損害賠償(民事)裁判を終えて


         正直に言えば民事裁判は煩わしいもので、できることならば忘れてしまいたいとすら考えていた。
         ところが先日、当会の法律相談会があり、お手伝いかたがた遺族の方の相談を、弁護士の傍らで拝聴
         する機会を得た。
         これから裁判を起こそうとしている人は、事故からのタイムラグも浅く、精神的にも一番苦しい最中
         に頑張らなくてはならない。
         こんな二重の苦しみの中に喘いでいる遺族の人たちを見て、自分の体験がなにか役立ちはしないかと
         考えて、筆を取ってみた。

         6年前、9歳だった私の娘が無謀な暴走族に殺されたが、彼は略式裁判という形式的な裁判で、たっ
         た50万円の罰金刑で禊ぎを済ませた。
         その当時は、いわゆる無気力病にドブンと浸りきっていて、自賠責や任意保険のことは知ってはいた
         が、娘の命を金に換えるような気持ちがして、自賠責保険を請求することも、賠償金について保険会
         社と折衝することもしなかった。
         そんな折り、当会会員のKさんやMさんから、「加害者や保険会社を喜ばせるだけである」との強い
         勧めがあって、事故から半年後、ようやく重い腰をあげて活動を始めた。
         民事裁判に入るには、私なりの思い入れがあり、せめてその意に反することはだけは止めよう、そし
         て最後まで初志を貫こうと決意を固めた。

         その第一番目は、加害者を一日でも長く「被告」の座に座らせておくため、極力裁判の長期化を図る
         こと。
         ふたつ目は専門的な分野を除いて、可能な限り自分ひとりの力で裁判を戦い抜くことであった。
         すなわち、裁判は遺族に与えられた唯一合法的な復讐戦なのだ。
         最後は、せっかく裁判をするからには、何かオリジナルな戦い方をして、できれば、私の後に続く人
         たちの参考になるようなものにしたい、という考えである。

         私はまず、弁護士探しから始めなければならなかった。
         一般の市民には裁判は無縁なことであり、当然弁護士を知人にもつ人は少ないであろう。
         私は7月の中旬、八王子裁判所の近くにある、東京3弁護士会法律相談室という所を訪ねた。         
         そして30分5000円の相談料を払って、当直の弁護士に面接した。ところが、私の裁判にたいす
         る考えを聞くと、その弁護士の表情は見る見る不快そうに変化してきた。
         どうも私のような依頼者は一般の弁護士には歓迎されていないのだな、ということが分かった。
         結局「ご自分で納得いくまでお探しください」と冷たく言われ、まず最初の弁護士が紹介された。

         私は自宅や裁判所の近くより、勤務地から距離的に近い弁護士を希望した。
         なぜならば、何より都心部の方が弁護士の数が絶対的に多いのと、今後裁判の進行について、頻繁に
         打ち合わせを行うためには、昼休みにとか夕方にでもちょっと寄れる方が便利と考えからである。
         また地元の弁護士は、加害者側の弁護士や、裁判官などとも顔見知りである可能性が極めて高く、い
         わゆるなれ合いが無いとも限らない、という懸念もある。
         実際はそんなことはないだろうとは思うが、いらぬ雑念を抱きながら裁判に臨む方が煩わしいと考え
         たからである。
         
         紹介された弁護士に対して私の側の条件は「私が納得がいくようにやらしていただく」という一言だ
         けだった。具体的には
         
          @納得がいくまで審理を尽くしてもらう。
          A私の思いの丈は、とことん公判廷で述べさせてもらう(この本音は裁判の長期化をねらったもの
           であったが、さすがに本音がこれだとは言わなかった。
          B必要書類の作成や、加害者に対する証人尋問は可能な限り私にさせてもらいたい。
          C和解には決して応じない。
          Dどんな判決が出ようとも、一審だけでは裁判を終わらない、などが条件であった。
         
         さらに、弁護士としての仕事は少ないはずだからという屁理屈で、着手金は払わないという条件も認
         めてもらいたかった。
         この最後の条件は、弁護士が私という依頼者への精神的同調度合いを探る上でのバロメーターにした。
         さて最初に紹介された年輩の弁護士は私の話を聞くなり「お役にたてそうもありません」と一言で断
         わられてしまった。
         仕方なく再度5000円払って紹介された二人目は、どうしたら多額の賠償金を取れるか、要は「専
         門家に任せておきなさい」と、柔和な表情を保ちつつ、私を説得にかかった。
         私は2時間ほど我慢して聞き、憤然席を蹴って帰ってきた。この時は、さすがに私の条件に合う弁護
         士探しが並大抵のことではないと自覚させられた。
         しかし幸運にも、3番目に紹介された弁護士が、神田のT・Y先生であった。
         先生は私の話を聞きながら目を真っ赤にして言われた、「戸川さんがしたいようにしてください」と。
         これが事故から11ヶ月目に入ろうとするころであった。
         
         さて次のこだわりは、裁判の提訴を、事故のちょうど一年目の「9月1日」にすることであった。
         なぜならば、加害者に私たちの怒りの気持ちを再認識させ、心理的圧力をかけるためである。
         そのため、この一ヶ月は、目の回るような忙しさであった。
         ところで私は7月の上旬、ひとりで検察庁に行って裁判記録の閲覧と謄写をしていた。
         弁護士を通さない調書の閲覧は、検察事務官の厚い抵抗にあうことになるが、「本人訴訟のため」と
         いう理由でなんとかクリアすることができた。
         
         さて、肝心の資料であるが、加害者の属性のようなプライバシーに係わる検分調書の部分は、ホッチ
         キスでしっかり袋とじしてあり、これを外さない限り、中身が読めないようになっている。
         それと知った最初の日、私はあえて謄写を依頼せず、翌週の再閲覧を予約して、秋葉原の電気街に直
         行した。そこで購入した物は「ハンディーコピー機」という手のひらに乗るコピー機である。
         
         翌週、私は盗み読みの7つ道具を持参して検察庁を再訪した。
         幸い閲覧室はガラス張りの別室になっており、私は事務官の目を盗みながらホッチキスの針を外し、
         隠されたページ約30ページをハンディーコピー機でコピーしまくった。
         唯一の誤算は、調書がごく薄い用紙で出来ているため、裏側の文字までコピーに写ってしまうことで
         ある。
         当然のことながら、規則違反は覚悟の上である。なぜならば、たとえ当事者といえども、加害者のプ
         ライバシーに関わる部分は閲覧が許されておらず、事故の根元的原因などを発見することができない
         ことへの自衛である。
         本来検分調書に書かれた内容は、公開されて然るべきである。加害者の属性が事件や事故に大きく影
         響を与えることは十分に考えられるし、それを探らずしての矯正や再発防止はありえないからである。
         しかしこのスリリングな作業でのおかげで、加害者の運転歴・暴走族時代の違反歴や補導歴などをつ
         ぶさに知ることができた。
         加害者は弱冠20歳にして、バリバリの暴走族だった。19歳の時には飲酒運転で捕まっている。
         こうした加害者の経歴が分からなければ、私は戦法の立てようもなかったのである。
         
         8月、この調書を元に、当方の論点をまとめ弁護士と共同作業で訴状を作成した。
         訴因の下書きは私が書き、弁護士と夕方毎日添削・修正した。ようやく9月1日、東京地裁八王子支
         所に提訴を終え、第一の関門は通過した。
         引き続き裁判の準備に入ったが、その前に、私は加害者とその両親を自宅に呼びつけ、娘の遺骨の前
         で、これから民事裁判に入ることを通達、裁判を傍聴する義務があることと、いずれあるだろう証人
         尋問では出廷して「正直に答える」ことを約束させた。
         
         私が裁判に期待した最大のねらいは、先にも述べたとおり加害者に一日でも長く「被告」と私が裁判
         にいう名を被せておきたいというものあった。
         そのため弁護士という専門家の「準備書面」ではなく、遺族の「上申書」シリーズという形を取って、
         裁判の長期化を図った。
         すなわち山ほどもある私が主張したいことを、(毎回引き延ばしと考えられない範囲で)上申書にし
         て出し続けるという作戦である。
         このために、予め主張したいことの概略書を作成し、裁判官をこちらのペースに引きずりこんだ。
         普通の場合、裁判は弁護士が作成する準備書面を交換しながら争点を整理していく。このやり方では、
         弁護士が裁判官に裁判進捗を促されることになる。「上申書」は原告が出す裁判官へのお手紙である
         から、言いたいことがたくさんあるときは有効である。
         
         一年と3ヶ月に及ぶ公判廷に持ち込んだ書類は、厚さ20pにもなった。内容は、
         
          @事故の状況再現と発生原因の究明。
          A加害者の暴走族という人となりは、それ自体が本事故の原因であるとする論証。
          B被害者がいかに日常生活において慎重だったか、という論証と傍証。
          C娘の全人格の証明と、私たち遺族にとって、いかに娘を失った痛手が大きいかということの証明、
           などである。
         とくにCは裁判が形骸化して、人の命が定額化されている現在、遺族としては亡くした者を最大限に
         讃える、最初にして最後のチャンスである。ひと欠片も省く必要はない。

         さて、目的の3番目として述べた「この裁判を独自なもの」にするため、2ヶ月後の公判期間中では
         あったが、私は訴状の拡大、すなわち請求金額の変更を行った。
         どの遺族もそうであろうが、私の妻はショックのあまり体調をくずして入退院を繰り返していた。
         そのため勤務先(中学校の教諭)の授業にも大きな穴を開けていた。私の主張は、妻の状況は「PT
         SD」(外因的心的障害)によるもので、その原因は、明らかに本件事故が原因である。
         そのため妻に対する慰謝料と、給与所得者が生涯受け取るべき所得が、今回のことによって減額され
         ていくだろうから、この減額分を補填せよ、という主張である。
         
         PTSDに対する損害賠償は、当時一件も判例が無く、これが通れば遺族にとって大きな前進である
         と考えた。
         公務員の場合、幸運にも生涯所得が算出しやすくなっており、この計算は都労組教職員組合が無償で
         やってくれた。
         またPTSDの証明は、妻が通っている都立病院の担当医と、カウンセリングの東京医科歯科大学の
         K先生が快く引き受けてくれた。
         
         弁論3回目から和解調停が入ったが、最初の和解で拒否を通告して以降、後は弁護士に任せたまま出
         席すらしなかった。
         弁護士には、「加害者が自宅を売却して賠償金に当てるなら、半額でも和解する」と難癖をつけても
         らったが、そのとおりに裁判官に伝えてくれたかどうかは分からない。
         しかし無駄な抵抗もようやく種切れとなり、一年と6ヶ月後第一審の判決となった。
         判決は娘の過失を10%としたもので、当然ながら私には不満が残った。
         しかし妻のPTSD分450万円がほぼ満額認められるという、画期的なものであった。
 
         ところでこの判決には、裁判官の程度の低さとしか言いようのないイージーミスがあった。
         それは一般に女性の生活控除率は30%として、生涯賃金において差のある男性とのギャップを埋め
         ようとするものであるが、あろうことか、本判決ではそれが男性と同じ50%とされていた。
         判決文の修正させる可能性を探らないでもなかったが、「一審だけでは終わらない」は規定の方針で
         あり、躊躇うことなく東京高裁へ控訴の道を選んだ。

         判決の翌日曜日、私は加害者を自宅に呼びつけ、判決で言う90%の過失割合は、絶対的な加害者の
         「非」が公的に認定されたことと同意味であるとして、改めて謝罪させた。
         併せて当方の控訴に対して、反訴をしないように命令した。しかし翌日、すでに加害者側弁護士の一
         存で、反訴手続きを済ませてしまったとの報告があった。

         これから裁判に入る人のために補足すると、金額について不満を理由に控訴した場合、相手側が反訴
         しなければ、下級審より上級審の金額が下回ることはないのである。
         反訴してきた場合は、改めて金額についても見直されるから、状況によっては逆転することも間々あ
         るらしいと、記憶に止めておいていただきたい。
         また地裁での判決が、法律の解釈や重大な判例違反がない場合、今の高裁では控訴棄却という門前払
         いが相当あることも銘記しておきたい。
         この棄却を防ぐためには、新たな証拠もしくは証人の出現による事実証明を行う(予定があることを
         明記)か、明らかな判例違反の可能性を立証するしかない。
         このところ地裁での判決では、かなりユニークなものも出ているが、こうした点では弁護士の資質と
         博識に期待する以外ないのが実状である。
         
         さて高裁における審理が始まったが、高裁が求めるものは「争点の整理」「新規証拠」だけであり、
         残念ながら、期待した地裁での確定した事実の再審査はまったく行われなかった。
         加えて申請した、現場検分・鑑定・私たちの証言などが無情にもすべて却下された。
         これらのことすべてが第一回目の公判で決定された。また裁判長の見解として地裁の判決が見直され、
         控訴の最大理由の誤判決は、当方の主張が認められた。
         しかし、過失割合については、私たちに甘すぎたとして10%から15%に減額するとのことであっ
         た。私の印象では、公判になった時にはすでに高裁の裁定がでているようですらあった。
         
         またその日に、次回から和解が入ることが告げられた。地裁から一貫して私は和解を拒否していると
         して、指定日には弁護士だけが出席し地裁と同様の主張をしてもらった。
         しかし裁判官は和解を何とかして押しつけようとし、2週間後に第2回目の和解の期日が入れられて
         しまった。
         
         何度も同じ理由で、弁護士を出すのも申し訳ないという理由から、私は裁判所が絶対に飲まないだろ
         うと思われる条件を提示して、間接的に断ろうと思った。
         それは「密室状の和解室では、傍聴する支援者に不親切である。和解室への傍聴者入室を許可しても
         らいたい」という内容である。
         ところがまさかと思った和解室への一般傍聴者の入場が(人数制限はあったが)認められ、私たちの
         反発の材料がなくなってしまった。
         結果、第3回目・第4回目の2回について、遺族の会の会員がそれぞれ2名ずつ傍聴するという実績
         ができた。
         このことで得た教訓は、裁判にはある程度の融通が利くということであり、後はねばり強い交渉次第
         だ、ということになる。
         ただし裁判官も所詮は「人間」、無理を押し通せば当然後から厳しいしっぺ返しがくる、ことも事実
         である。私の場合も、自己満足の代償に得た成果はすこぶる少ない。

         和解室では何でも話せることになったというものの、話の内容は訴訟の範囲に限られる。
         私はかねてから裁判のあり方について、裁判所に意見を言いたいとの希望を持っていた。例えば現場
         警察官の検分調書が、絶対的な信用文書として、検察も裁判所も疑義を挟もうとしない姿勢や、交通
         事故被害者に対する人権が、加害者のそれに比較して、無視または軽く見られていること、さらには
         準備書面の交換だけの、現在の民事裁判が庶民にとって分かり難い、といったことなどである。
         
         私は弁護士に依頼して「左」陪席判事に面接を申し込んだ。ちなみに3人裁判官制の場合、実質的な
         審議をするのは左陪席判事だけである。最初はにべもなく断られたが2度目の要請で許可になり、1
         時間という制限で話し合いが実現できた。
         結果は残念ながら、裁判官はただ黙って聞いているだけで、なんの意見も話されなかった。
         しかし、裁判官と膝詰めで話し合いということも、ねばり強く交渉すれば叶うという実績が得られた
         ことは大きな成果だった。
         
         これはまた、同席した弁護士にも聞かせたかった話だった。なぜなら私の弁護士は比較的良い方であ
         るが、まだまだ多くの弁護士が、私たちが裁判という手段に訴えるという目的を理解していないから
         である。
         あまり効果はなかったが多くの原告がこの方法により意見を述べ続ければ、いつかは石部金吉の裁判
         官の意識にも変化が訪れるだろうと確信する。 
                                    
         結局、2度の和解調停と1回の面接はもったものの、最終的に和解を拒否し判決を求めることに拘っ
         た。下された判決は、当初裁判長から聞いたものと寸分違わぬものであった。
         すなわち、その間の公判廷審理や和解調停、さらには個人面談など何の影響も与え得なかった訳であ
         る。
         私が受け取った感じでは、高裁では受理した段階で判決されている、というものであった。 

         控訴の最大理由である女性の生活費控除は、当然ながらきれいに修正された。
         しかしこのままでは大幅な金額増になると考えたかどうか、地裁で認められた部分に細かいチェック
         が入り、あらゆる箇所で減額された。
         まず過失割合が10%から15%にダウン、妻のPTSD賠償は、「将来の給与所得は算出できない」
         として一蹴されてしまった。
         また次の判決文に書かれた文章は、私に最高裁判所への上訴を断念させる理由となった。
         すなわち、「原告は未だ被害者の遺骨を自宅に置いたままにしており、墓地の取得費は認めない」と
         いうものであった。
         墓地は得たものの、遺骨を納め得ない気持ちを裁判官という非情な職業人には理解できないのである。

         お茶を濁したような増額はあったものの、私の獲得したものは敗北感と疲労感、そして空しさだけで
         あった。
         素人の主観だけで言うならば、地方裁判所は荒削りの彫刻を作るようなもので、高等裁判所は、それ
         を修正し整えるところ、最高裁判所はそれを眺めて評価するところと総括したい。
         

         定型化された民事裁判は、簡単にその殻をうち破れないし、裁判官に意識は、それ以上に頑迷である。
         極論すれば、彼らの頭にあるのは、いかに迅速に処理するかだけである。
         裁判が、真の被害者の救済にはならないし、ましてや交通事故を防止させるような影響力は皆無であ
         る。裁判とはおびただしい時間と、大量のエネルギーを浪費するものである。
         受け取る賠償金の多寡にこだわらなければ、弁護士を使って相手側と直接交渉で解決したほうが、ず
         っと楽である。
         とくに定められたスケジュールで、しかもプライバシーを犠牲にしていくため、心労がはげしい。

         またとくに地方にあっては、裁判というもの自体に周辺の偏見があり、それを無視すれば親戚近所か
         ら「アカ」か「金の亡者」扱いされかねないとも聞いた。
         私は事故の後遺症から立ち直れていない人には、むりやりの裁判は奨められない。乗ったが最期、途
         中下車は許されないからである。
         しかし我が身に問うてみれば、裁判をやって良かったと総括する。
         まずは、加害者を長期間「被告」呼ばわりできることである。そして判決が有利に出れば、加害者を
         呼びつけて陳謝と反省を促す切り札にもなる。
        
         残念ながら現状では事故の真相に近づき、被害者の声を代弁することができるチャンスは民事裁判し
         かない。逆に、裁判の効用はここにあるような気がする。
         確かに苦しい期間であったが、もしも裁判を起こさずに事故を解決していたら、死んだ者に対して、
         遺族の務めを果たしたと、心から報告できるだろうか。
         自分自身にとっても、この期間、裁判に集中することによって、ともすれば怠惰な道を選び、無気力
         に陥ってしまわずに済んだ。         
         形骸化した司法制度に風穴を開けることはできなかったが、諦めずに交渉すれば、開かないとされて
         いる扉もいつかは開くという感触を得た。
         
         私の後にも途切れずに交通遺族の民事裁判は続くだろう。
         その人たちがまた何かを模索して行動すれば、やがて気がつけば、不動とされた司法制度も大きく変
         わっているに違いない。

                                                           1999.11