アニメーションを生み出すのはアニメーター
 アニメーションを作り出しているのはアニメーターである。何を今更と思う方もいるかもしれないが、そのアニメーションを作る方をどれくらいの人が意識されているのであろうか。声優は知っているけど、アニメーターは・・・という人が多いのではないだろうか。
アニメーションの裏方
 声優も、昔は、裏方であったのが、近年の声優ブームに乗って、いまや裏方と言えば、アニメーターを指すようになってきた。アニメは、ひとつの作品である。作品である以上それを作る人が、たくさんいるわけである。監督、演出、脚本、作画、美術、音楽、デザイン、etc・・・。そのパートにいる人々の仕事が、ひとつにかみ合って、始めてひとつの作品になるわけである。そういった意味でも、声優も本来は、作品を作るための、裏方であった・・・。
作品には、色がある。そしてそこにも、楽しみがある。
 人が作っている以上、その作品には、色がある。作画をした人の色、監督の色、演出の色、等など。色とは、その人の個性であり存在感であると思う。色がある作品は、面白い。逆に、色がない作品は、面白みに欠ける。が、色を殺す人は、いる。それは、監督の色、原作の色、演出の色、作画の色など、別の人の色を出すために殺すのである。そういう殺しを見るのは、面白い。
アニメーターで作品を楽しむ
 いわゆるクオリティーの高い作品というのは、スタッフの力が発揮された時に、クオリティーが高かったということが言える。このクオリティーを生み出すのはアニメーターである。例えば作画に、それぞれ個人特有の個性が表れてくる。その個性を気に入った時に、作画の人を気にすることがないだろうか。
EDテロップで最後まで作品を楽しむ
 EDは別に作品を最後に閉めるために慣例的に流れているだけではない。作品を作った人達が、出ている。このテロップだって、十分に楽しめるのだ。自分が気にしている人、今日の作品を見て気になった作監や、演出の人など、十分に楽しめるのだ。作画の場合、原画のところだって十分に楽しめる。作監クラスの人が、原画で参加していると、作画監督の修整が入っても、個性が残っていて、それが画面に出ている事だってある。それらすべてを確認できるのが、EDテロップなのだ。
前置きに変えて
 さて、私(加持 達也)が、当サイトを運営するにあたり、一番やりたかったのが、このアニメーター辞典である。前回書いた本稿に比べて、いくらか、アニメーターも雑誌に登場する機会が増えてきた用に感じる。しかし、今だもってして、その状況はかんばしくなく、例えば、大きな作品がヒットしたら、その中心の人が取り上げられるという程度だ。また、今だ見ているほうにとって、アニメーターに対する意識が低いのも事実である。雑誌に取り上げられても、同じ人しか出ていないので、また同じ人か程度にしか思われていない。作画マンは、自分の絵で、監督は作品で、演出家、脚本家はその回でそれぞれ自分を主張している。誰でもが同じことをやっているわけではないのだ。そんなこといったって、用は作品だと思う方もいるだろうが、その作品が、良くても悪くてもそれを生み出すのは、アニメーターなのである。本サイトは、そんな、いろいろなクリエーターたちを少しでも知ってもらいたく、また、作品を見て気になったクリエーターを知るひとつの手段としてみていただけたらと思う。
アニメーターにも光を
 願わくば、ここからでもどこからでも良いのだが、もっとたくさんのアニメクリエーターに、光があたるきっかけとなれば幸いである。


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