Impressions二枚の三絃独奏アルバムに寄せて

村松健の音楽を愛し、共鳴して下さっている方々の素敵な感性…
「月精花神〜ANIMISM〜」「島暦三絃暮らし」から受け取ったFeelをこのように綴ってくださいました。





先ず、両作品に共通して、村松さんの動脈感というか、魂の叫びのようなものが いつものピアニストとしてのそれより、近いところで感じることができました。 三絃ならではの表現レンジの広さに村松さんのプレイスタイルが共鳴し、ましてそれが ソロであることにより曲に込められたメッセージが、シンプルに伝わってきます。

島暦 三絃暮らし

曲以前に、島で三絃とともに一年をめぐる、そのコンセプトにしびれました。 オリジナル、カバー、ワールドスタンダードにわたる曲選択も三絃が醸し出す特別な響 きにより何ら違和感なく一年を過ごすことができました。 また、その時々のシチュエイションごとに島の情景が浮かび、季節が移っていく感覚を 味わいました。 三絃の音色や村松節メロディの中には、温度、湿度や風の向き、強さまで感じてしまう ほどです。 特に気に入ったのは#5「白南風に抱かれて」です。繰り返し奏でられるエネルギッシ ュなメロディーは、シャーマンが神へ捧げる祈りのように、頭の中で激しくリピートしています。 妙に懐かしさを感じる#7「ゆむぐとぅ(唱えごと)壱」もこの三絃にとてもマッチした 曲だと思いました。 単音メロディの中に差し込まれる和音?の響きに萌えます。 村松さんの音楽世界の中にふと取り込まれる、ユーミンや山下達郎も好みです。 ピアノ同様、この三絃アルバムには心を穏やかにしてくれるヒーリング効果とともに、 心地よいエネルギー感を感じました。

三絃の音色については、悲しいかな一般的な三絃についての明確なスタンダードを持ち 合わせておらず、かなりイメージ的なものになりますが、お話しします。 感じることは、音に尖った部分がなく、とてもメローなサウンドに聞こえるということ です。 津軽系のようなハイテンションでビンビン、ベンベン迫られると長く聞くことができま せんが、まるで寝しなに聞けるほど甘い響きです。 独自製法のなせる技なのかエキゾチックな艶、色気も強く感じます。 最新作のポテンシャルの向上は、例えが妙かもしれませんが、ハワイの民族品ウクレレがマーティン社によって楽器に進化した時のような変化があったのではないかと思うのです。
- 森 芳樹 さん (FINEWOOD)-

森 芳樹さん監修のデジマートマガジンの記事「木材〜トーンウッドの知られざる世界 第27回」で村松健の三絃製作にまつわるインタビューや演奏動画などが公開されています。ぜひご覧ください。

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いい音。 楽器なのか録音なのかプレイヤーのウデなのか。 多分、すべてが揃っているからこんなに豊かで艶やかな響きになるのだと思います。 決して耳に刺さることのない柔らかくて落ち着いた健さんの声のような音。 とても心地いいです。

じっと耳を傾けるといろんな音がします。 こすれる音、ひっかかる音がノイズではなく音楽としてちゃんと届きます。 時にバンジョーのような色合いを持ち、この楽器は何だったのかどうでもいいとさえ 思う。
とにかく心地いい。

健さんは自分のやり方を「不器用」と言いますが、 モノづくりのお手本のような素敵な方法だと思います。

「月精花神-ANIMISM-」は流して何となく聞くことができません。 スッとその世界に引き込まれていき、きっちりと向き合わないと味わえない感じ。 「島暦 三絃暮らし」はまさに生活の音楽。 お店やリビング、それからラジオなどにもよく馴染む 空間に漂っているとその空気を変化させ、次第に心地よく音楽に包まれていく感じ。 なぜ、2枚同時リリースなのかわかるような気がします。

両方の4曲目は「びっきゃ弾き」。このアルバムのサブテーマですか? 東北では「びっき」なのでより親しみがわいてきます。 イチオシ曲は2枚とも2曲目。 「摩訶雨」は、このグルーヴがたまらなく好き。 「神送りぬ風」は、メジャーコードが聞こえてくると嬉しくなります。

通して聴いてみると 心のツボを押さえたスゴ腕のマッサージ師のように じんわりと効いてきてポカポカしてきます。 そんな周波数、波動なのでしょうね。
- 佐藤 円さん(音声詩人)-

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三絃CD、有難う御座います。
弦ではなく絃なのが、より際立って健さんらしさを 著している様な気がします。

全体の印象は、なぜ今まで無かったのかな〜って思うくらい 自然に聴いてしまうCDです。

ほぼモノラルだからでしょうか、妙な安心感に包まれて、とても 気持ちが緩やかに成ります。
そして絶妙な前後の定位感が三絃の存在感を伝えてくれます。
また、コンプ感を全く感じないのでストレス無く聴く事が出来ました。

私的に、一つだげ申し上げるとしたら、全体に曲間がもう少し長いと
より情緒が伝わってくる様な気がします。

ギブソンの様な骨太な音、時にはテレキャスの様な軽やかな音色、また時にはハープの様な艶やかさ、弦で絃を例えるのは変ですが、私が今まで聴いた三味線でこれほどの表現力に出会ったのは、初めてです。
- 渡部 正朋さん -

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「新種のカエル」(CD)、毎日、車中で聞いております。
まろやかな旋律に心をそよがせつつ、時折、ささやく非常に細く、繊細で丈夫な響きにいたく共感しています。
収載されたみなさんの文章もカエルになっていて……。まったく書くことと無縁の方々を名文家にする力を秘めた「音楽と音楽家」だということを改めて実感いたしました。その力を初発から今日まで持続できることもまた「新種」です。

- 松井 輝美さん(南海日日新聞デスク)-

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2005年三線をアルバムにいれてリリースした時、一部の方からの戸惑いや憤りを聡明な健さんならお感じになっていたと思います。その答えがこの2枚のアルバム。そう感じました。「健さんのピアノには歌が聞こえる」そういう曲をお書きになるあなただからこそ伴奏楽器である三線を独奏楽器にすることができたんだろうなと思いました。
健さんが作り上げた新しい三絃はコンサートやライブの会場でも一音一音が快く聞こえ、奏でる曲の音が一粒一粒美しくふくよかにひろがり誰にでも伝わりやすい。もともと健さんの生み出す音楽にはボーダーがないと思っていたのですが、村松健は音楽家としてこれからもに真っ向勝負で挑んでいくんだろうなと思いました。ピアノ三絃フルート。どれも健さんでありどこまでもボーダーレス。同じ時代に生きそれをリアルに体感できる私は幸運でありそのことに感謝です。
私感ですが「animism」と「島暦」は対になっていて ハワイアンでいうなら「animism」はチャント、「島暦」はコンテンポラリーみたいな印象。ですが、いやいや健さん凄いです。予想をはるか上にいったアルバムでした。すばらしい音色。グルーブ感溢れる力強い演奏。まさに盛夏「白南風に抱かれて」のブレイクするところがカッコイイ!これ三味線みたいだけど何弾いてるの?っておもわず聞いちゃうみたいな。三味線ってこんなこともできるんだ!って聞いた方は思われるのではないでしょうか?しっとり花神。びっきゃと合唱。健さんらしい健さんの新しい雨の曲。摩訶雨。聞き覚えのあるけど新しい弾き初め。弾き納め。ゆむぐとぅ。春が来る音、美しい和音が響く神送りぬ風。長い夏を収めるミーニシ。そして虹ぬ御殿。はるか昔ドラゴンは空に住むことを選んだという話を聞いたことがあります。この曲がまさに三絃奏者村松健という印象です。
健さん、凄くて素晴らしいアルバムをありがとうございました。
いや〜まいった。素晴らしかった。
プラスアルファされた村松健さんに乾杯!
- 名古屋市 Y・Mさん -

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6/5(日)に手元に届いた2枚のアルバム、2~3回聞いた時点で感想をメモしました。その後も毎日生活の中で聞かせてもらっていますが、時間が経過し聞きこむほどに、あれこれ語りつくせなく感じてお送り出来なくなりそうなので思いつくままで纏まりなく恐縮ですが、とりあえずファースト・インプレッションということで…。
・若水
プレイリストに入れたりしてよく聞いている曲が情感たっぷりに聞こえてきて思わず嬉しくなりました。メロディがしっかり伝わってくる感じです。
・卒業写真
ライブで耳にしてもう一度聞いてみたいとずっと思っていました。メロディと伴奏をたった3本の絃でここまで表現できて。シンプルだから聞く度に違った情景が浮かんでくるような、これから健さんの三絃の世界に入っていく人のための入り口にもなるのではないかと思います。サブタイトルも素敵だなと思いましたよ。
・ゆむぐとぅ
一番しっくり感じました。私の好きなアルバムからで曲のイメージにとてもフィットしていて懐かしさや温かさに浸れます。
・西ぬ果てぬシマウタ
自分の中にある音が導き出され、聞こえてくる三絃と重なり合うという感覚,同時に自分の記憶の中にある情景も導き出されるようです。回想する。遠い日に思いを馳せるといったシーンに三絃の響き、空気感というんでしょうか合いますねぇ。
・虹の御殿
一人旅、ゆっくり風景を味わいながら歩いているときの速度なんです。いつまでも聞いていたくなる曲、こぶしのあるメロディというんでしょうか、三絃にぴったりですね。思わず健さんの真似をして鼻歌で共演です!
・魔訶雨
最先端の村松健を感じるナンバーです。シマの自然の勢いをイメージして聞いています。

雨の降る日は、うちの庭のびっきゃ(あまがえる)との共演も楽しんでいます。
この三絃のアルバムは四半刻盤の長さも丁度良い感じですね。iPhoneに健さんからラジオで教えて頂いたKaiserへ取り込み、家事をしながら(笑)とか、浴室のスピーカーに繋いで鳴らしたりと。アルバムがシンプルな分、生活の中でどんなシ−ンにも馴染んでいく感じで毎日聞いています。木綿やデニムのように使い込むほど味が出る風合いとでも言いましょうか、これからも聞きこんではまたお話しさせていただきます。それでは。
- 太宰府市 M・Mさん -

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三絃の音が今までの三味線とまったく違うのは、健さん自身がおっしゃる通りで。
三味線の三味線らしい音(私はペケペケ音と勝手によんでます)が無く、
音がまろやかで、力強さと抒情的な感じが表現できる三味線を健さんは作ってしまたんですね。
私自身、三味線を耳にした経験はそれほど多くはないし、歴史的変遷なぞ知識はないのですが、
三味線から派生した新しい楽器「三絃」は、凄い存在なんだと思います。
なんだかピアノの進化の過程が思い出されて、
すると、この三絃の出現はものすごい歴史的な一大事なのかもしれない!
と、思いながら新譜を聴いています。

それから、
新譜はなんだか日々の些細な場面に寄り添ってくれる感じ。
合間に別のCDを聞くとその違いがより鮮明になる気がします。
(こちらは心の芯を揺さぶったり、働きかけてくる感じがより強いかな)
面白いことに、朝でも夜でも、蝉の声も雨の音も、近くの滝の流れる音、びっきゃの合唱…島で聞こえてくるどんな音にも馴染んで聴けるのですが、唯一無理だなと感じたのは、仕事帰りにイヤホンで聞きながら、横を通る車の音とは相いれませんね、やっぱり。
今回の健さんの三絃自作しちゃった件で、とても大事なことを思い出させてもらいました。シンプルだけど、とても大事なこと!
ありがっさまありょうた。
- 奄美市 M・Tさん -

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「島暦三絃暮らし」
先入観無しに聴くのが私のリスニングスタイルなのでまずは聴いています。
やはり三絃の音色に集中しました。
なんと情報量の多い太い音。
この音色に健ちゃんの持っている楽器とはこうでなくてはいけないとか、
音楽を表現するには楽器はこう有るべきという考えと思いが感じられます。
あとから小さな文字の解説文を見えない目を凝らしながら読みました。
サスティーンと書かれた部分が目に留まりました。
この新しい三絃の心地よく伸びていくサスティーンはCDを再生してすぐ私も感じていました。 この手の楽器に対しての私のイメージは打楽器だったから(笑)
全体を通してインプロヴィゼイションなのでしょう?
たしかにこの楽器の持ち味は「島」の空気を感じさせ奏でるためなのでしょう。
でも村松節が随所に感じられますし、その中にアイルランドの音律も感じました。
昔、日高の根本先生宅レッスンスタジオこけら落としで健ちゃんが演奏しましたよね。
あの時健ちゃんは客入れ前、楽器に触れて黙々とインプロヴィゼイションを弾き続け ていました。
主にジャズイディオムが中心のインプロでしたが、あの時それを聴いていた私は
健ちゃんの音楽観を垣間見、その深さに脱帽し羨望しました(お世辞抜きで・笑)。
「卒業写真」まで来ましたよ。
洋楽系和声を奇麗に表現する演奏力と楽器の能力に聴き入りました。
その後の曲、いかにも「島唄」という旋律が耳に入ってきました。
そちら、奄美で聴いたら感じ方が全く違うのでしょう。
まだ見ぬ、足を踏み入れていない彼の地をわずかながらも感じています。
8曲目に来ました。
あら?ホントに「Londonderry Air」だ(笑)
解説文を見て少し解りました。
「島」の四季をイメージしていたのですね?
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「月精花神〜ANIMISM〜」
全体を通してトラディショナルを楽器のパフォーマンスを確かめるべく弾いている印象です。
勝手に想像しているだけですが。
それにしても健ちゃん自身がこの楽器を作ったというのが凄い!
私も目指す音が有った10年ほど前ギターアンプやドライブ系エフェクターを作りまくっていた頃が有りましたが
ギターだけは気持ちが有っても作ることができませんでした。
FaceBookページにデジマート・コラム・リンク、材のことで健ちゃんの特集が有りましたね?
リンクは保存してたまに読み返しています。
この音を聴いているうちに構造やチューニング、弦の素材など興味が湧いてきました。
私も弦楽器の鳴りのキモはネックに有りと思っています。
実際自分の持っている楽器で気に入っているものはネックがビンビン鳴っています。 ハコものはボディからの増幅で音色音量をごまかされてしまいますが、ソリッド板もの はネックの鳴りでハッキリ出音が違います。
生の音を聴けるのを楽しみにしております。
- 井原 まもるさん(ギタリスト)-

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「ピアノでは表現しきれない、それを求めて・・・たどり着いたのが三絃」
その言葉を聞いても正直なところ、今一つピンときませんでした。
村松さんほどの名ピアニストが自分の肉体の一部のようになっているであろう ピアノで表現しきれないなんてものがこの期に及んで果たしてあるのか?
そして、その答えがピアノの対岸にあるといってもよさそうな存在の三絃とは。
首を傾げるばかりでした。

これまでライブで何度も三絃の演奏にふれて、そのたびにあの切ない音色に心 を打たれて、この楽器が表現力豊かなツールであることはわかっていたつもり でしたが、それは名ピアニストをして「ピアノでは表現しきれない」と言い切 ることができるほどのものなのか?
三絃しか知らないプレイヤーが身びいきで言うのならまだわかりますが、ピア ノを極めたプレイヤーがここまではっきりと?

長年連れ添った愛妻?に対して、「君では・・・しきれない」と言っているよ うに聞こえて、自宅で毎日ダンナ様の帰りを待っている古女房のスタインウエ イ姉妹がちょっと哀れに思えて!?

しかし、新アルバム2枚を繰り返し聴くうちにしだいに、「ピアノでは表現し きれない」ものが漠然としながらもそこにあることを「知った気がしてきまし た」。
本来なら、「知りました」とハッキリ言えるとよいのですが、わずかな時間で 音楽の門外漢がこの難問の謎解きをできるわけもなく、それをたやすく言って しまうことは、限りなく薄っぺらな感想で全く真実味がありません。
ただ、村松ワールドにドップリ浸かったこの半可通は、どうしても謎解きをし て「知ってみたい」と思ったことは確かです。

そして、回数を重ねて聴くうちに、それはピアノを極めたプレイヤーが到達し た境地にちがいないと思うように。
そう思いつつも、簡単にわかった気になってはいけないと戒めているのですが。
やはりこれはこれ先も時間をかけて解き続ける謎なのだろうと。

あれは数年前の真夏の夜のこと。
屋仁川で島唄を聞きながら郷土料理を食べられるという「吟亭」へ一人でぶら りと。
"陽気な三絃"の音色につられて、六調の初体験。
れんとのロックも手伝って大盛り上がり。
宴が終わって、酔い覚ましにあの界隈をぶらつくことに。
しばらく歩くと、どこからか島唄の合唱と三絃の音色が。
それは村松さんが仰るように
「さりげなく梅雨時の雨音のように・・・」
合唱ならば、梅雨時の雨音というより、大雨のそれなのでしょうが、合唱でも さりげなくしんみりとしたものでした。

導かれるようにその音をたどっていくと、そこは年代物の公民館。
開け放たれた2階の窓から、おばあさんの団体さんとおぼしき歌声が。
道路脇でしばらく聴き入っていると恨みのない情念?のようなものが胃にじわっ と沁みわたってきた気がしてきて。
その歌声に合わせる三絃もまた歌声そのもののようで。
この三絃は吟亭で聴いたものとは全くの別物。
奏者の力量のちがいというのではなく、吟亭は場所が場所だけにそれに合わせた 出し物にならざるを得ないせいかと。

開け放たれた窓から語りかけてきた島唄と三絃。
恨みのない情念?
「人生とは苦しみと絶望の連続」
酔いが醒めきらず、五木寛之の口癖を思い出しながら、貧しい時代が続いたシマの 歴史に同情を。
苦しみや絶望を癒すシマ固有の道具が島唄や三絃なのだろうと。
あれから時が流れて新アルバムに導かれると、あの時の恨みの情念という感想はい かに短絡的なものであったことかと思えてなりません。

「三絃はプリミティブな構造ゆえにプレーヤーの手や身のこなしがそのまま声となる」

その声とはいったいどんなものなのか?
その答えは、「ピアノでは表現しきれない」という謎の答えに通じるものではない かと。

アルバム88+3のブックレットに「ピアノの海を三絃の小舟で漂うと、僕の世界は無限に広がり・・・」とありましたが、2枚の新アルバムで、「小舟が無限の大海原で新な海路を拓く大帆船になった・・・」のではありませんか?

その船出を祝う気持ちがある一方で、ある気がかりなことが前々から。
それは、梅田英春さんがブックレットに書かれた一文に。
「村松君は今、三味線奏者としてピアニストの村松健と決別したのだと思っている・・・」

勝手を言わせてもらいますが、決別は困ります。
古女房のスタインウエイ姉妹に成り代わってお願いします。
どちらもどうぞお大切に。

それにしても、「月の沙漠」は泣かせますね。
いつか、三絃で「祈り続ける」「忘れ得ぬ思い」が聴けたら最高!!!
- 福岡市 M・K さん -

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My Spiritual Homeを初めて聴いたとき、嗚咽が止まらなかったのを思い出した。
もっとちゃんと生きなさい!と言われているようだった。

ANIMISMを聴き始め、"お腹"がドキドキしてきたと思ったら、びっきゃ弾きで夏の雨の様に暖かい涙が溢れてきた。
推理小説を読んでいるかのように、次に何が待ち受けているのか楽しみでしようがなかった。
ライナーノーツを読み乍らなんて間違いだったことに気がついた。

つい昨日のこと、たった3時間の梅雨時期に初のシマの訪れは、島暦の一部として溶け込んでいった。
たった12回の滞在でも、シマの四季をすこしは知っている気がした。

10年前のライブでは、三線はピアノと違って「音の隙間」を感じて欲しいとおっしゃっていました。
そして今、七色の音色で「心の隙間」を埋めてくれるのですね。
このお正月の生まれ変わりは、とても大きなものだったのだと察しています。
それと、ぼくは王さまの音作りが沢山の才能を刺激し開花させたのだと。
摩訶雨はCDより先に生が聴けたけど、王さまにまた逢えたようで嬉しい!

あなたのピアノが大好きで25年経ったけど、三線のみのCDでこんなに感動させられる時代が来るなんて想像もできませんでした(ご本人もでしょうけどね)。
まだまだこの先、たくさん驚かせて下さいね。
- 札幌市 M・M さん -

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あなたはこの二枚のアルバムを聞いてどのように感じられましたか?
率直な想いをぜひ村松健にお聞かせください!

村松健あてのメール

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