのです。なぜでしょう。私も今回初めていって、思ったとおりにいや〜な予感がしていたのが、大当たりしました。

 中途半端な観光開発
 最大の原因はこれにつきます。なぜ標高2600までロープウェーを設備してしまったのか、という問題は当時の環境庁がここまでは許可してしまったからです。それはまあよしとしましょう。俗に言われる「登山とは健康人だけのわがままではいけない」ということに従えば、健康ではなくても、ある程度山にいける施設は必要です。そのために施設したことは、譲って許すとしましょう。けど問題はその後です。例えば、ここは非常にうるさいのです。2800の稜線にたっても「ロープウェーの整理券の何番はご乗車できます」というような、馬鹿でかいスピーカーの音が、宝剣の山頂まで鳴り響いてくるのです。そんなもの、駅にいる客だけに聞こえれば十分なのに、とにかく騒々しい。山で静かに過ごしたい人に、これは暴力になるのです。
 さらに、この辺りに宿泊施設についてですが、まずロープウェーの山頂駅に「ホテル千畳敷」があります。といっても、昔の社宅みたいなもんで、駅の2階がそうなのです。問題はそれが、この日にも空き室があったということ。つまり最大のシーズン中でも不人気。宿泊費が2人で泊まったとしても、一人19000円というぼったくりだったこと。それよりもまず、バスとロープウェーの往復が一人3800円という、これ黒部アルペンルートに比べても割高ですよ。半額でいい。また1時間ほど歩いた稜線の平坦地には、2軒の山小屋があるのですが、この1軒は営業していないようだったし、もう1軒にしても、ドアに「休憩300円、トイレ使用200円」と嫌がらせのような張り紙だしていて、これじゃ、客はくるなとういことなのです。中もちょっと覗いてみるけど、客いません。これだけの観光地なのに。それに古ちいつくりで、入ってみようという気も起こさせない山小屋。くもの巣がかかっていてもそれは納得してしまうほど。他に木曽駒の方にも山小屋が何軒かあるのですが、どうせ似たようなものでしょう。それに小屋は水汲みのポンプの音がものすごくうるさい。ポンプの管が、登山道を邪魔しています。
 実は私は、東京の下界が暑っ苦しいから、この2800辺りで一晩泊まろうかとも思ったのですが「こんなぼろっちくて、愛想がないんじゃ泊まるのもいやだ」と思ったしだいなんです。しかもほとんどの小屋は、このロープウェーと同じ会社が経営しています。つまり利権商売で堕落してしまっているんですよ。それにまた稜線で今回のように雨が降ったり、風が強くなったときに、逃げ込んだり隠れる場所がないんです。あるいは晴れているときに弁当食べるテーブルもない。ようするに、ロープウェーを施設したという既得権なかで、長年の間に堕落してしまっているんです。それを誰も咎めないから、こんなことがまかり通っているわけです。これじゃだれも「また行きたいわ」という気持ちになりません。稜線にオシャレなテーブルがあって、コーヒー飲んだり、テラスで山見たりできるのが、常識ですよ。観光地なんですから。それがない。上高地以下です。
 ここにしても、西穂のロープウェーにしても、黒部のアルペンルートにしても、こういう施設というのは、大自然というテーマパークなのです。これは安上がりですよ。主催者が何もしなくても、勝手に積雪、雪解け、夏山、秋の紅葉と自然が変化してくれる。だからまあ客はいきますよ。それに対して、ディスにーランドも、後楽園遊園地も、富士急ハイランドも、客が飽きてしまわないように、いろんな出し物用意して変えているでしょ。変えられない遊園地は、船橋のザウスとか向丘遊園のように倒産しましたね。でもここはそんなことしなくてもいいから便利なんです。それでも行った客に快適性を与えるように努力くらいして欲しい。千畳敷みても、田舎物が東京タワー見たときと同じで、「わーすごい」の1回限りなんですよ。それ以上の快適さがない。だから失敗しているんです。私も二度といきたくない。人にも勧められない。行きたいという人には「まあお化け屋敷も一回くらいは見たいだろうから」と、止めやしませんが。
 国内の国立公園は何でいつもこうなんでしょう。これじゃ国民は心配して「もうロープウェーという自然破壊は作るな」ということで一致します。今の千畳敷なら、ロープウェーも小屋も撤去した方がいいんです、このままなら。
 私はロープウェーが自然破壊だとは思いませんよ。そこにまた行きたいなあと思うくらいのものならば。でもねえ、南アのスーパー林道のように、これ今年は山梨側は結局道路陥没でだめなんでしょ。つまりその程度のものだったら最初から作るなということなんですよ。どうせ作ったのなら、スーパー林道にも上高地なみに、バス頻繁に走らせろと思うんですね。
 欧米の国立公園など見てしまうと、この違いは如実です。ヨセミテもイエローストーンもグランドキャニオンも、あるいはシャモニでもサンモリッツでもコルチナでもいいけど、ちゃんと観光老人もクライマーもどちらも楽しめるようになってるでしょ。それにリピーターがほとんど。私だってまた何度でも行きたいですよ。
 まあ環境庁が一度許可して、その後は役人に議員もなんかうまい汁すって、既得権を保護してあげるだけだから、こうなってしまう。今度は自然保護のNPOから議員を出して、大幅に改善させるか、営業権を別の業者に変更してしまわない限り、千畳敷はそのうちに倒産してしまうと思うんですよ、本当にね。そうそう、新潟の八海山の西武のロープウェーも倒産しそうですが。


双六岳・三俣蓮華岳〜千丈乗越(槍ヶ岳下)

2003・8・2(土)
新穂高4・00〜蒲田川左俣〜鏡平9・00〜弓折岳〜双六山荘12・00〜三俣蓮華岳15・00〜双六山荘16・30(宿泊)
2003・8・3(日)
双六山荘5・00〜西鎌尾根〜千丈乗越9・00〜下山〜槍平〜新穂高16・00


 
8・2は東京の梅雨明け初日でございます。山に行かずしてどこにいく? ひと月前の、神岡の和佐府〜北ノ俣岳に続いて、黒部源流への第2弾は、やはり双六岳から三俣蓮華岳へのルートになったわけです。
 前夜元気に東京出発しましたが、何と諏訪から雨、松本も上宝も雨で、ゴア着て出発する頃になんだか雨上がり。しかも新穂高の無料駐車場もやはり夜中からの混雑満車で、ずるくも適当な路肩見つけて出発してしまいました。すると1時間後になんだか青空覗いて、梅雨明けといっても気まぐれでした。
 蒲田川左俣からわさび平へ。お客さんやっぱり多いですねえ。ちょうど5時半頃で、玄関開けて朝食とってました。やはり梅雨明け初日なのでしょう。人がどんどん合流してきました。

 
 そうだ、その手前に穴毛(あなげ)というお下品な名前の谷がありましたが、これ女性のあそこが命名だと看板に書いてありましたよ。まったくHです。でもここ岩のルートなのですが、それにしても、堰堤に食い物にされている谷でした。ちょうど笠が岳へいくのワンゲル姉さんたちが通り過ぎましたが、看板見てなかったですね。また暗かったし。

 わさび平過ぎからの秩父谷。手前から斜め右へ。上部そのまま登ってしまうと、右の弓折岳へ。夏道は雪渓辺りから右へ巻いている。

 わさび平からしばらくして、尾根への取り付きの秩父谷にはいります。この谷、取り付きから稜線までしっかり見えるんですよ。もう青空でてきましたね。夏だからよく分かりますが、取り付きもあの河原下流特有のゴロタ石。でも表面はなんだか歩きやすいように削れていますね。そうです、ここ老朽化したカールなんですよ。こんなに標高低いのに。鹿島槍の北股谷のU字渓谷と同じです。それにこのゴロタ石鏡平まで続いているし、さらに稜線から、なんと双六小屋まで続いているんですよ。だって、まさにスキーで登ってくださいというような、トロ〜ンとした傾斜の谷でしょ。それがそのまま稜線までですよ。上部のシシウドが原からそのまま稜線までいけそうだし、夏道はトラバーズして鏡平にいってますが。こんなにトロッチイ谷なんて他には絶対にありません。明らかに古いカール地形なんです。秩父岩なんていうのは、カール山頂のその残骸ですね。
 私ここ通ったの初めてだし、もう今回はキョロキョロオジサンで、まったく速度が遅いんです。年取って初めて分かることって多いですよ。

秩父谷の雪渓。切れ目なくてきれいですよねえ。

 
斜めに登っていって、秩父谷です。美しさに見とれて、持ってきたコンビニ朝飯弁当など食べだして、下山してきたオバサンに「おいしそうねえ」とか、もう真っ盛りの混雑夏山の気分満喫してました。地図で見れば、秩父小沢とかいろいろあるんですが、こんなのカールの中の小さなシワですから、どうとでもトラバースできるに、なんも問題ないですね、雪あったときの話で。いまだとブッシュでそれダメですが。夏はしっかりペンキにそって歩かないとねえ。
 鏡平へ抜ける分岐(シシウドが原)に出ると、尾根少し右に巻いて、またゴロタ石の小沢歩きます。それが鏡平へ続いているわけですねえ。この辺もう雲ノ平と同じというか、どこでもなだらかで、こんな高原みたいなとこあっていいのか知らんと、頬緩みっぱなしで進んでいきます。で大体コースタイムどおりでしたか、鏡平の小屋にでますね。標高2300。新穂高が1100だから1200登ってきたわけですよ。9時頃ですね。下山の人も大勢いました。小学生の子連れ登山とか、夏休みの雰囲気かもし出しています。「双六までいってきた」とか、子供。あるいは携帯で「新穂高に今日の宿泊できますか」と予約していたり。この人中学生連れで、広島からのようでした。全国からきてますね。昨日まで雨模様で残念の様子。

 小屋から北方面がこれですね。西鎌の樅沢(もみざわ)岳。この山ねえ、ちっとも有名じゃないですが、実は大いに意味有ですよ、きっと。弓折の稜線は実はこの樅沢に繋がっているですが、左側の双六谷がまったく平地みたいな谷で、夏道も冬もそこに入って、双六小屋にでますね。どうして稜線伝いにいかないのかというと、これけっこう急なんです。左には巻けても、右には巻けないし。この巻けないという急なのがどころどころにあるのが、きっと難儀になってきます、そのうちに。でも写真右端は、硫黄乗越で(稜線の向こう側が硫黄尾根)で、そこからこっち側はこれまたノロマなほどの緩斜面。でも問題はどうやって、その出だしまで行くんだ? ああ、樅沢のこっちも、その右も、さらに硫黄乗越も、やはりこれカールですよ。北アルプスは全山カール地形か?

 東側覗くと、槍ですね。西鎌の続きでした。このから見ると、飛騨沢急に見えました。バベルの塔の西壁って感じ。やはりカールだね。あんなに急でそうすんだと。槍の左に子槍。そして、北鎌の稜線でした。これでキョロキョロしないでどうすんだと。小屋でカキ氷(500円)売ってて、レモン味食ったりして、もうのんびりムードになってしまいました。

登りついた稜線から双六岳と南峰(左側)。のんびりカールです。

 でもまあ、いい加減休んで稜線に向かって登ります。ちょっとだけ急ですが、尾根そのものは緩やかですね。これ弓折尾根です。で1時間足らずで、笠が岳〜双六岳の主稜線に上がります。するとその向こう側に見えたのが、この双六岳。この穏やかさ。春にはずっと遊んでいっていいよという感じだねえ。南峰から南稜というのも、コースらしいですよ。もう思わず立ち止まってしまいますね。足元など見ずにキョロキョロオヤジでした。そんなことでなんだか眠くなったりして、途中で15分くらいだったですが昼寝。登山者の足音で目が覚めました。道は例の樅沢を左に巻くように、そのまま樅沢〜双六のコルの小屋に到着します。2500ですね。双六の2800まで標高差300。樅沢もけっこう急になっていて、風が強いらしいです、小屋周辺は。

 鷲羽岳。双六小屋正面。

 小屋に着くと正面に鷲羽岳。左に下りてくる稜線が裏銀ですよ。その登りきったところが三俣蓮華のはずですが、ちょっと陰になってます。三俣蓮華の小屋の赤い屋根はここから見えますね。
 小屋で昼ですから、うどん食べたり、早速宿泊予約。早くしないと定員200人の小屋に、今日は倍泊まるかもしれないと。で予約というかチェックインですが、なんと夕飯16・30でした。食堂で3回転させて、17・30と18・30とその後、その食堂で宿泊の人もいたようです。この夏一番の混雑でしたか? いやそうでもなく数日前の方が混んでいたような。こういう混雑経験もたまにはいいでしょう。
 さて、夕飯までの4時間どこへ? さっさと部屋に入った人も多かったですが、やはり黒部源流見に行かないとというか、三俣蓮華までいかないといけませんよねえ。飯食った後に出発。

 20分上ると、分岐です。稜線ルートと巻き道ルート。巻き道はカールトラバースですよ。山は下から見たほうがいいというのと、私カールフェチですから、下行きます。ここから見て、中央が丸山という稜線途中の山で、その向こうが三俣蓮華ですね。実はここから、すぐそこにカール1個。その向こうに丸山のカール。さらに向こうに三俣蓮華のカールがあって、山頂に行くまで3つカールあるんです。中くらいに老化したカールですよ。傾斜も超ルーズ。遊ぶにも最適です。こんなにノロッチイ山が連続していてホントにいいの?って感じでした。キョロの連続なのです。
 そだここで上から降りてきた高校生っぽい3人組に聞きました。よくわかんなかったもんで。「アレが三俣蓮華」というと、いや「双六じゃないかなあ?」。??「すると三俣蓮華は?」「アレですよ」と指差すのが、鷲羽岳なのです。登山者ってこんなもんでしょう。道どおりに行けば、必ずどっかには着く。1個や2個山間違えても問題なし。何でもいいから周囲に山があればよし。登った山頂の標識は覚えているが、その山を遠くから見ても、その名前は分からない。
 まあ平和なのですが、まともに相手にしてはいけないなあと。

 例によって、お花畑はいくらでもありますね。でも小さい花が多いんです。私実家が浦和で、そこの荒川の河川敷の秋が瀬という場所は「さくらそう」の名所なんですよ。養殖っぽいですが。最近アザラシのタマちゃんが住んでいる近くですが。あの花は5センチくらいで小さくて、なんかコマクサもシナノなんとかも、サクラソウの色違いにしか見えないんです。でもこれは大きくて違いが分かりましたね。ユリ?ですか。私高山植物は、ヒマワリとチューリップとアサガオくらいしか分からなくて、ダメなのです^^。

 けっこうガスも流れてくるんですが、その三俣蓮華岳分かりました。右側のただダンゴみたいにゴツゴツしてるのが、そうなんですよ。わずかにそれだけ。手前の雪渓2個はやはりカールですよ。そのゴツゴツどうにか登りましたが、向こう側に巻き道あるんですね、やはり。巻いて黒部五郎方面に続いていました。人間やっぱりゴツゴツは嫌いです。

三俣蓮華岳からの、黒部源流と左が祖父岳(左)。向こうの稜線は水晶岳。

 やはり山頂は感動的ですね。小屋の夕飯の時間に間に合いそうもなかったのですが、これ登らないでどうすんの?ということです。薬師岳方面はガスで見えません。ギリギリ雲ノ平の小屋の赤い屋根は見えました。黒部の源流大変よいです。それに水晶岳は源流では最高峰ですね。これと鷲羽岳、さらにの野口五郎岳が源流の大三角形と名前を付けて、いずれも2900です素晴らし過ぎました。
 なんだか、小屋から3時間近くもかかってるんです。ホントにのんびりで。15時過ぎました。1時間半で戻らないと夕飯どうでしょう。帰りはけっこう止まらずに歩いて、10分遅れくらいで食堂につけました。ビール飲んで円満解決。ただ飯後、一旦すぐ寝てしまったために、21時頃に目覚めて3時間くらいなんだか深夜の小屋をウロウロしてました。

 8・3は梅雨明け二日目だというのに、ガスがけっこう流れています。煙幕のようですね。朝食4時半からというもんで、すぐ食べて、さっさと出発。昨日大満足してしまったために、今日は冷やかしで西鎌尾根を槍ヶ岳方面にいきます。でやはり樅沢岳は、朝から急登で、ノロノロ。しかもガスの中で視界は100メートルくらい。でも日が出れば晴れるだろうというだけ。登り下りをノソノソと永遠にという感じです。景色も見えません。ところが、8時頃に千丈乗越が近くなるとやはり張れて来ましたねえ。硫黄尾根が見えて、北鎌尾根が見えて、槍ヶ岳もしっかりと視界に。でもこっちからだと逆光で写真はうまく取れません。順光だと歩いてきた方角ですね。

 1枚だけ写してもらって、背景は登ってきた西鎌方面ですよ。鷲羽岳も見えますか? 
 千丈乗越の標識入れて、この向こうは槍です。ここまでくるとけっこう大きく見えますねえ。それよりも、千丈沢はこれもなだらかでとてもいいです。でも下っても途中までで、最近は湯俣までちゃんといけないんですね。下って下が流れで通行止めだとこれひどいことになる。槍は夏の混雑の様子です。穂先の登山者もここから見えるし、またここで小屋の昼飯弁当を食べてると9時ってことで、もう昨日の大満足で、下山しますね。槍は見るだけで十分。それに飛騨沢もここからだとそれほど急でもなくて、適当斜面になります。山は近くから見ないとダメですよ。
 あとはどんどん下るだけ。見る見る快晴になって、まさに夏山でした。半ズボンが似合います。槍平、滝谷出合いと続きますよ。

滝谷出合い。雄滝がしっかりと見えますね。その向こうに厚い雪渓。

 滝谷出合いでこれだけ晴れてしっかり見えたのは、これも初めてでした。水量も多いものです。魅力的ですよね。昔の山渓のアルパインガイドに、確か「滝谷出合いは、予想を裏切るような貧相な流れだ」と書いてあって、私それトラウマでした。イメージ悪いです。でも今日は全然違う。本流の蒲田川右俣とそれほど遜色ない。滝谷らしいですよ立派です。それに槍平から下りてくる途中では、滝谷E、F沢がしっかり確認できるでしょ。沢の切れ込みもそうとうなものですよ。アレ書いた渡辺なにがしだと思ったけど、でたらめ書くなって、30年振りに思い出しました。私高校生の頃読んだ記憶ありましたね。そのトラウマで結局私1度も滝谷登ったことありません。5月に稜線からD沢下降して合流点からB沢登行という変な雪渓下り登りしたことがありましたが。子供はろくでもないガイドブックでも信用してしまうんだね。それに逆説的に滝谷誉めたつもりかもしれないが、文章力ゼロですよ、まったく。
 出合いちょっと手前の藤木のレリーフも見てきました。でも春先のこの滝谷のデブリは相当なものでしょ。石も一緒に流れてきますよ。堆積してますから、土手のように。それにここ過ぎるとなぎ倒されている木がとても多い。滝谷ならではでした。
 この下流にチビ谷ありますが、ここはヨーロッパの冬の北壁三冠王だった星野さんの遭難現場ですね。なんかしんみりして流れの水飲みましたが。
 そして白出沢合流のあと林道にでますが、これも堰堤の巣窟で、まったく汚らしいです。書くのもいやになる。新穂高の100メートル上流でもいまダム作っていますからねえ。何なんだアレ。
 上高地は冬だと河童橋から河原でスキー履けますが、ここだと白出しまでは、絶対に河原で履けないことがよくわかりました。お粗末、とど松、十姉妹。

谷川岳・一ノ倉沢出合 八海山(新潟) 7・13(日)
一ノ倉沢出合5・00〜5・30
八海山山頂駅(4合目)12・00〜女人堂(6合目)13・00−14・00〜山頂駅14・40

 小雨とガスでしたね。どんよりしてます。それでも一ノ倉出合には静岡ナンバーのクルマとかけっこう集まっていますね。


まったくガスっている一ノ倉沢出合

 やっぱりここは便利ですよ。何しろクルマで取り付き間でいけるんですから。それにソーラーハウスの公衆トイレとかできていました。3月にもここにきましたが、雪のないときはまたイメージが大いに違っています。それと雪渓が多いような気がします。テールリッジまでしっかり雪渓が残っています。でもこの天気では中に入る気がしなくて、すぐに帰ってきました。
 暇につき慰霊塔いってみましたが、平成になってからでも遭難死がなかった年はないんですねえ。私の友人が亡くなった昭和の50年代には、年間に25人も遭難死があった年もありました。やはり谷川は異常です。この山に登る度に重苦しい気分になるのと、やはり一ノ倉の濡れている逆層の岩場は、理屈抜きのほかのどこよりも登りにくいということなのです。慎重すぎるということはありませんね。


 山頂駅付近からの八海山

 新潟県の方が天気予報がよかったもので、午後は八海山にいって見ました。ロープウェーで上がったときにちょうどガスが晴れて、山頂付近まで見渡せました。この日は標高400から1000までがガスでその上が若干晴れていました。不思議な天気です。停滞前線でも寒冷が強かったのでしょう。

6合目の女人堂・すぐ脇に避難小屋

 1時間かけて6合目まで行きましたが、それ以上はガスっていて、もう気力なしで下山しました。20年前にここはスキー場として開発されましたが、当時は4人乗りゴンドラが、白馬のアダムとかイブのようにかかっていましたが、一昨年に80人乗りの大型ゴンドラに付け変わっていましたね。この方が耐風に強いようです。でも輸送人員は減少したわけで、それもスキー客が少なくなったためにしょうがないことのようです。やはり梅雨が明けないことにはしょうがないですね。今週末には大丈夫なのでしょうか。この日曜は下界ではよく雨が降っていたようです。


「こころ」の撮影に使われた朝倉医院 現在は空き家となっている

 帰りは五十沢温泉の露天風呂にしましたが、ここはNHKの「こころ」のロケ現場だったそうで、盛り上がっていました。



北ノ俣岳・薬師岳7・5(土)〜6(日)
ルート 岐阜県神岡〜飛越トンネル5・10〜寺地山8・10〜北ノ俣岳11・10〜薬師岳16・00〜太郎小屋17・40
    7・6 太郎6・50〜北ノ俣岳8・20〜飛越トンネル13・20

 雪の残っている山にまたいきたくなった。先週の続きになる。神岡の飛越トンネルからのルートは、積雪期に北アに入るときの定番ルートになっているようだ。グレードも低くない。いずれスキーをやっていれば、ここから北アに必然と入ることになる。その偵察も兼ねて出かけてみる。例によって梅雨どきの気まぐれ天気の合間を縫っていくわけだから、多少の覚悟はしていたが。朝5時前に現地に着く。ちょっと前に先行者が二人いるようだ。5時過ぎに出発。取りあえずの目標が、3時間で寺地山。さらに3時間で北の俣岳。出発が標高1450.北ノ俣が2600.

寺地山 1996メートル

 この尾根、大蛇が寝そべっているようにハッキリしないことでも有名である。交差点でもないのに、寺地山に行くまでに直角に曲がるところが2回。地図見ながら、ふむふむと。別に支尾根から取り付くわけでもないのだが、いずれも稜線が均等に分かれていて、登りついた稜線を左折すること2回。要するに登りはいいとしても、下ってくるときに尾根を間違えてしまうだろうということなのだ。途中何度も振り返りながら、尾根の形を覚えつつ、予定どうりに寺地山へ。まあこの道が黒部の源流に近づく近道といわけなのだ。


寺地山からの北ノ俣岳。でかいなあ。

 ここまで来ると後は一直線なのだが、寺地山からの下りでついに目の前にどでかい北ノ俣岳に遭遇。とにかくこの辺の山は、平べったくででかいのだ。まあそれでも小屋泊まりの予定で荷物も軽いし、3時間歩けばつくのかなあと思えば気も楽なのだが。ここから少しくだって、向こうにまた少し登ると、といっても均等くらいのところに、北ノ俣避難小屋2050がある。けっこう山の麓にあるんだなあ。



 今回気がついたのは、この辺は湿地帯が多いってことです。北ノ俣では2300まで。薬師岳にいたっては2500でも水芭蕉が咲いているんですよ。山頂直下まで尾瀬ヶ原かって感じ。水芭蕉って考えてみれば湿地帯の雑草ですか。登山道のど真ん中にも嫌がらせのように咲いてますねえ。もちろんよけ切れませんよ。いくつか踏んずけてしまいましたよ。それに花が散った後の水芭蕉ってのは、なんだか大根の葉っぱみたいに、葉が大きくなりますねえ。異常なくらいに。アマゾンの方に怪しい食虫植物ありますが、なんだかそれに似て気持ち悪いなあ、ホントに。
 さて1時間ほどで、その避難小屋の分岐に来ましたが(分岐から徒歩2分で小屋)、しかし行きは時間もなさそうでそのまま前進。ここから木道が始まりましたね。尾瀬に比べると立派な木道です。階段状になっていて、標高差で100続いているんです。しかも目の前の北ノ俣に一直線で。ちょっと露骨でいやになりましたね。でもこの木の階段はすっかり乾いていて、腰降ろしたとたんに、しばし居眠りしてしまいました。気持ちいいです。
 気を取り直してまたまた前進。湿地帯をのそのそ登って、そのうちに這い松に変わって、頂上見えるんですがなかなか着かずに、それでもなんとか予定通りに到着。

北ノ俣山頂から薬師岳。(北側)



黒部源流と鷲羽、水晶岳。(東側)



黒部五郎岳(南側)

 稜線に出ると、黒部側がくっきり見えました。感動的ですねえ。何年ぶりでしょうねえ、というようりも、初登頂ですよ。20年前にというか、あの頃56豪雪という年があって、昭和56年の1,2月のことで、その年の夏にダムから上の廊下遡行したことはあったんですが、そのときは谷底ですから、こういう景色は見てないですよ。それにこちら側は雪が多い。先週に秀山荘(池袋)でガイドの森さんに会ったのですが、やはり東側に残雪が多いということ聞きました。剣でも池ノ谷よりも、八つ峰側ですよね。ここでもやはりそうです。季節風の吹き溜まりが積雪量を多くしているってことです、だから遅くまで解けない。薬師岳みても、薬師沢が豊富な残雪で頂上近くまでありますよ。ねえ、これだから春にここに来る人は、皆源流に滑り込んでいますよねえ。スキーヤーにとっては桃源郷ですよ、まったく。そうだ、登りついた足元にも残雪ありましたね。それと黒部五郎と鷲羽と水晶は百名山だと地図に載っていて、やはりそういう山はそれなりに立派な形しているなあと。もちろん薬師もそうだけど。景色と地図にらめっこしているといくら時間あっても足りません。この日はずっとお天気だし、だーれもいないし。いつまでもこうしていたいという誘惑に駆られてしまいますよねえ。
 というわけにも行かずに、太郎目指して下ります。1時間少しで太郎小屋につきましたね。何だかプレハブの田舎の食堂みたいな建物でしたが、しかしこの場所にあるというのは、大助かり。早速宿泊予約してしまって、「薬師岳まで往復できる?」と。登り3時間、下り2時間。現在1時。夕食6時だそうです。ギリギリだけど、天気のいいうちに登ってしまうに限ると。少し休んだだけで出発。荷物デポしてほとんど空身です。
 標高2300から2900まで600登るのですが、最初は50くらい下ってしまうんですね。薬師沢の乗り越しまでですが。そこから沢沿いに少し雪渓あるとこ登って、薬師平のまたまた湿地帯。その上に薬師の小屋やって、ガラ場が続いて、東南尾根合流。さらに20分尾根沿いに前進でした。とにかく初めてですしねえ、夏の縦走みたいでしたよ。


薬師岳中央カール



金作谷カール

 薬師岳にいって何がしたかったかといえば、カール覗き込むことでした。国の天然記念物になっているそうで、ならばアイゼンで下って記念物に踏み跡作ってしまいたかったのですが、アイゼンは小屋に置いてきてしまったし、時間がないから今回は無理ですね。でも5月にはここ滑るボーダーが山盛りだったそうですよ。こういう氷河地形っって、素晴らしいなあ。時間あったらここ下って遊ぶの絶対にいいですよ。もう一つ南に南稜カールあるんですが、それ東南稜進まないと見られないのでいってません。それに薬師にくると、いつもあの昭和38年の遭難について、誰かがいうし、地図にもそれ載っていますからねえ。吹雪の日に集団がそれぞれ他人に依存していると、こういう不幸あるんですね。教訓です。
 薬師岳までくると、槍穂高が見えるし、もちろん後立山も、剣も一望ですよ。西風が相当強いのに、山頂から5メートル東に入ると無風ってのも、面白すぎます。冠さんもここだったし、そういえば飛越高原の天の夕顔という変わり者オジサンも、この薬師岳にゆえんありますよ。このお二人とも昭和一桁の時代の薬師だし、加藤文太郎さんもその頃の冬の薬師岳でしたねえ。いわく大有りの山なのです。
 このでもまた後ろ髪惹かれるように4時調度に下山しました。2時間あれば戻れるだろうと。しかしその時間からも山頂目指してくる空身いるんですよ。天気のいい夏山ってのは、日没まで元気にみんな山で遊んでいます。
 太郎小屋に下山したのがちょうど夕飯時。タイミングよすぎます。さっさと飯食ってすぐに寝てしまいました。宿泊10人でした。太郎小屋はGW期間中だけは営業しているそうです。スキーヤーのベースになっているようだし、その頃で小屋前が積雪4メートルだといってます。今年は10日間ほどで280人のお客さんのようですね(連泊多し)。メイン客は多分この飛越からのルートですよ。あと立山からの縦走組みと、ヘリでいきなり上がってくる関係者スキーもいるんだとか。そしてまた休業して、6月1日から再開してます。とっても良さそうな感じ。宿泊は統一されているようで、2食付で8500円。私10年ぶりくらいの小屋泊まりでした。でも癖になりそう。
 翌日は5時半に朝食できてましたね。まったく自動的でよいです。しかしこの日は視界50メートルの霧雨ですよ。梅雨だからねえ。それでも宿泊のうち4人は薬師岳いくんですと。根性あります。小屋のママも「気をつけてね」と。止めないんですね。夏だし。まあ世間はそんなもんか。私だって北ノ俣登り返して帰るんですけどね。視界が利かないっていると、すぐ冬思い出して、トレースもないのに、50メートルではちょっと動けません。でも今はちゃんと道ついているし、平気なんです。夏山ってそうだったけか。木道たどって赤ペンキ辿って北ノ俣岳にまた着きました。実は昨日はこの分岐から10分の頂上往復してなかったんです。だから今日こそと山頂まで。何にも見えなくて風少々。さっさと下っていきました。
 
北ノ俣避難小屋

 さてこれが予想外に反して快適過ぎるその、北ノ俣の避難小屋でした。これも分岐から徒歩2分を昨日は回避してしまったために、今日はちゃんと着てみました。10人程度のその小屋は、暖マットが敷き詰められているし、聞いていた通り柱時計まで着いている。トイレは裏口にあり、水場がドラム缶に沢の水がどんどん流れ込んでいます。冬でも使えますねえ。下の階段は多分埋まるでしょうが。これ良すぎます。冬にこの道通る人が皆いいといっていたわけ、やっと分かりました。絶対にまたくる。確かに入山口の道標に「夏のウイークエンドは、満員になってしまいますからお早めに」とかいてありましたが、そうでしょうね。ここで20分ほど休んで下山。下山したら晴れになってました。

6・15 大冷川西俣出合 猿倉 駒ケ岳(海川)
 実はこの週末の降水確率は60%だったのですが、昨日も晴れ間はあったし、今日も曇りで雨はわずか。梅雨の予報というのもけっこういい方にはずれすもんです。そんなわけで帰京もせずに現地に留まって、この日は大冷川から鹿島槍を見に行きましたね。大谷原から1時間登って西俣出合。さらに30分ほどで雪渓が現れて北俣本谷がずっと続いています。これ今の時期なら雪渓登れそうらしいのですが、この日は曇りで山頂はみえないし。しかしそれにしても豪快な眺めですねえ。アホな堰堤ばっかりどかどかあるのが気になりますが、それに赤岩尾根の夏道はその堰堤の中のトンネルくぐっているんですよ。黒部のアルペンルートじゃあるまいし、沢の水の下に道作ってどうすんだ?と。4月にはどか〜んとしたデブリもありましたが、それもすっかり消えて、雪渓はおとなしくなってますねえ。西俣にしても実に雪渓が細くなっているしねえ。仮に小雨が降っても、傘差してプラプラ散策するのもいいなあって、来たわけですよ。6月の山っていうのは、そう紹介されているわけじゃないですが、どんよりした雪渓というのも、なんか魅力ありますねえ。今日はそういうわけで、見ただけです。
 さてまだ昼前だし、というわけで猿倉にも行ってみました。でもこちらは白馬の大雪渓の人気ルートですから登山客もけっこういますねえ。小屋から1時間で雪渓末端、さらに30分で雪渓尻の小屋です。まだまだスキーできそうな雰囲気ですよ。それに流れる風もひんやりしています。雪渓の上だからねえ。昨日は稜線ではあの1000人は宿泊できるという小屋に、客は4人。他にテントが3張りだったそうです。まだ梅雨の真っ只中ですから。ここもいい雰囲気かもし出していましたねえ。
 その後まだ時間があるっていうわけで、大糸線の根知から入る海川いきました。駒ケ岳の麓に三峡パークという公園が整備されていて、そこから千丈岳の岩壁。いや駒ケ岳そのものも岩壁に囲まれたすごいとこですねえ。名前は20年前から知ってましたが、見たのは初めてですよ。その公園から徒歩1時間で「越後の上高地」にいけるそうですよ。海川の取水口が平坦になっているそうです。ところが雪解けで増水している海川本流橋もなくて渡るようになっているんですよ「7月まで渡らないで下さい」だと。そんな上高地ってあるかあ?
 でも見た目絶対に登れそうもない駒ケ岳にハイキングコースあるらしくて、今度登ってみたいですねえ。でも今か秋くらいで、夏は暑そうです。
 ついでに有名な不動川も見ましたねえ。来海沢(くるみざわ)から粟倉(あわくら)という集落にいってその川見れるんですが、昔6級グレードが付いていた沢ですよ。集落の名前聞いただけでぞっとしたものですが、来てみるとのどかなもんですねえ。それに周辺の根知は平野で米作りしてますよ。実際に見てみないとわかんないもんです。ちなみにこの辺の山は400万年前の海底火山の溶岩跡の隆起らしいです。その後海川の浸食でできたようです。ですよねえ、じゃないとこんな山の形になりませんよ。それと昔の「さわがに山岳会」は、地元の発電所のクラブのようです。尾瀬と一緒ですね、発電所が地主なんでしょう(尾瀬の地主は国有林じゃなくて、東京電力ですね)。
 帰りは糸魚川から直江津〜長野〜東京で久しぶりというか、この高速は初めて乗りました。料金高い!。途中、名立(なだち)の「うみてらす」という温泉に入ってきました。変な名前、三セクの経営ですからしょうがないです。
 西俣出合5;00 白馬大雪渓12;00 三峡パーク15;00 不動川17;00


6.21 上高地

 
 目的は明日の日曜日。私だけ現地入りして上高地で暇つぶし。2時間かけて岳沢ヒュッテまで遊びにいきました。小屋のオジサンが言ってました。重太郎新道が登れるようになったのはつい最近。連休から5月いっぱいは、奥明神沢上って明神から前穂にいくしかなかったようです。重太郎のトラバースがあまりにも危険だったそうですよ。ふむふむ残雪期ってのは、そんなもんかい。というなら、ここから扇沢つめて、直接奥穂高に登ちゃうってのは、どうかねえと思いましたが、言いませんでした。小屋のおじさんって怖いし。実はこの6月ってのは、雪渓登りには絶妙な時期なんですよ。ところで5千尺ホテルでは、結婚式やってましたねえ。河童橋でその記念撮影。こういうカップルって山好きなのかというと、実はそうでもなかったりして。でも披露宴の客もここまで呼び出されたんじゃ大変だよねえ。しかし、オシャレな場所でジューンブライドですねえ。私20年前にそんなアイデアありませんでしたよ。でもこの日も雨降らなくてよかったです。1週間前には50パーセントの降水確率だったのに、台風が金曜日にいってしまって、降水ゼロ確率出てました。空梅雨です。






6・22 鹿島槍・幻の大雪渓(北俣谷)
 こんなルート夢にきまっています。年間に6月だけは、足元の大谷原というクルマでいける下界から、望遠する鹿島槍の北峰と南峰の吊尾根にいきなり飛び出してしまうという大雪渓が出現するのです。しかも直線の最短距離。こんなこと信じられますか。どの本にも載っていません。そう北俣本谷を直接上ってしまうのです。しかも標高1500から標高差で1200。一切の雪渓の割れ目がないという、到達地点は2700です。ありえねえ話。でもある人に教えてもらいました。多分うそじゃない。けど最大斜度45度。美しいバラにはとげがある。失敗したら敗退しよう。でもいってみたい。
 大谷原でパートナーとの合流午前3時、出発午前3時40分。しかも今日はたまたま夏至ですよ。なのに、ヘッデンつけての出発。こんな気合の入れ方ってある?
 2時間かけて林道と、堰堤乗り越しの河原歩き。雪渓末端までは順調。雪渓てのは、実に手っ取り早く高度上げられるもんですよ。何しろデコボコなくて一直線にあがっていきますから。白馬大雪渓登ったことある人なら誰でもしってます。


(1700地点・向こうに鎌尾根。その向こうに主稜線)

 1700過ぎるとゴルジュに入ります。怖いよねえ。実は2ヶ月前の4月にここの少ししたまでスキーでのん気に冷やかしにきたのですが、そのとき標高差5メートルの巨大デブリが延々1キロ以上も続いていて、その通過後はまさにボブスレーコースだったんですよ。見ただけで逃げました。でも2ヶ月たっておとなしくなってます。悪い子デブリは溶けてしまったんですね、ナメクジのように。ざまあ身晒せ。


(ゴルジュの向こうに鹿島槍稜線。左端が南峰、右端が北峰。吊尾根はここまで来てもなお一層美しい)

 怖いといっても1回ずうずうしくも、ゴルジュに突っ込んでしまうと、もう慢性化しますね。神経図太くなります。落石で黒くなったところ避けるようにいきますが、これもそのうちに慢性化。南峰から真っ直ぐに手前に降りてくる稜線は、ダイレクト尾根です。大林がいつか3月にここ登りたいといってましたが、これ取り付くまでに雪崩にやられるでしょう。取り付き2200くらいですよ。


(本谷上部二股・2300)

 ダイレクト尾根見送るとまもなく本谷上部二股になります。といってもこんなのどこにも書いてないし、2万5千見たって分かりゃしません。教えてくれたその親切な人に聞いていたのです。ここで左俣と右俣に別れますね。左俣いくと南峰直下、右俣いくと北峰直下。ほんと?なんだかどっちにいっても甘い誘惑ありそうです。親切人は2週間前に左俣いきました。理由は右俣は「切れている」。なんでそんなことまで知ってんの? でも私そのこと忘れてしまいました。ここで見ると右俣傾斜が緩く見えます。それに南峰もいいけど、実は下界から見ると北峰が高く見えますね、この吊尾根。だから北峰に向かいます、はい。


(急になってます、2400)

 だんだん雪渓急になってきます、いやです。実はこの2400の先でやはりというか、雪渓5メートルだけ割れていました。だったら飛び越えろ? ご冗談を。降りることはできても登りかえすことはできない。右は岩。さて少し戻って左は? 最悪敗退。親切人のいうこと聞いておけばよかった(後悔)。しかしパートナーのルートファインディング見事で、少し下降して左から草付き登って岩下降して切れ目の10メートル先に戻れました。この高巻きざっと1時間ですよ。雪渓は切れると本当に怖い。


(吊尾根見えました。でもまだ遠くて)

 高巻き終わると、さらに急傾斜。でももう開き直ってます。吊尾根も見えてきますが、まだ2500。200も残っていますねえ。それに心配した雪渓はもう大丈夫。十分な雪で溢れています。ただ時間ロスしたために雪柔らかくなっていたし、7時に2300の二股通過したのに、もう9時過ぎ。太陽ガンガン出てきました。ハアハアいってのろまで、ピッチ上がりません。


(終了点間近。南峰が見える)

 さらに2時間ほどかかってようやく11時つり尾根にでました。こちら側にはべっとり雪が残っています。本当に1200の高度差で雪渓続いていたんですねえ。吊尾根の北峰直下。美女のシルクのドレス伝わってここまで登れたわけです。こんな絶品なルート他には絶対にありません。近年まれにみる痛快な登山でした。


(南峰頂上・背後は北峰)

 さて北峰踏んで、南峰踏んで、しかし下降は同ルート下降する気になれません。大ばてです。冷小屋経由で赤岩尾根です。12時半に南峰でて、大谷原に下山したのは6時半。15時間の登山になりました。ちなみにですねえ。親切人は左俣登って、同ルートスキー滑降したんですよ。1200の標高差をやく1時間でくだって、クルマまで2時間半、登降ごうけいで7時間だそうですよ。まあ連中はエクストリーマーのセミプロですから、驚くに値しませんが。それにしても親切人のおかげで、夢の大雪登行楽しめました。最高です。


白萩川・池ノ谷出合 6.27(金)
 梅雨にも関わらず、先週の癖が抜けずに、池ノ谷の様子はどうかなとでかけました。朝4時に現地では雨。6時に起きなおして曇り、下界の方が少し晴れていたために、もうアイゼンも持たなくて冷やかし半分になりましたね。


(白萩川・タカノスワリ)

 確か20年位前の5月に、ここに下山しただけでほとんどうろ覚えです。それで馬場島から工事中の林道を上がっていって、取水口まではいいのですが、多分この辺りから高巻いたはずなのにそれ見落としてそのまま河原進んでいきました。そこからわずかに30分で、例のタカノスワリらしいところに出ましたね。通常簡単に巻いてしまうと見学できないところです。でこれ、やっぱり沢沿い面倒くさそうですね。でも貴重な写真です。それで左に草付き登るところに古いロープ発見してそれ登り、実はそれから若干手間取りました。正規の高まきじゃなくて、適当高巻きだからですよ。で30分ばかりやぶこぐと、藪の間から池ノ谷の出合見えましたね。ちょっと割れた雪渓で合流してました。しかし見えるもののその場にいけず、実は敗退覚悟で左に下りて帰ろうと思ったのですが、5分降りたところでなんと、正規高巻きに合流しました。おおラッキーということで、それまた登り返してコルから下り、ついにまた白萩川に下りられました。そこ池ノ谷出合の、ちょうどそこでした。でふみ跡はそのまま河原左側を前進して、20分。


(白萩川渡渉点・小窓尾根へ)

 渡渉点にでましたね。雪解け以降にロープ張ってあります。脛くらいの感じの渡渉ですねえ。これ渡って小窓尾根へ取り付くわけですよ。ここまでにスノーブリッジ崩壊跡ありましたが、問題ないです。ここまで馬場島から3時間。午前10時。道間違えましたからねえ。でもうこの日はあっさり帰る事に決めましたね。地図によればここから標高差500登って小窓尾根、さらに下って池ノ谷ですからねえ。でもまあルート思い出したから良かったです。
 帰りは正規の踏み跡行きましたから、1時間半で馬場島でした。おお、早い。先の取水口の直前左側が巻き道の取り付きでした。案内板が草に隠れていやがんの。
 剣の雰囲気はいいもんですね、やはり。それとなんだか取水下で白萩川の流れを変えてまで、また新たな堰堤工事してましたね。山荒らしてどうすんのって感じ。
(7・00馬場島 10・00白萩川渡渉点11;00 12・40馬場島)
 


(有峰湖から薬師岳)

 ところで午後は暇すぎて、有峰いきました。ダムサイトから薬師岳見えましたねえ。まだまだ客はいなくて、7月10日からバスが開通すると、100名山オバサンが大勢来るといってましたね。残雪もわずかです。オバサンは昼前にここから登りだして、薬師小屋で一泊、翌日往復してここに下山という日程が多いらしいですね。登山時間にはいろんな説があるようですが、太郎平まで早くて3時間、そこから薬師岳まで3時間、下山が合計4時間としても往復10時間で、日帰りは難しいらしいですね。それにこの有料林道の開通が午前7時ですから。夜間は閉鎖ですね。何だか排他的。
 そだビジターセンターのオジサンも行ってましたが、冠松次郎の時代でも富山県人はとくにエリートの芦くらの人夫は鼻高で、だから東京の冠さんは高山や神岡など岐阜の人夫と黒部に入って、それも神岡からの旧道で寺地山のルートからだったそうですよ。けっして立山からは入らなかったようです。この有峰の林道の有料にしても、毎年開通が6月になる遅いのも、富山気質と関係ありそうですよ。
 夕方からは飛越トンネル抜けて、飛越高原に入りました。平均標高900.ここ実にいいところです。打保、和差府はじめ、伊西、森茂などずっと高原が展開してますね。それに観光標識も行き届いています。なんだか岐阜県知事がこの高原が大好きで観光に力入れているそうです。飛越トンネル抜けたすぐそこ1450が寺地山、北ノ俣岳の取り付きですね。標高高くていいです。寺地山1996は、1996年に地元のオバサンたちが登山道整備したそうです。打保からの道よりも、こちらが人気でてますよ。

神岡・妻籠 6・28(土)

(ノーベル賞・スーパーカミオカンデ入り口)

 さて翌日は朝から雨。登山する元気なく観光です。最近は神岡に行くことはまずないですねえ。滝谷から転落すると神岡警察の世話になるくらいで、なるほど平湯辺りからでは、高山と神岡は等距離で、しかも神岡に出てしまうと、さらに田舎鉄道に乗ってJRの田舎駅にでないといけないという、不便からですね。それに富山の神通川のいたいいたい病という、不幸の歴史あります。世の中理解が難しいのは、自衛隊のある町、在日米軍のいる町、鉱山・炭鉱跡の町ですね。
 しかし私は、例のスーパーカミオカンデに乗せられて、神岡に行ってしまいました。町中に「ノーベル賞おめでとう」の垂れ幕ですよ。あの小柴さんはしょっちゅう街中で食事して泊まっていたそうで「会ったことある」という人多かったです。あのカミオカンデは鉱山跡を使ってますよ。地元の人は、例のいたいいたい病にしても「でっちあげだ」という人もいるんです。裁判では三井鉱山が負けたらしいですが。まあ昔の国策会社ですから地元には責任ありませんね。でそのノーベル施設なのですが、いったい神岡のどこにあるのかというと、これが実は地元の人もよく知らないのです。なぜなら公表してしまうと人が押しかけて、危険すぎるというわけですよ。でも山屋さんならルートファインディングいいですから、かんたんです。私このトンネル入り口見つけたときには感激しましたねえ。NHKで3回くらい見たトンネルですから。この地下1000にあの電球化け物施設があるわけですよ。見学は無理です。それにちょうどトンネル開いていて、記念撮影ですよ。職員が撮ってくれました、親切。実は先の飛越高原ですが、これ跡津川の上流であって、その下流というのはゴルジュになっているんですね、道ないです。その道ないゴルジュの山というのが、実は神岡鉱山の一角なんですよ。なるほどねえ。有峰からこっちにくる悪路に、大和多峠ありますね、延々その道がいずれ国道41にぶつかりますが、そのぶつかる直近500くらいのところに、この入り口あるんです。まあ国道から入れば簡単ですが。跡津川のゴルジュ脇でもありますね。市街地から15キロ遠方ってとこですね、はい。


(中山道・妻籠宿)

 神岡にいても、高山で下呂でも、東京への近道はやはり安房トンネルで、例の釜トンの直前通って帰るのがいいわけですよ。でもさすがにそれいやで、何を考えたか下呂から山越えて加子母村、付知町、南木曾と御岳トラバースルートで妻籠きました。下界の観光地は100名山オバサンとはまた違った雰囲気ありますね。
 その後中アの南端を越えて飯田にでますが、その辺りにも大平高原とかありますね。クロカンのことを考えるなら、この高原というのは冬の利用価値は実にたかいものがありますよ。それに恵那山にいく、簡単なスキー場も発見できたし。まあ天気雨模様でしたから景色期待できませんが、それにしても東京から富山や岐阜方面は実に遠い。行き富山まで400キロ、帰りはそれ以上でしょう、二日で1100キロ走行しました。

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