さくら道270キロウルトラマラソン

城定 睦

第1章 リタイアそしてリベンジへ向けて
1.初めての参加そして悔し涙のリタイア
2000年4月30日、JR東海バス名古屋営業所
はじめてさくら道のスタートラインに立った。
270キロと言う距離、多分完走出きるだろうと頭に描いていた。
しかしさくら道には魔物が住んでいる事に気づかなかったのである。

スタートして40キロも進むと足首が痛くなってきた。
24時間走やウルトラで経験した事の無いことである。
まさかの故障がここで表れたのである。
70キロ過ぎた辺りで走れなくなり、郡上八幡までは走り歩きの連続となった。
足の痛みと雨にやられ悲惨な気持ちで白鳥の佐藤民宿まで歩き、2000年のさくら道は幕を閉じたのである。
2000年さくら道は悔し涙に終わってしまった。

2.故障の原因
さくら道の悔しさも抜けない5月末日
山中湖ハーフマラソンに出場するため、山中湖まで走って行く事にした。
さくら道で使用したヘッテン(頭に付ける懐中電灯)は走るとき、使い物にならないのでマグライトを購入する事とになる。
そして雨の振る深夜12時半に家を出た。
40キロ走り、神奈川県から山梨県に入る両国橋辺りでさくら道と同じように足首に痛みを感じたのである。
足元を見るとさくら道用に靴紐を緩めに締めた靴が見えた。
さくら道は長距離を走るので、足が浮腫むため、靴紐の縛る位置を1段階落としていたのである。
靴を正規に締めなおし、また走りはじめた。
驚く事に足首の痛みは無くなってきた。
さくら道での足首の故障は、靴紐の締め方ミスによる足首への負担が原因で有るのではないかと思われるようになってきた。
約8時間かけ、山中湖に着く頃は昨晩の雨もすっかり上がり晴天となっていた。
足の故障原因がなんとなくわかり、気持ちもすっきりした。

3.リベンジに向けて寝ずのマラニック
7月初め、走る仲間が新宿から高尾山までのマラニックを行うとの事で、夜中に家を出て、都内を廻り新宿から高尾山へ走ることにした。
深夜から昼間を通しての走る経験をしておきたかったのである。
この日は大変暑く、最後はフラフラで高尾山口に到着したのである。
たかが100キロ+αでこんなになってさくら道は大丈夫かと不安になってくる。

3日後、会社が創立記念日のため箱根まで約65キロ走る。

そして次の日曜日は陸蒸気走友会の練習会
自宅から厚木まで走り、平塚七夕祭りを見て自宅まで走って戻る。
約70キロ、7月の初めだけで300キロ近く走ってしまう。

4.24時間走にチャレンジ
7月の終わり、前田君(ちび黒)と埼玉森林公園で行われる24時間走に参加する。
ここでは、沖山夫妻、加村さん、内山さん等と一緒に走る。
PM3時スタート、最初の6時間はエードにバナナとスポーツドリンクしかなく地獄のような暑さの中を走る事となる。
日にちも越え、100キロ走ったところで、走るのが嫌になる。
朝まで仮眠して、帰る事を決意
蚊にさされながら朝まで眠る。
4時過ぎ、一緒に走っている仲間に起こされる。
前田君が頑張っている事を教えてもらう。
軽く走って帰ろうと思い、走り始めたら走れる事に気づく。
結局170キロ走る
なんとなく寝る事で走れるようになるような気がするようになる。

5.夢街道下見マラニック
甲州夢街道は、仲間とサポートするためレースには参加しない。
走らないのなら下見で走ろうと思い、夏休み初日、夜行の急行で松本まで行く。
お盆初日、満席で座れない客も沢山入る。
朝4時半、浅い眠りの中松本に到着する。
5時前に自宅を目指し、松本駅南口を出発する。
途中昼寝したりしながら甲府まで走る。
夜の笹子越えは気味が悪いので、この日は甲府より帰宅する。

1週間後、
最終の各駅停車で甲府まで行き、甲府から自宅を目指す。
甲府を12時に出ると、笹子峠入口に3時ごろに着いてしまうため、甲斐大和駅で仮眠をする。
朝5時に起きて、自宅を目指す。
途中スタミナ切れ等発生したがどうにか自宅まで走る。

6.雁坂峠越え秩父往還ウルトラマラソン参加
100キロ越えのウルトラはさくら道しか参加した事が無いため、100キロ越える大会として9月に雁坂峠越え秩父往還ウルトラマラソンに参加する。
途中雁坂峠は山登り、そして荷物を背負っての大会となりさくら道の為の練習には効果的であると思う。
この時、さくら道を踏まえ、雨の日や防寒用としてゴアテックスのカッパを購入する。
思った通り、雁坂峠から雨が振りだし、本格的な振りの中、川越を目指す結果となる。
このレースは17時間で走りきり、少しだけ自信が付いた。

7.途中で寝ること
11月、学芸大学24時間走に参加する。
やはり1時ごろ眠くなってしまい、5時頃まで車で仮眠する。
目を覚まし、リタイアしょうかと思ったが走ることにした。
残り時間を換算すると今までの走りでは自己ベストは無理のような気がしてきた。
少しペースをあげてみて走ることにした。
この事が同じ走りをしなければ走る事が出きる事を気づかせてくれる。
また寝る事で快復し、走る事が可能になる事もわかる。
結局173キロ走り自己ベストの更新も出来たのである。
来年のさくら道に向けて、少しずつ自信を付けてきた気がした。

8.21世紀最悪のスタート
2001年に入った正月休み、伊藤則雄さん主催で日本橋から箱根を目指してマラニックに参加する。
年末風邪を引いてから走っていなかったため、腰痛で茅ヶ崎でリタイアする。

1月末
雪の中、車を飛ばし館山若塩マラソンに参加する。
後日より腰痛が出てしまう。
2月、3月と腰痛が治らず、鍼など試してみる。

9.腰痛対策
3月末、雪の中
学芸大学24時間走に参加する。
腰痛も治ってきたのと、今回は腰痛防止にチタンテープを貼る事にする。
チタンテープを貼ること腰痛は起こらないことに気づく。
昨年の雁坂峠越えから3月の初め頃まで悩んだ腰痛は、ケアー不足のために発生しただけで、ケアーをしっかりやることで腰痛対策出きることにこの時点でやっと気づく。

そしていよいよさくら道への挑戦が近づいてきた。


第2章 さくら道
1.神頼み
さくら道1週間前、仕事で京都に行く。
仕事の帰り、銀閣寺、知恩院、清水寺に寄り、さくら道への完走をお願いする。
そして当日UMML(ウルトラマラソンメーリングリスト)のメンバーと熱田神宮まで完走祈願をしに向かう。
神様に向かい”一生懸命走りますので神様どうか完走させて下さいお願いします”と願をかける。
また3月末から髭を伸ばし、完走出来なかったら片側半分だけ剃ると明言しておいたので、完走しないととんでもないことになってしまうのであった。

2.スタート
4月30日、6時過ぎ、岩永さん、前田君、マッチャン、Wanderさん計5人でスタート会場にタクシーで向かう。
スタートに着くと”あれ今回はスタッフでないの??走るんだ??”との声を沢山耳にする。
少し気楽な気持ちとなる。

スタート15分前
越田さんの挨拶の時、腹痛にみまわれトイレにかけ込む。
トイレは混んでおり、スタートに間に合うか不安となる。

どうにかトイレを済まし、スタートに間に合う。
トイレのゴタゴタ等であれよと言う間にスタートする。
今年は完走が目的で気張る必要も無いので後ろからスタートとなる。
雨も上がっており、走り始めてすぐカッパを脱ぐ。
カッパをしまったりしたら自分が一番後ろにいることに気づく。
少しづつペースを上げ、皆に付いて行く事にする。
名古屋市内に到着し、写るんですを購入する。
これで長旅の支度は済んだこととなる。

3.腹痛
子供の頃からお腹がゆるいみたいで、冷えたりすると直ぐに腹痛にみまわれる。
岐阜の関市に入りエードで休憩、休憩する前からも変だったお腹が走り始めたら更におかしくなる。
ガソリンスタンドのトイレを借りて用を足す。

4.昼飯
関市を過ぎて走っているとお腹が空いてきた。
コンビニにはお酒の看板
ここで昼飯+アルコールチャージを行う。
やっぱりロングにはビールが必要
食事をしてから再度走り始める。
昨年はこの辺で足が痛くなり、伊藤則雄さんや加村さんに抜かれた事を思い出す。

5.美濃市
美濃市のチェックポイントに到着。
今年は故障も無く、スムーズに到着。
昨年の嫌な思い出(個人的な)がよみがえるが、今回は問題がなさそうだ。
美濃市役所のチェックポイントを過ぎて少し走ると柴本さんの私設エード発見。
モミさんと柴本さんが迎えてくれる。
ここでビールとスイカをいただく。
なんて美味しいスイカなんだろう。
ビールも美味である。
最高の一時である。
6.美並の道の駅
去年ここで関屋君がエードをしてくれたなと思いながら立ち寄るとエードがなかった。
ここは素通りすることにする。
その先に進むと舘さんとマッサージの人達がエードをしていた。
今思えばここでマッサージしてもらえば良かったと思う。
美並の道の駅を過ぎた辺り、昨年はこのへんから歩き始めたな〜
懐かしい思いがしてきた。
トンネルをまく道で間違えてしまい、とんでもないほうに進んでしまう。
慌てて戻る。

かなり進むと韓国の選手が足を痛めて休んでいた
言葉が通じないが声だけかけ先に進む。
7.郡上八幡
昨年は美並から歩いたので長く感じた距離が今回は短く思えた。
あまりにも距離が短かったので郡上八幡駅に向かう道で地元のヤンキー兄ちゃんに道を尋ねる。
歩くのと走るのでは距離感が全然違うのだなとつくづく感じる。
郡上八幡の駅を過ぎ、エードに向かう。
エードにつくと郷さんがサポートに到着
郷さんのパワーをもらい走り始める。
走り始めて間もなく地図を忘れたことに気づきエードに戻り再出発する。
出発するとエアロ仲間の関家君に合う。
写真を写してもらう。

昨年はここから白鳥までトボトボ歩いたなと思いながら走る。

8.白鳥
去年は走れなくて惨めに歩いたところを今年は快調に走る。
昨年は途中でホタルの幻覚も見たけど今年は見ないで済みそうだ。
と思いながら、間もなく白鳥に到着
顕彰碑の酒井さんに合った時、なぜか涙がでてきた。
昨年のさくら道、リタイアした場所へ到着。
1年間のトレーニングの経て走ってこれた喜び、そして酒井さんをはじめ多くの方の温かな出迎え思うと、自然と涙があふれ出てきた。
さくら道はただ走るだけのものではなく、心にしみる重いものがある。
そんな気持ちがしてくる。
9.佐藤民宿到着
顕彰碑を下り佐藤民宿へ到着。
写真を写してもらう。
ここで食事をしたのだが、休憩時間の少なさがこれからの距離に影響するとは思わなかった。
関家君、飯田さん、郷さんに応援され出発する。

10.ひるがの高原
佐藤民宿を出発して分水嶺に向かう
ここの区間はエードもなく上り坂である。
佐藤民宿を出て間もなく、今井さんや則さん(伊藤さん)に追いつかれた。
引っ張ってもらうがどうも調子が出ない。
一人で走るのは得意だが集団で走るのは苦手で、ここで先に行ってもらうことにすると言うか、ついて行けなくなる。
その後休んでいると藤原さんと小谷野さんに抜かれる。
ひるがのの旧道に入りコンビニに立ちよりヨーグルトを食べて再出発。
上り坂で走る気力も薄れ黙々と歩いて登る。

11.分水嶺に到着
分水嶺に到着。
体は冷え切り走る気力も薄れている。
ここで1時間仮眠をとることにする。
キャンピングカーの中には先客が2名いて毛布も無い。
雨具を着たまま寝ることにする。
隣で寝ている人の寝相がかなり悪い
蹴っ飛ばされたり鼾をかいたり
結局横になるだけとなる。
横になっている間、加村さんが着ました。
本木さんが着ましたとの声を聞く。
1時間休んだことで再出発となる。
ここのエードの方に見送られゴールで再開することを約束し再出発する。
ここで手温かいお手伝いをしていた人は同じ走友会の及川さんであることが後でわかった。

12.分水嶺から荘川桜へ

荘川桜のエードにて(谷口さん撮影)
分水嶺から眠いところを一緒に走ってくれた人
(名前を忘れてしまったのと、一緒に走ってくれた事を忘れて
最後に挨拶できないで申し訳ない事をしました)
分水嶺からの下り、眠気も覚めゆっくり走る。
ラジオでは氷川清の番組を流しており退屈しない。
伊藤則さん、辻さんが何時もラジオを聞きながら走っているのを見て真似をしたのだがなかなかの優れもの。
ラジオは脳を活性化し、眠気を解き放ってくれる。
眠くなる深夜ラジオを聞くと自分以外にも起きている人がいることを確認でき元気が出てくる。

荘川桜手前1キロの地点でジムニー私設エードをしてくれた人を発見。
立ちよりアンパンとスポーツドリンクをもらう
こんな夜中に気味の悪いところでエード
大変たすかった。
エードまで後5キロと聞きトボトボ1キロぐらい走ったら荘川桜についてしまう。
なんか気の抜けた感じだった。

ここにつくと良太さん、なっちゃん(後藤君の奥さんになっちゃんは失礼か...)、モミさん、飯田さん等に迎えられる。
軽く食事をして出発する。
13.御母衣ダム
荘川桜から20キロほどで御母衣ダムとなる。
空も明るくなりいよいよ2日目の始まりである。
細いトンネルを何個か抜け、長く感じたダムの堰堤まできて、急な下りを降りると電発のエードにつく。
朝の冷え込みか、朝のお誘いか下り坂で便意を催す。
エードについたつかの間、トイレにかけ込む。
3度目のかけ込みとなる。

トイレで用を済ません、エードで休む。
このエードはウルトラ仲間の松本さん(今回も参加)と同じ会社の人がやっているエードで、温かいおもてなしを受ける。
心の中で松本さんに感謝しながらお世話になる。
お餅を食べたら味がついていて美味しい。
さらにもう1個食べる。
十分休んで再出発する。
電発の人達の温かい見送りに感謝しながらゴールを目指す。

14.田口建設
御母衣ダムから3キロほどで田口建設のエードとのこと
残りも100キロを切ったので妻の携帯を鳴らすが留守電となっていた。
電話してから少し走ると田口建設に到着。
温かいおもてなしを受ける。
ここで休んでいると海宝さん、良太さん、なっちゃん、モミさん車が到着
皆降りてきたが良太さんだけいない
車を見ていると良太さんが爆睡している。
STAFFの大変さを思い知る。
”ご苦労様”と声をかけたくなる。
田口建設を出発し佐藤桜を見て白川郷に進む

15.白川郷
少し走ると走れなくなる。
大分進んだところで後藤君に抜かれる。
早いの一言である。
奥さんに合ってパワーをもらったのかなと感心する。

友達にもらったアミノバイタルがある事に気づく。
荷物を減らすため少し飲むかと思い飲むと走れることに気づく。
ここではじめて夜の間スタミナ切れで走れなかったことに気づく。
なにか食べ物が無いかと辺りを見回すとイタドリが道端に有ることに気づく。
道端のイタドリを取り、食べると美味しく感じた。
イタドリを食べながら白川郷を目指す。
白川郷についたらエネルギー補給だと自分に言い聞かせながら到着する。

ここは私設エード
温かいもてなしを受ける。
速エネルギーになるビールをもらい、沢山食べてる。
後からきたランナーが私にカーボショックをくれた。
沢山の人のもてなしを受けて出発する。

合唱作りを写真に収め、トイレで用を足し出発しようとすると応援のおばさん(見たことのある)が堀池さんはまだと尋ねてくる。
漬物を食べないかと言われてが辞退して先に進む。
16.道の駅 ささら館
白川郷をすぎささら館まで食べ物を補給する場所が何も無いところとなる。
いくつもの長いトンネルを抜ける。
白川で一緒になった山田さんと抜き抜かれするようになる。
ここどは登りは歩き下りは走る繰り返しとなる。
1時間も走りエネルギーが切れたところで先ほど堀池さんを聞いてきたおばさん(おば様)夫妻が車を止めて応援してくれる。
わざわざバナナ食べるかと聞いてきてくれ、遠慮なくバナナとバームを貰う。
もともと食べ物に弱い私は”なんて優しい人なんだ”と神様に思えてきた。

岐阜県、富山県を交差し完全に富山県に入った辺りで岩永さん(先輩)に電話を入れると”今隣を車で通過したばかり”との連絡が入る。
”腹減った食い物無いよねと持ってきて”と汚い手を使って食料を手に入れようとすると神様が見ていたのか”食い物無いよ”との事
悪いことはできないので諦め進むことにする。
しかし昨日祈願に伺った熱田神宮の神は私を見捨てていなかった
1キロも進むと私設エードがあった。
ここでチョコを頂くき食べ物無いよねと聞くと地元の農作業を休憩して応援していたおじさんが”このさき町があって何でも揃う”との事
町に向かうことにする。
エードから約2キロでささら館に到着する。
先に行かれた山田さんがうどん屋に入っていくのを目撃
自分も吸い込まれるように入っていく。
山田さんが美味しそうにテンプラウドンを食べているので同じ物を注文
しかし胃は天ぷらを受けつけず、うどんのみ食べることにする。
うどんを食べて出発する。


17.下梨そしてアクシデント
ささら館を後にして進むと目の前をカメラを準備して私の方を向いているおじさんを発見
俺を写すのかな??とおもいきやカメラは左に向いてしまい水芭蕉を撮影していた。
水田一面が水芭蕉畑となっていた。
きれいなところだった。
民謡の流れる橋を渡り先に出た山田さんと合流一緒に進む。
山田さんは温泉によってから行くとの事。
凄いなと思う。
ケチなボクは”臭い臭いをルネスまで持っていき皆に撒き散らすからいいや”と一人納得。

少し進むと私設エードを発見
立ちより食べ物を頂きトイレに立ち寄る。
今回これで4回目のトイレとなる。

トイレを済まし、下梨に向かう。
下梨手前、上梨に付いた時観光客にどこまで行くのか尋ねられる。
走っていくと言ったら凄いといわれ気を良くして走ったつかのま、道路のちょっとした出っ張り躓きでんぐり返してしまう。
走っててでんぐり返しは何度かした事があるが今までマラニックの時だけ、レース中のでんぐり返しははじめてである。
後ろを見るが誰も見ていなかったので良かったと思ったが、タイツは破け肉が見えるくらい擦りむける。
立ちあがり下梨を目指す。
下梨に向かうと前からランナーが来る。
サポートの人だった
カットバンかなにか無いかと尋ねたが無いとのこと諦めて進むことにする。

下梨に到着する。
消毒薬は無いか尋ねるが無いとの事。
水で消毒し、カットバンを貰う。
ここで休んでいると郷さん、内山さん、いすけさん3名が来る。
記念に郷さんに傷口をビデオに納めてもらう。

下梨で食べ物を口に入れビールを2本のみ五箇山トンネルを目指す事にする。


18.五箇山トンネル
下梨でビールを頂き良い調子で五箇山の坂を歩いて登る。
トンネル手前でUMMLの私設エードを発見。
ドリンクを頂き出発する。
こんなところにもエード、感謝する次第だ。
五箇山の最初のトンネル入る。
1キロほどのトンネルを抜けると橋が見る。
かなり高い位置にある橋である。
下を見ると怖いので下を見ないようにする。
昔ロッククライミングをやっていたからか、ザイルに結ばれると怖さを全然感じないのだが、何も無いと怖さを感じる。
軽い高所恐怖症になっているのだ。
橋を渡ってて巨大地震が来たら絶対に落ちるなと思い足早になる。
こんな考えをするのは僕だけだろうか....

長いトンネルに入る。
子供の頃何故かトンネルが好きだった。
長ければ長いほど得した感じがするのであった。
五箇山のトンネルは歩道がありあまり気ならず進む。
2キロ進むと左側に避難用出口がある。

兆度その場所、
足元を見るとチョークで書いた字が....
そして薄っすらと血の後が残る。
そして右側には花が
少し前に交通事故で死んだみたいだった。

気味が悪くなり走り速くなる。
夜中一人で走ったら怖いよなとつくづく思う。

トンネルを抜けるとエード、モミさんが待っていた(もう一人がだれだか思い浮ばない)
イチゴパンを作ってもらう。
しかし食べる前蟻んこがいち早くパンに群がった。
久しぶりに蟻んこを見た感じだ
ゴールも近づき余裕が出てきた。

休んでいると関家君、三浦さんが応援に来る。
みちこさんがリタイアしたとか走っているとか憶測が飛び交う。
下梨の時は郷さんがみちこさんが頑張っていると聞いたのだが....

ノンビリ休んでいると山田さんが来たので先に出発する

19.福光
五箇山から長い下り坂になる。
モミさんのエードを後にして少し下ると私設エードがある。
ここは辞退して先に進む。
多くの若者が応援してくれて嬉しい次第だ。
長い下り坂、足に負担がかからないように走る。
下りも終えて平坦地になる。
ここから城端まで以外と長い距離である。
てっきり城端にエードがあると思ったらエードも見当たらず城端すぎて地図を確認してすすむ。
城端から福光までたいした距離でない事がわかったので進むと私設エード発見。
ここで湯豆腐とうどんを頂き、話し込んでから出発する。
さらにすすみ福光の町を過ぎて左折するとまたエードを発見する。
ここはスポーツドリンクをもらい出発する。
ここでスポーツドリンクをもらっている間に山田さんと北条さんが追い上げてきて到着する。
先に出発する。


20.最後の踏ん張り県境へ
福光の町を出発すると直ぐに山田さんと北条さんが追いつく。
毎ペースで行くため先に行ってもらう。
長い坂道が続くため上り坂は歩く事にする。
山田さんは早い、あっという間に見えなくなってしまった。
北条さんはかすかに見える状態である。

トンネルを越え、福光町に入る頃やっと北条さんに追いつく。
追いついては離され、また追いつく状態が続きやっとの思いで県境に到着。
県境にエードがあると思ったら無いのでトボトボ下っていくとその先にエード発見。
山田さんが直ぐ後から来ると伝えてくれたので温かいうどんが直ぐにでた。


21.森本へ
県境のエードを出発する。
北条さんが先に行く。
かなり前を走るのを確認しながら一人進む。
エードを過ぎて少しすると右側に”クマ出没注意”の看板を確認。
以前スキー場でクマが出てきた時クマが突進してきて一瞬立ちすくんでしまい急いで逃げたがその後足が中に浮いていた事を思い出す。
さくら道でクマに襲われた人はいないよな??
いたらニュースになるなと思いながら進む。
上り坂を進みある程度進んだら北条さんに追いつく。
引っ張ってもらうように頼む。

一緒に進んでつかの間、お腹が痛くなり、5度目のトイレとなる。
北条さんに先に行ってもらい、ちょうど右側に交番がありトイレを借りようと掛け込むがおまわりさんはいなかった??
反対側の民家でトイレを借りる。
トイレを探すのに時間がかかってしまったため北条さんは先に行ってしまった。
走り、やっとの事で北条さんに追いつく。
北条さんはわざわざ歩いてくれていた。
大変感謝する。

森本手前コンビニにランナーの人影発見。
声をかけようと思ったが精算していたので止める。
森本のエードに到着
先客ランナーが休んでいた。
一緒にゴールを目指そうと誘うが走れないので先にいって下さいと言われ後にする。
森本では軽く口に入れただけで出発する。

22.兼六園
いよいよ金沢市内に入る。
兼六園まで7キロ、
北条さんとノンビリ走ることにする。
大分進んだところで山田さんが休憩している。
一緒に走ろうと誘い3人でゴールを目指す事にする。
山田さんが走り始めるとペースが上がってきた。
後少しなのでペースを落としてもらう事にする。

森本から兼六園までは長いそしてかすかな上り坂を登る。
以外と長く感じる。

兼六園のそばまで来ると酒井さんが迎えてくれた。
そして兼六園をノンビリ歩いていると西野さん(スポーツクラブの仲間)、羽倉さんに追いつかれる。
西野さんは5人でゴールをしようと言ってくる。
”初完走、西野さんと同時ゴールじゃなんか感動できないな”とひそかに思う。

23.1年越しのゴール
西野さん羽倉さんが加わり5人で金沢の町を走る。
少し走ると西野さんの先に進む。
金沢の町が過ぎて西野さんが先に進むので先に行っていいよと伝えたら”先で待っている”と言って羽倉さんと先に行く。

二口に到着すると関家君、舘さん等が迎えてくれる。
あと3キロ頑張るぞと思い進む。

後2キロ切った所で小松さんが迎えてくれる。
いよいよゴールだと思ったら足早になる。

昨年はゴールできないルネスのゴール
ゴールテープが見えたら涙があふれてきた。
北条さん、山田さん3人でゴールした時は、1年間の苦労、全てが報われ感動にひたる。
エードの皆さん。一緒に走ってくれた皆さんに感謝しさくら道270キロの道のりを走破する事ができた。

ゴールしてビデオを前にして嬉しくて声も出せなかった。

こうしてさくら道完走までの長い道のりは終わった。
来年はタイムアップを狙う
でもとりあえず完走を目標としよう

完走証

記録書

第3章 完走するために
昨年リタイアしてその後のトレーニング
リタイアしたおかげで日々の走行距離が大幅に伸びる。
また積極的にマラニックを行った。
冬場は走り以外にスキーとジムで太股強化に励んだ
そしてレース1ヶ月前からヒゲを伸ばした。
完走できなかったら半分だけ剃ると皆に言い触らした。(友達、取引先)
ヒゲを剃るのだ、この気持ちでリタイアと言う言葉を打ち消した。

さくら道を完走するための1年間、自分を成長させた1年だと思う。

積極的にボランティアを行い、エードのありがたみを知った。
走るよりエードの方が大変だと思えるようになっている。
エードの人に感謝しながら走れる。
ランナーはエードより楽だ
だから気持ちも楽になったと思う。

ランナーのワガママを聞いてくださったエードやSTAFFの皆さん、
いろいろありがとうございました。

来年もさくら道は絶対に走りたいと思います。
宜しくお願いします。


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