BANGKOK>SIEM REAP
4日目にしてカンボジアへ陸路越境!

 朝4時起床。ここでは昼でも夜でもどこでも汗かきっぱなし。シャワーをすませてパッキングをする。部屋を後にしてロビーへ向かうと「UA(ユナイテッド・エアライン)ですか?」と日本人の男の子が声をかけてきた。「これからカンボジアなんです。」「僕、昨日カンボジアから戻ってきて、これから帰国なんです、カンボジアよかったですよー、お気をつけて、サヨウナラ!」。
 首にかっこいい布を巻き付けた彼の後ろ姿を見ながら、言い様のない期待がじわっと広がる。

 まだ5時前、カオサンの入り口で焼き鳥屋台発見。東南アジアの朝は早い。日本の3倍程ある大きさのタレ焼き鳥が食欲をそそる。弁当調達しなくちゃと焼き鳥を買うと、餅米と野菜もついてきた、ナーイス。そしてコンビニで命の水(大げさ)とお菓子を調達する。
 それにしてもこっちへ来てからトイレの回数がグッと減った。マジでトイレに行く回数が一日4回以下なのだ。汗の出る量が尋常じゃないので、意識的に水の補給を心がけなければならない。(現に、旅で一番買ったものが水ボトルだ。)

 T原さんと5時に落ち合い、バス停を探して歩き回る。朝だけど真っ暗だから通りが恐い。バス停がなかなか見つからず、30分くらい歩き回っただろうか、時間も迫ってきたのであきらめてトゥクトゥクに乗る。(私ならすぐにトゥクトゥク捕まえてさっさと駅に行くんだけどナー)と軟弱な私は内心ぐったりしたが、ここがスタイルの分かれ目、せっかくなのでT原さんのやり方に便乗してみることに。
 ホアランポーン、ギリギリセーフの時間で切符をゲットし列車に乗り込んだ。アランヤプラテート行きは3等なので指定もくそもないが、一応ソフトシートだし、ボックスも6人乗りなので広くて快適、それに割とすいている。バスツアーなんかより安いし断然快適だ。

 国境の町アランヤプラテートまで5時間半。焼き鳥弁当を取り出しながら窓の外を見ると、空が白くなってきている。「バンコク脱出・・・陸路入国カンボジア、いよいよだ!」。

 列車での印象的出来事2つ。ある停車駅で坊さんの集団が乗車してきた。すると、サササッと坊さんのための席が空けられる。ここ仏教の国タイでは坊さんが偉いのだ。そういえば、前回の旅行で、交通量の多い道路を渡るとき、坊さんの後ろをついて歩くのが、安全かつ迅速な横断方法だったのを思い出した。
 お坊さんは空港のイミグレーションもフリーパスらしい。そして嘘か誠か!タイには坊さん専門の警察がいるとのウワサを耳にした、これは果たして本当なのだろうか?坊さんの中にも悪いのがいて、置屋に行ったり、酒を飲みに行く坊さんもいるらしい。確かにこんなに坊さん人口が多いのだからそれも致し方ないかも?女性に触ると徳が落ちるという。徳を積んでは崩し、積んでは崩し、そうういう一生ヒラのお坊さんもいるのだろうか?!なむー。

 もう一つの印象的出来事。銃を腰につけた、スリムでタイトな鉄道ポリスが我々の車両を巡回しに来た。「ここにポリスがいるってことは、山賊や強盗が列車を襲う危険があるのかっ!」とT原さん。ちょっとビビる。それにしても、ベレー帽にゴリさんのような黒いサングラス、身体にピッタリフィットの制服姿は、どうしてなかなかカッチョイイ。その姿を写真に収めたくて、隠し取りを試みるが、他にも仲間のポリスがいるので恐くてカメラを向けれない。
 そうこうしていると、ポリスが切符をチェックし始め、次々と人が前に集められだした。全部現地の人だ。なんだなんだ?私たちもなんか言われるのだろうか!?とビクビクしていたが、私たちに非はないはずだ。ほどなく、集めたられた人々に向かってなにやら説教をしはじめた。「そうか!無賃乗車か!」ということで納得、たぶんそうだろう。軽く10人はいる。ニューイヤーで故郷に帰省するため、無賃乗車をしたのだろうか?見る限り集められた客はケロッとしている。きっといつものことなのだろう。

 そして5時間半後、アランヤプラテートに到着。バイタクの勧誘をかき分け、トゥクトゥクと交渉しいざ国境へ!

 国境、ゲートを前にして感無量・・・ということは全くなく、アッと言う間の出入国。ボーダーはいったい何処だったんだろう・・・、と考えつつも、土地既にカンボジア。
 すぐに人の顔の変化に気づいた、クメール人の顔だ。人々は色とりどりのチェックのスカーフをしている。埃よけ、日よけ、何にでもつかえそう。「欲しいっ!」そういえば、朝会った男の子がしていたのはこれだったか。納得、カンボジアの名物(?)クロマーとはこれのことだっ!
 日本という島国と違って、ボーダー越えると人種が変わるという当然の異常事態を初めて目の当たりにする。埃と活気が入り交じる国境、初の越境、やっぱりエキサイティング!

 アンコールワットの町シェムリアップまでは、ピックアップトラックでの移動になる。運賃11ドルはインサイドの席。外の荷台だと10ドル。この暑さと日照り具合、どう考えてもインサイドに決定。荷台をみるとタンクトップと単パン姿のアメリカ人のお姉ちゃんが。丸焼け間違いなしだわ、気の毒に・・・と思ったのも束の間、通常5人乗りのインサイドに7人が寿司詰め状態で押し込まれた。焼けこげても外に出たい!というくらいキッツキツのギュウギュウだ。だがしかし、ここで火傷を背負って寝たきりにはなりたくない(私は普通の人より白いので、すぐ火傷になってしまう)意地でも席は譲れない・・・辛抱あるのみ。

 トラックが出発して程なく、ポリスがあちこちに立って停止合図を送るのを目にする。賄賂請求だ。出発して十数分、ポリスだろうかアーミーだろうか、我々のトラックが止められる。ガイドが掛け合う、T原さんが連れて行かれる、やばいのか!T原さんパスポートを取られる、ややっ、何が起こったのか!車中緊迫。
 数分してT原さん無事カンバック、顔色が悪い。どうやら彼らの暇つぶしに付き合わされたようだ(この後も沢山ポリスに出くわした)。銃を下げているから無茶苦茶迫力があって恐ろしい。だが昔に比べれば可愛いもんだという。カンボジアの治安はかなり良くなっているらしいが、それでも日本人の私には刺激が強い。

 延々果てしなく続く赤い悪路、悪路地獄をトラックは進むよズンズンズンズン。穴ぼこを迂回しながらズンズンと。これは普通車走行不可能というのがうなずける。ホントにでかい穴ぼこだらけなのだ。途中壊れた橋の手前で停まる、見るとタイヤ分の板、2枚が架かっているだけの部分がある。子供達が誘導して無事渡る、スリル満点アドベンチャー。

 途中で何度かトラックが停車、地元の人たちをピックアップする。まさにピックアップトラック。また停まった、今度は何だ?と思いきや、ドライバーが「腹が減った、俺は飯を食う」とさっさと車を降りてしまった。「・・・」。
 悪路にうんざりの私たち外人部隊は、外へ出て休息をとる。伸びをしながら「またあの狭い車内(というか定員オーバー)に戻るのか・・・」と思うと、かなりブルーだ。
 「オネサン、ツメタイジュース!」アッと言う間に物売りのお姉ちゃんたちに囲まれる。凄い早さだ。クメールの女の子は商魂こそたくましいが、とても人なつっこくて可愛いらしい。よし、ガイドブックの片言クメール語で交流を試みる。みんなとても綺麗な顔立ちをしている。特に子供の可愛いことといったら!子供嫌いの人にも「クメール人の子どもは可愛い!」と言わしめてしまうほどの魅力なのだ。
   ここの人たちはとても純粋な笑顔をしている。前にベトナム南部に行ったときもこんな感じだった。東南アジアの笑顔攻撃、バイバイ攻撃。あの純粋な笑顔で手を振られると、みんなついつい手を振り返してしまう。ステキダー、なんてステキな笑顔ナンダー。
 そんなこんなの悪路約6時間。床ずれしそうになるわ、頭はぶつけるわで本当に疲労感たっぷりの楽しく辛い移動だった。

 夜7時過ぎにシェムリアップ到着だったか・・・見事に真っ暗だったのは覚えている(電灯が極端に少ないのだ)。私たちは安くて日本人の多い「タケオ・ゲストハウス」か「チェンラ・ゲストハウス」に泊まると決めていたので、タダだと言うバイクタクシーに乗って、そこへ連れてってもらった。タケオが満室なのでチェンラへ。チェンラも満室と言うことで、すぐ裏のゲストハウス「裏チェンラー」へ案内され、そこに落ちつく。T原さんとシェアすることにして、ひとり3ドル、バストイレ付のツインルームに決定。
 送ってもらったバイタクの兄ちゃん達がロビーで待ち構えていて「明日からのアンコールめぐりのドライバーを俺達にしろ!」と。あんまりしつこいので明日迎えに来てもらうことにする(結局3日間お世話になった)。

 同じ裏チェンラーに泊まっているW辺くんと知り合い、3人で屋台へ向かった。W辺くんは大阪芸大卒業後、すぐにこの旅に出たという。しかも初めての海外、初めてのひとり旅だという。それがカンボジアとはチャレンジャーだ、うむっ(ちょっと羨ましい)。
 この時屋台で食べたお粥(内蔵や血の固まりのゼリーのようなのが入っていた)がカンボジア最初の食事。これが極上のうまさで、すっかりここが気に入ってしまった。が、そこに冷たいビールがなかったのがだけが心残り。冷たくないならビールは飲まない。
 ゲストハウスに戻り、冷たいビール、その名も「アンコール・ビール」を調達する。プノンペンからレンタルバイクでここまで突っ切ってきたという、命知らずのTくん(彼はタイ人のような顔立ちでしかも真っ黒に焼けているので一見何人かわからない)が加わり乾杯をする。4人で遅くまで盛り上がる、旅人達って面白い。

 よし、ついに来たぞ!カンボジア!

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