二階堂川(にかいどうがわ)

JR鎌倉駅前から「鎌倉宮」へいくバスに乗って、鎌倉宮から瑞泉寺方面へ、通玄橋前を瑞泉寺へ上らずにから天園ハイキングコース方面に源流へ歩く。「鎌倉宮」から40分程度で源流へ到着します。
滑川とは、金沢街道を挟んだ山間に源流を持ち、滑川に合流する。
合流地点近くの「歌の橋」から源流まで逆に歩いてもわかりやすい。

源流付近

鎌倉市二階堂新立付近
天園に通じるハイキングコースの頂上付近に源流があるようだ。
鎌倉市二階堂
急な坂が続いている。
足元には十分注意
鎌倉市二階堂
依然として急坂が続いている。
鎌倉市二階堂
だいぶ川らしくなってきた。
鎌倉市二階堂
せせらぎを作り出している。

ハイキングコース入り口

鎌倉市二階堂
天園ハイキングコース入り口付近。
すっかり景色が変わってくる。
東電下付近
鎌倉市二階堂
東電横須賀変電所の下付近。
またこの近くには鎌倉老人農園もある。
獅子舞付近
鎌倉市二階堂獅子舞
橋には名前がない。
亀ケ淵付近
鎌倉市二階堂亀ケ淵
左手からの「杉の川」と合流している。
亀ケ淵橋
鎌倉市二階堂亀ケ淵
右手が閑静な住宅街になっている。
亀ケ淵橋
鎌倉市二階堂亀ケ淵
この写真の右側には、永福寺(ようふくじ)跡が広がっている。
この寺は、文治5年(1189年)、頼朝が奥州を征伐したのち、藤原氏が建てた中尊寺の二階大堂大長寿院に似せて作ったもので、頼朝が建立した2つの大寺院(大御堂勝長寿院とこの二階堂永福寺)の一つで、この地区を二階堂というのもここから出ています。
通玄橋
鎌倉市二階堂
この奥が「瑞泉寺」になる。
この橋の下で、瑞泉寺からの支流と合流している。
理智光寺橋
鎌倉市二階堂
理智光寺は、後藤基綱が、実朝の供養のために建てた寺だともいわれ、明治初年に廃寺となった。
護良親王(もりながしんのう)の遺体を埋葬した理智光寺住職の碑が、明治35年(1902年)、鎌倉の有志によって「理智光寺義僧の碑」として、寺の跡に建てられた。
理智光寺橋から
鎌倉市二階堂

稲葉越橋

鎌倉市二階堂
稲葉越橋下流
鎌倉市二階堂
無名の橋
鎌倉市二階堂
橋の名前は不明。
歌の橋から
鎌倉市二階堂
歌の橋の由来は、
昔、渋川刑部六郎兼守という人が、謀反の罪で死刑にされそうになったとき、和歌十首に自分の心を寄せて、無実であることを、荏柄天神に訴えた。
将軍実朝は、これをみて感心し、その罪を許した。渋川兼守は命を助けられたお礼に、この橋を作った。
歌の橋
鎌倉市二階堂
金沢街道に架かり、交通量の多い橋である。
鎌倉十橋・神奈川百橋のひとつである、
この橋の左手で滑川に合流する。



お疲れさまでした。二階堂川はここで滑川に合流します。お気づきの点ご連絡ください。