2002年9月14日明石市民会館において行われた講演会(ペコママさんによるレポート)

午後2時スタートの講演は、90分の予定でしたが、約105分間 大江先生はお話してくださいました。
テーマは、「新しい人のために」
 先生は、聴衆が高校生であると思い以前より準備を進めてくださっていたところ、関係者から迎えの車の中で聴衆が50〜60歳代の女性が多いと聞き、内容を少し変更して話しますとおしゃっておられました。
(私は、もっと若いのですよ・・・)

 私は、姉と二人で楽屋口で待つこと一時間、紺のズボンにテンセルのジャケット、トレードマークの鼈甲の丸メガネ姿でタクシーより降車された先生。係りの人に一礼をされ、ナント私たちのような者にまで丁寧に一礼してくださいました。
「なんでもない人として誠実に生きる」とおっしゃっていらっしゃる先生、その通りの方でした。
サインをお願いしようかと思いつつ、お疲れでしたら申し訳けないと思い千載一遇のチャンスを逃してしまいました。(私ごとは、ここまでにいたしましょう)

 ダブルのダークスーツ姿でご登壇の大江先生。
先ず、「明石」に講演に出かけるということで朝食時に奥様に明石について尋ねたところ、明石は「タコ」がおいしくて、一番有名だと話してくださったとおっしゃいました。
光さんは、タコがお好きとのこと。休みの日にスーパーに行ったとき、固いものが苦手な光さんのために口あたりが軟らかい「アフリカ産のタコ」を先生が探していらしたところ「タコ」の宣伝販売をしているオジサンに出会ったそうです。
先生は、そのオジサンに面と向かって
「これは、アフリカ産のタコですか?」と尋ねたところ
「いいえ、明石産のタコです。」とムッとして言われました。
とユーモラスに話してくださいました。
「これだけでは、あまり文学的ではありませんね。」と先生・・・。

そして、明石というと源氏物語。
奥様が、大江家で一番源氏物語に精通していらっしゃることを話してくださいました。
「これで、少し文学的になりましたね」と先生は、聴衆の心を一気に捉えられた訳です。
併せて、ご家族を大切になさる先生の人柄に私は、とても親しみを覚えました。

 さて、ここからが、本文です。(先生の話口調に近い文章でレポします。)

 自分がどのように本を読んできたかを振り返ってみると子供の頃によるものが多いと思います。作家生活の終わりに小学5年生以上を対象にもう一冊本を書くことを考えていますが、それには今までの読書生活、文章を書く生活そして生きていく態度について書きたいと考えています。
 僕は、8歳までは本を読まない少年でした。おばあさんから昔話を聞いていました。子供の頃、おもしろい魚をみて「目と口の間が60度だ」というような算数の幾何的表現をしていました。ある日、母から 「あなたは、言葉が少ない。もっと本を読みなさい」と注意されました。四国の村は、戦争中の田舎であることもあり農協の倉庫の上に公民館があり、そこに図書館がありました。その公民館に置かれた本を通し番号1から順番に読んでいったのです。1日に本を読む時間は、足に上がってきたコクゾウ虫を捕まえ、コップの中にコクゾウ虫を3匹入れたら家に帰るというものでした。

 ある日、母に公民館の本を読んでしまったことを告げると、母は、着物に着替え僕を公民館に連れて行きました。そして無作為に一冊の本を取りだし、一節を読みその続きを僕に言うように言いました。
そして言えなかった自分。
母は、「あなたは、忘れる力を鍛えるために本を読むのですか?」と言いました。
 僕は、これではいけない。どうすればいいだろうと考えました。
そこで、たとえば200ページの本を読むとすると一日に30ページずつ読むと計画する。そして、30ページ読んだらその中に何が書いてあったかをまとめ、カードに書き留めました。もちろん自分が、どう感じたかも含めて読書カードを作ることにしました。あれは、中学3年の頃からだと思いますが、それ以来、本を読むときには、カードを作ることが習慣となりました。

 大事な文章は、書き写す。翻訳も原文も両方。また、原文を暗唱して引用すると外国人と話すとき印象づけることができます。
 文章を書き写すことは、句読点を打つ勉強になり、また自分の考えを余白に書き添えると自分の文章を書くことにつながっていく。その作業を繰り返していると自分の文章が貧しく感じることがありました。
子供は、遊びにおいても何においても、なかなかめげないですよね。大人たちもそれを見習って、失敗を恐れずに繰り返し繰り返し書き直して書いていくことを続けていく。
 人の話も自分の文章に書き写していく。そしてまた何度も書き直す作業を繰り返し、書き上げた文章を自己採点するようにしてきました。僕は、本を読み、読書カードを作り、文章を書く。そして何度も繰り返し文章を書き直していく。その作業が現在の仕事につながってきたように思います。

 また、辞書の活用で生活を豊かにするとよいと思います。
 10年ぐらい前からあるグループの人が「公(オオヤケ)」という言葉を意図的に使っています。
たとえば、小林よしのり氏が「日本人は、自分のことばかり考えずにもっと『公』のことを考えよ」とある教科書の中に発表されました。ここでは、「公」と「私」が相反した関係になっています。
 福沢諭吉は、独立した個人が集まり社会を作り出すことを「公」と呼んでいます。「公」の根本には、 「個人」「私」があるというわけです。
 僕は、「個人」のものについては、圧して「公」を優先することは間違っているだろうと思います。

 言葉は、多くの意味を持ちます。中には、有害な言葉もあります。
使われている言葉にズレを感じたとき、一歩前に進むという意味においても辞書を引いて調べてみる。そうすれば、言葉を定義づけることができるようになり、自分の言葉に力をつけていくことになると思います。

 近頃は、電子辞書というのがありますね。
僕は、10種類ほどを買ってきて、いろいろ試してみました。国語辞典も英和辞典も中辞典以上のものが収録されているものがよいと思います。

 僕は、旅に出かけるとき、必ず何冊かの本と辞書を持って出かけます。ブラジルで中古の四角い革のバッグを買って、その中に本と辞書を入れて飛行機に乗ったんですよ。するとそのバッグを盗られてしまったですよ。
後で聞いた話なんですが、僕が本を入れるのに丁度いいと思ったバッグは、現地では現金を入れて運ぶバッグだったそうです。盗んだ人は、バッグを開けるとギッシリ並んだ現金を想像したでしょうが、中身は違っていたのでガッカリしたでしょうね(グフフッと笑)

 最後に「言葉」を次世代に繋いでいくことについて話したいと思います。
「言葉」の歴史を繋いでいくために読書をし文章を書き、昔からの言葉の流れが自分を通して発せられると感じてほしい。
 柳田国男氏は、「言葉は、一世代を超えて受け継がれていく。」とおっしゃいました。
つまり、子供に「言葉」を受け継ぐには、お父さんとお母さんは、昼間、畑に行ったり仕事に出かけていますから時間が短い。そこで、祖父母との会話を通して正確な言葉を受け継いできたわけです。
しかし、現代では、テレビによって子供は、言葉を繋いでいっています。

 そこで、家庭の言葉をどのように磨くかということが重要になってきました。


子供と一緒に父母が本を読むシステムを積極的に作る
           ↓
        読書カードを作る
           ↓
         辞書を引く

このことを繰り返し言葉の流れを繋いでいくことがよいと思います。

 今、日本中が注目している人は、イチローでもなければ小泉首相でもない。大相撲秋場所、復活を賭けた貴の花です。(9月14日は、大相撲秋場所14日目でした。)
我が家では、夕方5時45分になるとみんなテレヴィの前に集まり、取り組みを見つめテレヴィの前で取り組みを真似て転んだりしています。
彼の談話には、あるキーワードがあります。
あまり多くを語らない彼は、勝利後のインタヴィュウに決まってこう答えました。

   記 者)「今日の一番、どこがよかったとお思いですか?」
   貴の花)「流れです」

毎日、この一言だけが彼の談話でした。実にいいですね。この「言葉」。

「言葉」は、昔から現代に繋いできたものです。言葉の『海』から言葉の『川』のようなものの流れに上手に入り込んで正確に子供たちに言葉を伝えていくことが大事だと思います。
「流れ」が重要なのです。

 今日は、高校生に言葉の話をするつもりでしたので、爆笑問題のビデオを買ってきて何度も何度も見て準備してきたのですがね。(原稿を手に取り笑い)

 熱心に聞いてくださってありがとう!!(一礼の後降壇)

(感謝の拍手)

とても、さわやかであり愛情のこもった講演会でした。
私の文章力の無さから、みなさんにその場の雰囲気をお伝えできないのが残念ですが、少しでも味わえていただければ幸せです。


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