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2002/12/30, いとうくにお
大祐さん、こんにちは。イェイツの詩に関連するものが続いたのは、偶然なんです。年明けにメーリングリストのメンバー有志で『人生の親戚』の読書会をするので、その前夜祭という気分でこの作品の冒頭の一節を引いたのでした。
それにしても、大祐さんのおっしゃるとおりの文学者だなあと僕も思います、大江さんは。
2002/12/30, 大祐
どうも、少し前にお邪魔した大祐です。大江の影響からイェイツで卒論を書いた者です。
いとうさん、前回と今回のトップページの引用、いずれもイェイツに関連するコンテクストから引かれていますね。何か意図がおありなのでしょうか?卒論を無事に提出して以来、僕は新たに「詩」という、文学史において常にその頂点に位置してきた文学形式に対する興味をより強く覚えています。今は、アルバイトの合間にイェイツと、アイルランドにおける彼の後継者たるヒーニーを読みながら、大江の『燃えあがる緑の木』を再読する毎日です。僕は卒論の中心として、イェイツの代表作の一つとされるあの「一九一九年」、大江が『懐かしい年への手紙』と『燃えあがる緑の木』において引いた作品を選びました。大江読者にとっては馴染み深いはずの一節は、次のようです。

The swan has leaped into the desolate heaven:
That image can bring wildness, bring a rage
To end all things, to end
What my laborious life imagined, even
The half-imagined, the half-written page;
O but we dreamed to mend
Whatever mischief seemed
To afflict mankind, but now
That winds of winter blow
Learn hat we wrer crack-pated when we dreamed.

僕たちが生きる現代においても、すでに一世紀前の人物であるイェイツの詩はなお有効であると僕は思います。冬の厳しい風を受け、世界の非情な運行に対する自らのimpotenceを痛感しながら、なおも語り続けることをやめられぬ文学者の姿は、容易に『懐かしい年』における「K」を思い出させます。あの、滑稽でありながらも常に悲しいほどに真摯である人生を。T.S.エリオットはイェイツを評して、「彼個人の歴史がそのまま彼の生きた時代の歴史である」ような詩人、彼個人の意識を理解せずしては彼の生きた時代の意識もまた理解できはしないような詩人、と書いています。大江は詩人ではないにもせよ、戦後日本の歴史においてはまさにそのような文学者として書き続けてきたのに違いないと、最近僕は思いはじめています。
2002/12/27, こばやしようじ
「二百年の子供」は、形の上では連載でも、既に全部書き上げているのではないでしょうか。講演でそれに近いことを言っていたような気がします。つまり連載というより、分載という方が適当かもしれません。でも、実際、掲載が始まったら、既に書き上げていたはずのところもいじり始めるかもしれませんね。
2002/12/27, いとうくにお
かばかばさん、こんばんは。週刊朝日の連載についての情報ありがとうございます。
2002/12/27, かばかば
 はじめまして。かつてチャットのほうに参加させていただいたことのある《かばかば》です。
 大江さんの新作「二百年の子供」が読売新聞に連載されるということで、読売新聞ではない我が家でどうやって読もうかを、今から思案しているところです。
 そして、なんだかその話題の陰に隠れてしまっているかのようですが、そちらと平行する形で、週刊朝日に『「新しい人」の方へ』という、『「自分の木」の下で』に続く連載が始まりました。第一回は、この前の「徹子の部屋」で、黒柳さんへ宛てた童話を書き出しとしたものでした。とても大江さんらしい、きれいで優しいエッセイでした。
 大江さんとしては大変でしょうが、ファンとしては、2つ同時に連載があるというのは、本当に幸せなことだと思います。これから毎週楽しみに読売新聞と週刊朝日を読みたいと思います。
 あと、このようなサイトがあることもまた、ファンにとって嬉しいことだと思います。来年も素敵なサイトであり続けてください。それでは、また。
2002/12/26, いとうくにお
弥生さん、qmさん、こんにちは。毎土曜日の掲載ということですか。土曜日だけ新聞をとるってこと、できないかなあ。
2002/12/26, qm
>毎週の土曜日に一面を使って掲載されるそうです。

そうですか。そういうのは今まで見たことがないです。画期的な感じですね。

>小説を書く技法、
スタンスそのものを変えたということでしょう。さらに子どもを主人公にするという
のも、大江の初期作品に通じるものを感じます。

「取替え子」から変わってきている印象を持っていました。反響をみながら、社会情勢も考慮し、読者とも対話しながら書き進めるお考えなのでしょうかね。これはやはり新聞で同時進行で読みたいですね。楽しみです。(これは読売に変えるしかない!?)
2002/12/26, 弥生
読売新聞の記事によると、毎週の土曜日に一面を使って掲載されるそうです。スタン
ドで買って読めればいいですね。

>新聞連載にするのは作家にとって、あるいは作品にとって、書き下ろしとどう違う
んでしょう。

先の予告記事では、大江初の新聞掲載小説と書いてましたが、確か「万延元年のフッ
トボール」は、新聞か文芸誌かの連載小説だったと思います。これ以降、大江は、原
稿を焼き捨てたり、何度も書き直すという「迷路」「藪」(『童子』)を経て、作品
を仕上げてきたわけですから、新聞に載せてしまうということは、小説を書く技法、
スタンスそのものを変えたということでしょう。さらに子どもを主人公にするという
のも、大江の初期作品に通じるものを感じます。
2002/12/26, qm
「二百年の子供」は新聞連載ですか。
みなさん読売取ってますか? 私はとってないのでどうしよう。職場で読むのもなんだか落ち着かないし。どのくらい続くんでしょうかね。
新聞連載にするのは作家にとって、あるいは作品にとって、書き下ろしとどう違うんでしょう。それとももう全部書けているのを小出しにするだけなんでしょうか。
2002/12/17, ゆうさく
幻の作品(政治少年死す)をついに読むことができました。サブカルチャー系の某雑誌に記載されてました。やはりセブンティーンの続編ということもあり、すごい作品だと、思います。あの頃の大江氏の作品は、攻撃的な登場人物や物語が多い気がします。それともう一つ(夜よゆるやかに歩め)という小説を近所の図書館で見つけました。大江氏の小説は、文庫本に収められてない作品が、結構あります。それを探して読むのが、今の楽しみです。
2002/12/16, こばやしようじ
講演会で思い出したことなんですが
僕が高校の時に大江文学に出会って、一番心に残ったフレーズというのは、「洪水は我が魂に及び」に引用される、「カラマゾフの兄弟」の一節だったのです。
主人公の大木勇魚が自由航海団の青年たちに英語を教えるために選んだテキストが、「カラマゾフの兄弟」の英訳本。そしてゾシマ長老が祈りについて語る部分が教材として採り上げられます。

青年よ、祈りを忘れてはいけない。祈りをあげるたびに、それが誠実なものでありさえすれば、新しい感情がひらめき、その感情にはこれまで知らなかった新しい思想が含まれていて、それが新たにまた激励してくれるだろう。そして、祈りが教育にほかならぬことが理解できるのだ。

私は英語がとても苦手でしたが、この一節は、英語で憶えていた時期がありますね。なんでドストエフスキーを英語で憶えるかなと思いつつ。

シモーヌ・ヴィユについての話を聴きつつ、僕の頭の中に久しぶりに

Young man,not fargetful of prayer〜

というフレーズが蘇るのでありました。
2002/12/15, 吉田正則
石井様、ご回答下さいまして誠にありがとう御座います。
大江氏は人から頂いた本は読まれない方なのですね。
確かにお渡し出来たとしてもそれはセルビア語の本ですし、
読むことは出来ないと思います。英文で書いた手紙でも読んで
頂けたらそれだけで本人は幸せだと思います。「文芸家協会」発行
の書籍はこちらでは手に入りませんので、何とか協会に連絡を取って
頑張ってみます。まあ、あれだけの方ですから、最初の段階からして
もう暴力的な行動だと思っています。難しいですね。
2002/12/14, 石井 義浩
吉田さんへ
大江さんは基本的に個人から頂いた書籍は読まれないということをどこかで明言されています。同人誌の類は読まれるそうですが。ぼくも自費出版の本を捧げたのですが、読んだか読まないかは不明です。
でももし大江さんを感激させる類のものだったら、こっそり読んでいらっしゃるかもしれません。
文芸家協会発行の書籍に大江さんの住所が登録されています。
でもちょっと暴力的な行動ではありますから、慎重になされたほうがいいと思います。ぼくの愚かな行動からの反省として。
2002/12/14, 吉田正則
初めて掲示板に投稿させて頂きます。吉田です。
私は現在、ユーゴスラビアの首都「ベオグラード」に
在住しているものです。誠に申し訳無い発言かと思いますが、
私は今まで大江氏の本は一度も読んだことが無く、ノーベル文学賞
を受賞されたことしか認識していません。
私は現在この国に永住する為、セルビア語の勉強に励んでいるところです。
実は私を担当しているセルビア語の教授が大江氏の著書を読まれていまして、
深く感慨しております。この先生(セルビア人男性)は語学の先生をやられながら、
作家、画家としても活躍されている方で、聞いてみたところ、大江氏の著書
はセルビア語でも翻訳出版されており、これらを数冊読破していて、
「私の心に染着いた素晴らしい文学者」と絶賛しております。
そして、この先生の心からの願いが自分の著書を大江氏にプレゼントしたい事なのです。先生は日本人の私に何とか本を渡せないか?と、よく言ってきます。なんとか
お手伝いしてあげたいのですが、私には何のつても無くどうする事も出来ません。
せめて手紙を出す事が出来たならな。と、思っています。この私の文章を読まれた方で、何か可能性を考えられる方が居ましたら投稿頂けないでしょうか?そして
もしこの投稿がこの場にふさわしくなければ削除して頂いて結構です。ご迷惑おかけしました。ベオグラード在住・吉田正則
2002/12/10, 加藤佑子
こばやしさんの講演会報告の中にあった、ヴェイユが人生で目指したことと大江氏が引用された内容は、私にとって大江氏の読者であることとほとんど同義です。
「注意力はあらゆることの根本にある」「人間の力として一番大切な、祈る力を持つことは、自分の横にいる人、隣人、町で会う人、一緒に生活する人に対し、この人がどのように苦しんでいるのかをよく考える能力があること」「その人がどのように苦しんでいるかを聞き出してあげることのできること」ーーある限りの注意力を持って小説を読み、作家が(あるいは主人公が)何に苦しんでいるかを見抜こうとすることにより大江作品と大江氏個人からはなれることが出来なくなっていきます。
描かれる苦しみの中に人間性への希望と「祈り」を見ることを夢見て大江作品に耳を傾け続けています。
2002/12/9, いとうくにお
こばやしさん、講演会のレポートありがとうございます。幸運な接近遭遇でしたね。
2002/12/9, こばやしようじ
クローバープラザでの講演会、行って来ました。プログラムは、12時開場、13時から人権コンサート、それから人権作文コンテストの優秀作品発表などを経て14時30分からが講演となるのですが、私が到着した1時5分には、既に満席でした。13時30分の段階で、「消防法の関係で立ち見は禁じられています、別室のモニターでご覧下さい」とのアナウンスが流れたため、やむなく別室に移動したのですが、その移動するエレベーターに乗ったところ、いきなり目の前に大江健三郎がいるではありませんか!ちょうど会場に到着して事務室に向かうところだったようです。僕はすっかりどぎまぎしてしまって、かすれた声で「こんにちわ」というのが精一杯でした。
講演内容は、モニターがあまりよくなかったせいもあって、断片的にしか理解できませんでした。前振りで田中耕一さんの話をして笑わせたりしていましたね。中心は、シモーヌ・ヴェイユの「神を待ち望む」を引用したあたりでしょうか。ここは僕の同僚が書いたのをそのままペーストしてしまおうかな。同僚はモニターではなくて会場で直接聴いていたし。

戦争の時代に、こんな時代に学ぶ子ども達にどうしたら祈るということを教えられるだろうかという友人の神父からの問いに、ヴェイユは、注意力を養うことが大切だ、注意力はあらゆることの根本にある、と答えた。
人間の力として一番大切な、祈る力を持つこと、それは、自分の横にいる人、隣人、町で会う人、一緒に生活する人に対し、この人がどのように苦しんでいるのかをよく考える能力があることで、その人がどのように苦しんでいるかを聞き出してあげることのできることが人間にとって最も重要なことだ。ヴェイユの人生は、そのような人間であろうとした人生であったし、本当に注意力を持って人を見て、その人が何に苦しんでいるかを見抜こうとする、そういう人が人間として尊敬するに値すると考える、
と、そんな話でした。

ところで先日、「大江健三郎は売れる作家なのではないか」という投稿をしましたが、こんなにたくさんの人が大江健三郎を読んでいるのだなあと思うと改めて不思議な感じがしました。もちろんもっともっと多くの人が読んでいることは当たり前なのだけれども、そういった人たちを目の当たりにしてみると、それぞれの読者が、それぞれの思いを以て大江健三郎を受け止めていることに、目が廻るような、船酔いしたような思いを味わっています。
まあ、僕としては、生の大江健三郎とエレベーターに乗り合わせたことでそれなりに納得した一日でした。
2002/12/7, 内海
>壽太夫さん。
川辺川MLへ早速投稿させていただきました。
ありがとうございました。
レスがあればお知らせします。
2002/12/7, 壽太夫
内海さん
よかったら使ってください。
2002/12/3, いとうくにお
石井さん、渡辺さん、こんにちは。
石井さんのお話にある「ヒロシマのオルフェ」のことですが、僕も注文してまして、今日明日には届く予定です。ただ、オペラというもの自体まともに鑑賞したことが一度もない自分には、ろくに受け止めることなどできないかもしれないという心配もしています。石井さんのご感想からは、大江さんの試みは十分には成功していないという印象を受けましたがそういう理解であってますか? 自分でも鑑賞して、何か感じとることができればいいのですが…。
渡辺さんの「ラブレター」、熱烈ですね。もし大江さんが読まれることがあれば、喜ばれるのではないでしょうか。次の作品も本当に楽しみですよね。
2002/12/3, 渡辺
みなさま、はじめまして。このサイトは素晴らしくファンとしてとても貴重だとこの存在に嬉しく思います。
私は大江文学もご本人をも愛しているファンです。
大江作品に出会って、私は本当の意味での文学の楽しみを知りました。氏の文章は一文たりとも逃さないように享受、堪能しながら読み進めます。そのとき、私は氏の筆力の誘導によって、もうひとつの現実を体感するのです。これほどに五感を際立たせてくれる架空はないと思います。私はいつしか病院で死体を洗う学生であったり、剥ぎ取られたばかりの牛皮を被せられていたり、すっぽんと格闘したり、発作を起こして氏に抱きしめられて安心する自分をまるで実体感しているのです。
このサイトのトップページに引用された「… それでいて、この年になって、なぜ小説を書こうとするのだろう? 書かずにいられない・書くことが楽しい、ということか?…」という文章を新作で拝読したとき、今年の春に京都のシンポジウムで氏がお話されたことを思い出しました。いつものように謙遜と自嘲を込めて「私は作家として何もしてきていない…今、また世界に向けて作品を書こうと思っています」と…そして、その秋に『憂い顔の童子』が出版された…。内容は未来と希望に向かっている、次作品に向かっているとわかり、とても安心しました。氏の作品がまた拝読できるのですよね。私も童子の一人になりたい。
氏へ伝えたい。「自分が書くことが楽しい」というだけでなく、このように娘さんほどの年齢の一女性が氏の文章によって、ふだんは眠っている心の繊毛を振るわされる快感、そんな快感をご自分がひき起こしているのだということをも楽しんで欲しいんです。
なんだかラヴレターのようですが(笑)…ゴメンナサイ
みなさまとご一緒にこれからも氏を応援していきたいと思います。
2002/12/1, 石井 義浩
「ヒロシマのオルフェ」鑑賞させて頂きました。
ぼくは「オペラをつくる」という本を読んで武満さんの情熱と大江さんの冷淡とを長らく気にかけてきました。その答えを見つけた気がしました。
このオペラがもし、日本語特有の韻律、即ち5、7の音律の組み合わせで統一されていたなら自然な美しい歌になっただろうという感想をぼくは抱きます。
ギリシャ悲劇の復興といわれるほどオペラという芸術は詩と深く結びついているものです。
それでも「ヒロシマのオルフェ」とは何という魅力的なタイトルでしょう。勤勉な大江さんには次作の「オペラ」を期待したいですね。
2002/12/1, 内海
>壽太夫さん。
ダムに沈む御実家のお話し、胸に染みました。
私も実家が更地になってしまったのを見たときには、泣きたかったものです。
出来れば嘉太夫さんの書きこみを川辺川メーリングの皆さんにも読んで頂きたいと思っています。コピペして「川辺川ML」へ投稿しても宜しいでしょうか。
お願いします!
2002/11/30, 壽太夫
内海さんのダム反対集会参加の話を読んで、ちょっとメモしようと思いました。実は私の実家はダムによって水没します。
私の田舎は大江健三郎さんの山の家がある群馬の田舎です。子供のとき、町の電話帳を見ていたら大江さんの名前があってびっくりしました。大江さんの山の家があるところは浅間山のふもとに近く、高原のすばらしいところです。そこから浅間山に沿って長野県側に下ると軽井沢になりますが、夏はそこと比べれば軽井沢が暑く感じ
られます。大江さんの小説やエッセイの中で、今まで、言葉をひとつも発することのなかった障害を持った子が、鳥の声を聞いて、はじめて発する言葉としてその鳥の名前をいう美しい場面がありますが、多分その舞台となったところです。
私の実家はそこから東京よりに車で15分ほど下ったところです。1952年に国によってここの吾妻川(あがつまがわ)にダムを作ることが一方的に宣言されました。この川沿いに川原湯温泉という鄙びた温泉があるのですが、その近くの渓谷に作るというものです。八ツ場ダム(やんばだむ)と名づけられました。それから長い反対闘争がありました。私も物心ついたころからダムのことを聞かされてきました。
その辺の状況については、萩原好夫さんという旅館の主人が「八ツ場ダムの闘い」という本にされ、岩波書店から出ています。「はしがきに代えて」という形で、宇沢弘文氏が政治家、官僚、大企業の「トロイカ体制」による腐敗の構造、ダム建設に象徴される公共工事の無意味さについて、文章を寄せられています。
萩原さんはこの本の中で、どうしてもダム建設をとめられないのであれば、自分たちの手で理想の新しい村を作ろう、といい、そのために闘ってきたことをつづっています。
しかし、その萩原さんもすでになく、住民はくたびれ果てて、なし崩し的に建設が始まりました。
私の両親も高齢で、これ以上煩悶させるには忍びないので、決断してもらって、この9月から私のところで、一緒に住んでいます。実家はすでに更地になりました(国に引き取らせるためには、自分の手で更地にしなければいけないのです!!)。
一人抜け、二人抜け、今、町は徐々に死んでいます。人の気持ちが離れたとき、血の気の失せた病人のように、共同体が生気を失っていくのを目の当たりにしています。
2002/11/29, 下平
ナオさん、こんにちは。
貴重な情報を本当に有難うございます。
奇妙な行動は「蛙とび」だったのですね。思わず笑ってしまいました。
まだ授業で発表していないため、先生に確認はできていませんが、どうやらそれで良さそうです。
いとうくにおさんと同様、検索をかけてみたら、最新雑学というサイトで、確かに書かれていました。
★ 「永遠に跳びつづけ微笑みつづける」という意味のためのパフォーマンスである。★
だそうです。
後は新聞の記事などで確かめて発表すれば大丈夫かと…。

大江文学に関係の無い質問に回答をお寄せくださって、有難うございました。
今まで、恥ずかしいことに大江健三郎さんの著作は読んでいませんでしたが、これを機に読みたいと思います。
本当に、有難うございます。
2002/11/25, 内海
小林さん、報告をお願いします。壽太夫さんも待っています。
やっぱり私は遠慮します、色々な行事が目白押しですから。
今日は「川辺川ダム反対1000人集会」へ行ってきました。
大成功でした。
http://www.tku.co.jp/cgi-bin/board.cgi?db=NEWS&mode=read&num=7004&page=1&ftype=6&fval=&backdepth=1
↑でご覧下さい。
集会で、やはり熊本にある「緑川ダム」の撤去を求める会の方が、「ダムで水は死んでいる。ダムの水門を開くときには下流の生き物も死んでしまう」と発言されました。もうお分かりでしょう。私は直ちに大江さんの「M/Tと森のフシギの物語」の壊す人の「五十日戦争」を思い出していました。
「取替え子」以降の大江さんの著作を、なかなか読み進めないもどかしい思いの私を、強く打つ言葉でした。「政治集会」で感動したのは実に久しぶりでした。
ありがとう、川辺川!
2002/11/24, ちゃまん
弥生さんの投稿を拝見し、確かに詩の引用と哲学書の引用では、自ずとトーンが違って来るのはその通りだなと思いました。
さて弥生さんへのお答えになるかどうか心もとないのですが、具体的にどこというのではなく、逆にポイントとして指摘するほど強い印象がないのが、織田医師に対する私の感想です。
変なたとえですが、作品にワンシーンしか登場しない脇役にも、その人物が抱えるもうひとつの「物語」が感じられる瞬間みたいなものがありませんか?
織田医師が抱えるもうひとつの「物語」、彼にとって取り戻し不能な、空しい、死滅してしまった部分がいまひとつ見えなかった、というが現時点での私の印象です。
黒野、真木彦にはそれがあるように感じましたが。
年齢的、世代的なもの以外に、古義人と織田医師が、ベンヤミンのテクストを介して共有する元型みたいなものはあるのでしょうか?
「老いたるニホンの会」のメンバーは皆どこか書割的な印象で(そこが揶揄的と感じられた原因でしょうか)、古義人にしてもどこか読者の感情移入を拒む気配を感じるのは、私だけでしょうか。
そこには、安直な批評のない感情移入を伴う読み方への大江さんの拒否の姿勢があるようにも感じたのですが、その辺は自分でもよく整理できていません。
古義人にとっては、死に瀕して意識が混濁した中で登場するベンヤミンの引用箇所は、加藤典洋の「密告」というクソな読み?によって、今まで思い込んでいたアレの解釈とはちがう可能性が見えてきたことを指すのかなと思っています。(それが新たな痛みと傷を伴うとしても、たとえば夢のなかで、ピーターの惨殺死体のかわりに、「基地ゲートに横たわる栄養不良の日本人青年の死体が、次つぎに浮かび上がった」としても…)
2002/11/24, いとうくにお
wさん(で、よいですか?)、BSでそういう番組があったとは知りませんでした。ご覧になられました? よかったら、どういう内容だったかお教え願えないでしょうか。
ナオさん、こんにちは。奇妙な行動とは、カエル跳びでしたか。インターネットで検索してみたら、そのことに触れているページもありました。雑学を紹介するページだったので、どこまで本当なのかはわかりませんが…。
2002/11/24, ナオ
下平さんはじめまして。皆さん今日は。
今私は『憂い顔の童子』を読み進めています。皆様の読みをこページでで味わ
いながら、ゆきつもどりつ、中々読破できずにいます。
今日は、下平さんに「ノーベル賞受賞式後、もう一つの授賞式での受賞者の奇
妙な行動」について、私の知った情報をお届けしたいと思います。
ストックホルム大学で、受賞者は記念講演を行います。
その壇上で、記念講演の前か後(?)に受賞者は【蛙とび】をしなければなら
ないとの事です。さらなる飛躍をという事で。このことは田中さん受賞の多々
な報道の中で、〔こんなこともしなくてはならないそうです〕という報じられ
方でした。そのときは ”エッホントかな”という半信半疑の感じで聞いてい
ましたので、どのチャンネルだったのか実は覚えていません。
奇妙な行動ということで、この【蛙とび】を思い出したわけです。
真偽の程を確かめずに、こんな事を書き込むことは無責任かもしれませんが、
司書課程の先生に、至急ご確認くださいね。
もしそうであるのなら、大江さんも【蛙とび】をされたの で す ね!
実は今回は2度目のお便りなのですが、毎日この掲示板をチェックしています。
大江文学の導く文学の深さ、広がりに驚嘆しつつ、良い読者の作る素晴らしい
ページは、読書欲をさらに高めてくれます。
2002/11/24, w
BSで大江健三郎の新作についての自宅インタビューがありましたが、誰もみていないのでしょうか?
2002/11/23, 弥生
大祐さんのイェイツ研究、ちゃまんさんのベンヤミンへの感想などとても興味深く拝見しました。「引用」は、テキストを解体し、言葉それ自体を読み手の想像力に引き寄せるものです。引用という行為、読むという行為のなかに、過去を凝縮した「いま」を感じます。言葉を通して歴史があり、過去がある。でも、言葉は少しづつズレていく。もしかしたらそれが「視角をずらす」ということかも知れません。ところで、「童子」はドンキホーテの物語ではなく、「読み直す」という行為の物語だという僕の読解は、ベンヤミンやフライからの引用を重視していますが、ちゃまんさんの「ベンヤミンへの橋渡しをする織田医師の描写が揶揄的で薄っぺらく感じられる」という指摘がよく分かりません。作品中の具体的な箇所を示して頂けませんか。確かに、ブレイクのような飛翔するイメージはありませんが、主題が「自省」にある以上、引用もそのような雰囲気で扱われていると思うのですが。
2002/11/23, 壽太夫
内海さんが福岡で大江健三郎が講演すると教えてくれましたが、うらやましいですね。聞きたいのですが、遠いなあ・・・。
学生のときに、大学の文化祭に寺山修司がきて、確か「東京」といった題で、講演をしてくれました。自作の短歌や俳句、詩、エッセイ、映画などから東京に触れているところを引用して、「僕の東京」を独特の語り口で語ってくれました。とても大学の文化祭でちょっと話すというレベルではなく、くだらない質問にも真摯に答えて、その誠実さに素直に感動しました。そのときすでに顔色はどす黒く、それから1年ぐらいで亡くなりました。
今、小林秀雄の「講演」のカセットテープを聞いています。これは昭和30年代から何回かにわたって、小林秀雄が学生に講演したものです。ずいぶん前に新潮社から出たものなので、ご存知の方も多いと思います。想像していたよりはかなり甲高い声で、江戸前の落語のような感じで、次から次へと語っています。これがまた、非常に真摯で、とても学生相手に話しているような雰囲気ではありません。「考えるということ」について、それはイマジネーションなのだ、対象に対して入り込んで、自分のイマジネーションを働かすことだ、と語る内容は、ストレートにこちらに届くだけのリアルな説得力を持っています。思いつくままに語っているように聞こえてくるのですが、数ヶ月間も準備に費やしていた、というエピソードも紹介されています。
小林秀雄と大江健三郎といえば、小林が大江に「同時代ゲーム」は数ページで読むことをあきらめたといった、とか、小林が大江の腕を殴られないように抑えながら渡辺一夫を批判したとか、本居宣長の書を大江に渡したなど、ついつい、先を聞きたくなるようなエピソードがありますね。
それはともかく、同時代に生きている、これは、と思える人の話は機会をみつけて聞きたいものですね。
2002/11/22, こばやしようじ
「憂い顔の童子」の議論が深まっていますね!
内海さん、講演会の情報ありがとうございました。実は私も福岡なので、行ってみようかと思っています。
グローバルプラザではなくて、クローバープラザ、ですね。

http://www1.sphere.ne.jp/f-jinken/event/kouenkai/kouen3.htm

ところで、僕は大江健三郎が「売れない作家」であると思ったことがないんですよ。確かにノーベル賞受賞以降、ある程度読者層は拡がったのかもしれませんが、それ以前から、いわゆる純文学系統では最も売れる作家の一人だと私は認識していました。売れる、というよりメジャーな、というのが正確でしょうか。
村上春樹や吉本ばななと比べるとどうだ、と言われると、この「いわゆる純文学系統」というカテゴリーが俄に怪しくなってきますが。
実際はどうだったんでしょうね。
2002/11/21, 大祐
いとうさん、遠藤さん、新参者に暖かいお言葉、ありがたく思います。卒論の締め切りを一月後にひかえ、強く励まされる思いです。
さて、最近このページで活発な『憂い顔の童子』読解ですが、弥生さんの極めて明解な解釈、そしてそれを受けてのちゃまんさんの、ベンヤミンへの具体的な言及。文学作品を「活性化」させる重要な要素としての読者同士による対話、という極めて魅力的な構図を展開なさっておられると思います。このような対話は、大江の作品が―彼自身の先行作品をも含む―多くの「引用」を取り込んでいることによって、さらにも広く世界中の小説家や詩人や哲学者の作品へと、ファンタスティックとしか言いようのない連鎖を織り成していくはずのものです。ある時期からの大江が、数年の時間をかけて一人の文学者の作品を集中して読み、それを自身の小説の中に大胆に導き入れるという方法をとったのは、上に述べたような壮大な意図があったのではないかと、ずいぶん大げさなことを僕は考えてしまいます。「人間」という一つの根から別れた、無数の枝の先に実ったはずの果実―あまりにも長い「根元」までの距離ゆえに、もはや同じ種類のものとはどうしてもみなすことのできなくなったそれらの果実を、その個体差について注意深く観察しながらも再びuniteしようとする、極めて普遍的な試み。大江の莫大としか言いようのない読書量と、その読書を活かすための驚くべき記憶力は、このような試みを現実的にするものではないでしょうか?
2002/11/21, 下平
皆さんはじめまして。私は山梨県都留文科大学の学生で下平と申します。
私は今、図書館司書の資格を取るための勉強をしているのですが、その中に、レファレンスサービスの授業があります。先日先生から課題が出され、それは「ノーベル賞授賞式の後、もう一つの授賞式があります。そこで受賞者は奇妙な行動をするというのですが、それは一体どんな行動なのか調べて下さい。大江健三郎さんもしたそうです。」というものでした。二週間調べて、見つからなかった旨を報告すると、先生は「自分の能力で限界を感じた時にはもっと詳しい人に問い合わせても構いませんよ。」と仰いました(実際のレファレンスサービスでも行われることだそうです)。
そこで、専門家の方などに問い合わせようとしたのですが未熟者ですのでどなたに問い合わせてよいものか判らず、こちらに書き込みをさせて戴く事にしました。
大江文学と直接関係の無い事で恐縮ですが、情報を提供して戴ければ幸いです。
宜しくお願いします。
2002/11/21, ちゃまん
ベンヤミンのことが出ていたので、ちょっと書きたくなりました。
「憂い顔の童子」中のベンヤミンへの言及箇所は私にとっても興味深い箇所です。

《生きなおすならば、それはこれまでの生の、空しい部分、遅れた、死滅した部分
に意味をあたえるためだ…(中略)…「過去」の全体がある歴史的な回帰を遂げて、
現代のうちに参入して来るまで》というところ。

現に生きられた部分以外、すなわちこちら側以外の場所を生きることを想像する
ことによって、現実からこぼれ落ちた「歴史」の(あるいは個人の「過去」ので
しかないのかもしれませんが)可能性を再度こちら側へ取り込んでいく試み、こ
れは小説の経験のことでもあり、、想像力の定義でもあるのではないでしょうか。
(ベンヤミンの思想全体の中で引用部分がどのように位置付けられるのかは、私も
大して読んでないので知らないんですけど。)

ただ、作品としてみた場合、ベンヤミンへの橋渡しをする織田医師の描写が揶揄的
で薄っぺらく感じられ、ブレイクやイェーツの引用の時のようには、大江さん自身
のイメージなり思想と絡みあって飛翔する感じに乏しかったように思います。あえ
て読者に感情移入させないキャラにしてるのでしょうか。ベンヤミンの思想との共
鳴をテーマに書かれた作品なら、もっと違った取り上げ方をする筈ですし、今回の
大江さんの意図はそこにはなかったのかな、とも思います。(その辺がいとうさん
が言われるように、作中の引用だけでは分かりにくい原因なのかもしれませんね。)
にもかかわらず、個人的にはベンヤミンの引用箇所自体は非常に魅力的だったので、
余計、織田医師にはベンヤミンを語ってほしくないと感じたのかもしれません。

視角をずらすという仕掛けによって(基準をではない!)「過去」の死んだ部分から
新しい積極的なものの可能性が見えているのかどうか、再読してみたいと思います。
2002/11/19, 遠藤
二回目の投稿です。
大祐さんのメッセージを読んで面白く思いました。
僕も大江作品を読んでから、フォークナーの研究をはじめました。そのために転部までしたんです(笑)
しかも僕がが書く文章は、少し力が入ると大江流になり、引用もしばしばしてしまいます。
僕は東京の大学で学んでいますが、お互い学生としてがんばりましょう。
2002/11/19, いとうくにお
大祐さん、こんばんは。イェイツの論文を書いたら引用の多くの部分が大江作品の場合とかぶったなんて、こういっては失礼かもしれませんがなかなか楽しい一致ではないでしょうか。イェイツのことはほとんど知らないのですが、その一致は、大祐さんの読書生活の反映とのことですが、別な見方をすれば、大江さんのテクスト選択眼の正しさを研究者としての大祐さんが証明し、大祐さんのそれを大江作品が保証していると、そんなふうにいえるかもしれませんね。その論文、大江さんにプレゼントしたら喜ばれるかもしれませんよ。
2002/11/19, 大祐
みなさんはじめまして。京都の大学で英文学を専攻しております学生で、大祐と申します。このページのことは以前から存じておりましたが、今回初めてお便りをさせていただきます。というのも、近頃ようやく卒論に完成のめどがついたのです。題材はイェイツの詩集『塔』。「1919年」や、「ビザンティウムに船出して」が入っている彼の最高傑作です。書きながら気づきつつどうしようもなかったのは、テクストからの引用が、『懐かしい年への手紙』から今回の『憂い顔の童子』に至るまでの大江の作品に見られるそれと、あまりにも多くの部分で「かぶっている」ことでした。これは現在のアカデミズムが剽窃に分類するような種類のものではないでしょうが、かといって威張れるようなことでもないだろうと思います。大江を介して初めてイェイツと出会った僕の進みゆきとしては極めて必然的なものだったろうとも思えますが…さらにConclusionでは『新しい文学のために』から,彼のバシュラールの主張に基づく想像力論を引用する始末。おそらく読む人が読めば、僕の読書生活の「来し方」は一目瞭然でしょう。しかし、直前まで予定には入れていなかった、思いつきに過ぎないとも言えるこの最後の引用が、何とも見事に全体の論旨を要約して過不足ないことに気づき、改めて僕の思想形成における大江健三郎という存在の大きさに思いあたったのでした。論文のテーマはイェイツの詩における想像力の「使われ方」に関するものでしたが…。『芽むしり仔撃ち』の英訳をオフィスに置いてもいる、ブレイク研究者であるカナダ人教授にこのあたりも話してみようかと思っています。改めて目の醒める思いを大江の作品に対して感じましたので、この文章を送らせていただきます。だらだらと長くなって申し訳ない。
2002/11/18, いとうくにお
弥生さん、読解ありがとうございます。再出発の書だというお話。 こういう捉え方もできるんだなととても参考になります。
2002/11/17, 弥生
読解「憂い顔の童子」
この作品は大江の出直し、再出発を宣言する書であると思います。この物語は、ドンキホーテに寓しながら、コギトのこれまでの作品群をその都度引用しながら、書くことと生きることの「自分の生きてきた経験すべての意味を再発見して、そのように一切と和解し」(p375)ようとするものです。作品の構造は、「あちら」と「こちら」という前作の軸を引き継いで、しかし、大江文学のこれまでのメタファーを込めた「童子(小説の世界)」(+)と「怒れる老人(現実の生、大江その人の生)」(−)の軸を縦軸に、「森(小説的世界の舞台)」(+)と「在(都会)」(−)を横軸に、そして、その「いま」の座標に、「自分の過去の全て」を凝縮させようとします。ドンキホーテの物語は、作品展開の補助線に過ぎません。この作品の主題は、p72のフライの引用と、それに続くローズの言葉が全てと思います。「自分の書いてきたこと・してきたことを、その構造のパースペクティブのなかで読む」「言葉の迷路をさまようのではなく、老年に入った人間の生死の、方向性のある探求」。さらにp366の織田医師の発言「次の大きい仕事への助走路にならないことは考えられない」更に先に引用したp374とp375の言葉。P401の「一つの連続性のなかで書くという袋小路に入り込んでしまった」という自嘲。しかし、これは大江の私小説ではない。「自分の木」で隠喩される歴史観は、マルクス・アウレリウスではいけない。このストア学派は個人の人生で終わる。しかし、大江文学のめざす小説世界は、普遍的世界、宇宙であろうとする。そこでベンヤミンが登場する。コギトの清算は、次の言葉で終わる。「ゆるせよ」過去よ、和解しよう。そして、「生きなおす」(p522)、「これまで書こうとしながら書くことができなかった小説」(p520)を予言して。
2002/11/16, 弥生
一年ぶりの投稿にレスを付けて頂き、ありがとうございます。懐かしい友に出会ったような嬉しさが隠せません。

>引用元のベンヤミンなどの本を読んでいなければヒントとして役立てることができないものなのか。

やはり、読んでいる方が読解の手助けになると思います。逆に、大江の作品に引用されたことで、改めて、その原典に当たってみる、そんな「真面目な読者」の読み方も大江は期待していると思います。織田医師が大江文学の読み手の典型でしょうね。「懐かしい年」の時は、その後、「神曲」を読みました。今回の僕の場合は、「自省録」(これ、良いです。オススメ。)を読んでました。あと、ベンヤミンも少し。

もうちょっと、時間を置いて、改めて「童子」の解読を試みます。
2002/11/16, いとうくにお
内海さん、続報ありがとうございます。なるほど、人権週間の行事でしたか。
もし行かれる方がいらしたら、講演内容などレポートしてくださると嬉しいのですが、、、。
2002/11/16, 内海
いとうさん、みなさん、こんにちは。
12月8日福岡県春日市にあるグローバルプラザへ、大江さんがやってきます。
福岡県人権啓発センター発行の「パンフレット」では、人権週間(12月4〜10日)のイベントとしてオープニングセレモニー的な扱いを受けています。
同時開催の展示として「同和問題」「ハンセン病患者の人間回復」とあります。
福岡も西日本での特徴的なと言える「部落差別残存県」です。
私も、中学・高校と通じて、同和教育を授業として何度も受けました。
今も、同じように同和教育に力を入れなければいけない状況なんでしょう。
通信簿に「愛国心」の評価欄を作る前に、やるべきことは沢山ある証拠です。
さて、大江さんの講演会の題目(テーマ)は「読むこと・書くこと、そして生きること」となっています。なんと開場は12:00。13:00から「バンド演奏」
13:35から「中学生人権作文コンテスト」15分休憩をはさんで、
14:30から16:00まで、堂々の(?)大江健三郎講演会です。ジャジャーン!
ところで、ここまで書いて「売れない作家・大江健三郎ファン」の私は、とても疲れました。この「賑々しい」催しは、私を拒否しているかのようです。
「欠席」させてください!
目眩と、油汗が・・・・・ahhhh
2002/11/16, いとうくにお
弥生さん、ご感想ありがとうございます。作者の意図をはっきりと受け取られているご様子に羨望を覚えます。「ヒント」についてですが、やはりそれは引用元のベンヤミンなどの本を読んでいなければヒントとして役立てることができないものなのか、それとも引用された部分だけでも十分ヒント足りうるものなのか、それについてはどうお感じになられましたか。僕は、ヒントを生かせなかったほうの読者だと思うのですが、それは自分の読解力のなさのせいなのか、それとも引用元のテキストを読んでいないせいなのか、どっちなのかなあと。いや両方だろうという気もしますけども。
2002/11/16, 弥生
今、「童子」を読み終えました。詳しくは後で整理しますが、小説を語る小説−メタ小説であることは確かですが、大江の場合、そして、その読者の場合、書くことと読むこと、そして生きることは三位一体のはず。「読み返す」を通して、人生をもう一度振り返りながら、過去がいっぱいに詰まったこの一瞬、「いま、このとき」(ベンヤミン)を見つめよう。そして、新しい人として自らの目覚めを見通せ。そう語っているようにこの作品は読める。作家大江健三郎の、新たな出発、再生の書です。一般に大江の作品は難関と言われるが、この作品は、丹念に読めば理解してもらえるように書かれている。随所に作品それ自体の読み方のヒントが書かれている。例えば、構造主義。あるいはフライの引用。マルクスアウレリウス「自省録」、ベニヤミンからの引用。「深い読書」。非常に分かりやすい。最後のデモのシーンは人生の読み直しの一部。昏睡状態の大江は、童子に出会うことで、再生の道筋を捕まえた。自らの半生の作品群を改めて読み直すことで、「言葉の迷路をさまよう」ことから「方向を持った探求」への転換、回心を果たそうとする。大江はいよいよ「最後の小説」に向けた準備を終えたようだ。
2002/11/15, いとうくにお
遠藤さん、はじめまして。「まわりに大江文学について話し合える人がいない」という方は多いようですね。ここなら大勢仲間がいますから、いつでも気軽にご投稿ください。
2002/11/15, 遠藤
はじめまして。『宙返り』を読んで以来の大江ファンです。僕は大学生なのですが、周りに大江作品を読んだ事がある人はほとんどいません。友達には盛んに薦めています。
大江ファンがたくさんいることを知って、とても嬉しいです。
2002/11/15, いとうくにお
内海さん、情報ありがとうございます。どういったテーマで話すのでしょうね。
2002/11/15, 内海
福岡の内海です。12月8日福岡県春日市にあるグローバルプラザで、大江健三郎さんの講演会があります。14:30〜16:00だそうです。無料です。お暇な方如何ですか?
入場者多数が予想されます。覚悟しておいで下さい。近隣の殆どの図書館では「大江健三郎」特集が催されています。「売れない作家、大江ファン」の私は目眩がしています。
2002/11/9, いとうくにお
こばやしさんの「メタ・フィクション」「メタメタ・フィクション」という捉え方、納得できるものですね。じつは今日、メーリングリストの参加者の方と『憂い顔の童子』の読書会をやるので、参考にさせていただきます。
石井さん、ノエさん、はじめまして。大江作品を読むことで励ましを得てらっしゃる点、たぶん多くの読者に共通することだと思います(どの作品、評論によってかというところは人それぞれでしょうけども)。そういう作家と同時代で生きていられるというのは、幸運なことですよね。
2002/11/9, ノエ
初めての投稿です。
 高校生のとき、30年以上も前のことですが、「芽むしり仔撃ち」を読んで以来の大江さんのファンです。一気に読むというのではなく、ゆっくり読んできました。ほかの作家の本を読んでは、また大江さんの本に戻るという仕方です。おこがましいですが原点という感じです。とはいっても大江さんとの知能の差分、考える深さの差分、多分一生理解できない、私にとっては白紙の部分があるのだろうなといつも感じていますが。
 清らかで、正しくて、厳しくて、勇気がとても大事で、一日一日、物事の一つ一つを丁寧に生きておられる大江さん。根本的にざつで、悪意があって、逃げ腰の私は大江さんの本を読むと恥ずかしくもなります。だめな人間としてえがかれている人物は、これは私だとわが身に投影して、身のちぢむ思いです。正しく生きようと努力しようと努力もするのですがなかなか変えられません。生きること、魂のこと、浅はかな自分を感じさせられます。
 「人生の親戚」は、あのときの私に神様が与えてくれた本だ、と思っています。今日という時間を超えるはるかさに、底力を与えていただきました。
 「宙返り」では、突っ走っている人類がいつか迎えるかもしれない破滅、映画「マッドマックス」の破滅後の荒廃した地球、生き残った人々の姿など思い出しました。また、「救い主」として生まれるべきして生まれた「ギー」に出会えたことはとてもうれしいです。生まれたときから「神」として崇められるのではなく、未完成な人間として、しかし奥底に「救い主」の要素を秘めている「ギー」。どんな子が生まれるのか気になっていましたので、とても懐かしく感じました。
 読んでない本はいっぱいあります。「万延元年のフットボール」はまだ読んでいないのです。今度はそれにします。
2002/11/8, 石井 義浩
ついこの間、取り替え子を読んで感動しました。特に最後の章が実に美しいと思いました。あの部分は詩ですね。
また物語のクライマックスあたりは、ぼくなどはトマス・ハーディの小説を連想したぐらいです。
みなさんよりワンテンポ遅れた読者ですが、どうかよろしく。
ぼくは大江さんの評論が好きでその政治的な主張には共感してきました。1960年代の彼がとらえた社会から今日のそれを眺めるならばよい方向にむかっているのではないでしょうか。まだまだ問題はあるとしてもね。大江さんの声が社会の改善に反映されていないなどというひとはたぶんいないでしょう。それほどかれの評論の声には力強いものを感じたものです。
もっともっとあの力強い声を聞いて元気を分けていただけたらと思っているものです。
2002/11/8, こばやしようじ
流石に新刊がでただけあって、最近の掲示板は盛況ですね。
「憂い顔の童子」、僕はとても引き込まれました。
「懐かしい年への手紙」以来、大江作品はメタ・フィクションの色合いを強めていますが、「童子」はもう一つレベルが違って、いわばメタメタフィクションに突入したような印象を受けています。彼が長い時間かけてわざわざ入り込んだ藪の、さらにもつれあった根っ子を辿るような感じです。例えばこの「童子」の中では、「ギー兄さん」はフィクションとして扱われていますが、「総領事」は実在の人物として扱われている。いわばその中間的な扱いが不識寺の「松男さん」でしょうか。つまり幾層にも塗り固められたウソの上に成り立っているウソなのですが、まさにその方法によって小説としてのリアリティが確保されているという逆説的な面白さは、これまでの作品と比べてもダントツです。このメタメタぶりは、文学史上画期的なのではないでしょうか。
ただ、こういった方法論的な面白さに共感できなければ、あまり面白くないかもしれませんね。最後のカタストロフには確かにひっかかりますし。
2002/11/6, いとうくにお
ヨーダさん、ideexさん、仁さん、はじめまして。後半、終わりのほうについて、ひっかかりを覚える方が多いみたいですね。実は僕もそういう感じがしました。ただ、本の印象は、読むタイミングによってがらっと変わることもあるので、一読しただけで評価を下すのは早計かなと自分では思っています。
『憂い顔の童子』を読んだあと、ドン・キホーテを生まれて初めて読みました。とはいっても岩波少年文庫に収録されている抄訳です。全訳のほうも岩波文庫に入っていますが、これは6巻にもおよぶ大作で、おいそれとは手を付けられない感じ(ドレの挿絵が入っているのはこっちなんですけども)。で、ドン・キホーテを読むと、『憂い顔の童子』についてわかってくる部分もあるんですよね。『憂い顔の童子』のなかにも出ていたのかもしれませんが、ドン・キホーテの別名が「憂い顔の騎士」であること、ドン・キホーテの物語のなかにドン・キホーテの本の話が出てくること(”自己言及”ですね)、ドン・キホーテという物語そのものが当時流行していた騎士道物語のパロディであること、などです。そういうことを知ったうえでもう一度、『憂い顔の童子』を見てみると、古義人がドン・キホーテ的冒険をすることや他の登場人物がドン・キホーテの物語の登場人物と対応するということだけでなく、さまざまな部分でドン・キホーテの物語を踏まえたつくりになっているということが改めてわかってきます。で、この状態でもう一度、『憂い顔の童子』をリリーディングしてみようと僕は思っているところなんですが。
2002/11/6, 仁
はじめまして。書き込んでみるのは初めてです。実は僕も憂い顔の童子にちょっと物足りなさを感じました。ラスト直前まではぐいぐい引き込まれて読んでしまったのですが、最後の模擬デモ隊のくだりでついていけませんでした。

もっと「童子」自体の話や森の中の霊的な部分を掘り下げてもらいたかったのですが、どうなんでしょう。安保闘争はもう親父の世代のことなので、その時代を生きていなかった人間にとっては理解しづらいのかもしれません。

海外の小説や記事を読んでいても、結局宗教の部分が身体の中にないために完全に理解できず口惜しい思いをするのと一緒なのでしょうか、ね。僕はあんまり小説とかは読まないほうなんですが、もっといろんな人の感想を聞いてみたいです。

# まーとりあえずはドン・キホーテを読んで再チャレンジかと思ってマス。
2002/11/5, ideex
私は、大江健三郎の「良い読者」のつもりですが、
「憂い顔の童子」にはかなりがっかりしました。
おもしろいと思った人の意見をききたいのですが・・・。
2002/11/4, ヨーダ
ふと大江健三郎のサイトがないかと検索しておりましたら、このサイトにめぐり合いました。大変充実したサイトで大江ファンとしてうれしい限りです。はじめて書き込みさせていただきます。今日「憂い顔の童子」をようやく読み終わりました。「取り替え子」の続編ということで期待して読み始めました。ドンキホーテを絡めて進むストーリーは新鮮で前半は一気に読み進めたものですが、後半の「老いたる日本の会」あたりからどうも物語がよくわからなくなり、ようやく読み終えたというところです。大江さんの作品は深く、そして拡がりを持っていますから、一度読んだだけではまだ読みが浅いということかと思いますが。また、時々投稿させていただきたいと思います。
2002/11/2, いとうくにお
びよょ〜ん。さん、はじめまして。サインをゲットされたそうで、おめでとうございます。
ところで、どういったシンポだったのでしょうか。
2002/11/2, びよょ〜ん。
はじめまして。
初めて書き込みいたします。
今日、東大の駒場キャンパスで行われたシンポジウムに行ってきました。
大江さんがパネラーで参加していたので。
シンポジウム終了後、『憂い顔の童子』にサインをしてもらいました。
「これ読んだ後思わず「おぉ!」と声をあげてしまいました』」
と言ったら、
「これ読んだって言う人、始めてみましたよ!」
とはにかみながら言ってきました。
謙虚でいい人ですねぇ。ますます大江さんが好きになりました。
2002/11/2, オサム
とろりとろとり さんへ
確かに 大江健三郎全作品 には 単行本・文庫本に未収録の作品が 数篇 含まれていますよ。僕は第1巻で 読むのを挫折しましたが、その中にも いつかこの掲示板で話題になった『偽証の時』が 含まれていました。
2002/10/31, とろりとろとろ
大江健三郎全作品1〜5までブックオフでそれぞれ100円で売ってました。これは買いでしょうか?というわけではなくて、何がはいっているのか確かめられなかったので詳しい人にききたい。自分でも単行本でそろえているので、初期の作品群なら特にいそぎで買う必要はないのですが、この全作品でしか読めない作品があるならぜひ購入したいと思います。
2002/10/27, いとうくにお
アンチさん、サインを求めるならやはり大江さんの本が一番だと思います。おもいきってTシャツを着た背中を差し出すという冒険をしてみるのも面白いかもしれませんが…。
2002/10/26, ダーダー
取り替え子P74、・・・「怨望」という福沢諭吉独自の言葉を引いて話した。
・・・軽視され、貶められさえするのは、ほかならぬ「怨望」によるものだ。
P77・・・古義人には押しはかりがたい苦労を経験した者の沈潜した印象が
あった。

この部分がとても印象に残りました。
生まれて初めて大きな挫折をした時から、私の心の闇に大きな変化が生じて
いた。経験したことのないことをすることの苦しさ。時間の使い方の迷い。
でも何もやらなければ何も変わらないということだけは確信していた。時が過ぎて
いた時には継続が、苦しみから充実に変わっていた。何もしなければ、きっと
邪悪な気持ちが取り残されているようで、その気持ちから遠ざかりたい、
忘れたいと必死だった。心の勉強することは私の中の邪悪な気持ちとの闘いだと
大きな挫折をした時から感じました。自分に合った本と出会うことはとても
重要。しっくりこなければ、自分に合わないんだと思います。まだ取り替え子
途中です。それでは、また。

追伸
未来の教室という番組で、日産のフランス人の社長さんが言っていた言葉
を思いだしました。社長を止めたいと思ったことはありますかという質問
に、事を初める時に失敗や批判はつきもの。失敗や批判のない人生なんて
ありません。肝心なのは間違った批判に振り回されて、自分を見失うこと。

客観的に見て、あてはまる批判は反省しますが、間違った批判については
あまり深く考えないことです。という言葉を思い出しました。
2002/10/26, アンチ独裁政治巨党軍
いとうくにおさんを中心にお返事ありがとうございました!11月の初旬に健三郎さんが我が学校に来ることになり自由参加なんですが、僕ももちろん行く予定です!その時にサイン貰おうと思うのですが、やはり本にしてもらうのが1番良いと思いますか?他になにかしてもらって価値のありそうなのがあればアドバイスお願いします!それと健三郎さんはサイン貰いにいってくれるような人でしょうかねぇ??なにかそのへんを知ってる方がいれば返事をお願いします!
2002/10/26, ラッキー
10月22日にメールされた内海さまへ
お返事が遅くなってしまって申し訳ございませんでした。実は10月20日にもう田中 ミン(さんずいに民)先生の風倉 匠さんのジョイント・パフォーマンスは行われてしまいました、、、。もっと早くこの掲示板のメッセージを見ておけばお知らせできたのですが、、。本当に申し訳ございません。パフォーマンスの内容はなかなか言葉では表現できません。あまりの素晴らしさにショックでぼーっとなって電車を乗り間違えて家とは逆方向に走ってしまいました。こちらは大江健三郎さんのファンの皆さんのサイトだと思いますので感想はこのぐらいにさせていただきます。ミン先生とはお米の話はできませんでした。『先生ありがとう』と言ってただえんえん泣くだけでした。内海さん、早くお伝えできず本当に申し訳ございませんでした。大分市美術館での風倉 匠さんの展覧会は11月10日まで行われています。詳しくは097(554)5800 FAX:097(554)5811までお問い合わせください。大江健三郎ファンの皆様掲示板に突然失礼致しました。
2002/10/24, いとうくにお
池袋リブロというのは、池袋西武にある書店なんですね。知り合いに教えてもらいました。
2002/10/23, いとうくにお
豊田さん、情報ありがとうございます。池袋リブロというと、リブロポートのことでしょうか。
豊田さんの実践している「日常生活の冒険」のお話しも、気が向いたらお聞かせください。
2002/10/23, 豊田剛
日常生活の冒険をそっくりまねることに
憂き身をやつしている24歳です。
物語に没入しようと躍起になれば
勢い余分な物語が生れてしまう。
それでもぼくはぼくの斎木犀吉を追っているのです。
ところで来る25日金曜日小森陽一と藤井省三とが
二人して大江・春樹を語ります。池袋リブロ6時です。
大江伊丹の友愛に打たれている向きはぜひ出席
そこから何かが始まる可能性
これはゼロではないと思います。
2002/10/23, Ri
ばたばたしてチェックをさぼっているうちにありがたいお話が入っていました。うれいさん、願ってもないです。『大江健三郎論』と題されたもの4冊はじめ、「國文學」の特集号数冊などいろいろです。メールアドレスrnishi@d9.dion.ne.jpへご連絡ください。
2002/10/22, 内海
ラッキーさん、ここで「田中みん」さんの名前をみるとは思いませんでした。
何年か前ですが、白洲町の先生のご自宅へ、何回も電話をしたんですが
ご多忙中で、連絡がつきませんでした。
先生の米作り、今年はどうだったでしょうか?
私は現在、福岡県に住んでいますので、
大分での先生の舞台を見たいと思っています。
詳しいことが分かりましたら、教えてください。
お願いします。
2002/10/20, うれい
はじめまして。
いとうくにお様、これほどまで充実したHP、なかなか見られる
ものではない…といつも感心溜息を付きながら拝見させていた
だいております。
はじめまして、でいきなり恐縮なのですが、

>Riさん。
 もし研究書等、まだ引き取り手がいらっしゃらない様でした
ら、引き取らせていただければありがたいと思います。本棚半
分でも大丈夫です(笑)。

憂い顔の童子、まだ完読出来ていないのですが、文体が今まで
と微妙に違う気がします。
そう感じられた方は他にはいらっしゃいますでしょうか?
2002/10/19, ほがら
いとうさん、こんにちは。そうです。もう何年もお会いしていないのですが、征四郎さんは、捜査4課の刑事さんでした。暴力団担当の刑事といえば、マンガなどでは、どっちがヤクザかわからないほどアクが強くて、コワモテに描かれるのが常ですが、征四郎さんは正反対の方です。身体つきはがっしりしていて精悍な風貌ですが、話しぶりはお兄さんに似ていておだやかで、声はさらに魅力的です。どうやってその筋の人たちに睨みをきかしてこられたのやら、私には不思議でした。
ディケンズを読んでおられたか、たずねたような覚えもありますが、答えはどうだったか思い出せません。
2002/10/19, いとうくにお
ほがらさん、こんにちは。『キルプの軍団』には、刑事をしている忠叔父さんというディケンズ好きの人が出てきますが、そのモデルが征四郎さんなのでしょうか。
2002/10/18, ほがら
『憂い顔の童子』を読んでやってきました。ノーベル賞受賞あたりから遠ざかっていたのですが、久しぶりに大江さんの本を読んで、なんだかなつかしく、人恋しい気分になりました。
サインなら私ももっています。色紙にブレイクだと思うけど、新しい人よ眼ざめよの1節が書いてあります。
サイン入り著書も何冊かあります。大江さんの弟の征四郎さんからもらったものです。征四郎さんが私の弟の結婚式に出席してくださった折には、わざわざ、サイン入りの「キルプの軍団」を私の分と弟の分2冊取り寄せてくださいました。あの本には確か、征四郎さんもモデルのひとりで登場していたはずです。
せっかくいただいたので感想文を書いて渡しましたが、征四郎さんが大江さんに電話で「送ろうか」とたずねたら、「いらない」と返事されたそうです。たぶんかなり生意気なことを書いていたはずだから、お眼にふれなくてよかった、というのが正解でしょう。

話はかわりますが、なおさんが"Mein Jahrhundert"のことにふれていたので、"Hundejahr"のことを思い出しました。ダンティヒ3部作で"Hundejahr"を書いた若いグラスが、老年になって"Mein Jahrhundert"を書く。偶然らしさがあるにしても(駄洒落のつもりではないですよね)、奇妙ないたずらっぽい感じ、大江さんにも通じるものがあるように感じます。
大江さんのユーモア、作品の中で見せる謹厳におどけたそぶりと、グラスが「私の世紀」という硬いタイトルに重ねて、沈船まで泳ぎついてながめた少年時代の原風景がうかび上がる「犬の年」という自分の過去の作品のイメージを、はからずも読者に想起させるところ。
ちょっとこじつけすぎかな。
2002/10/18, いとうくにお
探す人さん、壽太夫さん(ことぶきだゆうとお読みするのですか?)、ラッキーさん、アンチ独裁政治巨党軍さん、書き込みありがとうございます。
アンチさん(と略しちゃってもいいですか?)、僕はサインもってますよ! 最近ファンになられたということは、『憂い顔の童子』を読まれて、ということでしょうか?
探す人さんと壽太夫さんのご投稿からは、受け止めたものを整理しきれない戸惑いのようなものが感じられるのですが、僕も同様の状態です。まずは、再読してみたいところです。
2002/10/18, アンチ独裁政治巨党軍
おはつです!!みんなは健三郎さんのファンですよね!?僕も最近ファンになりました!

大江健三郎さんの直筆サインを貰った方はいますか?いきなりこんなことを聞いて本当に申し訳ありません!!!
2002/10/14, ラッキー
大江健三郎さんの文学とは直接関係しないかもしれませんが、、。わたしの大冒険の話です。わたしは大分県の田舎に住んでいるものですが、ある日『ゴドーを待ちながら』の舞踏公演があって出演者を募集している、との新聞記事を見て矢も立てもたまらず公の芸術会館に行きました。もちろんわたしにはダンスの素養もなく無謀な冒険でした。そこには田中 ミン(サンズイに民)先生がいらっしゃっててなぜか踊ることになりました。山梨県の白州まで稽古に行って頑張って1ヶ月かけてなんとか人様にお見せできるまでに先生に仕上げていただきました。ラストはライトを舞台後方から強くあてて道の中を人が長い影をつれて歩くところで自分の影の中に静かに倒れこむ様になりました。そのときわたしは大江様の『あいまいな日本の私』ラストのところの詩を思い出して、読んでてよかった!と思いました。田中先生とご一緒にいらっしゃっていた木幡和枝さんにも挨拶されたのですが、恥ずかしいのと照れくさいのですぐに隠れてしまいました。もっときちんとご挨拶をすれば良かったなあと思っています。公演が終わって皆なとご飯を食べました。先生にご馳走になってしまいました。先生とはお米の農薬の御話をしました。全然舞踏のことをしらないから先生も凄く大変だったと思います。田中 ミン先生はまた今度大分市の美術館で風倉 匠さんとご一緒に踊られます。突然掲示板にお邪魔して失礼しました。
2002/10/13, 壽太夫
「憂い顔の童子」を読みました。衝撃を受けました。読み終わってすぐかみさんにその衝撃をそのまま話したのですが、この圧迫感を何とかしたいために初めて参加します。
学生のときも大江健三郎の小説は読んでいましたが、今までとまったく違う形であらためて接したのは20代前半のどうこれからをやり過ごしていいのか、出口がみえない中で煩悶しているときでした。雑誌に連載されていた「新しい人よ眼ざめよ」を読んで、救われた、という気持ちになったのです。そのころは毎月短編連作として載る雑誌を図書館で、借りて、読んで、コピーして、また読む、これを繰り返していました。このときから大江健三郎は私にとっては特別な存在でした。
おかげさまでその後、まともな社会生活を送っていますが、折に触れて大江作品は読み続けてきました。全作品を読んできたわけではありませんが、その中で、一番衝撃を受けたのは「万延元年のフットボール」です。どんなに絶望しても、また希望を持つことができる、という啓示は、その落差が大きいだけに衝撃でした。この啓示はいつも人生のかたわらにあった気がします。
今回、「憂い顔の童子」を読み終わった直後に感じたのは、「新しい人よ眼ざめよ」に救われ、「万延元年のフットボール」の啓示を受け取ったあのころの直前に戻ったような漠然とした気持ちです。あるいは、解けたと思って安心していたのが夢の中で、もう一度、今度は実際にその課題を解決しなければならず、暗澹としている感じです。
今回の啓示は、広く、大きく広がっているのですが、その光の強さは、十分先まで届くのか不安です。それがこの作品の大きな魅力になっているでしょうけれど。
2002/10/13, 探す人
憂い顔の童子読了。感想を。
作品中、桃太郎のお話を縦と横の軸で説明してみる記述がありますが、大江さんはこの小説もそのようにイメージして書かれたのだろうか。どのような構図が出来上がるでしょうか?
ドン・キホーテの物語、そして大江健三郎の作品、そして種々の書物。
これは「物語の物語」?
「フィクションと現実の区別もつかぬ人」と一蹴にされてしまいそうですが、すっかりこんがらがってしまいました!

どこまでも自己言及するやりかたにはちょっとアブナイものさえ感じますが、全体を「軽快に」読ませていただきました。(今までの小説に比べれば?)
この小説をすぐに再読する気にはなりませんので、『ドン・キホーテ』をいつか読んでみようと思います。
次回作にも期待!
2002/10/12, いとうくにお
なおさん、こんばんは。グラスの情報、ありがとうございます。時代に向き合うタイプの作家にとってインターネットは無視できない存在である、ということなのかもしれませんね。
2002/10/12, なお
このサイトはお気に入りに登録はしてあるものの、なかなか訪れる機会がなく(すみません!)新刊が出たのを機に最近ROMさせていただいています。以前にも一度新刊が出たときに書き込みをした記憶があるのですが。分厚くてなかなか持ち歩くこともできず、少しずつ読んでいます(憂い顔の童子)がまだ読了していないので、感想めいたものは言えません。しかし、大江作品を読みついできたものには、どの新作にも大きな「懐かしさ」を感じます。一文一文から、彼の語り継いできた世界の、以前の作品へのある「懐かしさ」(彼の多用する言葉ですね)がふわっと湧き上がるようで、時々読むのを中断して思いをいろんな方向へ馳せています。そういう時、彼と同時代に生きることができているというのを幸せに感じます。本題とは関係ないのですが、今回の引用にG.Grassがありました、極短いものですが。題名が引用されている"Mein Jahrhundert"はその分厚さに躊躇して読んでいませんが、私は個人的にドイツ文学をよく読むので、今回面白く感じたことがありました。グラスの最新刊は"Im Krebsgang"という本なのですが、そこで大きな役割を果たしているのがとあるインターネットのサイトなのです。ドイツでは「今までにないグラスの文体だ」といわれているようですが。ある程度の年齢の作家が、今まで殆ど扱うことがなかった、インターネットという媒体に触れる、っていうのは、偶然の一致ではあれ、興味深い傾向だ、と感じました。偶然ではあるでしょうが、大江はグラスとも親交があるようですしね。それでは、長々と書きましてすみません。これからも時々寄らせていただきます。
2002/10/12, いとうくにお
小林さん、読み飛ばしてしまうことなんて、僕もよくあります。でも、大江作品が読める間は、まだ相当やれると思っていいのではないでしょーか。
『性的人間』でビンゴでしたか。解決してよかったですね。
2002/10/12, 小林みのり
いとうさん、ヒチコさん、ごめんなさい
どういうわけか、読み飛ばしていました。

いよいよボケの回りが危機的状況かっ?(~_~;)
『性的人間』、そうですそうです。
いやー、こういうのって、気になり出すと、はっきりするまで喉になにか詰まったような気持ちの悪さが残るのです。
すっきりしました。

どうもありがとうございました。
2002/10/12, いとうくにお
小林さん、こんにちは。8日のヒチコさんの書き込み、ご覧になりましたか。『性的人間』がお探しの作品ではないかというご投稿。僕もそうじゃないかと思うんですが、よかったらご確認ください。
2002/10/12, 小林みのり
小林みのりです。
いとうさん、レスありがとうございました。
お礼が遅くなってすみません。

作品名と内容って以外とリンクしないものですね。いくら考えても思い出せないなんて、だいぶボケが回ってきたなと思う今日この頃……。

>『人生の親戚』とか『燃えあがる緑の木』三部作のどれかとか、そのあたりの名前が思い浮かびます

 いえ、どちらもわたしは読んでいません。もっと初期の作品だと思います。でも、ありがとうございました。

 大江作品は初期のものはすべて読んでいますが、70年代以降はほとんど読んでいません。大江健三郎の最高傑作は『万延元年のフットボール』だと信じて疑わないオールドなファンです(^^ゞ

 でも、『取り替え子』はおもしろかったですね。ただし、これは出歯亀的好奇心を刺激するおもしろさですが。
 『憂い顔の童子』は読んでみたいと思っています。

 どうもありがとうございました。これからもちょくちょく覗かせていただきます。いとうさんの作品紹介は実に参考になります。
2002/10/11, いとうくにお
住友さん、ご感想ありがとうございます。初回は筋を追うのに夢中になって、というお話、よくわかります。僕もリリーディングしたい!
2002/10/10, 住友
こんにちは。『憂い顔の童子』読みました。
どんな本でもそうなんですが、一回目の読みは筋を追うのに夢中になって、読後に残るのは「あ〜面白かった」などの感想と気に入ったいくつかのかっこいい場面・セリフのみなんてことになってしまいます。これはこれでとても楽しいけれど。
そういう読み方のせいか、『憂い顔の童子』は、登場人物やエピソードがフル活動しないまま退場していくような、「あれ、あの人あれで終わりか」「あの話は一体どうなったのか?」と感じることが多かったです。re-readingの必要性を痛感しました。

それとも『海辺のカフカ』を読んだあとだったので、個々のキャラクターが劇的に繋がっていくことに期待しすぎたのかもしれません。

大江健三郎は別格として、私も村上春樹好きです。村上春樹の小説を読むきっかけになったのは三浦雅士著『青春の終焉』。よく売れた本だそうで読まれた方も多いかと思います。そこに、「『万延元年のフットボール』の鷹四のキャラは村上龍、蜜三郎のは村上春樹作品の登場人物へと受け継がれていく。物語の中で、龍は蜜を、春樹は鷹をあらかじめ解雇している。」というようなことが書いてあって(正確な引用ができなくて申し訳ないです)、大江ファン特に『万延』ファンとしてはどっちも読んでみたいと思ったのです。そのうえで、「村上春樹はいいなぁ」と思うのは、鷹四、吾良、斎木犀吉をかっこいいと思いつつ、蜜や古義人に肩入れしているということかなと考えたりもしました。つまり大江さんの分身のほうに!

つい長くなって、いとうさんにはお手数おかけします。と言いながら、『憂い顔の童子』リリーディング後にでもまたお邪魔するつもりです。では。
2002/10/9, 森陽子
Riさん、ありがとうございます。住所を送りますので、メールをください。
sa201446@fsinet.or.jp です。卒論を書く方はいまのところ身近には思い当たりません。
お役に立てなくてごめんなさい。Easyseekなどに掲載してみられてはいかがですか?古本情報がたくさんのっていますよ。
2002/10/8, Ri
1年半ぶりの投稿です。時々開いてのぞかせていただいています。森陽子さんお探しのビデオ、送料のみでお譲りします。前の投稿も、「お譲りします」でした。研究書等かなりいろいろ持っていますが、卒論を書かれる方などで引き取って下されば、送料だけでお送りします。新本古本混じってますが、本棚半分ほど、ごそっともらって下さる方はないですか?
2002/10/8, いとうくにお
ヒチコさんのいうとおりのようですね。僕もいま見てみました。朗読する詩は、ブレイクではなくボードレールですね。
2002/10/8, ヒチコ
ごぶさたしております、ヒチコです。

小林みのりさんのご質問ですが、『性的人間』(新潮文庫ですとP.30あたり)ではないでしょうか?

もう解決済みでしたらゴメンなさい。
2002/10/6, 岡田ehime
ペコママさん、講演会レポートありがとうございました。
いとうさんが書かれているように自分まで講演会に参加したような気分になりました。
嬉しいです。
(もし高校生対象の講演会だったのなら爆笑問題のビデオがどのように活用されたのか知りたい気もします。)

内海さん
>大江さんは、ここを見てるのかもしれませんね。
そ、それは考えてもみませんでした。
でも作品はあくまでフィクションですから
古義人がサイトを見たという記述がないからといって
大江さんも見ていないとは限りませんね。
(過去にはもちろんコピーをお送りしているわけですが)

>見るのは勝手ですが、この「掲示板」に書きこんだりしないで下さいね。
>だって、みんな退いちゃいますから・・。
えー、私は書き込んでくださったら嬉しいですけれど・・・。
でもたしかにそうなると緊張はしますね。
前田kさんが教えてくださったサイトは
村上さんが読者のメールにお答えするページがありますね。
(ちえさんの教えてくださったことも見つけました。)
あんな感じで大江さんがお返事くださるものがあっても
大江さんの添削癖からして
あまり違和感がないようにも思います。
期間限定でもそう言う試みしてくださったら嬉しいです。
(ってだれに書いているかというと
 ひょっとして読んで下さっているかも知れない大江さん宛ですので
 いとうさんプレッシャー感じないでくださいね)
2002/10/6, いとうくにお
ペコママさん、レポートありがとうございます。とても詳しく書いていただいたので、それを読んで自分も講演を聞いたような気分になれました。なんだか得した気分ですよ。それにしても、いつもながらユーモアにあふれる楽しい講演だったみたいですね。
2002/10/6, ペコママ
いとうさん、みなさんお元気ですか!
遅くなりましたが、9月14日明石市民会館において行われた講演会のレポを書きます。
みなさんに少しでも多くお伝えしたくて長いレポになってしまいました。
(姉のメモと合わせての合作です。)
*力作ですので、別のページに掲載いたしました(いとう)
2002/10/5, 森陽子
はじめまして
大江健三郎とミヒャエル・エンデの対談ビデオ「芸術家その内なる声」をお持ちの方おられないでしょうか。ずっとさがしているのですが見つかりません。有料でもゆずってくださる方がおられたら嬉しいのですが。宜しくお願いします。
2002/10/5, ダーダー
取り替え子を読んでいます。1日ちょっとずつですが大江さんの
本は不思議に気持ちが入っていきます。読み終わったら、憂い顔の童子
読みたいです。それに村上春樹さんの作品にも興味が湧いてきました。
白石ヒロ様の不平等、不正義は憎しみを生むという言葉、共感しました。
みなさんの読書量にはまだまだおいつかない初心者マークのダーダーでした。

追伸 いとうさん、「なにくそ、なにくそ」とはいいですね。
2002/10/4, いとうくにお
小林さん、どなたからも回答がないですね。僕も記憶にないのですが、女性が重要な役割を果たす物語ということで連想すると『人生の親戚』とか『燃えあがる緑の木』三部作のどれかとか、そのあたりの名前が思い浮かびますが、、、
内海さん、お久しぶりです。このサイトが少しでも息抜きになれば、うれしいのですが。大変なとき、僕はよく大江さんの小説に出てくる「なにくそなにくそ」という言葉を思い起こします。
2002/10/4, 内海
お久しぶりです、内海です。生活に追われています。
大江さんの新しい本が出たそうなので情報を求めて「掲示板」を覗いています。
そうですか。この「ファンクラブ」がモデルに・・?
大江さんは、ここを見てるのかもしれませんね。  緊張するなァ。
大江さん!
見るのは勝手ですが、この「掲示板」に書きこんだりしないで下さいね。
だって、みんな退いちゃいますから・・。
2002/10/2, 小林みのり
はじめまして

質問があります。どうしても思い出せないので,お知恵を貸していただけませんでしょうか。

大江の作品で、女性がブレイク(?)の詩を朗読している声をテープで再生する場面が登場するものは、なんというタイトルだったでしょうか。それはエロチックな場面なのですが、女性は性的な刺激を受けながらその詩を朗読するのです。声がだんだん乱れてきて,最後は詩を読めなくなってしまう、という話でした。

どうかよろしくお願いします
2002/10/1, いとうくにお
ちえさん、こんにちは。両方好きって、大きな声で言ってもいいと思いますよぉ。
『海辺のカフカ』には、四国の森まで出てくるんですね。ちらっと意識した程度かもしれませんが、無意識のレベルではもっと大きい影響があったかもしれませんね。まあ、だからどうだということではありませんけども。
2002/10/1, ちえ
こんにちは。
『憂い顔の童子』はまだ手付かずですが、『海辺のカフカ』は読了していますので、少しだけ。
いとうさん、そうです『海辺のカフカ』の舞台は四国です。しかも主人公はその四国の「森」へ入って行ったりします。ある読者からの「”四国の森”といえば大江さんを思い浮かべてしまうけれど、書いているときにちらっとでも意識しませんでしたか?」という質問に「ちらっとは意識しました。でもそれは書きながら『そういえば・・・』という程度に。」と村上氏は答えていました。
岡田ehimeさん、あまり大きな声では言えませんが、わたしは大江氏、村上氏、お二人とも好きです。
さかさん、わたしもこの二方が合わせて論じられているものを読んでみたいです。ご存知でしたらお教えください。

ではまた。
2002/10/1, いとうくにお
qmさんの書き込みを読んで気付いたんですが、ファンとファナティックって同根の言葉なんですね。辞書によるとfanはもともとfanaticの短縮形だそうで。そういう意味で、大江さんがファンクラブという言葉にマイナスイメージを持っているのではというqmさんのご指摘は妥当ですね。
しかしまあこれまで大江さんに対して掲示板の抜粋を何度か郵送したり、こちらの集まりに対して本を贈っていただいたり、このサイトに大江さんの写真を掲載することを許可していただいたりという経緯もありますから、少なくともこのサイトが狂信者(ファナティック)の集まりではないというところはご理解いただいていると思いたいです。
ちなみに、僕が「ファン倶楽部」と名付けたのは、自分は難しいことは語れない、しかしそういう読者であっても大江作品のことを語り合いたい、そういう読者のための場があってもいいじゃないかという一種の開き直りの気持ちがありました。「冗談」というわけではないですが、ストレートな命名でもないんですね。
2002/9/30, qm
内容はともかく、「ファンクラブ」という言葉には大江サンはマイナスのイメージを持っているのではないでしょうか。「ファナティック」を批判する大江サンの文章を読んだ記憶があります。
私も初めてこのサイトを拝見したときは、冗談かなと思ったりしました。
もちろん、私にとっては大江サンについての情報を得て、皆さんから学べる楽しみなサイトなんですが。
2002/9/30, いとうくにお
「長江古義人ファンクラブ」のことですが、岡田さんが賛同されているローズさんの言葉がありました。その部分に、どちらかというと大江さんの心情があるのではないかと僕は受け取っています。掲示板に批判の書き込みがあったという小説内のエピソードは、掲示板の存在そのものを否定的に捕らえたものではないだろうと(暢気すぎるでしょうか)。
ところで、さかさんと岡田さんのお話を総合すると、村上春樹の『海辺のカフカ』は四国を舞台としたもののようですね? そちらも読んでみたくなりました。
2002/9/30, 岡田ehime
「憂い顔の童子」読み終えました。
みなさんの感想を是非お聞きしたいです。
また再読したいと思います。
私自身は主人公の古義人に
非常なる愛着をもってよみました。

文中にでてくる「長江古義人ファンクラブ」なるサイトの
モデルはおそらくここなのでしょうね。
(今回の作品には虚実いずれかとひっかかるところが
 沢山でてきますね。)
批判する書き込み云々の部分はフィクションと思いますが。
それよりも
「そう言う新しいタイプ(岡田注・インターネットを活用できる)
 の読者がでてきている以上
 古義人の文学世界は、過去よりも
 むしろ未来に向けて開いているのじゃないかしら」
というローズさんの言葉に強く賛同したいです。

さかさんはじめまして。
私自身は駆け出しファンで
知識もないのですが
「合わせて論じられることも多い二人の作家」
一方は村上春樹氏のことですよね?
私も最近二人のことが気になっています。
もし二人のことを論じたり
お互いについてのことを言及したようなものがあれば
教えて頂きたいです。
村上春樹さんについてもあまり予備知識無いので
前田kさんがおっしゃっていたような
お二人のファンの方がいらっしゃれば
お教えください。
とりあえず
「海辺のカフカ」読んでみます。

(長々と書き込みごめんなさい)
2002/9/30, さか
はじめまして、RB26DETTさん。
「取り替え子」の進化&深化版という予想は、僕はほぼ正しい、と思います。「アレ」はやはり小説の中心になりますし、基本的な小説のトーン、迫力も通底するものがあると、思います。ただ、ほぼ、といったのはやはり、「取り替え子」とは異なるトーンも、濃厚だと思うからです。でも、残念ですが、正直なところ、そんなに偉そうに、それ以上のことをいえるほど、僕にはこの小説を咀嚼できていません。だから、異なるトーンて何だろうと言われると、うまく答えることはできません。。
 それにしても、合わせて論じられることも多い二人の作家による、同じ四国を舞台にした二つの小説が、同じ9月に、これだけ対照的な内容をもって登場したというのも、不思議ですね。しかも、どちらも、面白い(と僕は思いますが)。
2002/9/30, RB26DETT
久しぶりに投稿します。
ひたすら、大江作品を読み返してきましたが、「政治少年死す」を手に入れて、一気読みし、長年の夢が叶ったせいか、急激に読書欲が減退してしまい、その後は、古いエッセー等を拾い読みする程度になっていました。
27日、「憂い顔の童子」を買いに行きました。内容に関する予備知識は全く無く、序章を読み始めたばかりなのですが、「取り替え子」で少々未消化だったものが、新作で完全消化されるのでは、と期待しています。つまり、僕は、「憂い顔の童子」は、「取り替え子」の深(進)化版だとの予断をもって読み進めようとしているわけです。
「さか」さん、そのあたりはどうですか?
2002/9/28, いとうくにお
さかさん、hirayamaさん、はじめまして。さかさんからのご質問の件ですが、まだ僕も読んでいる途中で、その部分に至っていません。ただ、そういう集まりはここ以外にないと思いますので、ここが下敷きになっていると言ってもいいかもしれませんね。
hirayamaさん、僕も沢木耕太郎が好きで、『深夜特急』や『一瞬の夏』などは自分の読書体験のなかでも最良の部分だったと思っています。気が向いたら、またご投稿いただけるとうれしいです。
2002/9/28, k.hirayama
もうすぐ50歳になろうとしている主婦です。初心者マークをつけて恐る恐るPCを操作していたら,偶然このサイトをみつけました。大江さんに熱い思いを寄せているたくさんの人びとの生の声がきけて感激しました。過去に遡ってせっせと皆様のメールを拝見した何日間かはとても充実した日々でした。やがて1年になろうとしています。心があわ立つとき大江さんや村上春樹さん、沢木耕太郎さんの本を手にすると、なぜか(心が)鎮まります。そしてこのサイトを毎日拝見することが、同じような(鎮静)作用を自分に及ぼしてくれていることに最近気づきました。これからもよろしくお願いいたします。
2002/9/28, さか
 はじめまして。高1の頃から大江さんの本を読み始めて、今大学4年になる
者です。今日、『憂い顔の童子』、読み終わりました。まだ感想とよべるほどのものは形を成していませんが、久々に、本当に深い読書経験をしたのではないか、という感触が残っています。ずしっとした何ともいえない重みを感じます。過去、現在、そして死に対して、これだけ生真面目に、誠実に、(もちろん肯定的な意味で)どんくさく、痛々しいまでに鋭く向き合うことが、ありうるという、それを垣間見ること自体が、僕には何ともいえない、経験で、自分の浅薄さと、「語彙」の決定的な不足を痛感しました。
 ひとつ、質問なのですが、途中、あまり好ましくないエピソードとして登場する
「長江古義人ファンクラブ」というのは、このサイトのことなのでしょうか。僕はむ
しろそこから、このサイトを発見したのですが。
P.S.
 もちろん、フィクションとノンフィクションとをそのように混同する読み方が妥当
かどうかは、留保するとして。
2002/9/27, いとうくにお
ちえさん、おひさしぶりです。お変わりないようで、なにより。僕はまだ表紙を見ていないのですが、ちえさんの書き込みをみて、どういうふうなものかいっそう楽しみになりました。
2002/9/27, ちえ
大変長らくご無沙汰しております。ちえです。
皆様お元気そうでなによりです。わたしも元気に暮らしております。(今はちょっと風邪気味でマスクをして仕事していますが。)
ちょっとややこしい状況を自分で作っておりまして、メーリングリストは受信しているものの目を通す機会があまりなく、こちらは時々見にきています。
さて、こちらを覗き来ているおかげで、昨日早速『憂い顔の童子』を入手することができました。(みなさんの情報網はすばらしいですね。ありがとうございます。)最寄JR駅駅ビルの、比較的大きな本屋さんで平積みされていました。どうもわたしは『取り替え子』トーンの表紙を目で探していて、はじめは見つけられなかったのですが。(『取り替え子』は明るめの印象を受けたのですが、今回はちょっと暗いかなぁと。)分厚くて読み応えがありそうですね。
久保さんの投稿にある村上春樹ですが、以前前田さんが紹介してくださった(前田さんありがとうございます。)期間限定サイトで、読者のメールを受け付けそれに作家が答えています。わたしも読了後、メールを送りました。返信は直接もらえるのではなくHPにUPされるので、毎日ドキドキしながら見に行くのですが、わたしのメールに必ずしも返事がもらえるとは限らないし、もらえたとしてもまだまだ先のようです。
もし返事をもらえなくても、このような「近い」やりとりはなかなか嬉しいものですね。
大江さんもこのような・・・あったら嬉しいけれど似合わないような気もしますね。

とりあえず目の前にある仕事をかたずけてから、じっくり『憂い顔の童子』に取り掛かりたいと思っています。
それでは、また。
2002/9/26, イオリ
森林さん、いとうさん、こんばんは。私も今日、書店に足を運んだのですが、残念ながら発売されていませんでした(;_;)
明日は絶対手に入れてやるぅ〜!今、遠足前夜の小学生的気分です♪
2002/9/25, いとうくにお
森林さん、こんばんは。おー、もう出ていましたか。こちらは注文してるので、宅配便で届くのを待つしかありません。早くこないかな。
2002/9/25, 森林
いとうさん、今晩は。
今日「憂い顔の童子」を買ってきました。
26日発売と聞いていましたがひょっとしてと思い書店に
たち寄って山積みされている新刊を見つけました。
なんだかうれしくなりご機嫌で帰宅しました。
序章に「たこ」の話が出てきてビックリしました。
掲示板の話題と一致していたのは偶然の一致ですか。
それにしても「たこ」の話は初耳で、大江さんの作品は
小説以外も結構読んでいると思っていたので少々気落ちしています。
1、2章を読みました。つづきは、週末の楽しみにとっておきます。
2002/9/25, いとうくにお
イオリさん、大江さんのお話(ギャグ?)のご紹介、ありがとうございます。成城のスーパーだとアフリカ産のタコなんぞも売ってるんでしょうか。
2002/9/25, イオリ
いつも近所のスーパーではアフリカ産のタコを買っていた、とか、オクトパスの名前のオクトというのは8を意味しているのに、オクトーバーは10月だ、とか、そんな話でした。地元人にとってタコの話は笑いのつぼです(^−^)
2002/9/24, いとうくにお
イオリさん、こんにちは。講演会のお話、ありがとうございます。僕は知りませんでしたが、明石はタコが有名なんですね。調べたら、兵庫県はマダコの漁獲量が日本一だとか。大江さんのタコの話というと、捕まえたか買ったかしたタコを電車で持ち帰るとき、電車内で逃げ出してしまったという経験のことでしょうかね。
2002/9/24, イオリ
9月14日、大江さんの講演会に行ってきました。初めて見る生大江に感激しました。明石で行われたので、タコの話から始まり、客層のイメージが違っていたことを嘆かれておりました。幼い頃、公民館、学校の図書館にある本を全て読破したこと、「公」という言葉について、などなど。大変面白いお話でした。大江さんの冗談も冴えていましたよ。
2002/9/20, いとうくにお
長江さん、情報ありがとうございます。
2002/9/20, 長江
発売日を「講談社お客様センター」に尋ねたら、26日とのことです。
2002/9/18, くにこ
そうですよねえ。知らない訳はなく、みなさんアマゾンを見てよくわかっていらしたのだなあ・・。お恥ずかしい。人工衛星を目で追えるところに来て8年。神保町まで30分で行けるところにいたので、新刊は三省堂でわかるだろうとおもっておりましたが、時代?は変わっていたのだなあ・・。私も教えていただいたアマゾンに注文いたしました。ありがとうございました。
2002/9/17, いとうくにお
くにこさん、こんにちは。オンライン書店のアマゾンでは受付を開始していましたよ。私も注文しました。
2002/9/17, くにこ
辺鄙なところに住んでいるもので、はなから近くの書店はあきらめて、
さっそく講談社に新刊を注文したのですが、なしのつぶて。
もうみなさんご存知かもしれませんが、大江さんの新刊は9月下旬の発売に
変更だそうです。神田の三省堂さんで確認しました。
2002/9/12, いとうくにお
qmさん、こんにちは。新刊の情報ありがとうございます。僕もいまアマゾンで確認しました。確かに「在庫切れ」ですね。新刊で在庫切れとは、いったいどういうことかなあ。
2002/9/12, qm
 大江サンの新作が出たようですが、近くの書店にはまだありませんでした。Amazon.comでは在庫切れとなっていましたが、余程印刷部数が少なかったのでしょうか。読まれた方の感想等をうかがえるのを楽しみにしています。
 いとうさん、qmは全く意味なしです。生々しいハンドルネームはやめて単なる記号にしたくなったので。
2002/9/8, いとうくにお
qmさん、こんにちは。qmの由来は、なんでしょうね。
僕も大江さんの講演についてのお話、うかがいたいです。
2002/9/8, qm
やまめ改めqmです。
サトシさんの投稿に刺激されました。僭越ながら、その前のいとうさんの投稿と合わせて読ませていただくと、なんとも傑作だと思います。
ただ、ノーベル文学賞は長期にわたる作家活動への評価ということだったと記憶していますが、どうだったでしょう。
ところで、この夏各地で大江サンの講演があったようですが、聞かれた方のレポートをお願いしたいです。
2002/9/7, サトシ
こんにちわ。
始めて大江健三郎作品を読んでいます。「個人的な体験」を読んでいます。村上春雄に似てると思います。
ただ、ノーベル文学賞が取れるとは思えません。
次の大江健三郎作品を読んでみます。
2002/9/5, いとうくにお
こばやしさん、こんにちは。この掲示板は、いただいた投稿を僕が手動でこのページに掲載するというやり方を採用しているのですが、いただいた投稿は基本的にすべて掲載するようにしています。そういうわけで、けっこういろいろな立場での書き込みがありますね。ただ、文学的な意味での批評性もないたんなる誹謗中傷のようなものについては、掲載していません。ごくまれにそういうものもあります…。
yoshinoriさん、『火鍋子』を注文しました。料金は雑誌代900円に送料210円(メール便)で合計1110円。まだ届いていないのですが、雑誌といっしょに振込用紙がきて、それで料金を振り込めばよいようです。
2002/9/5, こばやしようじ
おひさしぶりです。
ちょっと暇だったので、この掲示板の設置当時に遡って投稿を読んでみたんですが、最初の頃はずいぶんエキサイト気味の投稿もあったんですね。今の掲示板の雰囲気の方が、ほのぼのしていて好きです。
2002/9/1, いとうくにお
yoshinoriさん、情報ありがとうございます。『火鍋子』という雑誌の存在は知りませんでした。ご紹介いただいたサイトで注文もできそうですね。
2002/9/1, yoshinori
『火鍋子』という雑誌で、『中国人民』で掲載された「大江健三郎の見た北京」の完全版が紹介されています。

大江さんが「源氏物語」を暗記していることに、中国の文学者が驚いていたようです。

http://www.t-gh.bias.ne.jp/~tys-tnkw/
2002/8/31, いとうくにお
前田さん、こんにちは。情報ありがとうございます。「本を読むことと、人生を生きていることとが確実に結びついてくる」というのは印象的な言葉ですね。大江さんらしいし。
2002/8/31, 前田K
御久し振りです、伊藤さん。MLの方は毎回、拝見しております。
『徹子の部屋』で朗読した童話は何時、刊行されるのかと待ち遠しく思って居ります。
さて、本日届いた雑誌の束の中から、大江さんに関するものを以下に引用します。

>岩波書店PR誌『図書』九月号、巻末「こぼればなし」より
>八月三日、第四回信州岩波講座が長野県須坂市で始まり、「本を読むことに、つなぐ」と題
>する大江健三郎さんの講演が行われました。
>一一〇〇名を越える満員の会場で、大江さんは、「どんな本を読んだか、どういうふうに
>読んできたかを、実際に役に立つような形でお話します」と切り出しました。六十代のい
>ま、ドストエフスキーの『罪と罰』を、四たび読み返しているそうです。
>そして最後に「人生のなかで繰り返し読んでいける本が必ずある。それを生きる糧として
>心に留めておいて、その本を受け止めることができる状態のときに、熱中して読めばい
>い。すると本を読むことと、人生を生きていることとが確実に結びついてくる」と結んだ
>のです。

『波』九月号は、平野啓一郎・吉本ばなな・村上春樹各氏の新作に関連した、寄稿とインタヴューが充実しています。村上氏に関してはhttp://www.kafkaontheshore.comに、より詳細なインタヴューが載っているとか。確か、大江・村上両方が大好きという方もMLにはいらっしゃいましたよね。
2002/8/31, いとうくにお
森さん、はじめまして。『「自分の木」の下で』は読みやすいし、若い人向けなので、悪くない選択だと思いますよ。印象に残った部分を選んではいかがでしょうか。あと、主人公の年齢が自分に近い小説などもいいかもしれませんね。『芽むしり仔撃ち』『キルプの軍団』『静かな小説』などがそれにあたります。
2002/8/30, 森 智愛
高校生ですが。
今度の放送の大会の朗読部門で
大江健三郎の本を読みたいと
思っているのですが、お勧め本
とかありませんか?
今、とりあえず「自分の木」の下で
をよんでます。
2002/8/28, 植村要
こんにちは。

白石ヒロ様
お盆で帰省していましたので、
ご連絡が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。
「徹子の部屋」のビデオのことについてですが、有難うございました。
ちゃまんさんに教えていただきました「徹子の部屋辞典」で
内容を読ませていただきました。
わざわざご連絡いただいてのご好意でしたのに、もうしわけありませんでした。

大江健三郎の書く童話というのはこういう感じなのか
と興味深くよませていただきました。
それにしても、最近の大江さんはよくテレビに出演されるようになりましたね。
日にちは忘れましたけど、お盆に
NHKにもアドバイザーというかコメンテーターという立場で出てみえましたし。
小説を書いて「魂のことをする」ばかりではなく、
誰とでも気楽に付き合うように方針転換されたのかという印象がします。
身近な場所から解りやすい言葉で語らなければ多くの人には伝わらない
ということなのでしょうか?
2002/8/23, いとうくにお
長江さん(ITTENさん)、おひさしぶりです。小森氏の評論、よかったですか。先日、池袋のジュンク堂で氏のセミナー(大江さんに関するもの)も開催されたようですね。評論は苦手なんですが、今度、読んでみようかな。
2002/8/23, 長江
ITTENと、名乗っていたものです。本当の名前は長江です。
『取り替え子』は、ナガエ絡みも含めて、色々と悩ましい作品で、理解が滞り、
しばらく読み返すこともなかったのですが、やがて出るであろう新作に備えて再挑戦中です。
小森陽一が講談社から先頃出した大江健三郎論を読んで、ようやく気持ちが整理されたようでした。
わたしにとって本当に、ハードな作品です。知ること、考えることにつき、痛々しい気持ちにさせられます。これが、文学の力のひとつなのでしょうか。
あわせて、一日かかりっきりで文庫の『宙返り』も読みました。
この本には、「倖せ」という文字が頻出しますが、わたしにとっても倖せな読書になりました。

・・・なんて、おセンチな感想を述べられるこの掲示板に感謝しています。
これからも、またよろしくお願いします。
2002/8/17, ぽぽ
1980年に刊行された「現代伝奇集」って御存知ですか。
先日古書店で入手しました。文体の異なる3つの短編が入っています。
2002/8/16, いとうくにお
みなさん、書き込みありがとうございます。このところ、毎日外出する用事があって、炎天下を歩いていますが、日陰に入ると案外暑くなく、夏も盛りを過ぎたんだなという感じがします。
サッチャン、おひさしぶり。すでにメールでお知らせしましたが、メーリングリストはまだ健在ですよ。ぜひ再登録してくださいね。
2002/8/16, サッチャン
残暑見舞い申し上げます!
このお盆に頑張りまして
1.色男NO.1語録平成13年度版
2.「リーダー失格」(福祉界初の?お笑いノンフィクション)
昨日は「誤字脱字」というテーマです。国語つながりでいかが?
3.緊張と緩和のらすぱら☆ちゃっと
 今日の23時より早速お披露目チャットします。(話題フリー、かなりカオス
かも?)
のコンテンツを用意しました。ぜひぜひ、お越し下さいませ。

PS MLってまだ健在ですよね。メアドを変えてから再登録をしてなかったのか
な??
http://laspara.tripod.co.jp/
2002/8/16, 久保幸恵
いとうさん、ありがとうございました。
2002/8/15, くにこ
大江さんがテレビで言っておられた「長い時間をかけた人間の経験」林京子著を読みました。「老人と海」も、最近やっと読み終わったところです。又、良いものを、知らなかった深いものを、教えていただけたと感じております。
2002/8/14, 森林
掲示板への書き込みがとぎれがちなので久しぶりに投稿しました。
2度目ですが。
文庫版がでたので「宙返り」を読み直しています。大江さんの小説は、
感動してしまうのですが読み返すのには気力が必要で再読したのは
「静かな生活」以来です。
以前は気づかなかった表現や内容に考えさせられながらゆっくり読ん
でいます。
いつかは、すべての作品を気ままに読み直してみたいと思います。
話題になっていた「政治少年死す」はずいぶん昔に古本屋で見かけた
ことがあります。買って読みましたがいつの間にかなくしてしまいま
した。
新刊が出るとの情報がありますので楽しみにしています。詳しいこと
をご存じでしたら教えてください。
2002/8/14, 鈴木健司
高知大学人文学部で教師をしているものです。専門は宮沢賢治で30年くらいやっています。今年で49歳になりますが、高知には七年前にきました。
さて、大江との関連ですが。今年の6月に刊行した第二著書『宮沢賢治という現象』(蒼丘書林)の一章で、大江の『万延元年のフットボール』と『燃えあがる緑の木』を取り上げ、宮沢賢治との比較研究を試みてみました。そのあたりが契機となって、この8月、9月と、大学院の授業の一環として大瀬のフィールドワークを予定しています。興味のある方がいらっしゃいましたら、高知大学のホームページから私のメールアドレスを通じて、ご連絡ください。
オフ会の「銀河鉄道」ですが、私も二年前に飲みました。高知大学宮沢賢治研究会の面々と分け合ったので、コップ5分の1ばかりでしたがおいしかったですね。
2002/8/14, ソフィア
「徹子の部屋辞典」で対談を読みました。(当日放送を見ることができず、ヴィデオにも失敗してしまいましたので)。徹子さんと大江氏の節度ある親しみの気持ちが伝わって来たと思います。でも、やはり、大江さんの言葉は、話し言葉よりも書き言葉に限るような気もしました。研ぎ澄まされた書き言葉の中に大江個人の魅力があふれていると思います。

ところで今、私は「人生の親戚」を読み直しています。この小説を通じて「死」と言うものについて考え直してみたいと思います。(別に現実的に重いものを抱えているわけではないのですが・・・)。また感想を書きます。
2002/8/11, 雪子
はじめまして。私は友人の影響で大江文学を読みはじめた大学生です。
最近、大江健三郎さんの最初の小説であろう「火山」(銀杏並木賞を受賞した作品)を読んでみたいと思っています。どの本に収録されているか等、何かご存知の方がいらっしゃったら教えてください。よろしくお願いします。
2002/8/10, ちゃまん
↓の「徹子の部屋辞典」というファンサイトにも、大江さんとの対談の概要が紹介されていました。

http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/z14-8-6.htm

ご参考まで。
2002/8/10, 白石ヒロ
植村要様
徹子の部屋の 件ですが ダヴィングは 出来ませんが もし 良かったら ヴィデオ お貸しいたしますので ご住所お知らせください。
hirobee@peach.ocn.ne.jp
2002/8/10, いとうくにお
RB26DETTさん、おめでとうございます。ご感想、楽しみにしていますね。
2002/8/9, RB26DETT
久しぶりに投稿します。
すごく嬉しい事があったからです。
ついに「政治少年死す」を手に入れました。
まだ、読んでいません、今からです。
読後感想は後日投稿したいと思います。
2002/8/8, きみどり
どうもこんにちは。
この間「宙返り」が文庫本で出ていたので買いました。今、二回目を読みはじめた所です。 オサムさんの「ブラックホ−ル説」、面白いなぁ!と思いました。 私が勝手に思う、ブラックホ−ルというものは、そこに吸い込まれたらその先は無ではなく、泉のような場所にたどりつく。。というものです。その考えに基づくなら、あの物語で亡くなられた人達も、ある意味浄化されたんだ、と思えて自分自身も救われた気持ちになります。
−ところで、ちょっとお伺いしたいのですが、大江さんは大阪府内で講演する予定などは今の所ないでしょうか?? あれば是非行きたいのですが。。
2002/8/8/, 植村要
いとう様、皆様お元気でしょうか?
かなり久しぶりの投稿になります植村です。

さて、6日の『徹子の部屋』のことです。
私はこの放送のことを全く知らなかったので、見ることができませんでした。
前日まで沖縄へいき、米軍普天間飛行場移設地の辺野古と伊江島の反戦平和資料館などの見学にいっていましたので、疲労から、6日は何もせずに寝ていました。
それで、朝食昼食兼用の食事をしながらテレビをつけたところ、大江さんと徹子さんが「有難うございました」と、放送終了の挨拶をしてみえるところでした。とてもショックで残念でした。
そこで、このHPのことを思い出したわけです。
誰かビデオに録画された方はみえないか、聞いてみようということです。
貸していただくのでも、ダビングしていただくのでも、どのような方法でもかまいません。録画された方がみえましたらお知らせいただけないでしょうか?
2002/8/8, 嶋崎靖
チンドン屋をやっております嶋崎と申します。”徹子の部屋”で大江さんが、「チンドン屋が世界平和を訴え紛争地帯を廻る」と言うお話をされていたと、友人から連絡が入りました。私どもは、紛争地帯と言うわけにはまいりませんが、まさにそのような思いで、とりわけ世界を席捲する”英語帝国主義”とでも言ったようなものに、”寛容と共存”を訴え、交流を図ろうと、英・米と長期の草の根ツアーを実践しています。
 大江先生にも直接お手紙を差し上げようと思いますが、ご興味をお持ちいただき、ホームページを覗いて頂ければ幸いです。
http://www.ne.jp/asahi/u-stage/tokyo/
2002/8/8, いとうくにお
オサムさん、ボスゴロの解説ありがとうございます。ボスがグロテスクになってしまってボスグロ、なんて言葉もあるかも。(笑)
2002/8/8, オサム
「ボスゴロ」トハ 勝手知ったる他人の家(ママ)で 頼まれもしないのに ボス顔して ア〜だ コ〜だ 新入りに 指図する奴です。
「ゴロツキ」の「ボス」 から 来ているのだと 思います。
 では!!
P.S.いとうさんが レスしてくれるのは 嬉しいものですネ。ありがとうございます。
2002/8/8, オサム
あっ 「ボスグロ」じゃなった!
「ボスゴロ」でした。
では 度々 シッツレイシマしたァ〜
2002/8/8, いとうくにお
オサムさん、おひさしぶり。師匠=ブラックホール説、面白いですね。そういう捉え方も成り立ちそうです。ところで、ボスグロってなんでしょうか。初めて聞く言葉です。
2002/8/8, オサム
オヒサシブリデス。
読み返した分けでは ありませんが→『宙返り』の「師匠(パトロン)」は、「ブラックホール」というもの では無いでしょうか。
彼のまわりを 登場人物たちが 吸い込まれながら 円周を回り、あるものは死滅し(←たとえば「案内人」・また 「案内人」を殺害した人々)、あるものは 軌道を曲げられ、また「ギー」のように 光り輝きながら 「師匠」の位置を 蓋をし 世界を変革する(つまりは「ホワイホール」??)新しい力を持つ者...それらの人々を 惹き付けてやまない 何か 実体のない者 ではないノカ と。フト 思ったものですから... 最近の<寂しい>掲示板が 気になって 書き込みしてみました。
 アッ!! 別に 僕は<いわゆる>「ボスグロ」を 目指しているわけでは ありません ケド。 少しは 話題の提供になれば 良いなっ と 思っただけで...
2002/8/4, いとうくにお
Kawamuraさん、ペコママさん、情報ありがとうございます。トップページに掲載させていただきました。
菊池さん、大江さんへ連絡を取るには、出版社の編集部気付けで手紙をお送りするという方法がありますね。 「東京都世田谷区成城 大江健三郎様」でも届くという話を聞いたこともありますが、本当かどうかはわかりません。
2002/8/4, ペコママ
暑中お見舞い申し上げます。
以前、投稿させて頂いたペコママです。
早速ですが、9月14日(土)午後二時に兵庫県明石市市民会館大ホールにおいて健三郎さんの講演会が行われます。
テーマは、『「新しい人」のために』
問合せ先:明石市生涯教育学習センター文化講演会係 (TEL 078(918)5602)
前売:1000円 当日:1500円  当日座席指定
私は、子供がいますのでなかなか講演会に出かける事が出来ないでいました。
今回、我が家の近くに来てくださるのでとても嬉しく思っています。
いつも色々と勉強させていただいている皆さんに情報を提供できてシアワセです。
暑さの厳しい日々、みなさんのご健康をお祈りしています。
2002/8/3, 菊地 尊泰
都立三鷹高校のPTA会長を引き受けている者です。実は、大江さんに当校で生徒と保護者を対象とした講演をお願いしたいのですが、こういった用件の窓口をご存知の方がおられましたら、次のアドレスにメールを頂きたいのですが。よろしくお願いします。
   依頼者:菊地 尊泰
   E-mail: kikuchi7@gaea.ocn.ne.jp
2002/7/31, Kawamura
Kawamuraと申します。

ちょっと宣伝させてください。
今度、山口昌男さんの個人雑誌『山口昌男山脈』を発行しました。
創刊号では、大江健三郎さんに山口さんについての文章、
「この項、爆(は)ぜる」をご寄稿いただきました。
そのほか、マンガ家の畑中純さんのエッセイや
三井物産の初代社長・益田孝と柏木貨一郎をめぐる山口さんの論考、寺山修司についての鼎談、山口さんの若い頃の文章、秘書による日録などなどです。
定価は2,000円(税別)で、めいけい出版(TEL.&FAX.03-3918-3372)という小さな出版社から出ています。
少部数出版のため、あまり目にする機会がないかもしれませんが大型書店にいけばあると思います(ジュンク堂とか、神保町の東京堂書店とか)。
見かけることがあったら、中を覗いてみてください。
2002/7/27, やまめ
いとうさん、トップページの新しい顔写真いいですね。でもちょっと好々爺過ぎるとも・・・
さて、来る8月3日午後1時30分からに長野県須坂市、メセナホールで信州岩波講座の1というのがあり、大江健三郎の「本を読むことにつなぐ」という講座と井出孫六氏との対談があります。その聴講券(1000円)を買ったのですが行けなくなったので希望の方がありましたら無料で差し上げたいと思いますので、ぜひどなたか行かれてください。次のアドレスへ送り先を知らせていただければ郵送します。yamameyamame609@hotmail.com
2002/7/18, 韓国KBSコーディネーター 李洋秀(イー・ヤンス)
 韓国KBSでは8.15を迎え、日曜夜8時の日曜スペシャルという番組で「日本に渡ったアリラン」というプログラムを制作することになりました。
 ところが大江健三郎さんの「アリラン」ということで、息子の光さんがアリランを演奏して父親の健三郎さんがそれに共感するというシーンを韓国で、どこかから仕入れたらしいのですが、それは本当ですか?光さんのCDに入っていますか?
韓国から問い合わせが来ました。
 もし本当ならインタビューは可能ですか?ガセネタならそうだとどなたか教えていただけないでしょうか?
 このメールか、携帯090−3591−4408、または047−472−2756へ連絡いただけないでしょうか?
宜しくお願いします。 7/18/12:40
2002/7/15, 高橋創
2年ぐらい前からファンクラブをみていますがメールははじめてです。
「大江健三郎再発見」の年譜で1997年にコレヒオ・デ・メヒコでオクタビオ・パスと対談したとありますが、その内容の載った本なり雑誌なりはあるんでしょうか?もしご存知の方がいましたら、教えてください。
2002/7/12, いとうくにお
久保さん、こんにちは。それは「政治少年死す」のことかもしれませんね。この小説についてはこの掲示板で過去に何度も話題にのぼっていますので、もしご興味がおありでしたら過去のページを開いて検索をかけてみるとよいかと思います。
2002/7/12, 久保幸恵
大江健三郎さんの作品で、昔雑誌に発表したけど、それっきり全集にも収録されていない作品があると聞いたことがあるのですが、なんという作品なのかを知りたいです。
もしわかる人がいらっしゃるなら、教えてください。よろしくお願いします。
2002/7/11, 三浦好博
大江さんの本から、気に入った部分は抜き書きのメモを取っているのですが、何故か次ぎの一節には本のタイトルが抜けておりました。同じような内容でたくさんの本に書いておられるので、どの本からか分かりにくいかもしれませんが、引用に使いたいので、どなたかタイトルをご存じの方お教え下さい。
「宇宙、自然、人間」「あわせて人間は天空にひろがる宇宙ということを考えると同時に、人間の内部、特に女性の胎内というものを、もう一つの宇宙、小宇宙と考えている。そこで生命が創造されてくる。人間の力では及ばない神秘な創造がおこなわれるところと考えている。そして人間の内部にある小宇宙と、外部にある宇宙とを結んで感じ取ってもきた。その人間の内部にある宇宙と外部にある宇宙そしてそれらを結ぶ中間に現に戦争という人為的な異常のただ中にある、現実世界を置いてみた。
そしてその三つの局面で起こるそれぞれのことをひとつに結ぶ感じ方があったのだと僕は考えるのです。」
2002/7/10, 滝川 清
 神が再来する小説がありましたが、結局、何もしないまま死んでいくストーリー。なんていうタイトルだったか。健忘症で、すぐ忘れてしまいます。神が再来し、一体何が起きるのか興味津々で読みました。が、さすがの大江さんもそこは大胆に描かなかったようです。再度、挑戦し、再来した神が何か事を起こしてもらいたい、と思います。大江さんのクライマックスを期待します。大江さんの夢を描いて下さい。
2002/7/4, ソフィア
オサムさん、こばやしさん、私のリポートへの感想ありがとうございました。掲示板初心者なので反応があるととてもうれしいです。私も大瀬中学校の音楽室を見たときは、思わず、「川はどちらでしたっけ」ときいてしまいました。「燃え上がる緑の木」の礼拝堂のように水と交わったものではありませんでしたが、まるであの小説の立体的な挿絵のようでした。
山は「陣が森」というらしいですよ。そんなこといえるのは、レポートに書いた魚屋さんにささやかな御礼の品をお送りしたら、とつとつとした素敵なお手紙とともに大瀬の地図や絵葉書を送ってくださったからです。こういうことがあるとますます大瀬が特別なところになっていきます。地図を見ているともう一度行きたくてたまらなくなってきました。また機会を作りたいと思います。
ご存知の方もあるかと思いますが、大瀬には「大瀬の館」というところがあり、旧村役場の古い建物を改装して展示などしているようです。申し込めばそこの2階に2,3千円で泊めていただけるようです。
2002/7/3, うさぎ
こばやしさんの投稿を読ませていただき、大瀬村の風景が目の前に広がるように思えました。
子供の頃の、原風景・・・あるいは、(失礼ですが)「となりのトトロ」に出てきそうな、そんな印象を受けました。
私も、大瀬村に行ってみたいです。
2002/7/3, こばやしようじ
ソフィアさんの大瀬村レポート、懐かしく読ませてもらいました。
僕が大瀬村に行ったのは、「燃え上がる緑の木」が出た頃でした。ともだち3人と内子町(内子もなかなかいいところですよね)に宿をとって、2日間にわたって大瀬村を探訪しました。内子と大瀬の間を走っているバスはとても小さいバスでしたが、僕たち4人以外にはほとんどお客さんがいなかったような記憶です。
鈴が森(という名前だったように思いますが)という山に登る途中で、出会った方にみかんをもらったりして、とても楽しい時間を過ごしました。
びっくりしたのは、目の前に「燃え上がる緑の木」に登場する礼拝堂が現れた時です。「なんだなんだ、これはいったいなんなんだ」と近づいていってそれが大瀬中学校の音楽室だと判明し、早速、先生方に頼んで中を見学させてもらいました。先生方は誇らしげにも見える反面、「でもこの校舎、空調がきかないんですよねえ」と困惑しているようでもありました。
あの印象的な柿の木が倒れてしまったのは残念ですね。川の反対側には檜(これも記憶が曖昧ですが)があって、何かゆかりを聴いた覚えがあるのですが、こちらの方は健在でしょうか。
ところで「政治少年死す」についての、やまめさんのコメントはなかなか考えさせられました。いろいろ思い返してみると、あの夕陽の場面を読んで「三島由紀夫を彷彿とさせる」と感じたのは、後年の三島の自殺からの連想だったのかもしれません。その一方で、「金閣寺」や「暁の寺」のあの場面、この場面も思い浮かんだりするわけです。いずれにせよ実際に「政治少年死す」を読み返すこともできず、全くの印象だけで考えてしまうので、ちっとも焦点が絞れないのですが、それはそれで面白いですね。
2002/7/1, オサム
6/29に 一番乗りの方が いらっしゃったので、その方に 大江さんの本を お送りする事が 決定いたしました。
その方とのメールのやりとりが スムーズに できなかったので 告知が遅れてしまいました。
 あらためて 今日 メールを いただいた 「Nakanishi]さん 「miura]さん 本当に すみません!!!
2002/6/28, オサム
ひさしぶりに メッセージを 書き込み させて貰います。
ソフィアさん 大瀬のレポート うらやましく思いながら、かつ「ああ 大江健三郎の 小説世界は 確かに 現実のレベルにも 存在しているんだなぁ。」と 感慨におそわれました。
大江さんのドキュメンタリー番組や 伊丹十三監督『静かな生活』の中の火葬場から登場人物たちが眺める 小田川(?)の風景のシーン。映像でしか 僕は 眼にみえるものとしては 「村=国家=小宇宙」 は 覗けないものですから。

さて 今回 書き込みをしたのは 僕が持っている 『大江健三郎全作品 第1期』を どなたか お読みになる方がいらっしゃるなら お譲りしようと思い立ちましたので...。もちろん 商売をする気はもうとうありませんので 着払いで 送料だけ御負担いただければ お送りしますが どなたか いらしゃいませんか?
 掲載作品は デビュ−作の『奇妙な仕事』から『個人的な体験』までの 全小説作品で、六冊のものです。
 では 連絡先 アドレスを
     free-session@clubAA.com
一番乗り の方に お譲りいたします。---繰り返しますが 送料は着払いで御負担ねがいます。
2002/6/23, いとうくにお
ソフィアさん、大瀬レポート、ありがとうございます。情景が目に浮かぶようでした。ツアーから一人で抜けての大瀬行きは、いっそう心に残るものになったのではないでしょうか。
2002/6/23, ソフィア
先日ついに内子町大瀬に行ってきました。四国を回るツアーの一員として内子町で1時間半ほどの時間があったので、一人別行動の許可を頂いて、タクシーで行ってきました。大瀬は内子町の中心部からタクシーで10分ぐらいです。大江さんが泳いだという、そして大雨の後は荒れ狂うという小田川に沿って上っていくのです。大江さんの生家は中央通り(といっても車がやっとすれ違えるような、道で家並みも30メートルぐらいしか続いていません。)にあり、細かい木の格子がはまっているこぎれいな家でした。斜め前に内子小学校があります。大江さんの生家の2軒隣に魚屋さんがありました。そこのお父さん(78歳)が、ボランティアで案内をしてくださいました。タクシーの運転手さんが紹介してくださったのですが、にこりともせずに、それなのにとても暖かく(大江さんにも、私にも気配りのある態度で)淡々と細い路地や(なんと大江さんの生家の庭を通り抜けました。)小学校の中まで、「健三郎さんがここを通っとったんです」と、校舎の裏の抜け道を通り、小田川の中の「くじら石」も教えてもらいました。
斜面の段々畑の方には4、5軒の農家があり、その後ろは荒々しくはないがみっしりと深そうな森が始まっていて、大江さんの描写から想像していたとおりのたたずまいでした。斜面の真中には以前、大江さんが好きだった大きな柿の木が生えていたのに5年前の台風で倒れてしまったそうです。魚屋さんのお父さんは今はない柿木を指差しながら、「たくさん実がなると、こっからでも赤く良く見えたです」「もっとも、渋くて食べられんかったです」とおっしゃっていました。
内子中学の円柱形の音楽室と美術室も遠くから見ました。ある意味でどこにでもあるような山の中の里でしたが、私にとっては重たくて懐かしいところでした。それは大江さん個人の生家を見たからではなく、私が大江文学を通じて自分の中に抱いているさまざまな事柄のふるさとだからだと思いました。
魚屋さんの高橋さんのお店の店先では、5,6匹の生の鯖に串を打って炭火で焼いていました。タクシーの運転手さん(50歳代)によると、「あれは、焼き立てをしょうゆぶっ掛けて食べると、すごくうまい。けど、あんなに煙もうもうさせとったら、町の中ではできんから、ああいう山の中の魚屋でなければできんのです。」とのことでした。
時間がなくて30分もいられませんでしたが、感涙でした。
2002/6/22, Epiktetos
うさぎさん、『「自分の木」の下で』には、確かに静かなパワーが漲っている
と私も感じました。その文章について「子供たちに向けて話すように」「書けば」
「そのような文章を書く」と『取り替え子』の千樫が話すシーンがありますがー簡単で読みやすいという意味なのでしょうがー『宙返り』『取り替え子』と読みやすくなっているのは事実だろうと思います(そのことと内容はまた別な話ですが)。難解といわれ続けている大江文学でしたがー私にはまだ読書中断している作品が何冊かありますー特に『宙返り』以降読みやすくなったのには感動するものがあります。『宙返り』の私独自のキーワード3つ。上P362「溺れるものは藁をもつかむ」話。下P66「本物かにせか」救世主・悔い改めるものの話。下P262「古い人」「新しい人」に関わる話。《信仰を持たない者の祈り》《魂のことをする》に3つをつなげれば『宙返り』を理解できるかも・・・すみません、独りよがりでした。
2002/6/17, 内海
内海です。
転職と転居により暫くネットから離れています。
千春さん、「信仰の無いものの祈り」私も読んでみます。
自分の生活を確立するための「勝負」が今月と来月あたりの生き抜き様、
にかかっているような気がしています。
暫く、MLからも離れますが・・・。
2002/6/17, 滝川 清
 大江健三郎はインテリの文学者だと思っていましたが、ホルマリン漬けの死体置き場の話を書いたり、皮を剥ぎ取った子牛を切断し、自転車で密売に行く話などを書いていて、底辺をも知る幅広い作家だと分かりました。一見、知識人のみと交際する文学者のように見えましたが、実際ははいずり回る小説家なのですね。改めて、感心しました。
2002/6/16, うさぎ
お久しぶりです。ここにmessageを載せる皆様は、きっとすごい読書量なのでしょうね。
掲示板は、しょっちゅう見ていたのですが、とてもカキコできるぐらい読書もしていなかったので、恥ずかしくて。
でも、皆様のmessageを読み、勉強のかたわら(*今日、英検受けました。一日5時間くらい勉強していました。仕事&家事&子育てなどとの両立(?)は、たいへんなものがあります。)暇を見つけては「自分の木の下で」を読んでいました。高校生の頃、カミュやカフカなどの実存主義にはまっていたことを思い出し、「なぜ学校に行かなければならないのだろう」が、心の中で何度も何度もリフレインです。

「自分の木の下で」この本は、心の中にすーっと静かに染み入っていくフシギなパワーを持っています。そして、その読後感は、雨上がりのように、穏やかで涼しげな・・・。
私の文才では表現できません。誰か、この感触わかってくれる方、バトンタッチお願いします。
2002/6/12, 千春
やまめさん、さっそく教えてくださってありがとうございます。おちついたらぜひ読んで、また感想を投稿したいと思います。
いとうさん、いつもありがとうございます。
2002/6/11, やまめ
 千春さん、「信仰を持たない者の祈り」は新潮カセットから出ているようです。確か東京女子大での講演だったと記憶しています。テレビで放送されたのを見ました。光さんの初めての言葉の話、アッシジのフランチェスカの話があり涙ぐみながら聞いていた学生さんが映っていました。それに関しての話が、『静かな生活』にも出ていましたね。
 教育実習をされているとのこと。私の住む県の教育委員会は教員採用の年齢制限を撤廃する方針のようです。幅広く人材を集めるために、これから広がって行く動きではないでしょうか。頑張って下さい。
2002/6/10, 千春
メーリングリストのお知らせに出ていたことでお聞きしたいのですが、「信仰を持たない者の祈り」というのはどの本に入っているのですか?気になっていたのですが、ぜひ読んでみたいのでどなたか教えてください。

今、教員免許を取るために教育実習に行っています。定時制高校なのですが、生徒の層は実にさまざまで大変です。でも今度の実習で、夜間中学校などの教師になりたいと思うようになりました。年齢制限のため、もう公立の正教員にはなれませんが、どこかで生かせるように、がんばってみようと思います。

内海さん、実習がおわったらパンセを読んでみますね。
2002/6/8, やまめ
 『政治少年死す』は広く読める形にはなっていないと思います。私は怪しげなサイトでたまたま発見しダウン・ロードさせてもらいました。(って書いていいんでしょうか?いとうさん)ちなみに、プリント・アウトしたのが手元にあるだけで、テキスト・ファイルはこのあいだうっかり削除してしまったので持っていません。やはり、初出の「文学界」を探すのが筋かと・・・
 三島由紀夫を彷彿とさせると言われて気付いたのですが、あの夕焼けから啓示を得るシーンは、意識的に大江的でないように書かれたということなんでしょうか。読む側としては、右翼の少年に感情移入して読んでいるので、このシーンではリアリティーが無いと言うか、そんなことありかなと思ってしまいます。そういうのが右翼少年だと故意に表現したということなんでしょうか。こばやしさんはそういう意味で三島を彷彿とさせると言われたのではないとは思いますが。
 RB26DETTさん、私の感覚から言うとその読書量は凄すぎです!!!!!!
2002/6/7, こばやしようじ
おひさしぶりです。
やまめさんは、どういう形で「政治少年死す」を読まれたのですか?
僕は学生の頃、「玄海」というなんだか怪しげな冊子で読んだことがあります。同じ冊子に、「風流夢譚」も収録されていましたので、「菊のタブー」に触れて発行できない作品が集められていたのだと思います。
この冊子は友人から借りたものだったので、その後読み返すことができないでいるのですが、現在、広く読める形になっているのであれば是非入手したいと思っています。
「車窓からの海の夕焼けを見て啓示を得るのにはやや?でしたが」というあたり、僕も印象深く憶えています。なんだか三島由紀夫を彷彿とさせる部分ですよね。
2002/6/6, RB26DETT
 みなさん、こんにちは。また忘れた頃に、と思っていたのですが、いとうさん、やまめさんのメッセージを読んで投稿します。
 さて読書の方ですが、あれから「人生の親戚」「『雨の木』を聴く女たち」「私と
いう小説家の作り方」「日本現代のユマニスト渡辺一夫を読む」の順で読みました。
その間に映画『静かな生活』、NHK-TV『響きあう父と子』『大いなる日に』のビデオを見直したりもしました。「日本現代の・・・」に檀一雄の話が出てきます。「人生50年、愚者の祭」の話。今回変に感銘を受けてしまいました・・そういう「祭」が必要な歳に近づいているので・・。
 ところで、やまめさん、「政治少年死す」を読めてよかったですね。まだその機会に巡り合えません。いつかは、と思っています。
 「RB26DETT」の件ですが、車のエンジン名なんですよ。スカイラインGT-Rのエンジン型式です。R32、R33、R34とモデルチェンジしてきており、私のはR32の中期型です。すでに10年選手ですが好きなので、手放せません。多分、大江健三郎の著作同様(今数えてみたら文庫本も含めると110冊ほどありました)、一生そばにおいて置くだろうと思います。
 次はこのような本を読もうと思っています。「状況へ」「核の大火と『人間』の
声」「生き方の定義」などのエッセー集です。
2002/6/3, やまめ
 RB26DETTさん、2〜3日に1冊なんて、すごいですね。
 やっと可能になったので、『政治少年死す』を初めて読みました。私は中期の作品から入り初期、後期と読んできているので、初期の作品を読むのはたぶん十年ぶりくらいです。
 読書の楽しさを味わいました。『夏はまさにあらわれようとしていた、・・・』。なんてわくわくする書き出し。以前『セヴィンティーン』を読んだ時の印象はさほど無いのに、今回これを読んでこんなに感じてしまうのは、自分が今「中年のアイデンティー喪失の危機」にいるからなのか。
 車窓からの海の夕焼けを見て啓示を得るのにはやや?でしたが、7章の語り手が一転して、『きみの暗殺はくりかえし回転しつづける・・・』・・・かっこいい!!(と言ったら軽薄と叱られる?)
 初期作品を楽しめる感性を自分に確認して、ちょっと嬉しかったのでした。
 次は、『鎖国してはならない』に触発されて、福沢諭吉を読む予定です。
2002/5/29, いとうくにお
RB26DETTさん、こんにちは。このお名前はなにか車名に由来するものなのでしょうか。僕もいつか大江作品を読み返したいと思っています。こんなふうに楽しみなことが将来に残されているというのは、悪くないものですね。「同時代ゲーム」の読了の成功をお祈りしています。
2002/5/29, RB26DETT
20数年来の車好きです。それよりもっと以前(高校生)から大江健三郎を読ん
できました。最近、ある事情で時間を取れるようになり2〜3日に1冊の割合で、読み直しています。「叫び声」「日常生活の冒険」「遅れてきた青年」「性的人間」「孤独な青年の休暇」「死者の奢り」などの初期作品、それに「静かな生活」「快復する家族」「ゆるやかな絆」「自分の木の下で」など。初期作品は実に面白く、登場人物に引き込まれてしまいます。それに比べここ10年ほどの作品はエッセーも含め、『魂のことをする』にかかわる部分で本当に自分自身にかける『ヤスリ』になる言葉にあふれ何回読んでも感動します。「同時代ゲーム」は中断したまんまですが、この機会に是非チャンジしようと思っています。
ちなみに、今回2度目の投稿です。
2002/5/28, いとうくにお
久坂さん、こんにちは。新刊の発売日についてはまだ話を聞きません。早くその本を手に取れる日がくるといいですね。
2002/5/28, 久坂遼
 大江さんの新作は六月と聞きましたが、正確な日時はいつなのでございま
しょう。発売されるその日が待ち遠しいという現役の小説家は、私には、堀江敏幸さんと大江健三郎さんだけです。といって、まつたくそういう情報を与り知らないで、ある日書店を訪れたとき、あっ!と驚くのもいいものです。発見、というのは古本屋にて抱く感情なのでしょうけれど、あまり業界の事情通と言えないーなんせ滋賀という僻遠の地に住んでいますから!−私にとっては、やはり嬉しいものです。
 京都の大学にいま通っていますが、なかなかにほっこり心なごむ場があります。つい先日などは、友人−古本屋の二階に住む漱石好き男!−のバイクの背にまたがり、一路高台寺へ。石畳の上をゆっくりゆっくり歩く。ごめんなさい、と背後からは人力車が走る。電線は地中に埋められており、ここでは慌しい時間の進行など無縁だ、と一人感慨にふけっていました。ぜひ皆様京都におこしやすうーーーーー。擱筆
2002/5/22, 久坂遼
 みなさまはじめまして。滋賀県在住の大学生とだけ申しておきます。このよ
うな真摯なチャットの場が、奇跡的に存在していることをしり、これもひとえに大江文学のたくましく優しい磁力のなせる技なのだと思いました。高校生のころから大江さんの著作を読み始めています。途中、挫折!したこともありましたが、いままた、心静かになりたい深夜などに、大江さんの小説の断片を拾い読みしたり、エッセイなどに目を通します。なんでも、新作が発表されるとのこと。素直にうれしく、いまから心穏やかではありません。「最後の小説」などという衝撃的なタイトルがでたとき、これは小説家がみずからを窮地に追い込むための決意表明なのだと思いつつ、本当だったら・・・と悲しい気分にもなりましたが、大江さんの生ある限り書き続けてゆく意思を知り、ほっとしている残酷な読者でも僕はあるわけです。
大江さんに導かれるようにして、井伏鱒二さんを知りもしましたし、読書は融通無碍に四方八方に広がり行くものです。苦しい、まさにピンチでどうにもならないとき、読書は、ささやかですが、ささくれて火照ったこころを冷ましてくれるお薬だと思います。では、みなさま、よい読書(精神)生活を送りましょう。
2002/5/19, 千春
なおさん、こんにちは。『まどのそとのそのまたむこう 』は久しぶりの復刊で、いいタイミングに入手されてよかったですね。!
2002/5/18, くにこ
ああ、そうでした。センダック。
うらやましい。
私にきたのは、「老人と海」と「紅いコーリャン」でした。
良いものをじっくり味わう喜び。
ここに書き込まれるみなさんが、そうされているのが伝わり励みになります。
きっと、お忙しい毎日の中で。
2002/5/18, 滝川 清
 最近、森鴎外全集を読みながら、かつての日本の有り様を手に取るように感じ入っていますが、大江氏の本を再び読みたくなりました。あの独特なスタイルの現代文。最近やや未来観が入って来ていますが。大江氏の歩く姿、執筆している姿、奥さんと話す大江氏の姿などなど、文章を読むと彷彿としてくるのです。そして光さんの様子も。雑誌で大江氏を批判する著名人がいましたが、ばかばかしくて、読んでいられません。大江氏は光さんを抱え、自分なりの考えで人生を歩いているのですから。立派なものです。大江氏は。みんなそれぞれ確たる人生観を持って生きているのですか? 著名人にもそれを問いたいと思います。
2002/5/18, なお
はじめまして。
大江さんのファン倶楽部を見つけ、毎日眺めていました。
非常に真面目なためになるサイトで、充実した内容だと思います。
大江さんは、ずっと気になる作家で、じっくり読みたいと思っている憧れの作家です。
いろいろ挑戦しては途中で挫折しましたが、『新しい人よ眼ざめよ』は、じっくり
読みました。僕(僕と家族)が感じていた危機と、イーヨーのゴシック体での表現に緊迫感と安らぎの二つを感じ、最後の文に希望を感じ、感動しました。
ブレイク詩集〔平凡社〕を見つけて、無垢の歌、経験の歌を読んでみました。
私は「失われた少年」の訳は大江さんが『新しい・・・』で引用している訳の方が
ずっと好きです。ブレイクの絵も画集で見つけました。
一つの小説を読むことによって、読書の幅が広がる・または興味が広がってくることは楽しみの一つです。大江さんの小説には沢山の引用と、豊かな学問の裏付けがあるものですから、読み手は、あっちこっちと、何かを探し回りたくなります。
今『個人的な体験』を傍らに置きながら、『取り替え子』も読みたいのです。
いつのまにか、『取り替え子』に惹きつけられて、読み進んで終章の「センダックの絵本」にたどりつきました。センダックの大型絵本『センダックの世界』〔岩波〕に”Outside Over There”のデッサン画草稿を見つけました。素晴らしいです。
そして、今日ついに注文していた『まどのそとのそのまたむこう』〔福音館〕が届きました。文章そのままの淡い空色のワンピースの裾からのぞいているはだしの足・・
その絵本に見入りながら、大江文学の導く読書の広がりと幸せを感じます。
こんな調子で、少しずつ大江文学を読み進めたいものです。
初めてといいながら、ながながと書いてしまいました。また仲間にしてくださいね。
2002/5/18, 佐藤 真思朗
 大江さんの本を読んでいると、子どもの教育について教えられることが多くあります。最近、文部科学省は、「生きる力」などということを盛んに言っていますが、その明確な定義など一度も聞いたことがありません。私は、「生きる力」とは「『自分の木』の下で」に書かれている「ある時間待ってみる力」、あるいは「キルプの軍団」の終わり近く、父親がオーちゃんに語りかける「きみがおれの性格と…そしてなんとか解決に向けて、対応するようになったんだよ」という個所の回復力、このような力を言うのではないかと思っているところです。
 大江文学には、読む者の中に、そのような力を育てる何かがありますよね。
 自分の子どもにも、いつか、大江文学に触れてほしいと思っています。
2002/5/17, ソフィア
滝川様
サラリーマンであることがあなたのすべてではないのなら,サラリーマンでありながら小説家であることができると思います。小説家であっても,小説家であることがその人物のすべてではないのだから。そして、大江さんは,人生観が確立しているから小説を書いているのではないのではないでしょうか。むしろ小説が人生の一部であり,どちらもが平行して,変化し,進化していくのではないでしょうか。健闘を祈ります。
2002/5/15, 滝川 清
 大江氏は、明確な自分の生き方をもっておられるので、それが文章になって現れています。サラリーマンをやっている私は、会社に使われながら、依然として自分なりの人生観が定まりません。これでは小説を書いても、確たる作品はできません。どう腹をくくってサラリーマンを続けるか、考えどころです。大江文学を追って1作品を仕上げ、近く出版社に送稿しようと思っていますが、まだ小説らしさが欠けているように思います。それもこれも、大江氏のような確たる人生観を持っていないからです。省察して、次作に取りかかります。
2002/5/13, ダーダー
お久しぶりです。ダーダーです。
5月に入ってからの投稿をまとめて、読ませていただきました。わたしの中ではちゃまんさんの投稿が印象に残り、この掲示板を通して、多くの方からパスをいただいて、柔軟なものの見方や想像力を養い、心が歪みそうになって、もがいている時は、踏ん張る力をこの掲示板や大江文学から心の栄養をいただくことを改めて、発見させられました。生きている間は心に栄養をあたえることを怠ってはいけないとも感じました。
2002/5/10, いとうくにお
内海さん、こんばんは。確かにメーリングリストのほうはこのところ投稿が途絶えてしまっていますね。ぼちぼちまたお話しできればと思います。
2002/5/10, 内海
想像力で思い出しましたが、大江健三郎MLで「想像力」が話題になったことがありました。少し前のことですが・・。そのとき大江さんがパスカルを引き合いに出して、作家と想像力とを語られていたことを思い出します。精細は忘れましたが・・。確か、大江さんはパスカルの想像力批判があって作家となることをタメラウ・・。と言うものだったと記憶しています。面白いMLでした。
私は非常に興味があったのでパスカルの「パンセ」82章を抜書きしてMLに投稿しましたが、今でも時々82章を読み返しています。機会があれば読んでみてください。ただし、難解な日本語になっている新潮文庫では読まないほうが良いでしょう。哲学が嫌いになりますよ・・。
それにしても、最近「大江健三郎ML」に投稿が全くありません。みなさん・・・お元気ですか・・・?
2002/5/9, いとうくにお
ぶるさん、おひさしぶりです。レジオン・ド・ヌール勲章の情報ありがとうございます!
2002/5/9, ぶる
ご無沙汰です。
大江さんがフランスのレジオン・ド・ヌール勲章を受けられることが決まったよ
うですね。大江さん、おめでとうございます。
2002/5/8, ソフィア
想像力を使って「与えられたイメージを作り変える」ということは,「与えられたイメージをそのまま受け入れることではない」と同時に、与えられたイメージを壊すということでもないと思います。手に入れたイメージを踏み台にして,自分だけの高みへと上ろうとする意志を応援してくれるのが柔軟で率直な想像力であると,大江さんを読んでいる中から自分なりに汲み取ってきました。
2002/5/7, やまめ
 想像力の話が出てきたので書きたくなりました。
 私も、すがさん同様、1日3行づつの行きつ戻りつで『鎖国してはならない』を
あと数ページ残すところまでやっときました。
 そのなかで特に『「本当の開国を「始造」する』や『「ヒロシマの心」と想像力』
を読んで想像力について考えることができました。以前こちらの掲示板で「大
江さんが言われる想像力」という話題が出たときは私には全くわからなかった
のですが、今は、ソフィアさんが書かれたこともなるほどとうなずけます。
 それはこの本の次の記述からです。「想像力を働かせる、ということは、あ
たえられるイメージをそのまま受け入れることではありません。あたえられたイ
メージを作り変える運動にこそ、想像力の真の発揮は現れます。既存のイメージに対して、いかに積極的に立ち向かうか、その人間の行為にこそ、想像力の特質が発揮されるのです。」
 現在の社会システムにのみこまれて、想像力が縮んでしまうという事がないようにしなければと思いました。
2002/5/7, ソフィア
内海さん。お尋ねをいただいてとてもうれしかったです。
大江さんの本はほとんど持っていますが,私が書いたことが出ているところを探すとなるとちょっと時間がかかると思います。作品ごとに整理して読んでいるのではなく,大江さんの精神というものをあちこちから覗いているというような読み方ですので・・・。探して必ずお答えしたいと思います。少しお待ちください。
2002/5/7, すがしのぶ
お久しぶりです。4月から仕事をはじめたりしていたので、なんかご無沙汰です。
いま、「鎖国してはならない」がなかなか進まず、ちょっとショックです。本を読み始めると3行で眠ってしまったりして、まったく行ったりきたりです。
 アップスタンディングのことですが、私もそんなふうに一生を生きていきたいと思います。自分として、人間として、しっかり立っているかというと、いつでも揺れ動いて風になびく柳の木のようだと自分では感じています。でも、絶えず立て直ろうとする力って自然に働いているんですよね。まっすぐ立つことはとても難しいですが、ディーセントな人間になっていけたらいいなと思います。
 自分の正しいと思うことがすべて正しいとは限らない、ということがあります。また、正しいことだけを主張するのは間違っているという場合もあるでしょうが、本当の正しいことなら絶対何よりも強いんですよね。みなさんはどう思われますか?
2002/5/6, 内海
ソフィアさん、はじめまして。「いわゆる思いやりというのは、同情ではなく正確な想像力だと思うのです。そしてこうあるべきだと強く思うことが力になりうるとも述べていると」
大変興味深い記述です。良ければ何処に書いてあったか、どの本からの抜粋か、覚えておられるならお教え下さい。また、いくらかの「想像力」を駆使されたということでしたら、その根拠とでも言えるものをお教え下さい。
決して、悪意を持ったご返事ではなく、親愛の情をもった者からのお尋ねです。
2002/5/6, やまめ
 Upstandingの話で書きたくなりました。
 ちょっといきがって強がりを言うときに、「私はアップスタンディングしてますから。」
などと使わせてもらっています。
 私には、小沢征爾さんとの対談集『同じ年に生まれて』で書かれていたことがupstandingとして印象に残っています。いとうさんが作品紹介で書かれているように「個人が個人として立つということ」の大切さを言われていたと思います。
 こう書かれてもいます。「そのなかで自分の個というものを、人に押しつけるというんじゃないが、自分の個は個でちゃんとたっていることができるということが、僕の考える民主主義ということでした。」

 『言いがたき嘆きもて』や『鎖国してはならない』を読んで、超国家主義的(この定義が良く分からないのではありますが、反民主主義的なものと理解しています。違っていたら教えて下さい。)な傾向が力をもってきつつある社会的状況を危惧してのメッセージと受け取っています。

 岡田さん、何かのタイトルにされるということでしたが、かなり「オーケン系」と見られる言葉ではないでしょうか。
2002/5/5, ソフィア
掲示板投稿のかたたちの年代は分かりませんが、かなりお若いのでしょうね。私は大江さんを「大江健三郎」とか「健ちゃん」と呼び捨てにする世代です。世代的には彼の後をちょっと遅れてついてきました。私なりに彼と一緒に突っ張り、彼と一緒に怒り、そして彼と一緒に限りなくやさしくなれたと思っています。私が折に触れて心がけるのは、想像力の駆使です。核兵器を誰かに使わせないためには何よりも想像力が必要というようなことを述べていたと思います。いわゆる思いやりというのは、同情ではなく正確な想像力だと思うのです。そしてこうあるべきだと強く思うことが力になりうるとも述べていると思います。それが神を見出さない人の祈りだというところに心が癒されるんです。いきなりでごめんなさい。
2002/5/5, いとうくにお
帰省していて更新が遅れてしまいました。岡田さん、すみません。アップスタンディングですが、僕の勝手な解釈かもしれませんが、人間としての誇りをもっている状態という意味でもあるんじゃないかなと思っています。『「自分の木」の下で』でしたでしょうか、子供は本来、人間としての誇りを備えているものだという話があったと思います。そういう意味での、人間が本来備えているべき誇り。それは偏狭な誇りではなく、人を傷つけないし、自分も傷つけない、そういう勇気を支えるものじゃないかと思ったりします。と書いてみると、結局、ちゃまさんの書かれた「崩れそうになる自分を、歪みながらも傾ぎながらも必死で支えようとすること 。」というところへつながっていって、同じことを別のしかたで表現していることになりそうですね。
2002/5/3, 岡田ehime
ちゃまんさんありがとうございます。
大江さんはupstandingいろいろなところでつかわれているのですね。
私が大江さんが使われるこの言葉に最初にどこで出会ったのか
自分には惹かれるものとして、この言葉の印象が強く残っているのですが
それが自分の勝手な自己解釈に陥ってはいないかと
みなさんの知恵をお借りしようとしています。
今のところ自分の持っている印象であっているのかな・・・?

ヨハンクライフの言葉もありがとうございました。
upstandingについてまた他のみなさんからも
いろいろな御意見お聞きしたいです。

(関係ないことですが、ヨハン・クライフだなんて
 懐かしい名前を見てちょっと喜んでしまいました。
 オランダvs西ドイツ、トータルフットボール、フライングダッチマン、ヨハンクライフスーパースター・・・
 彼のサッカーに対する姿勢にも「upstanding」を感じます・・・
 というのはこじつけかしら?)
2002/5/2, ちゃまん
岡田さん
お久しぶりです。
亀レスですいませんが、upstandingであることについて、
ちょっと思うことを書かせてくださいね。

私の場合、NHK特集「響きあう父と子」のなかでこの言葉に出会いました。
あの番組の中では、大江さんは「まっすぐ立っている心をもつこと」とも言い
換えられていたと思います。

崩れそうになる自分を、歪みながらも傾ぎながらも必死で支えようとすること
ってありますよね。体だけでなく精神についても。
重圧に負けまいと踏ん張ったり、力をこめて耐えたり。その過程で、まっすぐ
立っているつもりでも、ある部分否応なく破損し偏っている自分がいる。
人間は真にupstandingであることはできないのではないか。そうであるから
こそ、upstandingであろうとすることが大事なのではないか、とも思うんです。
大江さんもまた必死に歪みながら傾ぎながら、自分のナイーブさに耐え、
光さんを支え、家族の生活を支えてきたのではないのかな。

ただ、こころのあり方が天性しなやかである人にとっては、ことさらに意識する
までもなく、upstandingであることが可能なのかな、と漠然と思うこともあります。
そういう人にとっては、大江さん、というか文学自体が必要ではないのかも知れませんが…。
自分がupstandingでないと感じるときは、たいてい体と同じように、こころも余
分な力が入って硬直し、視野が極度に狭くなっているような感じがします。
そんな時の私のおまじないの言葉は、
オランダのサッカー選手であったヨハン・クライフの言葉です。


「グラウンド全体を視野に入れなさい。パスを出すところを出来るだけ多く作りなさい。」                            (ヨハン・クライフ)

文学の言葉でも詩でもないんですが、なんか余分な力を抜いてくれる言葉なんですよね。

いとうさんが提供されているこの掲示板も、大切なパスを出すところだと思います。
2002/5/2, いとうくにお
mariさん、はじめまして。『新しい人よ眼ざめよ』は僕も好きな作品です。気が向いたら本の感想など書いていただけると嬉しいです。ところで一昨日の対談とは、どういう番組だったのでしょうか。
2002/5/2, mari
はじめまして。
いつも皆さんの真摯な姿を拝見させていただいています。
一昨日の対談の番組を見ました。
今ここで、何がよかったとか、うまく言葉にならないのですが、
私は今子育て中で、自分のための読書の時間があまり取れない現実があります。
でも、心地よい、とても私にあった文学だと思っている大江文学の
大江健三郎によるさまざまな思いを知ることができたような気がします。
育児に追われ、時間がないと言うことでおろそかにしてしまっているもの。
それを大事にして自分らしさをもっと信じてよいと思う番組でした。
私は、「新しい人よめざめよ」から、読み始めた読者です。
初期の作品も時間をかけながらゆっくりと読んでいきたいと思っています。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
2002/4/28, 真春
山崎さん、弥生さん、ありがとうございました。
人生の親戚 の まり恵 さんも好きなので迷ったのですが、やはり自分が読んだ時の感動を思い出しますと、どうしてもこの時が一番と思ったものでした。
ヒロさんの、自分の木の下で と共に大江文学のフアンとして大江さんの意図が伝わるような朗読にしたいと願って頑張ります。ありがとうございました。
2002/4/28, 山崎
今手元にないので正しいかどうか分かりませんが、確か講演集『人生の習慣』収録の「信仰なき者の祈り」にその辺のエピソードが語られていたかと思います。おどろきと喜びの余り、共に別荘に来ていた奥様に伝えたところ、「また新たな困難が始まったという顔をされた・・・」とユーモアを交えて語っていました。
2002/4/28, 弥生
>クイナです が信じられなくて次を祈るように待つ
>時のことを書いた文章が見つかりません。

「あいまいな日本の私」岩波新書p129に書かれています。
「井伏さんの祈りとリアリズム」の章です。

この講演集は、阪神・淡路大震災の直後に発行されました。
「癒される者」という章も含め、大きな励ましになったことを
覚えています。
2002/4/26, 真春
教えて頂きたい事がありまして掲示板には初めての投稿になります。
6月に朗読会をすることになりましたので、光さんがはじめてクイナですと言葉を発した時のことをかいた大江さんの文章を朗読しようと思い、探したのですが断片的なことは見つかりましたが、クイナです が信じられなくて次を祈るように待つ時のことを書いた文章が見つかりません。
何方かご存知の方が居られましたら教えて下さい。よろしくお願い致します。
2002/4/25, 岡田ehime
いとうさんわざわざありがとうございました。
そう言う文脈で使われたことがないかと捜していたので
ありがたかったです。
(実は有る物のタイトルに借用しようと思っています。
 借用料は大江さんに・・・要りませんよね!??)
2002/4/25, いとうくにお
岡田さん、おひさしぶりです。本では見つけられませんでしたが、伊丹十三氏との対談で大江さんがアップスタンディングということを話しているのを聴いたことがあります。はっきりとは覚えていないのですが、若い人に望むこととしてアップスタンディングであってほしいということを話していたと思います。
こばやしようじさん、こんにちは。確かに一部では酷評されてました、『取り替え子』。僕の場合、まあそういう見方もできるかもしれないなあ、という感じで「酷評」を受け止めましたが、結局はその小説が自分にとってどうだったかが大切だと思うのですよね。
眠れぬ大学生さん、こんにちは。大江さんの小説は、多かれ少なかれ自己告白という側面があるような感じもするのですが、『静かな生活』のどういう部分にそれを感じられましたか? よかったらお教えください。映画のほうもあわせてご覧になると、また一段と面白いと思いますよ。
2002/4/25, 眠れぬ大学生
 数日前、はじめてメッセージを送らせてもらいましたが、送信に失敗し
たようです。パソコンも、大江文学も、初心者です。
 「静かな生活」を読みました。私は「静かな生活」は大江氏によるマー
ちゃんという話し手を用いた、自己告白であるようにかんじます。みなさ
んはどう読まれましたか?
2002/4/23, こばやしようじ
おひさしぶりです。
「取り替え子」「鎖国してはならない」読みました。
「取り替え子」は、実は大江健三郎の小説としては久々に没頭したという感じでした。「宙返り」よりもずっと没頭しました。しかし読み終わって振り返ってみると、大江ファン以外にはあまりにも攻撃誘発的な小説ではないか、という気がします。書評なども読んでいないのですが、ひょっとしてこれはずいぶん酷評されたのではないだろうか、といまさらながら心配したりしています。
「鎖国してはならない」は本当に励まされますね。「言い難き嘆きもて」もそうでしたが、現在のような社会情勢の中、愚直とも言える程戦後民主主義にこだわる大江健三郎の姿勢は感動的でさえあります。
日曜日、予備校の講師をしながら小説を書いている大学時代の友人と数年ぶりに呑みました。僕が改めて大江健三郎を読んでいると言うと、彼は「大江は認めたくない、大江を乗り越えないと何も生まれない」などとくだを巻いていました。まあもともとあまり素直な男ではありませんし、相当酔っぱらっていましたのでそれ以上突っ込みませんでしたが、認めていない作家を乗り越えてもしょうがないですよね。
2002/4/23, 岡田ehime
御無沙汰しています。大江さん素人ファンの岡田です。
最近再認識したのは大江さんの著作は本当に密度が濃いなあと言うこと。
トップページの引用に一度読んだだけでは読みとれなかった意味が見つかったり気がつかなかったりすることに気付かされることも多いです。
どちらかというと切り取るいとうさんの手腕ですね。
そんな風に一回読んだだけでは頭に入りにくい私に
教えていただけるとありがたいのですが
「upstanding」という言葉、
大江さんが著書の中でそのことについて言及しているのは
『ゆるやかな絆』の「Upstanding」の他にありますか?
また、その中で、大江さんの定義としては
「しっかり直立した」「しっかりした」「独立した」という言葉が
拾い出せるように思うのですが、
もし他に適当な言葉を大江さんが使ってらっしゃる例が有ればお教えください。
2002/4/23, いとうくにお
まるわさん、おひさしぶりです。大学生になったら、また、社会人になったら、本の内容はまた別の側面を見せてくれるかもしれませんね。
泳ぐ人さんが紹介してくださった演劇の件ですが、劇団に問い合わせたところ、確かに原案としては大江作品は下敷きになっているけれど、舞台を作り上げていく過程でどんどんと内容は変容していくそうで、「原作・大江健三郎」というものは期待しないほうがよいとのことでした。
2002/4/23, まるわ
久しく永い空白の時間をあけて、久々に本を手に取りました。物語の、内の世
界は何も変化していないのに、読み手の心の中は大きく宙返りしているもので、度量の小さな自分が引け目のように感じられるほどです。以前ここに書いたときは未熟な高校三年生で、今は、さらに落ちぶれてしまった浪人生です。「ピンチランナー調書」に倣えば、陰謀から疎外されてしまったようにすら感じる今日この頃です。
2002/4/19, いとうくにお
泳ぐ人さん、こんばんは。「偽証の時」原作の演劇ですか。これまた興味深いですね。映画はすごく面白かったんで、こっちのほうも見てみたいな。
映画『飼育』については僕も泳ぐ人さんと同意見です。『芽むしり仔撃ち』は確かに映画にしたらいいだろうなというシーンがたくさんありますね。
2002/4/19, 泳ぐ人
 『トリック』のDVDを買いにいきましたら、以前から探していた大島渚監督の
『飼育』のDVDがありましたので、急きょそちらのほうを購入してきました。早
速鑑賞しましたが、率直なところ「原作大江健三郎とあっても、やはりこれは大島監督の作品だなあ」という感想です(未見のかたも多いでしょうから、内容には触れません)。訴えたいテーマが大江さんとは違うように思われました。
 大江さん原作といえば、最近一般の映画館で増村監督の『偽大学生』が上演されたという記事を(この掲示板で)拝見しました。見逃してしまいました。残念です。
 ただ同じ原作(確か『偽証の時』だったと思うのですが‥‥)から、双数姉妹と
いう劇団がこの5月に『NAKED!−ハダカノオレサマ−』という名称で公演を
打つようです。双数姉妹は中堅のしっかりした劇団ですが、新劇なんかと違い小劇場系は出来不出来が大きいのでいくらか心配です。
 私見ではありますが、大江さんの作品でいい映画になりそうだと思えるのは、『芽むしり仔撃ち』です。「子犬と遊ぶ弟」のシーンなんか目に浮かびます(でも本当は、『同時代ゲーム』を映画化してくれる「勇気ある」人を希求しているのですが‥‥)。
2002/4/15, 滝川 清
 小説を書いて見ましたが、なかなか大江氏のような文章は書けません。最近は富みにみやすい言葉を使われているのに、何と難解なことか。私も平易な言葉を使いながら、文学的な文章にしたいのですが、とてもとても。再度、大江氏の文章を読み、巧みな表現を呑み込まねば。大江氏は文章表現はもとより、人生について自分なりの生き方に確信を持っておられる様子。うらやましい限りです。私淑したいと思います。まず、自分とは何かを確立して、大江文学の後を追いたいものです。
2002/4/11, いとうくにお
きみどりさん、こんにちは。大江さんはファンレターには目を通しているようですよ。返事をもらったという話もききます。
2002/4/11, きみどり
家に「自分の木」の下で の本があったので、そこの出版社宛てで早速ファンレタ−出してみました。けどファンレタ−なんて本当に読んでもらえるのかなぁ?・・と半信半疑なんですが・・。
どうも親切に教えて頂いてありがとうございましたっ!
2002/4/9, いとうくにお
きみどりさん、はじめまして。ファンレターですが、出版社の編集部気付けで出すのが一般的な方法だと思います。あと、有名人なので東京都世田谷区成城 大江健三郎様で届く、という説(?)もありますね。
2002/4/9, きみどり
去年、たまたまニュ−スを見ていたら大江さんが出演していらっしゃいました。それがきっかけで大江さんに興味を持ち、図書館に行って続けて10冊程読みました。私が読んだのは後期の作品だと思うんですけれど、中でも「燃え上がる緑の木」「宙返り」は興味深かったです。自分自身、心、魂について興味があり、それについて勉強してる人、詩や文章などで表現してるもの、などと出会うととても救われた気持ちになります。ただ私の頭では理解できない内容や読めない漢字も多々あり、また時間をおいて再度読んでみようと思ってます。ところで大江さんにファンレタ−を出そうと思ったら出版社宛てに出したらいいのでしょうか?初めてなので教えて頂きたいのですが・・。
2002/4/9, いとうくにお
挑発的な人物描写かあ。伊丹十三が演じたエリート活動家あたりでしょうか。
原作を読んでいないので、どの程度、原作のストーリーや雰囲気が反映されているのかがすごく気になっているんですが、はなびさんは読まれましたか?
2002/4/9, はなび
あ、いとうさんもいらしたのですか!
私は後ろの方で観てました。
いとうさんの感想にもあるように、一人で観てました。
結構、人、入ってましたよね。
大江さんの「挑発的な」人物描写が、
映画でも出てて、それも面白かった。
2002/4/8, いとうくにお
ああ、僕も観にいきましたよ! どのあたりにお座りでした? 僕は中央のブロックの、まえから10列目くらいの左端。感想は、ミニ事典の「映画」の項に書きました。
2002/4/8, はなび
4/5、「偽大学生」観てきました。
面白かったです。・・・というより恐かったかな。
寓話的で、しかもリアリティのある話でした。
どなたか他に観られた方がいらっしゃるでしょうか?
スパイ容疑をかけられ監禁されて、
気が狂ってしまった偽学生、ジェリー藤尾にあわせて、
学生全員が「東都大学ばんざーい!」と叫ぶシーンがあり、
可笑しくも、恐かったです。
ビデオ化もされてないようですが、
いつかまた機会があったらご覧になることをお勧めします。
2002/4/4, いとうくにお
高さん、英文は、ここにありました。
2002/4/4, いとうくにお
高さん、はじめまして。「あいまいな日本の私」はウェブにはないかもしれません。日本では、岩波書店から、他の講演とともに本になって出ています。英文なら以前は全文が掲載されているサイトがあったのですが、いま確かめたらサーバーが見つからないというメッセージが…。
2002/4/4, 高 漢範
こんにちは。
私は韓国の大学で日本語とか日本文学などを教えているものです。
さて、突然申し訳ございませんが、以下のことをお願します。
大江さんがノベル賞をもらったとき講演なさった「曖昧な日本のわたし」という
日本語の原文を学生たちに韓国訳させて見るつもりですが、その講演の原文が手元になくて困っております。
もし、その原文を手に入れることができるサイトがありましたら、
教えてください。
突然申し訳ございませんが、よろしくお願いします。
では、さようなら。

2001年4月4日

高 漢範(こう ・ はんぼん)拝
2002/4/3, いとうくにお
妬みについては、大江さんが「怨望」(えんぼう)という福沢諭吉の言葉を紹介していますね。うらむ、うらやむ、足をひっぱる、そういう人間の気持ち。それは何もプラスのものを生み出さないと。
2002/4/3, うさぎ
PS・・・です。

ねたみ&やっかみ・・・おととし、これにどのくらい悩まされたか。
人間不信・・・ですよ。
でもね、それでもわかったことは、自分次第で、それなりの人が集まってくる、ということ。
私は、百害あって一利なし・・・の人と、やっと縁を切りました。
何と言いふらされようが、友達でいてくれる人は必ずいる・・・って信じて。

やっぱり、それでも友達でいてくれる人、いました。

すがさんの場合、ご自分がきつい言い方をしている・・・と気づいておられる分、良い・・・と、うさぎは考えます。
うさぎも、年子の子育ての時は、育児ノイローゼにまでなりました。
「こんなはずじゃなかった・・・」って。

ご自分を責めてはいけないと思います。それと、うさぎもそうなんですが、人間不信を高らかに言う前に、自分を自分が裏切る事だってあるじゃないですか?
人間は、強くて情けなくて・・・だからこそ、愛すべきものなのだと思っちゃったりして。

説教くさくなっちゃったかな?そんなつもりは、ないのです。きっと、すがさんの方がうさぎより年上・・・(かな?)。

責める・・・のではなく、正しく悩みましょう。んでもって、「う”〜っ」・・・となったら、酒飲んで寝る!!
安直・・・ですか?

うさぎが前にカキコした、引っかかった病気はガンでした。
お子がまだ小さいので、まだ死ねません。
死・・・は、絶対のもの・・・ですね。
誤解も、すれ違いも、生きてさえいれば、時間がかかっても、いつかうまく行く日が来るんじゃないか・・・。そんな希望もあるし。

いい所どりして、生きていきましょ!!
2002/4/3, すがしのぶ
 ダーダーさん、本当にお久しぶりです。
とても大変な思いをされたんですね。お子さんはもう大丈夫なんですか?
今、家にずっといてテレビのニュースを見る機会が多くなって、毎日様々な事件、犯罪が起きてると言うことがわかります。以前はテレビなんてほとんど見なかったので、世の中は平和だと思っていたのです。今でも、日本は世界のうちではとても平和な国といえるのでしょうが、ダーダーさんのお話を聞いたりすると、私達はこれから本当にどうやって生きていけばいいのかなあと考えてしまいます。
 常に危機感をもって生きているつもりですが、いつなんどきどんな危険にさらされるかと思うとヒヤヒヤしながら私も生活しています。
 街でモラルのない人をみると、どうしても注意したくなってしまいますが、殺されたら困ると思うとやっぱりできません。
 誰もが悪い考えをもたずに幸せに暮らしていける世界は、実際には存在しないのでしょうか?人間だから妬みや憎しみも仕方ないにしても…。
2002/4/2, nykpp
お久しぶりです。すがさん。ダーダーデス。
子供が熱性けいれんを起したり、引っ越ししたりと慌ただしい日々を送っていました。短絡的な考えかもしれませんが、犯罪をおこしてしまう要因の中に妬みが絡んでくると感じています。婦人公論に妬む人間と妬まない人間は6対4という記事を目にしたことがありますが私の中でもそのぐらいと感じています。人間の中にはかかわらないほうがいい人もいるとも思っています。どういう人達かというと普通の生活をさせてくれない人、自分の命を脅かす人達です。私は北海道のある田舎に住んでいます。
リストラされた中高年の方に嫌がらせをされました。都心よりも田舎の方が深刻です。人員削減のため、田舎の営業所から封鎖されるためです。ここ1月で、とても恐ろしい体験をしました。マンションに住んでいました。下の階から上の階まで、筒抜けの建物でした。私の行動を実況中継され、その声が耳にやきつき、何日か寝かせてもらえない日がありました。普通の生活をさせてもらえませんでした。関わらない方がいいと思い、すぐに引っ越しましたが心に傷が残りました。普通の生活をさせてくれない命まで、おびやかされるまで、妬む人間とは関わりたくありません。
 妬むことを嫌う人間もいます。そういう人といると気持ちが安らぎ、のびのびできます。恐ろしい思いもしましたが私の本能はお金があろうとなかろうと妬まない人の輪に入っていきたがっています。
2002/4/1, すがしのぶ
 うさぎさん、
 ありがとうございました。お話いただいた言葉のことですけれど、実は私は、必要以上に家族などにきつい話し方をしています。というか、吐き捨てるようにものを言うような…。自分でわかっているのですが、もう昔からのことで、家族以外の人とは全く違う接し方をしています。習慣みたいなものなのですが、これも問題ですよね。
 言葉を愛する者としては、自らの言葉の使い方を少しずつでも変えていけたらいいなと思います。
 そういうところから、自分以外の人、自分以外の物に対する接し方を考えていきたいです。子供の母親としても…。でも矛盾しているようですが、とても気を使って人と接しているときは、本当の自分ではない気がするのです。

 いとうさん…
 人はみんなそれぞれに生き方も違うし、同じことなんてなにひとつないと思います。私自身がすごく自覚していることは、人とつきあうことが面倒と思うことです。小学生のときから、一人の時間を友達に邪魔されたりするのがすごくいやだったのですが、そうやって今まで生きてきたのに、今ではそれを自分がまるで隔離でもされているように感じてしまうのが、おかしいといえばおかしいんです。
 すごく苦しく思うことは、人は本当にみんないい人か、ということです。犯罪を犯したり、そこまでいかなくても常識のない人など、世の中には信じられない人たくさんいるんですよね。だれがいい人なのかわからなくなって、私はどうしたらいいのか…考えてしまいます。でも、お言葉をいただいて少し楽になりました。
2002/3/31, PHILIP
実は大江さんの小説は短編を一つ読んだだけなんです。それでも勇気を振り絞ってここへ来てみました。たしか、野良犬とか野良猫を撲殺する仕事の話だったと思います。知人に訊くと、大江さんの小説は撲殺のモチーフが多いと言っていました。それについてどう思われますか?撲殺というと、映画「2001年宇宙の旅」の猿人が骨を振り上げるシーンをつい思い出してしまいます。
2002/3/31, いとうくにお
僕からもすがさんに一言。
すがさんが表現されているのは、世界から切り離されてしまったような感じでしょうか。そうだとして、そのような気持ちを感じることがある人は、けっして少なくないのではないかと思います。大江さんの作品の中にも、そういう状況におかれてしまった人間がしばしば登場するのではないでしょうか。すがさんの「でも私が生きている限り、私は一生悩み続けるしかないのかもしれません。」という言葉に、自分もそうだとひそかにうなづく人はいると思います。
慰めになるかどうかはわかりませんが、人生や世の中に対してすがさんのように感じている人は一人ではないと思うことで、少しは気分が軽くなりませんか。
2002/3/31, うさぎ
すがさん・・・何と言ったらいいのかわかりませんが。

わかってもらいたい人にわかってもらえなくて、それでも、今のありのままの自分でもいいよ・・・って、言ってくれる人が必ずいて。
だから、怖がらず、恐れず、恥ずかしがらず、ありのままのご自分でいられたらいいような気がするのですが。

言葉は、難しいです。受け手の感情・解釈・・・いろいろありますから。
英語を以前より勉強するようになり、以前より話せるようになってから、ますます日本語を使う時に気を使うようになりました。
英語を話す時、文法・表現・・・異文化のことまで考慮して、慎重に話すのに、日本語のnaive speakerである私たちは、この日本語を、大切に使っているか・・・?
そんなことを考えるようになりました。

今の私の課題(?)は、正しく美しい日本語を話す・・・です。
人間、一生、勉強ですね。
悩みながら、がんばって生きましょう!
2002/3/30, すがしのぶ
とうとう30日になってしまいました。『死霊』の図書館への返却日なのです。2週間たって1巻の半分ほどしか読めていないことにショックです。『言い難き嘆きもて』からきて、はりきっていたのですけど…。
 果たしてこんな私に『失われた時を求めて』を読破できる日がくるのでしょうか?それとも私のやり方はおかしいのでしょうか? 大江さんと同じものを読めば、いつか理解できると思うのは? 
 私のライフワークってなんだろうといつも考えます。『人生の親戚』や『燃え上がる緑の木』『宙返り』などでも「他人の入りきれない」ようなものを感じました。そういった「世界」みたいなものといえばいいのでしょうか。 
 私が人に関してよく感じる違和感のようでもある、特定の人の特定の生きる世界というか、うまく言えませんが(宗教のようなものでもあるかもしれません)私は、そのような個人的な世界、人生の柱を持っていないように思われます。
 そのたくさんの人たち持つ個人的な世界の外側に自分がいることを自覚しているので、妙な、複雑な感情を持ってしまっていると、何となく自分では思っています。
 
 そんなことを自分なりに分析して、クリアにしていくという目的を、大江作品に出会えたことによって見つけだしたのは本当だし、作品を読み続けることでその答えをどこかにみつけたいと思います。
 でも私が生きている限り、私は一生悩み続けるしかないのかもしれません。やっぱり生きることは、世の中は怖いような、楽しいような…不思議なものですね。

 最近、新しい人と知り合う機会もないし、人とのつきあい方を忘れてしまったような具合ですが、ここのみなさんのことは信頼しています。
 なんかひとりごとのようで、失礼しました!
2002/3/27, こばやしようじ
本日、同僚(私にこのサイトを紹介した人です)が埴谷雄高全集別巻というものを買ってきました。そこには第9章未定稿が、活字ではなく、自筆原稿のままで(もちろん写真ですが)収録されていました。
読んでみると、やっぱり埴谷雄高は完結させるつもりでこの未定稿を書いたように思えますね。しかし第9章の最後、津田安寿子の「虚体です!」という叫びから、一体どのようにこの未定稿につながるのか????

「取り替え子」も読み始めました。実はこの本は出版されて直ぐ買ったのですが、読まないまま私のデスク周辺の書類の山に埋没してしまっており、引っ越しでもしないと見つかりそうにないので、上記の同僚に借りました。同僚はこの本を読んで「我らの狂気を生き延びる道を教えよ」を思い出したとのことでそれを読み返していましたが、僕はとりあえず書き出しの部分で「みずから我が涙をぬぐいたまう日」を思い出しました。
2002/3/27, 横井丈時
 はじめて投稿します。この度HP『軽井沢文学サロン』を開設しました。
 このサイトはサブタイトルを『検索で辿る軽井沢文学散歩』と称し、軽井沢とその周辺を徘徊した文士、文豪が書き綴った軽井沢に関する作品を紹介し、軽井沢文学に親しむための指針になればと開設しました。
 大江健三郎の作品については9冊を紹介しています。また、埋もれている作品がありましたらご一報ください。まずはご一読ください。
  http://www.karuisawa.com
2002/3/26, こばやしようじ
いとうさんへ
御指摘ありがとうございました。私は「宙返り」以降の大江健三郎の本を全然読んでいませんでしたが、早速、「言い難き嘆きもて」読みました。
「死霊」9章には未定稿がついていることを初めて知りました(僕の持っている本にはこれは収録されていませんでした)。読んでみたいですね。未定稿で完結しているというのは、きっと大江健三郎ならではの独特な読み方だろうと思いますが、納得できるかどうかは別にして、一度そういう視点で「死霊」を読み返してみたいものです。

すがさま。
考えてみると、僕も「しりょう」と読んでいた時期がありました。高校の友達から「しれい」であると指摘されたとき、ずいぶん違和感を憶えたものです。
2002/3/26, いとうくにお
ノモさん、感想たのしみにしています。大江作品なら図書館にもいろいろあると思うので、地元の図書館や学校の図書館などを覗いてみるのもいいかもしれませんね。もし今回買われたものが読みにくいようなら、短編集もいろいろありますから、そっちから攻めてみるのも手ですよ。
2002/3/26, ノモ
イトウクニオさんへ

さっそく「万延元年のフットボール」と「キルプの軍団」をamazon.comに発注してしまいました。読んだら感想書きます。届くのが待ちどおしいです!!!!!!

ほんとにありがとうございました。
2002/3/25, いとうくにお
はなびさん、情報ありがとうございます。うーん、観てみたい。
2002/3/25, はなび
お久しぶりです。
ずいぶん前、この掲示板で大江健三郎原作の映画「偽大学生」の話が出ていたことがあったと思いますが、その幻の映画が、「増村保造レトロスペクティブ」という企画で上映されるようです。
「偽大学生」は4月5日(金)21:20〜 渋谷シネセゾンで上映されます。
詳しくは
http://www.daiei.tokuma.com/masumura/
をご覧下さい。
2002/3/24, いとうくにお
すがさん、六日の放送ですが、NHKのBSが見られるなら、普通のテレビで問題ないですよ。BSの放送は、あとで地上派でも放映されることがありますから、BSが見られない方はそれを期待しましょう。
2002/3/24, すがしのぶ
こばやしようじさま、私も「みわ・よし」で読んでいます。
ただ、図書館から借りていることもあり、毎日なかなか本を読む時間がなくて焦り始めています。
 栗原幸夫という人は何者なんでしょうか? ホームページ覗いてみましたが、なんだか謎の人のようです。『キルプの軍団』の方もチェックしてみたいと思います。

余談ですが、この前図書館で『死霊』を検索するときも、「しりょう」と入力したら、「該当する資料はありません」と出てしまいました。作者の名前も読めなくて苦労しました。
 
 それから、いとうさん、4月にNHKで放送されるという番組は、ふつうのテレビでも見られますか?ハイビジョンというのは。
2002/3/23, うさぎ
いとうさん、ありがとうございます。
どーりでなかったわけだ・・・恥ずかしー!!
本田勝一さんで、探します。
2002/3/23, いとうくにお
ノモさん、僕のお勧めは「個人的な体験」と「万延元年のフットボール」です。特に後者は、ノーベル賞クラスのクオリティが堪能できると思いますよ。若い人には、もしかしたら「キルプの軍団」や「日常生活の冒険」などのほうが、より楽しめるかもしれませんけども。
「伊豆の踊り子」は読んだことがありますが、それに感応する力が僕にはなかったようで、自分のなかを素通りしていってしまったという感じがします。
2002/3/23, ノモ
いとうくにおさん、即レスありがとうございました。

 ヘミングウェイは「老人と海」、川端康成は「雪国」でノーベル文学賞を受賞しましたね。

 この人たちは、作品に対する評価が高かったんだな〜って思えるし、作品を読めばそのすごさを味わえますよね。
 
 だけど、大江さんは、何に対する評価が高くて受賞したのでしょうか?また、どの作品を読めばノーベル文学賞っぷりを堪能できるのですか?

 それと、いとうさんは、伊豆の踊り子読みましたか?
2002/3/23, いとうくにお
うさぎさん、「中国の旅」は本多勝一さんですね。朝日新聞から出ているようです。
2002/3/23, うさぎ
ここは、他の作家についても、OKなんですか?
小説好きな方が多い・・・と信じて、知っている方いらっしゃったら、教えて下さい。

以前、朝日新聞のジャーナリストをしていて、今はたぶんフリーだと思うのですが、(先日、朝のNHK newsに出てました。)早乙女勝元さんという方の、「中国の旅」という本を探しています。
この方の名前で検索しても、この本は見つからず。

以前、この本、持っていたのですが、なくしてしまい。
中学の頃、社会の先生が、授業を脱線して、教えてくれた本でした。
なぜか、脱線話ばかり、記憶していて。

自分も読みたいのですが、子どもにも読ませてもいいかなあ・・・と思っています。南京大虐殺についての早乙女さんのレポート中心の内容だったように、記憶しております。

よろしくお願いいたします。
2002/3/22, 真美
お久しぶりです。再び参加させて頂きます。最近古本で大江健三郎作品の装丁・装画を多数されている司修氏の画集『壊す人からの指令』を購入しました。聞き覚えのある呼び名の背表紙に、手にしてみるとやはり「『同時代ゲーム』へのアプローチ」ということで幻視的な森の世界が司氏のものとして広がっていました。個人的に小学生のころ松谷みよ子作『ふたりのイーダ』を何度読んでも彼の絵が怖かったのですが,年をおいて大江作品で目にするようになり,いつのまにか惹かれている状態です。表紙にも一部使われているもののほかに数点掲載されているので,ぜひ機会があったら見てみてください。又,私は実物(150号など)作品も見てみたいのでもし何か情報がございましたら教えて下さい。
 埴谷雄高氏は『昭和文学全集16』で大江健三郎氏と共に組まれているので最近短いエッセイ文(?)を2,3読んだのですが,勝手に『キルプの軍団』の原さんに重ねて見てしまいます。モデルにしているのでしょうか?……大江作品を読破したいと思っているのですが、読めば読むほど、読むべき・読みたい本がでてくるので脱線しつつ、戻りつつの日々です。そこもおもしろいのでしょうけれど。
2002/3/22, いとうくにお
こばやしさんがご紹介されたURLは栗原幸夫氏のサイトの一部ですね。そこで触れられている大江さんの「『死霊』の終わり方」は、昨年出版された『言い難き嘆きもて』に収録されていました。
2002/3/22, こばやしようじ
すがさま。
「三輪与志」については、僕は漠然と「みわ・よし」と読んできましたが、ひょっとしたら何か他に読み方があるのかもしれません。
ところで、埴谷雄高でネット検索すると、膨大な数ヒットします。いくつか行ってみたところ、なんと大江健三郎は「死霊は9巻で完結したのだ」という趣旨の評論を書いているみたいですね。
http://www.shonan-inet.or.jp/~kuri/hyouron_2/haniya/shireiryou.html
2002/3/22, いとうくにお
スーザン・ソンタグの『この時代に想うテロへの眼差し』はNTT出版のようですよ。
2002/3/22, 内海 晃二
何度もすみません。
山口さん、英語でも良いと言うことなのでgoogleで
「susan sontag nato」と入れて検索しました。
当の大江さんとの往復書簡は未だ見つけていませんが、
大量の文献がありました。1090もヒットしました。
恐るべし!スーザン!
2002/3/22, 内海 晃二
スーザン・ソンタグとの往復書簡は本になっていました。
これはユーゴへのNATO空爆を支持するスーザンとの討論です。
出版社が書いてないんですよ・・・。ヘンな紹介です。買えないジャン・・?

この時代に想う
テロへの眼差し
スーザン・ソンタグ 著
木幡和枝 訳
内容紹介
■ プロローグ;スーザン・ソンタグ2002.2(書き下ろし)
part1;
After September 11(国内未発表)
・2日後に ベルリンにて 2001.09.13)
・1週間後に パリにて 2001.09.19
・数週間後に ニューヨークにて 2001.10.06
part2;
・サラエヴォでゴドーを待ちながら
・未来に向けて―往復書簡(スーザンソンタグ×大江健三郎)
・戦争と写真―アムネスティ講演2001.2.22(世界初公開原稿)
・エルサレム賞記念スピーチ2001.5.9(国内未発表)
・エピローグ(訳者あとがき);木幡和枝
■本体価格: 1,900円
■サイズ:四六判
■ISBNコード:
4-7571-4034-7
■発行年月:2002.2

また、ユーゴ空爆支持のスーザン批判のサイトも見つけました。
↓こちらです。
http://www.jrcl.net/web/p03d16.html

スーザンは9・11テロの時に、テロリストを「卑怯者」といったブッシュ大統領を
批判し「命がけで行動をおこした彼らが卑怯者であるはずがない」と言い放って、注目されたのですが、追いかければ追いかけるほど、面白い人です。
2002/3/22, 内海 晃二
山口美由紀さん、スーザン・ソンタグに関しては、「大江健三郎ML」にも
問い合わせたんですが、レスがありませんでした。結局、自分で捜すよりなさそうです。
googleで検索をかけても良いものは出てきません。
わたしももう一度捜してみますから、山口さんも捜してみて、良いものがあったらここに書きこんでください。
ところで、良いものって何だ〜???
2002/3/21, いとうくにお
ノモさん、はじめまして。どの作品で、ということはないみたいですよ。
2002/3/21, ノモ
皆さんはじめまして、ノモ(15歳、学生)といいます

 ぼくは、文学のことのゼンゼーン詳しくないのですが、さっき、伊豆の踊り子を読んだことから、インターネットで関連するものを調べているうちに、川端康成→ノーベル文学賞→大江健三郎、へと、ネットサーフィンしてきました。
 
 もちろん文学素人のぼくでも、大江健三郎さんがノーベル文学賞を受賞したことは知ってますが、川端康成は「雪国」で受賞したように、大江さんが、なんという作品で受賞したかは知りません。誰か教えてください。
2002/3/19, じゅん
突然おじゃまいたします。文学のお話をなさっているところに
このような話題を持ちこんでよいものかどうか随分迷いました
。でも、大江さんが廣島について書かれた文章を読んで大江文
学を読みはじめ、以来、大江さんが常に時代の課題に誠実に向
き合われる姿に「励まし」をうけてきた者として、これも許さ
れることではないかと思い、投稿させていただくことにしまし
た。

まもなく政府によって有事法制の法案が提出されます。これは
テロや外国からの侵略など外部からの攻撃から日本を防衛する
のが目的とされていますが、端的にいえば「攻撃された場合」
および「攻撃されそうな場合」において自衛隊や米軍の作戦行
動を容易にすることが主な目的です。

この会期中に法案がすべて提出されるかどうかは不明ですが、
その内容には、陣地をつくるために軍隊が私有地やその中の建
物を使える、または壊してもよい、病院関係者や土木技術者を
はじめとする特定の職につく人々は命令によって野戦病院その
他の軍の仕事に従事する等々、国民の自由を大きく制限するも
のが含まれています(罰則規定もあります)。

一方、戦死者を法で定められた場所以外、たとえば公園などで
火葬してもよいなど、事実上「日本が戦場になったときにどう
するか」に関する規定も多く含まれます。

政府が有事法制整備を急ぐのは「不審船」事件によって「非常
事態」に対する国民の関心が高まっている今が絶好のチャンス
だという認識があるからであり、また、以前から米軍の行動に
自治体や民間機関に協力を強制できるような立法措置が必要で
あるとのアメリカの意図があるからと思われます。

しかし、このように日本を自衛隊のみならず米軍の作戦行動の
舞台にしてしまうことは、かえって日本をテロの標的となりや
すくすると思われますし(昨年末の沖縄の「テロキャン」を思
い出してください)、そもそもテロや侵略を防ぐにはこのよう
な物理的な方法(しかもどちらかといえば「コトが起こってし
まったあと」についての準備)よりさきに、外交という手段が
あるはずです。

マスコミによってあまり取り上げられていないために、いった
ん提出されれば、テロ法案のときにもまさるスピード審議で成
立してしまうのではないかと、この法制に反対する立場の人間
として、深く憂慮しております。

一度手放してしまった自由と平和は取り戻すまでには数世代を
要する場合もあります。

皆様が少しでも有事法制について関心をもってくださり、議論
を広めてくださいますことをお願い申し上げます。以下は「有
事」関係のサイト2つです。ぜひご訪問ください。

ユージストーリー:
http://www.geocities.com/ceasefire_anet/misc/yuji_index.htm


ユージホーセーって何?
http://www.nowar.jp/

これは蛇足になりますが、「9・11」後に「取り替え子」を
お読みになってあの中の「暴力」のイメージを生々しく思いお
こされた方もいらっしゃるかと存じます。また、私個人は「有
事」に関しましてこのように皆さんにお願いをしてあるくとき
、最近平易なエッセーを多く書かれ、若い人たちと話し合う場
をつくられている大江さんのご努力を思い出し、痛々しく思い
ますと同時に「自分は自分の『戦い方』で頑張らねば」という
気持ちも新たにします。
2002/3/18, うさぎ
なんだか、「砂の女」の話のようで・・・。

その話題になると、どうしても幼い頃見た、実家の村の風景がよぎります。
今でこそ、あまりピンと来る風景ではなくなってしまったのですが、(*立派な、新しい家が多くなったこと&砂の害を少なくするための柵の設置や、砂そのものをコンクリートに混ぜるために、排除したりしたので。)昔の風景は、ほんとに、家の屋根まで砂に埋もれているような風景でした。
砂地のため、起伏があって、そこに平屋の、トタンの屋根に、風で屋根が飛ばされないように、石が置いてある・・・。
日本海側の、厳しい冬の色が、その風景を一層濃くしていた・・・
そんなところが、私の中の心象風景・・・でしょうか。

今は、そんな風景とは無縁のような、おだやかな春の庄内地方です。

資料館とかに行けば、「砂の女」の舞台の風景のモノクロ写真もあろうかと思います。
関係ないですが、土門拳記念館という、写真美術館もあります。
記念館そばの、庭園の後ろに、鳥海山という美しい山・・・これが、ステキです。
6月に、「あじさい祭り」があります。

http://homepage2.nifty.com/96jps/pmunu.htm
このHPは、庄内在住の方の、庄内中心の写真館です。
キレイですので、良かったら、皆様ご覧になってください。
2002/3/18, すがしのぶ
こばやしさんへ
 こんにちわ。私も10代のころ、安部公房は立て続けに読んでいました。なぜ安部公房を読むようになったのかは覚えていませんが、もしかして国語の教科書に『砂の女』が出ていたのかもしれません。
 大江さんの作品を読むようになったのは、おそらく20歳を過ぎてからだったと思いますが、それももう忘れてしまいました。
 『死霊』はまだ始めたばかりですけれど、文体も刺激的です。私には未知の世界です。読み始めて、何となく安部公房に似ていると思ったりもしました。何か今までに知らない手触りのようなものを感じています。

 最近、ここで大江さんの作品について触れていると、自分が読んだのはいつのことだったろうと、気が遠くなる思いがします。再読しなくちゃ。

 それと、「三輪与志」の読み方を教えてください。
2002/3/16, こばやしようじ
僕も、大江健三郎をはじめて読んだのは高校1年の頃でした。当時、安部公房のファンでしたが、高校の図書館で借りた日本文学全集では、安部公房と大江健三郎が同じ巻になっていたため、安部公房のおまけのようにして「飼育」「芽むしり仔撃ち」を読んだのが最初です。日本にこんな作家がいたのか!と本当にびっくりしました。考えてみれば、それまで集中的に読んだ日本の作家と言えば夏目・芥川・太宰と安部公房・庄司薫といった程度の読書経験で「こんな作家がいたのか!」もないものですが、この驚きは今でもずっと続いています。
その後、「洪水は我が魂に及び」に感動し、「万延元年のフットボール」で一旦挫折し、高校2年生の夏休みに「我らの狂気を生き延びる道を教えよ」を繰り返し読んだことで、いよいよ本格的にはまり、入手できる限りの大江作品を年代順に読むことにしました。当時、毎晩・毎晩、布団に入って大江健三郎に没頭することが何よりも楽しみでした。丁度「同時代ゲーム」出版された頃です。年代順に読むという方針を守るため、「同時代ゲーム」冒頭2〜3頁をめくっては、逸る心を「まだまだ」となだめすかして閉じることを繰り返しました。実に幸福な「ハイスクール・ブッキッシュ・ライフ」。
このサイトを知って以来、古い本を取りだしては、20年以上前の幸せな読書体験を蘇らせています。

また、その後、何人かの素晴らしい作家に出会いましたが、その殆どは直接・間接の大江健三郎の導きによるものだったことに、改めて気付きました。
2002/3/15, RB26DETT
高校1年の頃から30年以上愛読し続けてきました。中には途中で読書中断したままの作品ももありますが(「同時代ゲーム」とか)。最近、時間を作り初期の作品を読み返しています。「個人的な体験」以前の作品です。いい歳になって、必死になって読んだあの頃が懐かしい気がします。今日は、偶然このサイトを見かけて投稿しました。まだ掲示板を全然読んでいませんので読んでからまた投稿したいと思います、よろしく。
2002/3/15, 山口美由紀
以前あさひ新聞で、スーザンソンタグとの書簡のやりとりを掲載していたかと記憶してますが、もしその書簡がウェブで見れるようでしたら、教えてください。英文で手に入ると助かります。
2002/3/14, 芦野武徳
大江さんの『死者の奢り・飼育』を読んでみました。今、34才になって、改めてこれらの作品に触れて、文体の素晴らしさと、深い人間存在の描き方に、毎日、奇妙な悪夢を見るほど感銘している毎日です。リズム感溢れる文体は、大江さんが『小説の方法』でおっしゃっているように、構造というものが、心の奥深く、たぶん、私が生まれる前から存在したかもしれない、人間の残滓を呼び起こし、この世の中が全て目に見えるものだけで構成さいれていないことをつくづく実感させてくます。臭い者(物)には、蓋をする人間心理の断片は、私が生まれる前からの作品で証明されていたのです。そのことは今の時代でも、アフガニスタンを見れば一目瞭然なのかもしれません。バーニアンの仏像から、崩された時、初めて我々は、あんな酷い国を発見したのです。もしかしたらあの仏像は、我々に、あんなに見捨てられた人々がいることを気づかせるために、自ら崩れたのかもしれません。大江さんの文学は、あたかもそのバーミアンの仏像のように、文学を越え、私の心をバイブレーションさせ続けます。偉大なる天才が、同じ時代にいらしてくれることの感動は、これからもはかりしれないことでしょう・・・・
2002/3/14, こばやしようじ
オサムさん。
「レ・コスミコミケ」!これ、僕は読めてません。10年くらい前にカルヴィーノに夢中になって、その頃入手できる本は全部読んだのですが、これと何かもう1冊、手に入らないものがあったのです。確か版元に注文しても切れていたという記憶です。早川文庫ですか、また探してみましょう。
「木のぼり男爵」は、オサムさんのご推察どおり「木から降りん人」と通じるものがあるのですが、僕がこれを読みながら一番思いだしていたのは、むしろ「50日戦争」の部分でした。

すがさま。
「死霊」はいかがですか。大学生の頃、「自同律の不快」、「虚体」等々、埴谷雄高独特の概念にはずいぶん刺激されました。
ところで、最後まで読めるかどうか不安に思われることはないと思います。いずれにせよ、この小説は未完です。ずいぶん長い年月をかけて書かれた小説ですが、おそらく埴谷自身も完結させるつもりはなかったのではないでしょうか。一番初めに、予定しているクライマックスの場面を紹介しているのは、埴谷自身、現実にそこまで書けるとは思っていなかったからではないかと思っています。
2002/3/14, オサム
こばやしようじ さん
僕も イタロ・カルビーノ (かつて) ポツポツと読んでいます。早川文庫の『レ・コスミコミケ』が--一番始めに カルビーノに出会った本ということも あるでしょうが--頬ズリしたいぐらい 好きですねェ。
 カルビーノは そのほかに3〜4冊ぐらい 読んだでしょうか。
残念ながら『木のぼり男爵』や『まっぷたつの子爵』などは、未だ 読んでません。
『同時代ゲーム』が ひきあいに出るということは 「木から降りんひと」と何か 関係を こばやし さん は、読み取られたのでしょうか?

 最後に 岡田ehimeサン お元気で いらっしゃるのでしょうか。
って 掲示板を 手紙がわりに 使ってしまって コリャマタ シツレイシマシタ!
                   では 今回は これで
2002/3/13, すがしのぶ
こんにちわ。
きのうやっと「言い難き嘆きもて」を読み終わりました。是非一度、武満徹の仕事を聴いてみたいです。夜ふとんに入ってから読むので、一日に2,3ページしか読めないときもあって、前の日に読んだところが全然頭に入っていなかったりで、行きつ戻りつしながらでした。
 大江さんも話されていた日本語で書かれるということについて。それはアメリカなどの文学から初めはやはり大きな隔たりを持つものだったと思います。世界としてみると、日本の文学はどのように見られているのか、日本語というものはどのように「受け入れ」られているのかなあと、気になるところです。
 映画の字幕と同じように、私自身も本来の形を変えて日本語で読むということに違和感を覚えることも少なくありません。
 
 それと、大江さんがプリンストンで再読もしたと書かれていたマンの『魔の山』ですが、
以前、やはり大江さんの文章に出ていたことがあって、私も一度読んだことがありました。
 でもあのころは、ただ漠然とスケールの大きさや心理描写の細やかさ、複雑さに感心したばかりだったので、今回また改めて興味を持ちました。

 最近、大江作品を再読しなければ、とは思い始めているのに、とても大量の時間を作り出せそうになくて、再読完了は何年後のことになるのかなーとすごく遠い気持ちになっています。
 やはり私の人生も、小説よりほかになかった?
2002/3/7, すがしのぶ
こんにちわ。きのう図書館で「言い難き嘆きもて」に出ていた埴谷雄高の「死霊」を借りてきました。でもこの小説は何巻かの続きになっているらしくて、最後までいけるかと思うと、読み始めるのがちょっと不安ですが。
 でも、少しでも私の中の「大江文庫」拡張したい気持ちもあるので、一冊だけでも読んでみたいと思います。

 それと、まだ一冊も読んでいないディケンズにも、今年は挑戦して見るつもりです。それだけまだ私にも、人生の楽しみがのこされているということですよね。
2002/3/7, うさぎ
内海さん、翻訳ありがとうございます。
この前の文章も、すごくいいのですが、掲示板なので抜粋しました。
興味があったら、HORIZONの中学3年の教科書ガイドあたりをのぞいてみてください。
2002/3/6, 内海 晃二
ウェーブ翻訳なる物に挑戦してみました。
OCNの翻訳サービスです。
先のうさぎさんの書きこみにある英語文をコピーして訳させました。
↓こんなのが出ました。合ってるかな?
私たちは苦痛と死にもかかわらず喜びを見つけることができますか。
これは彼の父親が彼の本の中でする質問です。
光は私たちに答えます。
彼の音楽は、喜ぶ方法を私たちに教えます。
2002/3/6, うさぎ
内海さん、ありがとうございます。

お礼に、中学の教科書NEW HORIZONに掲載されている、大江先生と、光さんについての文章の中から、私が一番好きなところを。

Can we find joy in spite of suffering and death ?
This is a question his father asks in his books.
Hikari gives us an answer.
His music shows us how to rejoice.

この掲示板をごらんになってる皆様の中で、お子さんが中学生でHORIZON使ってらっしゃったら、共通の話題ができるのでは・・・。
2002/3/6, こばやしようじ
1週間ほど前にこのホームページを知って以来、仕事をさぼっていりびたっています。

BOYAKKIさん、ちやまんさん、思えば僕もずっと以前に大江健三郎とカミュとの関係が気になっていたことを思い出しました。
僕は、大江健三郎は、カミュの文学について語ることを意識的に避けているのではないか、と思ってきました。
大江健三郎がカミュについて語ったものとして僕が知っているのは、「テロは美しく倫理的か?」という評論です。ここで大江は「帝政ロシアのテロリストたちを評価しながら、アルジェの反抗者たちのテロを否定したアルベール・カミュは〜しかしカミュは現実に即していなかった」とカミュを批判しています(但しこの評論の批判の矛先は主に三島由紀夫に向けられています)。
僕はこの評論を大学時代に読んだのですが、僕としてはそれ以前から、彼の小説やエッセイにアルジェリア独立問題が登場するとき、そこにカミュの名前がないにしても、カミュに対する批判を読みとっていたように思います(例えば「見る前に跳べ」)。
大江健三郎がカミュの文学について寡黙に見えるのは、カミュという存在が、大江健三郎にとって、政治と文学との関係に深く絡みすぎているからではないのか、というのが僕の推測でした。もちろん大江健三郎ほど政治と文学との関係について積極的に語ってきた日本の作家はいないと思いますが、その大江健三郎でも語りきれないような存在として、カミュがあったのではないか、ということです。

今回、真美さんの書き込みで、大江健三郎と立花隆との対談を読むことができました。ありがとうございました。
ひょっとしたら僕が知らないだけで、もっとあちこちで語っているのかもしれませんね。
ただ、この対談を読んでも、かなり韜晦している部分があるのではないかという印象は拭えません。例えばカミュ・サルトル論争は大江健三郎の在学中(ひょっとしたらちょうど作家としてデビューした時期?)だったはずで、サルトルの熱烈な愛読者だった大江健三郎としては、何か一言あってしかるべきところ、という気もするわけです。

オサムさん、僕も「やぎ少年ジャイルズ」大好きです。
ところでイタロ・カルヴィーノはお読みになりますか?「木のぼり男爵」は「同時代ゲーム」の愛読者に是非読んでみてほしいと思います。
2002/3/6, いとうくにお
内海さん、こんにちは。メーリングリストは気軽におしゃべりを楽しむのに最適だと思います。掲示板の少しゆっくりしたペースでのやり取りが合っているという人もいらっしゃるでしょうが、もう少しおしゃべりに近いような感じでやり取りしたい人にはメーリングリストへの参加をお勧めします。
2002/3/6, 内海 晃二
うさぎさん、はじめまして!
お体お大事になさってください。
「病院と読書」 これは皆さんが案外感じていることでしょう。
実生活では得ることができない「本を読む時間」を得させてくれますよね。
学生の頃、何回も入院しましたが、その時のことを思い出します。あの病院ではあの本を読んだ。あっちの病院ではこの本を読んだ・・。私も3年前、交通事故で知っている人が誰も居ない片田舎の病院に担ぎ込まれて「大江文学」と再会した者です。
ここに書き込んでいらっしゃる皆さんも多かれ少なかれ「病院と文学」について感想をお持ちと思います。実際、不思議な体験ですよね、病院って。良ければ聞かせてください、皆さんのいろいろな「病院と文学」体験。このサイトの片隅に「メーリングリスト」という不思議な空間への入り口があります。そちらからでも良いですよ。そうですよね?ML管理人さん!
2002/3/4, いとうくにお
Prof.Shimaさん、劉さん、情報をありがとうございます。4月の放映がとても楽しみですね。
2002/3/4, 劉
監督は張芸謀です。陳凱歌ではありません。
対談のタイトルも公明ではなく、光明です。
邦訳:文学は人類に明るさを与えるべきだ。
2002/3/3, Prof.Shima
中国のインターネットサイト「人民網(日本版)」に「文学応該給人公明
----大江健三郎と莫言との対談」が収録されました。

http://japan.people.com.cn/2002/03/01/riben20020301_17308.html

本文は中国語です。この対談の模様は、四月にNHKから放映
される予定だとのことです。

莫言は、陳凱歌監督の映画「紅いコーリャン」の原作者として
有名な作家で、最近は長編「豊乳肥臀」が翻訳されています。
2002/3/2, うさぎ
すがさま・・・

私は、以前、とある病気の検査にひっかかり、結果OKだったのですが、半年に一度、検査を受けています。
「あいまいな日本の私」は、病院の待合室で待ち時間に読むのにちょうど良く。
大江先生の文の中の世界が、自分の目の前にパアーッと広がり、あたかもそこに今自分がいるかのように錯覚さえ覚えます。
他にあまりおもしろい本も見つけられず、何か読みたいなあ・・・と思うと、大江先生の本を買い置きしてしまうのです。

仕事をして、家の事をし、子供の世話、さらに英語の勉強&多趣味・・・ゆえに、「沖縄ノート」も「広島ノート」も、積ん読状態になって・・・。
あと2年すれば、子供も中学生。声がけしなくても自分のことができるようになれば、長文をじっくり読めるようになるか・・・と。
すがさまの、今回の文を読んで、少し勇気づけられました。
早く、私にも「ジャストミート」来て欲しいです。

今日、子供のアニメビデオを借りに、レンタルビデオ屋さんへ行き、偶然、光さんのCDを見つけ・・・Lucky!!
2枚しかなかったのですが、2つとも借り、今MDにダビング中・・・です。
2002/3/2, すがしのぶ
こんにちわ。
こばやしようじさん、いろいろと細かく書いていただいてありがとうございます。
図書館で青山南という人を調べてみたいと思います。「ガープ」についても、その当時の「ざわめき」みたいなものも知らないので、今となっては日本でどの程度知られているのか、今現在は? というのも謎です。
でも私のなかでは、「アービング熱」は冷めそうにもありません。

 話は変わって、きのう久しぶりに古い日記帳を見ていたら、「自分の木の下で」でつよく共感したところを忘れないように書き出してあったのを見つけました。

 「自分で読んでみて、これは立派な学者や作家が書いた本には違いないが、自分にはむかない、とわかる本ならいいのです。読むことをあきらめるか、あとに延ばすかします。
  (中略)もっと成長して、その本が面白くなったときに読めばいいし、それでも意味がわからなければ、自分の責任だと考えればいいのです。」

さらには、
 「ただ私はみなさんに、子供の時にあなたがはじめる自分のための勉強は、切れ目なしに一生続けることができるということを、私の経験からお話したかったのです。」
 
 私はこれらの文章にものすごく励まされ、読んだと同時に心のなかで鐘が静かに鳴るようでした。

 「そして幾年かたって、実際にその本を読み、思っていたとおりよい本だと自分で確かめることができたときはうれしかったものです。本とそれを読む自分とのジャストミートということがあるのです。……ジャストミートするためには、その本を読むことを急ぎすぎてはなりません。
 いつも自分の知らない本に目を光らせていて、これはよい本らしいと思ったら、まず、その実物を本屋なり、図書館なりで見ておくことです。余分のお金があったら買っておくのがいちばんいい。
 そしてずっと忘れないでいて、ある日その本に向かってバッター・ボックスに入っていくのです。」

 こんなところがあったの忘れていた、という方にも見ていただきたくて書きました。
2002/3/1, こばやしようじ
昨夜、家に帰って念のため青山南のエッセイ集を探したところ、僕の書き込みはひどく不正確だったことが判明、お詫びとともに訂正いたします。
本の名前は「ピーターとペーターの間で」ではなく「ピーターとペーターの狭間で」、エッセイの表題も「ガープ戦記」ではなく「ガープ戦史」でした。
内容は、まず1980年に「The World According to Garp」の内容を最初に紹介した村上春樹が、「ガープ的世界の成り立ち」という訳題を使用、それに数カ月遅れて著者の青山南が「ガープが世界を見れば」と訳し、翌年には斉藤英治の「ガープ的世界」という訳題が現れたことに触れた後、
「このあたりからアーヴィングの名前は徐々に知られはじめてきて、大江健三郎や佐伯彰一や池澤夏樹らもこの本にあちこちで言及、
『世界、ガープ発』
とか
『ガープによる世界』
とか、
『ガープによる世界解釈』
が続々登場し、静かだが苛烈なる戦いが展開されつづけながら1982年のいまに至っている。」
というものです。
翻訳以前に大江健三郎が「ガープ」について語っていたらしいことだけは間違いではありませんが、「ガープ発、世界行き」などという訳題は、大江健三郎はもとより、誰も主張していませんでした。
まことにトホホな話で、申し訳ありません。知ったかぶりをするものではありませんね。
しかし「ガープ発、世界行き」というのは、僕の迷訳だったのかなあ。
2002/2/28, こばやしようじ
すが様。
ヴォネガットは、全部面白いと思うんですが、特にJrのついていた時代が好きです。「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」あたりが一番好きかもしれない。Jrが外れた後は「ジェイル・バード」でしょうか。
アービングは「ガープ」以降全部好きでしたが、「サーカスの子」があまり好きではありません。「未亡人の1年」は、途中まで「これぞ最高傑作」と思って読んでいたら、最後の方でこけてしまいました。
すみません。大江健三郎のファンクラブでした。
僕は、長編では「洪水は我が魂に及び」、短編では「空の怪物アグイー」、作品集としては「新しき人めざめよ」が一番好きです。一番よく分からなくて困惑したのはレインツリーの連作でした。
皆様方はどんな作品がお気に入りなのでしょうか?
2002/2/28, すがしのぶ
こばやしさん、こんにちわ。
実は私も一年ほど前にヴォネガットに挑戦してみたことがあります。でも、図書館にあるもの全部制覇しようとして2冊目で断念しました。おなかが大きかったこともありまして…。
 それに内容も私にはとても数学的(?)で難しく思えたのです。いつか時期が来たら、また読んでみたいと思っています。ご紹介のエッセイは探してみたいと思います。
 
とやさんへ 
大江さんへの手紙の宛先は、出版社でも届くと思うし、図書館にある人名辞典にも載っていると思います。
2002/2/28, こばやしようじ
はじめまして。こばやしと申します。
すがしのぶ様。不確かで申し訳ないのですが、ジョン・アービングの「ガープの世界」が翻訳される前、大江健三郎はこの小説の表題を「ガープ発、世界行き」と訳して紹介したというエピソードがあったように記憶しています。青山南という翻訳家のエッセイ集「ピーターとペーターの間で」に収録されている「ガープ戦記」というエッセイで読みました。
とはいえ、私もその大江健三郎の文章を読んだわけではありません。
そういえば、大江健三郎は一時期カート・ヴォネガットのことをよく書いていましたね。私はそのお陰でヴォネガットに出会いました。アービングとヴォネガットの関係を考えると、大江健三郎のアービング論も読んでみたい気がします。
2002/2/27, うさぎ
すみません。ちょっと宣伝させてください。
うさぎの住んでいるところは、山形の庄内地方という田舎です。
でも、うさぎの実家は、庄内空港のあるところなのですが、阿部公房さんの「砂の女」の、
舞台となったところです。
鶴岡市は、藤沢周平さんの出身地。おととしは、鶴岡市在住の作家、佐藤賢一さんが、直木賞を受賞されました。
秋には、月山で、著名な方の講演があったりします。
冬に「来てください」とは言えませんが、これからは、カタクリやキクザキイチリンソウなどの山野草も見られますし、温泉もいっぱいあります。おいしい魚もあります。
文学好きのこのHP見ている方、春の庄内を楽しんでみませんか?
(管理人さん、ごめんなさい。)
2002/2/27, とや かなこ
突然のメールですが、こんにちは。
大江健三郎さんに手紙を書きたいのですが、どこに送ればよいのかがわかりません。
連絡先が分かる方、教えてください。
2002/2/27, いとうくにお
うさぎさん、こんばんは。テレビで大江さんを見て嬉しくなる気持ち、よくわかりますよ。
2002/2/27, うさぎ
大江先生の作品は、難しいんだけど、読む毎にその難しさをclearしてみたくなります。
後味もいい!!きっと、作品の根底に、あふれるほどのヒューマニズムが流れているから・・・うさぎはそう思っております。
とはいえ、まだまだ読みが浅いような気も・・・。
高校生の頃は、不条理(カフカ・カミュなど)にハマっておりました。
今は、人間愛というか、失いかけた良心を取り戻してくれる・・・ごく日常の、ごく当たり前の幸せ・・・そんなところを、魂が希求して、大江作品に何度も何度も戻っていく・・・
そんなところでしょうか。
たまに、朝のNHK newsに大江先生が出ていると、わけもなく嬉しくなります。
このHP見ている方でしたら、この気持ちわかってくれると思うのですが。
2002/2/27, ナラズキ
はじめまして。と言いいながら、2年前くらいにいつも遊びに来て
いました。ですからお久しぶりです。

「あいまいな日本の私を」久しぶりに読み返したら、
あらためて、とても面白い本だなぁと思いました。
ところで、大江光さんの名前の由来の、ヴェイユが引用したと言う
エスキモー(イヌイット)の神話は、ヴェイユの何処で引用されて
いるのかどなたかご存知でしたら教えて下さい。
2002/2/19, うさぎ
大江文学に関してではないのですが、私の一番尊敬している方なので。
最近、海外の方とEnglish mailしています。どの国の方も、What's your hobby ?と聞いてきます。Reading booksと書く時、それに伴い、私は大江先生のことを書いてしまいます。日本の誇れるノーベル賞作家であること・・・いえ、それ以前から、私は、中学の英語の教科書HORIZONに、大江先生と光さんのことが載っている(Rejoice!というタイトルです。)その文に感動したのです。
「あいまいな日本の私」は、私の愛読書です。
これからも、海外の友達に誇れる、すばらしい作品を書き続けていただきたいです。
昨年の暮れの、「自分の木の下で」がベストセラーになったのは、とても嬉しかったです。
このURLも、Englishで読めるので、mailにつけています。
管理者さん、がんばってください!!
2002/2/19, くにこ
「家の匂い 町の音ーむかしちゃぶ台があったころ」
久世光彦著、主婦の友社、平成13年10月20日刊」
を、図書館で借りましてチラチラ読んでおりましたら、思いがけないところで、大江さんに御会いできましたので、みなさまにも、おすそ分け。

「詩人のいた店」
「最初とばして途中から引用
・・・・私には同い年の従兄がいた。その従兄の仲の良い友人に大江某という男がいた。二人はその年の春、私が受験して失敗した大学の同級生だった。予備校に友達のできなかった私は、なんとなくその二人にくっついて歩くようになっていた。二人が持ち歩いているリラダンの原書を羨ましいとは思ったが、あまり劣等感はなかった。品があって慎ましく、明るい冗談好きの二人だったのである。大江という男は耳たぶが人並み外れて大きく、映画館の前の席で子供がむずがっていると、両耳に手を添えて、ダンボダンボとヒラヒラさせて泣き止ませる特技があり、・・・中略・・
彼らといっしょにいるときだけが楽しかった。それはたぶん、彼らの声のせいだったのだと思う。二人はまだ二十歳になったばかりなのに、いつも静かに話していた。静かに笑い、静かに歌い、怒っても静かだった。私はそれを知性だと思った。

三人で高円寺の赤提灯の店へよくいった。(ここが詩人の店なんですが・私書き込み)・・中略・・まさか、それから三十何年か後に、隣りの椅子で合成二級の酒を飲んでいる男が、ノーベル文学賞をもらうなんて、当人も含めて誰が思ったことだろう。・・・後略」
2002/2/18, いとうくにお
滝川さん、こんにちは。大江さんの文章は密度が高い、という感じを僕は受けます。頭の体操になりそうです。
2002/2/18, 滝川 清
 大江健三郎は最近、文体を変えたらしいが、難しい言葉も使わないのに、一段と理解しにくくなっている。ふと思い出すのが、サルトルの「嘔吐」。これも、難解な言葉を羅列した
文章ではないが、なかなか理解しにくい。2人の作家とも、1度読んだだけでは、理解できない。2度、3度と繰り返し読む必要がある。境地に達した作家というのは、普通の言葉を
並べても、難しいものだ。それだけ、奥が深いのだろう。平易な言葉を曲折して書くだけで
相当意味深いものとなる。こういう作家の後を追いたいものだが、なかなかーー。大江健三郎の最近の作品を繰り返し、読む必要がある。なぜなら、彼は人生の何たるかを自分なりに
確信を持って所有しているからだ。
2002/2/17, いとうくにお
活字が好きな人は、いるところにはけっこういますよ。とくに出版とか印刷とか、本を作る側の業界には多いんじゃないかなあ。
テレビ出演の情報は、だいたいはメーリングリストのほうで情報が寄せられます。特別の情報源があるわけではなくて、皆さん、新聞のテレビ欄とかで気づいて教えてくださるんだと思います。テレビ局の方が直接教えてくださったケースもありますね。
2002/2/17, すがしのぶ
いとうさん、ありがとうございました。私もきのう自分の書いたことについて考えていました。比べる相手も相手でした。それとパソコンを始めてきがついたことがあります。それは活字は画面で見ると読みづらいということです。横書きだし…。
 私は今まで人に言ってもあまり理解されなかったのですが、自分では「活字フェチ」だと思っているんです。新聞、雑誌は入らないんですけれど、書籍に関してすごくそうなんです。特に日本語のひらがな、カタカナ、漢字の組み合わせで、読んでいるうちに胸がギューっとなることがあります。そういうことってありますか?大江さんがそういっていたのか、ちょっと忘れてしまいましたが、志賀直哉の作品は活字が浮き上がってくるようだと書いてあるのを、どこかで読んだことがあります。私もそれは確かにそうだと思いました。これは日本人だけの特権ですよね。
 それから、やっぱり好きな作家について書かれている論評や解説本も読んでみたいとは思うのですが、もともとはエッセーも含めてあまり好きではなかったのです。大江さんの場合はエッセーが多いので、仕方なく読み始めたという感じです。その作家の作品だけがすべてで、あとは必要ないと思っていましたし、今でも半分はそう思っています。でも大江さんに関しては、作品では語られていないことが講演やその他の文章にたくさん盛り込まれていると思うので、今現在も格闘中です。 
 あと、大江さんのテレビ出演などの情報はどうやってわかるのでしょうか?事前に教えていただけるんですか? やはりタイムリーな生の声には関心があります。よろしくお願いします。 
2002/2/16, いとうくにお
すがさん、こんにちは。確かに難しい書き込みも多いですね。僕もついていけてません。でもまあ、とにかく自分が大江作品を読んで面白いと感じたり感動したりする部分があるのであれば、大江作品を読み続けていく理由としては十分だと思うんですよ。難しい批評も、理解するに越したことはないでしょうが、それは大江作品を読む上での必要条件ではないと言いたいです。
大江さんの脳みそに追いつけないというのは、まあほとんどの読者がそうなんじゃないでしょうか。大江さんは作家として特別な才能があり、さらに何十年もの間、その道のプロ(?)として前進してきたわけですからねえ。
2002/2/16, すがしのぶ
今、みなさんのいろいろなご意見を読んでみたところです。難しいことがたくさん書かれているのにびっくりしてしまいました。難しいと思うのは、私が高卒だからでしょうか?でも難しい言葉だからとさけて通るのは、できるだけやめたい。できるだけ知っていきたいと思います。小説について語るとなると、やっぱりその作品よりも批評の方が難しいですよね。
そのくらい、みなさんのご意見は私には難しかった(+_+)
 私が大江さんに対して抱くコンプレックスも、私が一生かけても大江さんの脳みそに追いつけないということです。私がいくら追いかけても、大江さんはさらに遠い人のようにしか感じられないでしょう。大江さんと私自身を比べてみること自体がおかしいですね。
2002/2/15, すがしのぶ
早速なんですが、大江さんがアメリカの作家、ジョン・アービングについて書かれているのを目にしたことがありませんが、彼の小説はやはり生きるための小説であると思います。読んだことのある方がいらしたら、どう思いますか? ミラン・クンデラについてもおなじように言えると思います。文体ということでいえば、井伏鱒二の作品は私は大好きです。私の読書も大江さんの言うような、そのときが来ればその本に巡り会える、そして一冊の本が次から次へとつながってゆくやり方です。今、こうして、自分の読書に対する思いを表そうとすると、文章にするのはやはり難しいのですが…。でも、すごくどきどきしています。みなさんは、自分の大切にする作家に対して、どのような気持ちを持っていられるのでしょうか? この場で私もすぐには言葉にできませんが、もしよろしければ教えてください。
 掲示板もまだ隅々までは目を通していないのですが、私も以前、太宰治や谷崎潤一郎、カフカ、阿部公房にはまっていました。今でも、太宰も大好きですし、宮沢賢治も大好きです。こんな私と好みが会いそうだと思う方がいらしたら、掲示板に書き置きしておいてください。
 今の私の目標は、今まで読んだ本をもう一度ずつ再読することです。でも今はまだ読んでいない本(ディケンズもトルストイもこれから)がたくさんあるので、それらも含めて再読することを一生の目標にしたいと思います。村上龍も好きだったけど,「イン・ザ・ミソスープ」と「共生虫」ですっかりだめになってしまいました。
 話がとびとびですみませんでした。おやすみなさい。
2002/2/15, いとうくにお
菅さん、はじめまして。大江さんの読者はそんなに多いわけではありませんから、実際に出会う確立も少ないわけですが、こうしてインターネットを介してなら、出会えるし語り合えるんですよね。お子さんが寝静まったときにでも、また遊びにきてください。
2002/2/15, 菅しのぶ
はじめまして。インターネットを始めたばかりなんですが、こんなサイトがあることを知ってびっくりです。大江さんの文学を読む人たちと実際に接するのも生まれて初めてです。どうぞよろしくお願いします。私は7ヶ月の女の子の母で、専業主婦です。本を読む時間もあまりとれませんが、今は寝る前の少しの時間に「言い難き嘆きもて」を少しずつ読んでいます。大江さんに関することだけでなく、まだまだ勉強したいことがたくさんあります。よろしくお願いします。
2002/2/11, やまめ
 私は論理的思考能力が落ちてきているので間違えてばかりです。>千春さん
 『梨の木』ではなくて『梨の花』(中野重治)でした。ちなみに、今の子供達が喜んで読むとは思えません。それからマーク・トウェインなどは最近の子供用の世界文学全集の翻訳ではあまり楽しめないと思います。私のお勧めは創元社の全集ですが今もあるかは不明です。
2002/2/11, 千春
やまめさん、ありがとうございます。大江さんが言及されている子どもの本、私もあとをたどるようにして、少しずつ読んでゆきたいと思います。(「梨の木」、知らなかったので、まずこれから読んでみたいです。)今ちょうどレポートや試験で、論理的思考に苦しめられてばかりいると(それに年齢もあるのでしょうが・・・)、ファンタジーを受け入れる力というか余裕がすっぽり欠落してしまっている自分に気づきます。そのわりに空想癖があって困っています。ではまた。
2002/2/10, いとうくにお
こもだまりさん、はじめまして。大江文学には引用したくなる文章がたくさんある、と思うのですよね。下手、悪文、読みにくい、という評も聞きますけども、そんなことはないと僕は思っています。
気が向いたらまた投稿してみてください。
2002/2/10, こもだまり
Yahoo!で検索して見つけました。
はじめまして。
情報が多くて、楽しいページですね。
特に「引用の森」が大江さん好きなかたらしいネーミングで(内容も)素敵。

また遊びに参ります。
2002/2/10, 真美
BOYAKKIさんへ
カミュについてこのホームページのリンクにある「インターネットで読む大江健三郎」の『応用倫理学のページ』の立花隆氏との対談中にも語っていましたよ。
私もカミュが気になっています。『追放と王国』、特に「ヨナ」が尾をひいています。画家ヨナが屋根裏にこもり仕事をして描いたものはやっと判読できるsolitaire(孤独)かsolidaire(連帯)という言葉。芸術家の制作と生活の対立。追放された人の王国が日常生活の現実とは違う所に在り、それを求める姿が大江健三郎作品、あるいは作者自身と重なり読者の私は二人の作品に同じように惹かれる気がします。
2002/2/8, やまめ
 大江サンが子供の本について言っていることですけど>千春さん
 まず思い出すのは『ハックルベリー・フィンの冒険』ですね。大江さんが、初めて全文を原文で読んだというものですね。「では私は地獄へ行こう」とハックが決心する場面に触れていました。
 あと宮沢賢治ですが、以前は、金持ちが下層ぶって読む本とか書いていた記憶があるのですが、最近では、あのように子供の心をとらえる書き方はすばらしいとあったと記憶しています。そのくらいでしょうか。あと、『梨の木』とね。スウェーデンへ行ったときの『ニルスの不思議な旅』もありましたね。
2002/2/6, 滝川 清
 大江健三郎は、人間の隅々まで知り尽くしている。そのうえ、空恐ろしいイマジネーション、空想力を持っている。だから、文章が実際よりさらにリアルとなり、読む者に感動と圧倒感を与える。小説の真骨頂と言うべきだろう。どの短編、中編、長編を読んでも、最近の芥川、直木賞を超える作品ばかり。しかも、作品によって筆致や文体を変え、読者を飽きさせない。最近作「鎖国してはならい」は、期待作だ。惑星に住む全員に語っているとか。早くぺーじを繰らなければーー。
2002/2/1, BOYAKKI
私は、カミュと渡辺一夫は思想的にかなり近いものを感じます
やはり、若い時代の大江健三郎の政治的意見を
見ていくべきなんでしょうけど.
若輩者なので、三島由紀夫という人物・時代の空気が
よくわからず。そこらへんに限界を感じます。
2002/1/31, ちゃまん
BOYAKKIさん

大江さんの卒論は確かサルトルについてのものだったと思いますが、
渡辺一夫氏が大江さんについて触れたエッセイのなかで、その論文
にカミュに関する小論文が付いていて、そちらのほうに感心したという
ような箇所があったような……。読んでみたいですね。
また、同じく渡辺氏の岩波現代文庫の『曲説フランス文学』のなかに、
サルトル・カミュの関係についてちらっと触れて、『シーシュポスの神話』
の美しさを指摘してます。大江さんの、というより渡辺一夫さんの話に
なってしまいました。(あと、ヴァレリー・ジッドの関係にも触れてました。)

「味わう」と「解釈する」について、少し。

≪ちょうど雨に濡れながら歩くようにして、いちいち身にしみる経験とし
てゆくことによってのみ、小説という人間の仕業の総体を受けとめること
ができる≫

大江さんは小説の経験について上のように言っていますが、確かに
「解釈」によっては抜け落ちてしまう、多義的で豊かなものが「味わう」
にはあるように思います。
でも哲学書でもすぐれたものは、論理的展開以前の、インスピレーション
が素晴らしいと感じることがあります。そこには小説の経験に通じる
多義的で豊かなものがあるのではないでしょうか。例えば古井由吉氏は
ハイデガーの『存在と時間』を文学として読んだと言ってます。また、カミュ
の『反抗』が論理的に未分化でも魅力的なのも、そこにつながるように
思うのですが…。
2002/1/31, 千春
のりこさん、こんにちは。すこしずつでも本を読めていらっしゃるようで、うらやましいです。私も見習いたいです。積読状態で夢にでてきそうですので・・・。
ところで、大江さんは『取り替え子』の執筆の時期に、モーリス・センダックの絵本について言及されていたことがありましたが、(タイトルを忘れましたが、子どもが窓をこえてさらわれるようなおはなし)、センダック独特の絵と妖精とかゴブリンの世界が印象的だったのを思い出しました。私は趣味が昂じてこども図書室で週1日だけ働いているのですが、子どもの本ってとても奥が深くて魅力があります。大江さんが他にも子どもの本についてなにかおっしゃていることをご存知のかたは、教えてくださるとうれしいです。
2002/1/30, BOYAKKI
最近、カミュにはまっています、
大江健三郎さんが、カミュについてどのように語っているのか
知っている人があればお願いします。
年表には学生時代にカミュを読むと記述があります。
サルトルについては、たびたび語っていますが、
カミュについての文章はあまり印象にありません。
私は、カミュのあの論理的・現実的には
力のないのかもしれない、あの論理にひかれます
2002/1/27, のりこ
 以前1、2度投稿させて頂きましたのりこです。我らの狂気を生き延びる道を教え よを読むために図書館に通っているなんて、かこっいいことを言っておきながら難し すぎて、中断しています。いとうさんのおっしゃっていた自分の木の下でを読んでみ ました。大江さんが小学生の頃からメノンの方法で、勉強していることが参考になり ました。市井さん、千春さん、オサムさん、内海さんのやりとりには奥の深さがあり 、とても私なりに考えさせられました。ハードルが高すぎて、ついていけない部分もありました。市井さん、千春さんからは視野の広さ、柔軟なものの見方を感じ、生き るヒントをいただきました。これからもみなさんのやりとりからいろいろなことを教わっていきたいです。これからもよろしくお願いします。のりこ
2002/1/24, 内海 晃二
対立の一致。これは15世紀の神秘思想家「ニコラウス・クザーヌス」や、皆さん良くご存知の「ハイデッガー」によるものです。わたしは哲学の専門家ではありませんが、興味をお持ちの方の為に、前者は「知ある無知」として、後者は「形而上学とはなにか」や「有への問いへ」などがあります。時間がゆるせば一度読んでみてください。勿論、私達には西田幾多郎や鈴木大拙の「非」「即非」、「絶対矛盾の自己同一」等のほうが馴染み深いのですが・・・。
2002/1/23, 千春
オサムさん、早速の(泣ける…!)書き込みありがとうございました。私もちょっと情緒不安定気味でしたのでヘンな質問をしてごめんなさい。
掲示板を読むたびに思うのですが、みなさんとっても真摯でいらっしゃるし、もちろん楽しいことがいちばんいいのですけれど、こんなふうに「他では話せないこと」を意見交換しあえる場としても、たいへん貴重だと思います。いとうさん、ありがとうございます。
内海さんの、「科学と非科学を乗り越えた新たなタマシイ」は、市井さんのお考えともじゅうぶん重なるところがあるように思います。私のテーマも、科学と宗教の対立を超えたところにあるもの、信仰にとらわれ(すぎ)ない霊性(よい日本語がありませんがspiritualityというものです)などですので、生意気ですがみなさんのお考えに接していろいろと勉強させてもらいました。
このところとっても寒くて、大阪でも雪がちらつきました。みなさまお元気で。ではまた。
2002/1/22, 滝川 清
 大江健三郎の目は、一見柔和だが、洞察力にすぐれ、しかも人間的だ。息子のヒカルさんを見る目も、鋭くつらぬくようで、そして温かい。その目をもって、日本を、世界を見ている。痛烈だ。自然破壊を嫌い、乱獲を嫌い、原子力発電所の乱立を嫌う。「今は、悔い改めの時代だ」とも警告する。世の動きに手厳しく批判を浴びせている。その通り、今の不況時代にみんなしっかり悔い改めをしよう。そして、新しい時代を迎えよう。自然と共生できる社会をつくり、ヨーロッパのようにきれいな街並みの中で暮らしが出来るよう、新しい日本を創り出そう。
2002/1/22, tky24
「人民中国」

http://www.peoplechina.com.cn/popch/index.htm

これをクリックするとHPがでてきます。左側に目次があります。
「特集」をおすと、特集タイトルがでてきますがその10列目に大江さんに関する記事があります。
2002/1/22, 内海 晃二
イトウさん、お教え頂いて感謝しています。
「HPの特集に・・。」と言うのはそう言う意味だったんですね。失礼しました。
先ほど、全文を読ませていただきました。感動しました。
わたしの脳の内部で、「脳内麻薬」がたっぷり分泌されたようです。
嫌味ではなくって、そう言うものなんでしょう。人間と言うものは・・。
多くのレスを頂いて、有意義な掲示板となったと確信しておりますが・・。
確かに反応過剰であったことは認めても、あえて「反面教師」とでもお考え頂いて、投稿はあのままにしておこうと思っています。
「失ったものが多すぎる」と言う言葉は、そのために使った言葉です。
近代と、それと同じ次元での反近代では、論争に展開は無く、それを乗り越える新たな次元への飛躍がなくては、と考えます。その意味するところは、科学と反科学を乗り越えた新たな「タマシイのこと」への旅立ち、とでも言うべきでしょうか。
もっともっと、私も「言葉足らず」を補う様に勉強せねばと思った次第です。
2002/1/21, オサム
千春さん <文章は...>のご意見 まったく そのとおりデス。
40才すぎて もともと 単細胞な頭が ますます興奮しやすく なっています。
視野狭窄に陥ってしまって ました。
 僕は この三月で44才になるのですが 41〜2才の頃は 思春期の再来というか、情緒不安定な時期でしたネエ。それに 「中年の色狂い」とよくいわれるようにしょっちゅう 発情してましたヨ。(←現実に 女性を襲う という事は、かろうじて理性が押さえてましたけど)
 いとうさんの仰るとおり 子供と地続きですよ。いわゆる 老成なんか 皆無ですね。
 ただ 世の中や人のことが 直感的にビッと分かるようにはなりましたね。世界が手に取るように 分かる というか...
 生きてきた時間より これからは 死すまでの時間のほうが(おそらく)短いのでしょうが 未だ 独身という事もあるのでしょうが ピンと来無いですネ。
    ...ソウカ シヌ ダロウナア イズレ
こう書いてみると チョット 恐ろしいですね。
                      では
2002/1/21, 市井
たびたび、北の国の、季節はずれの雨に悩まされている市井です。
「感動」について、少し疑問に思ったことを書きます。
その疑問が掲示板投稿の約束事にあるように、
「大江文学に関すること」だと願いつつ。
(いとうさん、いつも長くてすみません)

大江さんは筑紫さんとの対談で、
「生きる技術ってことを(中略)魂のことと言ったり、
文化と呼んだりしています」
と仰っていますが、その言い方からすれば、
「魂」は随分広がりのある言葉だと
思います。内海さんの言われるカタカナ書きの
「タマシイ」もそうでしょうか?

内海さんは「感動したものが勝利者」と言われていました。
ふと「感動」という言葉で思い当たり本棚を探ると、
利根川進さんと立花隆さんの対談集(『精神と物質』)で、
「人類の財産として正しく認められ」る研究を為し、
ノーベル生理学医学賞を受賞された利根川さんは、
いずれ人間の精神現象を含め、
生命現象は全て物質レベルで解明されると仰った上で、
「文学についていえば、すぐれた詩が人間を感動させるとき、
人間の脳の中で、それに対応する物質現象が起きている。
(中略)どういう詩、どういうストーリーが、
なぜより人を感動させるのかということもわかってくる」
と続けられています。
これは単に文学・芸術に対しての挑発的な言い方だと、
片付けられないのではないでしょうか。

最先端の科学(哲学も含めて、です)は、
確実に人間を解剖しています。
そのような時代に「魂のこと」というとして、
それを「科学抜き」や「理論抜き」の意味合いで大江さんが仰っていると、
ぼくには思えません。何故なら、同じ対談での大江さんの言葉を引用すれば、
如何に「自分を統合する」か、如何に「これが私だというかたまり」
を見つけ出すのか、ということに際しても、
また「魂のこと」である「生きる技術」を身につけるに際しても、
大江さんが現実の科学を無視してそう説かれているとは、思えないから。
或いは、大江さんが宗教的な地平においてのみの技術を「生きる技術」と
仰ってるとも、思えないから。ぼくの受け止め方ですが。

ぼくはそういった科学的な人間分析や理論的な文学解釈にさらされても、
「それでもぼくという『かたまり』はこれだ」と言うときに、
或いはまさしく分析的な「読書ノート」を作りながら、
「この作品に出会って良かった」と余韻にひたるときに、
自分の「生きる技術」である自分の「魂のこと」は、
充分目指されつつあると思っています。
(本には知恵の実がつまってると思って読んでるので)
そういう自己認識の仕方・文学の味わい方をする人間であるぼくでも、
大江作品に感動するし、また芸術の素晴らしさを享受してるつもりです。
だから、内海さんの「否!否!否!」に、また「感動したものこそ勝者」という
言われ方に、実はとてもとまどっています。
心理学に照射されようと、たとえ物質レベルで語られようと、
「感動」は確実にそこに在るのではないでしょうか。
ぼくの享受する「感動」はその程度では全く揺らぎません。

長くなり過ぎました。この辺で終わります。
もしかしたらこの掲示板のペースを乱しているかもしれません。
文の量においても、内容においても。
ごめんなさい、どうしても書きたかったのです。失礼します。
2002/1/21, いとうくにお
内海さん、大江さんの記事は、左のメニューから「特集」を選択すると見つかりますよ。
2002/1/21, 内海 晃二
オサムさん、分かりにくいです・・。
「人民中国」では、去年の4月号ですね。記事は何処かにありますか?
以上、亀レスでした。
2002/1/21, いとうくにお
千春さん、こんにちは。僕は40歳なんですが、大江さんが子供と大人とは連続しているということを書かれていますが、日々それを実感しています。人生設計というような観点からいくと、がんばって働ける残り時間がだんだん減っていくなという焦りもありますね。
2002/1/21, 千春
このところホットな議論が続き、次はどうなってるかナーと楽しみにちょっとドキドキしながら毎日のぞいています。
ところで、突然ですが、40歳前後のかた、また40代から50代前半の男女のかたにお聞きしたいのですが・・・。女性の方へ。40歳になるということについて心理的な葛藤がありますか(ありましたか)?男性の方へ。不惑どころか、人生の正午を過ぎて、なんだか今までとちがうぞ、これでいいのかとかヘンな気持になったこと(なること)はありますか?
いきなりの質問ですが、お返事くださればうれしいです。文学論につながるかはさておき。

(Dearオサムさんへ。文章は、頭で書くこともあり、心で書くこともあり、そして多
くはその両方で書くこともあるのではないでしょうか…。頭と心、知性と感情、精神と身体、どれも二分などできないほど絡み合っていて、だから苦しい、だから深いのだと私は思うのです。)
2002/1/21, オサム
今日の僕の書き込み(この書き込みの前の2つ)は、感情的になりすぎていると反省しています。
落ち着いて1/20のみなさんの書き込みを いま 読んでみると 上述のように思います。
 人様の各人各様の読み方を 他者が 否定することは出来ませんヨネ 千春さん。

僕も 論理的なようでいて まったく感情的な 作文(1/5)を 書いてしまって
そりゃ 内海さんが誤解なさるのも 仕様がありません。

 ここで 本当は 「魂のことをする」について 書き込みたいのですが、「魂の
こと」は それを目指す人それぞれが 見つけなければ 本物に なりませんし、例え 僕が したり顔に 披瀝してみても ジョン・バース著『やぎ少年ジャイルズ』(国書刊行会 刊)の主人公みたいになるのが落ちですから やめておきます。
----『同時代ゲーム』を 読みとおし かつ 面白くおもった人なら 『やぎ少年...』も キット気に入ることでしょう----
 また 謎めいて=思わせ振り に 書いてしまいました
                   かさねがさね 済ミマセン!!!!
2002/1/21, オサム
追伸 僕の書き込みの すべては 心 で書いたものです。頭 で書いたものではありません。
2002/1/21, オサム
久保AT−ST元宏さん
僕があの作文において 大江氏の作中にみられる 女性像を云々しているのは「装置」としての(←僕はどうしても この語に 非人間的なものを感じるので)女性ではなく 生きた人間としての ヒロイン達の苦しみを抜けた先の「希望」への「歩みだし」としての ひとつの(かつ 大きな)選択として 非業の死を遂げたヒーローの生み返し (の パターン と その「ズレ」)を 読取ったまでの事です。

内海さん
僕は 確かに あの作文の後段 大江氏の「死への恐怖」について 語っていますが前段とは(極端にいえば) 関係のない事柄を述べたまで です。
また大江氏の作中の「女性」について ユングであろうがなかろうが『心理学』などを用いて分析など (はっきりと 断言 できますが)一切しておりません!!!!
僕としては あの作文は 分析でも解釈でもなく ただ 大江氏の 二三の作品を僕なりに なぞり返しただけです。
 分かってもらえないかナア。
成分分析のような事は してない つもりナンデスケド...。
 では 後段は 大江氏に失礼ではないか と おっしゃるんでしたら、素直に甘んじますけど...僕が大江氏にもつ たったひとつの 違和感が 「作品」を残そうとする それも 大江氏自身が納得する形で 残そうとする 意地汚さで
す。失敗も 「おとびあがり」も 寄り道も あってこその 人生じゃないですか?
それを 隠して 人生を 剪定しようなどとは 愚行だと 思うンですが...
  ああ また 非難の嵐がくるのかな あ。
2002/1/20, 内海 晃二
すみませんが・・。
人民中国の何処に捜しに行けば良いのでしょうか。
見つからないんですが・・。
2002/1/20, tky24
「母は少年時代の彼を「サンラン」、という愛称でいつも呼んでいたのだ。(中
略)この日、何度も「サンラン」という音を聞いて、大江氏は幼年時代を、そして優しかった母の声を思い出し、心は舞台を離れ、四国の森のなかの村をさまよっているようだった。
 そして「サンラン」の音を聞くたび、ステージ横の字幕に「三郎」の文字が出るのを見て――ついに大江氏の頭に稲妻が走った。母は自分の名前を中国語で呼んでいたのだ!」
http://www.peoplechina.com.cn/popch/index.htm

私は最近中国語の学習を始めました。そんななか偶然「人民中国」を昨年3月末に本屋でみつけました。その雑誌には「大江健三郎の見た北京」の記事が掲載されてたからです。
いま、その掲載雑誌の紹介がこの掲示板の昨年4月8日で紹介されていたのを確認しました。
上記のHPの「特集」にもアップされていますので紹介します。
2002/1/20, 久保AB−ST元宏
久保AB−ST元宏
です。


私も、北の国の住人です。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/3973/
はじめまして。
moto_kubo@hotmail.com

■オサムさんの意見は、「再生(装置)としての(偉大なる)女性」と大江さんが見ているってゆーコトでしょうか?
「森」とか元祖「癒し(=治療)」本舗とかは、やはり「再生」の換言ですよねぇ。

「新しい人」というのは、全く新しいのではなく、意志のリレー・ランナー(⇒時に
はピンチ・ランナー)としての、後継者という希望が含まれているんじゃあないかな?なんて、思って大江さんを読んで来ました。

■ですから、”圧倒的な「死への恐怖」”が大江さんにあるとしても、
それをさらに換言させていただけるとしたら、
肉体の死の恐怖ではなく、意志(=理念?)の死への恐怖。

■ここからは、ちょっと言葉を選んで考えなければいけない点ですが、
もし理論に不備があるとしたら、私の稚拙な文章力が原因です。

光さんの誕生が大江さんから、”「性と暴力」の学生作家”というステレオタイプからの、転換に「役立った」のであるのは、大江さん自身が「大江健三郎2世」=「大江健三郎2号」という計画をスタート時から用意していたことの挫折からくる作戦転換?
うー。あのバッハやブリューゲル的な。

もちろん、息子だけが意志の後継者ではあーりませんが、意志の後継者の象徴としての息子。

そう考えて小沢征爾さんとの対談『同じ年に生まれて』を読むと、「”新しい日本
人”を育てるために」というフレーズも、ふむふむって感じ。
村上龍氏がテレビ・ドラマをやった理由が、そのまま大江さんのテレ朝『ニュース・ステーション』出演につながっている・と思うよ。

龍氏のテレビ・ドラマが、彼らしからぬ無器用さであったのに、我々が命綱として「文学」を選んでいるのは、すべてを心理学に還元するんじゃあなくて、むしろ超越性を積極的に評価しているC・G・ユングと地続き・だったりして。ね、市井さん。
鈴崎さんの『万延元年のフットボール』の読後感にしても、今読むとすれば、むしろ「同時代性」は必要なかったりして。

頭の良すぎたイナカの少年の孤独は、誰にも分からなかった⇒ではモッタイナイ。
もちろん、手放しで大江さんの信望者になる必要もありませんし、大江さんもそんなことは求めていらっしゃらないでしょうが、”圧倒的な「(意志の)死への恐怖」”を乗り超えるのは万人のテーマでしょう。
RYUJIさん、そこに父権の隠しテーマを見つけることも容易ですよね。
そして、そこでチープな反面教師としてスターリンは戯画的に準備されているんですよね。
スターリニズムの後遺症の時期に文学をスタートした大江さんが、それらを相対化するために、「性と暴力」というモチーフを利用した・のかもしれません。
それは大江さん本人には無意識であったかもしれませんが、私は実に有功な手段=方法であったと思います。

■長すぎた!ごめんなさい。
2002/1/20, いとうくにお
ナルシストさん、こんにちは。ご質問の番組は、「きみと語りたい − 世界の若者たちと テロ・戦争 そして未来 − 」ではないでしょうか。元旦にBSで放映されたものの再放送のようです。
2002/1/20, ナルシスト
大江文学にはあまり関係がないのかもしれませんが、1月13日深夜にNHKで放映された米国同時多発テロとアフガニスタン空爆についてのプログラムの題名についてどなたかご存知でしたら教えてください。
2002/1/20, 内海 晃二
フロイトについて色々な意見が出ていますが、私が言いたいのは文学や芸術にとって、フロイトであろうがユングであろうが全く(と言いきりたい)関係無い、ということです。
心療内科の先駆者・池見さんは、ある夜、一人の患者に起こされます。
ドアの向こうに立っていた患者は「お前を殺してやりたい」と言います。
これは「心理学」を象徴する本当にあった出来事です。
受け売りですみません・・。患者は心理分析を受けて、おまえはこんな「コンプレックス」があるんだよ、と言われてその場は帰りますが、では・・どうしましょう・・?
夜、患者は寝ることも出来ず、池見さんを殺そうとやってきたのです。
人にとっての「心理学」とはこの様なものです。
さらけ出しておいて、何もしない。
それは、人の「タマシイ」にとって全く(!)同じ、無意味なことです。
すくなくとも「タマシイにおける想像的な芸術」にとって・・。
ここは「人の感動」と「タマシイのふれあい」について語りたい。そんなサイトだったはずです。何人かの人は「理論も見ろ」とおっしゃる。では、見ましょう。
大江氏の精子のなかで「奇形児」を生ませる可能性は何パーセントでしょうか。
光さんへの公費援助は如何? 飛躍した論理に見えるでしょうが・・。
彼等の理論に見るべきものがあると言うのは、多かれ少なかれ似たようなことです。
否!否!否!
そうではない!!!
人の感動とは、理論ではない!!
ハッキリ言わせてください。
文学において、芸術において「感動した者こそ勝者」です。
戦争へ導く神がいるから宗教は罪悪ですか。
私達は「タマシイにおける想像的な芸術」によって「正しいタマシイ」を知っている。
それは、大江氏の著作が賞を受け、人類の財産として全く正しく認められた、と言う点をもってしても理解できることです。その「正しいタマシイ」をもって、私達は宗教と言う新たな地平、タマシイが向かうべき地平、へ向かうのです。
みなさんは大江氏の本を携え。
私は聖書と大江氏の本を携えて行きます。
わたしは洗礼を受けたわけではありませんが、そんな人間です。
長くなりました、また書きこませてください。
2002/1/20, 市井
市井です。
>オサムさん
なんだか、早速オサムさんに気を遣っていただいたようで、恐縮です。
ぼくの方こそ読書する者として、まだまだお尻の青が取れたばかりのようなものです。
オサムさんをはじめ、ここに書き込まれている方々のメッセージを読んで、
いつもとても「元気づけられ」ています。どういう文脈であるにせよ、です。
そのことを、お伝えしたかったのでした。ありがとうございました。
これからも、よろしくお願いします。

>千春さん
ぼくは信仰にこそ知性が必要だと思っていましたので、とても納得させられました。
「ゲシュタルト心理学」じゃないけど、知識人の思想を見る中で、
中心的な思想や全体の概略だけでなく、
しっかりと部分々々もみなければ、と改めて思いました。

もう一つ。
よくある話と言えばそうかも知れませんが、
今日ぼくは地下街につながっている地下鉄の駅で知人と待ち合わせをしているときに、
本を読んでいたものの寝不足だったせいか緩慢になり、
なんとなく道行く人々のかばんが気になって見ていました。
相当、某ブランドのかばんを持ち歩いている人が多くて、
「これだけみんな持ってたらブランドのありがたみがないなあ」と思っていると、
ぼくの目の前で、これまた待ち合わせをしている様子の初老の男性が、
ぼくと同じ、『M/Tと森の不思議の物語』を、待ち合わせの友に、読まれていました。
じっくりと、丁寧に読まれていたご様子でした。
それだけの話なんですが、その些細なことにまたぼくは勇気づけられました。
どうも勇気づけられてばかりです。
失礼します。
2002/1/19, オサム
市井さん 僕のほうこそ 「恐縮します」。
1/19の僕の書き込みは、 1/16の内海さんによる書き込みが 僕の作文(1/5)への批判・教示と僕には受け止められましたので、「そんな事も 方法も 書いて無いのになア」と困って ナントカ穏便ニ弁明デキナイカナア--と ひねりだしたモノなんです〜。  といって 適当に←ではなくて いつも心に思ってる事を 書いたまでなんですが...
 とにかく 怪我の功名で 市井さんが「元気づけられた」 のなら 望外の喜び
です。
 僕のほうこそ まだ40才そこそこの(オッサン?)の身でありながら
 エラソーな事ばかり書いて 「ごめんなさい」!!!
2002/1/19, 千春
こんにちは。以前2,3度おじゃました千春です。市井さん、内海さん、オサムさんがフロイトについて書かれているのをみて、私もすこしだけ書きたくなりました。大江作品とのつながりはまったくわからないのでそれはおき、<フロイト批判>というものについて。

一般にフロイトは、リビドー(性衝動)の過大視や小児性欲の強調、そして宗教を「強迫神経症」として批判したことなどによって、当時そして現代においても世の反感を買っている部分があると思います。ただ、私はフロイトの宗教論『幻想の未来』や『モーセと一神教』『文化のなかの不安』などを読んで感じたのですが、フロイトはけっして宗教そのものを全面的に否定したのではなく、人間がもつ「よるべのなさ」の救いを父性に求める、幼児的コンプレックスとしての宗教的感情(きわめて冷徹な表現です)を、いかに知性(ロゴス)によってのり超えてゆくか、その姿こそが「真の宗教的人間」である、とさえ述べていました。知性一辺倒でなんでも解決するわけはありませんが、宗教を考えるとき、素朴な信仰心も尊いですが、今日の戦争(一神教どうしの対立という要素があると思います)をみても、信仰にも知性が必要だと、わたしはフロイトから学んだような気がします。

心理学、とくに夢解釈や無意識の扱いにかんしては、今ではすっかりユングが主流ですね。ユング理論には東洋思想が色濃いので、とくに日本人にも受け入れやすいのだと思います。私も、アニマ・アニムスとか、シャドウ(影)とかその他シンボル(象徴)理論に興味がありますが、フロイト派によれば、それらはなんでもペアーで説明しようとする二元論で、わかりやすいが単純化しすぎるのだそうです。このへんは勉強不足ですが、いずれにしても、もしフロイト食わず嫌いのかたがいらっしゃったら、私は上にあげたような短い著作を一度お読みになることをお勧めします。

(付記)
それと、文学作品とのつきあいかたは、味わう、解釈する、批評する、どれもその人の自由で、また作品によってもちがうし、それがおもしろいところですよね。私はむずかしいことはわかりませんが、ある作品を読んで、どうしてもだれかに、好きな人に教えたくてたまらない気持になる、そんな作品にひとつでも多くめぐりあいたいです。
2002/1/19, 市井
北の国からこんにちは、市井です。

フロイトについて触れられていましたが、
NEWS23での大江さんと筑紫さんの対談のビデオを見てて、ふと考えました。
フロイトもある意味では、次世代の知への橋渡しをする、
「負の知識人」だったと言えないだろうか、と。
確かにフロイト的な人間解釈は情緒が無く感じられ、今となっては一面的に思えます。
しかし彼が心理学をリードした時期があったからこそ、ユングは生まれ、のちのフランクフルト学派などの知的な流れにつながった。
(随分間を飛ばしていますが、不勉強ゆえお許し下さい)
その意味合いでフロイトは、心理学がフロイト後の反発を生み新たな地平に至る、原動力になったと思います。なのでぼくは彼もまた偉大な「知識人」だったと思います。
・・・勿論大江さんの言い回しを、歴史的な事柄に対してこういう形で演繹(こじつけ?)
しても、「そんなの当たり前、過去は現在、未来へとつながってる」って、
皆さま思いますよね。ごめんなさい、単に個人的な感傷のようです。
この掲示板でどなたもフロイトの業績(功罪の「功」)を疑っていない分、
余計にぼくの言い方は敏感に過ぎ、的外れなものです。
ただ、ぼくもフロイトは好きではありませんが、フロイト思想の内容・枠組みを
現代になって学ぶことは、充分意味があると思ってます。それが言いたかった。

ここの掲示板を見るにつけ、自分の大江作品の読み方の至らなさに気付かされます。
だから学校でテクスト論やロシアフォルマリズムなどの講義などを受ける度、
ぼくに足りない「理論」を得た気分で(ぼく程度では表面的な理解かも)、
有頂天になっていました。
でも今回のオサムさんの書き込みを見て、思いました。
ぼくに足りないのは、読み手としてのぼく自身への確信だったかもしれないと。
(もしかしたらオサムさんは、「読み手としての自分」への意識を持つとか言う以前に「味わう」んだと仰るかもしれませんが、ぼくの勝手な、それこそ「解釈」です)
「解釈」しつつでしか読めないぼくは、授業料無しに、勝手にそう学ばせて頂きました。
ぼくは「ぼくなりの」解釈を信じつづけたいと思います。
「味わう」のも、「解釈する」のも、読み手としてのぼくにとって、オリジナルな
経験だと言い切れるだけの確信を、ぼくも持ちたいなと、そのためにももっと読むぞと、北国の冬の恒例、除雪車の騒音に苦しみつつ考えました。

長くなりました。オサムさん、変なこと書いてごめんなさい。
失礼します。なんだか「ごめんなさい」が多くなってしまいました。
2002/1/18, オサム
内海さん
僕の作文を真剣に読んで下さって 有難うございます。
 僕も小説を 他人の理論を借りて解釈する事には 疑問を感じます。というより愚劣な行為だと 思いますヨ。作品に対しても また その「理論」に対しても。

 また 作者の過去の体験から 作品の細部にまで渡って これこれは こいう経験から 導きだされたものだ等と したり顔で 述べるのも 愚劣だ と思っています。

 作品は作品として自立している とも言えるし なにかしら作品誕生時の「時代」に縛られる とも言えるでしょう。
 
 要は 作品を味わうという事が大事(?)であって 解釈なんて どうでもいいんです。
 
 なにか とりとめないですが こういう風に 僕は思っていますし 僕の立場で
す。
 
 最後に 僕は フロイトの理論は あまり 感心しません。
 心理学では 分析心理学=ユング派に 僕は 深く共感しています。 では また
2002/1/16, みけ
先日ニュースステーションのHPで、2夜連続出演された映像を見ることができました。
見れなかった方は是非。
過去に放送された大江さんのドキュメント番組を見たいと思う今日この頃です。
2002/1/16, 内海 晃二
オサムさん。はじめまして。1月5日の書き込みを真剣に読んでしまいました。
私の父も病身で、最近は随分気弱になり、後半年だ等と愚痴っています。
人の生死には受け入れるより他無いようですね・・。
頑張りましょう!
ところで、私は文学や芸術の解剖をフロイト的なSEX重視の心理学で考えるのには反対です。人間は、誰かの表現を「性描写」として受け止めているわけではない、と考えます。
例え、性的な心理で表現されたものでも、私達はそれを芸術として受け止める時、感動を得るのですから、フロイト的な心理学分析など、人間のタマシイは大きく乗り越えている、と考えます。大江氏の母がどうだ、と知っていても知らなくても、私達の感動を塗り替えることは出来ない。また、人間として「塗り替えられてはいけない」と確信すべきだと思っています。思えば、フロイト的な思考は余りに多くの「人間的な感動」や「心の奥深い表現」をないがしろにして来ました。その功罪は私達に大きくのしかかっていると考えます。
失ったものが多すぎる!
今はフロイトさんや、父母などは忘れて、例え「赤面」するような表現でも、そのまま受け止めることを、私達は、もう一度取り戻すことを始めようではありませんか。
偉そうなことを申しましたが、これからも・・よろしく!
2002/1/14, 鈴崎
お久しぶりです。
「緑の木」を読了後、初期作品を幾つか(「飼育」が素晴らしかった)と、「万延元年のフットボール」を読んでみました。しかし…「万延元年」の持つ、60年代安保運動に関係すると思われるメッセージが、今一つよく解りませんでした。どういう結論を出しているのだろうかと…
誰かよろしければ、この作品について教えて頂けませんか。
2002/1/13, いとうくにお
RYUJIさん、はじめまして。大江さんがスターリニズムについて発言したり文章を書かれたりしたことがあるかどうかはわかりませんが、「ユマニストの寛容の伝統」を愛する氏とスターリニズムは相容れないものだと思います。傍証になるかどうかわかりませんが、たまたまいま読んでいる『言い難き嘆きもて』にこんなくだりがありました。「幾年か前のこと、小沢征爾さんが衛星中継で世界を結ばれたお正月のテレヴィに私も出たことがあります。その際、番組の終わりがたになって、モニター画面のチェリスト、ロストロポーヴィッチさんに、切羽つまったような気持ちで、かつて迫害されていた作家ソルジェニツィンを擁護する文章を書かれたことへの感銘を呼びかけました。」(『言い難き嘆きもて』p.63)
ムネマサさん、こんにちは。その映画、面白そうですね。ご紹介ありがとうございます。
2002/1/13, ムネマサ
大江氏のNHK人間講座『文学再入門』のなかに「愉快なドストエフスキー」という巻があって、確かグロテスクリアリズムについて大江氏は語っていたと記憶しています。ところで、最近『動くな、死ね、甦れ!』というロシア映画を見たのですが、僕はこれこそグロテスクリアリズムなんじゃないかと感じました。大戦後の厳しい現実をまったくセンチメンタルを拝して描いているにもかかわらず、見ていてなんともいえない力がわいてきます。監督のヴィターリー・カネフスキーは7年のあいだ無実の罪で刑務所にいたという人物ですが、監督の少年時代を投影した主人公も魅力的でした。僕は『静かな生活』を読んでタルコフスキーとロシア映画を発見したのですが、この監督もすばらしいと思うので、興味を持った方は一度見てみてください。
2002/1/9, RYUJI
はじめまして。RYUJIと申します。
不勉強な私ですが、一つだけ教えてもらいたいことが有ります。
最近「父親革命」長山靖夫と言う本を読みまして考えること大きかったのですが、現代の理想的な父親像として大江健三郎氏が挙げられていました。それについては全くその通りでこれからいろいろ再勉強したいと思っているのですが、ハッキリ知りたいのは次の一点です。一応、左翼陣営に属するようですが、「スターリニズム」について氏は明確に否定されているのでしょうか。
もしよろしかったら教えて下さい。
2002/1/9, オサム
いとうさん 岡田さん
見舞いの言葉ありがとうございます。
掲示板でしか 僕も伝えられないので ココでの 見舞い で
僕には 充分 「悼み」の心が 伝わってきますヨ。
オフ会などにも 参加してみたいのですが、なにせ 東京は 遠すぎるモノデ
飛行機で行けばいいのかもしれませんが...あれも買いたい これも買いたいで
出費が大放出で東京にいた頃(大学時代---ちなみに 日大文理学部の哲学科です。---出来の良く無い学生でしたが...)の 仲のよい友も 今は やはり 東京には住んでいませんので...

ところで また 報告を 初期大江作品探検の野望は脆くも崩れ去ってしまいました
ほぼ全作品をすでに 若い頃から読み続けている身では ありますが
やはり 僕は 学者では無かった。
ものたりないんですよう〜初期作品は ...ヤッパリ...
どんどん と ほぼ刊行と同時に読みはじめた 『同時代ゲーム』以降=後期作品?
に惹かれている自分に気づいてしまいました。
読みなおす気が また 訪れたら 後期にしぼります
  ...って 1/5の書き込みは イイカゲン ニ カイタノカイッ と突っ込まれ
そうですが...そんな事はないですよ(別に 驚異的な記憶力 も持ち合わせてマセンケド...)
               では また。 シッツレイ シマシタァあ〜
2002/1/8, いとうくにお
掲示板の1999年の分が複数ページにわかれていたのを一つにまとめました。1999年は発言が多く、当時の僕が使っていたパソコンでは編集しにくくなってきたのでファイルをわけたんですが、いま使っているパソコンでは問題ないようです。
発言の量のピークが1999年にあるのはなぜかなと思ったんですが、その年の暮れにメーリングリストを開設したのでした。それで、以降は気軽なコミュニケーションはメーリングリスト、まとまったメッセージは掲示板というような役割分担ができてきて、掲示板の発言数も落ち着いたということではないかと想像しています。関係ない話で失礼しました。
2002/1/8, 岡田ehime
大江さんの露出の多かった年末年始を喜びつつ、新刊2冊読めずじまいで休みが終わってしまいました。日々、大江さん素人でしかない自分の自覚を深めつつ、でも、手放さず大切に読み続けていこうと思っています。遅ればせながら、トップページの引用良いですね。何だかほっとします。

ごめんなさい、他に伝える手段がないので・・・。
オサムさん、御尊父のご冥福心よりお祈りいたします。
2002/1/7, 滝川 清
 大江健三郎の初期の作品は、濃厚、周密、かつ簡潔。その文体で現実を徹底的に厳しく描き、その後は広大な果てしれない宇宙を感じさせながら、昇華する人間ドラマを描いている。これから、何を描かれるのか、出版が楽しみです。私は、大江健三郎を造語で「cosmopolitanist」(宇宙全体を考える作家)と銘々しました。みなさんも、ぜひ使って下さい。評論家が大江さんを何と呼ぼうと、やはりcosmopolitanistです。
2002/1/5, いとうくにお
オサムさん、年末の投稿をアップしてなくてすみません。帰省のドタバタのなかで見落としてしまったようです。大江文学の「女性」の読み取り、説得力ありますね。
ご尊父のご冥福をお祈りしたいと思います。
2002/1/5, オサム
2001年もすぎていきましたね。私事で 書き込みするのは 気が退けますが、
昨年の僕の書き込みで 父の病気の事を チラッと書いてしまいましたので
父のその後のことを---12/5(水) 永眠いたしました。

 サテ 2001.12.31未明 ここに メッセージを送信してみたのですが、UPされてないので、もう一度---下書きしといてヨカッタ〜。


 <大江作品の中の「女性」についての 一読者の読取りの試考>

 神話的女性群と『取り替え子』の千樫は基本的に通底していると思う。
彼女達は自ら傷つきながら、他者(男)も 自分も、共に、救う。彼女達は、他者の救済(=生まれ返す・傷を癒す)を決意する→行動によって、自らをも救ってしまう恐るべきパワーを秘めている。

 例えば、『同時代ゲーム』では、兄を 励まし 、自らは、悲しいまでの暗い中で「壊す人」を産み返そうとする。この作品では、それは明確な「希望」ではなく、「希望」を幻視しているところで終わる。
 
『取り替え子』では、千樫の 思考のアクロバット的跳躍(←古義人には不可能)によって、「娘さん」が 吾郎を生み返す亊(←これも男には不可能)を希望し 救われる。

 問題は、『燃えあがる緑の木』の語り手のサッチャンだ。
 サッチャン=大江と僕は思う。
 サッチャンは「思考のアクロバット的跳躍」を根本的に欠いている。
自ら 男→女 と いわば「回心」し、また、学生運動家→挫折→「救い主」へと「回心」した「新しいギー兄さん」に、救いを求める。
 そして彼女は、跳躍なしに、「新しいギー兄さん」(の生と死)を引き受けるの
だ。

 話がそれたようにも思うが、
その女性達の元型を提供したのは、大江の母親であると思う。
 幼少の時から 「死」=どこまでも続く暗黒の世界 に怯えていた大江に放った言葉 「大丈夫 私がまた あなたを生んであげるから。」
大江の死への恐怖が どれ程この一言で救われた事であろうか、想像にあまりある。

 大江が過去の自作(『遅れてきた青年』『日常生活の冒険』)を封印までして、作品世界を完全なものにして 生の証を後世に残そうとする強迫観念めいた意思(←これを僕は醜いアガキと思っているが)は、ひとえに 幼少時から現在に続く 圧倒的な「死への恐怖」の賜物と、僕には思える。
 それをいとも易々と 大江の母は 慰撫したのだから。

 長くなりました。それでは これで。  エラソーなことを書いて スミマセン。
2002/1/5, いとうくにお
内海さん、「屋根のネコ」もなかなかいいハンドルですね。今年もよろしくお願いします。
おかざきさん、はじめまして。今年は元旦から大江さんのテレビ出演がありましたね。本の出版、新聞への寄稿、テレビ出演など、今年も大江さんは大活躍されるのではないでしょうか。楽しみですね。
2002/1/5, 内海 晃二
新年早々、申し訳ありません。
「屋根のネコ」と言うのは私が使っているハンドルネームでした。
ここでは、本名「内海」で出していました。
幾つになってもこんな私です・・ハァ・・。
いよいよ管理人さんに嫌われそうです。
長い目で・・・見てください・・。
2002/1/4, 屋根のネコ
明けましておめでとうございます。
今年もよろしく!
昨年末にISDNに限りネット復活できました。管理人さんにはお手数おかけしました。
雪まみれになって山(大山)でラッセルに苦しんでいると
大江さんと光さんが成城の道端で作曲家Tさんと出くわしたので
ちょっと間が悪く雪の中で隠れていた(?)と言う記述を思い出して
一人で笑ってしまいました。パーティーの皆が不審な顔でジット見ていました。
そんな「正月山行」の一年の始まりでした。
なんだかヘンなメールになりましたが・・・。
私のヨレヨレの人生に大江さんは隅々まで「偏在」していることを実感した次第です。
これからもつまらないメールを書き込みます。よろしく!
2002/1/3, おかざきしゅうさく
今年54歳になります。最初読んだ本が、万えん元年のフットボールでした。最初は全然なんと言う、か、と言うより、算数の、問題が理解できないようなむつかしいほんでした。だけど読むうちにいまや本棚の私にとっては大切に、気持ちがしずんだ時に、癒しをほんの少しちよっとだけ、がんばって読んでいます。
大江健三郎先生、新聞の対話、テレビにご登場して下さい。むづかしいけど大好きです。
2002/1/3, いとうくにお
あけましておめでとうございます。やまめさん、お待たせ!
予定より一日早く戻ってきました。NHKの放送は、「ゆく年くる年」のほうはチラっとだけ見ることができましたが、BSの「きみと語りたい」は見逃しました。ということで、僕もBSの放送内容が知りたいと思っています。
やすさん、たかしよさん、はじめまして。気が向いたら、またおいでください。
2002/1/3, やまめ
 掲示板が更新されないなあ、BSの番組でどんな話があったのか誰か書いてくれないかなあと思っていたら、いとうさんが帰省中なのでしたか。いとうさーん早く帰って来てくださーいナ。
 私はお正月、大江サンが『言い難き嘆きもて』で、若い人に最も勧めたいと思う本と書かれていた『梨の花』(中野重治 岩波文庫)を読みました。私が見たいくつかの日本文学全集にはこの作品は入っていなかったのに、アマゾンで検索したら、同作家の本の売上順に3位のところにあったので、大江先生推薦の効果かなあと思ったのですが、先ほど見たら今度は第1位になっていてビックリです。
 さて、読んでみてまず書き出しの文の短さに仰天。大江作品とは大違いです。それで最初はリズム感があって良かったのですが、そのうちにちょっと飽きてきてしまいました。が、それと逆に今度は物語の世界にしっくりと入り込めるようになって、私自身の生まれ育った田舎の暮らしや、その頃に感じたことと似ているところもあって懐かしい気持ちで楽しく読みました。
 いくつも印象深い箇所はあるのですが、良平少年が雑誌の梨の花の絵を見て、梨の花がこんなに美しいことがあるもんかと変に思い、「どら……」と灰小屋の傍の梨の花を見てみたらほんとに美しかった、という所、これが異化かなあと思いながら読みました。
 で、この本を大江サンが若い人に勧めたのはなぜだろう。<折に触れてあらわれる中野重治の柔らかさ>に触れ、<無邪気なユーモア>を楽しみながら(東京に対して)周縁の少年の生活や感じ方考え方を読んで欲しいということでしょうか。読まれた方はどう思われましたか。
2002/1/2, たかしよ・よしの
はじめまして。昨日、nhkのBS放送で、大江さんと世界の若者がアメリカ同時テロ事件について話し合ったライヴを拝見しました。みなさんの意見は本当に興味深いもので、感動することもたびたびありました。とくに驚いたのは、NYとカイロの学生たちの考え方、話し方の違いでした。(もちろん共通する意見もありましたが!)その様子を見ていて、ますますハイブリッドな日本の立場は重要だと感じました。私たちもテロ事件の後、本当に自分たちも何か動かなければいけない!と感じ、神戸の若者に人気のあるカフェをつないで、苦しい状況のアフガニスタンの人たちへのの募金活動を始めています。同じように行動してる人たちが世界にいることがわかってとても心強い気分でした。いつか大江さんや、彼らにも私たちも応援していることが伝わると嬉しいです。こちらのHPは、大江さんのファン?のかたが集まるところなのでしょうか?よろしければ私たちのちょっととぼけた平和のサイトにも遊びに来てください。http://www2.to/peaceofcake
みなさんの平和への提案をお聞かせください ・v・ One love, One Peace!
2002/1/2, やす
 大学時代に読んだ大江の初期のエッセーを集めて出版された本の解説の中
に、これから小説を書いていく新しい人に向けた大江のメッセージが記されてあった。
 「君がまだ若くこれから小説を書いていきたいと思うのなら、待ったほうが良いというだろう。30歳くらいまで仕事をもちながら、勉強を続けていく、そしてそれから、小説を書く。」
 学生時代から研究者になりたいという夢を持ってきたが、この言葉が僕の30歳までの人生の大きな指針となりえたと思っている。卒業後すぐに就職した。そして今、大学院に行きながら、仕事を持ち、働いている。もう32歳になろうとしているが、大学卒業後歩んできた道に後悔はない。
2002/1/1, ナオ
あけましておめでとうございます!!

>りょうせいさん
はじめまして。
どうもありがとうございました。
早速調べてみますね。
サブタイトルと思われるものには、「ソ連の作家に難解な日本の青年像」とあり、書き出しは「安部公房さんの新作、《おまえにも罪がある》を見てきたばかりの、ソヴィエトの作家たちと話す機会があった。ソヴィエトのひとりの壮年の作家が、疑問に感じたのは、云々」というものです。
いやぁ、すばらしいですね。
レスの早さと深い情報に感動すら覚えました。
どうもありがとうございました!

>いとうくにおさん
はじめまして。
そうなんです。実は安部ファンです。
大江さんもファンというほどではないけど好きです。
因みに、二度、講演会に出かけ、サインをおねだりしたのですが、二度とも断られてしまいました。
ノーベル賞受賞後だったのですが、そうでなかったら貰えたのかもしれませんね。
どうもありがとうございました。また来ます。

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