nagareru

赤いお月様

essey202210

黄昏時、立ち並ぶビルの間にぞくっとするほど大きな赤い月を見つけたとき。あるはずのない場所に明かりが灯っているような気がして、振り返るとそこに妖しげに満月があったとき。大気を通り抜けることを許された赤色の太陽光だけに染めあげられた、低いところにあるお月さま。ふいに現れては、実はここが宇宙に浮かぶ星の上であることを僕らに気付かせてくれる。

赤いお月さまの初めの思い出は、暗くなるまで泥んこになって遊んだ帰り道のこと。昼間、てぃだがなし(おてんとうさま)はその無数の光の手で、小さな僕が興味を示す全てのものを明らかにして、心の中まで朗らかにしてくれる。それが黄昏になるとひとつまたひとつと手放してしまうから、遊び足りないのを上回って、僕もそろそろ帰らなくちゃと急くような気持ちになる。夕日に背を向けて帰る家路のその先に、今度はまあるい赤いお月さま。遊び疲れた僕を音もなく待っていてくれたようで、母のように優しかった。

島の聖地を巡る野外公演"うとぅぬうしゃぎむん"の5回目。北部の東側にある立神(海にそりたつ神々しい奇岩)の麓で、黄昏時にスタートしたその年のパフォーマンス。すっかり夜の帳が下りて迎えたクライマックスに、微かな兆しの色を確かにしながら水平線に浮かび上がったフルムーンの神秘。居合わせた者だけの奇跡のひと幕に、誰もが歓声を上げた。月光から受け取ったエネルギーが与えた僕らの白熱の演奏とともに、今も語り草になっている。

太陽の存在は圧倒的で、誰もがその恩恵を受けて生きている自覚があると思う。しかしながら月に与えられているものにはかなり疎いところがある。例えばその引力は潮の満ち引きばかりでなく、サンゴなどの生き物の産卵や出産は何らかの影響を受けている。ひいては島では、人の命の終焉のタイミングにかかわるとさえ信じられている。ムーンフェイズ=月相の満ち欠けが、僕たちの情緒や判断に文字通り"陰"を落としているのはいうまでもなく。太陽に負けず劣らず、僕らは月の庇護のもと、エモーショナルに暮らしているに違いないのだ。

これは昨秋の部分月食の際に出くわした眺め。この夜ばかりは、天を上りかけても赤々と虚空に弧を描く。慌ただしい毎日のほんの束の間に入り込んでくる沈黙のひとときに、あなたは何を思われるでしょう。今宵の赤いお月さまの穏やかさを見過ごさないように、速度を上げすぎないで暮らしていたい、と思う秋。

2022.10.10

今月の曲「赤いお月様」

natsuno

アルバム「夏のぽけっとに」1986年発売

kazeno

アルバム「風の旅人」2003年発売