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リストマーク劇団極「札幌動物園物語」

(1月12日・TPSスタジオ)

 エドワード・オルビーの代表作「動物園物語」をベースにした作品ということはタイトルからも明らか。これはタイトルから想像して、また台詞から推察して、さまざまな解釈が可能になる。今回はどう解釈をするか、そこが一番の興味の的だった。結果的に、現代社会の病理を割りとうまく掬い取っていたように思うけど。

 ピンク、オレンジ、チェック・・・。色柄ともさまざまな6個の箱を無造作に置いたシンプルなセットで舞台は進行する。そこはある種の「学校」だろか。登場する7人の子供たちに対して、まるで「お前たちのことはすべてわかっているから、おれのいう通りに育てばいい」という本心を笑顔で、時にサンタクロースに扮することで隠しながら、遊びの名を借りた管理教育を行う先生。「踊らされる」子供たち。あ、もう「動物園」が存在しているじゃないか・・・・・。

  根底に流れているのは「狂気と管理の時代に生きるディスコミュニケーションの現代人」ではないだろうか。子供たちの精神は、一見きわめて豊かな言葉の海のなかで存在している。その言葉の流れは、自分自身を取り囲み、他者に向けられていく。でもそれは、お互いどの部分とも絡み合わない。言葉で絡んでいるように見えていても、実は本質的なコミュニケーションがなにも成り立っていたない。人形の誕生日を祝っているクンクンとハナコ。人形の誕生日を祝うというテーマの中で二人の意思は一致しているが、実はお互いが望んでいること、してほしいこと、聞いてほしいことを語っていても、それらはまるで空疎で、劇中の台詞ではないが、それこそ穴の開いた天窓からすべてが逃げていってしまっているようである。

 絡み合わない言葉をまとった精神は、やがて子供対子供の対峙から、子供対先生に移っていく。季節外れのサンタクロースの格好で子供の精神を捉えようとする先生に対して、子供たちははじめて、攻撃的に絡んでくる。「檻」の中で行き場を失った子供たちの精神は、「檻の向こう側」にいる先生にぶつかってくる。子供と先生の対決は例によってコミュニケーションが成立しずらい状況だが、そのやり取りはおかしく、しかし狂気を感じる。そして先生は自分の存在意義にはじめて疑問を抱く。哀しくもある。

 ラストで、先生は一脚の椅子をめぐって、子供と取り合いになる。この場面は子供の精神と、自分の考えが正しいことを証明し、存在意義をかける先生の対決である。しかし、ここでも最初は言葉による精神と精神のバトルだが、やがて、椅子とりゲームに見られるような、一脚の椅子に二人が座って譲らない状況になる。これは言葉での接触を断念した肉体的なコミュニケーションともいえる。が、これは決して喜ばしい状況を意味するのではなく、相手の立場にたった意思疎通を図ることがきわめて苦手になった現代人の病の象徴とみた。椅子取りに負けた先生は失踪する。子供たちに「自分の椅子を見失ったってことかな」とまで言われて。居場所と存在意義を失った先生は、引きこもりなどに見られる若者、あるいは精神が未熟なまま成長した大人の姿と重なる。

 動物園の動物は幸せなんだと言い切る先生。檻に閉じ込められ精神の発揚の場を持たず、他者の視線の中を生きている姿が、自分の、人間の鏡であることに気づかない痛々しさ。この部分をうまく描く方法もあったかな、と思うけど、全体としていい舞台。

 キャストはおおむね好演。ラクさんはアドリブも効いていていい感じ。かつぜつに滑らかさがあればもっとよくなるはず。ハナコ子供と大人の違いに落差があっておもしろかった。先生もパンチのきいた台詞回しでよかったが、ラストへむかって、子供と自分の距離に戸惑い、存在意義を失っていく過程に、あせりや真綿で首を絞められていくような苦しさをが出ると申し分ないだろう。

 

 
 
 


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