交通警察官の質の低さに泣く 
    我が国は縦割り社会だとよく言われていますが、とくにこの弊害が強いところが官公庁、いわゆる役所です。   この帰属意識も自分の所属する組織内までが一般的です。ところがこの枠組みを越えて、縦割り社会が存続してい  るところがあります。   警察・検察・裁判所の一連の流れ、すなわち警察・法務行政と司法界といわれる特殊な役所群です。   3権分立とは、立法を含めたこれらの権力が、それぞれ独立して存在することを目的に作られた、危険予防的制度  です。ところが我が国でこの3権が切り離されたのは、歴史的にみるとそんなに古い話ではないのです。   ご存じ遠山の金さんの頃などは、一所で捕り物とお裁きを独占していました。現状はと見ると、今でも金さんのこ  ろの体質をそっくり引きずっているとしか思えません。   さて交通事故の場合、この弊害がどのような場面で現れるかというと、警察官の質の悪い交通捜査を、後続する検  察や裁判所が、ほとんど盲目的に尊重・踏襲していくことにあります。   縦割り社会というのは、無責任体制の別表現でしかありません。たとえどんなに低質なものであろうと、一度承認  されたものは、最終承認者まで変更されないということになります。   極論すれば、警察官の捜査が加害者の処罰を決定するとまで言えます。交通事故が発生した場合、事故地を管轄す  る警察署から、交通係という警察官が現場に派遣されます。その警察官には、3つの使命が課せられています。   ひとつ目は、犯罪性の確認です。犯罪性が高いと判断されたり、証拠隠滅や逃亡の恐れがあるときは逮捕権が執行  されます。二つ目は、事件の捜査と記録です。   事故を目撃した人から事情聴取したり、証拠の保全を行います。最後は、速やかな道路運行の回復です。  つまり事故車を脇に退けたりして、出来るだけ早く、スムーズに車が通行できる環境を整えるわけです。  一般にはこれを一人の警察官が担当するわけですから、もともと無理を承知のことかも知れません。   ですから警察官の最優先課題は絞られ、そしてそれは何かと言えば、道路運行の回復という、本末転倒になってし  まうのです。   各警察署の交通係というのは、単なる警察官の職場を指すのであって、警察官の職能を指すのではありません。   科学的な交通事故捜査などができる専門官は全国で200人、まだほんの一握りでしかありません。昨年警察庁は、  全国の警察署に最低一人は交通捜査官を置く、という方針をだしました。   この計画が実現するだけでもまだ数年かかるでしょう。それでも人数は全国でたった1300人です。   現在、発生する交通事故は、毎年100万件です。これを捜査官の人数で割ると770件。すなわち勤務日数を差  し引くと、毎日4件くらいの科学的捜査をしなければならないことになります。   結論から先にいうと、現実はまだ理想のはるか彼方にあります。私は専門官の養成も必要とは思いますが、まずは  現在の交通係と呼ばれている警察官の、再教育を優先すべきだと考えます。   私のケースで言えば、当初警察官の作成した現場の見取り図には、娘が向かおうとしていた道路が描かれていませ  んでした。そのため加害者との衝突点が、現実とは違った所にされてしまいました。   衝突点は、加害者のスピードや制動点を探るために、絶対不可欠な重要情報です。その後私の指摘により、警察官  は道路を書き足した地図を追加で挿入しました。しかし最初に作られた地図が取り消されなかったため、不自然な衝  突点は最後まで変更されることがないまま、検察庁に送られて行ってしまいました。   私は検察官に面会を求め、この点を力説しましたが、検察官は警察の調書が正確であるとして譲りません。   検分調書では事故の様態は「出会い頭の衝突」と断定されています。とすれば双方は直線的に交差点に進入してい  るはずです。しかし新たな道路が書き込まれた結果、衝突点がズレてしまいました。   そのズレを指して、「被害者が本能的に逃げたから」と検察官は説明します。するとおかしいことに「出会い頭の  衝突」自体が否定されてしまうのですが、この点については何ら明快な釈明はありませんでした。   そうです、もともと出来るはずがないのです。道路を見落とした警察官が、それが分かったときに、勇気を奮って  前に作成した調書を破棄すれば良いのですが、一度作成した調書を破棄することは、警察署では基本的にタブーにな っています。   誤りを湖塗したまま、罰金刑が科せられることになった書類だけの刑事裁判(略式裁判)の判決文には、警察官が  書いたとおりの内容が、まるでコピーされたように記入されていました。   民事裁判では、申請した鑑定も認めなかったくらいですから、事故の詳細な審議など全くなされませんでした。   すなわち双方が、書面の中で言い合っただけです。そして判決の中のどこにも、その判定は記載されていません。   これで分かるとおり、警察官の調書などの証拠は、ほとんど全幅の信頼をもって闊歩していくのに対し、専門家で  もない私たちの主張は、単なる意見としての扱いしか、終始受けることがないのです。   もっとも一人の裁判官が、年に数百件の事件に関わるそうですから、そんな些事に拘泥できかねるというのが本音  でかも知れません。   警察官が作成した調書が杜撰と分かっていながら、警察上層部は言うに及ばず、検事も裁判官もかばい通すのです。   これが冒頭に提起した「縦割り社会の弊害」です。例えば遺族の会の会員の中には、現場の適切な写真が無い、と  いう程度はまだ良い方で、数ヶ月後に撮った写真や、別の現場の写真が貼られていたなど、悪質な被害例までありま  す。現場の地図が不正確であったり、十分な目撃者探しをしなかったなどは、枚挙にいとまがありません。   昨年も神奈川県警の警察官が、事故検分調書を偽造した件が取りざたされましたように、警察官の手抜きや偽造は、  日常的に行われているとすら思われます。   それともうひとつの問題は、警察官の検分調書には、事故の原因を推測して調書を完結させなければならないとい  う使命があります。   どういうことかというと、例えば、この事故では、被害者の行動にこれこれの過失があり、加害者の行動にこれこ  れの過失があったため発生した、と結文させることです。   ところが事故の原因究明には特殊な教育を受けていない警察官には、推測すらできない場合があります。積極的に  証拠を集めないという姿勢も問題です。   そして、俗に「絵を描く」という、思い込みによる誤った判断(作文)を行うことになります。   こうしていい加減な警察官によって書かれた推測によって、どれほど多くの被害者が泣かされていることでしょう。   分からないものは「分からない」と書けるような調書の作成システムに変える必要性があります。   まずは現実の警察官の再教育、次いで専門捜査官の育成と配置、そして捜査官の絶対数の増加と科学的捜査法の導  入と、ステップを踏んで確実に取り組んでもらいたいものです。

目次へ