〈惡魔の辭典:冩眞用語篇〉

……という連載を以前、どこかでやっていたことがあった。そのテキスト・データー残っていたので、それをそのままアップ……というのもなんなので、インデックスだけ作ってみた。

[Index]


 【印画紙】【印象批評】【】【オート・フォーカス

 【貸し画廊】【カブリ】【カレンダー・フィルム】【黒ベタ】【コンパクト・カメラ

 【3分間写真】【写真家】【写真学校】【写真展】【写真評論家】【シャッター】【肖像権】【人物写真】【スポッティング】【生物写真
たな
 【ヌード写真】【

 【ハイポ】【馬鹿カメラ】【ハレーション】【フィルム】【風景写真】【プリンティング・ブラック】【編集者
まやらわ
 【旅行写真】【レンズ】【猥褻写真

 

 

 

いんがし【印画紙】ヤギも食わない。

いんしょうひひょう【印象批評】犬も食わない。

うま【馬】カメラのオプション。もちろん写真馬車を引くために使われる。どのメーカーのカメラにも装着可能。被写体、食料としても利用可能。

オート・フォーカス[auto focus] 機械的かつ自動的にフォーカシングすること、またその機構。語義的にもまた実際にも、フォーカスがあっているかどうかはもちろん問題ではない。

かしがろう【貸し画廊】来るはずもない観客が、見る価値もない作品を見る、という実験的、前衛的な芸術行為が行われている場所。

かぶり【カブリ】人物を撮影する際にカメラに取り付け、写真家の醜悪な顔を隠すことによって、被写体の表情をやわらげるための布。

カレンダー・フィルム[calender film]〈1〉1本のフィルムの中に四季の風景が写っているフィルムのことで、「あたかもカレンダーのようだ」ということからそう呼ばれた。これは1960-70年代にカメラメーカーが推奨した撮り方で、四季を写し込むことで一本のフィルムを小宇宙化することを目的とした。この時期にカメラの需要が伸びたのは、想像に難くない。カレンダー・フィルムは、ひとつのカメラを一年間占拠するのである。〈2〉1本のフィルムの中に四季の風景が写っているフィルムのことで、「この一本でカレンダーが作れる」ということから名づけられた。1980年代にフィルムメーカーが推奨した技法で、レンズ付きフィルムをタンスの中で寝かせるという手法により行われた。この時期に……以下略。

くろべた【黒ベタ】人々が顔、その中でもとりわけ目をたよりに個人識別をしているという勝手な仮定のもと、「個人識別をさせずに個人の写真を見せる」というアンビバレントな要求に従い、顔写真の目の部分を隠すために用いられる。ただし「医者は顔を見てその人を思い出せなくても、患部を見れば識別できる」というような例があるため、目以外の部分に使われることもあり、とくに女性性器が写った写真に関してその例が多く見られる。しかし、なぜ警察が執拗に産婦人科医から個人識別の権利を奪おうとするのかは謎である。

こんぱくとかめら【コンパクト・カメラ】一眼レフが持っていた、体を鍛えるという優れた機能を持たない堕落したカメラ。その普及に伴って、鉄アレイの需要が増えたことはよく知られている。

さんぷんかんしゃしん【3分間写真】住むには狭すぎ、持ち運ぶには巨大すぎる、どっちつかずでアイディア倒れの部屋(カメラ)。おそらく、同じ名前のものをハイブリッドにするというコンセプトから、駄洒落好きのオヤジが考案したものだろうと察するが、そもそも撮影できる写真がちゃちすぎる上に、備えている家具は椅子1脚のみである。私がつくるなら、テーブルとベッドぐらいは置きたいし、写真もせめてサービス判ぐらいは出せるようにするか、シールプリントにしたい。

しゃしんか【写真家】写真創生期、写真家とは「写真撮影の技術を持った人々」という意味であったが、カメラ機構その他の進歩により、現在では、撮影術によって語られる肩書きではなくなった。現在、写真家は、詩人などと同様、生き方そのものが問われているのであり、写真家としての生き方そのものを提示することなくしては、写真家たりえないのである。これはすなわち、写真家として生きるという決意、その表明を人々に公にすることだと思われる。つまり簡単かつ具体的にいってしまえば、その肩書きを名刺に刷るということのみで写真家は写真家たりえる。もちろん写真も少しは撮ったほうがいいが、特に今さら撮らなくても、「ありもの」の写真などだして、「これまでのシリーズを網羅した」とか「未発表作」などと、ごまかしておけばよい。

しゃしんがっこう【写真学校】写真界が写真の「良し悪し」の基準を設定できない今日、その基準を無理にでも維持しようとする、時代遅れだが貴重な機関。もっとも、昨今そのための努力を怠ったり諦めた結果、写真学校に関わる人々は、これが一体なんのための学校であったかほとんど忘れかけている。それでも写真学校に入学する人が少なくないのは、一般の人々が写真学校を出た人間を「写真がうまい人物」と認識しており、それが社会のモードだからである。すなわち、写真学校をでた人間の写真が「うまい」写真なのであり、「うまい写真」を撮るためには、写真学校をでなくてはならない。

しゃしんてん【写真展】「ダンナ、ええ写真おまっせぇ」という呼びかけに始まり、料金はいつも先払い、というお決まりの商売の一つ。

しゃしんひょうろんか【写真評論家】個々の鑑賞者の多様性を否定し、写真の読み方を固定する解説文を提供する、というあまりにも前時代的な姿勢から脱却するために、その文章の読者が10分後には忘れているほど空虚な、もしくは文意が伝わらないほど訳の分からない文章を書くようになった達人たちのこと。そうした努力に報いるためにも読者は、その文章の内容はもちろん、それを読んだ事実を一刻も早く忘れるよう努めねばならない。

シャッター[shutter]  多くの開発者が「できれば右手の人差し指で押してくれ」と考え、また多くの利用者が「おそらく右手の人差し指で押すように作られているんだろうな」と受け取っている、ある不確かな暗黙の了解の間にあるボタン。もちろん暗黙の了解であるから、好きなように使ってかまわない。

しょうぞうけん【肖像権】人が生得的に持っている権利だが、一般的な権利と異なり義務を伴わないとされる。権利の発生に際して本人の責任がないからであり、「その人のせいじゃないんだから、容姿について悪口を言ってはいけません」というあれと同じ考え方である。したがって理論上、自らの意志で顔を整形した者はこの限りではない。そこで生じたはずの義務が何なのかは残念ながら不明だが、もしその義務を果たしていなければ、その者には肖像権がないと考えられる。

じんぶつしゃしん【人物写真】衣服やかつらを着けているヒトの写真。繰り返すが、ヒトの写真でも衣服やかつらを着けていない場合は(一般的には)人物写真とは言わない。

スポッティング[spotting] とうてい人にはみせられない汚らしい写真に、よせばいいのにムリヤリ装飾をほどこす外科的手術。フィルムの傷、埃を埋めるなどのほかに、例えばフィルムを詰め忘れ何も写っていなかったときなど、すべてを「スポッティングで書く」といった使用法もある。スポッティングで、一部を隠した写真は、「いちおう人に見せられる写真」として流通する。すなわち理論的には、画像のすべてをスポッティングで埋めた画像が、写真家のもっとも公表しやすい写真といえる。

せいぶつしゃしん【生物写真】ヒト以外の、衣服やかつらを着けていない生物の写真。繰り返すが、衣服やかつらを着けていなくてもヒトの写真は(一般的には)生物写真とは言わない。

たな

ぬーどしゃしん【ヌード写真】衣服やかつら(は着用の有無をあまり問われないが)を着けていないヒトの写真。繰り返すが、ヒト以外の生物が衣服やかつらを着けていなくても(一般的には)ヌード写真とは言わない。

ねこ【猫】どんな素人にもいい写真が撮れたと思わせてしまう、被写体としての才能に恵まれた動物。

ハイポ【hypo】ハロゲン化銀を溶解する定着液の主成分。金魚も水槽に定着する。銀イオンを除くことで定着液は再生できるが、金魚は再生しない。

バカカメラ【馬鹿カメラ】かつて一般的だった呼称のとんでもない差別性が明らかとなり、その後ろめたさを引きずっているためか、言い換えられた後も未だ一般に定着していない上に、本来はバカでも撮れるほどカメラの性能が優れているという意味だったが、いつのまにかカメラそのものがバカであるかのように用いられるようになったという幾重にも不幸な歴史を背負った用語。

ハレーション【halation】芸術論的専門用語ではアウラと呼ばれ、心霊業界的用語ではエクトプラズムと呼ばれる。写真業界的に言えば技術的失敗。

フィルム[film] 写真の発明以来、写真はまさに事実となり、現実は事実ではなくなった。フィルムの消費量がまさに現実の量となったのである。現実をフィルム上のみに提示された現代人は現実の喪失感に苛まれ、失われた現実を取り戻そうとフィルムを永久に消費し続けることになる。もちろんいくら消費しても、失ってしまった現実を取り戻すことはできない。

ふうけいしゃしん【風景写真】何も撮るべきテーマを持たない者、人にカメラを向けてシャッターをおすことのできない意気地のない者が撮る写真のこと。「記念写真」と間違われないためには、「観光地の地名の入った看板」、「カメラのほうを向いてニッコリ笑った人物」は写っていてはいけない。

プリンティング・ブラック[printing black] プリントの縁に黒枠を焼き込むという技法。マーガレット・バーク=ホワイトによって開発された。お察しのごとく、自らの葬式写真用に開発したのである。合掌。

へんしゅうしゃ【編集者】人を食う。

まやらわ

りょこうしゃしん【旅行写真】日常生活になにものも見出せなくなった腐った眼を、旅行という清涼剤に浸して抽出した写真群。当然、抽出された写真も腐っている。

れんず【レンズ】ある調査によれば、レンズ購入者の43パーセントがカビの培地として使用している。あとの57パーセントの人々が何を目的に購入しているのか調査は明らかにしていないが、おそらく、「なにか別のこと」に使用している人もいると思われる。

わいせつしゃしん【猥褻写真】ワイセツな読者のために、ワイセツな被写体を、ワイセツな写真家が撮り、ワイセツな検査官がそれと判断し、ワイセツなマスコミが大騒ぎし、ワイセツな評論家が論じる、という自己完結的で退屈なプロセスを延々と反復する実験的、前衛的な芸術。