2007 Fall         トップへ



仙丈岳 07・11・3 ☆☆☆ 快晴 登行1000m
仙流荘600〜バス〜北沢峠700=710〜森林限界2650m900〜小仙丈岳100〜頂上1110〜仙丈小屋1140=1200〜小仙丈岳1300〜北沢峠1520


小仙丈岳から小仙丈カール。頂上は向こうに隠れている。

 2週前に北岳から遠望できたし、深田オジサンも南アでは仙丈だといっていることだし、林道バスもこの週末が年内最終だということで、仙丈岳にいく。
 仙流荘にはそこそこのクルマ。6時のバスにのって、運転手の案内を聞きながら1時間で北沢峠。天幕もっている人も半分くらいいるが、日帰りも半分くらい。さっさと登り出す。
 シラビソの樹林帯を登るが、間もなく対岸に雪をつけた甲斐駒が見えてくる。積雪は2週前に降っただけなのだが、それがまだ融けていない。北岳からは仙丈の雪はほとんど見えなかったのだが、来て見れば適当な雪は付いている。甲斐駒にも付いている。摩利支天を従えた甲斐駒は近くから見ればかなり格好良く見える。過去に何度も通った道なのだが、過去のことはすべて忘れていた。

こちら反対側の藪沢カール。

 2650mでいきなり這松帯になって森林限界を越える。いつものように片足だけアイゼン付ける。西側から風が強い。
 小仙丈まで1時間の登り。樹林も消えたから目の前に急登が迫っていて露骨である。右には藪沢の小屋。少し上にはロッジの二軒が見えている。藪沢も森林限界の境目に建っていてよく見える。そこへのトラバース道は、閉鎖されていた。

さらにもう一つ大仙丈カール。

 小仙丈を通り過ぎてドンドン上へいく。風も強くて、頑張らないと頂上へいけない恐れもある。さてこのあたりから、小仙丈カールがお洒落に見えてくる。カールにはかなり積雪があるのだが、2週前に北岳から見たときは全然分からなくて、雪というのは目の前に出てみなければ分からない。やっぱりアイゼンつけないと登れないわけで、雪の判断は難しい。
 稜線を忠実に辿って、二つのピークを巻くと、いよいよ頂上に迫る。先客が10人ほどいる。

峻峰北岳と、向こうに俗物富士。

 そのまま頂上通り過ぎて、さて向こう側に行って仙丈小屋まで下れるかどうか。少し踏み跡が付いていて行ってみる。踏み跡も切れたが下れそうでそのまま下っていく。大回りして間もなく仙丈小屋にでる。最近新築された小屋で、冬期小屋も冬期トイレも風力発電も備えている。誰もこっちに下ってこないわけで、ゆっくり休憩トイレ散策。藪沢カールの底にあるこの小屋は立地としては実におしゃれではあるのだが、雪崩にやられないというのは、積雪の少なさだろう。普通だったら危なすぎる。

雪が少し残っている甲斐駒・摩利支

 昼になった。下山バスは16時だから下る。稜線まで少し登って後は下るだけ。15時20分北沢峠に戻るが、臨時バスが何台も走っていて、そんなのいいのか?最終の前の臨時に乗る。思えば登行で1000m。先週の大山とあまり代わりがないと思うと、三千mも何だかなあ?




鳥取・大山 1709m 07・10・28 標高差900m ☆☆
P600〜夏山登山道〜六合730〜頂上900=940〜石室経由下山〜五合分岐1040〜元谷下山〜P1200

大山頂上剣ヶ峰は崩壊で進入禁止。向こうのとんがり。頂上は弥山(みせん)になっている。

 世間では鳥取が人口60万人を割り込んでドンドン寂れているとニュースに流れる。んなわけで鳥取大山(だいせん)。しかし、おおやまとしか読めないよ。大仙という町が秋田にあるし。
 前日台風の中を飛んで、夜に現地。泊まって未明から動き出す。だけどさ、この山、真北から登っていくんです。西鎌尾根もそうだけど、朝の逆光登りって何だか気持ちが落ち込む。「山陰自動車道」の無料区間なんて現地にはあるんだけど、東京では日本海側といっているのに、陰とは地元は自覚しているのか?

 登り始めて驚いた。この道は全ルート木道階段になっている。登山に来たのに階段登り。木道がレールだとすれば、私は人間モノレールか?百名山もいやおうなく、多分まもなく全山がこうなる。仕方がない。その前に寿命を迎えたい。

緩傾斜の頂上付近はキャラボクといったか、這松になりきらない松の密生で紅葉しない。延々と続く。

 900mも登るのだが、整備されていてドンドン高度は上がる。しかし逆光で風景が白っぽくぼやけて、直射に向かって登っていく。大山の北壁が冬の素晴らしいルートだと聞いていたのだが、それも良く見えない。北岳バットレスも何だか?と思っている登山者に大山北壁といっても、スケールはさらに小さいのは仕方がない。

逆光の北壁

 いまさらながらよ〜く思い出してみると、北壁というのは、国内では要するにガレでしかないわけだ。カールは東か南側にしか育たない。なのに、過去北壁北壁と叫んでいた小西政継のようなクライマーに幼少の私は騙された。そこが唯一無比に困難なものかと。だたガレが凍りついた冬に登るという行為に過ぎない。登山者が登るべきして登る理由のある壁は、いまさらながら東と南のカールだと改めて思う。もちろん冬も含めて。
 1時間半で半分くらいにでた。ブナ林が消えて急に視界が開ける。でもやはり、独立峰だからねえ。町と海が見えるのはいいけれど、ちょっと違うなあ。

帰りがけ下から見返す大山。中央付近までクルマでいって、手前右に登っていく尾根をいく。

 さらに1時間半で頂上に着く。なんとこの紅葉シーズンのこの日は、千人くらいの登山者がいたと思われる。後から後からドンドンくる。下る時間にドンドン登ってくる。全国の山が多分そうでしょう。頂上でオニギリくってから、来た道下る。頂上付近では石室を経由する道で下り、真ん中からは元谷(もとだに)経由で下る。噴火口の北側は、ボロボロに崩れて堰堤工事の山盛りだった。そのまま神社の奥社に出て、なが〜い石畳を観光客と降りてPに戻る。広島岡山四国大阪からも登山者は来ていた。どうでもいい話だが、この鳥取島根行で私は全都道府県に立ち寄ったことになった。





南ア・北岳 ☆☆☆☆
07・10・20 快晴 11度
芦安500〜バスで広河原600〜大樺沢二俣900=930〜右股〜小太郎尾根1130〜北岳肩の小屋1230=1315〜頂上1400=1430〜下山肩の小屋1500


右俣カール台地2500mから北岳本峰、カール、積雪、紅葉

 次男坊の提案で北岳へ。明け方までに芦安。500のバスというか、乗り合いタクシーで広河原へ。夜叉神トンネルを抜けたときに、運転手が山は雪だといい、見上げると稜線真っ白で驚き。昨日からの雨はしっかり南アでも雪だったようで、紅葉と雪でなんだかわくわく。もちろんアイゼンもってきたよ。
 大樺沢の登山道を登る。過去に何度かきたのは、20年前が最新で、ほとんど忘れている道を再確認しながら登る。紅葉はもう少し上の方だ。二俣から八本歯方面へは登山道の崩壊で通行止めとはなっているが、登っている人もいる。代わりに右俣へと言われても、とっさに意味が分からず、そうかあ大樺沢の左俣が八本歯で右俣は小太郎尾へ向っていた。
 右俣登山道に入ると道は登りやすく整備されている。1時間登るとそこに台地があって、頂上方面への景色もいい。さらにバットレスも間近に見える。右俣は明らかに北岳のカールになっていた。紅葉も標高2300m辺りがその盛りか。


小太郎尾根に出ると、冬山

 その上、思ったよりも簡単に草すべりからの合流に出て、小太郎尾根に出る。西風が相当強い。そこから積雪の上をいく。積雪は15センチくらい。小一時間登って、肩の小屋へ。こちからか見る北岳は向こうから見るほどそそり立っているわけでもなく。広河原から見上げるものと同じ感じ。肩の小屋は標高3000mの強風の中に建っていた。
 小屋でうどんを食って30分ほど休憩。快晴の今のうちに登ろうと頂上へ出発。一足だけ持ってきたアイゼンを片方ずつつけて登る。少しの積雪に岩も露出していて、そういう場合は、この方法は相当に登り易い。左右の足にそれぞれ人格を持たせて登る。

小屋の上から見下ろし。遠景は甲斐駒ヶ岳。積雪じゃなくて花崗岩が白い。

 小屋から標高差で200mで40分ほどで頂上に立つ。快晴の強風は西側は相当に強いのだが、1m東にずれると無風。頂上のベンチはその東側にある。ところで山頂には、3193mの表示。山は知らぬ間に1m高くなったのか。向こう側に間ノ岳、農鳥岳、塩見岳なんでも見える。富士ももちろん、中ア、八ヶ岳、奥秩父から丹沢まで。北アは雲の中で今日はまだ雪か。無風のベンチで30分休む。戻り始めたら登山者とすれ違う。「北岳には二度とこられないかもしれないから」と、息子は長居をしてしっかり景色を見るという。ははあ学生の人生観とはそんなもの。一日中昼ねしていても、その日は二度とないわけで、その違いが分からないと、まあそんな話を延々とする。

頂上から間ノ岳、右奥に塩見岳。左に農鳥岳

 小屋は紅葉シーズンでかなり込んでいた。運動靴で来た人は、頂上には登れない。食事後も何だかダラダラ話して、就寝。晩秋というか初冬シーズンは、紅葉と雪で楽しい。強風の稜線は間違いなく冬である。毛糸の帽子にオーバー手。


10・21 快晴 −6度
肩の小屋700〜草すべり〜広河原1100


 南アの小屋は朝飯も早くて、寝室の電気は4時に点灯され、朝飯5時。5時50分頃の日の出は富士山の左側からで、快晴なのだがそこだけ雲が少しある。山梨県人は、この日の出と富士の関係が重要で、ダイヤモンド富士は田貫湖だとか、笊ヶ岳の頂上だとか、そういうのが生きがいらしい。


外は相当に寒い。だるまストーブに補給する鍋の水は氷が浮いている。その後ダラダラ用意して今日は下るだけで、7時にアイゼンで下り始める。小屋番がピッケルで急傾斜を整地していて、アイゼンなしが多いとこれだから困る。何でアイゼンけちってもってこないのか?嵩張るからなのだろうか?
 昨日と同じ強風尾根を歩いて、右に下り出せばもう夏山と一緒。草すべりから御池小屋を通って下山。御池小屋も数度の雪崩で潰されて新築されていた。南アでも平気で雪崩があるのだが、道路は7月から開通するとかで、5,6月にここに入るのは事実上不可能となっている。
PS 3年前に野呂川林道(南ア林道公園線)はマイカー規制されたのはいいのだが、土日で4回、平日で2回しかゲートが開かない。朝5時、7時、10時……なんて具合だ。でそのバスに合わせて乗り合いタクシーがあるのだが、出発時間はバスと一緒で、1日に4回。どういうことだ。北岳も相当に登りにくい山となった。山梨県は、実はこんな林道は廃止したいと思っている。野呂川林道は50年前に開通したとしても、毎年過去に50回崩落して、毎年修復作業をしている、金食い虫でもある。そのために時間規制してその間は工事しているというのだが、工事が終わっても時間規制は環境保護だと分からないことを言い出す。林道そのものには雪など降らないのだが、6月末まで冬期期間として閉鎖されて、いまどき5,6月を楽しめない地域などわずかなものなのだが、ここもそれに該当している。「所詮山梨県のやっていることだから」と、評判は最悪でもあった。




北八ヶ岳 ☆☆ 07・10・14 晴れ
縞枯山荘650〜五辻〜茶臼山830〜縞枯山900〜三つ岩山1130〜北横岳1300〜ロープウェー駅1400

 前日クラブOB15人が縞枯山荘に集まってOB会。夕方のロープウェーで上がる。一泊する。
 翌日明け方快晴で、んじゃ縦走するしかない。北八ヶ岳などはめったに来ないところだし。入沢君とお喋りしながら縞枯山を目指す。

 縞枯、立ち枯れは自然現象ですから、何もしないでそのまま保存。季節風が立ち枯れを脅かして、しかし日光がよく当たるからシラビソの幼木が育って、少しずつ移動する。

 縞枯は、火山の栄養分の少ない貧困な土地に、シラビソが密集して、それが季節風の影響で部分的に立ち枯れて、その立ち枯れが移動するという奇妙な現象らしい。年間に1mくらい移動するようで、今でもあちこちに立ち枯れている。普通ならブナ林になってそんなことにはならないのだが、ブナも育たないという火山の土壌である。従って針葉樹だから紅葉もなくて、ただ標高が高いから寒いだけ。色気がない山である。


 遠くからみると、部分的にえぐられたように立ち枯れている。

 三つ岩にいくと、鬼押し出しの真中歩いているような岩のゴツゴツ。北八つは、火山の鬼押し出しの上に、シラビソがたまっただけの山で、雪もろくに降らずにスキー場もない。子供がクロカンするくらい。何だか熱帯の高山地形というだけで、魅力は感じない。山ごと青木が原の樹海のようだ。


 三つ岩周辺は火山岩をザクザク越えていく。

 ただこんな所に、二つも百名山、蓼科山、美ヶ原があって、これが世の中を大いに混乱させている。


ロープウェー駅前の坪庭の、火山岩の庭園。OB最高齢は会長84歳。




北ア・南岳〜大キレット〜北穂高岳 ☆☆☆
07・10・6〜7 快晴
新穂高600〜槍平1100=1130〜南岳1540



北穂夕焼け 北穂〜ドーム〜涸沢岳

 今まで30年登山やってきて大キレットを通過したことがない。槍ヶ岳までは正月の北鎌、5月の北鎌、夏の西鎌と近づいてきたのだが、その先は断念。あるいは逆からでも、5月の涸沢岳、5月の北穂B沢コルから北穂までなんてこともあったが、未経験。昨年この時期に降雪にあって、綺麗な紅葉は堪能したものの、再度挑戦。
 新穂高は真夏並みのピークで、深夜にどうにかPして、仮眠後に出発。ちょっと遅くなった。でも歩き始めるとさほどの客でもなくて、チビ谷出合いまで一気に3時間でいく。いつもこの林道歩くと思うのだが、穂高牧場まで林道いっても山道いっても、時間が同じことを確認する。ちゃんとした登山道作ってくれるのが一番いいけれど。例によって新穂高周辺や柳谷で大規模な堰堤林道工事中。その柳谷の工事仮設トイレで用足しして、早くもトラックの工事オジサンに「雪が降るから工事も急ぎでたいへんなんだよ」と挨拶して、じゃ冬に見に来ましょうか。
 チビ谷で大休止、お茶沸かして、滝谷で水汲んで槍平。すのこの上で日干ししながら、またまた茶沸かして弁当。昨年もここから南岳へ登って知った道。のんびり歩く。


南岳新道の標高2700m この道今年から100m起きに高度標識できたのだけれど、いまどき皆高度計くらい持っていると思うんだけど。この標識は昨年もありましたが。背景は北穂滝谷。

 小屋に付いて、驚いた満員。6畳に12人寝ることになって、途中で起き出して廊下で寝る。これじゃ無雪期はテントにするしかないのか? にしても、小屋締め間近で、夕飯に玉子料理じゃ力がでない。せめて焼肉、ハンバーグ、チキンはないものか。最近は30歳代登山者も増えてきて、またまた登山はブームか?


笠ヶ岳への日没。午後5時34分。

 日没は付近で撮影大会のようなデジカメ人間が山盛り。その後満点の星空になる。若い兄ちゃん「デジカメって露出が難しいですね」「写真など今から始めても無意味。焼き付けモノクロ時代じゃないとね」と思う。オヤジ化? デジカメブームは登山客も増やしている。

10・7 快晴
 南岳630〜大キレット〜北穂高1000〜ドーム〜涸沢岳〜白出しコル1230=1300〜白出し下山〜出合い1720〜新穂高1910



南岳側からの大キレット

 いよいよ30年来の目的、大キレット。ルートの詳細は、もう嫌になるほど世間にあふれている。ガラガラと獅子鼻を下って、今年新設された鉄梯子2個下る。思っていたより安心で、あれは撮影アングルによって、谷底を渡る梯子のように思うが、んな危険なことはない。
 長谷川ピークの手前でキレットの底。小屋からわずかに250m下るだけなのだが、何だか緊張した。ここでまた岩陰で朝の用事。


キレット最低コルから横尾谷方面。右の台地が北穂の池まだ水があります。


反対北穂側からの大キレット。

 ところでなんて長谷川ピークなのでしょう。長谷川恒夫が冬の滝谷に単独で登るときに、実は飛騨側からのこのキレット尾根〜ピーク〜北穂というルートが最短で安全だと言ったのでしょうか?想像ですが。
 このピークはへつりの連続でけっきょくピークは踏まず。下るとA沢のコル。ここから右側が滝谷になる。見上げると北穂へは岩の急登だね、やっぱり。
 過去10年くらい散々岩登りをやっていたのだが、何故か滝谷には一度も来たことがないという反省がある。ずっと前の5月に、涸沢に定着していたときに、滝谷見学をしようということで、滝谷D沢を合流点まで下降して、B沢を登り返して、北穂直下に出たことがあったのだが、今思うと、これは失敗だった。何にも見えない。稜線東側の涸沢カールは、カールからすべての穂高が見渡せる最高のロケーションなのだが、反対側の同じ標高2300mの合流点は、ただの狭いガレの底であって、何の楽しみもなかったわけだ。当たり前で、東側はすべての谷のカールであり、西側はただのガレなのだが、その固いガレが滝谷であり、見学とは、この一般登山道を登ることだったのだが、それを過去やったことがなかったというのが理由である。滝谷の良さを知らずして、どうしてここが登れよう。けっきょく仲間同様に、谷川一ノ倉の圧倒的な美しいカール谷ばかりに通って若い時代は終わってしまったということだ。その反省も兼ねている。
 さて北穂の登りは、登山道とはいっても、過去に岩登りをやっていた杵柄のせいで、不安はない。が、誰もがけっこう足早に登っていく。単独のオバサンなんて人もいたのだが、遅いのだが確かに登っている。この縦走とはそういうものなのか? 傍観者である。
 ペンキマークが正確だし、クサリも縦横に走っているし、でも気分は真面目で、でも写真をたくさん撮りながら、大キレットは北穂側からの方が、綺麗に見えるとも思う。


北穂への登り。

 少し登って、B沢のコルにでる。この先は経験があるのだが、当時雪壁だけに終始していて、夏の今の方が岩ゴツゴツで面白い。数週前に、逆方向の登山者から、ハング下にスタンスのボルトがあると言われたところに出る。ふむ、そういわれれば逆方向だとスタンスが見えにくい。ザイル出していた初心者3人組みを追い抜いていく。
 そしてジグザクいくと、いきなり北穂の小屋の前。前を通過しないと向こうに行けないのは富士山の小屋みたいだが、しかし狭いところによくぞ建てて、しかもテラスが崖の上で、皆でそこから展望楽しんでいるなどは、フランスっぽい。ヘルンリ小屋も同高度だったっけか。ここで昼飯。多分今シーズン最後の無雪期快晴でしょう。ところで北穂の小屋は11月3日まで営業していた(現在も?)とかで、ある年には雪に閉じ込められて従業員はヘリで下山したなんてテレビでやっていたことがあったが、そのとき出演していた先代はもう、亡くなったようだ。小屋のバイトは愛想なしでそんなことは知らないらしい。先代は戦時中に徴兵から逃げてこの小屋を作ったはずで(当時は非国民なのだろうが)、気骨な人だった。今ではみんなが誉める。


北穂松浪岩脇C沢上部と笠ヶ岳

 北穂北峰ののどかなテラスにでて、あとは楽勝かと思ったが、まだ緊張は続く。そこから南峰を巻いて、ドームを巻いて、コルから涸沢岳に登る。ここも相当ギザギザだったが、やはり過去にここも通ったことがなかった。ということは先の5月は、北穂から南稜を涸沢に下っていたのか?忘れていた。北穂のドーム北壁というのは、縦走路からよく見える。ドームは笠ヶ岳の方から稜線を見たときもそれと分かるシルエットなのだが、こうして本物見るのは初めてだ。


北穂ドームに立つ登山者と右側北壁

 途中元気な二人組みが抜いていったが、本日槍から西穂へ行くと、クサリの下降で、頭から突っ込んでいった。私にもあんな元気なときがあったか?
 涸沢岳の登りに入って、D沢コルを通る。見下げると懐かしい。ようやく頂上に出て、白出しに簡単に下る。本当なら、30年前にやっておくべき縦走だったと、ノスタルジーを思う。


涸沢岳3110m

 さて時間通りにきたから、白出しで昼飯くって、西側へ下ることにする。うどん800円を食うが、さながらここも真夏の混雑。涸沢にも相当のテントが見えるし、ザイテンの下降とか、奥穂への梯子は渋滞している。んなときに、富士山を滑ったという若いガイドがいて、話しかけると「オジサン」と返事されて、女連れの小僧ガイド。年配、先輩、ご主人、貴方のどれかを使え。


涸沢岳から穂高山荘(白出しコル)

 小屋の向こう側に顔をだすと、この白出し沢は無人である。誰も登下降していない。まるで貸切。私最近富山方面の岳人の影響で、蒲田川側が物凄く好きなんですね。ゆっくり降りても早い道、穂高への最短ルート、誰も知らないんですよ。
 ガレをペンキに従って左右ジグ下っていると、妙に遅いペア。私に抜かれるなんて、夜になっちゃうよと、声掛けて、お先に。2時間で沢を離れて登山道に。さらに重太郎橋の天狗沢合流から白出し出合い。ゆっくり下ってもやはり早い、4時間半。
 白出し小屋に到着。17時過ぎ。一緒に到着した5人組みが、「小屋ってないじゃない? 今日はここでビバーク」。?そうかあ、新穂高にクルマがなければ、ここまで降りてきても意味がないという解釈ねえ。


白出し沢見下ろし。西側西日が暑い下山とはなったが、秋風も涼しく汗が滴るというほどでもない。静かなガレをゆっくり下るが、のんびりできないというのも、秋山ならでは。紅葉もときどき。

 この場所、白出し小屋とはいうものの、昨年までは閉鎖された小屋があったのだが、取り壊されていた。んでクルマが3台。ホンダの4WDは槍平のバイト兄ちゃんが、昨日ここまで乗りつけたものですよ、私見ていました。
 白出しは避難小屋だと解釈している人もいるんでしょうが、昨年までは閉鎖された小屋(物置)があっただけで、今年はそれが取り壊しで小屋の駐車場になっています。なんなんでしょう、穂高山荘の私有地なんですね、きっと。小屋のクルマといっても、従業員が乗りつけたり、小屋の親しい人が相乗りしたりとかで、例によって怪しい使われ方しているんです。でもこの場訴は、歩いて新穂高まで2時間かかるし、冬には岡田昇までがこの付近で遭難死しています。いっそのこと、ちゃんとした避難小屋作ってくださいよ。
 19時、幽霊屋敷のように静まった新穂高。下界じゃ宵の口なのにねえ。満車だったPも相当数がなくなっている。着替えてすぐに走らせて、例によって栃尾の交差点の酒屋によって、本日は松本泊まりとする。


 psそだ、このシーズン南岳でバイトした日野くんは、会社の10年来の部下でした。お世話様。何だか来シーズンもここに就職するようで、30歳代若い人が山にはまったようです。最近は小屋も学生バイトは少なくなって、この年代の男女が多いようです。





東北朝日連峰・祝瓶山(いわいがめ)1417m 07・9・29 ☆☆☆ 登行900m
晴れ〜曇り
祝瓶山荘820〜桑住平920〜頂上1220=1300〜下山〜赤鼻コル1420〜桑住1530=1600〜山荘1640

林道途中の木地山ダムからすぐそれと分かる祝瓶山

 出張帰りの登山。朝日にはそういけるチャンスはないからね。
 未明まで雨が降っていたのだが、秋晴れになるという予報を信じる。なるほど日が出てくると、快晴だ。長井から延々林道が延びていて、巨大な宇宙基地のようなダムの建設工事も始まっている。奥の木地山ダムは50年も前に作られたほとんど池のようなダムだった。そこからも目的の山が見える。東北はまたぎが住んでいたという山奥への開発も早い頃から始まっていたようだ。20キロも奥に進んで、祝瓶小屋につく。
 林道からでも、目的の山が見えている。東北のマッターホルンだそうで、ということは上部は急傾斜になっているということだ。どこからでもそれと分かる山である。
 スタートして1時間は川沿いの平坦地を歩くが、そこからいきなり尾根の急登が始まる。ガイドにも急登だが登り易いと書いてあったが、ドンドン高度が稼げる。そのうちに、前の山越しに大朝日も見えている。ついこの間向こう側から登った山だ。


登りの途中からの本峰

 最後ドンドン急登になって、登山道なのに岩登りみたいになった。ガレの草つき上部のようになって、私はこういうところが大好きなのです。マッターホルンというよりも、東北の甲斐駒。こちら側の岩壁は北岳にも似ている。もっそりした朝日では異様な山だ。


ナナカマドは早くも色づいていたが、低いところにはまだエーデルワイス(薄雪草)

 取り付いて3時間でようやく頂上。見えますねえ、向こうに大朝日と西朝日。飯豊連峰もかすんでいるが見えている。見えてはいるが、大朝日というもっそりした山は、どうにも特長がなくて好きになれない。夏はジャングルのようにメジロアブの大群に襲われるし、冬は積雪が要塞のように深い。

頂上からの大朝日岳

 下山は向こう側を周遊するように、降りる。午後から曇りにはなってくれたが、でもまだ暑い。紅葉もしていない。500mも急降下して赤鼻のコルへ。そこから取り付きの出合に戻る。

反対側からの本峰。左のスカイライン稜線から登って、右側スカイライン稜線を下って、ここへ戻った。

 戻る緩斜面の下りのブナ林は幹も白くて若い木で、実に綺麗なブナ林だった。昭和30年代に、ブナを一斉伐採して、その後の二次林だそうで、40年程度のブナである。どうやら祝瓶山荘がある辺りも、平家の落人部落が相当前からあったようで、冬などは積雪で、一冬閉じ込められて生活していた農家集落だった。養蚕であり、夏は砂金堀だったという。んなわけで私有地であって、個人の山小屋、長井山岳会の小屋もそうだろね。本当は売却して公開すればいいんだけど。東北は穏やかな山だから、相当昔からまたぎや木こりや落人が入り込んで、そういう踏み跡を車道にしたし、ダムを作っていった。でも積雪は当時と変わらず、冬に奥に入ろうと思えば、相当長い距離をラッセルしなくちゃならない。
 んなレトロな話を、祝瓶にいた釣り人に聞いたよ。

若木のブナ林

PS翌日は、山形・新潟じゃ稲刈りの真っ最中だったね。田植えの頃はまだスキーしているけれど、稲刈りってことは、間もなくスキーシーズンってことだよ。

稲刈りと稲干し、家族総出だね、新潟朝日村

 ところで、帰りがけに新しい奥三面ダムに寄ったけど、いってから驚いた。「村上へは通行止め」。おいどういうことだ。ということは、月山へ向って帰るということで、70キロ3時間とナビが行っているよ。私山に閉じ込められてしまうんか? すれ違ったオジサンに聞いたら、朝日村へ降りる林道が早いということだったが、1時間半かかったよ。そのオジサンは、パジェロで山中宿泊だって、最近そういうオジサンが増えたねえ。現地へは小国から入ったけれどさ。しかしどこにも通行止め表示がなくて、現地でいきなりダメとは、そんな道路行政が世の中にあるのか?おい。