ノーマライゼーション研究会は1998年8月2日に大阪市で開いた98年度総会で、「今後1年かけてあり方を根本的に検討する」と提案した(これについてはこのページの8月の記事参考)。その後、運営委員会でさまざまな角度から議論した結果、最終的に10月8日の運営委員会で、今年度をもって解散することを決定した。会長としての私の文章と研究年報の編集委員長・牧口 一二さんが、会員向けの文章を書くことに決まった。次は、代表である私の解散に向けての文章である。
私たちの多くが生活しているここ関西でも、今年の気候は私たちを惑わせました。暖かい秋が続いたためか、紅葉の色もあまり映えないようでした。でも、さすがに11月の声をきくと、一挙に肌寒くなってきました。ノーマライゼーション会員のみなさまはいかがお過ごしでしょうか。
さて、突然のお手紙を差し上げたことで、さぞかし驚いていらっしゃることでしょう。みなさまには、これまで会費の負担はもとより、物心いろいろな形でノーマライゼーション研究会を支えていただき、本当にありがとうございました。運営委員一同、ご支援にいつも心から感謝してきました。ところが、とうとう過去形で表現する事態を迎えました。運営委員会では、さまざまな角度から状況や会計状態などを論議した結果、ノーマライゼーション研究会を継続することは不可能になったと結論をだしました。この手紙は研究会解散のお知らせです。
理由はいろいろと考えられますが、なにより大きい要因は、慢性的な財政赤字です(政府や自治体ほど巨額ではありませんが)。「研究年報」にも原稿料はお出せないという無理な条件を承知していただき執筆にご協力願っています。セミナ−や記念講演会で貴重なお話をしていただいた方にも、他の講演会からみたら雀の涙のような小額の謝礼と交通費しか、お払いできていません。
それでも、会員の皆様からいただいている年会費とセミナ−などの会場カンパでは、会場費や印刷費、通信費用などには不足します。事務所の家賃や日常の事務雑費もかかっています。運営委員も手弁当で苦労はしているのですが、現在、年間約 100万円の赤字で、とりあえずの運営のために借金をしている状態です。
より深刻な状態は障害者運動の宝である人材が、私どものところでは足りないことです。会員はそれぞれ各地でさまざまな活動をしていらっしゃいます。そこでの行事や仕事も活発になってきました。このこと自体は障害者の自立と社会参画、差別からの解放にとって歓迎できることです。ノーマライゼーションや障害者の解放を話し実行してきた人々が活動できる場が広がったわけですから。ところが、ノーマライゼーション研究会で集会や研究会を設定しても、他の日程とぶつかったり、準備作業で忙しかったりするなど、会合に参加できる人が少なくなってきたました。運営委員や事務局員でさえ、ノーマライゼーションの会議に出席できないほどです。
その他にも運営委員の高齢化や新しいメンバーを獲得できない魅力の乏しさもあります。理論研究や政策研究が他の障害者団体や研究組織でも活発になり、ノーマライゼーション研究会の独自性や先見性を明確に打ち出せなくなったこともあります。あるいは、これが研究会としてはもっとも大きな危機でしょうか。
運営委員会で何度か検討した結果、このまま研究会を継続していっても好転する展望がないこと、むしろ会員や購読者、支援者の方々により大きな迷惑を掛ける事態になるおそれもあると判断しました。その結果、冒頭にも書きましたように、今年度をもって研究会を解散いたします。これまでのご協力には、もう一度、心から御礼を申し上げます。
振り返ってみますと、ノーマライゼーション研究会は1984年に大阪の地で発足してから15年になります。初代の会長である関西大学の山下 栄一先生や当時のリーダーたちが築き上げてこられた共同の財産であるノーマライゼーション研究会を、いま私たちが閉じてしまう結果になったことは、まことに残念です。ひとえに現在の運営を担当している私たちの力不足であると感じています。
ただ、80年代では、ノーマライゼーションの言葉についても、障害者市民をはじめ多くの人はどんな内容か知らない状況でした。現在では、中央政府や自治体はもちろん、障害者施設の経営者、家族なども、当たり前に使っています。たんに言葉やスローガンにとどめず、具体的な政策作成や事業運営の場でノーマライゼーションの理念にそった活動を試みている人たちも多くでてきました。障害者市民が社会の一員として発言し、政策決定や事業運営に当事者として担うような社会の変化も生まれています。ノーマライゼーションという新しい価値観を日本でもここまで広げていく上で、私たちの研究会の活動はある程度の力を発揮したとも自負しています。
しかし、一方では、ノーマライゼーション理念の空洞化や水増しともいえる懸念もあります。さらには、障害を理由にして地域社会や教育、雇用、住居、交通、日常生活などでの排除や人権侵害、差別は続いています。自分たちの暮らしを自分たちで決めていきたい、自分たちで人生を設計したいという市民として当たり前の願いはほとんど無視されています。
日本においてノーマライゼーションの理論研究や政策への具体化、日常化はまだまだ、これからの大きな課題として残されていると思います。しかし、それは私たちだけの研究会活動では、もはや対応できないほどの広がりをもっています。
これまで自己主張ができにくい状態に置かれていた多くの障害者市民が発言を始めています。また、障害者とともに生活し活動している市民、新しい社会のあり方を模索している研究者や政策立案者、行政職員や事業経営者などもふくめて、より多様な知恵と力をだしあう経験が、進められています。日本では、高齢者の自立生活もやっと市民の共通理解になってきましたし、子どもたちも自分たちの権利を主張し、それを社会で支える活動も根づきはじめました。諸外国からきた市民の権利実現の動きも活発になってきました。
一人一人、全ての市民が互いの個性を尊重し合って、互いに支援しあって、社会のあり方をノーマライゼーションの理念にそって作り変えていく作業や政策、それを裏付ける理論研究は、これまでよりも大きく広がることでしょう。ノーマライゼーションの舞台はより大きく、参加者はより多彩に、共感の心はより深くなってきつつあります。
私たちノーマライゼーション研究会のメンバーも、研究会という組織はなくなりますが、それぞれの力を発揮して、社会の差別をなくす多方面の活動に参加していくことを、誓います。これからもメンバーとのお付き合いをこれまで以上によろしくお願いします。
本当に永い間、ご協力、ご支援いただき、ありがとうございました。
また、いろいろな場所でお会いできることを期待して。
1998年12月 ノーマライゼーション研究会 会長 大谷 強
ノーマライゼーション研究会では、最終のセミナーを企画しています。運営委員会のメンバーが総出で、これまでの会員や支援者のご助力にお礼を申し上げたいと思います。また、できればこれからのノーマライゼーション理論の研究と実現にむけて、すこしでもお役に立てるヒントを語り合いたいと「21世紀をノーマライゼーションの世紀にするために」意義があるシンポジウムを企画しています。
会員や支援者のみなさまと大いに話し合うつもりです。運営委員会のメンバーも、これが最後とばかりに、オールキャスト(やや貧弱ではありますが)で張り切って出演する予定です。ぜひ、ご参加いただきますよう、お知らせします。
日時:1999年4月24日(土曜日)午後
政府の市民への行政関係から私人(法人を含む)のあいだでの取り引き関係へ。措置から契約へ。国家に生活を守ってもらおうとのパターナリズムは、障害者市民からもきれいに別れを告げる。問題はそのあと、市民のあいだでどういった関係を結ぶか。金銭関係か、友愛・共生人間関係か。市民主体の社会の構造はどうか。
自分はどういった生活をしたいのか、その目標を実現しようとするためにはどのような支援が必要か。それを堂々と自己主張できる障害者市民と受け止める環境はどうつくるか。差別や権利の侵害に対しても、より積極的に自分の考えを打ち出して克服していく。
多くの人に議論に参加してもらいたい。
国連が1979年に決議した「国際障害者年行動計画」に述べられている「ある社会が、その構成員のいくらかの人々を締め出すような場合、それは弱くてもろい社会である」という考え方を基本にしており、これはすなわち、いかなる形態の差別や偏見も存在させない社会を意味しています。従って、私たちの活動は、このような真の意味のノーマライゼーションをめざす社会の具体的なあり方、および、それを実現させる方法について、あらゆる分野、様々な角度から研究、解明することをめざして進められるものです。
N研ページの目次へ タテマエとホンネが乖離し、両者の器用な使い分けが天上天下を闊歩する。無関心と歪曲にさらされている「人権」「共生」の思想を、今一度日常の実態に引き寄せ、実感と対峙させ、格闘させる試みが求められている。
特集論文を含めてエッセイなど24本収録 240ページ
1998年8月4日発行 定価 2,300円(税込み)
国家のシステムがあやしく揺らぎ、法と制度の改変が矢つぎ早に進み、窓口から差し出されるメニューは「人間」を輪切りにしてやまない。今まさに障害者の自己決定と政策決定過程への関与の不可能・可能を明らかにして、時代と「人間」を新たに構築する理論と実践が求められている。
お申し込みは、
ノーマライゼーション研究会
大阪市東淀川区東中島1-21-2-1107
TEL: 06-324-1133
FAX: 06-320-6068
ノーマライゼーション研究会総会(98.8.2)に提案します
私たちの研究会は1984年4月に設立され、今日まで理論・研究活動を続けてきた。会員も全国に200人前後であり、総会と記念講演会のほか、合同研究集会や研究年報の編集・発行をおこなってきた。研究会発足当時はまだ「共に生きる社会の構築」「ノーマライゼーション」や「障害者市民の地域での自立」といった理念は障害者に関係する教育や福祉などの職業にたずさわる人たちや行政でも、一般化していなかった。その言葉を発するだけで場に一種の緊張感が走るほどだった。
ところが、90年代にはいってだれもが「ノーマライゼーション」「自立」「共生」を当たり前の感覚で使用しはじめた。このことじたいは、障害者市民たちが社会の一員として社会的な影響力を発揮したいという運動の成果であった。背後には障害者市民の熱烈な自己主張と社会への告発、さらには新しい社会関係を作りたいという意欲と要求があったためである。
国際的な障害者市民差別禁止の法制度もつくられ、社会サービス法も自治体の場で整備されるなど、地域で障害者市民が生活していく権利が認められだし、支援も広がりはじめている。日本でも多くの障害者市民に関係する団体もノーマライゼーションの用語を当たり前に使用しだした。正面から否定する理論は見られなくなった。まちづくりやスポーツ、趣味・余暇・レクリエーションなど、広く生活の多面的な分野についても、バリアフリーや自己決定、「ともに生きる」などは、当然の理念とされだした。各自治体でも障害者市民の基本計画が作成され、地域での自立生活への支援政策が着手されだした。
もちろん、具体化にあたっては逆流も見られる。昨年の12月9日にだされた障害者関係3審議会の中間報告では、ノーマライゼーション理念にもとづく重度障害者施設の小規模化や地域利用型への転換については「我が国においてこのような仕組みをただちに取り入れるか否かについては慎重な検討を要する」と記述し、具体策ももっぱらリハビリテーションばかりを強調している。98年6月の「社会福祉基礎構造改革」の中間まとめも、社会福祉法人の経営する施設の意義を自画自賛し、地域の宝とまで表現している。これは、介護保険による利用者主体への転換と営利企業の進出、NPOや障害者市民市民の自主的な相談活動やサービス事業への登場に反発した社会福祉既存業界とその利益に依存している専門職集団のあられもない既得権益の防衛とあせりを示しているだけである。
新しい福祉の理念をつくり出しているわけではないし、政策も新しい内容を打ち出しているものでもない。ただたんに、自分たちがこれまでと同じようにこれからも政府と市民から障害者市民や高齢者市民などを支配する権限とそれにともなう利益を確保できるように、制度改正も穏健な内容にとどめてほしいと走り回っているだけのことである。理論のレベルでの争いでは、もうない。政治や事業の方向性をめぐる力関係にすぎない。
ノーマライゼーション研究会の名前は多分、かなり広く知られるようになっているかとは思う。名称としても、また個々のメンバーの活動によっても、また合同研究集会や研究年報の編集発行を通じても。
しかし、実態はどうだろうか。会員はこの数年間、ほとんど増えていない。いや、やっと維持しているだけである。しかも、研究会の総会はもとより、合同研究集会にも、会員自身の参加率はきわめて低い。そのつどの参加者がたくさんあるから、なんとか席が埋まっていたり、盛会であったりするだけである。継続的な会員組織とはいえない。
研究会も運営委員会もメンバーは固定化し高齢化している。しかも、出席率もそう高くはない。メンバーも発足当時とくらべると、多方面で活躍する場がふえて(わが研究会に参加しているメンバーの力量が評価されているので、それ自体は結構なことである)、わが研究会の会合に出席できにくい状況になっている。
会員として、さらに運営委員として、新しい人に参加していただく努力が不足しているが、若い人からみても参加しようという魅力がないのであろう。障害者市民の社会のあらゆる面での参画をうちだしている研究会で、当事者のあらたな参画がないことは、この研究会のあり方に大きな疑念をいだかせるに十分である。
総会は幸いにも多くの方々に参加していただいているが、これは記念講演に来ていただいている方々の魅力であって、研究会活動が生み出した成果ではない。研究年報も原稿料を払えない状態であるにもかかわらず、多様な方面から多くの執筆者が加わっていただいている。ありがたいことではあるが、これもノーマライゼーション研究会が個々人に舞台を提供しているのであって、研究会活動の成果を発表しているものでもない。
こうして見直してみると、ノーマライゼーション研究会は、はたして障害者市民が自分の権利を主張でき、自由な社会活動で自分らしさを発揮でき、同世代の人と同等な生活ができる社会の創造にむかって、理論的に存在意義を持っているのであろうか。
決算報告や予算案からも分かるように、活動を支える財政力は無いに等しい。会員の収入の納入率はこの種の団体としてはかなり高いと思う。しかし、年報発行や研究集会の準備、通信発行や日常業務などにかかる経費が、収入では償えない慢性的な赤字体制になっている。やり繰りはもう限界にきている。
このまま、会を継続していけば、赤字はよりいっそう増大するであろう。その負担に耐えられるだろうか。しかも、会の維持のために、会員に心身・金銭すべてにわたる協力をお願いしながらも、その成果が明確でないとしたら、その努力は無に帰してしまう。
活動を縮小しながらも研究会として継続することも考えられるが、はたしてそれが会員組織としての「ノーマライゼーション研究会」といえるだろうか。活動報告でも明らかなように、1部を除いて部会もほとんど開催できていないし、通信も数回に止まっている。すでに現在の活動でさえ、こうした組織にもとめられる最低限の基準を維持するのがやっとである。
では、どうするか。いろいろな方法を考えることはできる。ただ、どのようにすれば具体的に現実的に、解決できるのか。まだ運営委員会でも結論はでていない。
ノーマライゼーションの理論と政策をめぐって、正論や正義、道徳や説教などに終始するのではなく、かなりきわどいテーマを掲げながら相互に自由に意見を交換できる場であることは、事実であろう。研究年報も定着してきて、多くの執筆者や読者に期待されるような編集ができているのも、研究会が積み重ねてきた人と人のつき合いのなかから生まれた成果ではあろう。こうした財産をどう有効に活かしていくか、今年1年をかけて十分に検討したい。その結論を来年度の総会に提案する予定である。奇妙な活動計画(案)ではあるが、意図するところをくみ取ってほしい。
3回の研究集会を企画したい。
テーマ:障害者市民の差別と人権
大阪府の障害者市民の実態(白書)から原点に帰って障害者市民の一人一人がどのような生活をしているか、どのような差別や偏見にあっているか。どんな気持ちで生活しているか。今の社会でどう生きていこうとしているのか。それを支えるシステムや人材はどうか。日頃自らのことを語る機会のほとんどない障害者市民たちが、その生の声を絞り出している。ここからもう一度、障害者市民の生活の実態を明らかにしたい。8月6日に公表される障害者白書をテキストにして、障害者市民の差別と権利、生き方と支援の方法、社会のあり方などを議論したい。
テーマ:知的障害者市民の自分たちの権利主張・参画と支援のあり方
スウェーデン(FUB)vsアメリカ・カナダ(ピープルファースト)そして、日本の新しい自己主張・決定の試み
テーマ:もう一度、障害とはなんだ!?
「障害は個性だ」をめぐって。WHOの障害概念第2版も視野に入れて
障害者市民への差別の撤廃・権利確立の法制度と市民社会の再編成
ノーマライゼーション研究会の98年8 月の総会とリンクした全障連全国集会で話をする予定のレジュメです。
これまでの議論を取りまとめる第1歩。日本の福祉法の反省から、新しい視点で体系を作り直す提案。障害者基本法(権利・差別規定と救済手続き法を盛り込む改正)・総合社会サービス法(サービス利用者の独立した権利性を求める対等な関係法で、障害種別にこだわらない普遍的総合的立法の実現。高齢者や子どもへのサービスも含むより広範な法律にするかどうか)・個別社会サービス法(障害を持つ市民への特別支援や高齢市民の特有なニーズに応える法律を上乗せ・横だしする考え方はどうか)の立体的な法律の構造を考える。
日 時:98年11月25日(水)午後6時半〜8時半
場 所:大阪地方自治研センター会議室(センター事務所・06-242-2220)
連絡先:大賀 078−642−0142(被災地障害者センター)
報告者:大谷 強
98年9月に公衆衛生審議会から精神保健福祉法を来年の国会で改正する内容が示された。 どう受け止めたらいいのか、今後の見通しをどうつくるか。報告者には、精神障害当事者にお願いする予定
日 時:98年10月21日(水)午後6時半〜8時半
場 所:大阪地方自治研センター会議室(センター事務所・06-242-2220)
連絡先:大賀 078−642−0142(被災地障害者センター)
追 記:合わせて、99年度厚生省・労働省の障害者関係予算概算要求の分析もします。
テーマ:精神保健福祉法の改正案を分析する
報告者:塚本 正治 さん(ぼちぼちクラブ)
精神保健福祉法に関する専門委員会報告について、塚本さんからコメントをしていただいた。京都から兵庫までにわたる参加者で久しぶりに2桁になった。当日参加した人は、皆いい話を聞くことができたと満足したようだ。私も司会をしていて幸せだった。
塚本さんは、自分たちで明らかにしてこられた精神医療の実態や、大阪府・大阪市での審議会の委員として政策づくりに際して発言されてきたことなどを基礎にして、具体的に厚生省の専門委員会報告が現在に至る問題点を明らかにしてきていないことを示された。病院や行政の窓口など現場でのいろいろなエピソードを交えながら、説得力のある話だった。今後の精神障害者の活動と政策のあり方について、多くのヒントを出してもらった。興味がある人は、機会を作って直接に塚本さんの話をお聞きになると、きっと役に立つと思う。
塚本さんの話を聞くと、私たちが精神医療について実際の現場でどんなことが行われているか、知っていないということが、まず分かった。患者の小遣いを管理する病院があること自体が問題であるが、毎日たとえば100円の管理料を病院が患者から取っていることをきいてびっくりした。私物がまったくなくてラジカセやCDプレイヤーなどもないなど、生活の匂いがしない病院があること。病院が生活力を奪ってきて、かえって「慢性患者」を作り出していることなど。
外来患者が一人もいない病院や、1年間に患者の入れ替わりがない病院があることなども、始めて知った(想像もできない)。
看護婦の調査をすると、なんと83歳の看護婦が働いていることになっている(実際に勤務についているか、名前を貸していて書類上のつじつまあわせに使われているのか、不明)。職員の高齢化が激しく、患者にふさわしい医療環境を作り出す気力さえもなくなっていること。行動制限をともなう患者に他のスタッフがつききりになり、1人の看護婦で40人のオムツ替えをしている実態など。
医療職員の配置基準について「精神科特例」で、他の医療機関よりもより少ない人員が認められていることからくる問題が改めて、浮き彫りになった。特例を撤廃して、せめて他の診療科なみに職員を配置して欲しいという要望が切実に語られた。
日本の医療では、人口比で医師の数は国際水準であるが、その他の職員数はベット当たりでみて、ドイツやイギリス、アメリカの1/2から1/3である。その結果、日本の一般病院の平均入院日数が約30日、上記の国々は平均10日程度となっている。精神科の場合も、平均入院日数でみると、比較的長いイギリスでも216.7日、ドイツでは35日、アメリカは12.7日に比べて日本の492日はとびぬけて長い(1991年調査)。まさに、社会的入院が行われている。
精神病患者は、他の医療以上に、じっくりと話を聞いてもらい、議論していく関係が求められる。それが、他の診療科よりも少ないスタッフで対応させようとい考え方自体が、精神病の特質に見合っていない。不充分な医療を受けて心の傷を癒さないままに入退院を繰り返すことになる。社会生活のチャンスをますます失う。
塚本さんたちは、「社会的入院は人権侵害だ」という認識を行政に認めさせようとしている。すでに、大阪府ではその認識が認められつつある。その点で、厚生省の審議会は現状の問題点に正面から向き合おうとしていない。精神科特例についても報告書はきちんと触れていない。それを急性期病床と慢性期病床に分けることで誤魔化そうとしている。
長期入院になってしまうのは、地域社会で福祉サービスが十分にないからだと判断し、私たちはこれまで、医療から福祉への政策転換を求めてきた。そのこと自体は間違ってはいないと思う。たとえば、任意入院にしても「選択肢のない任意入院」であったことで、社会で生活できるような福祉が必要だ。精神保健福祉法にかわり、手帳制度も議論があったが、とりあえず、始まった。それなら、福祉サービスを充実すべきだという政策の方向は重要だ。
しかし、あまりにも精神病院の実態はひどすぎると思った。これを放置していては、福祉政策を求めても、権利擁護制度の確立を迫っても、問題の解決にはならない。しかも、その医療水準の低さがほとんど社会に明らかになっていない。
高齢化した患者が増加していることに対応して、痴ほう性の療養病棟に転換しようという動きが急速に進んでいる。社会的入院の温存であるが、介護保険の給付対象になることを見込んでいる。
老人保健施設を併設する動きも広がっている。これも介護保険を目標にして収益の安定化を図ろうとしている。患者はたらい回しになるだけで、精神病院の枠から抜け出すことはできない。
福祉施設の援護寮でも、ある病院では病棟の3階に作られている。福祉制度をも病院のなかに含みこむ構造である。患者の囲い込みが進むと思われる。
ヘルパーの派遣がやっと打ち出された。しかし、その具体的な支援の仕方については明確になっていない。当事者に、どんなサービスが必要なのかさえ、聞くこともしていない。実際の仕事内容がわからないままでは、支援にはならないだろう。
精神障害者はむしろ、家庭内の支援よりも外出をしたいと希望している。ヘルパー派遣の制度創設までは打ち出されたが、ガイドヘルパーの派遣制度化に向かう道筋は見えていない。
突如としてケアマネジメントのことばが報告書には踊っている。介護保険の手法を取り入れようとしているが、支援のサービスのメニューも数量もまったく存在していないところでは、むなしく響くだけだ。選択の余地がないところで、マネジメントをどうやってするのだろうか。当事者のニーズが確定していないのに、サービスを組み合わせることはできない。機械的に介護保険を導入しようとしている。それは生活の管理や押し付けにつながる。
日常的に地域で生活支援をする場所があること、いつでもショートステイができる場があること、夜間も受け付ける相談活動を当事者が運営して、当事者相互で力を出し合ったり、支援し合う関係づくりなど、地域生活支援事業の構想も話された。
国の事業である「精神障害者地域生活支援事業」に相当する機関を、当事者組織で担っていくことも、議論された。
行政の対応の悪さや、特に公立病院の方がむしろ民間病院よりも冷たいとか、問題が多くあることも指摘された。良心的な医療をしてきた病院が、経営的に行き詰まっている実態も話された。内部からの改革者は極めてしんどい立場におかれている状況も、出された。
話す人の個性からか、ユーモアあふれる表現で、笑いながら実態のすごさと現場でのやりとりの面白さ、障害者の力の発揮ぶりを教えてもらった。
当日参加していたそれぞれが、ずっしりとした課題を抱えて帰宅した。
日 時:11月25日午後6時30分から。
テーマ:障害者の1999年法制度問題のこれからをどう展望するか
場 所:大阪地方自治研センター・会議室(大阪市・天満PLP会館)
報告者:大谷 強
テーマ:身体障害者福祉法の改正対案を提言する
報告者:姜 博久さん(全障連関西ブロック)
厚生省筋の情報によると、成立50年をきっかけにした身体障害者福祉法の改正は、当初考えられていたほど大規模ではない。社会福祉事業法の改正に合わせた程度に止まるとの観測がもっぱらである。社会福井事業法の改正自体が、既存社会福祉法人の抵抗に合って、在宅福祉など施設中心型から見れば周辺部門に位置するとされている民間営利企業や非営利組織などの参入を認める程度になりそう(第2種社会福祉事業のサービス)。供給主体の多様化と提供するサービスの選択肢を広げて介護保険の基盤の準備をする。基礎構造改革とは、その枠内での措置から契約への転換を意味するという消極的な改正に終わりそう。
障害者の運動から福祉法の根本的な改正を求めていく提案が、だされた。報告者によると、中心点は5つある。(1)更正や援護という提供者側からの見方や、当事者にのみ自立への努力を求める一方的、個人的な発想を廃止して、基本的人権に根ざした福祉サービスの保障という理念の明確化。(2)施設重視から在宅の自立生活支援への介護保障の施策への転換。(3)さまざまな障害におうじた介護の保障と介護者の養成・確保。(4)治療訓練重視の施設内容から通常の生活に近いサービス内容変への改変。(5)障害者等級の判定と手帳による援護給付を廃止して、日常生活の状態からサービス給付を決定する方式への転換。
報告では、手帳制度を廃止するので、それに代わる判定の仕方をめぐって議論があった。自己申告をうけて自治体のケアマネジャーか、その他誰が行うか。判定委員会の仕事にして、その構成をどうするか。介護保険の要介護の認定審査会でいいかどうか。判定基準をどうするか。医療モデルから生活自立モデルへの転換を盛り込めるか。
イギリスのケアマネジャーが、予算の枠内のやりくりに終始しているという報告との対比で、日本ではどうするか。サービスの組み合わせに限定するか、サービス量の拡大までに広げるか。障害当事者が参画するシステムにすると、障害者の要求におうじて予算の枠を大きくすることは可能か。市民社会的合意を、どう、誰が取り付けるか。マネジャーの板ばさみをどこで、突破することができるか。かえって苦労するだけか。障害者が自立生活を営む上で、毎月どの程度の介護費用が支給されれば、可能か。介護保険では最高が月間36万円程度として、自宅内での生活支援には十分と考えられても、外出や就労支援などには、これとは別にどの程度の金額があれば、暮らしていけるか。その計算が必要。そのときに、介護に携わるスタッフの賃金をどう想定するか。時間給3000円程度が水準か。99年度予算案概算要求では、介護サービスの滞在型は3700円程度になり、事務費を除くとほぼ釣り合う。
入所型の施設をどうするか。利用者が他の施設の機能を単品でその都度、利用できるようにする(さらには、利用に応じて利用者負担を払っていく)ことによって、徐々に住宅機能に分化していって、施設を解体する方向は考えられないか。
利用する個人の費用負担も提案された。
NPOがサービス提供に進出することのメリットや、現行法制での限界などの議論もあった。人材育成も障害者組織がかかわることも提案された。
N研ページの目次へこれまで日本の障害の概念についていくつかの批判が行われてきた。
国際的に見ても狭く、サービス利用の制限になっていること。身体・精神・知能の部分的な機能だけに着目していること。身体障害の場合、身体部分の切り刻み方式は「ブッチャー(肉屋さん)方式」とさえいわれた。医療からの診断であって、生活上の活動をしめす基準ではないこと。統計的に測定された標準数値と比較して、機能の不足や不充分な部分だけに着目し、それを「欠陥」とか「欠損」というマイナス評価を示す用語で表現していた。専門家の一方的な判定であり、自分で意見が主張できない仕組みになっていた。
その結果、社会では生活「できない人」だから、特別なリハビリテーションや他の同年代の人とは違ったところで、内容も別個の教育が必要であると位置付けてきた。普通の暮らしが「できないから」福祉施策でサービスを提供する必要がある、として、特別な対策の対象にあてられていた。いずれもマイナスの穴埋めに過ぎず、社会的な不必要な負担という意識を市民にも植え付けた。「障害者にかけるコストは少ないほうが社会にとっても効率的」という見方さえもあったし、いまでも残っている(生存権論は、その後ろめたさをかくす声高の主張に過ぎず、市民社会の合意を得ようとしなかったし、実際にも得られなかった)。
日本での障害の定義からは、それぞれの人にどのようなニーズがあるのか、は明確にならない。それに応えるサービスはどんな内容で、どの程度の量が必要かも明らかにならない。個々人が積極的に自分の人生で「なにかをするために」サービスを利用するという考え方は行政には存在していない。
WHOの国際障害分類(ICIDH-2)について、研究会で議論した。
東京から池上智子さん(障害者総合情報ネットワーク事務局員)を招いた。
私にとって興味深かったうちのいくつかはつぎのようなこと。
1980年のICIDH-1とくらべて副題からも「disease 」を取り除いたこと。
障害と疾病の区別を明確にし、医療モデルから脱却しようとしていること。
高齢化や慢性疾患・難病、精神的疾患や障害、子どもの障害など新しい状況に対応する規定にしようとしていること。
分類基準はニーズや、利用、結果を客観的に評価するために必要とされていること。
Impairment 機能障害(身体)、Activity 活動(個人)、Participation 参画(社会)の3つの概念が使われているが、一方的な因果関係ではなく、相互に影響を与え合う関係であること。活動、参画が大きく取り上げられていることはいいと思う。エンフォースメントとも関係する。
用語も中立的な要素で表わす努力をしており、マイナスの価値観を取り除こうとしていること。もっとも、英語表現では私たちにはニュアンスまではわからない。日本語の訳が、かつてと同じようにつけられてしまったのでは、国際的に進められている価値観の転換が明らかにならない。包括的な用語として、Disablement (日本の研究者たちは結局「障害」と訳してしまっている)が使われていること。
まだよくわからないところもある。
活動が個人的であるとされ、参画ととどうちがうのか、社会とどうつながっているのか。
日本語での理解と英語での表現とは、かなり違っているような気がする。とくに、現在、日本で翻訳作業が進められているが、その仮訳をみるかぎり、問題があるようだ。用語も従来のものと変わっていない(否定的な表現を避けるといいながら)。また、通常の言葉の置き換えという翻訳でいいかどうか、検討してみる必要がある。Participation を「参加」というと、すでに作られている社会秩序に入れてやるというだけにとどまる感じがする。とりあえず、「参画」といってみるが、どうも違いがはっきりしない。社会を形成していく、共有するという社会のあり方を共同で形成していく意味合いが、英語では込められているようである。DPIのレイチェル・ハーストさんが東京で開かれた会議にビデオ参加したときの発言内容からも、そう読み取れる。やはり、われわれに馴染みが深い「共生の社会作り」が妥当か。
この他、仮訳では、障害のある人々が「参加」それこそ「共生社会づくり」をして行く時に影響をあたえる「阻害因子または阻害因子」という表現がある。なんのことか、最初は理解できなかった。英文をよむと、facilitators and inhibitors である。私たち障害者自立運動にかかわっているものは、これをみて、あっさりと理解できた。(全員いっせいに「あっ、なんだ」、と声をあげたものだ。「だれだ、こんなへんな訳をしたやつは」などとも)。
アメリカの知的障害者たちが日本に持ち込んできてくれた馴染み深い「ファシリテイター」ではないか。障害者たちが理解しやすいように情報や意見をわかりやすくつたえて、自己決定を支える役割を果たす人のことだ! アドボケイタ―やアドバイザーとも関連している言葉である。阻害因子とは、それを妨げる人々、これまでの専門家たちや無理解な行政職員たちをしめす。本当に知らないで訳したのか、わざとごまかしたのか、それはわからない。ただ、障害当事者やかかわっている人間が翻訳作業にも必要だ。
結論は、一部の研究者に任せておけない。なにより、自分たち市民全体にかかわる重要な報告書である。日本での障害者政策をはじめ、子どもや高齢者など社会的な的な政策を根本から変更させる提案である。これから障害者が積極的に原文から真意を読み取り、注文もつけていく。日本の障害者市民の意見も発表していくし、日本での実態からでた政策参画を求めていく。そのためにも、理論的な検討をよりひろく進めていくことが確認された。
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