■ [ 2003. 7. 28 更新 ]  裁判官の横暴に、抗議声明を送りつける

       2003年7月12日付けの毎日新聞などに、福井地裁において行われた交通事故刑事裁判にお
       いて、遺族の着用してきていた喪服や、傍聴支援者の暗色系着衣について、裁判官の過激な訴訟
       指揮ぶりが報道されました。
       この事故は、昨年の5月、福井市の北陸自動車道で、当会会員の金澤喜三さんのお父さんが、居
       眠り運転のトラックに追突され、亡くなったものです。
       福井地裁のM判事は、第一回目の公判からかなり高圧的で、遺族の心情を傷つける発言をしてい
       ます。そして問題の第二回目の公判では、前回黙認された遺族の喪服についてクレームをつけ、
       また同様に暗色系の着衣を着てきていた傍聴者にも、それが喪服かどうかなど一人ずつ起立させ
       て尋ねるなどし、結果的にはその公判を中止(延期)したものです。
       昨今は、喪服の着用や遺影の持ち込みなどで、裁判所の姿勢はかなり被害者よりに変わってきて
       います。こうした動きに逆行したかのような法廷指揮にたいし、私たちは憤りを禁じ得ません。
       単に金澤さんの問題としてではなく、全交通事故遺族への冒涜のように受け取れます。
       M判事の福井地裁だけではなく、人事や教育を司る高裁や最高裁にもその責任はあると考えられ
       ます。こうした背景を踏まえ、7月13日に開かれた遺族の会理事会で、その対応を協議した結
       果、会として正式に抗議することになりました。
       抗議先は福井地裁を始めとして、名古屋高裁と同金澤支部、さらに最高裁の4箇所にそれぞれ内
       容を変えて郵送しています。
       別紙文章は、福井地裁に送った抗議文です。
       なお、遺族の会が抗議声明を発したことは、改めてマスコミにも取り上げられました。
       しかし、福井地裁の反応は十分ではありません。喪服については「福井地裁方式」とまで言い切
       って、あくまで拒絶の姿勢を変えていません。
       高裁・最高裁も、個別の事案としてコメントすら出してきません。
       今後も遺族の立場を改善するべく、あらゆる場において訴え続けて行きたいと考えています。

             抗議文の全文をお読みになりたい方は、こちらをクリックください。





裁判官は、心の片端者
  タイトルからして強烈な言葉を使ってしまいました。   片端という単語も差別用語ですから、控えようとも思いました。しかし「片端者」という以外に適切な言葉が見あた  りません。   私は娘の損害賠償を得るため東京地裁八王子支所に民事訴訟を起こしました。私の訴えは概略次のような主旨になっ  ています。まず加害者は暴走族であり、暴走族とはすなわち確信犯的な非遵法者であるから、その運転に起因する結果  はすべて加害者が負わなければならない。   そして娘の死によって、その母が心的傷害(PTSD)を負ったのは事故が原因であるから、賠償しろという2つの  特異な主張が盛り込まれていました。   地裁の裁判官は、良く言えば「被害者の言い分に耳を傾ける、良識派」。悪く言えば「和解という決着、またはスピ  ード審理をひたすら焦る粗雑者」とでも呼びましょう。   そんなこともあってか、私の場合は前述の主張がかなり取り入れられた、「原告の勝利」に近いものでした。   しかし男女の経費割合という、裁判所の申し合わせ事項を失念して、娘を男性扱いしたミスジャッジでした。それを  突いた私たちに対し、裁判所はシドロモドロの状態でした。   しかし判決は判決、よほどのことが無い限り訂正されることはありません。結局私は判決内容に満足しながら、裁判  官の粗雑さを咎めるだけのために、東京高等裁判所に控訴することになりました。   高裁における第一回目の口頭弁論の日、裁判長はあっさりと地裁のケアレスミスを認めました。   裁判はそれで終わりかと思いましたら、さにあらず、この後一年近く激しい攻防戦を繰り広げることになってしまい  ました。裁判所の言い分は、「控訴の趣旨は私の主張どおり認めるが、判決の中の過失割合が原告に有利過ぎるので下  方修正する」というものでした。   要は形式的には私の主張を認めると言いながら、一方において、地裁の裁判官のミスジャッジを金額面で正当化しよ  うということです。すなわち身内のかばい合いです。   争点となった5%の過失割合の基準を明確にするよう、強く私が求め続けたにも拘わらず、裁判官は何一つ根拠を示  し得なかったからです。彼らが再三言った言葉「でも金額は少し増えるんですよ」にすべてが濃縮されています。   和解の席上で終いには、「和解に応じれば、金額を上積みしても良い」「示談書は私の主張を認めた内容にする」と  まで言われました。   現在裁判官の能力の一部は、この和解率で計られています。多くの裁判官が、右顧左眄と辻褄合わせに汲々としてい  る実態の背景はここにあります。   私は密室における駆け引きによる解決を望まず、あくまで判決を出してもらうようねばりました。   予期したとおり、和解室における筋書きどおりの判決でした。判決の一文にこういう文章があります。「原告は墓地   の取得費用を請求しているが、依然として遺骨を自宅に置いたままであり、その必要性が無いものと認め、墓地取得費  用の請求を退ける」というものです。   解説しますと、私は娘の遺骨を納めるべき墓地を、高尾という場所に購入しました。しかし誰もいない真新しい墓地  に娘ひとりを置いてくるに忍びず、遺骨を半分に分けて墓に納め、残る半分は自宅に持ち帰ってきてしまいました。   それは今でも娘の勉強机の椅子に置いてあります。私か妻のうちどちらか先に死んだ者が、残る娘の遺骨を抱いてい  ってやろうという気持ちからしたことです。   「遺族というものは、これほど辛い悲しみの中に暮らしている」ということを聞いてもらいたくて、私は上申書とい  う書面に、このことを例として引いたのです。   裁判官はこれを読んで、私には墓は不要であるからと、訴えを退けたのです。「こんな馬鹿な判決は無い」と、一時  は上訴することも考えました。   しかし私はこの程度の思考力しかない裁判官と、金額の多寡をめぐる争いはしたくないと言い、この判決に従うこと  にしました。   高裁裁判官の地位と能力は、地裁の所長クラス以上とよく言われます。地裁で乱暴に拵えた判決を、削ったり足した  りして体裁を整えるのが彼らの仕事です。当然、法律や判例に詳しいエキスパートなのでしょう。   しかし、どこか精神的に未成熟というか、世間知らずで情に薄いところがあると思いませんか。   勉強だけの青春を送った者、裁判所という特殊で狭い社会しか知らない無菌培養者という感じがします。   私はこうした裁判官を「心の片端者」と呼ぶのです。


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