弁護士による交通事故被害者の2次被害裁判終結
■ [ 2001.8.21日 更新 ] 弁護士加茂隆康への名誉毀損裁判が終結しました
1998年5月27日、神奈川県の葉山町に住む伏見眞樹さんは、東京の銀座に事務所を構える、自称「日本で
有数の交通事故専門」を名乗る加茂隆康弁護士にたいし、債権(みなし成功報酬金)の不存在や、留置されたま
まの事故関係書類の返還などを求めて民事裁判を起こしました。
この裁判は、開始早々に加茂隆康側が債務を放棄したり、書類を返還したりした結果、争いの焦点がぼやけてし
まい、結局伏見さんの請求は棄却されてしまいました。
この裁判に反発されたという形で、今度は逆に加茂隆康から私や伏見夫妻、そして全国交通事故遺族の会の井手
渉会長が名誉毀損で訴えられ損害賠償を求められることになりました。
東京地裁での第一審判決は双方が不服として控訴しました。そして7月11日、第2審の東京高裁から判決が下
りました。
結果は私と伏見夫妻の3名は、連帯して加茂隆康にたいし合計10万円の賠償金を支払えというものです。この
部分について言えば、明らかに私たちの敗訴ということになり、残念かつ不満の残る結果といえます。
しかし判決を熟読すれば、裁判所はことのきっかけとして、加茂隆康側に大きな原因があったことを認めた内容
になっています。弁護士という法律の専門家にたいし、無力な市民の正当な反発として、止むを得なかった防衛
と認められたわけです。
足かけ3年の長い裁判でしたが、私たちは最後まで気力を振り絞って闘いました。遺族の会の井手会長にまでご
迷惑をかけてしまいましたが、伏見さんを中心にして、団結が保たれ、多くの支援者が最後まで応援し続けてく
れました。素人集団が頑張ってこれた背景には、渡辺博・大野裕・篠宮晃・井上暁弁護士の、被害者寄りの、正
義感に裏打ちされた献身的努力がありました。
この事件は、いろいろなマスコミにも取り上げられ、弁護士被害という言葉が広く使われるきっかけになりまし
た。今までは唯々諾々として従うしかなかった依頼者と弁護士との関係が、共通の目的のために協力し合う真の
パートナーとなりつつあります。
また交通事故の解決が、単なる金銭による賠償で解決しないことを、少なからぬ裁判官に印象づけることができ
ました。よく「交通事故は保険があるから」という言葉を聞きます。
しかし加茂隆康のように交通事故を単に高額な賠償金を得ることだけを目的に、定型的な処理を急ぐ弁護士が少
なくはありません。私たちの裁判闘争は、交通事故被害者の悲しみをあぶり出すことになりました。
この事件を契機にして、裁判官や弁護士など司法界に席を置く人たちに、交通事故被害者にたいする理解が深ま
ることを願わずにはいられません。
そして、こうした認識が、交通事故を減らそう・無くそうという動きになっていくことを期待します。
以下は、高裁判決のうち、私に関連した部分の抜粋です。なお本裁判では、弁護士加茂隆康と、
私たちの側に立ってくれた弁護士渡辺博他が双方で応酬し合った、損害賠償裁判も平行して行わ
れましたが、加茂隆康の訴えそのものが棄却されました。
本判決の原文以外の各資料をお読みになりたい方は身分と使用目的を明らかにして、私宛にその
旨のメールをください。検討の上、公益に利する目的に限って提供します。
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□ 判決文全文
公正さを期すために、判決文の全文を掲載します。詳しいことをお知りになりたい方は、こちらもご覧ください。
タイトルの「判決文全文」に貼り付けてあります。
なお、この文書は[ Adobe ]システム 社の [ Acrobat ] で作成した[ pdf ]というファイル形式になっていま
す。ファイルの大きさは、およそ91KBあります。
このファイルを閲覧するには、同社の [ Acrobat Reader ] という閲覧ソフトが必要です。
Acrobat Reader は下記アドビのHPで、無料で配布しています。
なお、本ページ作成の趣旨は、裁判を透して見た交通事故被害者の実状を知っていただくことです。加茂隆康弁護
士を誹謗・非難するものではありません。無断で判決文を他の文書・書物に転載することはお止めください。
http://www.adobe.co.jp/products/acrobat/readstep.html
□ 加茂隆康の請求(訴状の骨子)と判決
○ 戸川・伏見らは連帯して300万円の賠償金を支払え → 30万円
○ 全国交通事故遺族の会の会誌に謝罪広告を掲載せよ → 加茂隆康が一審判決後取り下げ
裁判の争点は、「只今から窮鼠は、加茂センセイを咬ませていただきます」という、私が作った文書の内容が、
加茂隆康の名誉を毀損したというものです。「窮鼠」文書は、広く交通事故被害者にたいして弁護士による被害
の実体を明らかにすることであり、社会に警鐘を鳴らすとともに、伏見さんへの支援を訴えるために作成しまし
た。
加茂隆康は「窮鼠」文書をろくな調査もせずに作った杜撰なもので、その内容の多くは事実無根で、極端に歪曲
したものだとしています。
伏見夫妻はこの文書を作るのに協力し、かつ配布したという共同行為。井手会長については、会の中でこの文書
を配布するのを黙認したということでの関与を咎められたものです。
□ 窮鼠文書の内容(まずは争点の中心だった「窮鼠文書」の全文をご覧ください)
只今から窮鼠は、加茂センセイを咬ませていただきます
全国交通事故遺族の会
伏見さんを支援する有志グループ
交通事故の悲惨さは今さら言うまでもありません。今のいままで元気に笑い・話していた人
が、瞬時にこの世からいなくなってしまうのです。遺された家族たちは「事故だからしょうが
ない」という社会の風潮の中で、悲しみに耐えながら生きているのです。
この生きる「励み」のひとつに、民事裁判があるといっても過言ではありません。なぜなら
ば、大量に発生する交通事故を捌くために、警察も検察庁も入念な事故調査を行わないからで
す。加えて、このところ起訴率が大幅に低下して、死亡事故ですら起訴されないケースもまま
あり、被害者の人権は無視されています。
私たちは民事裁判を通じて事故の真相を把握し、加害者に対し、奪われた命に見合ったペナ
ルティーが科せられることを願っています。
さてここに、可愛い盛りの娘さんを事故で奪われた「伏見さん」という人がいます。彼はご
く平凡で良識ある市民であり、穏やかで知性あふれる人物です。
伏見さんが民事裁判を起こすべく考えていたとき、ふと目にとまったのが、新聞に掲載され
た加茂弁護士の記事でした。加茂弁護士は、交通事故を主な仕事にした専門家であり、しかも
被害者の立場に立って弁護活動をする「市民派弁護士」と紹介されていました。
伏見さんは藁をもすがる思いで加茂弁護士の門を叩いたところ、思った通りの好人物に見受
けられ、伏見さんは喜んで代理人契約をすることになりました。
しかし加茂弁護士は、a この直後に豹変します。b 裁判官でもないのに、事故の過失割合を
決めて、全面的に争おうとする伏見さんに妥協を押しつけようとしました。
c すなわち加茂弁護士のねらいは、類型化されたパターンにはめ込んで、事故の早期解決を急
ぐことだけでした。
伏見さんの反論に対し、d 「自分の言うとおりにしろ」と強要し、e 法律という刃を振りか
ざして脅迫まがいの言動をたびたび行いました。なんと、親しみを感じて「加茂さん」と呼び
かけていた伏見さんに「f 先生と呼ばない」と怒りだす始末でした。
やがてg 弁護士は解約を条件に、それまで■■■■■■■にも拘わらず、高額な着手金の放
棄を強要し、h 挙げ句はやってもいない裁判の成功報酬の請求書まで送りつけてきました。
これから起こそうとする裁判の必要資料などをi 差し押さえ、返還を求める伏見さんに対し「
法律家としてできる最大限の制裁を加える」とまでj 脅迫状を送りつけてきました。
追いつめられた伏見さんは、最後の手段として加茂弁護士を訴えていく決心をしました。ま
さに「窮鼠猫を咬む」の状況です。
私たち「全国交通事故遺族の会」の有志は、本来弱い者の味方であるべき弁護士の、数々の
非道・悪辣ぶりを糾弾するため、ここに全交通事故被害者の声援を受けて、全面的に伏見さん
の法廷活動支援を行うことを決意しました。
是非とも私たちの心情と窮状をご理解いただき、心からの応援をいただきますよう、お願い
いたします。
有志代表 理事 戸川 孝仁
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※ 文中■■■は、裁判所の見解で名誉毀損に当たる言葉とされた部分です。反省を込めて「窮鼠文書」から削除します。
窮鼠文書のうち、加茂隆康が「全くの事実無根であり」とするところは、文中に紫色で示した箇所は
a この直後に豹変します
d 「自分の言うとおりにしろ」と強要し
e 法律という刃を振りかざして脅迫まがいの言動をたびたび行いました
g 弁護士は解約を条件に、それまで■■■■■■■にも拘わらず、高額な着手金を放棄を強要し
j 脅迫状を送りつけてきました
また加茂隆康が「事実を被告側に都合のいいように極端に歪曲し、ことさら原告(加茂)を誹謗中傷する」とす
るところは、下記部分で、文中では青色で示しました。
b 裁判官でもないのに、事故の過失割合を決めて、全面的に争おうとする伏見さんに妥協を押しつけようとしました
c すなわち加茂弁護士のねらいは、類型化されたパターンにはめ込んで、事故の早期解決を急ぐことだけでした
e 法律という刃を振りかざして脅迫まがいの言動をたびたび行いました
f 先生と呼ばない
h 挙げ句はやってもいない裁判の成功報酬の請求書まで送りつけてきました
□ 窮鼠文書はデタラメか
本文書にたいし、加茂隆康は「いいかげんで杜撰な事実調査をしただけ」といいますが、それにたいして裁判所
は「戸川孝仁は、伏見眞樹らから加茂隆康との交渉経緯の税明を受け、伏見眞樹らと加茂隆康との間でやり取り
された文書も見せられ、本件事故の現場にも行ってみるなどして、」「さらに第一東京弁護士会の副会長から紛
議調停の状況を聞いたり」(して)「本件ビラを作成したものであり、いいかげんで杜撰な事実調査をしただけ
であるということはできない」ので加茂隆康の前記主張を退けています。
そして「その核心的な部分は事実ないし事実に近いものであると評価することができる。」と窮鼠文書が事実ま
たは真実に近い、と判断しているのです。
□ 窮鼠文書の公益性をめぐる論議
窮鼠文書を書こうとしたきっかけは、加茂隆康からうけた伏見さんの話を聞いて、他の交通事故被害者や遺族に
まで同様被害を波及させてはならないと思ったからです。裁判では窮鼠文書は公益性を図る目的で作成したと主
張しました。
それにたいし加茂隆康は、「弁護士は在野の一法律家にすぎず、国会議員のように公益を代表する者とは明確に
立場が異なるから、本件ビラには、公共性も公益性もない」と反論しました。
これにたいして裁判所は、「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とすることを期待
され(弁護士法第1条参照。)そのために特別な資格を必要とされ、種々の義務を負う(中略)したがって、弁護
士としての業務活動が公共の利害に関する事実にかかわるものでないなどということは到底できない。
本件ビラは、その内容に照らし、公共の利害に関する事実にかかわるものと認めることができる。」と明確に弁
護士の公益性を当然視し、窮鼠文書の公益性を認めた判断を下しました。
□ 窮鼠文書の内容にたいする裁判所の見解は
「さらに、本件ビラの内容及び前記認定に係る本件ピラの作成目的と本件の事実経過に照らせば、本件ビラは、
強い調子の用語も一部に多用されているものの、全体としてみれば、加茂隆康の弁護士としての業務活動を非難
して、交通事故によって娘を失った伏見眞樹らの立場を擁護し、伏見眞樹らの訴訟活動への支援を表明し、これ
らを遺族の会の会員や一般公衆に知らしめようとするという目的に即した内容であって、その表現も、訴訟の提
起を前提としてその支援を求めるものであることが読み手に分かる文章であることや、現に別件訴訟の提起が予
定され、加茂隆康からもかなり強く伏見眞樹らを非難攻撃する文書が送付されていることをも勘案すれば、特に
過激なものではなく、全体とすれば、殊更個人攻撃のみを行うものではないと解すべきである。」
「本件ピラは公益を図る目的に出たものということができ、公益性の要件は肯定される」として、窮鼠文書の公
益性をはっきりと認めています。これは私たちの主張がほぼ全面的に通ったことにほかなりません。
その上で、文書の内容で加茂隆康の名誉毀損に当たる部分について「本件ビラの記載のうち、戸川孝仁ら三名が
名誉毀損の責任を負うのは、そのごくごく一部であって、第一審原告が問題とした表現箇所の大部分については、
名誉毀損の責任を負うものではないこと、」「g部分のうちの更に一部である「それまで何もしなかったにも拘
わらず」という部分を除けば、非法律家である戸川孝仁ら三名がこれを「脅迫状」という文言で表現しても、表
現上の当否の問題はあるものの、やむを得ないところであり」まさに全文書の中のたった一点一字「何も」だけ
であると判断しています。文中では赤色で示しました。
さて、窮鼠文書の中で、ただひとつ加茂隆康にたいして名誉毀損にあたるとされた言葉「何もしなかった」は、
私たちの日常的な会話のなかでもごく普通に多用される慣用句として、「ここの料理は不味くてまったく食えな
い」とか、「この町には悪い人はが誰もいない」とおなじ用法で用いられています。
今回はこうした曖昧さで用いたのではなく、依頼者の本来のニーズに応えていないという意味で用いています。
例えば伏見さんに限らず、食堂に入って「天ぷら蕎麦」を注文したのにたいし、店主が「たぬきうどん」を出し
て、同じカロリーだから食べろ、と言われたとき、誰でもきっと「頼んだ物が全然出てきてないじゃないか」と
言うでしょう。
ところが裁判所の判断では、この全否定がいけなかったということになります。慣用的とか柔軟な解釈は、お堅
い裁判所には通用しなかったわけです。この場合「(ほとんど)何もしなかった」に「ほとんど」を書き加えさ
えすれば、窮鼠文書は全然問題にもならなかったのです。
□ 加茂隆康は伏見さんのために何をしたか
私は窮鼠文書において、加茂隆康が「それまで何もしなかったにも拘わらず、高額な着手金を要求し・・」と書き
ました。伏見萌笑ちゃんの事故は平凡なものではありません。
車がすれ違えないほどの狭い生活道路において、原付バイクによって歩行者がはねられ、死亡したものです。
弁護士はせめて現場を見るなどして、この事件の特異性を見極めて欲しいのです。加茂隆康はこうしたノーマルな
調査活動を行わず、「プロの言うことに間違いはない」と言って、定型的な処理を押しつけようとしました。
だからこそ「何もしなかった」と書いたのですが、裁判所では「何かをした」と判断しました。その何かとは、加
茂隆康の事務所を訪ねた加害者側保険会社の代理人との交渉、そして加害者側弁護士との交渉の合わせて2回の折
衝と、その結果に基づく伏見さんとの諸連絡が認められました。依頼者の要望に応えることなく、この程度の折衝
で約97万円の着手金が支払われ、訴訟を前提に、さらに約84万円の追加着手金を要求されたのです。
「著名な弁護士だから」としても、ちょっと高額過ぎる気がします。さらにこれを追いかけるようにして、解約さ
れた場合の「みなし報酬金」として約229万円を要求されたのです。伏見さんの味わった驚きと恐怖は、察して
余りあります。
なお、伏見さんとの交渉が行き詰まった段階で、突然加茂隆康は民事裁判用の「訴状」を出してきました。あまり
の唐突さに、私たちは訴状の偽造を疑いました。その可能性を立証するため、加茂隆康のワープロの機種を探し出
し、偽造の可能性を立証しました。今回判決で、加茂隆康の「したこと」の中に「訴状の作成」は認められていま
せん。
加茂隆康に「非」があるとされるところ
● 類型的、一般的な過失相殺についての判断を受け入れるよう勧めるばかり
● 報酬金等を精求することを告げながら・・多額の追加の着手金の支払を求める
● 事件はいつまでも解決しないなどと脅しに近い言い回しも用い
● 加茂隆康を「先生」と呼ばないことを非難し
● 預かっていた本件事故関係の書類の返却に応じず
● 伏見眞樹らの人格等までも厳しく非難攻撃する言葉を含む文書を送付した
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□ そして、そもそもの事件における原因については
「(1)加茂隆康は、本件委任契約の締結後、迅速かつ合理的な事務処理をしているものの、伏見眞樹らの当初
の期待とは異なり、伏見眞樹らの考え方について伏見眞樹らと真摯に検討、協議をすることをせず、種々の独特
な考え方を有し損害賠償金の獲得だけではなく納得を望んでいる依頼者である伏見眞樹らに対し、類型的、一段
的な過失相殺についての判断を受け入れるよう勧めるばかりで、事件の早期解決を目指し、(2)特に平成9年
6月6日以降の対応は、伏見眞樹らの主張を顧慮しない態度を明らかにし、かつ、本件委任契約を解約するので
あればみなし報酬金等を精求することを告げながら、訴訟の提起や、追加の着手金の支払を求めるというもので
あり、(3)同月13日以降は、事実上、伏見眞樹らを非難しながら、加茂隆康の考え方に従った訴訟の提起を
強く勧め、それに応じなければ、事件はいつまでも解決しないなどと脅しに近い言い回しも用い、また、伏見眞
樹らが加茂隆康を「先生」と呼ばないことを非難し、(4)同月23日以降は、みなし報酬、訴訟提起の着手金
等の支払を要求して、預かっていた本件事故関係の書類の返却に応じず、伏見眞樹らが更に申立て等をした場合、
その内容や言動のいかんによっては、断固として厳正なる対抗措置、場合によっては法的制裁を求める措置を執
る旨の文書や、伏見眞樹らの人格等までも厳しく非難攻撃する言葉を含む文書を送付したということができる。」
と、加茂隆康の側に原因があるとしています。
□ そして事件の核心は
伏見さんが加茂隆康の門を叩いたのは、毎日新聞に連載されたいた『弁護士カモ君のコンポート』というエッセ
イの中に、依頼人のメンタルケアについての必要性が書かれていたのを目にしたからです。
恐る恐る近づいた伏見さんにたいし、加茂隆康は「精神的なケアについても弁護士として対応可能なことを説明
した」のです。こうして一度契約に至ると、加茂隆康は突然定型的な処理方法を押しつけてくるのですから、依
頼者は当惑してしまいます。
たまたま伏見さんは、加茂隆康の言いなりになるような人ではありませんでしたので、弁護士による2次被害が
明るみに出ましたが、この段階で多くの人は泣き寝入りになってしまうに違いありません。
結局、単なる交通事故の損害賠償問題が、こんなにも大きな事件に発展した背景は、偏に「加茂隆康の行為につ
いては、委任者である伏見眞樹らとの間の意思疎通の点で性急な面があり、また、配慮に欠ける面があったもの
といわざるを得ない」と裁判所に言わしめているのです。
□ 判決に仮執行が科せられなかった背景
普通の場合、判決には仮執行条項はつきます。すなわち敗訴した側が、勝訴側に速やかに損害賠償金を支払わな
い時は、仮執行という強制的差し押さえ手段が認められます。
この事件が最初に争われた東京地裁では、この仮執行について「仮執行宣言については、本件に現れた一切の事
情を考慮すると相当ではないから、これを付さない」という珍しい判決を出しました。
このことを見ても、この事件が一方的に伏見さんに落ち度がないこと、むしろその原因を作った加茂隆康の側に、
責任が大きいことを証明しています。
□ 加茂隆康の肉声
今回の裁判において、伏見さんと加茂隆康が、いわゆるボタンの掛け違いを生じた背景は、マスコミに載った加
茂隆康の文書がその発端でした。しかし、双方の歩み寄りということもなく一気に裁判まで突入した訳は、加茂
隆康の容赦ない言葉であったことが想像されます。
以下は裁判のなかで、加茂隆康が言ったこととして認定された言葉(または文章)の数々です。
○ あなた達は異常だ。
○ あなた達をまともに相手にする弁護士などいない。
○ 銀行口座を差し押さえることもできる、私も徹底的にやりますからね。
○ 当事者のお考えが専門家からみますと著しい独断であり、その独断にこりかたまって、容易に専門
家の意見を聞きいれないということになりますと、大いに問題です。
○ 私は『交通事故賠償に関する日本有数のスペシャリスト』と目されています。自分が納得しつつ進
める裁判でないなら、裁判などはしたくないというのであれば、裁判はおやめになることです。
その代り、本件はいつまでたっても解決しないことになりますが。」
○ これ以上身勝手なことを言って、例えば訴えるなどして私の仕事に害を与えるようなことがをした
ら、営業妨害で逆に訴えますよ。そうすればあなたの銀行口座を差し押さえることもできるのです
からね。
○ 私の意見に従わないで解約したら、成功報酬を頂くことになりますからね。
○ プロの言うことに間違いはない。素人は口出しするな。
○ そもそも弁護士のことを「先生」と呼ぶべきであり、そこからして(そうしない)あなたたちは非
常識だ。
○ 『精神的な救済』を与えられるべきは、良識のある被害者の場合であり、良識のない被害者の場合
は例外です。貴殿らのひとりよがり、身勝手、非常識は、常軌を逸しており、目に余るものがあり
ます。
○ 当職の22年間に及ぶ弁護士生活の中でも、貴殿らほど、かたよった非常識な人物は存在しません。
○ 貴殿らがもし当職に対し攻撃を加える場合には、当職は法律の許す範囲内で、貴殿らに対し、容赦
なく、徹底的に法的制裁を加えますので、その旨ご承知おき下さい。
※ 自分が「被告伏見眞樹・昌子という非常識極まりない夫婦に遭遇した被害者」である。
※ (被告伏見夫婦らの)言動は、片思いの恋愛感情が、その相手方からつれなくされることによって、
怨念に転じた場合のストーカー的言動に酷似している。(※ 加茂隆康の準備書面より)
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□ 加茂隆康の著述活動
庶民にとって裁判はまるで別の社会です。当然弁護士に知り合いなどがいようはずがありません。そもそも伏見
さんが、損害賠償のことで加茂隆康の事務所を訪れたのは、毎日新聞に連載されていた「弁護士カモ君のコンポ
ート」というエッセイを目にしたからです。
そこに書かれている加茂隆康の人柄に惹かれたのです。しかし現実に依頼してみると、そのあまりの差に驚かさ
れました。加茂隆康は実体とはほど遠い著作で、依頼者を釣り上げているのではないかと、私たちは裁判で主張
しました。それにたいして、これらの著作は「加茂隆康の著述等からうかがわれるその人となり、弁護士として
の姿勢」を顕わす記述として、事件の背景事情を説明するのに「関連性・必要性」があるとされました。
【弁護士カモ君のコンポート】 1997年まで毎日新聞日曜版に連載
○ 「クオリティーライフ」 (弁護士も賠償金を取るだけに目を奪われてはならない。依頼人のメンタル
ケアが必要)など
○ 「不用意なひとこと」 (弁護士は負けるだろうと思っても、依頼人の主張に沿ってどこまでも正当
性を主張する)など
○ 「ドーミエの描いた人々」 地方における裁判では、顔なじみである原告側・被告側の弁護士がヤラセの
裁判を行っているという話
【弁護士カモ君のちょっと休廷】 角川書店
○「海からの風」 ある交通事故の裁判で、裁判官ら関係者が北海道まで現地調査に行ったついでに、
温泉で飲み食いしたという話、その中で加茂隆康はその費用を一時立て替え払いさ
せられたが、割り増しの精算経費を受け取ったと告白した。
【交通事故賠償】 中公新書
「金銭だけで被害者が完全に救われるものではない。精神的な救済も忘れてはなら
ない」などと書かれる。この本は加茂隆康が伏見さんに贈呈しました。ただし、こ
の本は加害者専用だとのことです。
【交通事故法入門】 光文社
「インフォームドコンセントが望めないような弁護士には近寄らないに越したこと
はない」などと書かれる。
□ マスコミに取り上げられた加茂隆康名誉毀損裁判の報道
※ 下記の名前をクリックしてください。記事の全文をJPEGファイルでご覧になれます。
◆1998年5月28日 読売新聞(朝刊)
◆1998年6月14日号 サンデー毎日
◆1999年7月14日 読売新聞(朝刊)
□ 訴訟費用の負担が意味すること
訴訟費用についても「本件ピラの記載のごくごく一部につき共同不法行為が認められるが、大部分は違法ではな
く、その他の文書も違法ではないとして、少額の請求しか認容されておらず、本件における主張立証の内容等も
合わせ考えると、加茂隆康に訴訟費用の全部を負担させることが相当である」「本件訴訟における諸般の事情を
総合勘案すると、訴訟費用は、戸川孝仁ら三名には負担させず、」という意義深い内容でした。
□ 裁判の果たした役割
伏見さんは加茂隆康にたいして「債務不存在の確認」訴訟を起こしました。これが今回の騒動が社会的になった
第一歩です。その記事が、読売新聞に掲載されました。そしてMさんという方から電話が伏見さんに入り、実は
Mさんも加茂隆康の同様被害者であることが分かりました。「出来るだけのお手伝いをしたい」という申し出に
たいし、加茂隆康はそれと知って「場合によっては名誉毀損で訴える」と警告しました。
それ以降も、この裁判には多方面から反響があります。こうした反響が、私たちが言うところの公共性・公益性
なのです。
□ 加茂裁判とは何だったのか
今回の裁判について加茂隆康は、一審の判決後に「全面勝訴」だと言っています。確かに私と伏見さん夫婦は、
最終的に合わせて10万円の損害賠償金を支払いました。しかし忘れてならないのは、今回の裁判で問題になっ
たのは唯一「窮鼠文書」だけだということです。
窮鼠文書を書いたのは、私ひとりの判断であり、当然私自身の筆によるものです。つまり窮鼠文書を作ることに
伏見さんが積極的に関与してはいない以上、伏見さんは私の筆(舌)過、すなわち「トバッチリ」を受けたに過
ぎません。つまり伏見さんには何ら責任が無いことを追認されたことになります。
しかし元々は、伏見さんと加茂隆康の争いだったはずです。加茂隆康は、伏見眞樹さん夫婦が求めた裁判や賠償
に関する要望を取り上げようとせず、「あなた達は異状だ。」「あなた達をまともに相手にする弁護士などいな
い。」などの一方的な言辞を用いて、類型的な処理を押しつけようとしたばかりか、思い通りにならないと知る
と伏見さんたちの人格等まで厳しく非難攻撃しました。
そして着手金の追加ばかりか、みなし成功報酬金まで要求され、裁判書類も返還されなかった事実が、裁判を通
じて裏付けられました。
20年以上にもわたって弁護士業を行いながら、弁護士の公益性すら認識しないまま今日に至った資質を、つま
びらかにされたのは加茂隆康自身なのです。
裁判所でもこうした点を重く見て、ここまで事態を重くしたのは加茂隆康の側に多くの責任があることを認めて
います。すなわち今回の裁判は、加茂隆康の弁護士としての資質を糾された裁判であったと、私は思います。
今回の裁判をきっかけにして、弁護士による2次被害が無くなることを祈ります。
以下文書は、以前から掲載していたものです。
弁護士も分かってない(K弁護士裁判の顛末)
神奈川県に、Fさんというご夫婦がいます。Fさんは、伝統的な漆(うるし)工芸家です。
平成8年7月11日、Fさんのお嬢さん、萌笑(もえみ)ちゃん(当時9歳)が母親や友だちと、自宅近くの狭い道
路を歩行中のとき、新聞配達員M・Yの運転する原付バイクに跳ねられ、脳挫傷で亡くなりました。
原付バイクとの接触事故など、決して珍しいものではありません。
しかし死亡事故ともなると、希有なことでしょう。Fさんは悲しみの中で、なぜ萌笑ちゃんが死ななければならなか
ったか、その真実を探ろうとしました。
そして生活道路を安心して歩くことすらできない、道路のあり方、さらには車優先社会にたいする疑問を、萌笑ち
ゃんの死を無駄にしないためにも、世に訴えていこうと決意しました。
現状では、こうした思いを訴える場は、民事訴訟という法廷の場しかありません。しかし一般の市民には法律の知
識に疎く、頼りとする弁護士の知り合いすらおりません。
単に損害賠償問題だけなら、電話帳をめくって、容易に弁護士をさがせるでしょう。ところが「弁護士法」という
法律があって、弁護士は広告宣伝のたぐいは許されていないため、弁護士の資質や、得意とする分野で適任者を見つ
けだすのは並大抵の努力ではできません。
適任の弁護士探しに奔走していたFさんの目に止まったのが、当時毎日新聞に掲載されていた「K君のコンポート」
というエッセイでした。
著者は、自ら交通事故のプロフェショナルと名乗るK弁護士(東京第一弁護士会所属)です。そのなかでK弁護士は
「(たぶん負けるだろう)と思っても、弁護士は依頼人の主張に沿って、どこまでも正当性を主張し続ける必要がある」
などと正義感を装って書いています。
調べてみると、このエッセイのほかにも、例えば「インフォームド・コンセントが望めないような弁護士には近寄
らないに越したことはない」などの発言があり、Fさんは、まさに地獄で仏に遭ったような気持ちで、K弁護士の門
を叩いたのでした。
K弁護士の著作物や、マスコミで取り上げられた記事類が壁一面に展示された応接室で、はじめK弁護士は、Fさん
の事故の模様や訴えたいことに耳を傾け、良き理解者でした。
しかし、委任契約後のK弁護士は、まさに豹変とも呼べるほど、急激に態度を変化させました。すなわち、事故調書
に十分な検討を加えることなく、そして特殊な事故であるにも関わらず事故現場を実踏しようともしませんでした。
つまり、定型的な処理を押しつけようと謀ったのです。事故の過失割合を算出することだけに終始し、当初Fさん
が考えていた真の原因を探ることには目もくれませんでした。
あわてたFさんは、なんとか軌道修正を図ろうとしましたが、双方の主張の間には、価値観の違いが横たわっていま
した。本来ならこのあたりで、弁護士の方から委任契約の解約を申し出るはずです。
しかしK弁護士は、「解約するなら、見なし報酬を請求すると言い、間接的に解約を力尽くで妨害しようとしたの
です。しかもK弁護士は、預けられた事故関連の書類を差し押さえてしまったのです。「返してほしければ、国会に
行って民法を改正してもらえ」と開き直ったのです。
「解約したい、しかし強行に申し入れれば見なし報酬金を取られる、他の弁護士に乗り換えようとしても、裁判に
必要な書類は返してもらえない」。
まさに八方塞がりのFさんは、東京第一弁護士会の紛議調停委員会に調停による解決を申し入れました。
調停にあたった弁護士は、明らかなK弁護士の暴走を認め、着手金の公平な精算と、書類の返還をK弁護士に働き
かけましたが、K弁護士のひどい剣幕で拒絶され、ついには調停ができなくなってしまいました。
その後「窮鼠猫を咬む」の例えどおり、平成10年5月、F夫婦はK弁護士を「債務不存在の確認」などで、東京
地裁に訴えてでました。
全国交通事故遺族の会は会員であるFさんの窮状を見かねて、その法廷闘争を支援していくことにしました。
なぜならば、K弁護士は、被害者の味方の様を装いながら、実体はまったく逆であることが分かるとともに、これ
からも多くの交通事故遺族が、同様な2次的被害を被る確率が高いと判断したためです。
内部会員のために作成したのが、名誉毀損罪の対象となった「只今から、窮鼠はK先生を咬ませていただきます」
という文書です。日頃から「これ以上自分の仕事を妨害するなら、徹底的に法的制裁を加える」と公言していたK弁
護士は、F夫婦と新たに委任された弁護士、さらにはこの文書を書いた私と、全国交通事故遺族の会の井手会長を、
名誉毀損で訴えるという暴挙に出ました。
そしてこれに反発した新任の弁護士が、みたびK弁護士に反訴するなど、法廷闘争は泥沼状態の感じになっていま
す。
裁判は現在東京地裁において、別々に審議が進んでいます。ところでFさんが提訴した裁判では、K弁護士は、見
なし成功報酬金の請求を無条件放棄するとともに、留置した事故関連書類を、裁判官立ち会いの元で、何らの言い訳
もなく返却してきました。
この2点こそは、Fさんにとって裁判を決意させたことに他ありません。それをK弁護士のせりふでいえば「諸般
の理由を持って」で放棄したということは、それまでのK弁護士の行動が、正義も大義名分も無かったことを、自ら
証明したことに等しいのです。
一方名誉毀損裁判では、双方の主張が延々と続く中、12月15日には、私が被告として証人台に立ちました。
大勢の傍聴者の中、今回の事件が、交通事故被害者を食い物にする「弁護士の2次被害」であることを陳述しまし
た。私たちがねらったのは、同様交通事故被害者が、K弁護士のように質の悪い弁護士に、近寄らないようにさせた
いとの願いからです。K弁護士を個人的に中傷するものでは決してありません。
K弁護士ばかりでなく、その他の弁護士、さらには検事や裁判官からして、すべからく法曹界に所属する多くのひ
とが、K弁護士と基本的に違いがあるとは思っていません。
むしろ大多数の法曹関係者が、交通事故というものを軽く見ているでしょう。
たまたまK弁護士は、正直というか、その上に馬鹿がつくというか、まともにFさんに対して反応してきたからこ
そ、こんな血みどろの争いに発展しているのです。
普通の弁護士なら、ここまでの争いになる前に円満離婚という方法で、さっさと逃げ出していることでしょう。
正直な感想を言えば、今回K弁護士が過剰な反応を見せ、ついには訴訟合戦になったことを、私は歓迎しています。
これをきっかけにして、無関心な司法関係者に交通事故の悲惨さと、それを取り巻く環境の悪さをアピールできる
からです。この裁判は最高裁まで行くかも知れません。
私たちはこの裁判の場を借りて、社会の認識を改めるため、訴え続けて行きたいと思います。
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