新たな公共を創る社会政策

2011年 06〜08月分

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2011.08.31

減税日本に勝つには、当事者が訴える「福祉の充実」の有効性

――斎藤まことの名古屋市議選の報告より――

 2011年3月13日に行われた名古屋市会の選挙で斎藤まこと(亮人)氏(障害者政治参加ネットワーク事務局長)が「民主党」への逆風と河村市長率いる地域政党・千草区から「減税日本」と登場という中で、5152票という得票をして市会に再び車いす姿を見せた。この報告がNPO法人共同連の『れざみ』第132号、2011年7月31日)に掲載されているので、大阪府知事橋下徹のもとに地域政党「大阪維新の会」が地方選挙で躍進を見せた。それを食い止める政治スローガンを探していたところ、この原則しか方法はないと思った。

障害者自らが訴える「福祉の充実」

 名古屋市議会は市長河村たかしを掲げて「リコール」という政治方法で強制的に解散され、2011年3月13日に選挙を実施した。この時に選挙戦で斎藤氏は「減税よりも福祉を!」を求めて運動した。今年度減税を行なわなかったために余っている財源が62億円あるのに、保育料を値上げすると言う「河村減税」の矛盾を明らかにしたいという。

 こうして減税派の主張は明らかになった。また、議員報酬も800万円に下げられた。このことに対して『議員報酬800万円で議員活動が可能か?』に対する私の個人的見解が表明されている。この人は「不可能です!まともな議員としての活動は出来ません。」とある論者は主張する。

 斎藤氏は「事務所維持費用や活動にかかる経費を確保することに時間を費やす部分が多くなるのは事実だと思います。」とどこまでを公費で持つかを実情を明らかにする。事務所維持費用を全面的に会社に負担してもらえば、多くの労働者は政治意思の発表に困るという議論もある。最近マイノリティが政治に参加する機会が増え、その活動を拡げようというときに、無給制度に戻せば、当面の出費は減るだろうが、その人々の政治への参加を保障することはできない事態になるだろう。

 もともとイギリスで無給時代にはと土地所有者が政治に参加していた(財産所有者が後に続く)段階から、労働者の代表が政治活動には有給・有償性が求められるという主張を広げているようになり、それまでの納税額による政治への排除・差別ではなく、普通選挙権が一般化した。労働者派が議員の有給制度を主張したのだ。民主主義には費用がかかる。矛盾するかもしれないが、その費用を負担するのが民主主義だといえよう。

当事者が主張する「共生・共働」

 こうしてみると、新自由主義には古典的な「福祉国家論」で大丈夫な感じがする。地域政党「減税日本」や「大阪維新の会」に対抗するには新自由主義の派生ではダメなことははっきりしている。減税や大阪都構想を訴える地域政党には、古典的だが「福祉国家論」を掲げることは必要なことのようだ。なんども繰り返す。新自由主義という思想の流れではダメだろう。

 現在の流れは古典的「福祉国家論」ではありえない。途中を省略するとワイマール憲法以来の日本国憲法第25条「生存権」に依拠する社会保障よりも、日本国憲法第13条(個人の幸福追求権)に依拠する社会保障制度の方が、NPOとかNGOとか個人の主体性尊重の時代(自己決定」も含む)にはぴったりする。憲法論はこの程度に止めるが、国家対国民という対比構造があるようだ。市民と市民の間の支え合いが重要だ。

 一度個人の視点(幸せという)に戻ったからには、古典的だとしてもすでに「福祉国家論」はほころびている。作業所などで「福祉的雇用」といっていた曖昧なものであるが、好むと好まないとに限らず、重度障害者には日本的保護雇用(賃金補填制度)の場である「社会的事業所」という「共生・共働」という障害者達が新しい雇用を求めている(重度障害者に限定することはないだろう)。

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2011.08.26

「よつ葉憲章」見直しに向けて

――日本社会の主流に向けての自主的な変化を作り出す――

 これは資料として保存して持っておけばよいと思った。大阪府茨木市に本拠をおく生協の「関西よつ葉連絡会」が編集している「よつばつうしん」(第5号、2011年8月発行)に原題を「今改めて人と自然の関係を問い直そう――「よつ葉憲章」見直しに向けて――」と題された文章が掲載されている。私は「よつ葉」関係者ではないため、見直しに向けてどんな議論か交わされているのか知ってはいない。どういう方向での議論か分からない。ただ、私にも外部からの「押しかけ」議論はできるだろうと思う。どうなるかはわからないが・・・。また、議論が明確になったら、その方向で議論したいと思う。

「よつ葉憲章」とは何だろうか?

 宣言を作らざるを得なったのは「日々の目まぐるしい出来事の中で方向を見失わないために」指針を作ったという。たしかにこの日本でも社会の動きが一段と早くなったと思うので、人々の行動の指針が必要だろうと思う。

 「よつ葉憲章」とはいつ頃に作成されたのであろうか。機関誌には「よつ葉憲章」が掲載してあるが、多分新入会員の中には読んだことがないという人もいるだろう。だれでも目に触れるように新入者用のパンフレットには印刷してあると思われる。

 私は会員でないが、そうした機関誌を読むだけで想像するから、PRの実態を見たことが無い。毎月の会費の封筒にも掲載してあるのだろう。配達の車にも看板として作られているだろう。

 2005年に「よつ葉宣言」は関西よつ葉連絡会が作成している。たんに消費者運動だけではなく生産者にも呼びかけている。「よつ葉生産者憲章」もさらに個別業態別には「よつ葉乳業環境憲章」も2005年という同じ時期に作られている。

「よつ葉宣言」の内容

 「よつ葉憲章」は1項目から5項目まである。5項目あるということは、食べ物に関して「日本脳性まひ者協会 全国青い芝の会」の「行動綱領」とほぼ同じ形態をとっている。5項目というのは妥当であろう。どちらも根本的には今の社会に対する行動を提起している。

 1項目は「私達は安全な食べものと、安心して暮らせる自然と環境を求め、その実現に向けて行動します。」とある。自然と環境をについて触れてある。2は「私達はモノよりも人にこだわります。バラバラにされた生産・流通・消費のつながりをとりもどし、そして人と人のつながりを作り直します。」とモノよりも人の息遣いに興味を示している。今の社会では、「生産」と「流通」さらには「消費」の流れは分断されているという指摘だ。

青い芝の運動との比較・私の思いつき 

 3は「私達は食生活の見直しを通じて、世界の人々の生活を考え、共に生きる道を目指します。」とある。4つ目は「私達は、目先のとりあえずの解決より、根本的な未来に向けた暮らしの創造をめざします。」

 一国規模での農業から飛び出して世界の人々が生きていく道を目指すとしている。この4項目目が大切である。1970年代初期に「日本脳性まひ者協会全国青い芝の会」が、同協会の「行動綱領」には、ここで思い出したのだが4項目には「一、我らは、問題解決の路を選ばない」と同じような言葉があることに気付いた。よつ葉宣言は文章では「目先のとりあえずの解決」となっている。

 当時「青い芝の宣言」の激しさに圧倒されたが、身を持って実感したという激しさはいつ読んでも変わらない。それだけ「自己主張」の必要があったのだろう。日本においては障害者の激しい宣言でも包み込んでしまう。今もそうだと思う。

 最後の5は「私達は、志を同じくする団体や個人との協同を、小異を超えて追求します。」とある。各自運動に違いがあるが、共同行動と連帯の意思を表明している。

 全体としては「よつ葉宣言」は「私達」を主語にしているが(また文末も「です」)、それに対して1970年代に「日本脳性まひ者協会」は「我ら」という言葉を主語にしているとの差はある。その意味では「よつ葉宣言」は21世紀型の文章であろう。

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2011.07.31

なでしこジャパンの闘争宣言

――手元にある資料を読んで――

 女子サッカーチーム「なでしこジャパン」は巷に有名である。女子のワールド・カップでの優勝戦でアメリカチームを破ったことも賞賛されているが、ほとんどはプロではなくて、それぞれの勤務先の合間に練習をしているという努力物語で有名である。「今こそ派遣法抜本改正をやれ」と要望している、<あらゆる働き方に権利を!>を掲げた労働組合東京ユニオン発行の「GU」(第331号、2011年7月21日)に掲載された記事「差別と闘う『なでしこジャパン』をシンデレラ・ストーリーにしてはいけない」を読んで、隠された面にも驚かされた。すでに周知のことかと思うがこの記事について触れて、記事を書く。

パートなどで働く女性たちの代表でもある

 勤め先をパートやアルバイトなどで、やりくりして試合(ワールドカップもそのうちという)に臨むという、日本の女子サッカーに特有な事情がある。試合に勝つことによって女子サッカーが社会的に認知される(それを不思議な「日本人らしさ」に求めず「なでしこジャパンが勝ったのは男子ほどプレシャーがなかったからだ」という森田浩之に代表される「ジャーナリスト」もいる。日本版Newsweek 2011年8月3日。)

 ここはGUの筆者の主張するように「パートで働く多くの女性たちが・・・それを打破し自立した労働者として社会的に認知させるために奮闘する思いに似てはいないか」に同意する。その発言がマスコミに伝わって「男子にだけは負けたくなかった」という表現になったと思う。

 だからマスコミが「なでしこジャパン」が勝ち進むに連れて遠ざかった所以であり、セルジオ越後さんが「(今は)優勝した事を盛り上げようとしているが、予選は無視に近かった。勝ち進むにつれてつまみ出した。これでは裾は広がらない。」と言い切っているとおりだ(奥田みのりの日記参照)。

男女同権が進んだ国

 ある報道によれば、海外で勝利は1戦当たり「なでしこ」は10万円に対して男子は200万円にも及ぶという。彼女たちは好きなサッカーを行なうことができるのだからという声があるだろう。その社会的な評価の差が表われたのが、女子のチームからアメリカにわたり、プロサッカーチームに所属したある女性選手だろう。

 本当かどうか分からないが、ワールド・カップのアメリカ大会プログラムに「女子サッカーは男女同権の国ほど強い」と明記されているそうだ。日本はこのアメリカに勝ったけれど、日本は優勝賞金が男子3000万円に対して女子の「なでしこ」はわずかに150万円という性別による格差が厳然としてある。また、ある報道によれば海外で勝利は1戦当たり「なでしこ」は10万円に対して男子は200万円にも及ぶという。女性の待遇改善が焦眉の課題になっている。

 もっとも好条件の澤でも年収360万円程度だ。世界クラスの選手でもほとんどがアルバイトやパートなどで生計を維持しているそうだ。だから勝つことで人々の人気を集めるという宿命があったのも分かる。

 日本は先進国では男女同権度が極度に低い。それでも日本の代表がアメリカに勝ったという出来事は海外でも注目されるようだ。それと背景になにかあるのだろう、と強さの秘密に東北大震災との関連が行なわれたようだ。それを受けたマスコミが走ったようだ。

試合毎に「差別撤廃宣言」を行なう

 「なでしこジャパン」は写真でも明らかなように試合前に“Say No To Racism"という横断幕を掲げている。ワールド・カップではベスト8以降の毎試合ごとにキックオフ前に「差別撤廃宣言」を行なっている。

 ワールド・カップでは「我々は人種、性、性的志向に対する差別に反対します」という内容を宣言していたという(奥田みのりの日記参照)。さらに最優秀選手に選ばれた澤穂希キャプテンによると「日本代表チームは、人種、性別、種族的出身、宗教、その他いかなる理由による差別を認めないこと」と反差別宣言をしている。さらに「サッカーの力を使ってスポーツから、そして社会の他の人々から人種差別や女性への差別を撲滅することができると訴えて、日本代表チームが「目標に向って突き進むことを誓い」「共に差別と闘ってくださるようにお願いいたします」と呼びかけられている(この項目は「w」さんのGUによる記事参照)。この社会に根ざしている「か弱い」女性に対する、一方的にきめつけられると迷惑だろう。多くは社会的に「弱い者」に対する保護意識に寄りかかっているとしても、家父長主義(パターナリズム)だ。

 日本古来の「なでしこ」という名称にこうした闘争宣言は合わないという人もいるが(そこで「日本人らしさ」とは何をさしているか不明だ)、この言葉でひきつけられた(私のような)人もいる。差別への闘争宣言を発する場所が変化しているのだ。この世に差別という人としての尊厳を傷つける悪が存在する限り、なくなったわけではない。日本の特徴は男女差別が社会的な仕組みとして根付いていることにある。

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2011.07.14

自己実現はリベラリズム社会保障に通じる

――菊池さんの「社会保障の法理念」を読んでの印象――

 最近社会保障の分野でも、悩ましい出来事が多い。かつては「これはこっちに」とか整理出来ていたものが片付かなくなってしまっている。あるいはかたづけようにも曖昧な部分が多くてきちんと収まらない場合がある。これもその一例であるが、明確になっているなら論拠を示してほしい。菊池馨実(よしみ)著「『社会保障の法理念』(有斐閣、2000年)

日本国憲法第25条と第13条の争い

 これまでの社会保障制度を支えてきた基本理念は、日本国憲法第25条の生存権である。見出しに「生存権、国の社会的使命」とあるように、多く引用されてきたが第1項は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」となっている。

 日本の社会保障制度の最後の拠り所である「生活保護法」にも「日本国第25条に規定する理念に基づき」と明記されている(生活保護法第1条)ように、国家が国民の最低限度の生活を保障すべきことを決めたとされる「ワイマール憲法」に従う20世紀の到達点をなしているイギリスで「ナショナルミニマムの思想」が20世紀に作られたというが、これとも相通じる歴史的規定だ。

 これに対して憲法13条はその見出しを「個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉」と主張されるように「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」とある。

 さらに「社会連帯」がある。日本国憲法では第29条(題名は「財産権」であるが)第二項には「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める」とあるように、生存権の基礎を位置づけているとも見ることが出来る。なるほど、法律は全体で解釈する必要があると思う。ここまでの論術であれば法律学者なら行なうとして片付けてもよい。

憲法第13条が持つ個人の自発的な力

 いろいろと述べてきたが、率直にいえば自立論や自己決定論はリベラリズムの社会保障に馴染むのであり、旧来の国家対国民という図式に当てはまる「福祉国家論」とは異なるといえば、悪乗りしていると受け止められるだろうか?社会保障といえばそれを実現している国家は「福祉国家」というが、アメリカに主流な人々の意味する「福祉国家(リベラリズムの社会保障)」もあってもいいはずだ。

 菊池さんは自らを「リベラリズムの社会保障」にたつと明言されているが 旧来の「福祉国家論」に対して、個人の自由を尊重することがリベラリズムの社会保障を構成する法理念となるそうだ。旧来の「福祉国家」は、保護されるべき存在を「弱者」として捉え、客体として位置づけるが、積極的な能動的市民という扱いを拒否する。

 そこではパターナリズムによる生活の押し付けが当然として行なわれる。ここから、障害者には馴染みの用語「自立」とか「自己決定権」という話と結びつく。引用されているところに頼るが、個人が人格的な自律した存在として、主体的に自らの生を追求できること」になる。ここで自律という言葉を「自立」という用語に置き換えることも可能だろう。

 どうも「自己決定権」や「自立」と唱えると私的「自由」を唱え、そうすると福祉国家による庇護を拒否する結果になる。そこで「弱者」に甘んじるのではなくて、相手と互いに自己主張をしあう関係、あえて言う個人と個人が対等な関係をむすぶことから社会を共に作る同士という関係に入ることで、一方的な保護を求める存在に別れを告げる。

 認知障害者の場合、失うべき存在のあまりにも大きいことにビックリして、リベラリズムを本来とする社会の思想にはむかえないとしたら、どうだろうか。自分達が「選択」し、それにしたがって「参加」をするという道を選ぶ、当然ながらそれ相応の財産権の制限、つまりは公共の福祉のために「負担」(憲法29条の第二項が用意されている)は余儀なくされる。

強い個人に当てはまるという批判に対して

 菊池さんの主張は「強い個人」を想定している、との批判があるそうだ。とはいっても随所に「強い個人」の選択権を根本においているという批判を受けるのも当然だろうと思う。

 この際、福祉が国家の体制となった北欧とはどこが、どう違うのかを比較してほしい。また、宮本太郎さんの「自由への問い・社会保障」(2010年、岩波書店)にも、菊池さんが登場して「社会保障法の基本理念としての自由」を書いている。ここらで討論してほしいと思う。

 障害者達にはあえてリベラリズムの社会保障にたつと言ってほしい。最低限度の生活が保障された段階であるが、あえて論争をしてほしい。曖昧なままだと「自立」「自己決定」と名の下に折角確立した最低限度の生活も失われるし、「最低限の生活」という名のもとに自分らしい生活ができない場面に追いやられる。論争を待つ。

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2011.06.11

公契約事業における労働者保護対策

――日本の自治体事業における適正な価格を通して委託事業者の選び方――

 もとになった文章自体は、2010年12月18日にNPO法人「労働と人権サポートセンター・大阪」の例会で話したものである。NPO法人「労働と人権サポートセンター・大阪」は研究会「職場の人権(〒530-0027 大阪市北区堂山町8-13富山ビル4階06-6315-7804)」とたまに研究会を共催している。そこで研究会「職場の人権」の(第70号、2011年5月20日)に掲載されたというわけである。わずか、40ページの小冊子であるが、この号には私の報告と同時にコメンテーター橋本芳章さん(大阪府職員/前自治労大阪府職員労働組合委員長)とが話している「公契約事業における労働者保護対策」(しかも会場からの質問は全部紹介されている)として掲載されている。もう一つは「関西地区生コン労組の地域ゼネスト」と題して報告者に「関西地区生コン支部副委員長」を迎えて研究会「職場の人権」代表である熊沢誠さんが対談している。このように労働組合の現在の活動をしっかり追っている雑誌である。一度直接手にとってご覧になることをお勧めする。

記事のリード部分

 自治体職員の3人から4人に1人が臨時・非常勤職員で、その処遇が官製ワーキングプアとして顕在化していますが、もう一方で問われているのが自治体の民間委託にまつわる入札等の問題です。競争入札で極限まで買いたたかれ、そのしわ寄せが労働者に転嫁されています。

 こうした矛盾に対して、総合評価方式―政策入札の導入などの取り組みが行われています。千葉県野田市の「公契約条例」の制定に続き、いくつかの他の自治体でも条例化の動きが始まっています。

 今回は、自治体政策・社会福祉問題の第一人者であり公契約問題に詳しい大谷強さんに報告していただくとともに、長年現場でこの問題に取り組んでこられた橋本芳章さんにコメントをいただきます。

公契約事業(公契約条例)とは何か

 最近は公契約への注目が高まっていて、全国的にも東京三多摩地方に在る自治体とか千葉県野田市についで政令市では川崎市の事例があるようです。さらに山形県や他の地方でも取り組まれているようです。また、この研究会(労働と人権サポートセンター)でも公契約研究会への参加の呼びかけが行われています。

 今日は手元に、自治体の公契約に関連した本も持ってきました。レジュメ(当日配布)の最後に参考文献を紹介していますが、小畑精武さんの『公契約条例入門』(旬報社、二〇一〇年)、これは良い本です。また、地方自治総合研究所の辻山さん・勝島さん・上林さんの手になる千葉県野田市に関係した『公契約を考える』(公人社、二〇一〇年)もあります。それから大阪については入札改革に挑んだ知的障がい者の運動の背景を詳しく述べた『エル・チャレンジ』についての本も出されています(解放出版社、二〇〇五年)。これらはいずれも参考になると思います。お隣の兵庫県尼崎市に議員が上程はしましたが、条例作りには失敗したという貴重な経験がある印刷物も入手しています。

 今日の報告は「公契約事業と労働者保護」というテーマでお話をするように言われましたが、今、一般には自治体による「公契約条例」についての議論がされているかと思います。それで、初めに「公契約条例とは何か」という点からお話していきます。国会では全国におよぶ法律が創られ、条例は自治体の議会で成立できるものです。たとえば日本初の「公契約条例」は二〇〇九年九月に、千葉県の野田市における市議会で制定されました。

 さらに政令指定都市では、神奈川県の川崎市でも二〇一〇年一二月一五日、公契約条例が市議会で成立したということを聞いたばかりです。関西では兵庫県の尼崎市で制定しようという動きがありました。この場合は市議会の議員が提案して、白熱した議論が行われましたが、最終的には二〇〇九年六月に二票差で公契約条例を求める側は反対側に負けたということがありました。

 法律は国会によって制定されるのですが、こうした公契約の分野では未成立ということになっています。法律に対して、条例は地方議会で作られるものなので、条例を定めることはできるが国の法律を上回ることはできないという限界もあります。各個人・企業が他の地域に移動して自由に活動することを防ぐには条例では自治体単位で作成され効果は他の自治体に及ぶものではないということで無理だというわけです。

 しかし、自治体が単独では個人や企業に対する効果が薄いことから、自治体連合ということで頑な国を包囲するようなことが必要かなと思います。公契約条例という名称ではありませんが、山形県では「山形県公共調達基本条例」が二〇〇八年に制定されています。都道府県全体ではかなり影響力を持ちます。大阪府の動きも同様です(大阪府は条例ではない)。また、大阪市、豊中市のように、事実上公契約条例の問題に取り組んでいる自治体もあります。条例の形式ではないが、行政による企業への規制力の発揮が期待できるといえる方法です。

背景にある「談合批判」

 入札については、武藤博巳さんの著書『入札改革』(岩波新書、二〇〇三年)のサブタイトルが「談合社会を変える」となっているように、最初に原則として「談合批判」というのは、入札において新自由主義を求めているといえます。だから望ましいとはいえません。それからマスコミなどでは「競争入札優先」で対応すべきだということが掲載されますから、価格を巡る競争になる傾向があります。基本的には新自由主義には価格競争を通して効果的に財政を圧縮するという側面があります。応札した事業者には、事業コストの圧縮が期待できるということです。

 競争入札優遇の考え方にはこうした競争による事業コストの低減を求める動きがあります。行政は不効率であるが、民間事業所は競争によるコスト引き下げを図るという図式である。政策入札(総合評価入札制度)を支持する人たちは、自由主義競争による入札参加企業の価格引下げ努力に対してどう扱うか争点になるでしょう。自治体財政が苦境になっている今の時期で、どう対応するかが、本格的に問題になります。

 しかし、それがもたらす弊害をどう扱うのかということで、国も入札制度の見直しや各地で公契約条例の制定などの動きが始まっています。談合は申すまでもなく競争入札自体を脅かす悪いことですが、一部の新自由主義者が言うように談合批判ばかりに終始していますと住民にとって長期的な視点で行政がむすぶ契約とはなかなかならないと思います。税金を減らすことで行政が身軽になって効果があるではないかという反論が出ます。

国際ルールとしてのILO条約

 国際的には、こうした公契約がもたらす問題点をどう解決するかということで、かなり以前に作られたILOの第九四号条約(公契約における労働条項に関する条約、英文ではLabour Clauses in Public Contracts)がある。これはすでに半世紀以上前に、一九四九年に作られたものです。国際的には六〇ヶ国が批准しています。しかし、日本はまだ批准していません。この条約については、先ほど挙げた小畑さんの『公契約条例入門』に紹介されていますので、参照していただければと幸いと思います。公契約の背景には「市民の税金を基とする公的事業で利益を得る企業は、労働者に人間らしい労働条件を保証すべきであり、発注者である国、自治体や公的機関はそれを確保するための責任を負っている」ことが基本とされます。

<ILO九四号条約の概要>(ILO駐日事務所HPより引用)  この条約は、公の機関を一方の契約当事者として締結する契約においては、その契約で働く労働者の労働条件が、団体協約または承認された交渉機関、仲裁裁定あるいは国内の法令によってきめられたものよりも有利な労働条件に関する条項を、その契約の中に入れることをきめたものである。この契約に挿入される条項及びこの条項の変更は、権限のある機関が、関係労使団体がある場合はその労使団体と協議した上で、その国の国内事情にもっとも適当と認められる方法でこれを決定しなければならないことになっている。

 こうした契約の中に挿入された労働条項が遵守されなかったり、あるいはその適用を怠る場合には、適当な制裁が行われることになっている。

 従って、この条項の有効な実施を図るために十分な監督制度の設置について考慮しなければならない。

 関連する勧告として同時に採択された同名の勧告(第八四号)がある。 (http://www.ilo.org/public/japanese/region/asro/tokyo/standards/st_c094.htm) (引用終わり)

地方自治法の改正

 日本では、一九九九年に「地方自治法」が改正されました。具体的にはあくまで原則は第二三四条第三項で「予定価格の制限範囲内で最高または最低の価格をもって申し込みを契約の相手方とする」。と同時に、但し書きでは「最低の価格をもって申し込みを者以外の者を契約の相手方とすることができる」という例外規定を設けました。

 施行令の第一六七条の一〇の二第一項で「価格その他の条件が当該普通地方公共団体にとって最も有利なものをもって申し込みをした者を落札者とすることができる」と規定したのです。この規定の内で価格その他、最も有利なもの」に公契約条例とか総合評価(政策評価)を入れることができるようになった。

 また、大阪府は「行政の福祉化」推進プロジェクトチームを一九九九年一一月に副知事をトップに各部局総務担当課長から組織し、報告書を実現する仕事を行いました(翌二〇〇〇年の三月に報告書を提出)。そのなかでも「福祉」を掲げていますが、特に「障がい者や母子家庭の母、高齢者などの特定の課題を抱えている人たちに対し、それぞれの人の自立した生活を支援していく」とうたい、なかでも「健康福祉部だけでなく、府政のあらゆる分野で既存資源を活用する」と言い切り、「雇用就労につなげていく必要があるが、新たに雇用創出のための事業化・予算化はしない」と断言しています。官公需発注に対して入札制度の改革によって雇用を求めている人材を就労させる方針を打ち出しています。

 それにしたがって総合評価入札制度が具体化しました。緊急地域雇用創出特別基金事業の活用と共に入札改革によって、障がい者や母子家庭、高齢者などの人権問題を解決する視点が濃厚です。ただ、労働条件の引き上げについてはほとんど触れられていない。最低賃金の引き上げを目的とする他の自治体の公契約条例などとの違いが、はっきり出ています。

価格だけを競う競争入札制度の問題点

 談合批判を前提として、価格だけを競う競争入札制度が優先されることの問題点は、いくつか挙げることができます。

 まず、@過当な競争の結果による物件費の低価格を導く傾向がもたらされることは事実として、予定価格の二分の一以下から価格競争入札が始まるということになっていることが多く指摘されています。本来の予定価格はどうして算出したのかという前に、価格による事業者間の競争がいかに激しいかが分かるということでもあります。

 独占企業なら他の事業で得た利益を回すことができますが、中小企業では他の事業から利益を上げられないから赤字が多くなる傾向が強くあります。それでも自治体の発注だからやむをえずして低価格でも行なっていると考えることができます。それは自治体の発注には通常では実現できない技術面の要素があると考えることができます。この面は教育訓練費用として考えざるをえない。合理的にはそうとしか考えられない。としても価格競争は入札をめぐって異常なほど過激になっています。環境配慮や働きたくても働けない人々は除外されるでしょう。

 次にA事業者は入札制度において安値価格で落札しようと試みるのは当然です。結局、清掃事業などは人件費を抑圧する以外にコストダウンの手段がない。したがって、行政が関って(というか、行政の事業の入札制度によって)「官製ワーキングプア」を生み出す要因になります。よく言われるように「官製ワーキングプア」問題は行政が引き金を引く場合が大きいのです。これ自体は自治体の税収(主に住民税・所得税にマイナスに響きます)が少なくなる結果になります。住民の税金を少しでも効果的に使うという競争入札をした結果がかえって税収を切り下げることにつながります。また、後で述べるように、自治体の支出の増加という面で関係します。

 さらに、Bいくつかの都府県では、入札に参加する事業者が減るという事態につながっている。応札すると安値で決まるということで、入札への参加を見送る業者が増えれば、その結果競争は減少して、結局独占市場になってしまう。これは、行政が実質上、応札企業による独占市場を作るということになっているといえる。大手企業が残りますと、いろいろな理由をつけて将来的にも価格は引き上げられる可能性が高まります。安いのは一時的な状態に過ぎません。

 そして、C入札制度のもとでの市場を席巻する同一財貨による価格競争は「不良品」が多く出るリスクを高めます。たとえば建設工事でも清掃事業でも、「こんな低価格だから掃除の綺麗さなど品質は二の次」といった声が、落札した事業者から出るほど。このようなことが続けば、住民サービスの質が低下して、社会全体の質を引き下げてしまうことになるのです。建物の場合は維持管理が疎かになり、すぐに建て直す余計な仕事が生まれてしまいます。建て直すコストは競争入札制度による経費削減よりも非常に大きいものになります。

 また、D環境問題や障がい者雇用などの政策課題に対して、自治体が展開している政策が疎かにされるということもあるかと思います。自治体行政は障がい者、ホームレス、母子家庭など、就労に不利な立場に置かれているような方々に対し、技術を身につけてもらい、早く就職できるように就労を支援するという試みをしています。

 ところが、他方で現在のような価格重視の公契約を続けていると、事業者はそのような技術を得た方たちを雇う余裕がなくなってしまいます。せっかく技術を身につけても、障がい者雇用が進まない結果になると、行政の投資はムダになります。あるいは、母子家庭のお母さんやホームレスの方の雇用の促進、そういう政策が実現できないということに企業の側でなっています。

 行政が委託物件のコストを引き下げるために低価格を競争入札で押し付けることによって、企業はそうした人たちを新規に雇い入れる余力がないことが生じます。行政は労働力として育成する部門は懸命に努力しますが、それと同時に資金も投じます。入札すると低価格となり、行政部門間での総合的政策効果が期待できない事態になります。大阪府では、総合評価では「政策評価」といいますが、他の自治体でも行なっている客観的評価よりも重きを置いています。行政の施策に協力する度合いも評価対象に加わります。

 さらにそれと関連しますが、E地元の商品や労働力を使えない中小企業の不利をなくすという問題があります。大企業と中小企業という対比ではないのですが、地元企業と他から進出してくる企業の違いです。多くは自治体限りで存在するという意味で中小企業に代表させます。そこで大阪や東京に本社があるような大企業は、設計や管理部門にかかる経費などを低く抑えることができ、現場の価格だけを焦点とする入札では有利になる。WTO(世界貿易機関)協定といって世界貿易の利益を独占しようと試みるグローバリゼーションの企業が最近流行しています。地域の特色を活かす地域経済の活性化という政策には矛盾するのではないかなと思います。経済的に豊かな地域を作ろうというキャッチフレーズで、行政は地元の業者(当然そこで採用されるのは地元の人です)を優先して委託を行なうように価格競争優先ではなく、総合評価入札で求めます。

 それからF「官製ワーキングプア」が大幅に増加することで、自治体の福祉支出が増えることにもつながります。これもAと合わせて大きな財政問題となります。生活保護基準以下で生活せざるを得ない場合も多いでしょう。これは必要経費ですから削減の対象とはなりません。しかし、厚生労働省による圧力の結果「水際作戦」を自治体はやる方向に向かいます。

 行政によるさまざまな福祉(生活保護もその一部)への費用が増える結果になります。いわば行政の資金が住民の消費するために使われていることになり、投資される資金は行政をも住民をも豊かにしないといわざるを得ません。Aと合わせて自治体の収入を減らし、支出を増やす「効果」があります。ですから地方財政をますます危機に追い込むことになります。

 最後に、G人材や後継者の確保に役立たないので、落札した事業者の評価が高まることにはつながりません。むしろ委託事業が低価格だと人材の質が下がるという結果をもたらします。それと同時に優秀な人材不足が一段と進みます。行政の発注はあまりにも安値だからということで、入札を敬遠する事業者が多くなっています。

 こうしたいくつかのメリットがあるにもかかわらず、各自治体で公契約条例はまだまだ進んでいません。

グローバリゼーションによる競争激化への自治体の対応

 少し視点を変えるのですが、ILOは一九九九年に「ディーセント・ワーク」の重要性を提起しています。これはチリ出身のソマビアさんという事務局長の時代に提案されたものです。九〇年代にはグローバリゼーションが急速に進展したことがあります。世界的にもかなり価格競争が進んだわけですが、ILOはこうした動向に対してディーセント・ワークの必要性を主張しました。ディーセント・ワークを通して労働者の権利が守られ、生活を支えられるような仕事に就くということができる。公契約においてもこうした適正な労働条件が守られることが当然必要です。

 ご承知のように、ILOは政府、労働組合の代表と、経営者の代表という三者によって構成されている組織です。このまま行けば社会秩序が乱れ、お互いに望ましい状況にはならない。そういう考えに基づいて歯止めをしようとしたのではないかと思っています。

 日本でも、価格競争によって労働条件の悪化につながるような一般競争入札のあり方を見直そうという議論が九〇年代に始まりました。大阪府では最低制限価格の導入を巡って府が住民から提訴され、結果的に敗訴したということがありました。一九九七年頃のことです。この経緯についてはコメンテーターの橋本さんが詳しいので、後でお話しいただけるかと思います。

 それに関係するのが、先ほど述べた九九年の地方自治法の一部改正です。競争入札制度を原則とするが、価格以外の要素も含めて事業者を評価していこうということで、公契約条例のような可能性が認められたということになります。

新自由主義的な立場からの批判

 ただ、総合評価入札制度や公契約条例に対しては様々な評価があるかと思います。そこで、どのような問題点が考えられるかを挙げていきたいと思います。まず、一般的には新自由主義の立場から、「不能率・高価格の企業ばかりが応募することになる」という批判が寄せられます。そして、技術開発による低価格の可能性をなくすということです。価格以外の要素を加味することで、不能率・高価格の企業が従来の競争入札よりも優遇されることになっていますので、この面で新自由主義の視点から批判があるかと思います。この立場では、財政面で行政にとっても不利益がもたらされるという考え方になるでしょう。

 ただ、大阪府の場合は「行政の福祉化」という議会で決められた大路線があります。その場合は人権問題という視点を強く押し出すので、労働者保護という取り組みはやや希薄です。先の就職困難者に技術教育・技術訓練を行ないます。働きたいのに働く場(=企業)がないという人権問題が社会にはある。働きたいという個人を支援するために総合評価一般競争入札制度があるではないかという、どちらかというと人権問題に軸足を置いているわけです。ですから労働者保護で労働条件を引き上げようという視点は、全くないわけではないが、他の公契約条例のようには行かない面がある。

 労働条件に関わることでは雇用継続を目標とし、契約期間終了後の解雇予防などに対する措置が必要です。契約がA社からB社に移動した場合、A社に雇用されていた従業員はB社に雇用されないということになっていますので、これは他の事業者とか、事業所とか、あるいは本社の中で吸収すべきものだと思います。契約期間中は解雇しないということになっています。契約期間中も契約期間が終了した後も、効果が顕著ではなくなるのではないかと思います。一応、継続雇用を約束するわけですけれども、それで道義的な責任は問えるかとは思います。そういうようなぬるま湯しか利用できないのかなと思います。企業に継続雇用を求めると雇用を狭めてしまう面があります。多くの障がい者たちが雇用を求めているときに雇用が広がらない危険性もあります。知的障がい者雇用では、業者は更新の際に最高点でないとして一律に解雇をした例などもあります。他の府内の自治体で総合評価方式が広がることを期待するという事例もあります。自治体だけではなく、公共事業を行なっている民間大手の企業や社会福祉法人でも同じ方式で広がって欲しいという期待もあります。

 また、継続雇用という面を重視しますが、企業によっては解雇があくまでも「自主解雇」である、従業員の方から自ら辞めるということだと言われると反論できないという部分もあるかと思います。それで、雇用継続に関する確保策はあまり効果がないのではないかなと思います。

最低賃金への「張り付き」をどう防ぐのか

 それから、労働基準法では一時金や昇進・昇格も規定はないし、現在の法律で賃金に対する歯止めは最低賃金法しかないということで、すべての労働者が最低賃金に張り付く弊害があるかと思います。アメリカなどの場合は横断的な職種別賃金が確立していますので、それぞれの事業をやるにあたって、社会的な妥当性ということが言えるのではないかと思います。

 ところが、日本では事実上、賃金は年功序列ということになっている一方、法律では年功で上がるということになっていません。最低賃金の規定に従うということになっていますので、それをぎりぎりクリアすれば良いということになって終わり、という可能性があります。基本になる労働法自体が少ないだけに、提出書類でより緻密に尋ねるとなると、今でさえ管理業務ができている企業に限られがちな傾向を促進することにつながる。それを各事業者からヒヤリングで聞き取るとすれば入札にかかわる労働法規を熟知している人材は、より多数に必要となる面があります。行政の簡素化を求める場合には矛盾する。

 次に、たとえば総合評価で入札するにしても、どの項目を重視するかを巡って行政内部で対立があります。ホームレス支援を優先しているというところ、障がい者の雇用を重視するところ、母子家庭の雇用を優先するところ、そういった違いがあるということです。さらに、そういった雇用の面よりも環境政策を重視するという方針もありますので、なかなか難しいと思います。どのような評価委員が行政の優先順位をつけるかによって、その内容は左右されるだろうと思います。

 それから、これも実際に起きている問題です。入札には多くの企業や多種多様な企業が参加される方が競争という側面から見ても望ましい。それと逆流する傾向が現れています。大規模物件を数多くの項目で評価に耐えて最高点で落札するような企業は、管理部門がしっかりと確立している。大規模物件だけではなく、中規模物件にもどんどん参加するということになっています。これは総合評価入札制度にとっては自己矛盾です。中規模物件でこの入札制度を採用した意図にも反します。行政の入札担当者は参加者(参加企業数)が拡大して欲しいという願いにもかかわらずです。それが続くと、総合評価入札制度に参加する企業が事実上限られてくるのではないかという懸念があります。参加企業が固定化する恐れがあります。評価項目を多くするとますますそういう傾向があります。評価項目をできるだけ縮小する必要があります。これは聞いたのだから、あれも聞いてみたいというのが、企業にたずねるのが普通だと思います。あえてそれをカットすることは容易ではありません。

誰がどのように業者を評価するか

 それに関連して、入札を担当する職員の事務量が増加するということも行政側の課題です。大阪府では自治体が総合評価一般競争入札という制度を利用しやすいようにということで、数少ない職員が労働過重にならないように簡易版の制度を作ったのですが、どうも活きていません。民間企業の労働面に知識がある職員の配置も必要だと思われます。また、詳細はヒヤリングを行なうという意味では職員の多くが参加することにつながる。その場合、企業に対してヒヤリングの技術を習得した職員が必要だと思う。あるいは、労働面での条件確認という点で社会保険労務士に参加してもらい、その専門知識を利用したら良いという声もあります。事務量の増大を拒否の理由としている自治体が多いが、他の方法で解決することができます。

 発注先を決めるのはプレゼンテーション(申請)の段階です。企業は契約全期間にわたって日常的に約束した事柄を守る必要がある。もし、違反した場合はその段階で指名取り消しになります。日常的な監視役をどうするかも問題になる。そのためには労働組合が結成される場合は労働組合の主張するところを聞くようにすべきだとも思う。事実大阪府でも企業が障がい者雇用を進めるように「ハートフル企業」表彰制度がある(これも総合評価入札制度に取り入れられている)。その企業については実際に働いている障がい者(団体)が申し立てる制度が大きく取り上げられている。いくつかの市民団体が参加し、社会での評価を聞くケースもあってよいと思われます。

 それと「低入札価格調査制度」も併用すればよいということもいわれています。ただ「低入札価格調査制度」があっても、落札業者は「わが社はこの価格でできると判断している」という調査に赴いた行政職員の聞き取りに対して、開き直って抗弁することがある。低入札価格調査制度は入札制度を適正にするには、効果があるとはいえません。

 以上、総合評価入札制度のいくつか問題点と思われる問題を取り上げたのですが、この間行われてきた公契約事業の進展は、他の公的な民間企業にも波及効果を及ぼすことになっています。たとえばいくつかの公益団体にもその流れは及んでいます(社会福祉法人の済生会など)。また、大阪府内では豊中市とか大阪市などいろいろな自治体での公契約を通じて、様々な総合評価の広がりをもたらしているように思います。各自治体や他の公益団体でも実行するまでは「総合評価一般競争入札制度」を大阪府は維持する見込みです。

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