ミニ事典

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アグイー

「空の怪物アグイー」に登場する、音楽家の妄想上の怪物。カンガルーほどの大きさをした、木綿地の白い肌着を着た肥りすぎの赤んぼうで、犬と警官を恐れており、時おり空から降りてくるという。音楽家の元妻によれば、それは二人の間にできた障害をもった赤んぼうの幽霊で、死ぬ前に一度だけアグイーといったから音楽家はそう呼んでいるという。障害のある子を父親が引き受けた結果の存在がイーヨーであるとするなら、引き受けなかった場合のイーヨーがアグイーということになるだろう。

アシジのフランチェスコ

12〜13世紀の修道院運動の指導者。大江氏は子供のころ、谷間にあった水車小屋でアシジのフランチェスコに関する本を読み、泣いて帰ったことがあるという。小麦粉を顔中につけて。その本には、魂のことをするなら今すぐ何もかも捨てなくてはならないと書いてあり、大江少年はなるほどと思いながらも、家で母や妹が待っているので小麦粉を捨てることもできず、「なにか惧れに打ちのめされたようになって」、泣いたのだった。

アポリネール

ギョーム・アポリネール(Guillaume Apollinaire)、1880年8月26日生まれ、1916年11月9日没。『個人的な体験』にこの名前が出てくる。フランスの詩人で、二十世紀初頭のフランスの文学・芸術界で盛んだったアバンギャルド運動に参加。シュールレアリスムの先駆者とも言われる。

イーヨー

大江光をモデルとした、大江文学におなじみのキャラクター。『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』で登場したのが最初と、『新しい人よ眼ざめよ』に書かれている。イーヨーは、クマのプーさんに出てくるロバの縫いぐるみの名前から取られている。実際の光氏は「プーさん」の名前をもらってなのか、プーちゃんと呼ばれているようだ。

イェーツ

W・B・イェーツ(1865-1939)。アイルランド生まれの詩人。『揺れ動く<ヴァシレーション>』など大江文学で繰り返し語られる。

伊丹十三(いたみじゅうぞう)

本名池内岳彦。俳優、エッセイスト、映画監督。1933年(昭和8年)京都生まれ、1998年12月20日没。大江健三郎の義兄。映画監督・脚本家の伊丹万作の息子。松山東高校時代からの大江氏の友人。1960年、大江健三郎原作の映画『偽大学生』に出演。1984年、『お葬式』で監督デビュー。1995年『静かな生活』を映画化。著書『ヨーロッパ退屈日記』は名エッセイ。『日常生活の冒険』などいくつかの大江作品に伊丹十三を彷彿とさせる人物が登場する。

大江氏は『ゆるやかな絆』の中で伊丹十三をこのように書いている。

少年時にはじめて会った時から、伊丹さんはまったく特別な人でした。お母さんが特注されたネービー・ブルーのラシャの半外套を着たかれは−−もとより高校でそれが許可されていたはずはありません−−なんとも美しい少年でした。かれは翻訳されたばかりのカフカの『審判』について確実な意見を持っており、ランボーの詩集をガリマール版で読み、そしてベートーヴェンの後期の弦楽四重奏を深く楽しんでいる、という若者でした。

映画化された大江作品(えいがかされたおおえさくひん)

『静かな生活』だけかと思ってましたが、1960年を挟む三年間にたて続けに三本の映画が制作されていることがわかりました。(Japanese Movie Databaseを参考にさせていただきました)

○1959年『われらの時代』

監督:蔵原惟繕
原作:大江健三郎著『われらの時代』(新潮文庫「われらの時代」に収録)
公開:1959年11月25日
制作:日活
上映時間:?分、白黒

○1960年『偽大学生』

監督:増村保造
原作:大江健三郎「偽証の時」(1957年)
公開:1960年10月08日 制作:大映東京
上映時間:?分、白黒

僕としては三重の面白さがありました。まず、映画そのものの面白さ。よくできている映画だと思います。若尾文子もよかった。それから、若き日の伊丹十三(このときは一三(いちぞう?)と名乗っています)。学生運動のリーダー格を演じているんですが、聡明で、冷静で、利己的な、そういうエリート学生を好演していたと思います。後年のあの少し口ごもるようなしゃべり方はこのころからのものだということもわかりました。若い頃の伊丹十三の演技と姿が見られたのは僕としては収穫です。三番目の面白さというのは、大江文学の世界と対比しながら差異を楽しむというところ。

『飼育』は完全に監督大島渚の世界になっているのに対して、『偽大学生』のほうは大江文学の香りが少しただよっていたような気がします。原作の「偽証の時」は読んでいないので想像にすぎないのですが、『見るまえに跳べ』に収録されている「鳩」に似た構造がこの映画にはあって、それが大江文学の香りのように感じられたのかもしれません。物語の進行によって、それまでポジだったものがネガに変わってしまうというようなそういう構造です。そういうのが二度三度と出てくるんですよね。

映画が終わって観客が帰りだすのを見てると、どうもみんな一人できているんですよね。金曜日の夜だというのに。まあ、カップルで見るようなロマンチックな映画ではないし、かといって友だちどうしで映画を観にいくというタイプの人たちが観るような映画でもない。誰もが一人で黙って場内を出て行くというのが、なんだか可笑しかったです。(2002/4/5)

○1961年『飼育』

監督:大島渚
原作:大江健三郎著『飼育』(新潮文庫「死者の奢り・飼育」に収録)
公開:1961年11月22日
制作:パレスフィルム・プロ
配給:大宝
上映時間:105分、白黒

*この作品はポニーキャニオンから2000年9月20日にDVDが発売される。同社サイトによると、本編のほか、劇場公開時ポスター(3パターン)も収録されるとのこと。

○1995年『静かな生活』

監督:伊丹十三
原作:大江健三郎著『静かな生活』(講談社1990年刊、1300円)
公開:1995年9月29日
制作:伊丹プロダクション
配給:東宝
上映時間:121分、カラー

95年10月20日、新宿で観てきました。大江健三郎原作、伊丹十三監督の『静かな生活』。金曜日の夜だったのに、おもての賑わいとはうってかわって、映画館の中はガラガラ。売店の女性は、毎日こうなんですよと苦笑い。数人程しかいない観客たちを見回すと、ヒッピーみたいなファッションの若い女性(前の座席の背もたれにドカっと足を載せていた)、OLらしき二人連れ、失業中といった風情の中年男(この男は最初から最後まで眠っていた−ときおり彼のイビキが場内に響いた)、カップルが二組ほど。この笑いたくなるような光景を見て、ふと、この人達ひとりひとりと大江健三郎について語り合ってみたいような気持ちがわきおこったものでした。

さて映画のほうですが、僕としてはまずまず楽しく観ることができました。原作の部分部分を組み合わせた内容になっており、シーンによっては原作をかなり忠実に映像化しています。原作を知っているものには、それぞれの挿話の顛末が最初からわかってしまっているというつまらなさはありましたが、自分のもっていたイメージと伊丹監督による映像との違いが興味深かったりもしました。また大江健三郎がいろいろな作品で紹介している、息子<光>が始めて言葉をしゃべったときのエピソードがあるのですが、大江役の山崎努がそのエピソードを語るにところで改めて感動してしまうということもありました。

一番興味があったのは、光氏がどのような演技で表現されるのかという点だったのですが、これは大変よかった。光役の渡部篤郎はよくやったと思います。パンフレットによると、彼は障害者の施設を訪ねたり、障害者関係のドキュメンタリービデオを研究したりと数カ月にわたって役作りをしていったそうです。そのようにして作り上げられた演技を観ることができるのは幸せなことだと思います。

この映画は、伊丹監督の他の作品からくらべると、娯楽性という点でかなり落ちるでしょうし、子供には見せたくないようなシーンもいくつかありますから、万人向けとは言えません。しかし大江ファンなら、彼の小説に登場するキャラクターたちが、個性的俳優たちの力演によってスクリーンに再現されるこの映画を、楽しめることは間違いないでしょう。

映画『静かな生活』のホームページへ
(現在、この作品はレンタルビデオでも見ることができます)

おおえけん

大江健三郎、高校時代のペンネーム。

大江戸祭り(おおえどまつり)

大江健三郎は伊丹十三にこのような冗談を語っている。子供ができたら「戸祭」という名前にしようと思う、名字と合わせて大江戸祭となる、、、。

大瀬(おおせ)

愛媛県喜多郡大瀬村(現内子町)が大江健三郎氏の故郷。

オコナー

フラナリー・オコナー(1925-1964)。米国南部の女流作家。『人生の親戚』の主人公・まり恵さんはオコナーの研究者という設定で、オコナーの思想を語るシーンもある。

無垢(イノセンス)は強調されすぎると、その対極のものになる、とオコナーはいってるわ。(中略)現実での過程をとばして、安易にニセの無垢(イノセンス)に戻ることが、つまりsentimentalityだというわけね。(大江健三郎著『人生の親戚』より)

ちなみにSwitch 1987-10によると、ロックミュージシャンのブルース・スプリングスティーンはオコナーの愛読者らしい。反核運動に賛同し、来日公演では広島の原爆資料館を訪ねて自国の責任の大きさに打ちひしがれたという彼は、案外、大江健三郎と話が合うかもしれない。

オックス・テイル・シチュー

『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』など大江作品にしばしば登場する、牛の尾を使った料理。大江氏にインタビューしたSwitch編集者はスネ肉のシチューをふるまわれ、歯が軽くふれると崩れる肉の柔らかさと美味さに歓声をあげたというから、大江氏の料理の腕前はなかなかと思われる。以下、バーバラさんから寄せられたレポート。

* * *

『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』の中の「父よ、あなたはどこへいくのか?」に出てくるオックステイルシチューを再現してみました。最小限補足したのみで、できるだけ本文に忠実な材料、手順になっているはずです。なお一部『みずから我が涙をぬぐいたまう日』も参考にしました。
以下の『』内は本文からの引用です。

オックス・テイル・シチュー材料(4人分)
オックス・テイル
1人1〜4個(大きさにより)
タマネギ
2個(中〜大)
ニンジン
2本
セロリ
1本(『みずから我が涙を…』に『テイル・シチューに欠かせない』とあるので加えた)
パセリ
適量(葉を刻んで大さじ2〜3杯)
ニンニク
2片ぐらい
ブーケガルニ
ロリエ、タイム、パセリの茎をタコ糸で結んだもの
赤ワイン
1カップ
ブランデー
適量
トマトピューレ
『アメリカの食料品会社のラベルのついた』もの1カップ
固型スープ
『アメリカの食料品会社が輸出している』もの2個
小麦粉
大さじ2〜3杯
塩、コショウ
適量
ラード
適量


<作り方>

1.オックステイルは塩、コショウしておく。タマネギは細いくし型に、ニンジンは大きめに切る。セロリ、パセリ、ニンニクはみじん切り。

2.ラードを深鍋で熱し、オックステイルを入れ全部の面に焼き色を付け、取り出す。

3.その油でタマネギをアメ色になるまで炒める。

4.そこにニンニク、ニンジン、セロリ、パセリを入れ、オックステイルを戻し、小麦粉をふりかけ、熱くなったところに『ブランデーをひとしずくたらして火をつけ』る。但し、ブランデーが少なすぎると火はつかないし、多すぎると火事になる危険があるので、気をつけること。

5.赤ワインを入れ、ワインが沸騰したら弱火で数分間煮る。(アルコール分を飛ばす)
(本文では『葡萄酒で煮込む』とあるので、ひょっとしたらダイナミックに葡萄酒をもっと大量に入れ、葡萄酒だけで煮込むのかも知れないが、ちょっと考え難い。理由はここで煮込んでしまえばアクが出てしまい、後半の『のろのろと無器用に重い腕を動かしてアクを掬いつづける』時点では既にアクは出尽くしているはず)

6.水6〜8カップ(鍋の大きさ、肉の量に応じて増減)を入れ、固型スープとブーケガルニを入れ、トマトピューレを加えて、沸騰したら弱火にして、アクを掬いながら(最初のうちはひたすら掬う)4〜5時間煮込む。底が焦げ付かないように時々混ぜる。

7.ブーケガルニを取り出し、塩、コショウで味を整え、出来上がり。
 
(注意)
・煮る時間は、肉が柔らかくなり、且つ骨からはがれないぎりぎりまで。煮過ぎると、肥った男の二の舞いで『あまりに永く煮込みすぎたため関節から肉と脂とが分離してしまったテイルシチューを発見する』ことになってしまうので気をつけること。
 
・出来上がりをきれいにするには、にんじんは煮込み始めて1〜2時間のところで入れるとくずれない。
 
・タマネギはアメ色になるまで(15分くらい)よく炒めること。本文中にはそうは書いてないが、これは出来上がりの色、味をよくするポイント。大江さんがこの手順をもし省いているのであれば、ここの方法で作ったシチューのほうが美味しいかも知れない。(^^)

・シチュー用の深鍋では火がつきにくいので、フライパンで肉、野菜を炒めブランデーをたらし、フライパンを傾けると火がつきやすい。この場合、炒めたものを鍋に移す時にフライパンの底に付いたものもへらで全部取って移す。
 
・分量に関しては本文中記載がないため、あくまでも適当なのでご了承ください。

1999.12.17 バーバラ
1999.12.31一部改訂

調理例(2000.2.12)

烏山福祉作業所(からすやまふくしさぎょうしょ)

大江光の通う福祉施設。NHK「響きあう父と子」では、次男が兄・光を送る様子が紹介されている。世田谷区のサイトに連絡先などが掲載されている。また「障害者の作業所を支援する会世田谷支部」では作業所で作っている製品が紹介されている。

ギー

ギーという名前の登場人物には、隠遁者ギー(われらの狂気を生き延びる道を教えよ)、先のギー兄さん(懐かしい年への手紙)、新しいギー兄さん(燃えあがる緑の木)、ギー少年(宙返り)の四人がいる。後期大江文学の中でも重要な人物ばかり。

ギー兄さんの屋敷の所在

『懐かしい年への手紙』の記述からギー兄さん(先のギー兄さん)の屋敷の所在を考えてみた。

 

●ギー兄さんの屋敷に行く途中に曾我五郎十郎首塚がある

まず出発地点となる「僕」の家だが、そこを大江氏の生家と考えるならば、それは小田川沿いの大瀬小学校の近くということになる。

第1部5章に「僕」が次男とともに、家から歩いてギー兄さんの屋敷に向かう場面が出てくる。その途中で曾我五郎十郎首塚の近くを通る。

「僕と息子は分れ道から右よりにゆっくりした勾配で谷川にくだり、土橋を渡って急な坂となる旧道を辿って行った。いったん平らな台地まで登りきって、そこから杉と闊葉樹の林のなかのゆるやかな道となる。道なかは左脇に壁のように立つ鯨のかたちをした岩があって、その角から細道をしばらく行くと、杉十郎と呼ばれる大杉があって、それはこちらの杉林の間からも見通すことができた。
――向うの大きい杉の木のところに曾我十郎の首塚というのがあったね。」(講談社文芸文庫版p.118)

国土地理院の地形図でみると、確かに曾我五郎十郎首塚というのは、「いったん平らな台地まで登りきって」「ゆるやかな道」を通った先にあることが等高線からわかる。地図が示す地勢と小説の記述とは一致している。
 

●ギー兄さんの屋敷は「在」の谷川を囲む田畑を見おろす高みにある
ギー兄さんの屋敷は、首塚よりさらに奥のほうにある。

「林を抜けた小さな峠から見わたすとあらためて左山裾に谷川が流れ、岸から右に水田がひらけて、高みでは畑になる。ギー兄さんの屋敷は、果樹園を背に左山腹から突き出した石垣の上にある」(p.120)

左手に山があることになっている。地図では、302mと277mの二つの山が存在している。上の記述だけだと、どっちの山かよくわからないが、4章にはこうある。

「ギー兄さんの屋敷は「在」の谷川を囲む田畑を見おろす高みにある。その山腹の側に他の人家はなく、屋敷の長屋門から坂を降りて谷川を渡った対岸の斜面に、ギー兄さんの家の土地の小作をしていた農家が点在している。」(p.99)

左から順に

 山→果樹園→屋敷→谷川→水田→斜面→道

となっているらしい。そういう位置関係が成立すると場所となると、302mの山の裾野(北緯33度35分14秒、東経132度44分11秒あたり)が屋敷の所在としてふさわしいと思われる。

銀河鉄道(ぎんがてつどう)

『宙返り』に出てくる酒のモデルと思われる。蔵元の亀岡酒造はオンライン販売もしている。

ケンサンロウ

大江氏の高校時代のあだ名。『恢複する家族』に、伊丹十三が大江健三郎にそう呼びかける高校時代の思い出が紹介されている。

斎木犀吉(さいきさいきち)

奔放な生き方をした『日常生活の冒険』の主人公。モデルは、パリで自殺した国際政治問題の専門家で、「おそらくは日本人でもっともサルトルと親しく交際していた青年」であった大江氏の友人という説もあれば、伊丹十三という説もある。

ザッカリー・K・高安(たかやす)

「燃えあがる緑の木」三部作に登場する日系米国人。高安カッチャンの息子。以前「地獄機械」(マキーナ・インフェルナル)というロック・バンドをひきいていた。そのバンドの"Oblivion"(忘却)という曲は、ヒカリの妹マーちゃんのお気に入りという。

サッチャン

「燃えあがる緑の木」三部作の語り手。思春期に男から女へと変身を遂げるが、性器は両性具有で、ギー兄さん、ザッカリー高安、伊豆の別荘の隣人のマユミ、外交官の遊佐などと性交を行う。大江文学の登場人物の中でももっとも多く濡れ場を演じたキャラクターかも。(そんな解説ってあるか…)

政治少年死す(せいじしょうねんしす)

1961年(昭和36年)の文学界2月号に掲載された短編。浅沼稲次郎を刺殺した右翼少年山口二矢(おとや)をモデルとしており、発表後、右翼のはげしい抗議を受ける。単行本、文庫本には収録されていないため、これを読むには文学界のバックナンバーをそろえている大きい図書館で閲覧するなりコピーをとってもらうなりする必要がある。1月号には前編となる『セブンティーン』が、3月号には編集長名による謹告(実質的には謝罪文)が掲載されている。

成城(せいじょう)

大江氏の住む町。東京都世田谷区の閑静な住宅地。小田急線成城学園駅が最寄駅。大江邸までは徒歩で10分ほど。ちなみに、駅前の交番で聞いても大江邸の所在は教えてくれない。

誕生日(たんじょうび)

大江氏の誕生日は1935年(昭和10年)1月31日。

中華風粥(ちゅうかふうがゆ)

『洪水はわが魂に及び』に登場する料理。

調理例(2000.2.12)

司修(つかさおさむ)

1936年、前橋市生まれ。『宙返り』、”燃えあがる緑の木”三部作、『同時代ゲーム』など大江氏の単行本の装丁を手がけている。1994年から法政大教授。

テン窪(てんくぼ)

大江作品にしばしば登場する湿地帯。中央にテン窪大檜と呼ばれる巨木がある。『懐かしい年への手紙』では、そこにギー兄さんが「美しい村」の建設をもくろみ、さらには小川をせき止めて人造湖に変える事業を行う。

テン窪の所在

ギー兄さんの屋敷を基点にテン窪の所在を考えてみる。『懐かしい年への手紙』にはこう書かれている。

「ギー兄さんの屋敷は「在」の谷川を囲む田畑を見おろす高みにある。その山腹の側に他の人家はなく、屋敷の長屋門から坂を降りて谷川を渡った対岸の斜面に、ギー兄さんの家の土地の小作をしていた農家が点在している。ギー兄さんの屋敷の側と対岸の斜面との間が狭まるにつれて谷川は深く沢に潜り、それにそっていた道は段々に登って行くにつれて、右にそれながら急勾配となる。坂道の頂点に、小さな峠があって、下方から見るかぎりそこは左右から山腹がせり出してつながる底にあたる。坂道の左側で谷川は十メートルも高度差のある三段の滝をなしている。ところが峠の向うをダラダラ坂がくだり、そこにはテン窪と呼ばれる湿地帯が拡がって、滝に水をおとす曲がりくねった小川が流れているのである。いったん地形が窄まった峠と滝の向うにひろがる、高い所の窪地というほどの呼び名なのであろう。そのほぼ中央にテン窪大檜という名のついた巨木のそびえる塚があって、子供の頃ギー兄さんはそれを古墳ではないかといっていた。峠からテン窪を見渡すと、干上がった山上湖のようにも見えた。」(『懐かしい年への手紙』講談社文芸文庫p.99)

この地形図を見てほしい。右下のほうに曾我五郎十郎首塚があり、その北東に程ヶ滝という地名が見える。ギー兄さんの屋敷はこの中間あたりにあると考える。そこから程ヶ滝方向に進むと、「屋敷の側と対岸の斜面との間が狭ま」っていき、勾配がきつくなっていくのが地形図から読み取れる。そして「左右から山腹がせり出してつながる底」の向こうは、急に等高線の間隔が広がり、平坦な土地になっていることがわかる。地図からはわからないが、部分的には「ダラダラ坂がくだ」った地形になっている可能性もある。

程ヶ滝という地名(あるいは滝そのものがあるのか)、その手前のギー兄さんの屋敷前の田んぼ記号から推測して、両者をつなぐ水の流れがあることが想像される。その小川が等高線の狭い部分(急勾配のところ)を通る際に、「十メートルも高度差のある三段の滝」になっている可能性はある。

以上のことから考えて、このあたり(北緯33度35分26秒,東経132度44分20秒)がテン窪に相当する場所なのではないだろうか。

東京アスレチッククラブ

大江氏が1972年から通っている中野駅のそばのスポーツクラブ。略称TAC(タック)。大江氏は週に何回かここで水泳をする。

トリックスター

trickster。元の意味は「詐欺師、ぺてん師」ということだが、文化人類学では「神話や民間伝承などで、社会の道徳・秩序を乱す一方、文化の活性化の役割を担うような存在」(広辞苑)のことを指す。『M/Tと森のフシギの物語』のTは、トリックスターの略で、亀井銘助や童子など、村の伝承のなかでトリックスター的な役割を果たした人物が登場する。例えば亀井銘助は、十代の若さでいながら交渉ごとなどにすぐれた能力を発揮し、村の一揆を指導するようにもなるが、一方ではお調子者ともいえるような行動で大きな失敗も犯す。小説の中では、このような村の伝承に登場するトリックスターの存在のかたわらには、それを支え、時にはリードするような女性の存在が常にあったとしている。それがメイトリアーク。T(トリックスター)とM(メイトリアーク)の組み合わせを村の伝承の物語の主役達と位置付けて語ったのが『M/Tと森のフシギの物語』である。→メイトリアーク

ナイフ

『懐かしい年への手紙』の主人公「僕」は、不良たちを前に自らの手にナイフを突き立てることで、彼らの暴力による学校支配の外にいられるようになる。その出来事を通じて「僕」のあだ名がナイフとなる。

鳥(バード)

1964年に書かれた小説『個人的な体験』の主人公。生まれてきた赤ん坊の異常に戸惑い、打ちのめされ、学生時代の友人・火見子との情事に逃避する。鳥(バード)と、小説の最後に登場する菊比古は、『空の怪物アグイー』に収録されている1962年の短編「不満足」にも登場している。『個人的な体験』では、鳥(バード)と菊比古が、菊比古のバーで7年ぶりに再会するシーンがある。

排骨湯麺(はいこつたんめん)とペプシコーラ

『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』の「父よ、あなたはどこへ行くのか?」で、「肥った男と息子」は中華料理屋で排骨湯麺とペプシコーラを頼むのを習慣としている。この店のモデルと思われるのが成城学園駅そばにある成城飯店。店の人はかつて大江氏がよく来店したと語っている。以前は七面鳥という名前だった。場所は成城学園駅北口を出て左へ1、2分。洋菓子店アルプス手前の地下1階。ただし現在ではここでは排骨湯麺はやっていない。この店が暖簾分けした七面鳥という店が千歳船橋にあり、そこでは排骨湯麺とペプシコーラがいまもある(1999.12現在)。場所は小田急線千歳船橋駅南口(臨時改札口)を出て、信号を渡り、左へ。日本信販の裏手。排骨湯麺は、メニューではパイコーメン(パーコーメンだったかも)となっている。

パパイヤ豆腐チャンプルー(ぱぱいやとうふちゃんぷるー)

『「雨の木」を聴く女たち』で高安カッチャンがハワイ大学の東西文化センターのカフェテリアで食べる料理。ここにレシピがある。

調理例(2000.2.12)

原広司(はらひろし)

建築家。ヤマトインターナショナル(東京・大田区、1987)、梅田スカイビル(大阪)、京都駅(京都、1997)などを設計。『緩やかな絆』には、大江氏の故郷の中学校を設計したエピソードも紹介されている。『集落の教え100』の著者。

光(ひかり)

大江健三郎氏の長男。1963年6月13日生まれ。→大江光

響きあう父と子(ひびきあうちちとこ)

NHKのテレビ番組。プロデューサ山登義明。国際エミー賞受賞。大江氏の日常、光さんとの生活、『燃えあがる緑の木』の第一稿を書き上げるシーン、光さんをともなった広島訪問のようすなどが見られる。

火見子(ひみこ)

『個人的な体験』に登場する印象的なキャラクター。結婚後1年で夫に自殺され、以来、「昼のあいだはずっと神秘的な瞑想にふけり夜となればスポーツ・カーで街を彷徨して日々を送っている」。主人公・鳥(バード)の学生時代の友人。火見子の卒論はウィリアム・ブレーク。二人は学生時代に一度だけ材木置場で寝たことがある。

フォークナー

ウィリアム・フォークナー(William Faulkner)、1897年9月25日生まれ、1962年7月6日没。米国の作家。1949年ノーベル文学賞受賞。大江氏がしばしば引用する言葉「悲嘆(グリーフ)と無との間で、私は悲嘆(グリーフ)をとる」はフォークナーの『野生の棕櫚(しゅろ)』(1936年)かららしい。「おもに架空の土地ヨクナパトーファ郡を舞台とする作品を発表」「南部に生きる人間たちの暗い情念を実験的な手法で描いた」(平凡社マイぺディアより)ということだが、土地を”谷間の森の村”と置き換えると、まるで大江文学の説明のようだ。

深瀬基寛(ふかせもとひろ)

オーデンの詩を訳している。Switch Vol.8 No.1 1990-3に掲載された、大江氏自身による文学系譜図では、オーデンの名前の脇にわざわざこの人の名前が記されている。同誌において大江氏は「僕は深瀬基寛という人から、米、英の現代詩の読み方を教わったという気持ちを持っています」と語っている。以下は深瀬氏によるオーデンの詩の訳(文庫の『われらの時代』のあとがきから)。

危険の感覚は失せてはならない
道はたしかに短い、また険しい
ここから見るとだらだら坂みたいだが。

ブレイク

ウィリアム・ブレイク(1757-1827)。詩人、画家。大江文学では『新しい人よ眼ざめよ』などいくつかの作品で繰り返しその詩が引用される。

人間は労役しなければならず、悲しまねばならず、そして習わねばならず、忘れねばならず、そして帰ってゆかねばならぬ
そこからやって来た暗い谷へと、労役をまた新しく始めるために
(ウィリアム・ブレイク『四つのゾア』より)

ベーコン

大江家の北軽井沢の別荘に現れた柴犬。ベーコンを好んで食べることから「ベーコン」と名づけられた。このエピソードは『ゆるやかな絆』所収の「ベーコン」にある。このエッセイには、光氏の描いたベーコンの絵も出ている。この絵は、単行本『取り替え子』のカバー内側の表紙絵としても使われた。

ホモピアソル(HPS)

大江氏のサイン会にいくと、サインのほかに「HPS」という文字とバイオリンを弾く人を掘り込んだハンコを押してもらえることがある。このHPSは、ラテン語のホモピアソルの略で、自立した人という意味があるそうだ。

翻訳(ほんやく)

翻訳された大江作品。

個人的な体験 → A Personal Matter (John Nathan訳)
万延元年のフットボール → The Silent Cry ( John Bester訳)
静かな生活 → A Quiet Life ( Kunioki Yangishita , William Wetherall 訳)
われらの狂気を生き延びる道を教えよ → Teach Us to Outgrow Our Madness
芽むしり仔撃ち → Nip the Buds, Shoot the Kids (Paul St. John MacKintosh, Maki Sugiyama 訳)
ピンチランナー調書 → The Pinch Runner Memorandum (Michiko N. Wilson 訳)
恢復する家族 → A Healing Family
ヒロシマ・ノート → Hiroshima Notes (David L. Swain , Toshi Yonezawa 訳)
曖昧な日本の私 → Japan, the Ambiguous, and Myself : The Nobel Prize Speech and Other Lectures
飼育など? → Catch and Other Stories
セブンティーン → Seventeen and J : Seventeen the Political Being and I the Sexual Being
何とも知れない未来に → Fire from the Ashes : Short Stories About Hiroshima and Nagasaki
人生の親戚 → An Echo of Heaven
新しい人よ目覚めよ→ Rouse Up, O Young Men of the New Age (John Nathan訳)
 

松山(まつやま)

愛媛県松山市。大江氏は16歳のとき、地元の内子高校から松山の松山東高校へ転校し、以降の高校時代をそこで過ごす。松山市は、『取り替え子』などのいくつかの大江作品に登場する。

メイトリアーク

matriarch。女家長、女族長の意。『M/Tと森のフシギの物語』のMは、メイトリアークの略。この小説では、村の伝承に登場するオーバーやオシコメといった女性たちがT(トリックスター)とともに物語の重要な果たす存在として位置付けられている。→トリックスター

ユマニスム

フランス語のhumanisme。英語ではヒューマニズム(humanism)。日本語では人間主義、人文主義などと訳されるが、渡辺一夫はユマニスムという言い方をし、大江氏もそれにならっている。渡辺の『ヒューマニズム考』(講談社現代新書)は、フランスのルネサンス期の文芸を材料にユマニスムというものを定義しなおしたもの。彼は日本語におけるカタカナ語「ヒューマニズム」の使われ方が「なんとなくすこしずつちがっているような感じ」があるとし、彼の定義の材料となったフランス語の読みを採用している。

渡辺によれば、形式や瑣末な議論にとらわれ、信仰から乖離した神学のあり方に対して、「それはキリストと何の関係があるのか」と問いかけたのがユマニストであり、そういう態度をユマニスムという。大江氏がしばしば使う「ユマニストの寛容の伝統」というのは、宗教改革の時代に起きたはげしい旧教と新教の闘争において、異端に対してユマニスト達が寛容の態度で臨んだことに由来している。

なお、人道主義や博愛主義と訳すのは間違い。これらはヒューマニタリアニズム(humanitarianism)の訳語。

ラウリー

マルカム・ラウリー(1909-1957)。イギリス生まれの小説家。彼の『活火山の下で』(アンダー・ザ・ヴォルケイノ)は、大江氏の『「雨の木」を聴く女たち』のモチーフとなっている。また、大江氏の『「救い主」が殴られるまで』では、ザッカリー・K・高安の父親が関心を持っていた作家として触れられている。

煉獄(れんごく)

地獄へ降り、煉獄を経て天国に辿りつき、初めて人間は回心することができるという話が『宙返り』その他で何度も出てくる。これはダンテの『神曲』の構成にゆらいするらしい。その「煉獄」とは何か。広辞苑によれば「(purgatory)カトリック教で、死者が天国に入る前に、その霊が火によって罪を浄化されると信じられている場所。天国と地獄との間。」とのこと。なんだか、更衣室からプールへ降りていく途中にある冷たいシャワー程度のもののようなイメージがする。新明解国語辞典では「(カトリック教で)生きているうちに犯した罪のつぐないをしないで死んだ人の霊魂が贖罪(しょくざい)を果たすまで、火によって苦しみを受ける場所」とある。こっちは恐そうだ。

渡辺一夫(わたなべかずお)

大江氏が師と仰ぐフランス文学者。1901-1975。大江氏は渡辺一夫の著作を読み、彼が教官を務める東京大学へ入ることを決意したという。→ユマニスム


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