春、初めての仙ノ倉谷
(以下は雑誌「岳人」2003・6の応募紀行に採用された報告です。山行日は2003・3・30)

「父ちゃん、山ってなんか寂しいとこだね」

 と息子はいい、暑いからと長袖1枚になって滑っている。
 積雪期の谷筋に、日帰りのコンビニ弁当だけの荷物で、子供とハイキング気分で入山できたこと、そんな当たり前かもしれない春山の楽しみ方を、30年山登りしてきて初めて知らされた山行だった。
 オールラウンドな登山をしますという仲間が大勢いても、独身時代から私は食わず嫌いな一人でもあった。山スキーはほとんど参加しなかった。あの重さの登行は滑降に見合わないもの。滑るだけならゲレンデスキーで十分。下るだけならパラグライダーがもっと速い。
 その私が、ゲレンデスキーをやめてクロカンスキーを始めたのが、かれこれ15年も前のことになる。大会用に圧雪されたコースだとはいえ、つぼ足ならば膝まで潜ってしまう新雪を、自由に走り回れることにスキーの奥深さを教わったのだ。家族も子供が幼稚園に通う頃から連れまわした。男二人兄弟の、下が小6のときである。ある大会の練習日に、スキー連盟の役員に声を掛けられた。
「子供さん、いい滑りしてますよ。中学に進学したらスキー部に申し込みなさい。先生が連盟に登録すれば、こちからか案内を送りますから」
 にわかに信じられない話である。都内の区立中学校にスキー部があるのかと。親はふざけ半分だったが、そそのかされた息子は夏は野球部、冬はスキー部で、ついに中1の冬には旭川で行われた全国中学生大会に参加して「オールジャパン」と書かれたリュックを土産に持ってきて、笑い話となった。その息子が中学の卒業式を終えた春休みに、親のスキー山行には付き合ってくれそうに育った。

 さて私は・・・、北海道の大会などは、甲信越のスキーコースとは比べ物にならないくらい贅沢な自然に囲まれていたが、それでも10年近くも通うと、飽きてくる。さらにここ数年は、大会途中の時間制限に引っかかり出すようで、気分は落ち込む。体力強化はと考えたときに、奥日光周辺でスノーシューのハイキングツアーが盛んになってきた。5月の上高地にスキーハイキングするツアーも、見かけるようになってきた。けっして影響されたわけでもないが、クロカン用の板で山に入って、登行できる最終斜度の最奥まで入ってみることはどうかと、思いついたのだ。アルペン、ノルディック、山スキーと分類されていることが弊害を招く。そう思うと、入山してみたいリストはいくらでも思いついた。かつて登山をかじっていた特権である。こうなるとスキーの仲間とは話が合わなくなる。
 高校時代に3月の奥秩父の国師岳から峰越林道を30キロ歩いて下山してきた仲間がいた。ならばそこをスキーで入山してみるとどうなるのか。富士山の麓から五合目までの冬は閉鎖された林道を登ってみるのはどうかと。その二つの山行はこの2週間前の週末の個人山行だった。そうしてこの春休みの週末に、家族は女房の実家に合流したのだ。
 滑りながら斜面を登るというのは、クロカンスキーヤーだけの特権である。山スキーにシールをつけるという、あのスキーわかんとは比較にならないくらいの合理的なものなのである。息子はそれまで女房が使っていたウロコのハイキング用スキー。私は今シーズン購入したハーフエッジのウロコ板。前日の土曜日には、土合から湯檜曽川に沿って、一ノ倉沢まで足慣らししてみた。あのマチガ沢の流れですら、出合いでは雪に埋まっていてその上を難なく通過できる。一ノ倉沢に至ってはもっと簡単で全面的に雪の下。湯檜曽の出合いから斜面を20分も登れば、夏のあの駐車場は跡形もなく埋もれている旧道出合い。これまで何度も通ったはずのその一ノ倉沢でさえ、3月にこうして旧道出合いから眺めるのは、初めてのことになる。古い文献で読んだように、本当に滝沢下部の大滝は、デブリに埋まっているように見える。衝立岩はやはり黒い部分が多い。谷川岳のことなら、いや日本の山のことなら何でも知っていると気張っていたが、実は何にも知らない。天気のいい夏のその日のことだけを、知っていたに過ぎなかった。翌日が息子とのツアーである。仙ノ倉谷、その下流の毛渡沢、さらに下流の魚野川。どの名前を聞いても東京の登山者にとっては、畏敬の響きが湧いてくる。怖い思いが募る。本当に穏やかな日に、その流れの一部分でも優しく拝ませてくれるなら、それだけで十分ですよと、心は山の神様にお願いする気持ちで一杯になるものだ。この谷川連峰の北面で、かつてどれだけの登山者が危険に晒されたか、知らないわけではない。山行の計画はそれこそ実行の半年も前から始まっているものだ。そういう場所に昨日の夜に一人で決めた計画で、息子と二人で入る。
 朝5時に起床して、関越道の湯沢を経由して土樽につく。天候はおおよそ保証されてはいるのだが、一応曲りなりに平均的なスキー操作ができるということと、何かあったらすぐにでも引き返すつもりは、持っていた。
 群大山荘があるという地点までは、数人の登山者のトレースがあった。陽が差す前の雪は、水分を含んだままガリガリしている。群大山荘の先でテントが一張り、脇にスキーが2本。周辺に彼らが遊んだスキートレースがある。右に分かれるトレースは日白山へ続くものらしい。しかしその先には何もない。壊れたつり橋の先の毛渡沢方面も、もちろん深く雪に覆われているだけ。目指すのは半分雪に覆われた仙ノ倉谷を流れに沿ってスキーを滑らすだけである。先行する私に息子が続くのだが、時として横にそれる。斜面がゆるいとスケーティングをして私を追い抜いていく。はしゃぎ過ぎだとたしなめたいのだが、それよりもこの今日という絶好のコンディションに感謝して、何も言わずに好きにさせていた。
 そこから少し進むと流れの右側は切り立ってきて、対岸に渡りたいような気分になる。部分的に雪に覆われた流れは、容易に通過できる。夏ならスノーブリッジというのだが、春には何というのだろう。さらに先の二股付近は谷が狭まって緩い斜面はむしろ左側を大きく巻くように登っていく。そうしてそのまま左側の支流に入る。美しい谷川連峰を、右側から平標山、仙ノ倉山、万太郎山、オジカ沢ノ頭、そして双耳峰の谷川岳へと目を奪われるばかりだ。イイ沢が近くなるとデブリが堆積している。

「あれは、雪崩の跡だよ」
 と教えても、息子はピンと来ないようだ。むしろすぐ脇の斜面から、チリのように雪が流れてくるのを指差して、
「ああ、雪崩だよお、危ないんじゃないの」
 そろそろ終了点が近い。目的地が先か、正午が先かと思っていたが、まだ10時半だったが目的地が先になった。なるほど西ゼンの上部は潅木もなかったように、真っ白に覆われている。対岸の中ゼンの沢は直射が反射して鏡のように輝いて見える。標高はおよそ1200メートル。出発地点が600メートル。稜線までは700メートル。やはり手に取るように近い。長居したくなる。
 下山となるとスキーは速すぎる。直登できた斜面でも下山は斜滑降となる。その分滑降距離が長くなってそれだけ楽しめる。それでもどんどん下ってしまう。2時間半かかった群大山荘までわずかに40分。下山時間など計算しなくてもいいのだろうか。そこでたまたま出会ったスキー下山者は、仙ノ倉岳からシッケイ沢左股を経由して毛渡沢を滑降してきたという。山スキーの下りは豪快である。さらに下山すると日白山からテントを担いで降りてきた登山者を追い抜いた。
「親子でしたか、そう思ってましたよ。一人が後ろの人を待っていましたからねえ。上から良く見えましたよ。いいなあって」
 遅れていたのは私である。スキーの技術もほんの短期間の間に、抜かれてしまった。 春にしかスキーをしないという山スキー派がいるが、私もそういうカテゴリーに入ってしまったのかと、ふと思うものだ。それにこうした親子関係も、多分長くはないだろう。



クロカン2003

 まあ複雑なきっかけはありましたが、クロカンレースもそろそろ飽きてきて、ついに春山にクロカンスキーで侵入することになったのが、今年であったわけですね。

富士山 2003・3・8(土)

 そんなこと(クロカン板山にもっていく)するとどうなるのか不安だっただめに、小心者の私としては富士吉田から富士山麓の林道を登ってみようという、実にビギナーの登山を考えたわけですね。いった日の二日前にちょうどここに大雪がふったようで、条件は最高でした。そうでなければ雪もなくてとんでもない敗退だったわけです。中央高速から富士吉田の町に入ると路面一帯が氷で、久しぶりにチェーンなどつけました。内心嬉しかったですねえ。吉田口の林道の終点が馬返しですね。すでに登山者が数人。閉まったままのゲートを越えて7時出発。

 さっきいた登山者はどうして来ないのかなあと思っていたら、富士山の登山コースと林道はちょっとずれていましたね。林道は自衛隊の演習場にそって登っていき、なんだか前日に道をブルが通ったようでそのキャタピラ後が凍り付いて、そこに板いれて、ガリガリいいながら登っていきましたよ。ちょうど自衛隊が演習などしていて、いきなりこんな道に監視小屋があって「柵の中に入らないでくださいよ」と窓を開けて言われたときにはビックリしましたね。山では熊より、妙に人間が出てきたほうが怖い。
 登るとだんだん雪も良くなってきましたが、それにしてもいたるところで冬でも工事してますよ。この辺の砂防堰堤はひどいなあ。コンクリの外側に、まるでログハウスにでも見せかけたのか木材の外装してるんですよ。富士をなめているとしか思えない。そういえば、5合目のおしっこ垂れ流しの山小屋は、県会議員が持っている小屋で利権の巣窟でしたね、有名なことです。
 2時間を2回歩いて昼前。3合目半くらいになったんでしょうか。風も強くなってきて、弱気になって、あと1時間進んで帰ろうと思いましたね。5合目までいければいいなあと思いましたが敗退。で下りは驚きました。ちょっと滑ったら、残りは見事に除雪されていたんですよ。例の砂防堰堤のゼネコン下請けトラック連中が、雪どけてしまったんです。仕方なく歩き。でもまあ2時間くらいで戻りました。初回にしてはまあ成功かなあ。河口湖当たりで日帰り温泉入りましたね。この日帰り温泉は、昨年のモモンガの時に覚えたもので、全国にこんなものが数年の間に出来上がっていたんですね。「ゆ〜とぴあ」とか駄洒落使った妙な施設は、みんなこんなもんです。

 峰越林道 山梨県 翌日3・9(日)
 この林道の名前だけじゃわかんないでしょうね。金峰山の麓から2300の大弛み峠まで続いている20キロある林道です。板で沢や尾根に入るのが怖くて、翌日も林道にしましたね、地図はドライブマップがあっただけで、思いつきです。でも以前にここを歩いて下ってきた友人がいて、それを思い出してのことですね。6時半にクルマのラジオでラジオ体操(田舎はNHKしか入らん)を聞きおわってから出発。この日も2時間を2回歩いて、しばし休憩。尾根を回りこんでからは八ヶ岳が大きく見えていましたね。さらにちょっと歩くのですが、スキーでもラッセルが脛くらいまであって、というか春の雪でいきなりぼそっと潜ってしまうんですね。それに少々懲りて疲れましたね。まさか奥秩父の稜線までこの日到達できるとはおもっていませんでしたが、やはり目的地はまったく遠いですね。こうなると敗退なれというか、まあ時間で切って適当に前進という安易な方法ですよ。しかし林道のカーブミラーもかなり埋まっていて積雪1,5メートルくらいですか。最初はガリガリ雪なのに、上ではずぼっで、さらさら雪は3月ではもうありませんねえ。やはり昼過ぎに下山。下りは2時間くらいでしたね。

 1週間して、3/16(日)。大菩薩近くの柳沢峠。先週でちょっとはまりましたね。息子誘って二人です。ここからも古〜い林道が奥秩父の稜線まで通じていることになっていたのですが、入山時から道間違えてちょっとうろうろ。先週の帰りに、ここ(柳沢峠・1600)通ったときに、駐車場で30センチ雪がありましたから、この場所選んだわけです。迷った後にちゃんと戻れました。NTTの中継局が山の上にあって、そこら辺から積雪1メートル弱。どんどん奥へと林道進みましたね。途中チラチラ雪が降ってきて、降雪の中を歩むなんて、久しぶりでおつなものでしたよ。ところが昼前に、道が行き止まり、その先に急な山がどかーんと待ち構えていましたね。雰囲気はそろそろ帰ろうかで、持ってきた飯くって下山。大体午前中に4,5時間登って、昼過ぎに下りというこんなのは、登山というよりもスキーハイキングに近いなあ。

 ちょっと空いて3/29(土)湯檜曽川。ここは夏に沢登りの山行もありましたね。でも私そのとき不参加。一ノ倉出合いの奥は知りません。しかしです。積雪のときに行くと、イメージ大違い。土合橋出てすぐで、河原は全面的に真っ白白。な〜んで誰もこういうとこにスキーで入ってこないんだと不思議ですねえ。スキーもぐいぐい滑りますねえ。マチガは流れも出ていましたが、ブリッジを通過。一ノ倉は前面雪ノ下で知らぬ間に通貨。同じく幽ノ沢、芝倉沢もどんどん通過。さてここから大きく迂回して、次には武能沢、そのさきケサ丸沢、もう初耳ですよ。ただね、私去年の6月初旬に清水峠を新潟から群馬にハイキングしたときがあって、このとき雪渓を石でステップカッティングしてどうしようもなく怖い思いしたんですが、それで稜線と対比してなんとなく沢の様子理解しようとしましたがね。その先抱き返り滝があって十字峡になっているんですが、ここがデブリでもう通貨の意欲なくなりました。スキーで高巻きって感じで、それで谷に降りたらデブリでまた高巻きみたいなもんです。ちょっといやですねん。で下山。ここまで2時間ですよ、スキーは速いなあ。帰りはもう下りだけですから。でも芝倉当たりからシールつけて登るのが山スキーですね、きっと。そういう気分全くなかったです。帰り一ノ倉の旧道出合いまで冷やかし上り20分。ちょっと曇ってきて寒そう。10分いてまた出合いに戻って下山。まだ午後1時くらいでした。スノーシューの20人くらいの団体も入ってきましたね。いまからどこいくんだ。

 翌日3/30(日)仙ノ倉谷。これ「岳人」に書いたこと。息子と土合から仙ノ倉谷を西ゼン出合い下までいきましたね。でもこれ明らかに山スキーの下山コースですね。でもこの二日で河原フェチになってしまったので、それでもいいんです、悔しいけど。この週末の二日は、シーズンでも最高くらいのスキー行でした。時期もよかったね、3月だし。それとスキーで谷に侵入すること大好きになりました。

 4/13(日)鹿島槍・北股谷
 行きました、鹿島槍。天気は快晴。最高到達地点は、大冷沢北股本谷1650メートル地点までです。ちょうど先週2人が遭難した鎌尾根のちょうど取り付き地点ですね。沢はデブリでぐづぐづでした。でもその鎌尾根に4人パーティ取り付いていましたね、根性あります。
 予定では大川沢からカクネ里方面でしたが、やはりこの沢は残雪が切れていて、通行不能です。20年くらい前の正月にも入ろうとしたことがありましたが、このときも敗退してます。それで予定変更しました。鹿島槍きれいな双耳峰が間近にみれましたね。しかし大川沢もこの北股も、それに小冷沢もどこもここも、砂防堰堤があって、ひどいもんです。堰堤が遡行を難しくしてますね。
 それでも4月に、沢の上部はすべて雪で埋まっているときに、スキーでどんどん登っていくのは楽しいですよ。ゴロゴロって雷みたいな音がして、小さな雪崩がいくらでもありますが、そういう危険が楽しいですねえ。それにしても下りっていくのは、もう下山の時間など考慮に入れないくらいに短時間で降りてこれるもんですね。
 さて4月の最終週になると、上高地も湯俣方面も立山もバスが通りますね。まだまだ春スキーシーズンは続きます。
 ところで信濃松川当たりから見ると、双耳峰は爺ヶ岳の南峰と中央峰の方が、鹿島槍よりきれいに見えますね。爺が双耳峰だったなんて、これまで誰も教えてくれなかったぞ。

 追加1 へなちょこ山スキーとハーレーオジサン
 西俣出合いに向かうときに先行7人山スキーがいました。例によって最後尾の二人はすでにホキています。で止まっているときにリーダーと話をすると、出合いから西沢を詰めて稜線までいきたいというのです。スキーで?と聞くと「多分いけるでしょう」。そんなものかと思っていました。
 でもですねえ、西沢って赤岩尾根のすぐ横の沢ですよ。それスキーで登れるとしたら、どうしてこの尾根がルートになっている必然性があるんでしょう。登れるならそこが下降のルートであってもおかしくない。山スキーが進化しえ積雪期のルートが変わってしまいました。北股の出会いから見ると、本谷はなだらかに続いているのに、西沢はここですでに急に登っていますね。彼らそこに入っていきましたが。赤岩尾根は下降するにも、ザイルこそ出しませんがクライムダウンしたとこでしたね。それに上部岩のきざきざマークそうとうあります。(後日カンテラの会のパーティだと知りました)。
 午後から湯俣方面へと車で向かって、葛温泉高瀬館の露天風呂に入りました。中にパンチパーマの怖系おじさんいて、妙に長時間あの熱い風呂につかっているのです。で帰りたまたまそのおじさんと一緒になって、彼も日帰り温泉派でしたが、玄関に止まっていたゴールドメタリックで豊橋ナンバーのハーレーダビッドソンはなんとそのおじさんのオートバイだったんですよ。日帰り?「もちろん、十分圏内」とかでまだ昼だというのに、「朝7時に家出て、まだ160マイルか」とか。このあと乗鞍岳の温泉にいって、夜8時には家だそうです。安房のトンネルもできていま冬でも釜トンネル直前まで車入りますねえ。沢渡から釜トンまで3時間歩いたのも遠い昔のことですよ。でこのおじさんのように山オートバイ中高年というのもいて、そのバイタリティに唖然としましたねん。新しい道ができると、こういうおじさんはまた妙に張り切る。

 追加2 堰堤の粗大ゴミ
 真面目な話題書きます。自然保護です。今回も多いにむかつきました。あの砂防堰堤というやつです。山の奥にどんどん作っているんです。西俣出合いの奥に5つくらいありました。積雪に完全に埋没しているのもあるんですよ。いったいあの土木工事というのは、いくつ堰堤作ったら気が済むんでしょうか。どうせ数年で土砂に埋まってしまうんですね。作った瞬間から粗大ゴミですよ。長野の康夫知事がダムは作らないといいましたが、すでに遅きに失しています。そうだ、上高地の中の下又白谷にも堰堤ありましたよ、思い出しました。富士山の5合目以下には、今でもどんどん平成作成の堰堤つくっていますね。公共事業と称した山ぶっ壊し事業です。しかも堰堤の表面だけ間伐材で壁紙張ったログハウス風にして、あれ世間を舐めてますよ。日本の土木はその気になれば何でもできます。サウジに500メートルの人工山脈作って、雨降らせていますね。角栄が昔、谷川岳潰して積雪なくして、その土砂で佐渡まで埋め立てようといいましたが、その気になれば今の土木事業では可能ですよ。いっそのこと康夫知事は、すべての悪の根源の黒四ダムを爆破して、それ自然保護の象徴にしましょう。上高地に行くときの奈川渡ダムも3段式で奇妙、気持ち悪くなりますね。中島みゆきにのん気な歌を歌わせている場合じゃありませんよ。そこへ行くとヨセミテでは100年前のシエラクラブのジョンミュアの自然保護運動の話が、ルート地図にも載っていますね。彼100年前のセオドアルーズベルト大統領にすでに自然保護訴えていました。人種差別があろうと、イラク攻めようと、やはりアメリカ支持しますね。日本に自然保護なかったのでしょうか。あった振りして、実は何もなかったですよ

 さらに後日知ったことに、日本の発電のダムでは田子倉が最大で黒四は2番目だそうです。それに発電量は田子倉で38万キロワット。ところがですねえ、原発というやつは、1基で100万キロワット発電できるんですよ。ということはもはや、わが国は水力発電などには実際期待していないんです。わずかに少量だといっていいでしょう。そのためにこれだけダム作って、砂防堰堤も付随させて、これ公共事業というだけのゼネコン儲けさせですよ。
 私の中学・高校生じだいでしたか、南アルプスでもスーパー林道のことが、毎日新聞にでていましたよ。でも結局今になってみれば完成したその林道はあの体たらくでしょ。1日に数本のバス通すだけだし、それに今年は芦安側は土砂崩れで6月になっても通行できませんねえ。だったら最初から作らなくていいのに。せっかく作るのならもっと立派なものでもいいのにねえ。やってることが中途パンパ。
 そいえば、ヨセミテというのは上高地に似ているとこだけど、あそこには電気バス走っていますよ。上高地には何も走っていませんねえ。でどっちがいいかというと、ヨセミテの方がいい感じしますねえ。道幅広くてバスが走っていても、全然自然破壊じゃありません。なんか、アスファルトはダメで、木道ならいいなんて、少女じみた発想のような気がしてならないなあ。(2003・6記)

 4/19(土)野呂川林道
 南アルプスは本当に雪がねえ。何を勘違いしたが、夜叉神峠から広河原にいけば、豊富な雪があると思ったのだが、路肩にちょっとあるだけ。だよなあ、考えてみれば、国師岳や柳沢峠の1500メートル当たりでスキーができたのは、1ヶ月前の話だ。同じ標高の広河原に雪があるはずはないのだ。アルプスとは名だけで、構造は秩父と同じだね。というわけで、ローラースキーであの林道を突破すると前に思ったように、実際に往復30キロ6時間半かかったが、いった先でタバコ吸って帰ってきただけだ。それと大樺沢にやはり例の砂防堰堤が10個もあって、まったく階段作ってどうすんだ?そだ、芦安村は南アルプス市になっていたぞ。(4月19日)

 4/22(火)上高地〜槍沢。もうGWの変則日程ですよ。上高地に雪あるのかと思ったら、徳沢の新村橋から河原にありました。もうちょっと早くないと。
 ネットで山スキー狂のサイトもあって、この頃からそれ検索始めましたね。大体皆、槍は新穂高(飛騨沢)から入っているんです。その理由分かりましたね。上高地からだと横尾からの先がちょっと面倒くさいからです。高巻き、スキー脱いで橋渡りなど。向こうよりゴルジュっぽいんですよ。しかし沢渡を朝5時のタクシーに乗って、槍沢ロッジ上に昼に到着。けっこう疲れてねえ。でもこの辺でもけっこうアルペンっぽい感じはしましたね。休憩後潔く敗退して、上高地4時半頃のバスに間に合いました。その後例のネットで一件だけGW中に槍沢いった僕ちゃんの記録みましたね。大荷物の兼用靴で横尾まで歩いて、そこでスキーつけて途中脱いだり履いたり6回やって、午後6時この場所に到着。翌日空身で槍沢滑って、翌々日下山。それだけに3日も費やして、なんだか穏やかというか、微笑ましいというか、お気の毒というか、でも似たような仲間いて安心しましたね。

 4/26(土)針ノ木峠。誰もがこの時期ここにくることわかって、行ってみましたよ、一応。早朝雨のために9時まで扇沢の駐車場でダラダラ。で急に予報どおりに快晴になったために出発。すぐ脇から雪ありましたね。そのまま流れの左側トレースにそって、2時間でノドの当たりかなあ、けっこう早いです。しかし問題はここで、このまま峠まで登ってどうする?という思いが、河原フェチのクロカンスキーヤーにはありますね。先行は3人、靴脱いで登っているのと、シールなど。でもここでも傾斜どのくらい?25度、30度。なんか気力もなくて下山。この傾斜の下山問題ありますね。キックターン連続でスイスイ行かない。あの板でここテレマーク下山できたらスキー教師か。転んだって滑落しないんですが、でも転ぶのいやだ。1時間で下山。登山および、滑降に執着心なし。

 4/27(日)室堂〜一の越〜美女平
 高瀬ダムは標高1300で扇沢(1400)とあまり変わらないんですが、雪ないそうです。どでかいだけの蓮華岳の上下(南北)で積雪が違うんだと。それで翌日はついにというか安易に黒部アルペンルートで室堂(2400)にしてしまいました(往復9000円)。スノボー連中山盛りでした。一応しっかりと一ノ越(2700)までは上りましたね。つぼ足でしたが。この一ノ越、浄土平、雷鳥沢などスノボー、山スキーが山盛りです。リフトもないのによく来ますよ。そうだ一ノ越から黒部ダムまで少数派ですがここもスノボーで滑降するようです。さて下りは少し滑って戻り、いよいよ本格的に美女平(1000)まで標高差1400の滑降しましたね。けどこのコース弥陀ヶ原(2000)以降は本来進入禁止だとか。でも快晴だからと小屋のオヤジが許してくれました。
 以降は標識のない林間コースですよ。1400までは快適にいくんですがそれ以降はコース不明瞭。アルペンルートの左側に入ってしまうと、常願寺川までズバッと切れてますね。もちろん右側は称名の滝へこれも相当なドツボですが、結局途中アルペンルート歩いても、道の右側だけ探して滑っているのがいいようです。一ノ越往復1時間半。美女平まで4時間(道多少間違えた)。
 今シーズン春スキー終わりですかね。とどめは3月の上の廊下、もしくは利根川でしょうか。いまどき雪は1日で10センチは溶けてしまいます。2週間前に鹿島槍の時に河原で滑って遊んでいたのに、土曜にいったら石ころだらけ。確かに150センチ溶けていました。残雪追っかけるのがこんなに難しいとは、今シーズン知りました。(4月27日)。


 5/3(土)栂池〜白馬乗鞍。この辺はいろんなコースが取れますね。しかしこの日は実は、北八ヶ岳にいって雪なかったもんで、急遽目的変更のために地図持っていません。どうも地図は全部車の中というのが、思いつきスキーヤーの鉄則らしいです。
 栂池のゴンドラとロープウェイを乗り継ぐと標高1800に出ます。さすがに雪はたくさんありますね。ここから天狗原(2100)まで登って、さらに白馬乗鞍2400まで登って、ここからスキー滑降というのが、春の栂池の定番でした。連休で大勢の客がいましたね。登り2時間、下り30分。でもこういうゲレンデから毛の生えたような春スキーはどうも好きじゃないですね。私スキーの滑降で楽しかったという経験ほとんどありません。ところで白馬からの帰りに100キロも遠回りして只見の銀山平にいってみましたが、ここはまだ下界のダム(標高700)でも、路肩に2メートルも雪が残っています。越後駒の雪の量は北アルプスをしのぎます。まだ2,3週間は只見の沢筋でスキー楽しめそうです。ちなみに只見丸山スキー場は11日まで営業しているそうです。(5月3日)

 5/10(土)銀山平〜枝折峠 新潟県。
 銀山平ではまだ雪があるのだが、沢筋は割れているね、当たり前だけど。まだ積雪がある枝折峠目指して登って遊びましたよ。標高1000まで行って峠見えました。でそこから越後駒への尾根に取り付きましたが、もうブッシュ出ていて敗退。午後は北の又川の白沢からも越後駒いけるんですが、これ沢が割れていて敗退(標高900)。それに晴天だともうぶよが寄ってきて、これ夏山の兆候です。下の百姓は田植えしてるしなあ(5月10日)。

 5/11(日)只見丸山スキー場 新潟県。
 未丈が岳への尾根は、やせ尾根。しかも雪庇の残りもあって、これ2月だと相当ひどいねえ、きっと。赤布などあったのは、やはりここからのツアーのためですよ。

 そだ、帰りに魚野側の支流の三国川いったけど、ここにダムできてましたねえ。ついこの間行ったときはそんなのなかったぞと思いましたが、それ昭和の時代でした。で終点の上流に10分歩いたら、まだ本流にプロックがかぶさっていて、おっさんが長靴で降りてきて見ていられませんでした。しかしこの十字峡は見ただけでついに遡行したことなかったですね。こんど11月頃にスキーで冷やかし遡行してみます。

 5/14(日)尾瀬沼。入沢君とスキーで沼一周楽しかったねえ。尾瀬って上高地よりも標高高いこと初めて知りました。

 5/24(日)乗鞍岳。上高地に行く途中の奈川渡ダムから入ると、三本滝の先にスキーバスがあって、降りたとこが2300ですねん。何故かロシのテレ板でここへ来て、テレ練習。シール登りなのだが、これってウロコよりも本当にいいの?それにしても、スキーヤーってのは、自分のシュプール引くと「ひゃほー」とかいって、妙に馬鹿っぽいですねえ。サーファーの域を出てないと再認識。
  私知りました。ウロコにシールもって、アイゼン付く兼用軽革靴がもっとも機動性があるのではないかと。帰りに野麦峠方面から、権兵衛峠(誰も知らなくってもいいから)を通って、伊那ICから帰京。これ野麦〜乗鞍か〜鉢盛山。さらに権兵衛〜将棋頭〜木曽駒への来年のルート偵察ですねん。国内にこんなにルートあるとは思わなかった。


2003・6・7 尾瀬ヶ原
 妙な誘いがあって、尾瀬に水芭蕉見に行ったのだが、確かにそれはたくさんあったのだが、より多くオバサンのお尻もあった。大混雑。鳩待峠から下り1時間、散策3時間、上り1時間。駐車料金1000円。往復乗り合いタクシー1800円。

2003・6・14 湯俣
 スキーシーズンはほとんど終了してますね。だからスキーは置いて、アイゼンでハイキングというわけでもないですが、雪渓登りに行きたかったのです。目指したのは湯俣から槍ヶ岳。ところがこんなこともあるもんですよ。湯俣から千天出合に向かったのですが、途中水俣川が渡渉できないんです。とりあえず丸太を切り倒して即席の橋はかかっているのですが、こんなの傾いているし、怖くて渡れません。もし滑ったとするとかなりの水量に突っ込んでしまって流される危険少しありましたね。
 もう20年前くらいの北鎌尾根には、正月と5月と2回入山したことがあったのですが、この取り付きまでの道のりは年々悪くなっている感じがしますね。「北鎌の最難関は、取り付きまでの沢の処理」と行っていた人もいましたけど、まさにその通り。この5月も北鎌を目標に大勢のパーティが入山したそうですが、この沢の横断ができなくて相次いで敗退したそうです。そんなことちっとも知らんかったぞ。本気で行くならパートナーがいて、荷物はすべてビニールでパックして、ザイル付けて突っ込んでいけばまあ渡れそうなのですが、ちっともそんな気はなくて、やはりこの場であっさりと敗退しました。それに梅雨時のわずかな晴れ間に気を良くしての入山でしたからね。でも想像するにここ積雪期にはいったいどうなっているんでしょう。スキーでこのちょっとしたゴルジュどうなっているのか、一回見てみたい気にもなりましたね。
 それに自家用車では林道を入ってはいけないというのに、どこかの漁業連のおじさんは、釣り仲間と遊びで入っているんですよ。利権の癒着だと怒り心頭ですね。
 しかし湯俣でこんなにのんびりしたのも初めてで、本当に湯俣川のすぐ脇から沸騰した温泉湧いているんですねえ。驚きでした。なお晴風荘は7月1日からの営業らしいです。それと七倉からのタクシーは朝6時半から運行ですね。ゲートが開くのがその時間からのようです。上高地の釜トンの朝5時に比べれば、なんだかのんびりしているなあって感じ。
 6:30七倉(タクシー) 6;40高瀬ダム 湯俣まで2時間半 湯俣出発13:30 高瀬ダム16;00

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