さくら道270キロ ウルトラマラソン
皆でつかんだ時間内完走

城定 睦

第1章 伴走の依頼

1.伴走のきっかけ
私がボランティアとして伴走を始めたのには、ちょっとわけがある。
ある出来事がもとで、一時的ながら目に障害を負うという経験をしたことがあるのだ。

中学3年の冬、高校入試目前、
放課後の学校で、サッカーをしていて、友達の蹴ったボールが私の右顔面を直撃してしまった。
それが原因で、右目は眼底出血を起こし、全く見えなくなった。
翌日から病院に通い、少しずつ快復して行き、どうにか正常な視力に回復することが出来た。

そして、今から6年前。 
走り始めて3ヶ月後、ちょうど年末のことである。
早朝ランを始めると、目ががちかちかしはじめたのである。(火花のような)
快復せず、どんどん悪化して行った。
気づいた時には、被写体が何重にも見える、まるでトンボの目のような状態になってしまった。

病院に行って診断された結果は、網膜静脈血栓。
視力も0.1以下に下がってしまった。(現在は1.5)
それから1ヶ月以上に及ぶ検査後(毎週ごとの、糖尿病の疑い、脳腫瘍の疑いなどを一つずつチェックするような検査が続いた)、突発性であることが判明。

二月中旬に2度ほど(片目づつ)レーザーによる手術をうけ、視力を取り戻すことが出来た。
手術による後遺症で、視野は若干狭くなったが。

こんなふうに目の障害を体験した私は、少しでも目の不自由な人の役に立ちたいと思って
いた。「伴走」というボランティアの仕事に出会ったのは、そんな時だった。



2.Kadoさんからの依頼
24時間走で200km以上を走る事を目標にしていた私が、目標を達成してまもない11月のある日の事だった。
大阪のKadoさんから一通のメールが届いた。
それはこんな内容だった
"視覚障害者でさくら道に申し込んだが伴走者が見つからないランナーがいます。伴走してもらえないでしょうか..."
当面の目標をクリアしたので、もっと長い距離、24時間走で220キロ以上走る事を目標に掲げた時であった。
ちょうどその時、さくら道での伴走話が舞い込んできたのである。
来年は軽装でさくら道に挑み、タイムを縮めようかなとも考えていた時だった。

しかし、好奇心と挑戦心が湧き、"一人で走るよりきつく、自分には絶対にプラスになるな、良いチャンスかも知れない、だったらやろうかな"と考えたのである。

数ヶ月前、伴走仲間の亀井さんに、"さくら道はタイムを縮めることを目指したいが、5年後ぐらいに僕が伴走するので二人で出ない"と約束していた時だった。
五年後を考えていた時に、思いもかけない話が私の元へ舞い込んできたのである。

亀井さんは私の伴走仲間で、2年前のさくら道では時間外であるが、津川さんと完走をした人。

2年前、私が白鳥でリタイアした時の事である。
金沢に向かうタクシーの中から、
雨の中を二人でゴール目指して一生懸命走っている姿を見た
二人が眩しい見えリタイアした惨めさも同時に味わった。
"自分は何でリタイアしてしまったのか..."
二人は さくら道完走への執念 を植え付けてくれた恩人である。

伴走相手の津川さんは、海宝さんのレースを手伝う、旅行会社の社長。
スパルタスロンの完走経験も有る。

さくら道では亀井さんと柳川さんの伴走を行ったとともに、さくら道の伴走で時間外であるが初めて完走を行なった人なのである。

しかし、一方ではダジャレの名士、サポートしている時など、ダジャレばかり言っている。海外に行った時も外人にダジャレを言うらしい。ランナーとしてではなく、国際的なダジャレ親父として有名かもしれない。
海宝さんが津川さんと現地視察に行って来た直後、海宝さん宅に行くと、海宝さんも津川流のダジャレに洗礼されてしまい、ダジャレを連発することがある。
さくら道で津川さんと走った亀井さんはやはり洗礼されてしまい、ダジャレを連発する。
笑いがとれる時は良いが、時々外してしまいしらけてしまった時、私も苦労をするのである。


話を戻すが、
あまり深く考えない私は、さくら道の呼びかけ人である海宝さんに電話を入れて
"来年のさくら道、伴走の話が来たのだけど、伴走やると時間内完走できないかもしれないけど良いかな??"と相談したところ"良いよでも大変だよ" と快く承諾してもらい、色々なアドバイスもしてもらった。
承諾してもらったので、Kadoさんに返事をして、来年のさくら道は伴走と言う事に決めたのである。



3.向地さんの情報
さくら道で向地さんの伴走をすると言うことを聞いた友達数人が"向地さんは我侭だ""結構文句を言う""伴走大変だよ""琵琶湖は大変だった、伴走者を3人も変えた""飛ばして伴走者を潰す"とかいろいろな情報が私の耳に入ってきた。
この話を聞き、"Kadoさんに嵌められたかな??""Kadoさんはそんな人で無いしな""やるだけやるさ""向地さんとは1度や2度は喧嘩しないといけないだろうな"と決意をして挑んだのだった。

注意
向地さんへの誤解を晴らすためにも、この完走記は最後まで読んでください


第2章 さくら道
1.前日のハプニング
私設サポートをする仲間(加来さん)と車で名古屋入りして宿に到着
チェックインしようとすると向地さんの名前は一切無く、向地さんの連絡先も解らず困っていた。
向地さんは熱田神宮参りに参加しているので春井さんに連絡すれば連絡が取れると思い、パソコンを立ち上げメールを確認して春井さんに連絡を入れた。
向地さんと連絡を取りることができて、どうにかチェックインをする事がやっとできたのだった。

ロングのTシャツを忘れてしまい、前日名古屋で購入した。
ワセリンも忘れたことに気づき、向地さんに借りる事にする。
あればよかったものを忘れ、必要ないものを持ってきてしまった。
今回は伴走であり、自分のレースでない気楽さがあって、出発直前の慌しい準備であったので、忘れ物を沢山してしまった。

今まで夜間走行用にマグライトを使用していたが、伴走中に球切れが発生すると危険なので、超小型・高輝度LEDタイプのライトを名古屋で購入した。
高かったが優れものであった。

余計な出費してしまった事に反省をした。
(この気楽な気持ちがプレッシャーにならず完走に導いたのかも...)


2.スタート会場へ
加来さんの車で会場入りをする事にする。
前日ホテルで、大萩さんに会った。
5人乗りの車で、大萩さんが入ると定員が1名オーバーするが、無理やり乗ってもらい、6人でスタート会場に向かう。
こう言う時運転士は窮屈にならなくて楽だ。腹黒い私が運転した。

警察につかまったらやばかった...(おまわりさんごめんなさい)


3.スタート前
道を間違えながらも警察に捕まらずスタート会場に到着
スタート会場で多くの仲間に会う。
"今回もよろしくお願いします"と言って来た人がいた。
私をSTAFFだと勘違いして言ってきた人だった。(誰だか忘れてしまった、ごめんなさい)
この言葉を聞くのが快感である。

スタート前、海宝さんに会う。
向地さんに海宝さんが"私の言う事を聞くよう"にと言ってくれる。


4.スタート
7時にJR東海バス名古屋営業所をスタート
向地さんには最後尾からスタートしようと伝える。
最後尾からスタートするのは、はやる気持ちを抑えるのと、何人追い越したかがよくわかるからである。
昨年、飲み仲間のウルトラランナー後藤君から"最後尾からスタートすると良いよ"教わった。

後藤君の昨年のさくら道は、二日酔い状態での参加であった。
初日は吐きながら走ったとのことだが、荘川さくらで美人の奥さんに励まされ、すっかり元気を取り戻した彼は、白川郷の手前で猛スピードで抜いていき、かなり良いタイムでゴールしたみたいだった。
彼はアルコールで動くロボットのような人で、今年のさくら道では一番ビールを飲んだランナーと噂されている。


山田さんと向地さんと、3人でノンビリスタート。
最後尾は走っているのか、歩いているのかぐらいの速度であった。

一緒に走ってくれた山田さんは、向地さんのお友達で、向地さんと一緒に来て、わざわざ宿の手配までしてくれた、やさしいおじさん。

スタートしたら八重樫さんに応援される。
久しぶりに八重樫さんに合えて、笑顔で応援され嬉しい次第である。
八重樫さんは名古屋在住のウルトラランナー
台湾で行われたIAU ASIA 24 HOUR CHAMPIONSHIPで初めてお会いした。
レース中は腰が痛いと言いながら、211キロ走ってしまった凄いランナー。
八重樫さんのように強いランナーになりたいと思っている。



5.名古屋まで
スタート後、少しずつランナーを抜きながら名古屋駅に到着。
向地さんは大会の緊張からか、トイレに行きたいと言い出す。
名古屋城手前のコンビニに立ち寄ることにした。
コンビニのトイレでは、先客(ランナー)が入っており、大分待たされた。
くさい臭いを嗅がされるのは嫌なので、小用だけの私と山田さんが先に入る事にした。
しかし、先客も大きい方だったので、先客の残り香を嗅ぐようになってしまった。
先に入っても意味が無かったのである。

先客がいた分で(先客の所要時間が長かった)大幅に時間を取られ、コンビニを出たときには本当に最後尾となっていた。

名古屋で最後尾になってしまった私たちは、少しずつランナーを抜きながら一宮裁判所を目指すことになる。



6.一宮裁判所まで
スタートから2時間半、お腹がすいてきた。
向地さんが"トイレに行きたい"と言ってきたので、サークルKに寄ることにした。(28日 9時30分)
トイレを済ませ、パンとビールを購入、ビールは向地さんと山田さん3人で、回し飲みをした。
向地さんはレース中にビールを飲むのは初めてと言っていた。
ここで向地さんを悪の道に一歩踏み入れさせる事になる。

サークルKを出発して約10分、向地さんがまたもよおしてきてしまった。(28日 9時40分)
左側にGSを発見したので寄ることにした。
このGSは開店前か休日だったのか、誰も人がいないので、勝手にトイレを拝借した。
トイレを済まし、一宮裁判所を目指した。

10時12分に、一宮裁判所に到着、コンビニに寄っていたので、エードは少しだけ休憩し、すぐに出発。


7.笠松まで
裁判所を出発してまもなく(一宮駅前)、向地さんがまたもよおしてきた。
デパートがあったので、デパートのトイレを借りる事にする。(10時15分〜25分)
昨日山田さんは老眼鏡を無くしてしまったので、ここで購入する。

トイレを済まし、3人で出発。

走り始めて3時間以上過ぎたが、伴走がしっくりこないので
"私が命を預かっているので私のことをもっと信用してくれ"と言う。
これは向地さんへの最初の挑発である。

一宮駅を出発して1時間以上たち木曽川を渡り、笠松に到着。
ローソンを発見、ここで昼飯する。

向地さんのトイレを済ませ、弁当とビールを購入。
ここでも3人でビールを回し飲みする。
今まで抜いてきた多くのランナーにここで抜かれてしまう。

タッチンや春井さん達にも抜かれる。
タッチンと春井さんは私達と同じ伴走チーム
タッチンの伴走をしている春井さんは、私がリタイアした一昨年も、去年も、連続して伴走をしている凄い人。
さくら道では伴走経験が一番多い人で、200キロ以上のウルトラマラソンでの伴走時間を計算したら世界一の人だと思う。
背が高くて、優しい人。


食事をして、出発する。(11時40分〜12時)


8.美濃市役所まで
ローソンを出発して1.5キロぐらいで国道のガード下をくぐる。
そこには今年もエードがあった。
立ち寄り、美味しい果物など頂き、出発。

金園町を右に曲がり、市電と平行しながら関市に向かう。
約1時間走り右側のコンビニに立ち寄る。
一昨年・昨年と、食事をした場所。
ビールとアクエリアス、ソーセージを購入し、休憩する(13時00分〜13時12分)
向地さんは最初ビールを飲む量が少しだったが、この時点から量が増えてくる。
出発前に向地さんがトイレに行きたいとの事で、トイレを済ませ出発。

少し走ったら、私の靴にごみが入ったので、山田さんに伴走をしてもらい、先に行ってもらう。
直ぐに追いつき、伴走を変わる。

この先から上り下りが出始める。
向地さんの呼吸音を聞きながらペースを変えて走る。
息が上がったらペースを下げ、息が上がらないようにする。

向地さんから"遅くしてくれ"と言って来たので、私なりのペース修正を行なった。
この事が後の喧嘩に繋がるのである。
この上り下りで山田さんとの距離が離れてくる。
"山田さん先行ってごめんね、いままで一緒に走ってくれてありがとうございました"

またこの区間で、向地さんが"気持ちが悪く吐きそうだ"と言ってきたが吐かないように我慢してもらい、若干ペースを下げ、そのまま走る。

関のエードに到着。
入り口の車止めに向地さんがつまずいてしまい、転ばせてしまう。
怪我は無いようで良かった。
ここで補給をして、出発する。

関市から左に曲がる。
"ここからがさくら道の面白いところだ"と向地さんに伝える。

ここから美濃市役所まで、以外と遠い。
美濃市役所に15時50分に到着。
ここで中江さんに合う。
中江さん、今年は調子良さそうである。

中江さんは60歳を過ぎても、ウルトラで頑張っているスーパーウーマンである。
2年連続でトランスエゾを完走している。
"今年は時間内完走出来ると良いね、頑張ってね!!"



美濃市役所までの道は歩道がしっかりしているが、かえって走り難かった。
一人で走っていると気付かないが伴走ではよくわかった。
笠松までは向地さんには歩道を走らせ、私が車道を走る場所もかなり有った。

突然歩道に標識がはみ出ているたりする、はみ出ている標識に手をぶつけたり足をぶつけたりして、向地さんも私も細かい傷を負った。(向地さんの方が多かった)


100キロ程度のウルトラの伴走では、追いついたランナーには大声で"伴走が来ます道あけて下さい"と言い退かすが、さくら道では難しい。
また道を譲ってくれないランナーが目に付いた。距離も長いし、抜く方が避けていくのが常識かもしれないが、交通規制も無い、交通量の多い一般道での伴走、前のランナーを避けて行くのは至難の技、道を譲ってもらえないで転びそうになったりつまずいたりもした。
前に人がいると緊張した。


さくら道の場合、話をしながら走るのが普通であるかもしれない。
しかし伴走している人や障害者に話しかけられ、話し込まれると、注意力が散漫になり、転びそうになる(実際に転んだ)、トラブルが発生しやすくなる。
このような行為も注意してもらいたいのである。



また、今思うと、向地さんは怖がりであったのかなという気がする。
私に腕をくっつけてきた。
今までに無い経験だった、腕を付けられると、走りにくいのとお互いの汗が擦れ、長い距離では走れ無いと思い、離れてもらう様に言った。
これは手を繋いで走れば良かったのだなと終わってから気付く。
不安感が、行った行動だったとも思われる。

岐阜市辺りまでは、自然まかせての小用は出来ないが、岐阜市から先は自然に任せての小用が可能になる。
ここから小用はほとんど外で済ました。
二人並んで連れションは爽快感があり楽しい一時である(女性の皆様ごめんなさい)

逆にコンビニが少なくなるので、下痢に悩んだ障害者の伴走する時は、コンビニを見たらこまめに情報を入れ、トイレに行くか判断してもらう必要がある。


9.郡上八幡へ、そしてついに向地さんが切れ喧嘩する
美濃市役所を過ぎ、郡上八幡を目指す。
市役所を出てすぐ、浅井さんの奥さんがエードを行っていた。
一昨年、去年は柴本さんがエードをやっていた、その柴本さんは今年選手で参加しているため期待していなかったが有ったので嬉しかった。
立ち寄り二人でトイレを済ます。

ビールを飲み、出発する。

浅井さんの奥さんは、旦那の大会に何時もついてきて献身的にサポートしている人。
何度もサポートをしてもらった事が有り、優しい奥さんである。
旦那さんは今年トランスアメリカに出場するので、無事に完走出来るように応援したいと思っている。


美並の道の駅を過ぎ、80kmあたりでモミさん達のエードに立ち寄る。
小休止ををして出発。

モミさん達のエードを過ぎ、5キロぐらい過ぎたところ

私から向地さんに
"皆から向地さんの事を我侭だとか色々と話を聞いていたが、聞いた話とは違う様な気がする"と言い出した。
この事が原因か、向地さんが切れてしまい、
"城定さんには優しさが無い""プライドがありすぎるのではないか??""人を見下していないか"とか色々と言って来た。
スタート前から喧嘩を覚悟していたし、喧嘩を吹っかけるようなことも言っていたので、やっと訪れたと思った。
向地さんのようなランナーとは、喧嘩する事で御互い信頼できるようになると思っていたからである。
これは絶好のチャンスと思い、向地さんの主張を聞くようにする。

この喧嘩で初めて、向地さんから琵琶湖1周マラニックでぎっくり腰なったことを聞かされる。
遠慮して私に隠していたのだった。
琵琶湖1周マラニックの時、160キロでぎっくり腰になったがさくら道を完走したいが為、杖を付きながら残り40キロを歩いたとの事である。
健常者ならとっくにリタイアしているのを完走してしまった向地さん、
視覚障害者の精神的な強さを知らない健常者なら確かに我侭に思えるのだろう。

伴走をやると視覚障害者の精神的な強さを教えてもらえる。
ここでも向地さんの精神的な強さを教えてもらう。

この話を聞き、ゴールは確実であることが見えてきた。
また向地さんが私に遠慮していて、しっくりこなかった原因もわかった。

向地さんが切れ、腹の虫が治まらない、ここで最終手段を出す。
"ここで止める?やめたら私は一人でゴールを目指すよ。私は向地さんを時間内完走させたいから引き受けたので止めるのだったら意味無いから"と言い放った。
向地さんも完走が目標であり、二人の気持ちがどうにかここで一つになり始めてきた。
二人でゴールを目指す事にする。

郡上八幡に20時02分到着。

10.白鳥へ
郡上八幡のエードでWandaに合う。
Wandaは私たちを見て、逃げるようにスタートする。(完走記を読んで”あれは逃げたわけじゃないよ”と彼女はメールをくれた。しかし今まで視覚障害者と伴走チームは時間内完走した事が無い、その視覚障害者と伴走のチームを見てヤバイと思って逃げた様である。かなりすばしっこかった。猫娘のようだあった)

Wandaは、一昨年、新婚旅行としてさくら道に参加し、時間外では有るが夫婦仲良く完走した、素敵な夫婦ランナーである。(但、かかあ天下)
昨年は堂々と時間内完走、先月の24時間走では100マイルランナーになり、年々強くなる期待のランナーでもある。
一方旦那(マッチャン)は途中から伴走を手伝い、懇親会の時間を狙った様にゴールし大勢の方の注目をかったランナーである。
また先月の24時間走の時、奥さん(Wanda)は一生賢明走っている時である。
マッチャンは"寝るから1時間たったら起こしてくれ"と私に言ってきた。
そして1時間後、マッチャンを探しても見つからない、
なんとマッチャンは私に見つからないようなところで隠れて寝ていたのである。
面白い友人である。
この後、マッチャンと供に走る事になるとは、想像もつかなかった。

ここでお握り、味噌汁を飲んで出発する。
昼の暑さが影響してか、胃の具合が悪い。
向地さんも胃の調子が悪いと言っていた。
私だけ調子が悪いので無くて、安心する。

白鳥を目指す事にする。
郡上八幡を出発して1時間、弥冨ちゃんに追いつく。
弥冨ちゃんはどんどん強くなっており、成長が楽しみなランナーである。
どこの大会にも参加しているくらい大会では良く見かける。
さくら道の後、野辺山でも会った。
弥冨ちゃんに"この先にエードがあるのでコンビニに寄らないように"と伝え、一緒にエードまで行く。

胃の具合が最悪であるが、食べ物を口にする。
そして出発する。
大和町を過ぎ、白鳥手前自動販売機でドリンクを買い給水する。

そして白鳥町に到着して顕彰碑に向かう。

顕彰碑に向かう坂は、急な上り坂なので歩きながら登ることにした。
今まで走っていたのに急に歩きだし、少し眠くなる。

坂道を歩いているとWandaが走って下ってくる。
"後少しで顕彰碑よ"と言われる。
元気が出る。
Wandaも最近は、男勝りのランナー変身してきた。


顕彰碑に23時27分に到着。
酒井さんが一人で待っててくれると思ったら今年は松明をたいての大歓迎であった。
"松明で歓迎も良いが、酒井さん一人で暗い中を待っててくれる方がさくら道らしさがあり良い"と思ったのは私だけだろうか??


顕彰碑を下り公民館に到着する。
向地さんに食事をしてもらい、マッサージが空いていたのと、食欲の無い私が先にマッサージを行わせてもらった。
走りすぎて胃が下がり、食欲不振になった胃を持ち上げてもらう。
これで体が楽になる。
私のマッサージも終わり、向地さんの食事も終わったので、向地さんにマッサージを受けてもらう。
今度は私が食事、向地さんがマッサージを受ける。

マッサージのおかげで食欲も少し戻る。

向地さんのマッサージも終わったので、出発する。


11.ひるがのへ(ホモ発覚か)
白鳥を出発して少し立つと、気がうせたのか、私が弱気になる。
向地さんから"自分に付いて来いと言ったのはなんだったのか!!"と激を飛ばされ、目が覚める。
ゆっくりなペースであるが走ることにする。
唯一ここで向地さんに引っ張られる事になる。

ひるがのへの登り、向地さんに話をしても"そやな"だけになる。
話を聞いていないのがわかる。
眠いとの事である。
向地さんに"寝ながら走る人がいる。坂だから歩くから歩きながら寝て良いよ、私は起きているので大丈夫だから"と伝え、腕を握り二人でひるがのを目指す。

TAKASUからの旧道に入る。
”この先コンビニがあるので頑張ろう"と話をし、足をすすめる。
コンビニに立ち寄り、ウイルダインゼリーを購入し、お腹に入れる。

今度は私がもよおして来たので、向地さんを店の人に頼み、トイレに行く。
コンビニの人はわざわざ椅子を出してくれ、向地さんを座らせてくれた。


ここのトイレは洋式で楽だった。
トイレが済んだので、親切にしてくれたコンビニを後にした。

バイパスに戻る。

旧道をチョンボしてバイパスを来た人がかなりいた。
"旧道をこないとコンビニ無いのにな...地図も見ないのかな??"と思いながら進む。

この先でKadoさんのエードに立ち寄りスタートする。
Kadoさんは関西のトップウルトラランナー。ネイチャーランで日本人1位になるなど輝かしい経歴の持ち主。
自らも伴走をやるが、伴走者を紹介したりと忙しい人。
今回の向地さんもKadoさんからの紹介である。
一見怖そうな人だが、実際はやさしい。
Wandaやマッチャンの親分になる。
池波文庫で言うならKadoさんは香具師(やし)の元締めのようなものである(向地さんが起こりで、山田さんが蔓、私が藤枝梅安の様な関係である。<本当は鬼平犯科帳の長谷川平蔵か剣客商売の秋山大治郎の様になりたかったのだが今回私は藤枝梅安、もしかしたら必殺仕事人の昼行灯(通常はボケーとしている)と呼ばれている、中村主水の方がピッタリかも...>)

KadoさんとはIAU ASIA CHAMPIONSHIPでは一緒に走った。


向地さんはまた寝ながら歩く。
寝るのに慣れたのか、私にはあまり負担がかからず、楽に進む事ができた。
真夜中、大人の男性同士で手を組んで歩いている姿を見た自動車達は"ホモが歩いていた"と勘違いしていないかと心配するが今では後の祭りである。

3キロほど進むと、横浜の田森さんの仲間のエードが歓迎してくれた。
偶然、田森さんが車で来たので、お会いすることができた。

ホモ2人、ついにひるがの分水嶺に到着(29日 4時12分)
そしてエードに到着。

エードに立寄る前に向地さんはトイレに入る。
トイレを出てからエードで手抜きうどんを食べる。
手抜きうどんと言っているが大変美味しく感謝をする次第だ。

胃薬と整腸剤を向地さんがもらう。
自分ももらい飲んでみる。



12.荘川桜へ
ひるがののエードを出発して300m、向地さんがまたもよおしてきた。
コンビニのトイレに立寄ることにする。

トイレで地元のおばあちゃんに応援される。


荘川村の牧戸まで長い下り坂を下る。
牧戸まで行くとあと5キロで荘川桜である。

ここで丹代さんに追いつく。
丹代さんを追い越し、荘川桜に向かう。
6時35分に荘川桜に到着する。

エードにはSTAFF仲間の谷口さんがサポートしていた。
谷口さんは口ひげをはやし、一見怖そうなおじさんである。
はじめてあった時、土建家のオヤジかと思った。
寅一のニッカボッカと地下足袋を履かせたら日本一似合いそうな感じがするが、海宝さんの主催する大会のTシャツやさくら道の文集の表紙等、皆がよく目にするものをデザインしている繊細な技術の持ち主、ゲージツ家である。
そして優しいおじさんである。

ここのエードは3人でマッサージを行っていた。カレーも2杯食べ終えたころ、マッサージが空いた。
私が、先にマッサージしてもらう。
向地さんも食事が終わりマッサージしてもらう。
私のマッサージが先に終わり、カレーをもう1杯食べる。

ひるがので飲んだ胃薬が効いたのか、朝になり胃が活発に動き出したか、カレーを3杯食べる事が出来た。

向地さんのマッサージも終わったので、出発する事にする(29日7時20分)


出発前にKadoさんが来てくれた。
関家君、加来さん、ワニさんのサポートにもここでお会いできた。

関家君は皆さんご存知のアジアチャンピョンの関家君
24時間走アジア記録保持者で長い距離を走るのは日本一、アジア一速いランナー。
スポーツクラブが一緒で、現在エアロビクスに嵌っている
エアロビクスに関しては私が師匠になる...

加来さんは同じジムの仲間で、立派なあごひげを生やし、温厚な方である。
顔を逆さまにしても顔に見えるようなひげの持ち主である。
来年のさくら道に参加したいがため、今回はサポートで参加。私設のエードを運営していた。
大変感謝している。

ワニさんは、ランナーで申し込んだのだが、怪我で今回はサポートに廻った。
夫婦で参加予定だったので、旦那のサメさんが走っている。
二人で世界中のウルトラマラソンに参加し、仲の良い夫婦である。
栗山では旦那がサポートにまわり、私と巡回していた。
変った格好で走るランナーがいたので、
"なんだあれ??スイカか"と驚いていたらそれがサメさんの妻、ワニさんだった思い出が有る。
時々変な格好で大会に出没し、皆さんの心を和ませてくれる素敵な女性である。



13.白川郷へ(命名:試練坂  暴露1 そして懺悔)
荘川桜を出て おしっこがしたくなる。
100mぐらい進んだところで向地さんと連れションをする。
場所が悪かったのでKadoさんに見られ、Kadoさんが飛んできた。
デジカメに立ちション姿をフォーカスされてしまった。


小用も終わり出発。
残り時間が24時間を切り、時間計算しやすくなった。
向地さんに"時速5キロで歩いて残り時間が2時間以上ある"と言い出す。
これは24時間走の距離計算法で、何キロで走れば良いのかと考える方法である。
フルマラソンの時も、スタートして2時間過ぎた時、残りの距離を元に計算する。
2時間で30キロ走っていれば、"残りを時速12.2km/hで走ればサブスリーだゴールが見えてきた"と目安になり、後少し頑張ろうと励みになる考え方である。

日もすっかり上がり、交通量が増え始めてきた。
荘川桜を過ぎてすぐの、尾神橋を渡っていると前から来る乗用車が、前方を見ず、白山に気を取られながら運転してくるのがわかる。
運転者は私たちに気づかない。
かなり近寄ってきた。
橋の上、橋下は50m以上あるかと思われるところ。
もし跳ねられたらと考えると非常に恐怖である。
私達に気付かずよそ見運転、すれ違うまで、本当に恐怖だった。(一番怖かった)

そして雪崩よけのトンネルを進む。
ここも怖かったが、橋の時の件に比べたら可愛いものだ。
大型車とのすれ違いは、乗用車がかなり寄って来たので怖い思いをした。
昨年は車の通らない時間帯だったので、トンネルの怖さも、始めて知った。

御母衣ダム手前、福島保木トンネルで前方を行くランナー数人がバイパスに進まず、旧道を進んでしまう。
地図を見て確認しながら走らないのだろうか??
私たちは地図を確認し、バイパス側に入る。
長いトンネルを過ぎると御母衣ダムはもう少しである。

御母衣ダム手前で旧道に入り、ダムに到着(29日 8時30分)

ここからの下り坂、エードがすぐ下に見えるのだが、道路は大きく迂回する。
昨年ここで、もよおしてきてしまい、トイレが真下に見えるのになかなか着かず辛い思いをした。
今年も、もよおしきた。同じパターンだ!!
トイレが近くに見えているのに凄く遠くに感じる地獄のようなこの坂を"試練坂"と命名したい。

試練坂を下り、エードに到着、尻をおさえてトイレに掛け込む。

ここで私はハミ便をしてしまう。
便器の脇に少しおつりを残してしまった。
後からトイレに入った人には不快な思いをさせてしまったであろう。
反省をする。

向地さんに"城定さんは酷い人だ"と言われそうなので内緒にした....

そしてそそくさとエードを出発。



私の後にトイレに入った人がいると思います。
その方たちに
”不快な思いをさせて申し訳ございませんでした。どうかお許し下さい。”
ここでお詫びさせてもらいます。



向地さんが催した時は私は催さず、私が催した時に向地さんが催さず、大きい方のタイミングはずれていたので休憩時のロスが少なくて済んだ。
小さい方に付いては何故か同じ時間で催した。
何回も連れションをした。
水分を飲むタイミングが同じだからだろう。


1キロほど行くと今度は宮本さんの応援に合う。
私が厳しかったか、向地さんは宮本さんに会えて感激していた。

宮本さんは昨年春井さんの伴走で、さくら道を完走している視覚障害者のランナー
貝畑さんと稚内から沖縄まで伴走で日本を縦断した事の有る。日本一、いや、世界一続けて長い距離を走ったと言える、視覚障害者ランナーである。

サポート受け、出発する。


そして田口建設に到着する。

ここでおかゆもらう。
美味しいのでお代わりする。
丹代さんが到着したので先に出発することにする。

登りで歩き、下りで走るを繰り返していたら寺沢さんに追いつく。
そして近づき、離れを繰り返しているとイノブタのサポートカーに合流する。
サポートを受けて再出発する。

寺沢さんは毎年"寺沢ゼッケン"なるものを作って皆に配る。
これはお守りで、これがあると完走出きると言われている。
甲州夢街道の時、寺沢さんは作るのを怠ったが為、リタイアしてしまった事がある。
寺沢ゼッケンは魂がこもっており、本当にお守りのようなゼッケンである。


少し走ると加来さん、ワニさんのサポートカーが氷を持って来てくれた。
口に含んで出発する。
暑い時に冷たいもので、カラダも心も和ませてもらった。

氷をもらった場所は昨年"イタドリ"を食べたところだった。

出発時に小林譲に"イタドリ食べないようにちゃんと補給してね"と言われたのを思い出す。
小林譲は今頃どこを走っているのだろうか??
小林譲は栗山での打上の時、余ったメロンを丸ごと3個、1度に食べた、食いしん坊美人ランナーである。

白川郷のエードに到着。
寺沢さんと一緒に休憩、ビール、梅酒を飲ませてもらう。
梅酒が大変美味しかった。
向地さんはすっかり、酒のみランナーになっていた。
走りながら飲むビール美味しさを知ってしまったみたいである。





14.ささら館へ(まっちゃんと合流)
白川郷入口のエードを過ぎ、世界遺産である合掌造り村、白川郷へと入る。
白川郷のトイレに立ち寄り、向地さんが用を足す。

向地さんのトイレとオナラの回数が多いので、痔にならないか心配する。
昨年野辺山で伴走をした時、私が何回もトイレに通ったことを思い出す。
大会前に切痔になり、大会中、何度もトイレに通い、大会が終わったら切痔が治っていた経験がある。
この切痔、オナラを出し過ぎると切れるみたいである。走りながら沢山出したら切れたとか、大きい音のオナラを出して切れたとか、大きい物を出して切れるとか、これは20歳ぐらいに発病し、時々病魔が現れる。
この事を向地さんに伝え、向地さんのお尻を心配する。
世界遺産の場所にふさわしい話題であった???

合掌造りを見ながら、進む。
観光客が沢山歩いている中、不思議な二人連れが進んでいく。

合掌造りの村を過ぎ、白川橋を渡っていたら向地さんは歩道から足を踏み外し、顔面から転ぶ。
橋の終わりが近づき安心して気を許してしまい、向地さんを転ばせてしまった。
向地さんは顔を切り、血を流す。
擦り傷2箇所、出血1箇所であった。
去年上梨で転んで膝を怪我した教訓でカットバンを用意していたがここで役に立った。

出血は多めだが"ちょっとだけ血が出ているだけだよ"とウソをつきカットバンを貼る。
向地さんには悪い事をした。

そしてコンビニに立ち寄る。
南さんや鈴木さんとこのへんから供走(きょうそう)するようになる。

向地さんは食欲が無いみたいだったので、私だけコンビニで弁当を買い補給する。
そして出発する

出発してすぐ吉富さんに会う。
向地さんは"時速5キロで歩いても2時間以上余裕がるから頑張ろう"と応援をする。
今まで私が言っていた事を今度は向地さんが言う様になった。
意識の変化に喜びを覚える。
絶対に時間内ゴールは大丈夫だと確信する。

気温も上がり暑くなる。
炎天下は暑いので歩き、トンネルで走るように作戦を練る。

この先からトンネルが続く事になる。
トンネルでは向地さんを歩道に乗せ、私が車道を走る。
懐中電灯を対向車に向け存在をアピールしながら走る。
命がけである。
私が轢かれても向地さんがまき込まれない様にロープではなく手を繋いで走る事にする。

トンネルの所々、水が漏れて滑りやすくなっている。
通過は向地さんの腕をつかんで進む事にする。
対向車は邪魔臭いと思ったのか、男同士で手を繋いでホモでも走ってきたとでも思ったのか、ホーンを鳴らすものや、わざと近づく車もいて恐怖だった。
乗用車やトラックよりも、バスは避けずに突っ込んできて本当に性質が悪い。
バスの運転手は2種免許を持っているはずだがマナーを疑ってしまうところだ。

命がけでトンネルを抜け、椿原橋手前で夢街道の帽子をかぶった見なれたハゲが寝ていた。
ゼッケン見てマッチャンである事に気づいた。
”寝ていないで一緒に行こう”と声をかけた。


私と向地さんがそのまま走っているとマッチャンが追いかけてきた。
短いトンネルを抜ける頃、マッチャンが追いついた。

椿原橋を過ぎたあたりでマッチャンが伴走してくれると言ったので変わってもらった。
マッチャンはWandaの旦那さんで、向地さんとの伴走は何年もやっているみたいだった。
初めてあった時、スキンヘッドで怖面で"こいつはまともじゃない、その筋の人間か??"と思ったが、実際は優しい良い男だった。
Wandaとお似合いのカップルである。

伴走の前を私が走る事にした。
マッチャンと向地さんは足の長さが合っているのか、ピッチが合っていた。
本人達はお互い足が長いとしきりに言っていたが、人と比べた事が無いのかと思うくらい疑問に思い、無視をした。
何度も繰り返して言っているのを耳にした。

加須良トンネルは私が先を走り、懐中電灯で車を避けさせながら走る事にする。
一人で伴走していた時に比べると遥かに楽だった。恐怖心は全く無かった。

合掌大橋を渡り、越前トンネルを過ぎたあたりでエード発見。
昨年ここの距離が一番辛かった思い出があり、エードで大変助かった。
そして1キロも進むと今度は加来さんとサメさんがエードを開こうとしていた。
"手前にエードがあるからもっと手前か先にエードを設置すると良いよ"と伝える。
ささら館の先に行ってエードを設置してもらえば良かったのだが、手前でエードをするとの事であった。
加来さん達のエードを後にして、少し進むと道の駅ささら館に到着した。
3人でツレションをして、出発する事にする。



15.下梨へ(チョ〜ウルトラケンチャン誕生)
ささら館を出発し民謡歩道を渡る。
マッちゃんと向地さんが橋を渡り出す頃、音楽のスイッチを押し、民謡をBGMに流した。
私にはエアロビクスで使うダンス系の曲が似合うが、あの二人には盆踊りで使うような民謡がピッタリ似合っていた。

民謡歩道を渡り、坂道を登ると200キロ地点を通過することになる。
これで残りが66キロ、ゴールが完全に見えてくる。

昨年エードが有った場所に今年はエードが無かった。
下梨まで頑張る事にする。
上平村の役場手前で雪を発見する。
伴走しているマッチャンと向地さんに雪を投げる。
下梨までの単調な道を進む事になる。

ここまで来るとゴールも見えてきて、向地さんが"亀井さんがウルトラケンチャンと呼ばれているけど、僕もケンチャンだから、完走したらウルトラケンチャンやで...""でも人の名前も使うのもな〜"と言ってきたので"チョ〜を付けたら"と言うと"今度から俺の事をチョ〜ウルトラケンチャンと呼んでくれ"と言ってくる。
チョ〜ウルトラケンチャンの誕生である。

上梨に到着、昨年私が転んで足を怪我した場所だ。
今年は無事に通過できた。
上梨トンネルを抜けるとマッチャンが眠いと言い出す。
私が先頭でマッチャンを引っ張り、マッチャンが向地さんを引く事になる。
どうにかモミさん、三浦さんのいるエードに到着した。(29日 17時27分)

モミさんは私のSTAFF仲間で
観覧舎マガジンと言う雑誌の編集長をしている。
STAFFを一緒にやっている時、バカな事を言う私の相手になってくれる。
フラダンスの名手と言う噂もあり、今度弟子入りしようかと考えている。

あと少しだ!!



16.五箇山越え(心の葛藤)
モミさんと三浦さんのエードを後にして五箇山トンネルへの坂道を登り始める。
トンネル入口までは歩く事にする。
向地さんの伴走をしているマッチャンが眠いと言い、フラフラし出す。
”ここで足を引っ張られては今まで時間内完走を目指していたのが無意味なものになってしまう、しかし向地さんはマッチャンと時間内完走と望んでいるみたいだし、どうしようか”と一人で悩む。
この事を二人に話し、判断をしてもらおうかと心の中で葛藤しながら五箇山トンネルまでは我慢しながら登る。
トンネル手前に1時間かけて到着。
向地さんは時間を心配していたが予定していた時間通りと伝え、足を進める。

五箇山トンネルに着いたからか、長いトンネルを走る緊張感かマッチャンは目が覚めたらしい。
最初のトンネルに入る。
上り坂気味なので対向車に注意しながら私が先頭で歩きながら進む事にする。

最初のトンネルを抜けると大きな橋がある。
この橋は高度差があるので大変怖い橋である。
マッチャンは高所恐怖症の様で、橋の中のほうを歩く。
対向車も無く、歩きやすかった。

2個目のトンネルに入る。
このトンネルは3キロあり、気味の悪いトンネルである。
昨年2キロ過ぎたところで自動車事故の後(車のオイルと血痕、道路にはチョークの後)と、花を飾ってある所を見て、非常に怖い思いをしたところでもある。
トンネルに入って1キロまではゆるい上り坂、ここまで歩き、下りは走るようにする。

走り始めて1キロ、事故現場を通過、命日に近いのか新しい花が飾ってあった。
気味の悪いトンネルである。
マッチャンと向地さんにはこの事を伝えず、ひたすらトンネルを抜けることだけ目指す。

トンネルを抜けると左手にエードが有る。
浅井さんの奥さん達のエードである。
ここに立ち寄った。
マッサージもやっていたがトンネルでロスした分を取り戻すため小休止で出発するようにする。



17.城端へ(3人から5人へ、そして暴露2)
五箇山のエードを早々に出発する。
南さんが一緒に付いてくる。
3人より4人の方が心強い。
4人で下り始めたら、○ッチャンの行動がおかしくなる。
お尻を押さえながらもじもじして、"後から追いつくので、先に進んでくれ"との事だ。
伴走を交代した。
○ ッチャンは紙を持ってそそくさと茂みに向かった。
キジ打ちの様だ。

他人事ながら、紙を持ってて良かった。
以前、雁坂峠越え140キロウルトラマラソンに参加した時の事である。
峠の山小屋でビールを飲んでから走り始めて5分したらもよおしてきた。
雨で冷えて、おなかが痛くなったのだった。
我慢できなくなり、破裂寸前状態で登山道を外れ、急いでパンツを下ろした。(登山道からは丸見えだった)
"間に合った!!"
安心したのもつかの間、紙を持っていない事に気付いた。
"そのままパンツをはくと汚いし、臭くて汚れる。エードに迷惑がかかる。"
"葉っぱで拭こうかな"と思った、"葉っぱだと尻が痛くなるし破けたら嫌だな"と思った時、
その場所はコケがいっぱい生えているコケの楽園である事に気付いた。
そしてそのコケを手に取り、お尻を拭いてみたのである。
コケは弾力性があり妙にお尻に優しいのである。
トイレットペーパーより優しい拭き心地、痔の人にも良いかもしれない。
そしてお尻も綺麗にしてくれた。
自然に優しく、キジ打ちではお勧めである。

ゆっくり走っていると○ッチャンは追いついてきた。
すぐに追いついたので、チャンと拭いたか心配であったがそのまま進む事にする。
○ッチャンと伴走を交代した。
今思うと、手も洗っていない汚い手で伴走を交代してもらったのである。

そして城端を目指して下る。
鈴木さんが追いついてきた。
ここで5人の大部隊となる。

下り坂も続き、飽きてきた。
平坦地になってきたので少し歩く事にする。
たんぼではカエルが鳴き、カエルがうるさくて寝にくいだろうなとの話であったが、私の実家の廻りはたんぼでカエルの鳴き声が子守唄の様に育った私は懐かしく思った。

城端の駅を過ぎ、エードまで走る事にする。
駅から3キロぐらい走り、エードに到着。



18.エードでハプニング
エードについてドリンクを飲み、うどんを2杯食べる。
美味しかった。

しかし自分の靴紐を締めようと、俯いたら急に気持ち悪くなる。
トイレの場所を聞き、気づかない様にトイレに入る。
トイレに入り食べたものを全てもどしてしまう。
もどしたら不思議とまたお腹がすいた。

空腹だと走れないのでチョコレートを口に入れ、スタートする。
マッチャンに戻した事を伝える。

ランニング後に、食べ過ぎ・飲み過ぎが原因(ほんとうは飲み過ぎ)でもどした事は数知れずだが、ランニング中にもどした事は初めてであった。
もどした後も以外と走れたし、食べ物を口に入れる事ができたので良かった。
多分食べたすぐ後、俯いたので胃を圧迫し、気持ちが悪くなったのではないだろうか...



19.松華堂へ到着
南さんと鈴木さんが少し前を行き、私達が追いかける様に進む。
マッチャンには私のザックに付いている、反射盤を目印に伴走してもらう様に頼む。
視力の弱いマッチャンは夜になると見えにくくなるため、反射盤が良いマークになる様である。
松華堂に到着した。(29日 22時15分)

岩田さんや折橋さんに迎えられる。
向地さんと喧嘩をしている時に折橋さんを追い越したみたいであった。
恥ずかしい次第だ。

手前のエードでもどしてしまったため、ここで積極的に給食するようにする。
フキが美味しかったので、フキをおかずにおかゆを3杯食べる。
もどしても良いから、口に入れる様にした。
フキが胃を治したのか、胃の調子も良くなり、おかゆを美味しく食べる事が出来た。

ここで補給したので、出発する。



20.県境へ(謎の3人組、そして2組の伴走体制へ)
松華堂をスタートして県境を目指す事にする。
坂道は歩き、下りは走る様にする。

かなり進んだところで、マッチャンが”目が見えなくなってきた”と訴えてきた。
マッちゃんは片目に障害(弱視)を持ち、目を使いすぎると疲れるみたいで、さくら道は完走出来る実力を持っているのだが、目が疲れてしまい、仮眠しないと走れないと言う、ハンディーを持っているのである。
ここまで着たらマッちゃん、向地さん両方を時間内完走させると言う気持ちが強くなる。
向地さんは視覚障害者初の時間内完走になるが、マッちゃんも完走すると、夫婦初の時間内完走者となるのである。

右にマッチャン、左に向地さん、男3人で手を繋ぎ伴走する事にする。
知らない人が見たら男3人、それも一人はハゲ、気持ち悪い集団に思えたと思う。

すぐに南さんが気づき、”伴走をしましょうか”と言ってくる。
健常者の伴走の方が難しいので、向地さんの伴走を南さんに頼み、私がマッちゃんの伴走をする事にする。

南さんは初伴走であるが、鈴木さんがフォローしてくれているので頼もしい。
少しでも伴走に関心を持ってもらえると嬉しいので、向地さんの事は南さんにまかせる事にした。
臭い男が伴走するより向地さんは楽しそうだった。

マッチャンは目をつぶって走るが、私が伴走をしているからか安心して眠くなってしまう。
フラフラ状態で県境を越える事になった。
向地さんは歩きながら寝ても大丈夫だったが、マッちゃんは体重がある分寝られるとキツイ状態だった。

5人2組で走っていると、私達に一人ついてきた。
5人が6人になった。
多いほうが楽しいので、6人で県境を目指す。
そして県境に到着。(30日 0時35分)

県境からエードはすぐだと思っていたら以外と長かった。

エードに着いてうどんを頂く。
美味しいうどんでお替りをしたら、2人追いついてきた。
6人でイスを占領していたため、このままでは後から来た2人が座れないので、うどんをあきらめ席を譲り出発することにする。


21.森本へ(5人から8人へ)
エードをスタートし、6人で走っていたら先ほどエードに到着した2人が追いついてきた。
多いほうが楽しいので、皆が離れないようなペースで走る様にする。
南さんや鈴木さん、向地さん達は余裕がありスピードを上げれるのだが、残りの3人はキツいみたいだったのでスピードを落として走ることにした。
マッチャンも眠気がピークになり、フラフラ状態であったが、伴走をしながら森本を目指した。

県境から森本まで長い道程であった。



22.兼六園へ
森本交差点を左に曲がり、兼六園を目指す。
マッチャンには金沢に入ったので自力で走るように伝える。
厳しい判断であったが、来年のためにも自分の力で走る様にと思った。

森本から兼六園までは長い上り坂である。
南さん、鈴木さん、向地さん3人組は余裕で走るが、残りの人達はキツイみたい。
"速い”との声も聞こえた。
南さん、鈴木さん、向地さんに
”記録より記憶に残るさくら道にしたいので皆で行きましょう。ペースを落とします”と言い先を急ごうとするのを抑えた。(この言葉は今でも後悔している)
生意気な行動ではないかと悩みながらも、走れないランナーを置き去りにして先に行く気はしなかった。
走る事もでき、速歩きでついて来れるスピードで先頭を走る。

途中で道に迷って休んでいるランナーと会い、その人も付いてくる事になる。
計9人の部隊になった。

森本を過ぎた時に”トイレに行きたいからコンビニがあったら寄ろう”と言う事を話していたが、地図上のコンビニは無かった。
南さん、鈴木さん、向地さんには先に行ってもらい、コンビニで待っててもらう事にする。

残りの人達は、フラフラ状態で歩いている。
一緒に歩いて兼六園を目指す事にする。

朦朧としているのか、皆はコンビニを通り越して、先に行ってしまう。
私はコンビニの前で、南さん、鈴木さん、向地さんが出てくるのを待ち、一緒に進む事にした。
進もうとした時、細田さんが猛スピードで追い越していく。
速いなと感心してみていた。

そして私達4人で走って行き、先に行った人達に追いつく。(3人先に行っていなかった)
そして皆で進んでいたところ、細田さんが休憩をしていた。
一緒に行こうと誘い、7人で進む事になる。(細田さんに悪い事をしたと後々思う)

兼六園手前県境手前からついてきた人は立ち止まってしまう。
”ここまで来たのだから一緒にゴールを目指しましょう”と言ったら
”100人100様のさくら道だから先に行ってください”と言われる。
せっかくだからと思っていた自分の考えが間違えていた事に気づき
”わかりました申し訳ございませんでした。先に行かせてもらいます”
と謝り先へ進むことにする。
しかしその人は私達に着いて来た。

そして7人で兼六園に到着する。(30日 3時15分)
皆で手を繋ぎ1500本目のさくらと酒井さん迎えられる。



23.感動のゴール(100人100様のさくら道)
金沢の判り難い道を7人で歩く。
走ってきて追いついた細田さんも歩きに着き合わせてしまった。
二口町まで着いて、関家君に迎えられる。
ここまで着て細田さんは先に進む事になる。(いままで歩きに付き合わせて悪かったなと反省する)

そして"それぞれのさくら道"と言っていた人も先に行ってしまった。

県境から兼六園まで一緒に走った。
それも"速いから速度を落として"と言っていた人達もさっさとゴールを目指して行ってしまった。
力が余っていた私達が取り残されてしまった。
森本から兼六園に向かうところで、南さんや鈴木さん、向地さんに"皆が付いてこれないから速度を落としてください、さくら道は楽しむものだから皆でゴールしましょう"と言った自分を後悔した。(今も後悔している)

またゴール手前で"どいて"と言って追いぬいていった人もいた。
歩いていたので邪魔だったかもしれないが、IAU ASIA CHAMPIONSHIPの24時間走で大会記録を出したイアニスクロスもアジア記録を出した関家君も前を行くランナーに"どいて"とは一言も言わなかったし、聞かなかったのがここで耳にするとはおもわなかった。
ゴール手前で人間性の現実に目覚め、しらけムードになってしまった。

しかし、ゴール手前1キロ、五箇山から協力しながらここまで来てくれた私達5人は、手を繋いでゴールを目指す事にした。
ルネス入口に到着。
前のランナーがゴールするのを待ってからスタートしようと待っていたら、後から着たランナーが先に行ってしまった。
そのランナーがゴールしたのを見届けてから私達5人は手を繋ぎゴールを目指した。

荘川桜あたりから抜きつ抜かれつ走ってくれた南さん、鈴木さん
私達を待っていたマッチャン、最初は不信感、喧嘩、そして怪しい二人と化した向地さん、計5人で手を繋ぎゴールに近づいた時、私の目からは自然と涙があふれ出てきた。
"海宝さん、酒井さん、スタッフの皆さん、応援して下さいました皆さん、一緒に走ってくれた多くのランナーの皆さん、南さん、鈴木さん、マッチャン、そして向地さん、ありがとう。
皆さんのおかげで、本当に楽しいさくら道を体験することができました。"


ゴールタイムは46時間46分46秒であった。
1度も眠くならず、命がけで走れたさくら道に大変感謝である。


大変だったでしょうと言われたが、大変だったとは思うことは一つも無い楽しい旅であった。
来年も伴走ができたら良いなと思えるゴールに感謝である。



第3章 完走して
私が向地さんの伴走を引き受けたのは、さくら道を伴走する事で得る物が大きいのではないかと思ったからです。
月間150キロしか走っていない、51歳の全盲ランナーが余裕でさくら道を完走してしまった事に視覚障害者のパワーを感じるものが有ります。
一人で走ると眠くなったりするが、伴走を通し、命を預る重大さで2日間1回も眠くならなかったことは大収穫でした。

向地さんは琵琶湖1周マラニックで160キロ辺りでぎっくり腰になりさくら道を完走したいが為、頑張った根性も凄いと感じました。

多くのランナーがさくら道に挑み、途中で破れてしまう。

しかし月間150キロしか走らないランナーが時間内完走してしまう事実を知ってもらいたいと思います。
スタート時から下痢、吐き気に悩まされ、途中から食事が取れなくなり、転倒し顔を切り、それでもゴールしてしまった向地さんには、ただ脱帽物であります。

スタート時は"完走出来るかな"と言う気持ち、残り200キロを切った時、"200キロ、24時間走なら24時間で走れる距離だ"と激を飛ばしたら腹を立てた向地さんがゴールに近くなったら"時速5キロで歩いても2時間以上余りが有る""今度は狙うレースと遊ぶレースを分ける"とか余裕の言葉を言うようになりました。
46時間一緒に走る事で、向地さんは何倍にも大きくなり、心に余裕が持てるようになったのではないかなと思うと、非常に嬉しく思えます。

ルネスではリタイアして懇親会に出ず帰った仲間がいました。
一昨年私がリタイアした時、海宝さんに"ゴールを見ていろ"と言われました。
ゴールを見ていると時間外でもゴールする人が眩しく思えました。
次回は絶対に完走する。
時間外でも完走する。
悔しい思いがバネになり完走できのでした。

月間150キロしか走らない視覚障害者が時間内ゴールをしてしまった現状を見て、
リタイアして懇親会に参加せず帰ってしまったしまった仲間達に"来年こそは自分も完走するぞ"と言う気持ちを持ってもらいたいと思うのは私だけだろうか....





後記
向地さんの評判を多くの方から聞かされました。
"我侭だと""好きな事を言ってくる"とか
ゴール後も"伴走大変だったでしょう"言われました。

一緒に走って思えた事は、
"向地さんは皆が思うほど我侭な人ではない"という事です。
なぜ皆が我侭に思えたか、それは障害者が持っている精神力の強さが健常者には伝わらないからこそ我侭に思えるのではないかと思うのです。
対等に付き合い、喧嘩し、腹のそこから話し合い、信頼しあえたからこそ思うのです。

さくら道をステップにもっともっと強くなると思います。
記録を伸ばし、ネイチャーランにも参加したいと言っていました。
ネイチャーランやスパルタを目指せるランナーになってもらいたいとも思うのです。
視覚障害者のウルトラマラソン第一人者になってもらいたいと思います。

世界レベルの視覚障害者ウルトラランナーになってもらえれば良いなとも思っております。
(視覚障害者、それもB1(全盲)で200キロ以上のウルトラマラソンを時間内完走した唯一のランナーだから、世界に誇れるかもしれませんね)







追記
今回、向地さんと最初から喧嘩する戦略に賛否両論がありました。
最初から喧嘩を考えているのは人間的に問題があるのではないかと思われる方もいらっしゃると思います。
好んで喧嘩をした訳ではありません。
喧嘩は辛いです。恨まれます。憎まれます。
しかし必要な時は行わなければ行けないと思っているのです。

今回の様に短期間(今回前日が初顔合わせ)それも灰汁の強いと言う噂の人と信頼関係を結ぶのに一番早い方法だと思ったからです。
何度も伴走をしており、信頼関係が結ばれている物同士なら喧嘩の必要もないと思います。

しかしさくら道のような長距離、伴走相手とは前日に始めて会う。
悪評があり、灰汁の強い人であるとの評判と
そして走って信頼していないと言うことが感じ取られたからです。

喧嘩する事で本当の向地さんを知ることができました。
互いに信頼関係が結ばれ、この人の為に命を張れると思えたのです。

向地さんは喧嘩した事で私の事を信用してくれ、夜は眠くて横になりたいのを我慢し、一言も我侭を言わず、私に付いて来てくれました。
信頼関係が無ければ、白鳥やひるがので仮眠をし、時間内完走は無理だったと思います。

この戦略は学生時代の山岳部で学びました。(2年制の専門学校だったので、信頼関係を作る方法としての手段でした。4年制だったら違ったかもしれません)
山では自分が死んでも仲間を守ると言う考えが必要です。
遭難した時、ザイルパートナーには死んでもらいたくないのが山男の美学です。
その為の手段として信頼関係を作るためにも、後輩や灰汁の強い仲間とはぶつかり、喧嘩して、信頼関係を築きます。

この戦略を今回取り入れてみたのでした。
向地さんに挑発し、喧嘩した事について、向地さんには悪いことをしたと思っている。
本人を傷つかせなかったか、ウルトラは厳しい、2度とやりたくないと思ってしまわなかったか、城定と言うやつは生意気で、嫌な奴だ、2度と伴走を頼まない、と思わなかったか心配しています。
向地さんに"挑発して悪かったね、ごめんなさいね"と謝りたいなとも思っています。



今回は、障害者とは対等な立場でエントリーしました。
伴走は依頼されましたが、交通費やエントリー代は全て自腹です。
自分で払う事で、"貴方も完走を目指すかもしれないが、俺も完走を目指すよ。"
"お互いに楽しもう"と言う気持ちで走るからです。
交通費やエントリー代を伴走者に任せてしまうと、完走請負人になってしまうと思ったからです。
障害者にも甘えやおごりの気持ちが出ると思ったからです。
長い距離を我慢しながら走る事で、お互いにストレスも溜まったと思います。
対等で無いからだと思うのです。
今回は、お互いが対等であったからこそ、走るパートナーとして、時間内完走を目指すことが出来たのだと思っております。


伴走を行う上で信頼関係を築く方法として、"こんな方法で完走できたんだ"と言う事を知ってもらいたいと思い、
完走記を作成させてもらいました。





最後に
今回、さくら道で学んだ多くの戦法は今後が生かされると思います。
喧嘩しないで伴走する自信もあります。(多少のいざこざはあるかも)
時間内完走を目指し、色々な戦略を考え、行動に移せるさくら道の伴走は、さくら道を10倍100倍も楽しめる
究極のウルトラマラソンではないだろうかと思えます。



来年について
完走記を作成した時、来年も伴走で参加するぞと思っていました。
しかし来年は海宝さんが走るので、"本部経験のSTAFFが足りない"との事を耳にしました。
そこでSTAFFに廻る事にしました。
レース前、"来年はネイチャーに申し込んで、さくら道はSTAFFでも良いかな"と考えていた事も要因の一つであります。
STAFFにまわり、レース中にリタイアを頭に浮かべた仲間たちの尻を、ムチで叩き完走に導きたいと思います。
仕掛け人の”藤枝梅安”から、鬼平犯科帳の"鬼の平蔵"こと、"長谷川平蔵"に化けたいと思います。

"仲間たちよ、来年は覚悟しておけ...."
と一言付け加えたいと思います。

今までとは違う形で参加出きるので、楽しみです。



<お礼>
今回、完走記を作成するにあたり、多くの方のアドバイスを頂きました。
文章の訂正個所を指摘してくれた、"前田君(ちび黒)"、面白く書かせてもらい、快く許可してくれた、そして相談にものってくれた"マッチャン &Wanda"、感想聞かせてくれた"加来さん"、感想聞かせてくれたり、相談にのってくれた"関家君"、真剣に内容を指摘してくれた"福原君"、そして福原君と話をしてくれた"向地さん"、色々な相談にのってくれた"Kadoさん"、"海宝さん"、文章の校正方法など色々と教えてくれた"まばしさん"、校正してくれた”羽倉さん”、他、沢山の方々がお手伝いしてくれたおかげで完走記を作成することが出来ました。

ありがとうございました。


またこの長文を読んで下さいましたみなさま

ありがとうございました。




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