2003年3月の日記

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2003/3/31
明後日の撮影のためのカメラテスト。特殊な試みながら予想以上にばっちり。ただ天気が心配・・・。
2003/3/30
天気が良いので家族でお出かけ。買い物して屋上遊園地に行って食品売り場でお弁当を買ってビール買って、自宅の隣の東工大でまだ五分咲きの桜を見ながら昼食。実にいい塩梅。
2003/3/29
午前中は娘のアトピーで病院へ。午後は息子が先日から始めた合気道の稽古に付きあう。
2003/3/28
音楽打合わせで某大物作曲家の事務所へ。キンチョーする。
2003/3/27

打合せまでちょっと時間が空いたので、以前住んでいた葛飾区金町へ。ここにはめちやくちゃ気に入っていたとんかつ屋があるのだが、なんせ遠い(ほとんど東京横断)のでなかなか行けない。引っ越して以来、8年ぶりである。駅の様子は・・・げげっロータリーが巨大化してバスターミナルと化している。

そしてとんかつ屋へ。そりゃあもう御満悦。ランチビールまで飲んで御機嫌。続いて昔住んでいたアパートへ。なぜか途中でオート三輪を発見。

さすが金町。そしてなつかしの元我が家は・・・ありました!
一階に飲食店が入っていてゴキブリの巣窟でした。残念ながら中華料理店はつぶれていましたが(合掌)、スナックマコはどっこい生きていました。すげえ。まいばんまいばんカラオケで歌ってくれたよなぁ。ちなみに見えている道を挟んだ対面は京成金町線という、非常に劣悪な環境でしたが家にほとんどいなかったので関係なし。建物は変わっていなかったけど看板が新しく設置されていました。それがこれ。
センター(真ん中)でもハイツ(高層)でもないっちゅうねん。ただのボロい木造モルタル二階建てです。

ひとしきり懐かしんだ後は、角川書店で打合せして帰宅。今日はお迎え当番の日なのでいそいそと子供たちを迎えに行って夕食の準備。今日のメニューは麻婆豆腐、初めて味の素の「ごはんがススムくん」を使ってみたが、やっぱりいつもの丸美屋の方が好みだなぁ。

2003/3/26
角川で短期連載中の「パックスヤポニカ」の企画で、我らがオッシー先生と、和光大学教授の岸田秀先生の対談。

この日の模様のダイジェストは5月発売のニュータイプに掲載予定。乞う御期待。
2003/3/25
ちょー眠かったので、保育園へ子供たちを送った後、朝寝。極楽極楽。午後、諸々ほったらかしていた雑務やら連絡関係やら。
2003/3/24

朝からニュータイプの原稿。深夜にようやく終了。

うちの親父はどうやら無事退院したらしい。

2003/3/23

慌ててニュータイプの原稿・・・を書くためのインタビュー原稿の整理。

またもや訃報。俳優の天本英世氏死去、77歳。もっと御年配かと思っていたのだが、てことは死神博士の頃は40代ですか。もちろん当ページ的には「星雲仮面マシンマン」のプロフェッサーK役で有名な・・・ではなく、オッシーの「紅い眼鏡」の月見の銀二役ですね。ちなみに同郷(福岡県北九州市)でした。嗚呼もういやなニュースばかりで本当に「悪夢の3月」という気分です。

2003/3/22
今年、講師をやることになってしまった某デザイン系専門学校の新年度の講師会に出席。もう逃げられない。
2003/3/21
お義母さんの還暦祝いで近所のすし屋へ。近所と言っても、そこらのヘボすし屋じゃないです。テレビにもよく紹介される、マグロで有名な奥沢の入船です。まあ高いのは高いですがはっきり言ってうまいです。大トロのあぶりなんか涙が出ます。なにげに好きなのはここのサバの棒寿司です。
2003/3/20

本当はニュータイプの原稿を入れる日なのだが・・・インタビューのテープ起こしが遅れてしまい作業にかかれないので外出(Mさんすみません・・・)。3/7の日記にも書いたが、今、森ビルの仕事で、現在建設中の六本木ヒルズで行われる「都市展」で上映する映像の製作をしているのだが、その仕事で今度、神田川を撮影するためカメラマンと一緒に徒歩でブラブラとロケハン。これが意外と楽しく、ちょっとした遠足&劇場版パト気分。



もっと時間がかかるかと思ったのだが日本橋からスタートして水道橋で曲がって浅草橋で隅田川に出るまで、ずっと歩いて大体3時間ちょっとでした。

とかなんとか言っている間に、とうとう戦争が始まった。

さらに弔報。プロレスラーの冬木弘道さん、癌のため42歳でお亡くなりに・・・私の最も好きなレスラーの一人でした。誰もがアングルであって欲しいと祈っていたのだが。安らかにお眠り下さい。

2003/3/19

世の中が戦争へ向かって加速している。私には何もできない・・・のか?とりあえずイラク情勢にはまったく何の足しにもならないのはわかっているが、以前からの懸案でもあったことだし、運が良ければ人の命を助けることができるかもしれないし、丁度時間が空いたので骨髄バンクの登録(ついでに成分献血)をする。

血を抜かれている間に骨髄移植に関するビデオを見せられる。骨髄液を抜くときって、ドナーは4日程入院して、全身麻酔で手術を受けるとな。うげげ、もっと簡単かと思っていたのだが。まあいいか。

ビデオの後、そのままテレビをつけていたら国会中継、党首討論。小泉総理がいち早くアメリカ支持を打ち出したことに対する激しい舌戦。民主党の攻撃材料は結局アメリカの手続きに関する不備しかないわけで、まあそれも大事なのかもしれないが、もう少し武力行使そのものの是非について話し合った方がまだいいような気がするのだが。成分献血は結構時間がかかるのでたっぷり観戦。

2003/3/18
放置していた雑事をだらだらと怠惰に片づける。
2003/3/17
フラッシュ完成、納品に行ってその場で微調整。終わった後、一緒に作業していたU氏とお疲れの乾杯。二人とも疲労困憊のためさっさと切り上げる。
2003/3/16
追い込み。
2003/3/15
ロフトプラスワンの川井憲次ナイトに行・・・きたかったが、納品間近の仕事の最後の追い込みがあるため、泣く泣く最初の1時間で帰宅。まだオッシーが出ていない段階で帰る羽目になろうとは・・・鬱。
2003/3/14

自宅でしこしこ作業。先週受けたイベント用のフラッシュムービーがようやく完成間近に。MY「80年代ニューミュージック特集」は現在PSY'S。「大きな古時計」はチャカの方が先やで〜。

なんか、親父が盲腸をこじらせて入院したらしい・・・。

2003/3/13

マンションの二件隣に息子の保育園のお友達のうちがあるのだが、そこんちのお父さんはグラフィックデザイナーで、副業としてデザイナー系の専門学校で講師をしているそうで、よく子供を連れて遊びに言って話をしているのだが、その方の紹介でいつの間にか俺が講師をすることになってしまった。いいのか?いいらしい。世も末だ。というわけでその某専門学校に御挨拶に行く。

その後、国分寺のプロダクションIGでオッシー先生に角川書店ニュータイプ用のインタビュー取材。先週風邪をひいてダウンしていたオッシー、多分そのおかげだと思うがうっすらとヒゲが!すみませんカメラなかったんですぅ。

帰りに大塚ギチさんのオフィスに陣中見舞い。岡崎優版「ガンダム」のすさまじい魅力について、西島大介さんも交えて熱く語り合い、激しく仕事の邪魔をする。

2003/3/12

FLASHと悪戦苦闘。夜、知り合いの通夜に参列。

一昨日、結婚前に良く出入りしていたCMプロダクション・Lから電話があり、以前大変お世話になったKプロデューサーが亡くなられたと聞いてパニックに陥る。去年の夏に、たまたま人づてで癌で胃を全部とっちゃったとは聞いていたのだが、その後職場復帰したと聞いて安心していたし、先月3年ぶりくらいにそのプロダクションで仕事で行ったときにもそれらしい話は聞いていなかったので本当に寝耳に水の出来事であった。だってまだ46歳だぜ。亡くなりましたああそうですかと信じられるほうがどうかしている。

結婚を機に、私は「制作進行をやめて演出になります」宣言をした。それまでずっとレギュラーで、ほとんど社員状態で出入りしていたプロダクション・Lには本当に迷惑をかけてしまったが、みんな快く送りだして結婚式にも来てくれた。だが、自分で勝手に演出家になりますと言ったってスキルもあるかどうかわからなしい仕事なんてあるはずない。もちろんそれはわかっていたのでそれなりに覚悟はしていたが(その機に乗じて本の原稿を書いたりしていたし)息子も生まれて収入的には非常に苦しかった。その窮状を知っていたわけではないのだろうが、そこにKプロデューサーから「企画の仕事手伝ってくれない?」との発注を受けたときは、掛け値なしにマジで涙が出るほど嬉しかった。それまで一度もちゃんと仕事をしたことないし、海のものとも山のものともわからない人間に仕事をくれたんですから。もちろん、制作進行としての部分の仕事も一緒にやりながら、という条件ではあるがこちらとしては願ったりかなったりでした。

Kさんとは仕事はそれまでやったことはなかったが、当時買ったばかりのMACのことをいろいろと教えてもらったりしていてそれなりに気心は知れていた。でもそういうことは抜きにして、自分という人間が世の中的には無価値なんじゃないかという妄想すら抱き始めていた時期だったし、とにかく本当に本当に私は嬉しかった。そのお礼もちゃんとしていませんでしたね。。。その後はまた縁遠くなってたまに電話して、どうしてるのとかあたりさわりのない話をする程度になり、年賀状こそ出していたものの次第に疎遠になって・・・こんなことなら病気の話を聞いたときに飛んで行くベだったと本当に悔やまれてならない。もう最後に話したのがいつなのかすらわからない。会える人にはすぐに会わなくちゃいけないのだ。会いたいと思ったらとにかく会いに行くべきなのだ。後悔先に立たずとはよく言ったものだ。ていうか、早すぎますよ、Kさん・・・前に電話で「作品集でも持って遊びに来なよ」っていってくれましたよね。そろそろ作ろうかと思って丁度作品を集め始めたところだったんですよ、ホントに。

いまさら、しかもこんなところで書くしかないのが歯がゆいですが、本当にありがとうございました、加瀬さん。ゆっくりお休み下さい。心から御冥福をお祈りいたします。

2003/3/11

自宅作業。なんとFLASHムービーに挑戦中。After Effectsに似てるけど動画が使えないところからして根本的に違うソフトとも言える。ちょっと甘く見ていたかな?シンボルの概念に戸惑う。

布団を干す。

種ともこで私の中の「80年代ニューミュージック魂」に火がついてしまったようで、今日からは白井貴子特集。悪いかよぉ。好きだったんだよぉ。いいじゃんかよぉ。くすん。

2003/3/10

娘一週間ぶりの登園。

夕方から音楽打合わせ。金曜までに30秒のオリジナル曲を3曲、しかもサンプル音楽はないし、絵はまだでき上がっていなし、でほとんどノーヒントという非道い発注。どうなる?

2003/3/9
仕事。
2003/3/8
午前中、病院へ行きやっと登園のOKをいただく。やれやれ。
2003/3/7

午前休。娘は保育園では11時頃食事を食べて昼寝をするというパターンが身に付いているためか、こうして病欠で家にいると必ず10時半くらいに寝てしまう。私としては手がかからないというよりは一緒に寝られるので非常に助かる。ま、その分夜中に仕事するだけなのだが。

夕方、打合せで六本木へ。まだ書けないがちょっと面白い仕事をしております。ある美術館で上映するビデオなので、いずれは一般公開するのでその時にでも。その後角川書店で「パックスヤポニカ」打合わせ。エース特濃のE本さんが死にそうになっている。本当に15日に発売できるのだろうか・・・(原稿が遅れた奴が言うことではない)。さらにOTCに寄って荷物を回収、さらに遅刻して年末から年明けにかけてやっていたボーイスカウトのCD-ROMの打ち上げ。普段オンエアものの仕事が多いので、形になって残る仕事は嬉しいものである。しかも打上げでただ酒がのめるなんて言うことなしです。痛飲して帰宅。

2003/3/6

またもや午前中は休業。妻が午後休。外での打合せはなし。

こないだからある人物の影響でつい久しぶりに引っ張り出した種ともこのカセットテープをここんとこずっと聴いていたのだが、そのある人物よりCDを焼いてもらったのでさらに聴きまくり。「10円でゴメンね」という名曲があるのだが、これってもう今の人にはほとんど理解不能な過去の曲になりつありますね。公衆電話の歌だからなぁ。年もとるわけだ。

2003/3/5
息子は保育園に復帰したが、娘の風邪は治まりきらず。今日も午前中は休業。妻が午後休をとって交代してもらい、こっちは仕事。夜は打合わせ二件。ある仕事で船をチャーターすることになり、船宿でコースや日程について打合わせ。
2003/3/4

息子は今日まで休ませることにしたが、私は先週の金曜日から働いてないのでいーかげん仕事をしたいのもあって、妻が休みをとることに。すると今度は娘が食事中に嘔吐。が〜んおまえもかよ〜!!野田家全滅の危機!!一家総出で病院へ。息子はとりあえず登園の許可をいただくが、娘は風邪から来る下痢のようでかなりぐんにゃりしている。危うし、オレ!

声優の井上瑤さんがガンでお亡くなりになられたとのニュースにショックを受ける。世の中的にはセイラさんなのかもしれませんが、私的にはもちろんランちゃんであり、香貫花クランシーだったわけで。ああ、また「うる星」の関係者が一人この世を去った・・・これはいかん。というわけで以前より思案中のプロジェクト実現に向けて思いを新たにする私であった。

慎んで井上さんの御冥福をお祈りいたします。

2003/3/3
妻は微熱が続くが仕事へ。息子の熱はすっかり下がったので、まあ大丈夫だろうと思って病院に連れていくが「明日まで休ませなさい」とのこと。まあ丁度仕事も一段落したしいいかということで、息子と二人でだらだら家の中で過ごす。昨日のビデオをまた見る。そこへ急ぎの仕事の電話。うーんなんてタイミング良く捕まえるんだろう。
2003/3/2

息子は小康状態、妻もまあ37℃台で落ち着いている模様。休日診療所に行くかという話もしていたが、とりあえず大丈夫そう。外に出られずに退屈な息子のためにレンタルビデオを借りてくる。「ウルトラセブン大全集」と「仮面ライダー怪人グラフィティ」。前者はちゃんとした総集編ビデオなのだが、後者はただの予告編集だったのでびっくり。でも仮面ライダーって次回予告はほとんど全部怪人の紹介だったのね。記憶にないなぁ。しかも70話あたりまで毎回ほとんど、ナレーションが

「我らが仮面ライダーを狙うショッカー本部が送った次なる使者は、怪人●●●男!
(以下内容の紹介)
次回仮面ライダー『◆◆◆◆』にご期待下さい!」

で同じパターンばかりで気が狂いそうになる。息子の脳内にはしっかりすり込まれたことだろう。そうそう、地獄大使を初めて見て「ぼくこんな格好した人見たことあるよ!」と叫んでいた(2/23の日記参照)。生の地獄女史の方を先に経験したのもうちの息子くらいであろう。

2003/3/1

久しぶりに締切の心配をしないでよい週末。天気は悪いが家族水入らずで・・・なんて思っていたのもつかの間、息子が38.5℃の発熱。元々平熱も高いし、まあ食欲もほどほどあるし、元気そうなので歩いて病院へ。

息子と二人で歩くときは良くしりとりをする。普段は使っていない、息子の意外なボキャブラリーが聞けて楽しい。最近のヒット作は「アームストロング船長(月の絵本に出てきたらしい)」「スベスベマンジュウガニ(海の生物の図鑑)」「エラブウミヘビ(同・リンク探して初めてわかったけど、両方とも毒を持った海の生物)」。アームストロング・・・息子よ、おまえ何歳だよ。ちなみに私は自分の心の中でハンディ(息子の知っている特撮縛り)を課してやっています。

で、病院に着いて診察。風邪の薬と、違うかもしれないけど流行っているし明日日曜だから(休診になる)一応と言う感じでインフルエンザの薬。ところが帰ってから急に息子がぐったり。食欲もなく横になったかと思うとすぐに寝てしまった。おかしいと思い熱を計ってみると39.6℃。ってインフルエンザやん!薬を飲ませると夜にはだいぶ落ち着いてきた。危ないところであった。・・・ん?どうした母ちゃん?ぼーっとして・・・ってあんた熱あるやん!38.6℃。やられた〜!!

大丈夫か野田家!?

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